ノット・アクターズ   作:ルシエド
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 危うくまたもうちょっとで三万字行くところでした

 さて、原作単行本からの抜粋を再掲しておきますか

●夜凪景
・好きな映画
 ローマの休日、カサブランカ、風と共に去りぬ
 「意外にラブロマンス好き」

●湯島茜
・好きな映画
 フォレスト・ガンプ、ビッグ・フィッシュ、横道世之介、6才の僕が大人になるまで
 「一生懸命な男の子の人生に泣いちゃいがち」

●朝風英二
・好きな映画
 AtoZ運命のガイアメモリ、ガメラ2レギオン襲来、ベリアル銀河帝国、パシフィック・リム
 「懸命な者が最後に勝ってこその物語」


愛はあった。そこに、彼の周りに、きっとあった

 事故が起これば、人は死ぬ。

 

 

 

 

 

 

「お前は才能が無いな」

 

 親父はそう言っていた。

 才能の定義は多くロも人それぞれ。

 少なくとも親父の定義においては、俺は才能が無い奴だったらしい。

 親父よりも才能が無い奴だったらしい。

 俺も、そう思う。

 

「何故他人の技術ばかり模倣する? それがお前のやり方ならそれでもいいが」

 

 そこに技術があるからだろ。

 

「それは凡人のやり方だ。

 お前はその辺の人間よりは才能がある。

 技術とはなんだ?

 天才の模倣だ。

 物作りも、科学技術も医療技術も同じだ。

 他者より優秀な人間が研究し、試行錯誤し、ひらめく。

 そうして生み出された技を凡人が真似できる方法論にし、技術となる」

 

 知ってるよ。

 

「お前は生み出す側だ。技術体系を"創る"側だ。何故先人の真似ばかりする?」

 

 俺は親父にはなれねえからだよ。

 

「お前は踏み切れてねえだけだ。必要なのはきっかけだけだろう」

 

 どうだか。

 

「絵でもいい。スーツでもいい。撮影セットでもいい。

 物を作ることの幸福ってやつをお前は分かってない。

 芸術は言語だ。

 何かが伝わってくる芸術だけが後世に残る。

 何も伝わってこねえ芸術は後世に残ったりしねえ。

 才無き人間が絶対に使えない俺達だけの言語を、俺達は持っている。それは、幸福だ」

 

 分かってる。

 

「伝えろ。

 感情を伝えろ。メッセージを伝えろ。

 『かっこいい』『優しい』『悲しそう』を見た人間に思わせろ。

 一の造型で千の言葉を超えろ。

 じゃなきゃお前は、依頼されても消費者に訴えかける広告ポスター一枚すら作れん」

 

 この前、"主人公の心の成長"をスーツの造型だけで表現してた親父らしい言い分だな。

 そりゃそうだ。

 怪獣スーツだのヒーロースーツだのはファンタジーだ。

 本来『強そう』って連想できるわけもねえんだが、俺達は『強そう』って思わせなきゃならなかった。

 

 人間の脳は、既存知識から連想する。

 ライオンを見せりゃ、ある程度は『強そう』と思う。

 完全創作の動物を見せても、大抵の場合は『強そう』と思ってもらえねえ。

 だけど完全創作の怪物でもなきゃ、『ライオンより強そう』だなんて思ってもらえねえ。

 そして、俺達はそれを作らなきゃならねえ。

 

 同時に、優しそうなスーツとかもファンタジーだ。

 怪獣やヒーロースーツなんて、地球のどの生物とも違う。

 優しそうな人間の顔の真似はスーツじゃできねえ以上、"優しさを連想させる造型"なんて本当は不可能を可能にするような所業なんだ。

 

 俺達は、幻想を作ってる。

 心を伝える幻想を作っている。

 

 俺はその分野において、親父に到底及ばねえ。

 

「言語の使い分けを覚えろ。

 どうせ"美しいもの"には好き嫌いがある。

 物を作る時は、相手の嗜好を読め。

 業界の詳しい奴に向けた、分かる奴にだけ分かる作品。

 一般人にも分かる、バカにも分かる作品。

 芸術という言語は、相手に伝わる言語を選べ。

 芸術でいいこと言ってても、伝わらなきゃ意味ないんだからな」

 

 わーってるって。

 

 親父にとって、『芸術を他人にも分かりやすく説明するためのフォーマット』は、『言語』。

 言語に例えることで、親父の感覚的な芸術論は他人にも分かるようになる。

 本物の天才の感覚は、そうじゃないやつには分からねえ。

 親父が感覚全開で語れば、俺が分からねえのと同じように。

 本物の天才の前で、天才って呼ばれてるだけのガキは妥当に凡才に堕ちる。

 俺はそうだった。

 

「クライアントの脳内を読み取れ。

 できる限り深くまで潜れ。

 そうすれば、気に入らん奴のトラウマを掘り起こして勝手に像にすることすらできる」

 

 できねえに決まってんだろ、そんなの。

 

「やれ。できなきゃどうせいつまでも二流だ」

 

 へーへー。愛する女と出会って覚醒した親父と俺はタイプが違うってんだよ。

 

「俺にできることはお前にもできるはずだ。俺より時間をかければ、いつかはな」

 

 無理じゃねえの。

 

「あるいは出会いがお前を変えれば、ってところか」

 

 想像もできねえな。

 

「少なくとも、お前は俺とは違う出会いを重ね、俺から離れた存在になっていっている」

 

 ……。アキラ君のこと言ってんのか?

 

「お前にとってはいい友人だろうな。

 だが、進みたい道と才能が一致していない無才との付き合いは勧められん。

 あれは執着だ。

 母親と同じ道を進もうとする執着だ。

 諦めきれない道と無才の狭間で苦しむ運命だ。

 そうそう"ああいう人になりたい"って執着は捨てられん。

 でなければ全て諦めるか、無才の自分にいつかすり潰されるかのどちらかだろうな」

 

 うるせえな。

 

「本質的な意味で星アキラはお前の理解者にはなれん。

 むしろ、あいつに合わせすぎたお前の成長が頭打ちになる方が怖い。

 自分より速く先に進む人間を探せ。

 そいつに歩調を合わせろ。

 『本物』になるコツは、未熟な成長前の自分より格上の人間を常に探し続けることだ」

 

 二度も言わせんな。

 あんたにどう言われようが、もう決めたことだ。揺らぐかよ。

 

「……それでいい。今の俺の問いに『はい』と応えるようならそれまでだ」

 

 試すようなこと聞くんじゃねえよクソ親父。

 

「強気でいろ。

 誰にも合わせるな。

 凡人を好きでいるのもまあいい。だが、凡人に歩調を合わせれば痛い目を見るぞ」

 

 あん?

 

「何より凡人の方が、天才に歩調を合わせられることに屈辱を覚えるだろうからな」

 

 まあ、そういうのは、なんとなく分かる。

 言っちゃなんだが、レベルが低い人とレベル高い人ってのはいるよな、この業界。

 レベルが高い人とは仕事がやりやすい。

 レベルが低い人は懇切丁寧に説明しても分かってもらえねえことあるし、余計なことされて俺がフォローしないといけねえ時もあるし、嫉妬で足を引っ張られることもある。

 

 まあ、だから親父より格下なんだろうな、俺は。

 『自分を高めるんじゃなく自分より高い所にいる人の足を引っ張るのが分からない』。

 その時点で、俺は誰の気持ちでも分かる親父には及ばねえ。

 10代半ばも超えれば、多少はマシになるだろうか。

 

「自覚を持て。お前が俺より凡才なのは、自覚的に才能を使いこなせてねえからだ」

 

 そうかよ。

 

「資格がある奴なら天才は『成れる』。

 お前も見てきたはずだ。

 才能があっても業界を辞めていった奴らを。

 まず、才能があるか。

 次に、己の才能を理解し使いこなせてるかどうか。

 この両方をクリアした人間だけが最後まで残る天才だ。

 途中で心折れて名を残す前に消えた天才なんざ無才となんら変わりはない」

 

 厳しいな、親父は。

 

「だからいい仕事をしたいなら、信頼できるキチガイを探せ」

 

 信頼できるキチガイ、ね。

 

「自分基準でおかしいと思うくらい、頭がおかしい奴を探せ。

 それでいて、信頼できる好ましい人格の人間を探せ。

 どうせ一人でできることなんてたかが知れてる。

 大勢で集まって作る番組や映画の質を上げたいなら、仲間は選べってことだ」

 

 大変な条件だな。

 

「分かってもらえなかったが分かってもらえた、になる瞬間は劇薬だ。

 そいつは俺達みたいな人間を劇的に進化させ、同時に死に近づける。

 共感者には気を付けろ。正解はない。

 古今東西……芸術家は自分の理解者の影響で、人生の多くを決めてきた」

 

 知ってるよ。

 親父とおふくろを見てきたんだからな。

 

 親父の下で色々と作る。

 一週間寝ないで物を作り続けるのが楽しかった。

 ヘトヘトになっても集中力で体を動かして、最小限の動きで無駄なく素早く丁寧に物を作っていく技術が身に付いていった。

 

 作って。

 作って。

 作った。

 

 物心ついた時から、気付けば物作りをやっていた。

 気付けば物作りが好きだった。

 時間があれば物を作っていたかった。

 誰よりも優れたものを作ってみたかった。

 暇さえあれば、手を動かしていた。

 ……父のことも、好きだったから。親父と一緒に物作りする時間は、特に好きだった。

 

 親父が納品する作品の一部を、俺が担当した覚えもあった。

 だが俺がたまに出す格別に出来がいいやつを除けば、親父は基本的に俺の作品の出来には失望した顔を見せてた気がする。

 親父は常に親父と同等の仕事の出来を俺に求めて、それができなきゃガッカリしてた。

 

「はぁ」

 

 しかも、溜め息までつく。

 

 まあ分かる。

 悔しいし辛いがしょうがねえ。

 俺の作品の出来が求められてるラインに到達してねえのは、俺が一番よく分かってる。

 頑張らねえとな。

 俺がこのくらいじゃへこたれねえと分かってんだろ、親父。

 

「まあ、お前の才能ならこんなもんか」

 

 うるせー。出来のことは言うな。

 もう10日合計で3時間しか寝てねえんだぞ。

 計算して寝てなきゃとっくにグロッキーだっての。

 親父は起きてる時に複雑な手作業やって、寝てる時に簡単な手作業や設計イメージ構築とかやってるからな……リーヴ・ハドウィン*1かてめえは。

 

「他の奴に任せるよりはマシだ。お前に任せる。質を上げながら作成速度も上げろ」

 

 へーい。

 せこせこ親父の仕事を手伝う。

 親父は小遣いをくれるが、そもそも職人肌過ぎて儲からん仕事ばっかやって、しかも料金設定も低いもんだからうちは常に金が無え。

 金が無えのは親父がたまに私的にたっけー工作機械買ったりするのも原因だが。

 こういう人間にはならないようにしよう、とちっと思っちまった。

 

 親父の工房は色んな物が動いてる。

 工作機械に、コピー機に、その他諸々。

 親父はそれら全ての稼働状況を把握してて、流れるようにそれらを操作してる。

 だから親父の仕事は速い。

 親父は機械任せにするとこは全部機械任せにして、機械を無駄なく動かすことで仕事を圧倒的高速化してるからだ。

 

 俺も負けてらんねえな。

 ノルマ作り終えたらとりあえず寝て、そっからだ。

 そう思って、一歩を踏み出した時。

 

 足が、滑った。

 

 転びそうになった俺が突っ込む先は、工作中の機械。

 子供だった俺の体格だと、間違いなく即死する角度。

 ヤベえ。

 駄目だ、間に合わない。

 何もできねえ。

 そんな俺の手を掴んで、引っ張った親父が、入れ替わりに俺の代わりに―――

 

 

 

 

 

 子供の頃はやっていた一週間寝ずにの物作りをやらなくなったのも、ここからだろう。

 

 あれからもう結構な時間が経った。

 親父を知る人はそれぞれが全然違うことを言った。

 殺人だったとか、自殺だったとか、事故死だったとか、運が悪かっただとか。

 

 親父、別に死んでなかったけどな。

 腕が無くなっただけで。

 でも、俺は親父はあの時死んだんだろうなとは思う。

 親父は物作りが人生の全てで、物作りが生きる価値そのものだった。

 物を作る神域の腕を失った親父の命に、既に価値は無かった。

 

 ……無かったんだよ。無かったんだ。無いに決まってる。だから親父は俺が殺したんだ。

 

 このことは、事件がややこしい事情であんま有名にはならなかった。

 俳優みたいに記事が売れるわけでもねえ、造形師の事故。

 だから週刊誌とかも嗅ぎつけて噛み付いてこなかった。

 業界でも詳細は一部の人間しか知らねえ。

 本当の意味で全部知ってんのは、おふくろと一緒に現場に一番に来たアリサさんくらいか。

 だから俺の親父の評判だけ知ってて、その末路まで知らねえって人は多い。

 

 自殺だったと言ってた人がいた。

 親父は伸び悩んでたらしい。

 おふくろの影響で一回とんでもなく壁を打ち破ったものの、その先がなかったとか。

 自分の頭の中ではもっと先に行けるはずなのに、才能と感性がついて来ない……そんな苦悩を周りに語ってたことがあったようだ。

 天才の親父が。

 親父こそが。

 自分の無才に苦しんでいた。

 自分の命すらどうでもよくなってそうなくらいに、思いつめてたらしい。

 

 事故死だったと言っていた人がいた。

 俺と親父、両方が疲れてたからこそこうなったって。

 分かる。

 いつもの親父なら、俺の命と自分の腕を引き換えにするわけがねえ。

 きっとそうだ。絶対そうだ。

 だから気の迷いで俺を助けちまった以外にありえねえ。

 疲れのせいで、親父は俺を助けたら腕がなくなるって判断できてなかったんだ。

 親父は珍しく、間違った。

 

 運が悪かっただけだと、巌爺ちゃんは言った。

 誰かが悪いわけじゃないと。

 お前が悪いわけじゃないと。

 運が悪かっただけだと。

 人生ってのはそうやって割り切っていくもんなんだと。

 少し、涙が出た。

 

 おふくろは「あなたのせいね」と穏やかに言った。

 その通りだ、と俺は思った。

 

 親父は両腕がない姿で、何も言わなかった。

 

 本当は俺にも、何もかも、分かってねえ。

 親父の腕を奪った原因が、本当は何なのか。

 でも俺が殺したんだ。

 よく分かってねえ。

 親父が考えてることなんて、俺は本当は分かってねえんだ。今になっても。

 

 足でペンチを持っても、口で筆を持っても、腕の機能を完全に補うことは絶対に不可能。

 

 腕を失えば、職人は死ぬ。

 

 物を作れなくなれば、俺達は死ぬ。

 

 

 

 

 

 何かが飛んで来て、目に入った。

 目を拭って、前が見えなくて、それでようやく気付く。

 右目に当たったのは親父の肉片。

 左目に入ったのは親父の血の塊。

 肉片が目の中から落ちて、右目は見えるようになったが、粘性の高い血液が入った左目は相変わらず見えなかった。

 

 工作機械が動き続ける。

 親父の腕を削り飛ばし続ける。

 親父の腕が、鉛筆削りに入れられた鉛筆みたいに見えた。

 

「っ……!」

 

 親父は機械に片腕を消し飛ばされ、もう片方の腕もギリギリ繋がってるだけで、それでも歯を食いしばって機械から離れる。

 親父は一度も情けない声を出さなかった。

 小さな痛みの呻き一つすら漏らさなかった。

 

「お……親父!」

 

 親父に駆け寄る。

 腕がない。

 あの素晴らしいものを作り出す腕が。

 俺のせいで。

 いや、このままじゃ、本当に死ぬ……!?

 

「なんで、親父、なんで俺なんかを!」

 

「なんでだろうな」

 

 親父はくっくっくと、笑った。

 

「俺はお前の才能は認めてたつもりだったが、それを抜きにしても、お前が好きだったのかもな」

 

「―――」

 

「合理なんて、どこにもなかった。そういうもんだ」

 

 好き?

 好きだから?

 親父として、息子の俺を?

 それだけで?

 それだけで、ここまで、したのか?

 

 他人の才能の上限とか、他人の可能性とか、きっちり見切れるあんたが。

 だからこそそれを絶対視するあんたが。

 自分が物作りしていられれば、それだけでいい、自分だけで幸福を完結させられるあんたが。

 "その人が好き"って感情だけで―――こんな、バカなことを?

 

 親父が立ち上がり、血まみれで作りかけの作品に向かう。

 

「ば、バカ親父、何を……!」

 

「この腕はもう少しで動かなくなる。

 感覚で分かる。もう元には戻らんだろう。あと数分で、最後の仕事を完成させる」

 

「まずは病院だろ! バカか!」

 

「忘れるな」

 

 親父が残った腕で、スプレー缶と金属ヤスリを握る。

 

「作ってくれと、俺達は言われる。

 できる、と俺達は言う。

 それは金のやりとりで行われる契約で、人と人との約束だ。裏切るな」

 

 それが俺の見た、"生きている親父の腕"の最後の仕事。

 

「これは、俺達の命よりも大切なことだ」

 

 親父は製作を完了した。

 残った腕も病院に運ばれ、後に切断。

 納品を完了し、契約を完了。

 

 親父はただの一度も、仕事で約束事を破らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おふくろは元は巌爺ちゃんのとこにいた女優だ。

 舞台俳優から映画女優になって、その後引退した。

 引退の理由は『脳の病気』だ。

 

 よく分からなかったが、おふくろの頭の中にはとてもゆっくりと大きくなる腫瘍があって、それが徐々に大きくなっていったらしい。

 それに伴って少しずつ変になっていったんだろう、って医者は言っていた。

 大きくなる速度がゆっくりだったために心に与える影響の大きさもゆっくり変化するもので、検査をしても手遅れの大きさになるまで気付けない。

 そういう病気だったんだそうだ。

 

 アリサさんが何かに気付いて、医者がそこから検査して発覚した時には、もう手遅れだった。

 その時にはもう、"そう考えてみると"という視点で見れば、おふくろの性格は昔のそれとは似ても似つかないものに変貌しきっていた。

 

 おふくろはただ一度、普段の自分とは似ても似つかない演技をして、親父を射止めた。

 その後も数回の演技を見せて、この一連の流れをワンセットとすると、このワンセットで親父は劇的に進化して、それで二人は結婚した。

 んで俺が生まれて、おふくろの病気が発覚、病気引退。

 この流れを見て、アリサさんは何か気付いたらしい。

 

「ああ、だからあの一度だけ、演技が……そういうことだったの」

 

 まあそうだろうな、と俺も思う。

 あのおふくろにそんな突然才能が生えてくるわけねえし。

 脳腫瘍のおかげで名演……いや、怪演って言うべきなのか?

 とにかくあの名演が成立したと考えると、しっくりくる。

 過去のおふくろの演技の録画全部見たが、あんな急に積み重ねる秀才型から深く潜る天才型にシフトするわけがねえ。

 

 派手な動きとか柔らかい関節で演技を見せるタイプとかじゃねえ、感情を伝えることで観客を震わせるタイプの天才の強さは、極論脳から生まれるもんだ。

 脳が行う微細な操作が、体を通して観客に感情を伝える。

 頭がおかしくなっていって初めて、おふくろは親父を見惚れさせる演技を完成させた。

 

 親父を進化させたのは、脳に大きな腫瘍を抱えた名女優が魅せる、他の人間には絶対にできない見事な名演だった。

 

 アリサさんは、こう言っていた。

 

「あの子は……あなたのお母様は、あなたのお父様を惚れさせるために、奇跡を起こしたのかも」

 

 まあそうかもな、と俺も思った。

 無才のおふくろが親父を射止めるにはこの道しか無かった。

 そういうことがあったとしてもおかしかねえ。

 俺の記憶に最初に映ってたおふくろより、俺の記憶の最後のおふくろの方がおかしいんじゃないかと言われたら、確かにそうだと俺も頷く。

 

 そして、親父が腕を失ったことで、おふくろの頭は更におかしくなっていった。

 

 親父はおふくろの全てだった。

 おふくろは人生の全ての意味を親父に見るくらい、親父の腕に惚れ込んでいた。

 それが失われた。

 絶望、悲嘆、心折。

 親父は、おふくろの頭がおかしくなりきらないように止めるストッパーでもあったらしい。

 腕の喪失は、おふくろの頭の病気の進行を加速度的に引き上げていった。

 

「無事で良かったわ、英二。

 あなたの方が死んでいればよかったかな、と思うけど。

 その上で言うわ。あなたが無事で良かった。怪我の一つもないことが、本当に嬉しい」

 

「―――ありがとう、母さん。うれしいよ」

 

 俺の命は、おふくろにとって、親父の腕一本ほどの価値もなかった。

 なのに間違いなく、おふくろは世界で二番目に、俺を愛していた。

 頭がおかしくなりきったこの状態になっても、俺が小さな怪我をすれば心配し、俺が不幸になることを許さず、俺を誰かがいじめたら激怒し、俺の幸せを全力で祈っていた。

 だってそうだろ。

 この人にとっては、俺は愛する息子。

 世界で二番目に大切な家族なんだ。

 それでも俺の命は、おふくろにとって、親父の腕一本ほどの価値もなかった。

 

 おふくろは俺を愛している。

 俺の幸せを願ってる。

 でも俺が親父を超えるとは思ってなかった。

 俺にさしたる期待もしてなかった。

 俺の未来に興味が無かった。

 家族としての愛や慈しみがありながらも、俺に対する期待や興味がほとんどなかった。

 

 俺に幸せになってほしいと思ってるから、俺がねだったものは何でも買ってくれたし、俺に業界で注意しておくべきところをことあるごとに教えてくれたし、俺を優しく抱きしめてくれた。

 でも俺に興味がねえから、俺に将来の希望を聞いたことはねえし、俺の普段の生活での行動を一回も俺や俺の周りに聞いたことがねえし、俺を大して心配もしない。

 

 興味の無い愛。

 それは、おふくろが親父に夢中だったから。

 いつも興味、好奇心、注目の全てを、親父に向けていたから。

 人は一つのものに本気で注目すると、他のものが目に入らなくなる。

 おふくろはまさにこれだった。

 親父にばかり目を向けているから、他が目に入らねえ。他に興味が無い。

 

 おふくろは俺の頭を撫でている時も、近くに親父がいれば、撫でている俺のことは見ずに親父のことばかり見ていた。

 

 俺の愛する母親は、一途な女だった。

 

 作った。

 作って作りまくった。

 おふくろの頭がおかしくなるのを親父の腕と作品が止められてたなら、俺の腕が上がっていけばもしかしたら、俺の作品がおふくろの脳の症状の進行を止められるかもしれねえ。

 それに、もしも、もしもだけれども。

 親父と同じくらいの出来だと、おふくろに認めてもらえたら。

 

 普通の親子みたいに、愛してもらえるかもしれない。

 

 作った。

 とにかく作りまくった。

 親父は腕がねえし、おふくろは病院から出られねえ。

 俺が稼いで、二人を養うんだ。

 もっともっと成長したら、もっともっと腕を上げたら、きっと。

 

 親父を超えられたら、俺が欲しいものが手に入る。きっとそうだ。

 

 あと数年で俺も20歳。大人だ。

 できれば20歳になるまでに認められてえところだな。

 ワクワクしてきた。

 物を作る腕の動きがなめらかに、速くなっていくのが分かる。

 

 物を作って、おふくろに見せて、おふくろにダメ出しされて、また作る。

 前には進んでいる。

 おふくろのダメ出しが少なくなってきた。

 もう少しだ。

 このまま腕を上げていけば、おふくろのダメ出しが0になって、合格が貰える。

 

 そうして、俺は会心の出来の最高傑作を抱えて、病院で横になったままのおふくろに会いに行って、意気揚々とそれを見せて。

 

 おふくろは俺の腕を見て、静かに失望した。

 

「お父さんみたいにはなれないのね、あなた。代わりの腕になるかと思ったのに」

 

「……え」

 

「彼の指示で動く新しい腕になってくれるかもしれないと、少しは思ったのに……」

 

 そうして、気付く。

 

 俺はもしかして、"成長してはいけなかった"んじゃ?

 俺がなるべきだったのは……おふくろが求めてたのは……親父の、コピー?

 

「それは要らないわ。どうでもいい。

 明日また来なさい。あなたに大切なものをあげないとね」

 

 おふくろのために作って持って行った最高傑作はゴミのように突き返された。

 大丈夫だ。

 胸は痛くない。

 まだ大丈夫。

 

 なるほど、分かった。

 おふくろは俺に親父の腕の代わりになってほしかったんだな。

 俺が親父の頭で考えた通りに考えられれば、親父の言う通りに物を作っていけるなら、親父の腕が無くなったところからでもリカバリできる。

 おふくろの愛した親父の作品が戻って来る。

 そうなれば、俺が消えたことに目を瞑れば何もかも元通りだ。

 

 やっぱり俺は、おふくろの中で親父の腕一本ほどの価値もなかったらしい。

 

 悪意はないんだろうなあ。

 おふくろにとって、親父は世界一の造形屋だ。

 何でも作れる。

 どんな美しさでも彩れる。

 そんな人間の腕になるってことは、世界一の一部になるってこと。

 

 おふくろは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だけだ。

 

 俺の幸せを考えてるおふくろのまま。

 目を見れば、話していれば、俺への愛が伝わってくる。

 でもこの愛も……頭の状態を考えれば、いつまで残ってるかも分からん。

 間に合うか? 俺の腕の修正は間に合うのか?

 俺が、親父のコピーになることを考えてれば、間に合ったのか?

 その時おふくろは、俺を愛してくれたのか?

 

 親父の代わりにされた。

 嬉しかった。

 嬉しかった?

 みじめじゃなかったか?

 いや、嬉しかった。

 嬉しかったなあ。

 おふくろが俺の幸せを望んでくれてたんだ、嬉しかったよ。

 

 だってさ俺、親父のこともおふくろのことも大好きだったし。

 

 これが、俺の母が、俺の将来にただ一度だけ期待してくれた日のこと。

 

 俺が、母親の期待にも応えられなかった日のことだった。

 

 

 

 

 

 翌日、母の病室に向かった。

 今日こそ、おふくろをどうにかしてみせるぞ。

 意気込んで病室に踏み込んだ俺が見たのは、俺の加工刀――何ヶ月か前にどこかで落としたと思ってたもの――を片手に持ったおふくろの姿。

 

 ……え?

 

「英二。芸術家においてもっともしてはいけないことはなんだと思う?」

 

 待て、おふくろ、何考えてんだ?

 

「私ね、自殺をする天才がずっと憎かったの。

 天才俳優も。天才音楽家も。天才画家も。

 色んな人が天才ゆえに自殺した。

 ……そして、死後に評価された。

 彼らが自殺しなかったら、この世に残っていた名作はもっと沢山あったはずなのに」

 

 近寄れない。

 こっちの動きが読まれてる。

 足の指を一本靴の中で動かしただけで、靴の表面に出た僅かな動きを察知して、おふくろがピクリと動く。

 駄目だ、近寄れねえ。

 

「なんでそんな、もったいないことができるの?

 私が焦がれて焦がれてたまらないものを、どうしてそんなに簡単に捨てられるの?」

 

「母さん、何を」

 

「それはね、彼らが普通の人と違ったから。

 普通の人とは"大切なこと"の尺度と定義が違ったから。

 普通の人は、思うように絵が売れないだけで、演技の評価を気にしただけで、自殺はしない」

 

 待て、何考えてんだ?

 おふくろの考えてることが分からねえ。

 

「死を選ばなければ、もっと偉大な功績をいくつも残せたかもしれないのに。

 これは有名人に限らないわ。

 埋もれたまま日の目を見なかった天才なんて、いくらでもいる。

 本当は評価されたはずなのに自殺してそこで終わりになってしまった天才は、いくらでもいる」

 

 それは、そうかも、しれねえけど。

 

「でもね、業界は天才だけで回っていない。

 天才じゃなかったはずのクリエイターが山ほどいる。

 あなたのお友達の星さんの息子さんに、湯島さんみたいなのがね」

 

「……何が言いたいんですか、母さん」

 

「辞めていった天才より、成功を積み上げる凡人がいる。

 それはね、彼らは本当に大切なものを持っているから。

 才能しか無かった人間が持っていなかったものを持っていたから。それは、『諦めない心』」

 

 諦めない、心?

 

「負けを認めない心、ではないわ。

 折れても負けても、また立ち上がって、再起する心の粘り強さよ。

 泣いても挫けても、迷って転んでも、また起き上がる"終わらない心"よ。

 どんなに才能があっても、折れて立ち上がれなければそこで終わり。

 逆に才能が少なくても、みっともなくしがみつき、粘り強く這い続ける気概があればいいの」

 

 ……諦めない、心。

 

「業界の隅でみじめな姿を晒しながらも、好きな仕事を続ける覚悟。

 作品を作り続け、世に残し続ける覚悟。

 自分の才能が信じられなくても、筆を置くことだけはしない覚悟。

 格上の女優がいても、腐らず積み上げ少しずつでも成長していく覚悟。

 諦めない、ということ。

 それが、あなたが関わっているいくつもの番組で、ヒーローが教えているものの本質」

 

「諦めない、心」

 

「努力しても何も結実せず。

 積み重ねても成長は微々たるもの。

 有望な新人には嗤われ、先は見えず。

 憧れた高みには届かないと何度も思い知らされる。

 私の人生は……長い間、ずっとそうだった……でもね。天才は、勝手に消えるのよ」

 

 おふくろの表情が、その時。

 

「星アリサさんのように、勝手に消える」

 

 とても、怖かった。

 

「天才が勝手に消えれば、私達みたいなのは繰り上がりで一つ上に行く。それでいいの」

 

 怖かった表情が、夢見るような、高みを見上げる表情に変わった。

 

「いつかは努力が結実するかもしれない。そういうこともあるから、それでいいの」

 

 おふくろ、何、考えてんだ?

 

「ごめんなさい、英二。

 あなたの中には半分、私なんかの血が混じってしまっているの。

 その分だけ、きっと純度が下がってしまっているんだわ。

 ごめんなさい。私がこんな、あの人の才能に見合わない女だったから」

 

「そんな……俺、母さんの息子であることを、誇りに思ってます!」

 

「だからあなたも、きっと何度も負けを味わうわ。

 何度も折れることもあるでしょう。

 でもそのたびに仕事から逃げていては、きっと何もできなくなる。

 あなたに必要なのは、強い心の足よ。どんなに心が傷だらけでも、立ち上がる心の足」

 

「……心の足」

 

「だから」

 

 だから?

 

「ここで慣れておきなさい。

 折れては駄目よ。慣れなさい。

 この先に辛いことがあっても。

 『あの時よりは辛くないな』と思えるように」

 

 ! 喉に、加工刀を……!

 

 走って……駄目だ! 微妙に距離が!

 

「愛してるわ、英二。

 あなたはお父さんとは違う方に行きなさい。

 これが私の最後の贈り物。

 命の使い途がなくなってしまって、困っていたの。

 どうしようかと思ったから、よく考えて、愛する子のために使うことにしたわ」

 

 喉に、刺さる。俺の道具が。

 

「やめっ―――」

 

「私もう、あまり生きてる意味が無いから」

 

 刺さった。刺さって、横に押し出された刀が、ブチッと首を切る。

 吹き出した血が、止めようとした俺にかかった。

 からん、と、母の手から加工刀が床に落ちる。

 

 俺が母のために彫刻を彫るような手付きで、母は俺のために喉を彫った。

 

 なんだ。まるで親子みたいだな、俺達。

 

 おふくろは親父の事故に関して『あなたのせいじゃない』とだけは、言わなかった。

 それだけは絶対に言わなかった。

 何度言葉を交わしても言ってくれなかった。

 おふくろは。

 母さんは。

 最後まで俺を許してはくれなかった。

 許さないまま、死んでいった。

 

 俺は、俺のおふくろにとって、最愛の人の腕を奪った憎い男のままだった。

 ありがとう、おふくろ。

 俺のことが憎かったのに。

 俺のことを許してなかったのに。

 どんどん頭がおかしくなる中、俺を愛したままでいてくれて。

 

 それからは、よく覚えてない。

 なんだっけ。

 あ、そうだ。

 お医者さんが俺の携帯電話見て、アドレスの大人から目星をつけて連絡したんだ。

 この状況をどうにかするため。

 そして、俺をどうにかするために。

 

 んで、連絡された中でアリサさんが一番に来た。

 

「―――これは」

 

 アリサさんが来たその時、ちょうど俺の血化粧が完成したんだ。

 母さんは喉を掻っ切ってたから、見るも無残なグロになってた。

 だから、整えなくちゃならなかったんだ。

 

 血まみれのシーツを切って、白い部分を整えて、ベール状に加工。

 見舞いの花も飾って、血を模様に見えるよう整えて。

 顔を拭いて、花びらと血化粧で美しさを整える。

 おふくろの黒くて長い髪、綺麗だよな。

 ずっとそう思ってたけど、こうして整えると更にそう思う。

 

 ほら、アリサさんも見ろよ。

 綺麗だろ、おふくろ。

 俺の大好きなおふくろは、俺は世界で一番の美人だと信じてるんだ。

 親父には敵わないかもしれねえけど、綺麗で美しい造形になってるだろ?

 

「アリサさん、どうですか? 綺麗ですよね? 綺麗ですよね?」

 

 天下の星アリサに認められたとなりゃ、きっと十分合格点だ。

 

「母さん、綺麗ですよね?」

 

「……ええ、綺麗よ」

 

 よし! よっしゃ! 良い出来確定!

 

「……だから、その涙を拭きなさい」

 

 なんで?

 

 大丈夫だ。

 

 何があっても、俺が折れたままでいることはねえ。俺は必ず立ち上がる。

 

 俺は今日、心だけは造型屋として完成した。きっと明日から、俺は無敵だ。

 

 

 

 

 

 俺は無敵になったが。

 親父は、無敵じゃなかったらしい。

 

 親父はもはや、妄執だけで生きる人間になっていた。

 物作りに執着するだけの人間になっていた。

 口で筆を咥え、筆先で塗料を捉え、筆で動かして塗装する。

 足で機械を操作し、足で彫刻刀を操る。

 腕がない親父には、もうそのくらいしかできてなかった。

 

 それでもそれなりの出来になってたことは間違いねえ。

 人の死体のミニチュアの作りとか、まだ俺より上手いくらいだった。

 だけど、親父の古巣に完全復帰するのは、絶対的に不可能と言える出来だった。

 親父の苦悩が伝わってくる。

 苦しみが、絶望が、憤りが、全部伝わってくる。

 それでも俺は、おふくろの死を伝えないといけなかった。

 

「そうか。なら、もう終わりにするか」

 

 ……親父?

 いや、まさか。

 まさか。

 

「親父にとって、一番大切な人は、おふくろだったのか」

 

「ああ」

 

「じゃあ、おふくろが死んじまった今」

 

「ああ」

 

 親父。……なんだよ、そりゃ。

 

「あいつに一途でいるために、随分多くを切り捨ててきた。……それも、終わりか」

 

 おふくろの生きる理由は、物作りをする親父で。

 親父の生きる理由は、名演を見せたおふくろで。

 二人は多分この地球上で、一番に互いを理解し、寄り添う関係だった。

 

「俺の道具、持っていっていいぞ。英二」

 

「えっ……蘭丸*2とか? これまで俺に触らせもしなかったのに」

 

「いいんだ」

 

 そう言って。

 

「……親父、何を」

 

 親父は、家を出ていった。

 最後の最後に、色んなことを片付けにいった。

 

 しばらくして、俺は届けられた親父の死体を、淡々と葬式に並べた。

 

 死因は聞いた。だがどうでもいい。

 死因すらどうでもいいことだった。

 事故死だろうと、飛び降りだろうと、溺死だろうと、焼死だろうと、変わらない。

 

 大切なことは、そこにはなかったから。親の死因すら、どうでもいいことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は成長した。

 親の死を糧に成長した。

 その成長自体は、きっと喜ばしいことだ。

 親が火事で目の前で焼け死んで、それから造型の才能が開花したっていう親父と俺はきっと同類なんだろうな。

 そこには血筋を感じて、少し嬉しく思わないでもない。

 

 自分すら騙して走り続けてきた。

 自分の全てに正直なまま、走り続けてきた。

 俺は俺の心のままに。やりたいことをやってきた。

 

 アラヤさんは、前に俺が臭うと言っていた。

 あの人曰く、自分に嘘をつく奴は臭わないと言っていた。

 自分の気持ちが分かるがゆえに他人の気持ちが分かる者は臭い、自分の気持ちに嘘をつくがゆえに他人の気持ちも分からない人間は臭わないと。

 俺は俺の心に正直であるはずだ。嘘はねえ。

 全て噛み締めて、抱きかかえて、ここまで来た。

 いつも俺は、俺の心をそのまま口にしてきた。

 

 好きだと。

 惚れ込んだと。

 俺がそうしたいからそうしてるんだと、言い続けてきた。

 

 自分の気持ちに嘘がつけねえから、湯島さんを応援している時も景さんに対して湧き上がる想いがあるから、俺は苦しい。分かってんだよ、そんなことは。

 だけど、俺の中にある沢山のこの気持ち全部が、俺なんだ。

 

 まだ進まなくちゃならねえ。ここで止まっていられるか。

 

 親父を超えよう。大丈夫だ、俺ならいつかきっと超えられる。

 

 俺は好きなものに対して正直だ。俺は必ず立ち上がる心を持った。忘れてねえ。大丈夫だ。

 

 親父とおふくろからもらったものは、まだ俺の胸の奥に息づいている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、俺が転んだせいで親父から全てを奪ってしまった話を。

 親父が"好きだから"で俺を命がけで助けてくれた話を。

 俺がそれを、親父の気の迷いだったかもって思ってる話や、おふくろの話も多少は混ぜて、湯島さんに聞いてもらった。

 

「要約しますね、湯島さん」

 

「う、うん」

 

「俺の中には、"好きだから"で死ねるかもしれない親父の血が混ざってるってことです」

 

「!?」

 

「正直に言うと、何もかも分かってないんです、俺。

 親父が本当に好きだからって理由だけで俺を助けたのかすら、疑ってて……

 だからこういう時だけ、"あの時の親父は本当にそうだったんだ"って思えるんです」

 

 俺が好きなものを好きだと思って、合理性とか能力の計測とか無視して、ただ友達を助けようとする時……俺は、あの時の親父の言葉を、信じられる。

 

―――それを抜きにしても、お前が好きだったのかもな

―――合理なんて、どこにもなかった。そういうもんだ

 

 アキラ君が俺と友達になろうとしてくれた時の気持ちにだって、合理はなかった。

 俺が冷たくしてもアキラ君が歩み寄ってくれたことに、合理はなかった。

 あれは、アキラ君がいいやつだった。それだけのことだった。

 才能が友情より重いだなんて、誰が決めたんだ?

 

「俺は、俺の心が好きだと思ったものに、正直でいたいんです」

 

 俺の言葉を信じてくれ、マイフレンド。

 

 大女優になれるとは言わねえ。

 だけど大女優になれないとも、絶対に言わねえ。

 なれるかもって、そう言い続けるから。

 いつかあんたが大女優になるか、あんたが辞めると決める日まで、俺をあんたの戦友でいさせてくれ。

 

「俺の心が、ああ、この人好きだな……ってそう思ったから。

 それが理由の全てだったんです。

 合理なんてありません。だから、本当に理由なんて説明できないんです。

 でも湯島さんには信じて欲しい。俺は女優としてのあなたが好きなんです」

 

 湯島さんのおかげで、過去の俺を見つめ直せた。

 俺の気持ちをまた一つ整理できた。

 俺が気付いてなかった気持ちにも気付けた気がする。

 新しく見つけた俺を、ずっと湯島さんの戦友として寄り添ってた俺を、そのままぶつける。

 

「嘘はつきません!

 俺がついつい凄い人とそうでない人に褒めの差をつけてしまうことはあります!

 でも!

 だからって、俺が湯島さんを好きだって言ってるこの言葉が、嘘になるわけがない!」

 

 湯島さんが怯んだ。

 今だ! ウルトラマンならトドメのスペシウム光線を撃ち込むチャンス、に等しい畳み掛けるチャンス! ここで決める!

 

「好きなんですよ! めっちゃ好きです! 好き好き好き!」

 

「だぁーっやめいっ!!」

 

「納得するまで何度でも言いますよ!」

 

「恥ずかしゅうて顔が発火するわ!」

 

「先に俺の言動をお世辞だなんだのと言ってきたのはそっちでしょう!」

 

「お世辞言われたら押せ押せで倍返しって何考えとるねん! アホか!」

 

 だからそんな、自分を嫌うなよ。

 自己嫌悪すんなよ。

 オーディションで失敗して周りに迷惑かけたって気にしてんのは分かってる。

 だけどな、俺、あんたのああいう優しいとこ好きだよ。

 

 誰の血も流させない、血が流れれば人が悲しむことを知ってる湯島さんが好きだ。

 

「あーもう」

 

 深く、深く、湯島さんが息を吐いた。

 

「俺、確信してるんです。

 湯島さんっていいお母さんになるって。

 女優やってもやってなくても素晴らしい人だと思うんです。

 だから気楽に考えつつ、けど真剣に自分の将来を模索してですね……」

 

「なんや、その評価」

 

「子供ができたら溺愛する、なんかいいお母さんになると思うんですよ」

 

 え、なんだその顔。

 待てなんだ。

 俺今の会話の流れで何か変なこと言ったか?

 

「はぁー……」

 

「なんでここで俺の頭を撫でるんですか?」

 

「んー、英ちゃん元気出るかなって思って」

 

 意味の分からん行動はやめろ。

 

「いいですか、俺は湯島さんを励ましにきたんです。

 湯島さんが俺を全力で励ましてどうするんですか。

 思いっきり落ち込んでも、俺に愚痴吐いても問題ないので、遠慮なく……」

 

「アホか! この流れでうちが落ち込めるわけないやろ! 常識で考えんか!」

 

 えー。

 

「……お互いに、難儀な人生送っとるなあ」

 

「でも俺、間違いなく幸せな人生ですよ。

 毎日楽しいですし、好きなことして生きていけてますし」

 

「好きなことして、か」

 

 湯島さん、落ち込んでるというか、引きずってたはずなんだが。

 彼女の心の中にあった淀みは、何も解決してないはずなんだが。

 なんか、笑ってるな。

 自然に笑ってる。

 

 よく分からんが、どっかで心の整理が付いたのか。

 トークで狙った通りに他人の心情を計画的誘導ができん俺は、いつも行き当たりばったりだ。

 反省しよう。

 

「私も好きなことして……女優として、芝居して生きていきたいなあ」

 

 何か、吹っ切れた顔をしてる。

 やぶれかぶれで女優を続けるとか、自暴自棄になって女優を辞めるとか、そういうのはもうなさそうな気がするな。

 多分だけどさ。

 

「……あ、そや」

 

 ん? 何?

 

「今話してて思ったんや。私達、フォレスト・ガンプ*3のあれを忘れちゃならんて」

 

「ああ、あれですね」

 

 良いこと言うな、湯島さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、俺がおふくろから一番大事なものを奪ってしまった顛末の話を。

 おふくろが最後に"天才に勝る不屈"を俺に命がけで教えてくれた話を。

 俺がそこに、途方もない感謝を覚えていることと、親父の話も多少は混ぜて、景さんに聞いてもらった。

 

「肝心なのは立ち上がることです。

 大失敗したと思っても立ち上がろうとしている景さんは、間違ってません。

 才能があって、辛くても立ち上がる心の足がある。

 女優に大切なものをあなたは既に持っています。

 反省して、投げ出さず逃げ出さず、変わろうとするその心が、きっと価値有るものなんです」

 

 ん? なんだその反応。

 

「否定はしたくない、したくないけど」

 

 景さんは難しい顔で、言いにくそうな言葉を、絞り出すように言っていた。

 

「そういうのを『いいお母さん』って言うのは……何か違うと思う」

 

「俺にとってはいいお母さんですよ。それでいいじゃないですか」

 

「よくない」

 

 良いんだよ。

 俺のおふくろも。

 アキラ君のお母さんも。

 景さんのお母さんも。

 全部違う、それぞれの母親だ。それだけでいいと、俺は思う。

 

「英二くんは、もっと運命とか、そういうのを呪ってもよかったはず」

 

「俺を聖人か何かと勘違いしてませんか?

 思ってることは色々ありますよ。

 抱えてることもたくさんあります。でも、どうでもいいんですよ、そんなこと」

 

「どうでも……?」

 

「うじうじしててもしょうがないですからね。

 俺は物を作るために生まれてきたんだと思います。

 だから一番多い機能は物作りで、うじうじする機能とか多分比較的少ないんですよ」

 

 だから平気なのさ。

 俺は無敵だから。

 何度負けても何度折れても、すぐ立ち上がれる。おふくろがくれた俺の強さだ。

 

「その言い分は、英二くんがちゃんと悲しみを隠せる人じゃないと、無理だと思う」

 

「……」

 

「英二くんは、役者になれそうにないわ」

 

「そうですね。その通りだと思います」

 

 駄目だなあ、俺は。

 すげえなあ、景さんは。

 こんなにも付き合いが短いってのにさ。

 

「よかったです、景さん」

 

「?」

 

「ほら、ちゃんと人の気持ち分かってるじゃないですか。景さんは優しい人ですよ」

 

「―――え」

 

「景さんは役者が向いてる人だと、俺は思ってます。前も、今も、きっとこの先も」

 

 俺より人でなしになる確率がずっと低そうで、本当によかった。

 その時景さんが震えた、ような気がした。

 

「英二くんが考えていることは、他人のことばっかりね」

 

「八割くらいは物作りのこと考えてますよ。相対的には、かなり人でなしです」

 

 くすっ、と笑う景さん。美人だなぁ。

 

「俺達は過去は変えられません。

 未来しか作れませんからね。

 でも、過去は変えられなくても、その意味は変えられると思います」

 

「意味?」

 

「俺も景さんも、過去の意味は変えられます。

 何か、酷い失敗をした過去も……

 俺達のこれからで意味は変わります。

 俺の母は死にました。

 俺が無価値に死ねば無駄死にです。

 でも、俺が大成すれば、母が間違ってなかったと俺が証明することができる」

 

 あ、嫌な顔した。

 そんなに気に入らんか俺の母親。

 愛はあったって言ってんだから分かれよなー。

 

「景さんの失敗も、まだ意味は変わるかもしれません。

 今のままでは、景さんは失敗としか思えないかもしれない。

 でももしかしたら、ここからの景さんの行動と選択次第で、笑い話になるかもしれません」

 

「なるかしら……」

 

「それは、景さん次第です」

 

「……うん、がんばる」

 

 あ。

 

「そういえば。

 芝居してない時の景さんの素の笑顔、少し俺の母に似てますね。

 ほんの少しだけ、ですけど。

 顔の作りはかなり違くて、俺の母は景さんほど美人ではなかったんですけど……」

 

「英二くん」

 

「なんでしょうか」

 

「重いわ」

 

「でしょうね!」

 

 しまった! 今のは言わなくてもいい、かなり余計なことだった!

 

「私、まだ役者を名乗れるかな」

 

「名乗ってください」

 

「え」

 

「もったいないですよ、景さん」

 

 いいんだぞ、誰だって役者名乗っても。

 

「なりたい自分になるのが俳優。

 それができないのが俺達。

 だから憧れるんです。違う自分になれるあなた達に」

 

「……」

 

「俺はどうやっても、俺以外になれない。

 過去から逃げることもできないんです。

 本質的には何も変わってないんですよ。

 ただ、俺の本質の上に積み上げたものをどう組んでるか、だけが違うだけで」

 

 違う自分になるっつー手法だけで別人になる景さんが、本当に羨ましい。

 まるで恋い焦がれる気持ちみてえだ。

 

 時々、ここまで熱中するのはどうかって思うこともある。

 それでも焦がれる。

 それでも心奪われる。

 頭で考えてたことを、見惚れた心が蹴っ飛ばす。

 恋に振り回されて自分を見失う恋愛映画の主人公の気持ちが、分かった気がした。

 

「俺はあなたが芝居を続ける限り、永遠にあなたの戦友です。

 呼ばれれば行きましょう。

 寝るなと言われれば不眠で従います。

 俺が作るものは俳優(あなた)を輝かせるためにあります。でも大切なのは、あなたの気持ちです」

 

 お姫様に忠誠を誓う騎士とかの気持ちが、分かった気がした。

 

「湯島さんも、景さんも。

 俳優を続けるかどうかは、二人の意志が決めること。

 舞台の上で浴びるスポットライトも称賛も、辛さも悲しみも、その人だけのものです。

 俺は、二人に続けてほしいと思いますが……やっぱり大切なのは、その人の気持ちなんです」

 

 だから。

 

「お芝居、好きですか?」

 

 誰もわざわざ確認していなかったそれを、彼女に聞いた。

 

 景さんは目を閉じ、自分の内に問いかけるような所作を見せ、目を開ける。

 

「……好き」

 

 それが彼女の答えなら。

 

「なら、大丈夫です。名乗りましょう、役者を」

 

 きっとこの先、何があっても大丈夫……じゃねえかもしれねえけど、周りが景さんを頑張って助けりゃ、きっとどうにかなる。

 俺、デスアイランド後は景さんを助けられなくなるかもしれねえけど。

 スターズから離れられなくなるかもしれねえけど。

 多分、助けになるようなこと、なんかするさ。

 

 アリサさんも裏切らねえで、景さんの助けになる何かをする。

 ひっでえこと考えてる自覚はあるが……それができるように、なんか頑張る。

 そのなんかの内容思いついてねえけど。今はそういうことにして、自分を納得させとこう。

 

「きっとあなたは、世界で一番に幸せな役者になれます」

 

 景さんが、いい笑顔を浮かべた。

 

「そうだったら、素敵ね」

 

 話すべきことは話せた。

 つっても、俺が景さんに自分のことを分かってもらえて、会話を通して景さんの中にあった何かが解きほぐされた実感があるだけだ。

 

 根本的な問題は何も解決してねえ。

 景さんの技能はそのまんま。

 三人と景さんの間の微妙な空気もそのまんま。

 湯島さんと景さんの間のトゲトゲしい嫌な空気もそのまんま。

 オーディション結果なんてほぼ落ち確定、って四人には認識されてる。

 

 だが俺は、ここから好転しないとは思ってねえ。

 

 俺と湯島さんも。

 俺と景さんも。

 話している内に、今までにない繋がりが出来るのを感じていた。

 そして、それが力になった。

 "俺達はまだこっからやるべきことがあるはずだ"と、俺達は立ち上がった。

 "前を向かないでいるのはここまでにしよう"と、無言で通じ合った。

 "こいつに情けない姿は見せられない"と、少しばかり気合いが入った。

 俺はそうだったから、二人もそうだったと信じてえ。

 

「俺はこれから仕事があります。申し訳ありませんが、送っていけません」

 

「そこまで世話になれないわ。ちゃんと一人で帰って……頑張ることにする」

 

 景さんがスカートのシワを伸ばして、パンパンと叩いてホコリを落とす。

 

「あ、そうだ」

 

 その最中に、景さんは何かに気付いたみたいで、俺が前に贈った指輪を取り出した。

 なんかすっかりお守りみたいになってんなそれ。

 

「英二くんのこの指輪、ただの綺麗な指輪だと思ってたけど……もしかして、色違う?」

 

「―――」

 

 心臓が、止まるかと思った。

 

「……なんで、そう思ったんですか?」

 

「この指輪、英二くんなら白く作るかなって、ふと思ったの」

 

 バカじゃねえのか。

 お前。

 なんで予備知識もねえのに、感覚だけで分かるんだ。

 ……痺れるな。

 感覚論だけで、"色合いだけが変"って気付いたのか。

 パズルでピースが一個だけ変なところを見つけるみたいに。

 

「その花は、月見草です。

 小説家太宰治の短編小説・富嶽百景にはこうあります。

 『ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた』。

 月見草は白い花です。

 黄金色なわけがありません。

 なのでこれは待宵草である、と専門家は研究しています。

 景さんのその指輪の裏モチーフは、その月見草です。現実に存在しない、幻想の花」

 

「小説にだけ出て来る、現実に存在しない花ってこと?」

 

「そうです。現実に存在しない黄金色の月見草。

 夜にのみ咲く、夜を映えさせ、夜に映える花です」

 

「私、覚えてるわ。

 『現実には存在しない美しい花を作るのが、俺の仕事です』。そう言ってたから」

 

「はい」

 

 月見草。

 夕方に咲き始め、夜に咲き誇り、朝が来るとしぼむ花。

 朝の到来によって色を変えるが、その鮮やかな白はとても印象的だ。

 

 あー、なんだ、この感じ。

 嬉しい。

 ちょっとした仕込みを感覚的に完全に理解されると、なんかめっちゃ嬉しい。

 理解されてるってことが、嬉しい。

 親父。

 あんた、これでおふくろにやられたのか?

 

―――分かってもらえなかったが分かってもらえた、になる瞬間は劇薬だ。

―――そいつは俺達みたいな人間を劇的に進化させ、同時に死に近づける。

―――共感者には気を付けろ。正解はない。

―――古今東西……芸術家は自分の理解者の影響で、人生の多くを決めてきた

 

 あんたの気持ちが分かっちまうのが悔しいわ。

 

「月見草の花言葉は、

 『無言の愛情』『ほのかな恋』『自由な心』『移り気』

 ですね。なんとなく猫っぽい自由な景さんには合ってるかもですよ」

 

「え……私、猫っぽい?」

 

「シチューCMの時に黒さんに抱き上げられていた時とか特にそんな感じでした」

 

「あ……あれは、黒山さんのせいだから!」

 

 俺が笑って、景さんがあわあわとしてる。

 なんだろうな。

 なんか、普通の友達の距離感になってきた気がするわ、俺達。

 景さんも同じことを考えてくれていたらしい。

 

「今日また少し、英二くんとちゃんとしたお友達になれた気がするわ」

 

「ですね」

 

 悪くない気分だよな。つか、ぶっちゃけ嬉しい。

 

「ほら、カサブランカ*4のあれ」

 

「ああ……ロマンチストですね、景さん」

 

「すぐ"それ"だって分かる英二くんも、人のことは言えないと思う」

 

 ごもっとも。

 

「あのシーンで、二人は本当の友情が始まる瞬間に、こう言うのよ」

 

 ああ、そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 湯島さんが言う。

 景さんが言う。

 俺の目の前でその人が言う台詞が分かっていたから、俺はその人の台詞に被せた。

 

「「 人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない 」」

 

 それは、湯島さんが好きな映画『フォレスト・ガンプ』を象徴する台詞。

 

「「 これが、私達の美しい本当の友情の始まりだ 」」

 

 それは、景さんが好きな映画『カサブランカ』の最後を締める台詞。

 

「どうなるか分からんのが人生、精一杯頑張る以外にないんや」

 

「ですね」

 

「今後もよろしく、英ちゃん」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 湯島さんが笑顔になる。

 

「私達の友情はここからよ! ……打ち切り漫画?」

 

「何故自分で言って自分で突っ込みを……」

 

「よろしく。物作りが得意な、私のお友達」

 

「よろしくです、役作りを始めたばっかの、俺のお友達」

 

 映画好きってのはいい。好きな映画で語り合える。

 

 映画を撮る側の人間同士なら、なおさらに、だ。

 

「英ちゃんは、一生懸命なだけや。手先が器用なだけで、器用に生きられないだけや」

 

「英二くんは物作りでしか生きられない人だと思うから。

 役者としてしか生きられない私は、きっと英二くんを尊敬してるの」

 

「この私には紅茶奢っておけばいいみたいな飲み物チョイスからもそれは窺えるんや」

 

「このとりあえず私にはお茶なら無難かなって感じのチョイスからもちょっと分かるもの」

 

 そんなこと言われて。

 

 そっかなー、そうかもしれん、と思いつつ。

 

 クソぅ無難チョイスから俺の性格読まれてんのなんかやだな、と思いつつ。

 

 俺はその人から離れて、行くべき道へと歩き出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。

 手塚監督が直々に、電話で合格者のことを俺に教えてくれた。

 

「あの四人が全員合格、ですか」

 

『おや、驚いてないね』

 

「ここ数日はずっとデスアイランドの準備してますので。

 手塚監督の思考をずっとトレースしていたので、なんとなくそうなるかなと」

 

『怖いこと言ってない?』

 

「でも、美術に監督が指示出さなくていいのは楽じゃないですか?」

 

『そりゃそうなんだけどさ』

 

 手塚監督が準備段階で動かしてるもので、一番大きいのは人事。

 クソ忙しいスターズ12人のスケジュール調整、各分野の人間を集めつつ振り分け、人手が足りてるか多すぎないかのチェックなど。

 まあ要するに、撮影開始前の"人と物を集めて整理する"段階なわけだ。

 が。

 ここでさっさと動かさねえといけねえもんがある。

 照明とか、カメラマンとか、音響とかの『撮影開始と同時に動く人達』だ。

 極論言っちまえば、編集班とかは多少人が足りてなくても撮影途中で足せばいいしな。

 

 んで、その辺でやべーのが俺達美術。

 何せデスアイランドは原作に準じた舞台セットと、原作に準じた学生服を全部美術が作らなきゃならねえからな。

 仕事の始動ははえーし、撮影開始前もクソ忙しい。

 こういうところに監督の意を把握してる助監督一人付けると仕事が捗るんだが、俺は美術監督兼助監督みたいなもんだ。

 俺が手塚監督の意を汲んで勝手にやって、適宜報告を手塚監督に上げた方が速え。

 

 手塚監督に文句を言われる筋合いはないはずなんだが。

 

「それにしても、良いんですか。あの四人は特大のトラブルだったでしょうに」

 

『いいんだよ。

 夜凪景は面白い。

 烏山武光は勇ましいが、思い切りに思慮が伴ってる。

 源真咲は周りがよく見えていて、原作らしさが出せてる。

 それに、湯島茜はホラ、最後のアレがよかった。心に響く怒声だったね』

 

「え、アレが合格理由ですか?」

 

『あれはいいね。

 演技だとしても言われた方が動揺するレベルだ。

 ちょうどさ、千世子ちゃんがやる主役を責めるキャラいたじゃない?

 あそこにキャスティングして、千世子ちゃんといい演技見せてほしいなって』

 

 驚いた。

 景さんの暴走が湯島さんの暴走を引き出して、景さんを押し倒して怒声を叩きつけた湯島さんの演技が、"原作のあのキャラにぴったり"って判断を後々されるとは。

 いや、なんつーか……人生万事塞翁が馬だな。

 

 手塚監督、オーディション時点だと原作読んでなかったからな。

 湯島さんの怒声聞いて何か使えないかと思って原作読んだか、脚本かプロデューサーあたりがぴったりだって言って、それで原作読んだかのどっちかか。

 何にせよ、景さんが引き出した一面が合格に引っかかるフックになったってわけだ。

 ありがたやありがたや。

 

「ありがとうございます、手塚監督」

 

『お礼言うのは何か違うんじゃないかな。

 僕は俳優を自己判断で選んだだけで、君に何かしてあげたわけじゃない』

 

「それは、確かに。ええと、それじゃあ……いい目してますね監督」

 

 電話の向こうで、笑い声が聞こえた。

 なんだよ。

 今の返答の何が面白かったんだオラ。

 

『面白いよね、夜凪景。

 あの子は周りの俳優のポテンシャルを引き出してた。

 それでいて、全てを壊していった。

 彼女がいなかったら、他の三人の良さは出てなかっただろう。

 彼女がいたからこそ、彼女らの芝居の全ては壊れた。

 素直な意見を言うと……夜凪景がいなければ、僕は彼らを採用しなかっただろうと思う』

 

「かもですね」

 

 そうだ。

 景さんの大暴走のせいで全員脱落の危機、という風にも見えたが。

 あのオーディションは実質、景さんが芝居に付加した説得力だけで保っていたもんだ。

 そもそも景さんがいなけりゃ、あのメンツは一分脱落組に入ってた可能性が高え。

 500人全員見たわけじゃねえが、それでも分かる。

 湯島さん達、普通に演技する分には、あの500人の中じゃ目立たねえよ。

 

 景さんはただそこにいるだけで、周囲に劇的に影響を与え続ける。

 

『つまんない俳優だと思ってたんだ、三人共。

 でも途中から、夜凪景の……

 引きずり込むような演技力に、様々な才能や能力を引きずり出されていた』

 

「普段表出するようなもんじゃないと思います、あれは」

 

『メソッド演技は色んな意味で舞台を荒らすからね。あれは、そういうものなんだろう』

 

 む。メソッド演技だと既に分かってるか。

 それでも採用するとか、手塚監督の普段のやり方を考えると随分珍しいな。

 

『注意してね』

 

「大丈夫です。

 景さんのセット破壊は既に計算に入れています。

 撮影にも予算にも影響なく、景さんの破壊を撮影の流れに組み込めますよ」

 

『いやそういうことじゃないんだけど……まあいっか。よろしく頼むよ』

 

 なんやねん。

 

 それから数日後。

 正式に通知が回り、各事務所に俳優合格の報せが届いた。

 

 スタジオ大黒天から柊さんのよかったよかった連絡が来て、オフィス華野から感謝のメールが……いや待て、こっちは本気で何か分からんぞ。

 源さんと湯島さん何か吹き込みやがったか……? 俺何もしてねえぞ。

 とりあえず特に何かしたわけじゃないですよと返信。

 色々作業してたら、湯島さんからウキウキのLINEが来た。

 分かりやすいやつだな。

 嬉しさが伝わってくるぞ。

 俺も嬉しいけど。

 

『お祝いに茜って呼んでくれてもええんやで?』

 

 ……。LINEでこういうこと言うのか……湯島。

 

 面と向かって言えないシャイな一面が伝わってくる。

 かわいいなお前。

 文章なら比較的楽に言えると思ったか。

 まあいいけどさ。

 

『茜ちゃんでいいですか?』

 

 送信。

 ……返信こねえな。

 即返信したから見てねってことはねえと思うんだが。

 そうして、20分後。

 

『ええけど』

 

 4文字!

 1文字5分!

 なんだお前。

 

『冗談です。では、茜さんで』

 

 送信。

 あ、今度は5秒で返って来た。

 

『くたばりや』

 

 5文字!

 1文字1秒!

 なんか楽しくなってきたな。

 茜さんはもう源さんに謝ってて、烏山さんにも謝る予定らしい。

 景さんの名前入ってないのが暗雲漂ってるが、まあどうにかなるだろ。

 

『十年くらいずっと言えへんかったこと、ようやく言えたわ』

 

 ちょっと懐で温め過ぎじゃねえかな?

 

 ふっと笑って、俺はスマホをソファーに投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が親父を殺した。

 間接的にはおふくろも。

 当時の俺は、現実から逃げるように物作りに没頭した。

 

 とはいっても、俺は景さんみたいに異能を発現させたりはしなかった。

 現実逃避が力になるってこともなかった。

 ただ、物作りをする時間の長さと密度が上がっただけ。

 寝ても覚めても物作りな俺基準でそうなるってことは、睡眠時間とか食事時間とか休憩時間が削られるってことを意味する。

 

 作った。作った。作った。

 家に来る人も結構いた。

 今、業界ではあることないこと噂が広がってるらしい。

 有能だった親父が、よく分からん事故とよく分からん死を迎えた。

 昔知る人ぞ知る名優だったおふくろが、よく分からん死を迎えた。

 そういうことで、気にしてる人が増えてるらしい。

 業界内に情報が行き渡らず、どっかで誰かが情報を止めてるらしいって話だった。

 知ったこっちゃなかった。

 作った。作った。作った。

 

 作っては積み上げ、作っては積み上げ。

 積み上げた造作物の中で一息吐いた俺の目の前に。

 その爺さんは現れた。

 

「こういうのを、昔の演劇の舞台じゃ冥府魔道に堕ちたと言うんだがな」

 

 巌裕次郎。

 

 あの人が、どこまで知ってあの時俺の家に来たのかは知らねえ。

 いや、今でもあの人がどこまで知ってるのかはさっぱり分からん。

 分からんが、何故かあの人は何かを嗅ぎつけて俺の家に来た。

 顔を上げる俺の前で、巌爺ちゃんは問いかける。

 

「プロとして見られたいか、子供として見られたいか、お前が選べ」

 

 この時、「プロとして見られたい」と俺は言った。

 

 巌爺ちゃんは俺が積み上げた物を一つ一つ見ていって、片っ端から落第点を押していった。

 

「これも出来損ない、これも出来損ない、これも出来損ないだ」

 

 親の死から逃げるようにして作ったものは、一つ残らず巌爺ちゃんの御眼鏡に適わないような出来損ないばかりだった。

 

「親父の猿真似してんじゃねえ。

 お前が親父の物真似しても、親父の記憶を思い出すだけだ。

 死んだ親の思い出を思い返すためだけの作品に何の価値がある?」

 

「―――」

 

 その言葉は正しくて。

 俺はただ、自分の情けなさを恥じるばかり。

 だけど。

 

「かろうじてこいつだけが及第点だ」

 

 一つだけ、認められた作品があった。

 無数に作った作品の中に一つだけ、合格点を貰えるだけのものがあった。

 それは天使の絵。

 心の中が感情でいっぱいいっぱいになって、何も考えられなくなった時、自然と走った筆が描き上げたもの。

 

「……え……」

 

 俺の仕事が認められた。

 その嬉しさが、俺の心ににじみ出る。

 今思えばそれは、"人のために物を作り、他者に認められる"っていう造型屋の本能がようやく目覚めた感覚だったのかもしれねえ。

 現実逃避のような作品作りが、その時、確かに終わりを告げていた。

 

 初めてだった。

 巌爺ちゃんに仕事を認められたのは、これが初めてだった。

 だけどラッキーパンチみてえに出来の良い一品が認められた運頼りの一発もんだったんだ、なっさけねえ。

 ふん、と鼻を鳴らして、巌爺ちゃんはこう言った。

 

「死んだ親父を超えろ。できるな?」

 

 できる、と俺は言った。

 

 今になっても、俺はずっとそう在る。

 "できるかどうか分かりませんがやってみます"とか、"やれるだけやってみます"とかはできるだけ言わないようにして、"できます"と言っている。

 まあ絶対にできないことは流石に「できない」と言ってるがな。

 できるかと言われたら、できますと努めて答えるようにしている。

 あの日、俺に期待してくれた、俺の未来の可能性を信じてくれた、あの人にそう答えたように。

 

 巌爺ちゃんの台詞から、「親の死を完全に乗り越えろ」って意図を汲めないほど、俺はだらしない無能じゃなかった。

 

 

 

 

 

 その絵は事務所の倉庫に入れている。

 今の俺の力量からすりゃ大したもんじゃねえが、親父の作った未発表品と一緒にしまってある。

 いつだったっけかな。

 その絵を、百城さんが見てた時があったっけか。

 

 俺はその時、手入れ中の俺の天使の絵と、手入れ中の親父の天使の絵を並べていた。

 同じ技術体系の俺と親父の絵に、基本的に白が基調になる天使の絵とくりゃ、使われる顔料も同じになる。

 手入れは一緒にする方が楽だった。

 百城さんは二枚の天使の絵の前でじっとしていて、その目でじっと絵を見ていた。

 

「上手い方が俺の父の絵です。良い出来でしょう?」

 

「いいよこんなの」

 

「え?」

 

 あの時の俺は。

 

「こんなのより、私は君の作品が好きだから」

 

「……て、照れますね」

 

 驚きと嬉しさで、どもっちまった覚えがある。

 

 親父の絵より、俺の絵の方が好きだと言ってくれた。

 親父の絵より俺の絵の方が上手い、とは言ってくれなかったが。

 だからこそ、あの時の百城さんの言葉が正直な本音だったって、信じられる。

 

―――どうせ"美しいもの"には好き嫌いがある。

 

―――いい仕事をしたいなら、信頼できるキチガイを探せ

 

 なんでか、親父の言っていたことを思い出して。

 

「……ははっ」

 

 好きだと言われたことが、嬉しくて。

 

 俺が自分が作った天使なんかじゃ、この天使の美しさには敵わないと、そう思った。

 

 だって物には、心の美しさが無いからな。そりゃ、当然だろ?

 

 

 

*12018年現在44歳の芸術家。4歳の時に夢遊病を発症し、寝ている間に絵を描くようになった異端の芸術家。起きている間は絵も描けず絵に興味もなく、けれど寝ている時に半自動で描いた絵は非常に高い評価を受けている。絵一枚が一千万を超えることもあるとか。医者は幼少期の酷い人生経験が彼の精神に大きな障害を残したからでは、と分析している。

*2造作専用の大工道具シリーズ。彫刻や家具作りに使える。ワンセットで11万円ほど。

*31994年アメリカ映画。頑張る男の子の、前に進み続ける物語。主人公は知恵遅れや身体障害を持ち、いじめ、戦争、家族の死、旧友との軋轢など多くの困難を乗り越え、成功していく。最後には成功者となった主人公と、落ちぶれた子供時代からのヒロインが、ヒロインの劣等感ゆえに一度別れるものの、主人公の不屈の愛で二人は結ばれる。

*41942年アメリカ映画。ハードボイルドの体現者ハンブリー・ボガート主演。今では誰もが知る「君の瞳に乾杯」などはこの作品が元ネタ。報われなくてもいいと自分に言い聞かせ、惚れた女のために銃を握った男の物語。




 母親は胸があまり無い人でした。

 英二君がここまでの本編内で「足元に気を付けろ」「転ばないように気を付けろ」って衝動的に言っちゃってた回数は何回だったでしょうか?
 転ぶかもしれない人を見た時、英二君は何を思ったでしょうか。
 特に子供が転ぶ可能性を見た時、英二君のメンタルはクラっと来てると思います。


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