ノット・アクターズ   作:ルシエド

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また文字数が微妙に膨らんでしまった


夜凪「"天使"の顔が、一瞬視えた。とても怒っている」

 うちの事務所の茜さんはちょっと面倒臭い人だ。

 他の人と比べて相対的に面倒臭い人、とかではなく。

 普段竹を割ったようなさっぱりした性格してる分、時々ちょっと面倒臭くなると倍面倒臭い女に見える人だ。

 人生損してる人だとも言う。

 

「真咲ちゃん、どこ見とるんや」

 

「空ですよ。ちょっと空気が湿気ってたので雨降るかなと思ったんですが、大丈夫みたいです」

 

「ふーん」

 

 茜さん、機嫌悪いな。

 受かった時は嬉しがってたが、今になって"なんで受かったか分からない"って疑問が湧いて来たんだろうな。

 そのせいで不安が出て来たんだな。

 分かるよ。自分の実力で受かったって確信がないと、上手くできるか不安になるし、受かった理由が分からないと自分も騙せない。

 

 俺も自分が受かった理由がよく分からない。

 何か良い演技見せられたとは思わないんだが、どこが引っかかったのかよく分からない。

 夜凪は……万歩譲ればまあ分かる。

 あんな演技してる奴は他には見たことがない。

 武光も分かる。

 後から振り返ってみると、あいつだけは最後まで"ここからどう殺し合いに持っていくか"の具体案を練ってた気がする。

 

 オーディション前にあいつと俺で言い争いになったことを思い出す。

 俺は原作を読み込んでオーディションに臨むタイプで、あいつは全く読まず臨むタイプだった。

 

―――あくまで俺達は演技力と人柄で勝負すべきだ! 作品に媚びても仕方ない!

 

―――役への順応性や努力を「媚びる」って表現してんじゃねえ

―――あんたガチのバカだったのかよ。手前(てめえ)の不器用さ正当化してるだけじゃねーか

 

―――君はオーディションで「昔から原作と監督の大ファンです」とか

―――聞いてもないこと語り始めるタイプだろ! 実力で勝負しろ!

 

―――実力で勝負してるわ!

―――ガチでファンになってからオーディションに挑んでるだけだ!

―――それも役作りの一つだろうが!

 

 ……有言実行されると腹立つな!

 オーディション終わった後は、『原作を読み込むのも君の実力の内かもしれんな』とか俺に言ってきたのも腹立つ。

 最終的にはお前の方が正しかったのかもとか一瞬でも思った俺がバカみたいじゃねえか。

 

 やっぱオーディションは事前に原作読み込んでファンになってから行くのが正しいと思う。

 ……思う、が。

 それが理由で受かったんだと浮かれてねえあたり、俺も納得はしてないんだろうな。

 

 スターズ事務所に歩いて向かう途中で、茜さんの視線が少し横に逸れた。

 その視線を追ってみると、そこには『朝風総合美術』の六文字。

 ははーん。

 あんたうちの事務所より高そうな土地に事務所構えてんだな、英二さん。

 つかスターズ事務所近いな英二さんの事務所。

 

 英二さんはイマイチよく分からん人だが、あそこで茜さんを追ってくれたのはブラボーだと言いたい。

 受かった理由が分からない……って言ってる茜さんだが。

 俺は英二さんのコネゴリ押し説をちょっと推してる。

 

 『朝風英二』の名前でググるとインタビュー記事も顔写真も出てこないが、美術とか造型で参加した作品のWikipediaページがズラっと出て来た。

 ……俺より関わってる作品多い人じゃねえかこれ。

 あの歳でこれか。

 こんだけ露出少ないと、取材とか断って、その分の時間を全部技術習得と仕事に費やしてるとかありそうな気もする。

 いやどうなんだろう。そもそも取材とか来てないのか?

 俺、造型屋のその辺の慣習しらねえからなあ。

 

 造形屋の中には出世して結構テレビ局とかに影響力持ってる人もいるとか聞いた。

 うちの社長が言ってた。

 じゃあ英二さんがコネで通した可能性ワンチャンあるんじゃね、とも思う。

 

 俺は受かったんだからラッキー、くらいに割り切れるが、茜さんならどうなんだろうか。

 理由が分かって吹っ切れるのか。

 友人の贔屓になんか落ち込むのか。

 分かんねえな。

 分かんないなら触らぬ神に祟りなし。

 分かんないなりに距離取って気遣うしかない。

 茜さんがこんな不機嫌なまま現地入りしたら、流石に監督の心象悪すぎる。

 

 英二さんの事務所の脇通って、スターズ事務所に裏口から入っていく。

 スターズ事務所に入っても、茜さんは一言も喋らないままだった。

 

「顔合わせか……やっぱ星アキラも来るんスかね」

 

 無視。

 茜さんの返答なし。

 うっ、心が痛い。

 あーもーめんどくせー。

 

「俺アイツの芝居好きじゃないんスよね。ね、茜さん」

 

 無視。

 

「茜さん?」

 

 無視。

 いじけんなよなー、もう。

 かといってほっとけねえ。

 これほっといたら今後の茜さんの仕事に響く失態しそうだ。

 

「茜さんちょっと、いつまでいじけてんスか」

 

「だって私なんで受かったんか分からんやんか、釈然とせんわ」

 

 茜さんが足を止め、振り向く。

 イライラ……というか、不安そうに見えるな。

 この業界長いと、ただの善意と好意で選ばれたとは思えないもんな。

 じゃあ裏があるんじゃないかって思えて、裏が見えないことが怖くなって……その気持ちは分かるんだが勘弁してくれ。

 "あの事務所の俳優はちょっと"みたいな印象付いたら誰も幸せになれないんだからさ。

 

「やっぱ辞退すべきやったやろか」

 

「何言ってんだよオーディションなんてそんなもんでしょ、勘弁しろよ」

 

 マジ勘弁。

 どうすっかな。

 仮に俺の推理通り英二さんのコネゴリ押しとかだったらどうしよう。

 英二さんがそう言ってないってことは、恩を売りたいわけじゃないんだよな?

 あの人生き方不器用そうだし。

 じゃあ茜さんにそういうの察されたら困るよな……"オーディションなんてそんなもの"みたいに納得してもらって……疑問持ってもらわないのが一番だよな。

 

 ギスギスはマジでやめてくれ。

 こっから顔合わせってことは、24人で仲良くしてくださいみたいなこと言われるんだぞ。

 茜さんを悪目立ちさせないためには……えーっとどうすりゃいいんだ。

 

「そうだぞ湯島!」

 

 うおっ!?

 

「役者なら常に胸を張れ! 自信を持て! 俺達は選ばれたんだ!」

 

 武光っ! 声でけーんだよ! ここどこか分かってんのか! スターズ事務所だぞ!

 

「うるせーよ、声でけぇよ。あんたも受かってたのかよ」

 

「ああ! 君が受かって俺が落ちることはないだろ!」

 

「ああ!?」

 

 この野郎!

 

 受かったならそれでいいと全力で喜んでる武光。

 なんで受かったのか分からなくて腐ってる茜さん。

 そもそもプラスにもマイナスにも、そこまで大きな感情持ててない俺。

 

 そして。

 

「……てことは、もしかして」

 

 来たよ。

 そもそも受かる気があったのかすら怪しい、夜凪。

 

「あ」

 

 夜凪景は、いつの間にかそこにいた。

 セーラー服着てんな。学校の制服か?

 服装の感覚がまだ業界の基準に慣れてないのか。

 

 いやそもそも、俺達の年齢層は高校行ってるのが普通だが、俺達の年齢層で高校行きながら役者やってる人間ってなると、ぐっと少なくなる。

 多くの仕事と学生生活を両立できるやつ、っていうのがもう天才の領域だしな。

 だから大抵のやつは、高校行く時間があったら生活費稼ぐバイトか、レッスンで技能向上にあてたりする。

 

 逆方向のやつもいるけどな。

 有名高校や有名大学に進学して、理知的なイメージ付けて、そういうのが好きなファンを固定層として獲得するってやつ*1

 ただ、夜凪はあんま頭良いように見えない。

 どちらかというとバカに見える。

 制服も有名な高校のじゃない……と、思う。

 何かのアピールっぽくは見えないな。

 

 そういう視点で見ると、こいつにそういう小細工は無い気がする。

 やっぱ業界に入って間もないやつって見るのが妥当か。

 オーディションの時はかなり迫真の演技だった気がするが、こいつどういう経歴なんだ?

 

「夜凪! やっぱり俺達皆受かってたんだな!」

 

「だから声デケーよ!」

 

 うるせーな!

 

「……」

 

 ん? 夜凪どうした茜さん見て……あっ。

 

「あ」

 

 やーべ。

 武光はなんか元気だが、夜凪と茜さんの間の空気が氷点下だ。

 茜さんの目が冷たい。

 夜凪のキョドった感じがちょっと小動物みたいだ。

 

「茜ちゃんこの前はごめんなさい……私……」

 

 無視。

 茜さんは夜凪に背を向け、夜凪の謝罪も弁解も聞かず、すたすたと立ち去っていった。

 あーもう、身内以外にそういうのはやめろって! 心痛むから無視は!

 

 反省して謝ってんなら許してやろうぜ茜さん。

 無理か。

 無理だな。

 倫理めっちゃしっかりしてる茜さんは、あの時の夜凪に悪気があったのかなかったのかも分からなくて、何もかもよく分かってない夜凪が許せない。

 当事者の俺でも、夜凪がどういうやつなのかはいまいちよく分かってないから、茜さんもきっとよく分かってないんだ。

 

 分からないでもないけどな。

 怪我人が出てたかも、って思うと。

 

「ちょ、茜さん」

 

 呼び止めても止まらない。

 あ、俺への無視も再開された。

 ちくしょう、夜凪見てあの時の感情が蘇って、夜凪も受かってると知って"合格基準が分からない"って疑問と不安がぶり返したのか?

 あーもう、話してもらわなくちゃ茜さんの内心なんて全く分かんねえっての。

 

「悪い夜凪! あとでな!」

 

「……うん」

 

 茜さんに無視されてしょぼんとしてる夜凪を置いて、茜さんの後を追う。

 後ろ髪引かれる思いだ。

 演技の場じゃなくて、こうして普通に話してると、自分が過去にしたことをちゃんと反省してる女の子にしか見えない。

 

 なんか思い出しそうだ。

 なんだっけ。

 この状況に何か……あ。

 これ、あの時の英二さんの行動と同じだ。

 夜凪に後ろ髪引かれるような感じで、でも茜さんの方を追うんだ。

 

 あー、あん時は英二さんに偉そうに言っちゃって悪かったな。

 英二さんは気にしてない風だったけど。

 機を見て謝っておこう。

 

「私がんばる。今度は皆でお芝居できるように」

 

 茜さんと俺の背にかけられた夜凪の言葉が、夜凪の反省の意を示していた。

 

 まあ、いいんじゃねえの。

 反省してるなら、同じことは二度ないって信じてやるよ。

 とりあえず、だけどな。

 

 お互い頑張ろうぜ。

 

 

 

 

 

 一人で先に進んでいく茜さんを呼び止める。

 

「茜さん! 謝罪くらいは聞いてやってもよかったんじゃないんスか」

 

 立ち止まり、振り向いた茜さんの表情は、何とも言えない感じが漂っていた。

 多分、茜さんは良い人だから、全部夜凪のせいにして嫌ってるとかじゃない。

 ただ……あいつがよく分からない内は、どうしようもないんだろう。

 

「私、夜凪ちゃんが分からんねん。どうしたらええんやろ」

 

 ほらな。

 

「どうしたらって、そりゃ……」

 

 どうすりゃいいんだ。

 

「……英二さんに洗脳装置でも作ってもらうとか」

 

「英ちゃんにも不可能ってあると思うんやけど」

 

「ですよね」

 

 一瞬"できるかも"って思っちまったせいで、なんか変なこと言っちまった。

 

「英ちゃんが気に入る人間の基準、私には分からへん。

 ただ英ちゃんが気に入った人間が無価値ってことはないはずなんや」

 

「でもその価値が分からないので混乱すると」

 

「ただ性格悪いクソな人なら分かるんやけど……

 謝りに来たあたり単純にそうでもなさそうやし……英ちゃん何が気に入ったんや……」

 

 夜凪ダメージは深刻だな。

 

「英二さんも男ですし、単純に夜凪の外見を他の誰よりも気に入ったとかじゃないんスかね」

 

 ちょっとからかうつもりで俺が言った台詞を、茜さんはすぱっと切り捨てた。

 

「英ちゃんがそんなキチガイ味の無い気に入り方するもんやろか……?」

 

「キチガイ味」

 

「英ちゃんちょっと、無整形美人より整形美人を気に入る時あるからなあ。

 『なんて高い整形技術なんだ……素晴らしい作り物の顔!』みたいな感じで」

 

「それ本当に美人を気に入ってるんですかね」

 

「気にいるとしたら、こう……

 いい表情を"作る"俳優さんやと思うんやけど、夜凪ちゃんそういうタイプやったやろか」

 

「さあ。俺達暴走してるところしか見てないっすよ」

 

 まあ俺達は皆受かったんだ。

 500人で奪い合った12個しかない枠を、4人揃って手に入れたんだ。

 そいつは凄えことなんじゃないか? ってちょっと思ったりもする。

 俺達がお互いのこと知らなくても、撮影中に嫌でも知ってくんじゃねえかな。

 

「追いついたぞ二人とも!」

 

「だから声でけえよ!」

 

「真咲ちゃん、あんたもデカい」

 

 しまった。

 演劇畑の野郎の一部は、遠い客席まで声を届かせるために、デカい声がデフォのやつもいるとか聞いてたが……俺までつられて同類に……!

 しかしついてくんなよお前。

 

「朝風先生から預かり物があってな。これを」

 

 飴? っていうか。

 

「なんだ朝風先生って。朝風英二さんだよな?」

 

「ああ。あの人は舞台演劇に時々来る人でな。

 本当にたまにだが仕事をしていく人なんだ。

 最近だと『表情が変わる青空』……

 それと、『茜色の空の幻想風景』がとても良かった。

 大御所の巌裕次郎が使ってるんだ、半端な質じゃない。

 それと新人が高い舞台道具を壊した時、こっそり直してくれることで密かに有名なんだ」

 

 英二さんはのび太くんに泣きつかれるドラえもんか何かか。

 

「茜色の空なぁ」

 

「どうしました茜さん?」

 

「どうなんやろなーって思てな」

 

 あんたがどうなんやろなだよ。言いたいことが伝わらないぞ。

 

「昨日はなんと、彼の仕事の甲冑を俺が着る機会があってな!

 着心地も良く、注意書きと付属された制汗剤と消炎鎮痛剤が実に助かった!

 甲冑を着込んでも涼しく、制汗剤と消炎鎮痛剤のおかげで更に涼しい!

 しかも俺がたくさん汗をかいてしまっても、外に出る汗の臭いが消臭されていてな!」

 

「うるせぇ声量抑えろ!」

 

「それで今日見かけたので、挨拶に行ったんだ。

 そうしたら逆に撮影に向けての激励と、この飴を貰ってしまった」

 

 なるほど、それで飴か。

 

「朝風先生曰く、精神安定効果と喉に良い効果があるはちみつののど飴らしい」

 

「マメな人だな、あの人も」

 

「夜凪にはもう渡した。後はお前達二人の分だ」

 

 それなら、ありがたくいただいておくか。

 あ、甘い。

 結構好きな味かもしれないぞこれ。

 

「英ちゃんらしい感じやわ」

 

 茜さん、それ絵の感想なのか飴の感想なのかよく分かんねっす。

 

「朝風先生はスターズで来れそうな人間を迎えに行ったそうだ。

 この撮影でも美術監督を務めると聞いたぞ。後で四人で挨拶でもしに行くか?」

 

「お前声は野獣そのものなのに意外と礼儀正しいやつだな……」

 

「英ちゃんおらんのかー」

 

 お、茜さんの精神がそこそこフラットに戻ってる。

 サンキュー英二さん。

 あとは……そうだな。

 席順が自由だったら、さり気なく茜さんと夜凪の間に座っとくか。

 それで今日一回くらいはなんとかなるだろ。

 おそらく。

 

 そうだ、困った時は英二さんを間に入れたり、盾にすりゃいいのか。

 早く戻ってきてくれ英二さん。

 女の怒りを受け止める最強の壁になって俺を守ってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊張する……ような、気がする。

 いやしてないかな。

 私、緊張してない。

 ちゃんと緊張した方がいいのかしら。

 緊張する映画を見た記憶でも思い出して、メソッド演技をした方がいい?

 

 茜ちゃんにはごめんなさいも聞いてもらえなかった。

 まだ私はちゃんと謝れてない。

 共演者として認められてもない。

 頑張って、認めてもらわないと。

 

 ここはスターズ事務所の会議室……だと、思う。

 私は映画でしか会議室を見たこと無いけど、多分そう。

 座る椅子はそんな柔らかくない、ちょっと安っぽい感じ。

 そこは映画とは少し違うかな。

 

 右を見れば、真咲君、茜ちゃん、武光君、それと監督さんが座っている。

 左を見れば、私と同じオーディション組の人が八人座っている。

 皆、私と同じくらいの年齢だ。

 デスアイランドの登場人物は皆同い年のクラスメイトだって聞いたけど、年齢も揃えたみたい。

 

 私は今日、天使に会える。

 私と全く違う芝居をする天使に。

 百城千世子に会ってみたくて、私はここまできた。

 

 どんな人なんだろう。

 芝居を見ていると伝わる、得体の知れなさ。

 綺麗な芝居に、見えない素顔。

 とても、とても綺麗な仮面。

 人を夢中にさせる芝居をするのに、誰も彼女の素顔を知らない。

 

 きっとあれは、私に無いものだ。

 

 だから会えるのを楽しみにしてた……だけど、誰も来てない。

 オーディション組の12人も、監督も来てるのに、スターズの人が一人も来てない。

 どうして?

 

「ごめんね皆!

 せっかく時間通り顔合わせに来てもらったのに。

 スターズ(うち)の俳優がまだ一人も到着してないんだ」

 

 監督がにこやかに笑ってそう言った。

 英二くんが凄く重い男の人なら、この人はとても軽い男の人って感じがする。

 

「皆多忙でね。

 もしかしたら一人も間に合わないかも。

 ま、よくあることだし気にしないでね。どうせ現場で会えるから」

 

 天使に会えると思ったのに……残念。

 大変よ英二くん。

 芸能界は嘘つきがいっぱいだわ。

 

 そういえば、英二くんは天使と親しい知り合いだったりするのかしら。

 見る目がある人なら、英二くんの作る綺麗なものを気に入ると思う。

 なら友達になっていてもおかしくはないわ。

 もしかしたら、とっても仲が良いのかもしれない。

 

 黒山さんは、『盗めるもん全部盗んでこい』と言っていた。

 天使は盗みがいがあるとも言っていた。

 

 盗めるとしたら、何を盗めるんだろう。

 技術、姿勢……あとは何?

 盗むっていうと、天使が大切にしているものってイメージがあるけど。

 天使が大切にしているものって、なにかしら。

 

「じゃ、台本を渡そうか。台本読みでもする?」

 

 監督が台本を取り出した、その時。

 ドアが開く、音がした。

 

「ごめんなさい遅れてしまって。これでも撮影急いで巻いたんだけど」

 

 皆が、そちらを見た。

 目を引く仕草。

 目を引く姿勢。

 目を引く所作。

 何の役の演技もしていないはずなのに、皆の目を引き、夢中にさせる。

 顔合わせのために用意されたこの部屋の『中心』が、一瞬でその人に移ったのを感じた。

 

「私以外誰も来てないじゃんスターズ。

 こんな日に『顔合わせ』なんてしたら駄目だよカントク」

 

 上下左右前後どこから見ても、この人はきっと綺麗に見える。

 何故か、それが私にも分かった。

 13人の人がここにいて、天使に13の視線が向けられていて、そのどこから見ても綺麗に見える……たぶん、そういう立ち回り。

 

 とても綺麗な立ち回り。

 なのに、その目は。

 私を見ていたその目は。

 今は綺麗で優しい目をしている天使は、さっき。

 

 ドアが空いた瞬間だけ、刃物のような目をした天使が、こちらを見ていた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し、浮かれていたのかもしれない。

 

「千世子。朝風をスターズに引き込めるかもしれないわ」

 

 アリサさんがそんなことを言っていたから、浮かれていたのかもしれない。

 

 いつものように、研究をしていた。

 その日の研究は『デスアイランド』の共演者達について。

 私の次のお仕事で共演するスターズ11人、それ以外の12人についておさらいと新規研究を開始した。

 

 これを苦に思ったことはない。

 12時間仕事をして、8時間一息に使い切って、4時間寝る。

 美容に悪影響が出ないラインを見切って、睡眠時間を削って、一日の活動時間を確保し、仕事の時間・技能向上と情報研究・睡眠の時間をバランスよく計算する。

 

 睡眠不足でクマが出たー、なんて言ってる人がいるけど、そんなのただの怠慢だ。

 クマはそもそも多少なら化粧で隠せる。

 睡眠時間のコントロールで防げる。

 

 そもそも寝なくても、クマは防げる。

 茶っぽいクマは紫外線、目の擦過が原因。日当たりと目の扱いを考えてればまず出来ない。

 黒っぽいクマは表情筋の衰え、肌の劣化。表情訓練と肌の手入れで防げる。

 青っぽいクマは血行不良。普段から顔マッサージや適度な運動による血流調整で防げる。

 顔にクマが出来てる時点で、結構な怠慢だと思う。

 女優なら、一睡もせずに共演者の研究もしつつ、目の充血や目の下のクマなどの"低評価要素"を片っ端から排除して、女優の顔を作るくらいはすべきのはず。

 

 だから英二君なんて、いつものように私に見惚れてる。

 英二君は目がいいから、私が私の仮面を作るために費やしている労力を見抜けるからだ。

 誰よりも正確に、過大評価も過小評価もせず、私を褒める。

 彼の目は本当に正確だ。

 

 少し、アキラ君が羨ましくなることもある。

 今アキラ君が俳優として発揮してる能力から見れば、英二君がアキラ君に向けている評価は過大評価なくらいに高い。

 それはきっと、友情の分だろう。

 可愛い男の子達だ。

 

 ただそうなると私は、過大評価も過小評価もされずに英二君の中で上限いっぱいくらいに評価されてることが、少し寂しくなる。

 もしも、女優じゃない百城千世子がいたら。

 もしも、女優が向いていない百城千世子がいたら。

 その時は、英二君は友情で、私の評価に下駄を履かせてくれたりするんだろうか。

 その時私は、素直に喜ぶのか、喜べないのか。

 想像を働かせるのは少し楽しくて、少し怖い。

 

 私はどのくらい本物で、どのくらい偽物なのか。

 

 アキラ君は『本物の俳優』にこだわってる。

 本物って何?

 

 例えば似たような女優が多くいたとする。

 それなら、一番上の女優が『本物』と言えるだろう。

 一番上の女優以外は、一番の劣化コピーの『偽物』でしかない。

 たとえ、小さな個性がいくらあろうとも、きっとそうなる。

 

 少し前の時代には、格別に人気な女優が『本物』扱いされて、過激なファンがそれ以外を『偽物』扱いするなんてこともあったらしい。

 個性がいくらあっても、そうだったらしい。

 そのカテゴリの中での一番が、本物。

 そういう考えがあるというのも事実だ。

 

 私はどのくらい本物で、どのくらい偽物なのか。

 

 それまで一番の本物だったものも、本当の本物がくれば、二番目に落ちて本物でなくなる。

 一番目が本物、二番目が偽物でも、一番目がいなくなってしまえば、二番目が偽物のまま本物になる。

 芝居の上下で『本物』を決めるってのはそういうことだ。

 アキラ君は、たぶんそうと分かってないんだろうけども。

 そして。

 少なくとも私は、現役時代のアリサさんに自分が勝っていると思ったことはない。

 

 私はどのくらい本物で、どのくらい偽物なのか。

 夜凪景さんはどのくらい本物で、どのくらい偽物なのか。

 

 デスアイランドの共演者達のオーディション時の録画を、分析・研究した。

 目に止まったのは、夜凪景という子の演技。

 私とは違う、一切取り繕わない演技。

 『嘘』がまるで無いように見える演技。

 いわゆる『迫真の演技』を落ち着いた会話でも、激しい感情を見せる場面でも、安定して行い続けられるという異常な演技。

 目が眩むような、個性の塊をぶつけてくる芝居だった。

 

 ああ、これが、英二君が見惚れた人なんだと。

 

 名前を再確認する前から、ひと目で分かった。

 

「どうやってるんだろう、これ」

 

 いくら研究しても、真似できない。

 いくら分析しても、やり方が分からない。

 夜凪さんの演技を百回見直したところで、私は焦りを覚えた。

 

 『本当の本物』は。

 『それまで本物だったもの』を。

 時に『無価値な偽物』に変える。

 

 メソッド演技の歴史を、私は知っている。

 メソッド演技の流行は、それまでの演技全てに『偽物』のレッテルを貼った。

 新人は猫も杓子もメソッド演技を学びたがり、『本物』になりたがった。

 時代の流れでメソッド演技もかつての熱狂を失うが、そういう時代があったのもまた事実。

 

 ねえ、英二君。

 

「……私の演技と、この人の演技……仮に『どちらが本物か』を決めるとしたら、それは……」

 

 私が前にした質問を、君にもう一度したら。

 私が曖昧なはぐらかし方を許さなかったら。

 私が一番信頼してる審美眼を持ってる君は、どう答えるのかな。

 

 私は英二君を信じてる。

 絶対に私の味方でいると信じてるんじゃない。

 英二君の目は正しく物事を見抜くということを、信じてる。

 その目を信じてる。

 だからこそ、英二君の目に、私と夜凪さんが並んでいるところを見て判断してほしい。

 

「でも」

 

 でも、もし。

 

「もしも、英二君が夜凪さんの方に、『百城千世子より素晴らしいもの』を見てしまえば……」

 

 私はそれを、どう受け入れられるだろうか。

 いやそもそも、受け入れられるだろうか?

 

 英二君の目を信じて、夜凪さんが上だと認めるのか。

 それとも、私は英二君を信じている自分を捨てて、自分の心を守るのか。

 ……夜凪さんと話したこともない今の段階じゃ、分からない。

 会って、話してみないと。

 英二くんが私と彼女を比べるかどうかも、彼女が私より格上かどうかも……

 

 いや、英二君は人によって違う個性を愛する人でもある。

 たとえば私の上位互換の人が現れても、私の評価は下がらないと思う。

 だから私と違うタイプの夜凪さんが現れても……夜凪さんが、英二君の中で一番に素晴らしい女優の席を勝ち取っても……私への評価は変わらない。変わらないけれど。

 

 

 

 そうした場合、私は彼の中で二番目以下の女優になる。

 

 私が世界で一番だと思う造形屋に、二番目以下にしか見られない女優になる。

 

 私の中で、私にも抑えきれない、少し負けず嫌いな自分が唸り声を上げた。

 

 

 

 英二君は、デスアイランドが終わればスターズに来る。

 その後はずっとアリサさんや私の犬だ。

 ……ちょっとあれな表現になったけど、まあ間違ってはないと思う。

 

 そうなったら、アリサさんの性格からして、夜凪さんを助けるチャンスを英二君に与えることはもうないだろう。

 そして、私は常に英二君に助けてもらえる。

 英二君が傍にいれば、私は負ける気がしない。

 なんでも作れる英二君なら、なんでも彩れる英二君なら、時に作品で他人に成長を促せる英二君なら、スターズ全体の今のレベルを格段に引き上げられるはず。

 

 だからきっと、これが最後だ。

 私の演技のやり方と、夜凪さんの演技のやり方が、等しく英二君の整えた舞台の後押しを受けながら、同じカメラの中に映るのは。

 

 見極めてみたい。

 この、よく分からない夜凪さんの演技を。

 何か他の人にはできないことをしていることだけは分かる、この演技を。

 この人の演技を見ていると、何故か湧いて来る胸の奥の感情の正体を、私は知りたい。

 

 そうして、私は過去を思い返す思案をやめて、瞳を開いた。

 

「起きましたか、百城さん。いいタイミングですね、もう少しで着きますよ」

 

「寝てたわけじゃないよ?」

 

「あれ、そうでしたか。すみません」

 

 右を見れば運転してる英二君。

 遠くを見れば、スターズ事務所が遠目に見える。

 空を見てみると、茜色の空があって、何故か無性に癇に障った。

 

 私は、目を閉じて考え事してただけ。

 だから英二君の運転が、私が目を閉じた途端に優しくなったことも分かってる。

 途中一回止まって、英二君が私に毛布を掛けたことも分かってる。

 掛けられた毛布とその気持ちが、とても暖かい。

 多分、到着した頃に毛布を取って、何気なく起こすつもりだったんだろう。

 

 英二君はこういうところがずるい。

 

「あとどのくらいで着くかな」

 

「5分か10分ですね。拙い運転で申し訳ありませんでした」

 

「下手とは思わないよ。迎えに来てくれただけで嬉しかったし」

 

 あえて毛布に言及しないと、ちょっと内心慌ててるのが手の動きや目線の動きに出る英二君が可愛い。

 

「ありがとう。英二君はいい人だね」

 

「……いえ、当然のことですので」

 

 褒めると照れた。

 英二君は英二君だなぁ。

 役者にはなれなさそう。

 "女はいくつもの顔を持つ"なんて言うけど、こうまで自分の表情を使いこなせない男の子を見てると、これを言ったのって英二君みたいな男の人だったんじゃないかな、なんて思う。

 

 助手席の人を飽きさせないための小型テレビの電源を切る。

 英二君が私を飽きさせないために流していた映画は、『フォレスト・ガンプ』だった。

 

「そういえば、なんでフォレスト・ガンプなの?」

 

「最近見直す機会がありまして、車に置きっぱなしだったんですよ」

 

「そうなんだ」

 

 フォレスト・ガンプの主演は、コム・ハンクス*2

 彼とスピルハンバーグ監督は、時に相棒関係のように語られる二人だ。

 コムは役に入り込む憑依型俳優で、その評価は極めて高い『本物』。

 監督は、コムをこう評価していた。

 

『コムが私の監督作品に出演するのはこれで5作目だが、コムは毎回私を驚かせる』

 

『コムはどんな役にも合うよ。個性的で素晴らしい役者だから』

 

『最初にコムのことで気付いたのは、演技をしている姿を見たことがないってことなんだ。

 あたかも脚本が無いかのようにセリフを口にしていた。

 まるで監督も存在せず、照明も無いかのように、僕にただ話しかけているかのようだったんだ』

 

 役に入り込み、自分も忘れるような役者は。

 どんな役でもできるし、いつでも監督を驚かせているらしい。

 ……らしい。

 

 昔から、ずっと私が言われていることがある。

 

『役ごとに演じ分けてない』

 

『この役は百城千世子に合ってない』

 

『安心感はあるが、驚きはない』

 

『良くも悪くも"上手く演じてる人"でしかない』

 

 他人に見える自分を、意識して作り続けた。

 周囲の視線を把握し、理解し、自分の振る舞いに反映した。

 

 撮影に使う全ての物を理解し、時に英二君の目を借り、カメラに映る自分を計算した。

 新しいカメラが出るたびに、それを計算の内に組み込んだ。

 

 SNSに掲示板と、エゴサーチで統計を作り、周囲に与える私の印象を修正し続けた。

 仮面(わたし)を作り、偶像(わたし)を作り、千世子(わたし)を作った。

 最初の私がどこかに行ってしまうまで、私を作り続けた。

 観客(みんな)が望む私の姿を、作り続けた。

 子供の頃から今に至るまで、ずっと、ずっと。

 

 それでも、私には作れない私というものが、確かにあって。

 

「英二君。実力派俳優って呼び方、どう思う?」

 

 駐車場が落とす影が顔にかかる。

 私は運転している英二君に、そう問いかけた。

 

「そうですね……

 商業的に良いものだと思います。

 実力派俳優という称号に、決まった数字のラインは存在しません。

 実力派俳優に資格もありません。

 でも一般の人は、『実力派俳優』と聞くと実力はあるんだろうと感じます。

 これは舞台における観客の動員や、俳優のファンの獲得に作用します。

 この称号が俳優の実力を確実に示すわけではありませんが、商業的には有用ですね」

 

「役そのものになりきる、憑依型俳優タイプがこう呼ばれることが多いよね」

 

「そう……ですね。

 多彩な表現力によって一つのキャラクターを売っていく俳優より……

 多彩な役を演じられる俳優の方がそう呼ばれやすい気がします。

 総合力で言えば百城さんより低い人でもそう呼ばれてることはあると思いますよ」

 

 全部が全部そうじゃないけどね。

 そういう傾向はある。

 技術が高い人と演技力が高い人はイコールじゃない。

 高度な演技の技術を使っていた人が、才能に由来する演技力の高さに負けていくところを、私は何度も何度も見てきた。

 

「英二君は、ああいう役に入り込む演技法は好き?」

 

 私には、なれないものがある。

 

 私には、できないことがある。

 

「俺が好きなものは色々あります。

 『人間らしい演技』も好きです。

 ああいうものが評価されるのも理解できます。

 自然な演技だから、というのが一番大きいでしょうね。

 自然に観客の感情を引き出せるのは本当に強いと思います。

 というか俺は、『人間らしい演技』なら大体好きですよ。一番好きです」

 

「―――うん。私も、ああいう演技を求める人の気持ちは理解できるかな」

 

 ……ああ、そうだ。

 

 英二君の視点が、私の考えを補完する。

 私は英二君が夜凪景の演技に惚れ込むかもと、感覚的に分かってる。

 私は自分の演技が人間らしい演技じゃないと知っている。

 夜凪景の演技が人間らしい演技だと、録画を見て知っている。

 

 だから。

 

 私は。

 

「ありがとう英二君。私、先に顔合わせに行ってくるね」

 

「俺は少し後から行きます。今回の共演者は良いですよ、期待していいと思います」

 

「そうだね。私もそう思うよ。とっても、とっても個性的な人がいたから」

 

 英二君と別れて、スターズ事務所の階段を登る。

 心のどこかが高揚していて、心のどこかが冷静で。

 胸の奥が熱いような、冷え切ったような、不思議な気持ちだった。

 

「ごめんなさい遅れてしまって。これでも撮影急いで巻いたんだけど」

 

 ドアを開けた瞬間―――夜凪景さんと、目が合った。

 

「私以外誰も来てないじゃんスターズ。

 こんな日に『顔合わせ』なんてしたら駄目だよカントク」

 

 冷静を保つ。

 普段の振る舞いを保つ。

 

「ま、『顔合わせ』なんてしなくても作品に影響ないからね」

 

「大アリだよ! 酷い監督だな。第一皆に失礼だよ、これじゃ」

 

 部屋の中の空気を、私の言動と振る舞いで少しずつ和らげていく。

 席に座るつもりはないから、歩きながら監督と話すフリをして、全員の視線を計算して立ち位置を調整。

 全員から見やすく、全員に笑顔を見せられる位置を計算する。

 ここ。ここだね。

 天井の蛍光灯の光の当たり具合も、ここならきっといい。

 それで、このタイミングで明るい笑みを見せる。

 

「改めまして、遅れてごめんなさい。

 百城千世子です、よろしくお願いします」

 

 反応を見る。

 

 笑顔を返してきた人は友好的だ。

 反応が無いのは何もする気がない人だから、とりあえず何もしなくていい。

 私を値踏みする視線は、私の普段の振る舞いを見せておけば何も問題はない。

 目を細めて、私に対抗心を持ったことが読み取れる人。

 そこがこの顔合わせで問題になるかもしれない人だ。

 12人の中で、その反応を見せたのは1人。

 源真咲君か。

 うん、コントロールしやすい流れかな。

 

「あ、源真咲君」

 

「え……」

 

「『ザ・ナイト』の劇場版観たよ!

 ツカサ役すごくハマっててちょっとタイプだった! なんてね。

 でもドラマ『春の歌』の生徒役の時と印象あんまり変わらなかったね!

 演じ分け苦手なタイプ? 私と一緒だ」

 

 真咲君の表情が変わった。

 心象も多分変わった。このくらいでいいかな。

 "知られてる"って、重いでしょ?

 

 私、英二君ほど自分を過小評価してないんだ。

 『この年代で一番売れてる若手の大女優』に、『何故か自分の過去作品までチェックされて好意的に感想言われる』って、無視できるほど軽くないでしょ?

 "もうそれを無視できなくなる"でしょ?

 よくいるんだよね。

 『俺達はあいつらの眼中にないだろうけど、一泡吹かせてやる』って人。

 でもそういう感情って余計だから、ここで捨ててもらった方が後でコントロールしやすくて、皆楽になるんだよね。

 

 意識的に、私の仮面を使いこなす。

 台詞の長さ、テンポ、息を入れるところを間違えないように。

 会話の最中も、自分を制御することも忘れずに、言葉を紡ぐ。

 真咲君への台詞の後、ほんの一瞬間を入れて、隣の湯島さんに会話をずらす。

 今の私の言動が、真咲君の制御だったと悟られないように、複数人に会話をシフトしていく。

 

「あっ、湯島さんも真咲くんと同じ事務所だったよね!

 子供時代からの出演作全部観ちゃった!

 どんどん上手になってくから! 面白くて!」

 

 昔英二君が無自覚に私によくやってたけど、専門用語をある程度分かりやすくして、ハキハキと聞き取りやすい発声で、聞き取りやすいテンポで怒涛の台詞を並べると、相手はその長い台詞をちゃんと理解しようとする。

 でも台詞が長いから、本当にほんの一瞬、その台詞を噛み砕くための『間』ができる。

 その『間』を上手く使えば、複数人が会話に混ざれる状況だと、会話のコントロールはとても簡単になる。

 私は英二君より会話のテンポ、聞きやすい発声、分かりやすい言葉選びを心がけてるから、これは私が英二君の個性を盗んで、自分の技にしたと言えるのかもしれない。

 私と英二君の合作だ。

 

 呼吸を読む。

 皆に何も言わせないまま、言うべきことを言う。

 私の発言が、相手の反応を潰すように。

 かつ、次の思考をコントロールするように。

 "スターズの奴らは俺達なんて眼中にない"っていう認識をまず取り除いて、スターズの方からオーディション組への好意があるという認識を、根付かせる。

 

 芝居好きの話好きキャラを演じ、柔らかな表情を作って、好意的な笑顔を浮かべる。

 笑顔は、相手の好感を得るために一番使いやすく効果的な武器だ。

 "あの百城千世子が私達のことをちゃんと認識してくれてる"っていう喜びが、オーディション組の間に広がり始めてるのが、表情の変化から見て取れた。

 

「てゆーか武光君ナマで見ると本当に大きいんだね! あはは。

 舞台DVDで観たよ、存在感あってすごく目立ってた。ちょっと目立ちすぎなくらい!」

 

 一番先に話の対象にした真咲君には大きな驚愕、湯島さんや武光君にもちょっとの驚愕が先行してるけど、それだけ。

 基本的には皆好意的になってくれたかな。

 "皆を軽く見てるつもりはない"って意思表明みたいなものだからね、これ。

 

 一番驚愕が先行してる真咲君も、もう私に対する対抗心は見えない。

 敵意も無いかな。

 これで、対抗心から余計なことをしかねない共演者が皆、上手く制御できる味方になってくれた感じかな。

 あとは顔合わせの中で、あるいは撮影中に、追々調整していけばいい。

 

 流れは掴んだ。

 もうここから余計な言動、余計な行動は出ないはず。

 好意的な接触でも、敵対的な接触でも、"お前のことを知ってるぞ"っていうカードは切りどころを間違えなければ、会話の流れを強く誘導できるんだよね。

 もうこの場の空気は、私の手に掴まれている。

 

 私を観察してる人。

 私の次の言動を待ってる人。

 私の今の言動から、色々考えてる人。

 手塚監督を入れた12人が、そういう状態になった。

 

 そうなっていないのは、ただ1人。

 透き通った黒水晶みたいな目で、ずっとじっと私を見つめるその人だけ。

 

「あ。夜凪景さん、オーディションの時の映像見せて貰ったの。まさに迫真、ってやつだった」

 

 夜凪さん。

 夜凪景。

 私がこの人の演技を見ていると、胸の奥に湧き上がる感情。

 これは一体、なんだろう。

 

「でもあれお芝居じゃないよね。一体どうやってるのアレ?」

 

 この感情の正体が分からないと、私はきっと私自身を制御しきれない。

 

「お芝居にしては、不自然なくらい自然過ぎたから」

 

 夜凪さんはごく自然体で、口を開く。

 

「私も聞きたいことがあったの」

 

 こっちの質問には答えないで自分の質問はぶつけてくる、か。

 少し気に入らない応対だけど、ここは流しておく。

 天使の微笑みを、意識して維持して。

 

「お芝居中の自分をフカンして、コントロールする技術。

 "天使"さんなら出来るってきいたんだけど本当? 幽体離脱」

 

 何言ってんだこの人。

 

「……は?」

 

 オーディション組の中から、困惑の反応が出始めてる。

 そりゃそうだよ。

 

「……ああ。

 私、実は天使じゃないから。

 ぷかぷか浮いたりは出来ないよ?」

 

 私がおどけて、空気を和ませる。

 こういうのはあんまり真面目に真意を測るより、こうして少し茶化せる空気にした方がいい。

 よく分からない、意図が伝わりにくい発言の真意を知ろうとして問いかけを繰り返すと、結果的に空気が最悪のものになりやすいから。

 

 しかし夜凪さん、会話のリズムが独特だ。

 手綱を握るのが難しいタイプかな。

 "入ってる"時の英二君が、ちょうどこういう感じになる。

 

「あははは」

 

「何あいつ」

 

「夜凪、お前今日も変だぞ。大丈夫か?」

 

 ただ少し、怖くはある。

 技術的な何かがあるわけでもなく、計算で何かしてるわけでもないのに、今のよく分からない一言で自然とこの場の中心が夜凪さんに移った。

 天然に自然でやってるなら、恐ろしい。

 この人には、周囲の空気の中心となる才能がある。

 さっきまで私だけを見てた人達が、今では夜凪さんを見て、夜凪さんの言動で笑い、夜凪さんに声をかけている。

 人の目を引く、というのはこういうことなんだよね。

 

「ごめんなさい、あなたなら本当に出来るのかもって……」

 

 良く評価されるのは嬉しいけど、こういう奇妙な良い評価をされるのは初めて。

 何を考えてるんだろう?

 

「あはは、なんでそう思うの」

 

「だって」

 

 夜凪さんが、まっすぐに私を見てきて、そして言った。

 

「テレビで観たあなたも。

 今目の前にいるあなたも。

 とても綺麗で。

 なのにどちらのあなたも顔が視えないから……人間じゃないみたいだなって」

 

 ねえ。

 

 それ。

 

 私に喧嘩を売ってるってことだよね?

 

 そうして、私は。

 

―――というか俺は、『人間らしい演技』なら大体好きですよ。一番好きです

 

 少し前に英二君から聞いた一言を思い出して、苛立って、そして納得した。

 私が、何を思っているか。

 何故私が、この人に怒りを覚えたのか。

 こんなにも私の胸の奥で―――冷たい怒りと、燃え盛る冷酷さが、激しく沸き立っていたのか。

 

 他人に見える自分を、意識して作り続けた。

 周囲の視線を把握し、理解し、自分の振る舞いに反映した。

 

 撮影に使う全ての物を理解し、時に英二君の目を借り、カメラに映る自分を計算した。

 新しいカメラが出るたびに、それを計算の内に組み込んだ。

 

 SNSに掲示板と、エゴサーチで統計を作り、周囲に与える私の印象を修正し続けた。

 仮面(わたし)を作り、偶像(わたし)を作り、千世子(わたし)を作った。

 最初の私がどこかに行ってしまうまで、私を作り続けた。

 観客(みんな)が望む私の姿を、作り続けた。

 子供の頃から今に至るまで、ずっと、ずっと。

 

 それでも、私には作れない私というものが、確かにあって。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 大衆はそれぞれが違う姿を望む。

 その最大公約数を突き詰めたのが私だ。

 だけど私は、その過程でいくつもの"大衆の理想"を切り捨ててきた。

 

 例えば、男。

 私は男にはなれない。男を望む理想は実現できない。

 例えば、高い身長と太い筋肉でアクションをこなす女優。

 私の体格では、それは努力をしても絶対に不可能なこと。

 

 例えば。

 『人格ごと役になりきるような女優』。

 アリサさんがそういうのを嫌っていたというのもあったけど、私はどんな女優を参考にしても、夜凪さんのような演技を身につけることはできなかった。

 

 夜凪さんの演技を何度も繰り返し見た。

 何度も真似しようとしてみた。

 繰り返し、繰り返し、自分の演技に取り込んでみようとしてみた。

 けれど、録画一回分の演技すら無理だった。

 

 エゴサーチの統計作業の最中で、何度も繰り返し見た言葉。

 

『百城千世子は役になりきれないんだろう。そこは本当に駄目だな』

 

 大衆の望むものを統計にまとめて、常に自分に反映してきた私が、自分に反映したくてもできなかった唯一の声。

 私がいくら欲しがっても、手に入らない唯一の技能。

 仮面を作り心に被る私とは対になる、自分の心の素顔を改竄するような演技。

 私は本当は、その演技技能を取り込んだ上で、理性的に制御して初めて完成する『スターズの天使』なのに……それが手に入らないから、いつまでも足踏みを続けている。

 

 夜凪景さんは、私が欲しいのに手に入らないものを持っていた。

 

 そして私を、人間じゃないみたいと言った。

 

 人間らしい演技が、さも当然であるかのように。

 

 それは私の演技の否定。

 夜凪さんは私が欲しがっていたものを持っているのに、私が今まで積み上げてきたようなものを一切持たず、その状態で役者として独り立ちしている。

 そんな夜凪さんに、私の演技が人間じゃない、なんて言われたら。

 私は。

 私の演技は。

 全て、夜凪さんに否定されたも同然。

 

 私が持ってるものを全部要らないとばかりに持ってなくて、私が持ってないものを持ってる夜凪さんが『人間らしい』なら。

 それが、コム・ハンクスのように、全ての役を演じられる俳優に繋がる道になるなら。

 私なんて要らないってことになる。

 夜凪さんという『本物』が、私を『偽物』にしてしまう。

 

「……夜凪、それはどういう……」

 

「え、あっ……ごめんなさい、悪い意味じゃ」

 

 真咲君に話しかけられた夜凪さんが、弁明しようとし始める。

 

 ねえ夜凪さん。

 私は知っている。

 何千時間、何万時間かけても、手に入らないものがある。

 ずっと前、芝居にかけた時間が一万時間を超えたあたりから、それを確信してる。

 あなたが持ってるものが、きっとそれだよ。

 

 私が身に付けられたものは、あなたにも身に付けられる。きっとね。

 だって私の技能は、熱心に時間を費やせば身に付けられるものだから。

 芝居が好きで寝ることも忘れるくらい没頭できる人なら、研究と分析で食事も忘れてしまうくらい芝居が好きな人なら、誰にでも身に付けられる技術だから。

 

 だから、あなたは私になれる。

 私はあなたにはなれない。

 私は、そう思うよ。

 

 自分の心も素顔も書き換えられるあなたになんて、技術で成れるはずがない。

 

「ううん」

 

 軽やかに、艶やかに、跳んで夜凪さんの前に行く。

 

「!」

 

 夜凪さんの目を見つめる。

 息を呑んだ夜凪さんが、少し体を後ろに引いた。

 

「あなたの芝居はちゃんと人間だったよ。私と違って」

 

 私には私が信じてるものがある。

 

 だからあなたの在り方は、肯定できない。

 

 私はあなたに、負けられない。

 

「幽体離脱が何のことかよく分からないけど、一つだけこっそりアドバイス」

 

 『皆が望む百城千世子の仮面』を作ってきた私と、『自分が望む素顔の自分』に成ろうとするあなたじゃ、きっとぶつかり合うしかない。

 

「私達俳優の使命は、観客を虜にすること。

 素顔を晒してありのままに演じることを人間と言うなら、だったら私は人間じゃなくていい」

 

 私はきっと、あなたが好きになれないと思うよ。夜凪景さん。

 

「これでいいかな? 夜凪さん」

 

 でもね。

 

 英二君があなたに惚れ込む理由は、十二分に分かったよ。

 

 嫌になるほどに。

 

 

 

*1
子役の芦原愛菜など、『偏差値70超えの有名名門私立中学に合格』が後々売りになるだろうと見られており、子役レベルでも学歴は強みになると見られている。学歴が良いと知識系のバラエティのオファーも来やすく、『頭の良い美女』『頭の良いイケメン』はそれだけでファンが大勢獲得できるからである。

*2
俳優・監督・小説家と幅広く活躍する名俳優。その名演はあまりにも評価が高く、文化的に評価されたため最高位勲章である『大統領自由勲章』を受章したほど。他にこれを受章した者は、ウィルト・ディズニー、マイザー・テレサ、ヘイレン・ケラーなど。




英二「嘘つきってとても人間らしいですよね。
   嘘つくのは人間だけですし。
   百城さんってそういう意味でとても人間らしくていいと思います」
   (言う必要があると思ってないので言わない)


 第一話のスターズ事務所と第十話の俳優顔合わせの建物はほぼデザイン同じなんですが、屋上の一箇所だけ間違い探しみたいな差異があるのが人によって判断分かれると思いました(小並感)。
 ルシエドの場合は屋上が東西南北で微妙に別の造形をしてるという手法だと解釈してます。

 あれだけ嫌そうな顔していたのに、顔合わせシーンを見るとイライラしてる茜さんと夜凪の間の席を選んで座ってる真咲君は優しい男の鑑。

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