ノット・アクターズ   作:ルシエド

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夜凪景 千世子は抱く 殺意かな(5・7・5)

―――これが、私達の美しい本当の友情の始まりだ

 

 友情。

 友情ってなんだろう。

 私が知ってる友情の九割くらいは、映画で見たものだ。

 私と英二くんの友情も、ちゃんと始まったのはこの映画の言葉から……だった、気がする。

 

 友達。友達。自分に問いかけてもスパッと一つの答えが出てこないのは、きっと私が私自身のことを全て分かってはいないから。

 どうしよう。

 でも、頑張らないと。

 ルイ、レイ、お姉ちゃん頑張ってるからね。

 

 私は友情を創りたい。

 特定の誰かに友情を抱く自分を創りたい。

 そのためには友達が……俳優の友達への想いが何かを考えないといけない。

 英二くんじゃ駄目。

 この前の特訓で分かったけれども、私は英二くんの代わりの誰かっていうものを、あんまり考えたくないみたいだから。

 

「ねぇ、もしかして私達って……友達?」

 

 朝ごはんの時、茜ちゃん、武光君、真咲君にちょっと恐る恐る聞いてみた。

 

「今更何やのこの子……」

 

「友達というより仲間だな」

 

「どう違うんだよ……」

 

 あっ、今失言した気がする、どうしよう、どうしよう。

 

「もしかしてまだ友達じゃない……?」

 

「友達や友達!」

 

「なんで不安げなんだよ」

 

 ほっ。良かった。

 茜ちゃん達、優しいわ。

 "ネガティブだな"と言わんばかりの顔でくっくっと笑ってる武光君がちょっと腹立たしい。

 

「良かった……

 私、昨日考えたのだけど。

 もし茜ちゃんが殺されそうになったら、きっと身を呈して助けると思うの!

 これって友達だからよね!?」

 

「なんで私が殺されなあかんの」

 

「重ぇなお前の友情」

 

 大切な友達が殺されそうになったら、命の危険があっても、私は飛び込むと思う。

 思えば、私は前からずっと英二くんのためなら死ねたかもしれない。

 そんな気がする。

 そのくらいの想いはあった気がする。

 きっとこれが、私の友情なんだわ。

 

 ケイコは、カレンを庇って死んでしまう役。

 私の中にこういう感情があるんだから、千世子ちゃんを庇って死ねる私になることと、千世子ちゃんの友達になることはイコールのはず。

 演技のためにちゃんと、友達だと思えそうにない千世子ちゃんを友達だと思わないと。

 私は役者だから。

 

「だから私、千世子ちゃんと友達になろうと思うの!」

 

「……」

 

 沈黙が痛いわ、みんな。

 

「……へぇ、え、なんで?」

 

 真咲君の困惑した声が胸に痛い。

 また正確に伝わってない感じがする。

 英二くんだと1言えば10分かってくれたりするからこういう説明が楽なのに。

 武光君も話しやすいし、私のこと分かってくれてるし、私が言いたいこと分かってくれてないかな……?

 

「役作りって訳か」

 

「薬作り?」

 

「聞いたことねぇのかよ、どうなってんだお前」

 

 黒山さんからそんなもののこと聞いたことないもの。

 ……あ、でも、聞き覚えがある。

 どこで?

 ええと、黒山さんじゃないなら……

 

―――よろしく。物作りが得意な、私のお友達

 

―――よろしくです、役作りを始めたばっかの、俺のお友達

 

 あ。

 英二くん。

 そうだわ、他にも教えて貰ったことがあって……そう、英二くんが言ってたことは。

 

■■■■■■■■■■

 

「景さんならできます、きっと。

 今日あなたは、役作りを覚えました。

 自分の中から掘り出した過去をそのまま使うのではなく、ちゃんと役を作ったんです」

 

「あなたは役を作る。俺は物を作る。

 自分を作るあなたと、自分以外を作る俺。

 俺はあなたが作り上げるものを、自分が作り上げられる物で、全力で支えます」

 

「ようこそこちらの世界へ。歓迎します、夜凪景さん」

 

■■■■■■■■■■

 

 時代劇の時。

 "江戸時代の町民として生きた私"っていう、他人の私を作って演じた時。

 そうだわ。

 あの時の私の演技を、英二くんは役作りってちゃんと言ってた。

 私であって私でない私、他人のようで私である私、それを作ることはあの時にもうやってた……そういう風に考えれば、思ったよりもずっと簡単に出来そうな気がする。

 

 手塚監督には先週に千世子ちゃんのこと好きじゃないなんて言っちゃったけど、千世子ちゃんを好きな私になる方法、道筋が見えてきたかも。

 

「これ、役作りって呼んでいいのね」

 

「ああ。一流はそうやって役を作る。

 俺達は舞台の上で使う心を、時間と労力をかけて作る。

 お前ほど極端に役に入り込む人間は数えるほどしかいないがな。

 役作りのせいで、役に人格を引っ張られる者も少なくはない。

 お前はまあ……問題無いだろう。百城千世子と友達にでもなって、役を作ればいい」

 

「うん」

 

 ありがとう、武光君。

 私役者として、ちゃんと『ケイコ』を演じるため、千世子ちゃんと仲良くなってみせるわ。

 仲良くなれば英二君も喜ぶ……と思う。

 それならなおさら、私は千世子ちゃんと友達にならないと。

 

 

 

 

 

 撮影18日目の朝、千世子ちゃんを探して、見つけた。

 ちらっと後ろを見る。

 茜ちゃん、武光君、真咲君はいる。

 うん、頼んで来てもらってよかった。心強い。

 保護者同伴とか言われるかもしれないけど、心強いのは変わらない。

 

 そこは、撮影現場に使われた広場。

 撮影スタッフさん達があちらこちらに走り回り、英二くんが一刻も早く撮影開始ができるよう、縦横無尽に走り回っている。

 チラチラとでも英二くんの姿が見えると、ほっとする。

 逆に英二くんがこっちを見る目は、どこか心配そうだ。

 なんだかちょっと悔しい。

 千世子ちゃんに対してはあんなに揺るぎなく、信頼の目で見てたのに。

 

 千世子ちゃんは広場の片隅にあるベンチに座って、森を見ていた。

 何をしてるんだろう。

 何もしてないのかな。

 時間を無駄に使わない千世子ちゃんが自然を見るだけで何もしてないなんて珍しい。

 あ。

 千世子ちゃんが見てるところ……英二くんが背景に使うために、手を入れた森だ。

 

 英二くんが作った加工済みの自然の森を、千世子ちゃんは一人で眺めてる。

 

 人気者の千世子ちゃんが一人で森を見てた理由が、少し理解できた……ような、気がする。

 

「ち……千世子ちゃん」

 

 私が名前を呼ぶと、千世子ちゃんがこちらを向く。

 綺麗な微笑みを私に向けて、千世子ちゃんの瞳が私を見る。

 なんでだろう。

 可愛いのに怖いのは、なんでだろう。

 

 大丈夫。

 千世子ちゃんに会う前に、千世子ちゃんが怖い気持ちと苦手な気持ちはできるだけ置き去りにしてきたから、大丈夫。

 感情は忘れてくればちょっとは大丈夫になるはずだから。

 

「こ……ここに座ってもいい?」

 

「うん、もう座ってるね」

 

 よし、隣に座れたわ。

 千世子ちゃんも何も言ってない。座ることは許してくれてる。大丈夫。

 

「千世子ちゃんのこと……千世子ちゃんって呼んでもいい?」

 

「うん、もう呼んでるね」

 

 よし、第一関門突破!

 名前で呼ぶことをちゃんと許してもらったわ。

 これで一安心。

 英二くんが千世子ちゃんのことを他人行儀に全然名前で呼んでなかったから、千世子ちゃんは滅多に名前を呼ぶことを許してないんじゃないかって、ずっと心配だったから。

 はぁ、心臓が、緊張でずっとドキドキしてる。

 

 あら?

 じゃあなんで、英二くんは名前で呼んでないのかしら……?

 あれ?

 もしかして、千世子ちゃんより私の方が、英二くんと仲の良いお友達だったりする?

 

 そうだったら嬉しいけど……でも私なんかきっと、英二くんと千世子ちゃんほどには……名前で呼ばれてなくても全然気にしてなさそうな千世子ちゃんは、何を考えてるんだろう。

 英二くんにどう思われてても、本当は大して気にしない人だったりするのかしら。

 

 でも、そうだとしたら。

 本気で千世子ちゃんに惚れ込んでる英二くんの気持ちが一方通行みたいで、英二くんから受けた好意を千世子ちゃんが全然返してないように見えて、私は嫌な気持ちになってしまう。

 茜ちゃんの心の演技を心で返さず、利用して終わらせたあの時みたいに、千世子ちゃんは貰った分の想いを返してないように見える。

 ……少なくとも私は、想われたら本気で応えないとって思うのに。

 やっぱり私と千世子ちゃんは正反対な気がする。

 

 千世子ちゃんは顔に出ないから、その本心がどうなのか、分かったつもりでもすぐに分からなくなっちゃう。

 掴みどころがない。

 人間が手を伸ばしても捕まえられない、空を飛ぶ天使みたい。

 

 この人はいい人なのかそうでないのかも、私には分からないわ。

 

「もしかして私と仲良くなりに来てくれた?」

 

「え」

 

「そりゃ想像つくよ。

 夜凪さんは芝居に"心"を必要とするんだもんね、きっと」

 

「?」

 

 え、待って。どういうこと?

 なんで私の個性みたいに言うの?

 

 

 

「役者は皆そうなんじゃないの……?」

 

「―――」

 

 

 

 芝居に心を使えない人なんて、いないんじゃないの?

 だから皆どこかで、お芝居に心を使うんじゃないの?

 千世子ちゃんもそう見えないだけで心を使ってるんでしょう?

 

「私達は友達にはなれないよ」

 

 ……え。

 

「―――って、言ったらどうする? 演じられなくなる……?」

 

 千世子ちゃんがベンチを立つ。

 私と話してるのが嫌、って言ってるみたいに。

 私の近くにいるのが嫌、って言ってるみたいに。

 

 千世子ちゃんは他人との関係を大事にするから、話の途中で強引に話を打ち切って席を立ったりしないって、前に英二くんが言ってたのに。

 まだ撮影は始まってないから、移動する意味だってないはずなのに。

 千世子ちゃんはベンチを立って、私に顔を見せないようにして、私から離れて行く。

 

「だからお芝居に、心はいらないんだよ」

 

 いい人じゃないのかもしれない。

 

 そう、私は思った。

 

 

 

 

 

 勇ましい心で演じる役者が好き。武光君がそうだった。

 優しい心で演じる役者が好き。真咲君がそうだった。

 綺麗な心で演じる役者が好き。茜ちゃんがそうだった。

 画面の中の映画の俳優達の多くも、各々の心を使って演じていた。

 

 英二くんが「心はいらない」なんて言う千世子ちゃんと仲が良い理由が、分からない。

 「心はいらない」なんて言う千世子ちゃんの気持ちは、私には全然分からない。

 分からないから、友達になれない。

 

 心で演じる私を褒めてくれた人がいるから。

 私の好きな役者に、心で演じる人がいるから。

 私は千世子ちゃんの言葉を素直に受け入れられない。

 

「友達になれなかったわ、どうしよう」

 

「つーか友達ってああなるもんじゃなくね?」

 

「そんな落ち込まんで、共演までまだ日もあるし」

 

 落ち込んでしまって、立ってられなくてしゃがみこんでしまう私を、真咲君や茜ちゃんがそれぞれの言い方で励ましてくれる。

 こいつ切り替え早いのに意外とネガティブだな、と真咲君がぼそっと呟くのが聞こえた。

 そうだわ。

 落ち込んでられない。

 すぐ頭の中身を切り替えないと。

 

「でも私今日少しだけ千世子ちゃんと共演するし、困ったわ」

 

「対策がギリギリ過ぎんだよ、お前は」

 

「だってずっと千世子ちゃん怖くて近づけなくて……」

 

 真咲君が呆れた顔をしている。

 武光君はこっちを心配もしてなくて、撮影中の町田さんと千世子ちゃんを見てる。

 時々こうやってスターズの人から盗める技がないかを探している武光君は、本当に熱い人なんだなあって思う。

 熱い人がいて、熱すら感じられない人形みたいな綺麗な笑みを浮かべる人がいる。

 役者が一人一人違うなら……皆は何を、胸に抱いてるんだろう?

 

「皆はどうして役者になったの?」

 

「な、なんだよ突然」

 

 私が聞くと、真咲君がうろたえた。なんで?

 

「真咲ちゃんはスカウトやもんな。

 最初生意気やったけど、鳴かず飛ばずで悔しかったんか真面目になってった」

 

「う、うるせーよ!

 スカウトされたら期待しちまうだろ、自分の才能に!」

 

 あー。そういう?

 

「私も似たようなもんやで。

 親に子役やらされて、チヤホヤされて。

 売れんくなってきた頃にはもうやめられんくなってた」

 

 どこか、辞められなくなったことを誇らしく思うように、茜ちゃんが言う。

 

「芝居は麻薬みたいなものだからな。

 夜凪、お前は? どうして役者になったんだ?」

 

「……私は」

 

―――おねーちゃん役者さんじゃないなら、怖い

 

「妹が……私に」

 

 妹に言われた言葉を思い出す。

 妹にすら怖がられたことを思い出す。

 私は役者にならないと生きていけなかった。

 父は私達を捨てて、母は私達を置いて死んでしまって、家族のために毎日必死に働いて、自由な時間もなくて、私の毎日は辛いことばかりで。

 毎日のように映画の世界に逃げ込んで、全力で現実の私を忘れようとした。

 

 色んなことから逃げるように、スターズのオーディションを受けた。

 

―――お前は役者になるために生まれてきたんだ

 

「向いてるって言われたし……」

 

 黒山さんに言われた言葉を思い出す。

 私に生まれた意味があるって、言ってもらえたことが嬉しかった。

 黒山さんは私を見つけてくれた。私を引き上げてくれた。今も育ててくれてる。

 そうして、英二くんとも出会った。

 

 黒山さんに引っ張られるようにして、女優の道を歩き出した。

 

―――いつかもう一度お前とまともに芝居がしてみたいと、俺は思ったよ

 

 武光君に言われた言葉を思い出す。

 

 今のままの自分じゃ駄目だって、そう思って、頑張って変わろうとした。

 

 現実から逃げるために女優になろうとするんじゃなくて、黒山さんに流されるまま女優をするんじゃなくて、もう私は、自分の意志で女優をやっていた。

 自然と、役者を名乗るようになっていた。

 自分のためだけじゃなく、周りの人のためにも芝居をやっていた。

 

―――あははっ

 

「……」

 

 茜ちゃんと仲直りできた時に、茜ちゃんと笑いあったことを思い出す。

 芝居をしていくだけで分かり合えることが、幸せだった。

 頑張った結果として、友達や仲間が出来ることが、幸せだった。

 

―――サインを下さいっ!

 

「……」

 

 かんなちゃんにサインを求められた時のことを思い出す。

 

 私にできることをしていくだけで、周りの人に認められていくことが、嬉しかった。

 

 父が捨ててしまえるくらい無価値だった私にも、ようやく価値が出来た気がした。

 

 空っぽだった私に、価値が出来た。

 先が見えなかった私の人生に、未来が出来た。

 家族のために毎日毎日をお金稼ぎのバイトだけに費やして、やりたいことをする時間も、やりたいこと自体もなかった私の人生が、好きになれた芝居だけをする毎日になった。

 好きなものが、好きな人が、たくさん出来た。

 

 目を閉じれば、英二くんが私にくれた言葉が、耳の奥に蘇る。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「そうです。

 本当は、善性だけの人間が素晴らしいんじゃないです。

 可能性に満ちた人間もまた、素晴らしいんです。

 だから酷い自分を見つけられた人もまた、素晴らしいんですよ。

 善人にも。

 悪人にも。

 暴君にも。

 聖人にも。

 本当は人は、心持ち一つで何にでもなれるんです。

 どんなものにもなれる人は素晴らしい。

 舞台の上で役者は、絢爛なお姫様にも、七つの海を股にかける冒険家にだってなれます」

 

「役そのものになりきれる人は、新しい役を得るたび、別の人生を生きるといいます」

 

「それで自分の人生を見失ってしまう人もいます。

 でも、それでも、見失わなければ……

 あなたは役の数だけ人生を生きられる、この世で最も幸福な者になれます」

 

「大袈裟なんかじゃありません。

 この世の誰もが、一つの人生しか生きられないという制限を持っています。

 でも本物の役者には、そんな制限はありません。

 なりたいものになり、生きたい人生を生きる。望むまま、思うままに。それは、きっと……」

 

 

「それが、一生役者として生き続け、その中で幸せを得ていくということだと思います」

 

「俺は、景さんがこの世で最も幸せな役者になれるかもしれないと、そう思っています」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 そうなれたら素敵ね、と、私は答えた気がする。

 

 幸せになれるって、英二くんは言ってくれた。

 英二くんは私を見捨てないだろうって、何故か思えた。

 この人は私を幸せにしてくれるって、不思議と信じられた。

 良い友達と出会えたことが、私の幸福。

 

「なんでそこで笑うんだよ」

 

「私は慣れてきたわ、夜凪ちゃんのこの感じ」

 

 私は自然と、笑っていたらしい。

 真咲君が怪訝な表情で私を見ている。

 

―――映画の成功は主演にかかっている。彼女は一人ですべてを背負っているんだ

 

 英二くんや千世子ちゃんに内緒で、監督が私にした話を思い出す。

 六億の制作費も、撮影に関わった全ての人の想いも、デスアイランドという映画にかけた全ての人の願いも、千世子ちゃんは背負っているらしい。

 まだ新人の私でも、ここに来るまで色んなことがあったわ。

 千世子ちゃんはどうなんだろう。

 ここに来るまで、どれだけのことがあったんだろう。

 

 英二くんはそれを、どれだけ見てきたんだろう?

 

「千世子ちゃんは、どうして役者なんだろう」

 

 千世子ちゃんは、きっと聞いても答えてくれない。

 

 英二くんは、千世子ちゃんが秘密にしたいと思ってるなら、きっと答えてくれない。

 

 英二くんと千世子ちゃん以外の人に聞いてもどうせ知らないから、それを私が知る方法はない、と思った。

 

 

 

 

 

 町田さんがカメラの撮影範囲からどいて、カメラなどの撮影機材が、その広場の北を背景にする撮影から、その広場の南を背景にする撮影にシフトする。

 これで、カット単位だと別の広場での場面に見える……らしい。

 広場から見て東西南北全ての方向の森をパパっと整えた英二くんの手腕が、撮影に活きてる……らしい。そう茜ちゃんが言っていた。

 

 町田さんの代わりに私が入る。

 町田さんと千世子ちゃんの一対一から、私と千世子ちゃんの一対一へ。

 千世子ちゃんの前に行こうとする私に、手塚監督が耳打ちしてきた。

 

「次のシーンは夜凪ちゃんだったよね」

 

「はい」

 

「ちょっといいかな。今回は何も考えず思い切り演じてね」

 

「!」

 

 え?

 私に俯瞰視点で暴走しないようにするのをやめろ、ってこと?

 

「でもそれじゃ、私また迷惑かけてしまうかも知れ―――」

 

「そのくらいのつもりでやってよ。

 全力で()らないと、喰われて終わるよ」

 

 喰われて、終わる。

 茜ちゃんの時の芝居は、あれは、茜ちゃんの芝居が食べられちゃったってこと?

 茜ちゃんみたいに……私の演技も飲み込まれて、千世子ちゃんの引き立て役にされる?

 あの時は、茜ちゃんが引き立て役にされて少し嫌な気持ちがした。

 私も、そうなってしまうとしたら。

 

 じわりと冷や汗が出る。

 どうしよう。

 監督の言う通りにしていいんだろうか。

 そうしたら、また周りに迷惑をかけちゃうんじゃないの?

 迷う私が、監督の方を見る。

 

 監督の横に、英二くんが居た。居てくれた。

 

 私と英二くんの目と目が合う。

 英二くんが真面目な顔で、いつでも飛び出せそうな姿勢で、私が折った槍を完璧に直したものを傍らに、私の目を見て頷いていた。

 

 目と目だけで、伝えたいことを伝えられた。

 "いざという時はお願い"と私が伝える。

 "物ならいくら壊しても俺が直します"と伝わってくる。

 

 撮影序盤にも、こんなことがあった気がするわ。

 

 深呼吸。

 大丈夫。

 私が暴走しても、英二くんが止めてくれると信じて。

 私が物を壊しても、英二くんが直してくれると信じて。

 「ありがとう」を胸に抱いて、私は、英二くんが好ましく思ってくれた、私の芝居をする。

 

 私より、私のことよりずっと、千世子ちゃんのことが好きそうな英二くんが―――千世子ちゃんにだけは、絶対に怪我をさせないと、そう信じて。

 

 何の枷も付けずに、役に入る。

 

 集中。集中。

 でも、やっぱり変わらない。

 やっぱり……どうして、顔が、視えない。

 千世子ちゃんの心が、視えない。

 

 どうしよう。

 視えないなら、どうすればいいの?

 視えないものを視えるようにするには、どうすればいいの?

 もっと視える何か……たとえば、英二くんみたいな眼が、私にあったら。

 英二くんみたいな眼がある私にさえ、私がなれたら。

 

「夜凪さんは、お芝居が好き?」

 

 千世子ちゃんが、突然問いを投げかけてきた。

 やっぱりそうだ。

 千世子ちゃんの中には英二くんがいて、英二くんの中には千世子ちゃんがいる。

 だって、二人して似たような質問をしてくるんだもの。

 

 英二くんはあの時、私を役者として成長させるために問いかけてくれた。

 千世子ちゃんは、何のために私に問いかけてきたんだろう。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「俺はあなたが芝居を続ける限り、永遠にあなたの戦友です。

 呼ばれれば行きましょう。

 寝るなと言われれば不眠で従います。

 俺が作るものは俳優を輝かせるためにあります。でも大切なのは、あなたの気持ちです」

 

「湯島さんも、景さんも。

 俳優を続けるかどうかは、二人の意志が決めること。

 舞台の上で浴びるスポットライトも称賛も、辛さも悲しみも、その人だけのものです。

 俺は、二人に続けてほしいと思いますが……やっぱり大切なのは、その人の気持ちなんです」

 

「お芝居、好きですか?」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 好きと、私は答えた。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「なら、大丈夫です。名乗りましょう、役者を」

 

「きっとあなたは、世界で一番に幸せな役者になれます」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 そうだったら素敵ね、と、私は答えた気がする。

 答えは決まってる。

 迷うことはないわ。

 私は役者。

 私の友達が、そう言ってくれたように。

 

「うん。好きなんだと思う」

 

「……そっか、ごめんね」

 

「?」

 

 なんだろう。

 なんで謝ったの?

 

「本番!」

 

「本番!」

 

 本番が始まる。

 

 千世子(カレン)を友人だと思えないと、私はきっと台詞すら上手く言えない。

 でも大丈夫。

 演じられる方法が()()()()()ある。

 

 友達(たいけん)を代用して千世子(カレン)を創造しろ。

 

 武光君のように勇ましく。

 真咲君のように優しく。

 茜ちゃんのように綺麗な。

 千世子(カレン)は私の、大切な友達だ。

 

 ―――。

 

 あ。

 

 あ、カレン! 無事だったのね!

 死んだ人もいて、離れ離れになって……良かった……あなたは生きてたんだ……!

 ずっと心細かったの。怖くて、怖くて。

 カレンちゃんが見つかって、本当に良かった……嬉しいわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベンチを立った。

 夜凪さんから離れたかったから。

 夜凪さんに背を向けて歩き出した。

 夜凪さんに顔を見られないように。

 

 よく言えるよね、夜凪さん。

 何も分かってないから言えるんだろうけどね。

 

 英二くんが本気で気に入ってるなら、あなたは優しい人なのかもしれない。

 人を傷付けたり攻撃したりする言葉を喜んで吐くような、世の中に沢山いる人達みたいな人じゃないのかもしれない。

 でもそうなら、あなたは単純に私のことを何も分かってないんだと思う。

 本当に、私に、凄いこと言ってくるよね。

 

―――役者は皆そうなんじゃないの……?

 

 そういうつもりで言ってるんじゃないだろうって、想像はつくけどさ。

 

 ねえ、それ。

 

 自慢?

 

 皆そうじゃないよ。

 私はそうじゃないよ。

 当然のように言わないで。

 私は私にしかなれず、他の心を持った他人になれない。

 ずっとずっと、『百城千世子は百城千世子しか演じられない』って言われてきた。

 そうだよ、夜凪さんが言ってる芝居ができないからだよ。

 

 生まれて初めてした芝居でアリサさんの目に留まったような夜凪さんと、一緒にしないで。

 二回目のオーディションで英二君を見惚れさせるようなあなたと一緒にしないで。

 私は寝る間も惜しんでずっと研究と研鑽を繰り返して、それでようやく英二君の目に留まるような人間で、それまでは目にも留まらないような有象無象の一人でしかなかったんだから。

 

 あなたにできることが、私にできるわけじゃない。それが、辛い。

 

「……本当、やめてよ」

 

 夜凪さん。

 私のこと好きじゃないって、伝わってくるよ。

 だって私のこと少しでも好きになれたなら、メソッド演技を極めてる夜凪さんは、その時の好感を思い出して演技すればいいだけだもんね。

 

 英二君から聞いたよ。

 他の人への友情を代用して、私を友達だと思えるようにする特訓してたんだって?

 凄いし、駄目だよね夜凪さんは。

 私を好きになれないと普通に演技もできないし、だから私を好きになれないまま、私を好きになれる人格を作っちゃえるんだもんね。

 

 過去の感情を引っ張り出せる夜凪さんが、私のことを友達だと思えないってことは、今日に至るまでただの一度も私を好きになれなかったってことだよね。

 メソッド俳優が演技でも好きになれないっていうことは、そういうことだもの。

 いいよ別に。

 私もあなたに好かれようとは思ってないから。

 

 でもさ。

 

 『あの子と友達になれないなら、他の友達との友情を代用しよう』って考えるような人と、私は友達になりたくないかな。

 芝居に必要だから友達になろう、って寄って来る人と、私は友達になりたくないかな。

 友情は、あなたの芝居のための道具?

 

 私はね、ありとあらゆる打算抜きで、芝居や仕事に利用する気が全く無い、損得抜きの友達やってる英二君とアキラ君を見てきたから。

 互いのことが友達として好きになって、親友になった二人を見てるから。

 英二君もアキラ君も、大事な友達だから。

 

 私と友達になろうとして、なれなかった後に「でも私今日少しだけ千世子ちゃんと共演するし、困ったわ」なんて言ってる人と、友達になりたくない。

 残念に思う理由がそれって、本当筋金入りだよね。

 

 悪意が無いのは分かるよ。

 悪気が無いのも分かる。

 私と友達になったら、仲良くなって友達らしいことをしようとする人でもあるんだよね、夜凪さんはきっと。

 その上でこうなんだ。

 まるで、心も魂も、芝居の世界で生きていくためだけに出来てるみたい。

 

 夜凪さんは真っ当な友達関係の概念にすら、芝居の概念が浸透してる。

 時々、"芝居のために"という思考の下地で、ごく自然に考えてる。

 怪物の精神性。

 どこか何かがおかしい、本物の天才らしさを持った心。

 

 英二君が惚れ込むのも分かるかな。

 むしろ、夜凪さんの心の深いところまで覗き込んで『いい人』って言い切る人、英二君以外に何人くらいできるのか、私にはちょっと分からない。

 

 夜凪さんも英二君も、自分の才能を使える世界でこそ幸せに生きていける人達だ。

 だから、きっと―――英二君を夜凪さんに渡してしまえば、二人揃って、もう二度と手が届かない高い所まで、酷いところまで、行き着いてしまう気がする。

 

 いっそのこと、夜凪さんが"羨ましい"と欠片も思えないようなゲテモノか、私と正反対のタイプじゃなければ良かったのに。

 

 いっそのこと、夜凪さんが男の子だったら良かったのに。

 

 いっそのこと……もっと年上か、もっと年下だったら良かったのに。

 

 でも、そうじゃなかった。

 だから私は無視できない。

 ベンチから去る時も、私は夜凪さんに言わずにはいられなかった。

 

―――私達は友達にはなれないよ

 

 『友達になりたくない』って言いそうになった私を私が必死に抑えて、言いかけた言葉を途中で出来る限り柔らかい表現に言い変えた。

 

―――って、言ったらどうする? 演じられなくなる……?

 

 台詞の内容だけでも冗談めかして聞こえるように、付け足しの台詞も付けた。

 

 そうして、夜凪さんから離れた。

 

―――まとめあげてくれる? いつものように夜凪さんごと

 

 監督が言っていたことを思い出す。

 あんなこと言ってたけど……役者(ウソツキ)の顔してるよ、監督。

 

「ひと雨来そうですね。夏のこの辺りは天気変わりやすいから」

「マズイですよ、ここ撮り逃がすとスケジュール調整のきかない俳優が出てきます」

「うん、困ったね」

 

 天気を見て、英二くんや監督達が話し合ってる。

 嫌な天気。

 今にも、南の島特有の豪雨が降ってきそう。

 

 英二君の方を見ると、英二君は既にカメラの前に立っている私に見えるよう、私が欲しい情報を記載した大きな手持ちホワイトボードを抱えていた。

 最新の天気予報、降雨情報、現在の湿度、風速。

 隅っこには英二君が大まかに計算した降雨開始までの時間も書かれていた。

 ありがと。

 

 目と目で通じ合うとかそういうのじゃない、より多くの情報をより的確により早く伝え合うために使われる道具。ホワイトボードなどはまさにそれだね。

 私には欲しい情報があり、英二君はそれを理解してる。

 英二君は検索をかけて、私が撮影してる最中だろうと、ホワイトボードに書いてカメラの裏で掲げてくれる。

 互いが互いを理解してるから。

 私と英二君の間の情報交換に、齟齬も不足も誤解も無い。

 だから、安心して演じられる。

 

 夜凪さんの暴走も特に怖くはない。怖いのは、天気の方かな。

 

 映画にイレギュラーは当たり前。

 だから撮影は常に巻くべき。

 

「大丈夫、本番から始めようよ」

 

 演者が私と夜凪さんだから、この提案は確実に通る。

 私はNGを出さないから、いつ一発本番を撮っても問題がない。

 夜凪さんは、監督を味方に付けてる。

 

「じゃあそうしようか。ごめんね二人共、いきなり本番で行くよ!」

 

 ほら。

 こうなった。

 手塚監督とその手駒(よなぎさん)の関係を加味した上で、撮影をどう誘導すればコントロールできるかは大体分かってきたかな。

 英二君がカメラの後ろで、俳優に傘や雨合羽を配っているのが見える。

 大丈夫。

 今は余計なところまで気を配らなくていい。

 英二君が、私の意図を把握した上でやってくれる。

 

「夜凪さんは、お芝居が好き?」

 

「うん。好きなんだと思う」

 

「……そっか、ごめんね」

 

「?」

 

 ごめんね、夜凪さん、英二君。

 私は、夜凪さんの芝居を全部潰して加工してしまうかもしれないから。

 先に、謝っておくね。

 

 夜凪さんが目を閉じ、役に入っていく。

 友情を代用するなんて本当にできるのか?

 できたとして、それで芝居が成立するのか?

 分からない。

 でも、別にいい。

 この子がトチっても、私がカバーすればいいだけだから。

 

 夜凪さんはきっと、嘘を現実にすることを芝居だと思ってる。

 でもそれは間違い。

 現実はえてして美しくないから、嘘は美しく加工しなければいけない。

 芝居は商品なんだから。

 だから私はあなたの芝居ごと、加工しないといけない。

 

「全部……全部、私任せなんだもんなぁ」

 

 いいよ、それなら。

 

 私の芝居が夜凪さんの芝居の上に常に立っていればいい、それだけの話でしょう?

 

 カチンコの、音が鳴る。

 

「ケイコ、良かった無事で……他の皆は?」

 

「分からない……夢中で逃げているうちに離れ離れになってしまって……」

 

「そっか……ケイコだけでも無事でいてくれて良かった」

 

 予定通り憔悴した様子を演じる夜凪さんが、予定通りの台詞を口にして、予定通り私を嬉しそうな表情で抱きしめる。

 うん。

 

「本当に良かった……カレンちゃんが生きていて」

 

 へぇ……すごいな。

 ちゃんと台本通り適応してきている。

 良かった。もしいつものように暴走されたら、この子の芝居を殺さなければいけなか―――

 

「―――」

 

 油断した。

 夜凪さんが、泣いてる。

 

 予定にない唐突な涙。

 いつもの夜凪さんの演技じゃない。

 一瞬前までは予定通り再会の喜びを顔に出してたんだから、普段の夜凪さんの演技なら喜びから悲しみへの移行にワンクッションは入れたはず。

 あまりにも突然な感情の移行。

 さっきまで笑っていた人が、一秒後に悲しみの表情で泣いてたら、絶対にそれを見た観客の人は違和感を覚える。

 

 マズい。

 このままだと撮影のバランスが崩れる。

 芝居の熱量と湿度のバランスが崩れる。

 何か台詞をアドリブで……いや、それよりも。

 一回落ち着いて、カメラに映ってない死角にある私の目を動かして、英二君を見る。

 

 "夜凪さんの意図したものじゃなく事故"と書いたホワイトボードを掲げてる英二君がいた。

 うん、ありがと。

 これが夜凪さんの意図的な芝居じゃないって分かっただけありがたいよ。

 つまりこれは、感情で演じてるだけ、ってことだ。

 

 私も一瞬で涙を流す。

 夜凪さんより後出しで、夜凪さんより速く涙を溜めて、夜凪さんよりも綺麗な涙の流し方をして……夜凪さんの涙の一瞬を、私が飲み込む。

 夜凪さんの涙で、私の涙を引き立てる。

 

 そして、夜凪さんを抱きしめ返した。

 

 なんとか。これで、なんとかなった。

 

 油断も隙もないなこの子は。

 感情で演じるから芝居の温度を勝手に上げたり下げたりする……作品のバランスが崩れる。

 

 元々の予定では、再会を喜んだ二人が、友との再会を喜びながら歩き出していくという、悲劇の中のからっとした希望のシーンだった。

 でも、涙を流すなら話は別だ。

 

 "再会"自体はそこまで重く扱わず、サラッと流して"再会の後の再出発"を印象的に見せるはずのシーンなのに、涙を流してしまえば"再会"を重く扱うしかない。

 涙を流して再会を喜ぶケイコをカレンがさらっと流せばカレンの観客評価は下がるし、何よりキャラが崩壊する。

 カレンのキャラを維持するには、咄嗟にケイコに合わせて涙を流し、「二人は同じ気持ちで嬉し泣きした」というシーンに改変するしかない。

 

 この後のシーンでカレンとケイコの再出発シーンを後にズラした形で入れるか、それともそもそも二人の再出発シーンをカットするか。

 脚本の調整を監督と話し合わないと。

 感動点も増えた*1から、調整も話し合わないといけない?

 いや、そもそも。

 この状況の原因……やっぱり、監督にありそうな気がする。

 

「カット、OK!」

 

 カチンコの音が鳴る。

 よかった。

 とにかく、手綱は握れた。

 クライマックスのシーンもこうやって手綱握れたらいいんだけど、正直ヒヤリとした。

 危なかったかな。

 

「お疲れ様、良かったよ」

 

 英二君にお疲れ様と相談内容を言おうと歩き出した私に、すれ違いざまに監督が言う。

 軽薄な笑顔。

 しれっとした発言。

 怒った顔は見せないよ。私はあなたにも微笑むだけ。

 

「私と夜凪さん、どっちも煽ってどういうつもりかな?」

 

 返答は無し。

 無言は肯定ってことでいいよね。

 

 ねえ監督。作品を無事に完成させる気があるの?

 

 なんだかどっと疲れた。

 体じゃなくて、心が。

 でも顔には出さないように。あ、英二君。

 お疲れ様。さて、なんて声をかけようかな? 初手でからかうような話題でも楽しいかも。

 

「夜凪ちゃんびっくりしたよすごかった!

 あんな繊細な芝居ができるなんて知らなか―――

 え……夜凪ちゃん?

 夜凪ちゃん大丈夫……? まだ涙とまらん?」

 

「お芝居の……途中で……千世子(カレン)の顔が……」

 

 そう、思ってたのに。

 私が英二君に声をかけるより先に、夜凪さんが、妙なことを言い始めた。

 

千世子(カレン)の顔が崩れていって。

 そこにあったのはいつもの"天使"の顔で―――

 あれが仮面……?

 ごめんなさい。びっくりしてお芝居を途中でやめてしまった……」

 

「? お芝居で泣いてたんちゃうの? じゃあどうして」

 

「……あんな仮面を被り続けている、千世子ちゃんが可哀想で」

 

 

 

 ―――あんな仮面? 可哀想?

 

 

 

 今。

 

 夜凪さん、私になんて言った? 私の何を、なんて言った?

 

 あんな仮面? 可哀想?

 

 顔を見れば分かる。

 私を哀れんでるね。

 夜凪さんは私に同情してるんだね。

 "あんな仮面"を付けてるから。私が可哀想だから。

 

 

 

 ねえ、ふざけてるの?

 

 

 

 私は足を止めて、振り返り、夜凪さんを見る。

 鏡を見なくても分かる。今の私は、ほんの僅かにニコリとすらしていない。

 

 抽象的な私の仮面表現。何を見た? 何を視た? 何が視えるようになった?

 

 私は芝居の途中に何か変わったことはしてない。隙も見せてない。

 なら、変わったのは夜凪さんだけのはず。

 夜凪さんが演技中に急成長した? 何かのコツを掴んだ?

 顔が視えないと言っていた私に対して、深いところまで見えるようになった?

 他人の何かの技能を盗んで、それを今使えるようになった?

 

 そうだ、この抽象的表現になる眼は―――()()()()

 

 感覚の眼。

 本能の眼。

 普通の人間に見えてる景色とは全然違う、英二君だけに見えていた人の本質的な部分や深い部分まで見通す、英二君だけが持ってた眼。

 

 ああ、そっか。

 

 持ってなかったはず。

 夜凪景は、そんな技能は持っていなかったはず。

 持っていたのは役者としての天性の才能、周囲を引きずり込むブラックホールみたいな演技、そして極めたメソッド演技という特性だけ。

 『異能じみて眼が良い』なんて個性は、本来の夜凪景には無かったはず。

 だからここまで、私の深いところまで見抜けていなかったんだから。

 

 ()()()

 盗んだんだ、()()()()()

 あるいは……夜凪さんを見出したっていう黒山墨字さんや、手塚監督からも。

 でもやっぱり、私の深いところまで覗き込んで来たなら、それはやっぱり英二君の眼だ。

 

 私から俯瞰の眼を盗めるなら、英二君の眼だって盗める。そっか、そうだよね。

 

 黒山墨字さんあたりから、デスアイランドで周囲から手当たり次第盗めとでも言われてた?

 

 ああ。

 なんでだろう。

 私の技能を盗まれるより……英二君の技能を盗まれる方が、癇に障る。

 

 なんでだろう。

 バカにされるより、可哀想と哀れまれた方が、癇に障る。

 

 なんでだろう。

 なんで、ただの仮面を"あんな"と言われただけで、こんなに苛立つんだろう。

 ただの仮面なのに。

 実際にある仮面でもなく、私の技能がそう呼ばれてるだけなのに。

 

 ああ、そっか。

 私のこの仮面を好きだって言ってくれた人がいたからかな。

 私がこの仮面を作るのに、結構頑張ってきたからかな。

 人生をかけて作り上げてきた『百城千世子』っていう名前の仮面が、これだから。

 

 こんな風に言われて初めて気付いた。この仮面は、私の誇りだったんだ。

 

 私が人生をかけて作り上げてきた仮面を、英二くんが私の人生ごと肯定してくれていたことを改めて噛み締めながら、夜凪さんを見る。

 もしかしたら、睨みつけているかもしれない。

 

 夜凪さんはどの程度かは分からないけど、英二君に近い視点を手に入れた。

 英二君レベルの才能を完璧に模倣できたとは思えない。

 それでも、一部だけでも模倣できたなら十分。

 夜凪さんは、この世界で唯一の、英二君の最大の理解者になれる。

 だって、同じ景色を見ることができるんだから。

 

 ……渡さない。

 他の誰かでも、英二君を幸せにできるなら、英二君の何もかもを独占してこの業界から消えたって、私に止める権利はない。

 親友でも、相棒でも、恋人でも、仲間でも。

 英二君が誰か一人を選ぶならいい。

 

 でも。

 

―――……あんな仮面を被り続けている、千世子ちゃんが可哀想で

 

 英二君が夜凪さんだけのものになることだけは、絶対に許さない。

 

 このデスアイランドで、夜凪さんが私の上に行くことも許さない。

 

 心で演じるあなたが、そうでない私に競い勝つことも許さない。

 

 もしも映画の邪魔になるなら。あなたの芝居は、全て殺す。絶対に。

 

「監督の言ってた意味が分かった……もう一度やりたい。やらせて下さい」

 

 もう一回やり直したいんだ、夜凪さん。

 私を見て怯えることもなくなったね。

 私の仮面、そんなに気に食わない?

 いいよ別に。

 何度でも受けて立ってあげる。

 

 本番なのに、撮影の途中でびっくりしてお芝居やめちゃったんだっけ?

 そんな人に、私は負けない。

 自分の芝居に自信がなくなるまで、時間が許す限り、叩き潰し続けてあげてもいいよ。

 

「うわ、来た」

 

 突然に現れる雨音。……ああ、これは駄目だ。

 雷が落ちてきて、一瞬で豪雨が降ってくる。

 雨粒一つ無かった天候は一気に、地面の表面すら押し流すくらいの雨天に変わる。

 これで撮影続けるのは無理だね。

 

「……今のOKでいいよね」

 

 やり直しはなし。

 夜凪さんは芝居ができなくなって泣いちゃったって言ってたけど、これ撮り直しできるような時間的余裕はないんだよ。

 私は無言のままの夜凪さんの横を、微笑みながら通り過ぎる。

 

「仮面の強度が上がれば上がるほど、千世子ちゃんは孤独を感じないの?」

 

「夜凪さんに同情される謂れは無いかな」

 

 仮面は私の素顔を隠す。

 もう仮面が私の素顔になるくらいに、私は『百城千世子』の仮面を磨き上げてきた。

 仮面の強度が上がれば上がるほど私は孤独になっていくような気はする。

 でも、私を孤独にしない人がいると、私は確信もしてる。

 

 ああ、そっか。

 今の夜凪さん、英二君と似たようなものが視えてるんだっけ。

 だからそんなこと言っちゃうわけだ。

 うん、分かった。

 

 英二君が私を尊敬してたり、私に優しかったりするのって、そういうとこにも理由があったのかな。それを教えてくれたことだけは、感謝してあげる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中一人でいたら、強引に上から雨合羽を被せられた。

 あ。

 英二君。

 

「何してるんですか! 早く宿泊施設に戻って下さい!

 皆さんに傘などはもう配りましたよ! 百城さんが最後です!」

 

「……この雨合羽、英二君のじゃない?」

 

「俺のは俺のでありますからさっさと宿泊施設に戻って、暖まって着替えて下さい!」

 

 本当に嘘下手だなあ英二君。

 愛用の雨合羽とかでもない限り、こんなに英二君の匂いしないと思うよ。

 

「それとも車回しますか?

 俺は今大至急の片付けやってるので、車の暖房でちょっと我慢していただきますけど……」

 

「英二君」

 

「はい、なんですか?」

 

「私を、かわいそうだと思う? どんなことでもいいんだけど」

 

 英二君は、すぐに答えた。

 

「思いません」

 

 考える様子すら見せない。

 それは、英二君にとって私がどういう存在なのかを、如実に私に理解させた。

 うん。

 私は、綺麗でいよう。

 私は、凛としていよう。

 この仮面はやっぱり、私にとって大切なものだ。

 

「かわいそう、ってなんかこう。

 上から目線気味というか……

 恵まれた者が、恵まれてない者を見る時に言われるのが基本というか。

 貴族が乞食にかわいそうって言うことはあっても、逆は無いですよね、多分」

 

 そうだね。

 

「俺、上から目線で百城さんを見たことありましたっけ……?」

 

 ……そうだね。

 

 英二君はいつも見上げるように見ながら、怖いくらいに平等だ。

 才能が無い人と才能が有る人の評価に上下を付けながら、大体見上げるように見てる。

 うん。

 大丈夫。

 英二君が私を可哀想だと思ってないなら、私は大丈夫。

 

 私は仮面を付けてるから可哀想なんじゃない。

 私は仮面を付けてるから誇らしいんだ。

 

「ないよ。英二君、私をいつも見上げるように見てるもんね」

 

 良かった。

 私はまた笑える。

 まだ微笑みの仮面を付け直せる。

 また夜凪さんに仮面にヒビを入れられそうになったら、英二君に笑顔を貰いに来よう。

 

 英二君なら笑顔をくれると、信じておこう。

 

 英二君の車の中に私を置いて、英二君は急に降り出した雨の中走り出す。

 雨合羽の中で私が体を丸めると、英二君の匂いがした。

 私に着せるまで英二君が着ていたからか、英二君の暖かさを感じる。

 暖かい。

 

「美術監督! あなた自分の分の傘と雨合羽どこやったんですか!」

 

「……他の人にやっちゃいました!

 さっさと片付けて戻りましょう!

 あったかい季節と言えど流石に長居してたら風邪引きそうです!」

 

「僕の雨合羽使ってください!

 美術スタッフには代わりいますけど、朝風さんに代わりはいないんですよ!」

 

「……すみません、借ります! ありがとうございます!」

 

「あーもう、なんで美術の一番偉い人が傘も雨合羽も無しに雨の中片付けに奔走とか!

 そういうのは下っ端にやらせとけばいいんですよ! いい加減立場に慣れて下さい!」

 

 車の外から、喧騒が聞こえる。

 外の小さな声は私には聞こえず、私の小さな声も外にはきっと聞こえない。

 雨合羽にくるまって、私は呟いた。

 

「分かってたつもりだったんだけどね」

 

 心に浮かぶ人は、ただ一人。夜凪景。

 

 こんなにも友達になれなそうな人と、私は出会ったことはなかった。

 

 なんでこんなに反発するのか。

 理由はいくらでも考えられる。

 でもなんだか、私が気付いていない別の理由がある、そんな気もする。

 

 私の手が私の頬に触れ、頬をなぞる。

 不可視の仮面。

 私の顔に貼り付いた仮面。

 触れないはずのその仮面をなぞるように、指を動かす。

 

「私、自分で思ってた以上に、英二君に『これ』を褒められるの、気に入ってたみたい」

 

 夜凪さんには分からない。

 

 素顔ですら付け替えられる夜凪さんには、分からない。

 

 私はあなたになんてなれない。あなたみたいな好かれ方は、できないんだから。

 

 

 

*1
様々なローカルの呼び方があるが、感動させる展開のこと。例えば、王道の映画の中に泣ける場所を一箇所作ると、観客は素直にそこで感動し涙を流すことができる。しかし映画一本で泣ける箇所を百箇所も作れば、観客は「はいはい」としか言わずどこでも泣かない。感動のシーンは少ないと感情が集中し、感動シーンをあまりにも多く詰め込みすぎると白けてしまう。キャラが百人死ぬ映画よりも、キャラが一人死ぬ映画の方が、人一人の死の衝撃は大きい。




 原作でもそれまで『何も視えない』だった夜凪が、突然芝居の最中に『視える』技能に目覚めて千世子ちゃんの仮面の本質的なところが視えるようになり泣き出さなければ、何のトラブルもない撮影だったと思います

 原作デスアイランド編が7話~23話で今が17話くらいに相当する進捗度ですね

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