ノット・アクターズ   作:ルシエド

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更新が空き気味ですが最近リアルがそういう状況になってきただけなので気にしないでください


奴らは俳優でないがために(ノット・アクターズ)

 18日目夕刻、夜凪と千世子の初一対一共演撮影、台風襲来。

 んで現在、19日目朝。

 俺達は台風がうるせえ屋外とはうってかわって静かな部屋で、話し合いを始めていた。

 

「では今後の方針を考えましょうか」

 

 司会進行はチーフ助監督。

 話に加わりながらホワイトボードとかを運んで来る他の助監督、上座に座ってる監督にプロデューサー、照明やら編集やらにスタントマンの代表といった各部門のトップ、ついでに百城さん……といったメンツが席についてる。

 さーて。

 こっからが面倒臭えんだこっからが。

 

「朝風さん、何が重要だと考えてますか?」

 

「無駄省くだけでどうにかなるもんでもないですね。

 根本から改造が必要だと思います。

 スケジュールは全部見直し……それでもやっぱキツいかと」

 

 元々のスケジュールだって、スターズ人気若手12人集めた時点でクッソギチギチなスケジュールだっただろうが。

 いやこっから更に加速ってキツくね?

 

「一人ずつ意見か腹案があったら言っていきましょうか。ではまず自分から」

 

 お、アクション監督。

 各俳優のアクションシーンの責任者視点ではどう見える?

 

「英二君と前に話しましたが、ここの島の土質はこうなってます。

 参考元は役所が三年前に公開した資料です。

 するとですね、この豪雨の影響が一部ちょっとマズいです。

 地面がぬかるんでアクションが無理なところが出て来ると思いますね」

 

 そうなんだよな。

 

「よってプランを整理しました。

 乾くのが速い土壌での撮影を20日目に。

 それ以外を21日目、22日目以降に回すことを提案します。

 幸い島です。砂浜などは雨の直後でも撮影はしやすいかと」

 

「異議なしです」

 

「それと、アクションごとに濡れた地面でもしやすいものを先に回す方がいいかと。

 地面を走るものは転倒のリスクがあっても、最初から転ぶ予定のものならば―――」

 

 近年、大抵の映画には何かしらのアクションがあり、そいつを管理する人間がいる。

 この意見は重要だ。

 

「照明担当です。一部照明機材には防水機能に不安があります。

 また雨が降ってきたらちょっとショートが怖いですね。

 前回の撤収作業は間に合いましたが、次は間に合うかどうか。

 英二君に細部を守るカバーとかパパっと作成してもらいたいんですが」

 

「どう? 英二君」

 

「今日中に時間を見つけてそっち回ってみます」

 

 オッケーオッケー。

 ま、一時間もありゃできるだろ。状況に合わせた小物作成でしかねえしな。

 

「アクション監督や照明も話したと思いますが……

 千世子ちゃんと僕も話しました。やはり俳優視点でもスケジュールが厳しいという判断です」

 

「助監督……」

 

 そう、そうだ。

 今会議がこんなにスムーズに進んでんのは、百城さんが事前にそれぞれの人と話して、それぞれの人に意見を言って、それぞれの考えをまとめてきたからだ。

 だから今ここに百城さんがいて、俺の隣に座って会議に参加してても、誰も文句は言わねえ。

 会議がスムーズに進んでんのは、台風の後の対策案を沢山考えてた百城さんの力でもあると、皆分かってるから。

 

 百城千世子はいざとなりゃ、撮影全体だろうとも支配し、改善する。

 

「こちらとしてはカット結合を提案します。

 いくつかのカットを結合して長回しにしましょう。

 それと脇役の台詞整理はやはり必要です。

 一つのカットが数分に伸びる分、千世子ちゃん以外にはミスのリスクが出ます。

 千世子ちゃん以外がミスするリスクを減らすため、台詞が長く多いのは千世子ちゃんだけに」

 

「カット数減ってる分オーディション組にスポットが当たりにくくなりそうですね」

 

「影響は少しです。オーディション組には我慢してもらいましょう」

 

「助監督のこの提案はどうしましょうか? 結構大きいと思いますが」

 

「うん、いいんじゃないかな」

 

 カットは撮影の最小単位だ。

 カットを短くしてこまめに撮影を区切るっていうのは、ゲームで言えば細かく細かくセーブしていくようなもんだ。

 一度のミスで失われる撮影範囲損失を最小に抑えることができる。

 逆に言えばカットを結合して長回しを増やせば、その分かなり早く撮影を終えられる。

 

「英二君、何かある? 大幅に時間早められそうなの」

 

「大幅に、というほどではありませんが……」

 

 お、よし、俺の出番だな。

 

「18日分の現地での蓄積情報を反映します。

 例えばここの海砂浜撮影とここの森撮影……

 これらはA地点とB地点での撮影予定でしたが、C地点での撮影を提案します。

 ここでなら東を向けば海砂浜撮影、西を向けば森の撮影に見えます。

 撮影現場の移動の時間を極限までカットできると、俺は考えますね」

 

「……おお!」

 

「もっとも、ここ以外だと流石に撮影イメージが乖離しすぎて無理だと思います。

 なので、今日朝から美術は作業を開始しました。

 今日一日を撮影に必要なものの造形や情報集めにあてます。

 ダンボールの上に予定使用日時を書いて、ダンボールごとに物を仕分けする予定です。

 その日ごとに日付が書いてあるダンボールを現地に運搬していただければ幸いです」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

「あと、これは俺の個人的予定ですが……

 予報だと今夜には台風は過ぎ去ります。

 一部の撮影機材を夜明け前から撮影予定地に運び込もうと思ってます。

 20日目の早朝から撮影開始できるようにしておけば、時間に無駄がないかと。

 美術の人間は今日一日仕事の予定なので、夜くらいは休ませてあげたいですしね」

 

「ああ、それなら私も手伝おう」

「僕も行くよ。何人か連れてく」

 

「いいんですか? ありがとうございます」

 

 ありがとよ、助監督! スタントマン代表!

 

「ちょっといいかな、再確認になるけど」

 

「プロデューサー」

 

「交渉したけど、やはり千世子ちゃんがネックだね。撮影期間の延長は無理だった」

 

 だよなー、クソ。

 

「広告代理店や配給の意見はやはり強固だね。

 一定以上の期間を広告宣伝に使いたくてたまらないようだ。

 百城千世子主演に、脇を固める11人のスターズ人気俳優……

 予想以上に彼らは期待していて、頑なになっている部分も否めない」

 

「でしょうね……」

 

「で、ちょっと思い出したんだけど。

 英二君から前に聞いた"第二班"の話と、和歌月さんが海に落ちた刀を回収しに言った話」

 

「え?」

 

「ええと、特撮系ではありがちなんだっけね。

 物拾いとかもするやや便利屋気味の班とか、そこの班に付け足す別班とか」

 

「ああ、はい。確かにそういうのはいますね」

 

「英二君が一番便利屋じゃない? ここ。

 じゃあ英二君の手足増やしたり、英二君の個人負担減らしたり……

 そういうのができれば、撮影の柔軟性増やせそうな気がするんだよね。

 もうこうなったら雑多でも人増やすしかないでしょ? この撮影。

 でも有能な人間を急に増員するのは日程的には不可能だ。

 単純作業くらいしかできなさそうではある。

 だから、増やした人間を英二くんの下に付けようかなって。かなりの荒業になるけどね」

 

 おいおいマジかよプロデューサー。

 つまりあれか、俺を使い潰すくらいの勢いで多用するってことか?

 責任重大……いや、期待重大ってとこか。

 

「監督」

 

「なんだい? プロデューサー」

 

「英二君を助監督にしましょう」

 

「えっ」

「えっ」

「え?」

 

 はい?

 

「名目上や書類上は美術監督のままでもいいですし、兼任でもいいです。

 ともかく、フォース助監督でもいいので、そういう位置に彼を置いておきましょう。

 正直言って彼に美術だけやらせておくのはあまり得策ではないと思います。

 メイクや簡易編集もできるんでしょう、彼。何でも屋の位置にまで上がってもらわないと」

 

 ……ああ、別班監督って意味での助監督か。

 『特撮ユニット監督』や『B班監督』など呼び方に違いはあるが、色んな撮影に存在する、監督の手足にして独立した班を指揮する個別頭脳。

 そういうもんの一つにまで俺を格上げするって話か。

 

「あ、じゃあ自分をフォースに格下げしてもらってもいいですか?

 その数の人使うとなると朝風さん最低でもサードに上げた方がいいと思います。

 俺はフォースに降りて、状況を見て朝風さんの指揮下に入る感じでどうでしょうか」

 

「いいね、じゃあそうしようか。

 今日までのサード助監督はフォース助監督に移行。

 英二君はとりあえず美術監督兼サード助監督で」

 

「え、マジで俺明日からサード助監督なんですか?」

 

「違うよ、今日からサード助監督だ」

 

 うがァ! 仕事が増やされるだけの実務上の昇格ッ!

 

「名目上は美術監督だから映画の美術賞を受ける権利はそのままだよ」

 

「……はい」

 

「あと、報酬は二役職で二重取りできる扱いにしておくから、その分頑張って」

 

「……はい」

 

「人員増やすのは今日明日にってのは無理だけど、数日中には来るから準備だけしておいてね」

 

 給料二人分頑張れってかクソァ!

 やってやるよ!

 金なんざもらわなくても元からそのくらいは頑張るつもりだったっつーの!

 

 会議は踊る、んで進む。

 

「皆さん、頑張りましょうね」

 

 話し合いの終わり際に、皆にちょっとしたことを話した。

 

「さっき俺は、撮影場所を変えることで複数の撮影を一箇所での撮影に統合する話をしました。

 ですがこれは、今年度入った新人の方の提案なんです。

 撮影の最初の方、廃校舎の一階の一室の内装美術を失敗した、あの新人です」

 

「ほう」

 

「彼は撮影初期の方で確かに失敗し、堂上さん達にフォローされました。

 ですが、それを反省し、『ここはカメラにこう映る』をずっと研究してたんです。

 島の色んな場所を携帯で撮影し、独自に研究していました。

 『カメラにどう映るか考え失敗しないようにする』、を彼なりに頑張ってたんです。

 昨日、美術の人間で一回話し合いをしました。

 その時、カットごとの撮影を統合すればという俺の案に、彼は最高の提案をしてくれました」

 

「なるほどなぁ」

 

「彼のおかげです。彼は同じ失敗がしたくなくて、カメラに映るものを気にしてたんですね」

 

 皆、頑張ってくれてる。

 

「今、新人の方まで頑張ってくれてます。

 裏方全体のモチベーションはかなり高いです。

 もはやこの撮影固有の強みと言ってもいいでしょう。

 ここからは無茶な撮影になると思いますが……この強みを活かせれば、きっと成功しますよ」

 

 隣の席の百城さんが笑うような、そんな気配がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 20日目。

 しゃあっ、晴れた!

 

 今日はスターズの若狭さん、そしてオーディション組の八代さんがオールアップだ。

 オーディション組のオールアップは初めてだな。

 スケジュールギチギチなスターズ組を最初の方にできるだけ片付けちまおうって話だったからそりゃそうなんだが。

 しかしこれでデスアイランドのメガネ男は全員オールアップか。

 メガネ男全滅だなぁ。

 島を離れるのは次の仕事入ってるだけで、俺を前に俳優との話し合いに誘ってくれた八代さんは島に残るから、撮影に戻ろうと思えば戻れる状態をキープされるんだが。

 

 若狭さんが話しかけてくる。

 

「ちょっと今日は、こっちも君もスケジュールギチギチだから、島出る時は会えないと思うんだ」

 

「ですね」

 

「だから今の内に言っておくよ。後は任せた」

 

「はい」

 

 おう、任せろ。

 

 よし、いい感じだ。

 昨日一日台風はずっと島にいたが、その御蔭で室内での物作りに一日使えた。

 カメラを乗せる高さ調整の台を作り置きできたおかげで、撮影中に高さが合わなくて間に合わせの台を作る必要とかもねえ。

 森の奥に広げて張ることで、森の中に望んだ感じの背景を展開できる背景用シートなんかもいざという時のために作成済みだ。

 

 撮影は加速できる。

 トラブルがあっても足止めされねえ。

 美術造形分野においては、少なくとも昨日、24時間分のアドバンテージを作れた。

 もう起こるんじゃねえぞアクシデント!

 

 

 

 

 

 21日目。

 20日が消化され、撮影予定日程を2/3を使い切っちまった。

 あと10日。

 だが相変わらず、日程に余裕はねえ……というか、全然日数足りねえ。

 

「英二君、この先一週間、私が個人的にどうしたいかを書き出しておいたから見ておいて」

 

「分かりました。百城さんと一心同体になるつもりで行けばいいんでしょうか」

 

「うん、そういうこと。私の思い通りに動いて、私の意に反しないでくれると嬉しいな」

 

「分かりました。俺は撮影終わりまであなたのものです」

 

 百城さんの意向に自分を最適化する。

 じゃねえと、俺が全力尽くす程度じゃ間に合わねえ。

 百城さんは撮影全体をコントロールして加速させることすらできるが、それは百城さんが万能だってことを意味しねえ。

 百城さんにも服や背景は作れねえしな。そういうとこは俺がカバーしねえと。

 

 百城さんは息をするように、化物みたいなことをやってのける。

 

 複数のカットを繋げて、NGを出さねえでワンカット撮影で完了させる。

 本来ちょっとずつ撮影して、撮影した映像を接合して完成させるはずの映像を、ひと繋ぎの撮影一回で完了させて、ミスもやり直しもねえ。

 NGが全く無い、ってのが異常過ぎる。

 NG絶対に出さねえ俳優なんて他に見たこともねえ。

 監督達の脳内イメージってのは皆で見ることなんて不可能で、けれどそれにそぐわねえ芝居はどんなに上等でもNGになるからだ。

 他人の脳内を把握する技能がある程度なけりゃ、NG完全0は達成できねえ。

 おかげで早く終わるのはいいが、これは他の人には真似させられねえな。

 

 百城さんと10人の俳優が現場にいる。

 1人の俳優と百城さんが共演すると仮定し、共演一回に時間1、休憩に時間1を使うと仮定する。

 10人との俳優と一人ずつ共演して撮影していったら、全部が終わるまでに使う時間は10、撮影の合間に休憩一回ずつ取って9回、撮影と休憩の合計で使う時間は19。

 ところが百城さんは、この休憩のカット削減を提案し、俺達裏方も乗った。

 

 10人の俳優は9休んで1出る。

 百城さんは10出っぱなし。

 そうすれば、百城さんが芝居に疲れさえ出さない限り、倍近え速度で撮影を完了できる。

 もちろん裏方の俺達も10出ずっぱりでハードな撮影になるが、カメラマンや照明でローテを組めば休憩できなくもねえ。

 本当に出ずっぱりなのは便利屋のサード助監督業務についた俺、椅子に座って撮影の総指揮ずっとやってる手塚監督、そして百城さんだけだ。

 

 百城さんだけには、代わりはいねえ。

 百城さんの立ち位置だけは、ローテーションが組めねえ。

 主役だからこそ出番も極端に多く、百城さんの出番が終わる気配も全くねえな。

 

 百城さんの撮影を先に詰めて撮っておけば、たとえば30日目終了時点で撮影が全部終わってなくても、百城さんを島から帰して31日目の撮影ができるかもしれません、と提案したのは俺だ。

 だがこうして見ると、百城さんにかかる負担は予想以上で、それに余裕で耐えてる百城さんの耐久能力も予想以上だった。

 ミスが出ねえよう百城さん以外の台詞を極力削り、百城さんが長回しの演技と長台詞を完璧にこなし、NG無しゆえにカットが恐ろしい速度で消化されていく。

 

 百城さんの能力の高さも目につくが、地味に景さんの成長も凄まじい。

 

「夜凪さん、なんだか芝居の迫力を維持したまま台本通りの芝居をするの上手くなりましたね」

 

「そう?」

 

「そうですよ! なんだかちょっと、スターズの女優さんみたいです」

 

「ああいうのもあるんだな、って思ったから」

 

 景さんファンの木梨さんがまた景さんの演技に感銘を受けてる。

 ま、そうだよな。

 言語化し難いような細かい技術を他の役者から吸収してる景さんは、小さな振る舞いの一つ一つのクオリティが加速度的に上がってる。

 よく見ねえと分からねえが、よく見りゃ一目瞭然なレベルにだ。

 

 プラモデルのパーツの切り取り跡にヤスリをかけるようなクオリティアップによって、景さんのレベルはかなり百城さんに近いところまで来てる。

 あとは景さんの心の姿勢一つ、だな。

 

「A班移動しますよ!」

 

「え? でも朝風さん、まだこっちの撮影が終わって……」

 

「テンポよく撮影進めるために次の撮影現場に行って俺達が場を整えます。

 撮影場所の"美術"を完成させられるのは俺達だけですからね。

 大丈夫です、向こうでも俺が指揮執りますから。時間ありません、行きますよ!」

 

「「「 はい! 」」」

 

 現場離れる前に「百城さんを移動させる時は車の中でゆっくり休ませてあげてください、お願いします」と一言だけ言い残して行く。

 心残りにもほどがある。

 正直現場には全部居てえが、俺が先行しなきゃ最高テンポで撮影はできねえ。

 百城さんに美術指揮は無理だし、百城さんの体は一つしかねえから、撮影中に次の現場に先行して撮影を加速させることもできねえ。

 こいつは俺がやるべきことだ。

 

 百城さんが俺達を信じて多くを任せ、無茶な加速を要求する。

 俺達は信頼に応える。

 俺はこの現場と残った少しの美術仕事を、他の人達と一部の美術に任せる。

 仲間は信頼に応える。

 

 予定になかった無茶を他の人に要求してる時点で、俺達の仕事は、互いを信頼し、信頼に応え合うために全力を尽くすということでしか成立しないものになっていた。

 

 

 

 

 

 22日目。

 俺は平気になってきたが、ぼちぼちスタッフに疲れが見えてきた。

 30日目以降に規定の休日を回してもらってるからな。

 休みなく働き続けてもらうようなもんだ、こうなるのも仕方ねえ。

 

 今日明日の午前午後を四つに分け、それを八つにわけ、チームを八チームに分割。

 今日と明日で一回は、午前の半分か午後の半分を休めるようにしとこう。

 南の島でゆっくり休んでくれ。

 チームの人数が7/8になるくらいなら俺の尽力でカバーできる範囲だし、問題はねえはずだ。

 

「お疲れさん」

 

「あ、茜さん。源さんに烏山さんも……お疲れ様です」

 

「お疲れ様です!」

「ずっと動き回ってて疲れないんスか、英二さん」

 

「休む時に休んでますから、大丈夫ですよ」

 

 気遣いサンキュー。

 頑張ってくれよ。

 前半部でスターズが頑張って結構早く撮影終わらせてくれたってことはな、後半はオーディション組にガンガン頑張ってもらわねえといけねえってことだ。

 

「夜凪ちゃんと千世子ちゃん、どっちにも完璧に合わせるのって大変そうやなあ」

 

 茜さんが明るく笑う。

 心の中で一区切り付けてからのこの人は、本当に朗らかに、自由に見えるな。

 

「百城さんは(せわ)しいですし、景さんは鈍感主人公みたいな人ですしね。苦労はあります」

 

「は?」

「ん?」

「そうですな、全くです」

 

 あれ、烏山さんにしか正確に伝わってねえかな、俺の発言意図。

 

「まあ、あれはあれでいいんだと思います。

 ほら子犬とか小動物とか、ああいうのって人間に愛されようって思ってないじゃないですか。

 毎日本能的に精一杯頑張ってて、その結果として愛される。

 愛される自分を作るとか、周りに病的に気を使うとかもない。

 景さんは百城さんの正反対なので、そういうタイプである側面もあると思うんですよね。

 "愛される努力をしてない"属性みたいな。

 あの人は自然にやってるだけで愛されるというか。こっちの気も知らないで罪な人ですよ」

 

「……あー、うん、まあ、夜凪ちゃんは異性に好かれても気付かなさそうな子やな」

 

「でしょう?」

 

 ただあの人が鈍くてもいいんだ。

 鈍いところを好ましいとも思えちまうし、抱いた好感が損なわれる気は全くしねえ。

 あばたもえくぼとは言うが、こいつは惚れ込んだ俺の弱みだな。

 

「第一、他の人気にしてる場合ですか。

 皆さんも他人事にしてていいことじゃないですよ?

 120%の力出してください、120%の力! ほらほら撮影に戻って!」

 

「はい! 俺達の演技に悪いところがあればビシバシ言って下さい!」

 

「はぁーもうなんだ、残り1/3切ったと思ったら、俺ら急にキツくなってなんだこれ……」

 

「シャキッとし、真咲ちゃん! うちらの事務所の看板に悪評付けちゃいかんで!」

 

 頼むぜ俳優陣。

 

 分かってると思うが、百城さんが失敗しなくても、他の俳優が失敗したら撮り直しだ。

 百城さんがNG出さなくても、あんたらがNG出したらNGだ。

 百城さんが長台詞を失敗しなくても、あんたらが長いシーンで一つでもつっかえたら終わりだ。

 映画は、一人じゃ撮れねえからな。

 

 『一回もNGを出さず息をするように高難易度の長台詞を連続で成功させ続ける』っていう化物じみた百城さんの強さが目に見えてるのは、それが周りの失敗で台無しになってねえのは、あんたらが優秀な証明だと、俺は知ってる。

 

 他の誰が褒めなくても、俺は心の中で讃え続ける。

 

 

 

 

 

 23日目、夜。

 

「……」

 

 もう、溜め息しか出なかった。

 

 外には雨が降り。

 

 ネットの最速情報を確認したところ、台風は明日この島に上陸するとのこと。

 

 クソが台風がよォ! ぶっ殺すぞテメェー!!

 

 ああああああああ間に合わねぇッー!

 

 

 

 

 

 24日目、早朝。

 分かってたんだよ。

 分かってたんだ。

 クソ。

 このタイミングでこの台風が来たなら、そういう提案をするだろうってのは分かってた。

 

「気づいてるんだよね? 撮ろうよ。撮るしかないよ」

 

「……一体何のはな―――あでっ」

 

「あ、ごめんなさい。予定の時間過ぎてるからまだ撮らないのかと思って」

 

「クライマックスシーン、台風を利用して撮っちゃおうよ、今日の内に」

 

 百城さんが、台風の中でのクライマックス撮影とかいう、頭のおかしなことを言い出すことは分かってた。

 

 だから、すぐさま否定した。

 

「ダメです。百城さんのその意見には明確に反対させていただきます」

 

 何故か周囲がざわめく。

 なんだ?

 百城さんの意見に俺が真っ向から反抗したら変か?

 

「夜凪さんも撮るのに賛成だよね?」

 

 !

 百城さん、景さんを味方に付けにいきやがった。

 景さん驚いてんな。気持ちは分かる。

 

「え、ええ。私も台風があっても撮っちゃった方がいいと思う」

 

 ……百城さんと景さんの二人が息を合わせて、意見を合わせて、俺の意見に反対する。

 監督もちょっと百城さん達の側か。

 プロデューサーは冷静になりゃ台風撮影反対派なんだろうが、今は流され気味に見える。

 この部屋にいる他の人達は傍観に回って、俺の味方は0か。

 まあいい。

 知ったこっちゃねえんだよ。

 百城さんが俺に微笑みかけ、語りかける。

 

「英二君は反対なんだ?」

 

「はい、危険すぎます」

 

「でもこれやらないと映画がちゃんとした形で完成しないよ。代案はある?」

 

「ありません。最悪、映画が駄作になってもいいです」

 

 百城さんの目が細まった、気がした。

 景さんが何を言えばいいのか分からないようでオロオロしている。

 ま、そうだよな。

 百城さんからすれば自分が参加した作品が駄作になるってのは許せねえことのはずだ。

 

 とにかく作品の完成を。

 とにかく売れる作品を。

 とにかく作品で名演を。

 百城さんのその作品への執念を、忘れたことはねえ。軽んじたことはねえ。

 だがな。

 俺は絶対に、こんな事故死の確率が高え撮影の実行は許さん。

 

 なら駄作でいいだろ、と言いきってやる。

 

「そういうの、あんまりよくないと思うな、私」

 

「じゃあ俺は絶対によくないと思います」

 

 百城さんは作品のため。

 俺は景さん百城さん、危険を背負うかもしれねえ全ての人の無事のため。

 絶対に譲らない。

 

「俺も、台風内での撮影が過去に全く無かったとはいいません。

 台風のニュースでは台風の渦中のニュースキャスターさんがよく撮られてますしね。でも」

 

 俺は論理を組み立てる。

 

「日本史上、台風の被害が減ったのは街規模の対策と個人の対策によるものです。

 ですが、ここは島。

 本土のように雨風で崩れない路面で撮影できるわけじゃないんですよ?

 舗装されてない道も多くあり、数日前に豪雨が降ったばかりで、今も豪雨です。

 地盤は相当緩くなっていて、大きな規模で土砂崩れが起きる可能性も高い。

 そこで"危ない場所には近付かない"っていう個人の対策までなくしてしまえば……」

 

 島が大雨で土砂崩れとか前例が無いとでも思ってんのか?

 

「こういった台風時の脅威は、挙げていけばいくらでも挙げられます。俺は絶対に反対です」

 

「で、でも、朝風君の技術がないと台風内での爆破なんて……」

 

「あのですね。

 俺が言うまでもなく、『強風中止』は爆破の基本です。

 撮影に限らずナパーム爆破もセメント爆破も厳重に規制されてるんですよ。

 自主規制、法の規制、両方で色々規制されてるんです。

 晴れた日だろうと強風であれば火薬の使用は厳禁ですよ。

 何故なら……爆破は、人が死ぬからです。とてもあっさりと死ぬからです」

 

 甘く見んなや。爆破だぞ?

 

「知らないんですか?

 近年の特撮番組全部見てください。

 爆破の煙や炎が風で横に流れてるやつがありますか?

 徹底して風が無い日を選んでるんですよ。

 撮影スケジュールが致命的な状況でもなければ、絶対に強風の中じゃやりません。

 いや……どんなに撮影スケジュールが致命的でも、絶対に普通はやらないんです」

 

 よく分かってねえ新人がいるなら、ちゃんと聞いとけよ。

 

「風があれば爆発が制御できなくなりますね。

 風は吹いたり吹かなかったり、強くなったり弱くなったりしますから。

 爆発で何かが飛んで俳優に当たる可能性も排除できませんね。

 ガスやガソリンの炎が伸びていく方向も制御できません。

 ナパームの紅蓮の炎が俳優飲み込んで大火傷もあるんじゃないですか?

 爆発で飛んだ燃える油は多少の水でも鎮火せず、皮膚に付いたら中々取れませんからね。

 豪雨の中で皮膚が燃えてる俳優の姿がカメラに録画されても何ら不思議ではないと思います」

 

 死ぬんだぞ。

 分かってんのか。

 死ぬかもしれねえんだぞ。

 デスアイランドのどの撮影もカスにしか見えないくらいの危険度だって、分かってんのか?

 

 台風の中女優二人が走って、その地面が爆発するんだぞ?

 

「そもそも地面の石すら完全には拾えてないんですよ?

 爆破で飛んだ石は手足に刺さるんです。

 なんで特撮番組でキャラに暑い時期にも長袖長ズボン着せてると思ってるんですか?

 手足の露出が多いキャラの周りの爆破シーンを、スーツを着た変身後にしたり。

 小さい石を拾い終えた広場でのみ撮影したりするのは、なんでだと思ってるんですか?」

 

「英二君」

 

 なんだ、百城さん。

 

「私の心が決まってると分かってて、無駄に言葉を尽くすのは、時間の無駄ってやつだよ」

 

「―――っ」

 

 あーもう!

 クソ頑固!

 知ってた!

 この人の信念の強固さ疑ったことなんてねーよ!

 だから景さんとぶつかってたんだからよ!

 

「ですけど!」

 

 思わず声を張り上げる俺と、百城さんの間に、景さんが割って入って来た。

 

「待って。二人が喧嘩するのは……その……私、なんだか嫌だわ」

 

 う。

 ……申し訳ねえ。

 まさか、景さんに百城さんとの衝突を仲裁されるとは。俺も冷静にならねえとな。

 だけどなやっぱ、作品のために事故死ってのは納得いかねえ。

 

「まぁまぁ、熱くならずに。二代目もさ、ちょっと冷静になって考えてみてよ」

 

 手塚監督?

 

「君が安全対策してくれないと、危険な撮影に二人が行くことになるかもよ?」

 

 ああ、そういうアレか。

 手塚監督からすりゃ"朝風英二に安全対策させたなら危険度はぐっと下がる"って認識があるのかもしれねえな。

 台風でも撮影できれば、っていう監督としての判断。

 危ないことさせたくないっていう監督個人の思い。

 台風内での撮影を強く望む女優二人。

 俺が安全対策すれば、撮影にGOサイン出せる勇気が湧いてくるかも、って思ってるわけだ。

 信頼されてんな、俺も。

 

 元々、台風の中撮影するなんて予定も準備も無かったもんな?

 台風用の安全対策も全くしてねえから、皆そもそも台風内での撮影を想像すらしてなったはず。

 堂上さんあたりなら「台風の中撮るなんてどうかしてるぞ」くらいは言いそうだ。

 監督からすりゃ、この撮影に俺の能力はおそらく必須。

 

「もっと根本的な部分の問題があるでしょう。俺はそれに言及できます」

 

「根本的な問題?」

 

「雨の中爆発させるセットは特殊です。

 仮に俺に黙って誰かが非雨天用の爆薬をセットしていても……

 台風が来てからそう予定を変えたなら、雨天用の仕込みは無いはずです。

 ならば俺が時間を見つけて爆薬を地面に仕込むしかありません。

 その技術を持ってるのは俺しかいないはずです。ならば、俺が拒めば撮影はできない」

 

「っ」

 

「俺が協力しなければ危険な撮影になる、じゃないです。

 そもそも俺が協力しなければその撮影は不可能でしょう?

 流石にそんな交渉では騙されませんよ。

 強風の中で爆薬を扱う技術は、人命が軽かった時代の希少技能です」

 

 法整備と安全対策が徹底された現代で、台風の中での爆薬使用なんて昔の危険な撮影時代のレトロな技術持ってる奴が多く居るもんかよ。

 絶えた技術ってのはな。

 相応の理由があって消えていってんだよ。

 誰も使わなくなったとか、危険すぎるとか、な。

 俺も使う気はねえぞ。

 

 軽い気持ちでやろうとしてる人がいるなら、俺は絶対に否定する。

 だから。

 軽い気持ちじゃねえと分かる百城さんと景さんの目を見ると、決意がグラつく。

 この二人は、この撮影で死なねえだなんて楽観、持ってねえ。

 

 作品のために死ねる―――それが、分かっちまう。

 だから事故死の危険性に近寄ってほしくねえんだよ。

 

「危険なのは英二君じゃなくて私達だからいいじゃん、って言っても、やっぱダメかな」

 

 百城さんはさぁ。

 おめーマジで……いや、これが百城さんの良さでもあるわな。

 

「百城さんと景さんの命は俺の命よりも大切です。大事な人です。傷一つでも嫌ですよ」

 

「……うん」

 

 何バカなこと言ってんだこのバカ娘。

 正気か?

 アホか?

 いっぺん頭冷蔵庫に突っ込んで冷やしてこい。

 

「私に協力してくれないんだ?」

 

「はい。今この瞬間は、俺はあなたの味方を辞めます」

 

 そうだ。

 あんたの主張の敵だ。

 俺がいる限り、あんたの主張は通らねえ。

 俺と百城さんの視線がバチバチとぶつかり合い、間に景さんが割り込んでくる。

 

「喧嘩はめっ、よ」

 

「……すみません、景さん」

 

「私は千世子ちゃんに賛成だけど、喧嘩はよくないわ」

 

 あんた弟と妹の喧嘩止めるのと同じ気持ちで割って入って来てねえか?

 

 まあいいや。

 席を立とう。

 なんかここにずっといたら、俺の決意がもっと揺らいじまう気がする。

 

 事故死はダメだ。

 事故死出したい奴がいるか?

 いねえよな?

 過去に事故死者出した奴らもな、誰も事故死者なんて出したくなかったんだよ。

 気を遣って、危険を考慮して、対策してて、その上で予想外なことが起きて死んだんだ。

 予想外がいくらでも起きるのが撮影の世界と言える。

 

 俺の心の深いところには、父と母の死に方に、死に至るまでの"美しいものを求めた道筋"に、否定的な気持ちがある。

 

「どうせなんとかなるだろう、と思ってるんじゃないですか?

 危険な撮影の前には一度自分を省みてください。そして、自戒してください」

 

 俺は席を立って、部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺らいでいた。

 俺は本当は、揺らいでいた。

 だから徹底的に否定した。

 危険な撮影なんて絶対にさせねえ、って。

 そのせいか、景さんと百城さんが同意見で息を合わせて俺を説得しに来ていた。

 本格的に説得に入られてたら、俺はヤバかったかもしれん。

 

 輝いていた。

 あの二人は普通じゃない輝きを持っていた。

 普通じゃねえ才覚、普通じゃねえ人生、普通じゃねえ思考、普通じゃねえ芝居。

 嵐の中の命がけの撮影に、何の躊躇いもないその姿が、眩しかった。

 

 その決意が輝かしかったから。

 台風の中での撮影を、やらせてやりたいって気持ちもあった。

 だが、こんな撮影にOKを出しちまったら、俺は今よりももっと、人でなしになっちまうような……そんな気がした。

 

 そうだ。

 俺はあの両親が、好きだったんだ。

 色々あった後の今でも、ちゃんと愛してる。

 ……自分の命より、どんな倫理や常識より、芸と能の世界での作品の完成を重んじるその在り方は……死人さえ出なけりゃ、俺が憧れる在り方だった。

 死人さえ、出なけりゃ。

 残された奴の悲しみってもんを知らなけりゃ、俺はその在り方を素直に肯定できていた。

 

 俺は。

 

 俺は、素晴らしいものと人の命、天秤にかけたらどっちを選ぶのか?

 迷うまでもねえ。

 人の命だ。

 目の前で人が死ぬのは本当に辛くて、苦しかった。

 俺は人の死が嫌いで、素晴らしいものが好きだ。

 

 それが不可分なシチュエーションが来たら……俺は。

 人の死の危険があるが素晴らしいものができるかもしれない選択と、危険も格別素晴らしいものが生まれる可能性も共に無い選択と。

 一体、どっちを。

 ……分かんねえ。

 でも。

 命を懸ける百城さんと景さんの覚悟を見た上で、撮影に参加する自由を無理矢理に取り上げた俺の選択は、きっとどこかが間違ってる。

 

 俺はあの二人に死んでほしくないって気持ちだけで、あの二人が撮影に命を懸ける自由を取り上げちまったんだ。

 それを、悔いていると言えば悔いている。

 クソ。

 受け入れられないものがあったのに、自分を納得させて受け入れられないものとの共存を果たした百城さんと景さんを見てて、これか。

 あの二人に偉そうにあれこれ言っといてこれか。

 情けねえ。

 

 死にたいなら、死なせてやったっていい。

 百城さんの命は百城さんのもの、景さんの命は景さんのものだ。

 その命の使い方は、それぞれの人間の自由だ。

 好きに使って良いんだ。

 その自由を個人的な理由で邪魔するってのは独善で、相手のことなんて本当は何も考えてねえ、自己満足だけの生き方の押しつけなんだ。

 

 だけど。

 ……ルイ君とかレイちゃんとか、残される家族がいると分かってると、俺は……ダメだ。

 クソッ!

 ダメだ、何も割り切れてねえ、何も吹っ切れてねえ。

 納得できねえ。

 自分が正しくねえって分かってんのに。

 そもそもこの撮影に参加したって死ぬと決まったわけでもねえのに。

 

 俺は、俺を捨てられねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を出て行った英二君を探すべく、私も部屋を出た。

 私よりも少し遅れて、夜凪さんも部屋を出て来るのが見えた。

 

 ……皮肉だなあ。

 英二君が言ってたように、私と夜凪さんには近いところもあるらしい。

 それを初めて実感できたのが、私と夜凪さんに共通の意見を英二君が全否定してきて、私と夜凪さんが一緒に英二君に立ち向かったこの瞬間だったなんて。

 台風でも撮影続行を望める夜凪さんは本物だ。

 本気で撮影を完遂しようとしてる。

 なら、もう少しだけ、信じられる。

 

「……いないなぁ」

 

 探しても見つからない。

 夜凪さんの方がもう英二君を見つけてるかも?

 あのよく分からない凄さの夜凪さんなら、それもありそう。

 どの道英二君を説得しなければ撮影は続けられない。

 面倒臭い男の子だ、英二君は。

 

 それでもあんまり嫌いになれないのは、私達のことを想ってくれていることが伝わってくるからなのかもしれない。

 

「あ……いた」

 

 英二君を見つけた。

 夜凪さんはいない。

 私が先だったか、夜凪さんが先だったか、ちょっと分からないかな。

 英二君が迷ってるように見えるから、尚更分からない。

 

 英二君が座っているベンチの英二君の横に座ると、俯いていた英二君がこちらを見る。

 

「私がそんなに信じられない? 大丈夫だよ、たかが台風だもの」

 

 英二君の目が私を見る。

 外側に貼り付けた仮面の奥まで見透かされそうな、透き通った目。

 こっちの真価を測られているようで、少し怖くなる。

 

「信じたいですよ。分かるでしょう?

 でもですね。百城さんが無事に帰って来ると信じて、帰って来ないことが、怖いです」

 

 臆病な英二君。

 優しさから生まれる気持ちは、彼の中に矛盾を生む。

 そこに苦しみがあるなら、どうにかして取り除いてあげたいと思いつつ、今の英二君を苦しめているのは私の無茶な提案が元だから、少し罪悪感も覚える。

 でも、しょうがないよね。

 私は……作品に対する執念だけは、捨てられないから。

 

「英二君は私に何をしてほしい? どうしたら私を信じられる?」

 

 私を見て、英二君が何かを思い出す所作を見せる。

 何かを思い出して、過去の何かを参考に、英二君は何かを決めようとしてる。

 これは私が過去に何を成したか、何を話したか、何ができるようになっていったか……それを採点されてるんだと、ふと、思った。

 そこそこ長い付き合いだけど、私はどのくらい、この人の信頼を勝ち得ているのかな。

 

「信じられます、信じられますよ、でも……」

 

 信じたいけど信じられない。そんな迷いと苦悶に満ちた表情を、英二君が見せる。

 

 英二君を縛る鎖が、一瞬だけ見えた気がした。

 

 この『でも』こそが私が倒すべきものなんだって分かった瞬間、私の口は動いていた。

 

 

 

 

 

 部屋を出て行った英二くんの後を追って、千世子ちゃんの次に私も部屋を出た。

 ドアに近かった千世子ちゃんの方が早くて、私は二番手。

 

 千世子ちゃんと英二くんって、喧嘩するんだ。

 そういうの想像もしてなかった。いつも仲が良いイメージだったわ。

 私と黒山さんみたいなものなのかしら。

 喧嘩するほど仲が良い、喧嘩しているところを見たことがないほど仲が良い……相反する二つの話を聞いたことがあるけど、どっちが正しいのか。

 私と英二くんは喧嘩した覚えが無いから、どっちが正しいのか本当によく分からない。

 ああいうのを見ると、ちょっと喧嘩してみたいとも思ってしまう。

 

「いないわ」

 

 探しても見つからない。

 千世子ちゃんの方はもう英二くんを見つけてるかもしれない。

 千世子ちゃんくらい凄いと、それもあるかも。

 英二くんが私達の撮影に納得してくれないと、撮影は続けられない。

 心配性な男の子だ、英二くんは。

 

 英二くんは間違ったことは言わない。分かってる。

 心配されてる感覚はむず痒い。嬉しい。

 それでも私は撮影したい。

 この作品のちゃんとした完成のためになら自分の命を懸けられるこの想いに、千世子ちゃんみたいに、正直でいたい。

 

「見つけた」

 

 英二くん発見。

 千世子ちゃんはいない。

 あれ、私の方が先? 千世子ちゃんはもう話して帰った? どうなんだろう。

 英二くんが迷ってる顔してるけど……その理由次第かしら。

 

 英二くんの隣に座ったら、下を向いてた英二くんの目だけが、こっちを向いた。

 

「私、台風でも大丈夫。

 家族のため、台風の中でもずっと走って新聞配達してきたから。

 英二くんは心配してるけど、私なら大丈夫。私なら平気。信じられない?」

 

 英二くんの目が私を見る。

 私の中にある沢山の私を見極められているような、透き通った目。

 こっちの真価を測られているようで、頑張る気が出て来る。

 

「信じたいですよ。そこは分かって欲しいです。

 でも、俺は、ルイ君とレイちゃんの下に、無傷のあなたを帰してあげたいんです」

 

 気遣いの英二くん。

 優しい人は心配することが多くて大変そう。

 こんなにルイとレイのこと心配してくれてる人は新鮮で、それが嬉しい。

 いや。

 ……私も本気で心配されてて、それもなんだか、嬉しい。

 

「私がどうしたら、私は無事に帰って来るって、英二くんに信じてもらえるかしら」

 

 私を見て、英二くんが何かを思い出す動きを見せる。

 何かを思い出して、過去の何かを参考に、英二くんは何かを決めようとしてる。

 これは私が過去に何を成したか、何を話したか、何ができるようになっていったか……それを採点されてるんだと、ふと、思った。

 短い付き合いで、私はどれだけこの人の信頼を勝ち得ているんだろう。

 

「信じられます、信じられますよ、でも……」

 

 信じたいけど信じられない。そんな迷いと苦悶に満ちた表情を、英二くんが見せる。

 

 英二くんを縛る鎖が、一瞬だけ見えた気がした。

 

 この『でも』こそが私が倒すべきものなんだって分かった瞬間、私の口は動いていた。

 

 

 

 

 

「私はあなたのお父さんみたいに絶対に事故死しない。私を信じて」

 

「私はあなたのお母さんみたいにあなたを置いていかない。私を信じて」

 

 

 

 

 

 俺は、息を呑んだ。

 百城さんの言葉に息を呑んだ。

 景さんの言葉に息を呑んだ。

 俺が今までずっと壊せなかった心の中の壁が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 何か、何かが、俺の中で変わっていった。

 

 そうだ、俺は―――きっと、この言葉を、言ってほしかったんだ。

 

 死ぬかもしれないと過剰に不安に思う度、その不安を拭ってほしかったんだ。

 信じたかった。

 この人は死なねえと、信じたかった。

 その人のために危険を減らすため手を尽くして、それでもなお心配で心配で仕方ねえとかじゃなくて、そうしたことでその人を心底信頼したかった。

 死なないでほしかった。

 俺を置いて行かないでほしかった。

 それを、言葉にして約束してほしかった。

 

「皆で一緒に、皆の想いが詰まった、この撮影を成功させるために」

 

「皆で一緒に、皆の想いが詰まった、この撮影を成功させるために」

 

 百城さんと景さんの中にある『共通する部分』が、俺の胸を打つ。

 

 二人は強くて、綺麗で、美しかった。

 その心がだ。

 どこまでも自分が信じるものを貫いていて、周りに流されることもなく、俺が何を言っても信念を変えずに、それでいて周りのことをちゃんと見ていた。

 皆と一緒に頑張って作ってきたこの映画を、最高の形で完成させること以外、この二人は何も考えていなかった。

 

 この二人にとってそれは、自分の命を懸けてもいいほどに大切なことだった。

 

―――だからいい仕事をしたいなら、信頼できるキチガイを探せ

 

 親父が残した言葉を思い出す。

 それはもしかしたら。

 『リスクを絶対に避ける人』とも違う。

 『この人が怪我してしまうと半ば確信してしまう人』とも違う。

 キチガイみたいに命がけで、いつだって全身全霊で、作品に全力で挑んでいて、その上でこの人は最高の作品を作ると、この人は死なないと、信頼できるような。

 

 メリットデメリット、リスクの有無を全て計算して、自分の命すらもただの一要素としか考えずに天秤にかけ、リスクが好きなわけでもねえのに危険な撮影に挑んで必ず成功させ、最高の作品を仕上げる……そんな人の、ことだったんだろうか。

 だとしたら。

 いつの間にかに。

 俺の中でこの二人は、信頼できるキチガイになっていた。

 

 俺は心の何処かで、台風の中で爆薬を使う命知らずな撮影の開始を自分から提案するキチガイなこの二人を、信頼してる。

 "無事に帰って来てくれるはず"と何故か信頼してる。

 "この人なら"と、俺は確かに信頼してる。

 

 それはきっと。

 この二人の奥にある、『優秀』とは全く異なる性質の、『執念』や『覚悟』というカテゴリに入れられる『特別な強さ』を見てきたからだ。

 屈強な肉体の巨漢が諦めて死ぬ瞬間でも、きっとこの二人は諦めない。

 諦めないから、どんなタフガイよりも作品作りの過程で死ににくい。

 

 『自分が死ねば作品が公開できなくなるから、この人は死なない』という理屈で、信じられる……そんな人間がいる。

 俺の目の前に、二人いる。

 

 信じていたつもりだったが、更に信じてみようかと、そう思える。

 

 二人を信じる気持ちで、二人を危険に晒すことを決めちまった俺は、人でなしか。

 

 だけど、人でなしに成り果てても、信じてえと思えるものがあった。

 

 この二人の覚悟に、"この二人なら"という信頼で、応えたかった。

 

「……」

 

 少しずつ、俺はデスアイランドの撮影の中で変わっていた。

 病的に危険を嫌っていた自分を捨てて、危険をある程度受け入れられるようになっちまって、その危険を自分の力で極限まで消そうと思うようになった。

 危険を自分の技術で消すことが自分の役割でもあると、強く自覚するようになった。

 そして今、一つの境界線を越えた。

 

 これが成長なのか、悪化なのか。俺自身にも分からねえ。

 

 だけど、どこか心地良い変化であることだけは、間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて危険な撮影に役者を送り出してきた裏方の人達は、こんな気持ちだったんだろうか。

 

 多くの先人がいた。

 誰もが怪我を望まなかった。

 けれども、危険な撮影が行われたことも確かなことで。

 

 先人の裏方もまた、俺と同じように俳優の覚悟に突き動かされたんだろうか?

 その熱意に、心動かされたんだろうか?

 見上げるように、尊敬の目で見ていた役者に願われ、役者が命がけの撮影に望む背中を見送り……役者がせめて怪我しないようにと、全力を尽くしたんだろうか?

 

 矛盾だ。

 役者の無事を願いながら、役者の安全対策をして、役者を危険な場所に送り出す。

 役者の安全を徹底視してるんだか、役者の命を軽視してるんだか分かりゃしねえ。

 

 俺も今は、矛盾している。

 

「皆さん、聞いてください!」

 

 サード助監督としての俺の下に付けられたありったけの撮影スタッフ、特に最も多い美術スタッフが、雨合羽を着て雨の中、俺の指示を聞いている。

 現在、朝5時過ぎ。

 撮影予定時刻は14時。太陽が高い内じゃねえと雲で暗くなりすぎて視界が潰れる。

 だから残り9時間。

 安全対策に8時間、道の途中に爆薬を仕込むのに1時間。それが俺自身の時間配分。

 だが俺以外の人間にも、俺とは違う仕事を与えなくちゃならねえ。

 

「チーム分けを覚えておいてください!

 皆さんの半分はここで、撮影準備!

 残り半分は俺と一緒に、斜面の安全対策と地面の爆薬設置です!

 撮影準備班は19日の準備資料を読み返して、道具を最大限に台風に最適化してください!」

 

 俺が作った資料を最大までコピーして配った。

 俺が居ない撮影準備班は、独自に頑張ってくれることを期待するしかねえ。

 もう残り時間目一杯使って、道具をできるかぎり台風内撮影に最適化するしかねえんだ。

 最善の状態まで最適化できるだけの時間は、もうねえ。

 

「特に撮影車両のタイヤを交換して、放水車のタイヤを付けることは絶対忘れずに!

 豪雨で泥にぬめる路面に適応してるタイヤはあれだけです!

 漏電事故の回避は徹底をお願いします!

 イントレ、カメラ、バッテリー、照明、録音! 電子機器担当勢は特に気を付けてください!」

 

「「「 はい!! 」」」

 

 注意喚起ですら長々とやってる時間はねえ。

 手塚監督やプロデューサーにこの場を任せて、俺は斜面に向かう。

 

 このクライマックスの撮影は、車が何台か並走できそうな未舗装の土の道を、台風の中百城さんと景さんが走ることで行われる。

 道の左右には木々が生えた森。

 その奥には奈落に落ちていくような急斜面がある。

 一部は逆に、崖みてえに登っていく急斜面がある。

 木々の根っこが支えてる地盤と、その上にある広い一本道、って感じだな。

 

 撮影の都合上、カメラに映らねえところに安全対策のネットを張る必要があるが、そうなると斜面にガッチリネットを張らなくちゃならねえ。

 転がり落ちていく可能性を考慮すりゃ、斜面に張るネットは何重にもしなくちゃならねえ。

 

「え!? 朝風さん、斜面にネット張るのを一人でやるって……無茶ですよ!」

 

 ああ。だから、俺一人で張る。

 

「俺が一人でやります。

 申し訳ありませんが……

 俺が完全に安心して任せられるほどに非常に実力が高い美術スタッフは、一人もいません」

 

「っ」

 

「皆さん、どうか未来の自分を守って下さい。

 未来の皆さんならいずれ高度な作業もできると思います。

 でもそれは、今じゃない。今するべきじゃないんです。皆さん、死にかねませんから」

 

 俺が腰に命綱を付けて、斜面上に車を待機させて、命綱を車に結びつけて斜面を降りながらネットを張る作業をする。

 安全も考えると、この形式しかねえな。

 

 斜面には滝みてえに雨水が流れてるところもある。

 木も表面は雨のせいでクソ滑りやすそうだ。掴むのは困難だな。

 こんなんじゃ、命綱付けてても俺以外には任せられねえ。

 

「俳優が死ぬかもしれない撮影で、俺だけ後ろに引っ込んでるつもりはない。

 ……一言で言うなら、そういうことです。

 演者(アクター)にだけ危険を押し付けて後ろでのうのうとしているくらいなら……」

 

 周りの美術スタッフが、俺を見ている。

 

「俺に、生きている意味はないと思います。

 役者が死ぬかもしれない撮影なら、せめて俺も命を賭けましょう」

 

「……美術監督」

「やめましょうよ! 他に方法がありますって!」

「そもそも台風になってから台風内撮影が決定されて!

 台風対策にしかならないような斜面ネットを台風の中張ってるのがおかしいんですよ!」

 

「おかしくなんてありません。皆、この映画を完成させるために命を懸けてる。それだけです」

 

 クライマックスに必要な時間は、一説には十数分と言われる。

 クライマックスが短すぎると、シリアスな場面でも呆気なく終わりすぎでギャグか? とか言われちまうからだ。

 かと言ってクライマックスが長すぎると、どんでん返しを何個も入れなきゃならん。

 この撮影も、クライマックスは十数分ワンカットの長回しと決まってる。

 

 百城さんがやってた5分以上の長回し撮影の数倍の長さで、失敗が許されねえ長回し……こんなの百城さんと景さんでもなけりゃできねえ。

 他の人なら、晴れた日の普通の撮影でも高確率でNG出すっての。

 

 3000m競歩女子の世界記録が11分35秒。

 5000m中距離走女子の世界記録が14分11秒。

 十数分の疾走ってのはそもそも、km規模の移動をして然るべきもんだ。

 ノーカット撮影なら当然、その移動距離と撮影範囲は桁違いに跳ね上がる。

 このクライマックスの撮影もまた、十数分のクライマックスを激動の疾走で盛り上げるために、3km前後の下り気味の道を走ることになってる。

 まあワンカットなら妥当な長さだ。

 

 この長さの道なら、クソ長いネットを一枚貼って終わり……なんてわけがねえ。

 そんな長えネットあるわけねえ。

 木に括り付けたネットの保持力を考えりゃ、小せえネットを道の左右の森、それも道の端向こうにある木が大量に生えた急斜面に、大量に張る必要がある。

 木々が等間隔で生えてねえことと、俳優がネット一枚を越えちまった時のことも考えりゃ、ネットは道の左右に二重以上……欲張るなら、三重にセットしてえところだ。

 

 ネット一枚につき幅5m~10m。平均7.5m。

 撮影に使う範囲はどう見ても3km以上だが……3kmと仮定して、3000m、だから、片面400枚。

 二重に張るとして800枚。

 安全確保に三重に張るとしたら1200枚。

 道の左右両面に貼るとして2400枚。

 使える時間はもう8時間を切ってる。

 1時間300枚、1分で5枚。

 ……安全を犠牲にしてネット一重でも、1時間100枚。1分で1.7枚だ。

 

 俺の腰に命綱を付けて斜面を降りて、安全確認しながら台風の中急斜面を降り、雨でグチャグチャになってる斜面をゆっくり降りながら、台風と森のダブルパンチで明かりもほとんどねえ斜面の中、そこで木と木の間にしっかりネットを結びつけて固定する作業。

 普段の俺がこれを部下にやらせるなら、一時間に一枚以上は張らせねえ。

 作業を焦らせたら、死ぬ。

 

 数km。

 『映画のクライマックス』をワンカットで撮影すんなら、そんくらいの距離が要る。

 そんくらいの距離の斜面を安全対策すんなら、俺は数ヶ月はかける。

 台風の中撮影するってんなら、そのくらいは絶対に必要だ。

 景さんと百城さんにゆっくり走らせて距離を短くするってのも無理だ。

 このクライマックスに手を抜いた走り方をさせりゃあ、そいつはカメラにもろに映る。

 走る速度を緩められるわけがねえ。

 何より、景さんの演技の性質上、本気で走る以外の選択肢がねえ。

 

 ワンカットゆえに時間を縮められず。

 景さんの性質と、映画の完成度問題ゆえに、走行速度は下げられず。

 だからこそ、撮影範囲が直線的に伸びに伸び。

 『安全対策』が極限まで難しくなる。

 ワンカットじゃなけりゃ短いカットの短い距離の対策だけで済むんだが、無いものねだりだ。

 

 いや、そもそも。

 十数分のクライマックスに使うこんだけの距離をカバーしようと思えば、三重の完全安全対策を取っても俺一人で安全重視にやった場合、4000時間。

 晴れた安全な日にだけ俺と一緒に部下を9人降ろして10人での並行作業でやったって、400時間……30日間フルに使っても、1日15時間作業しなきゃ最終日に撮影時間が残らねえ計算だ。

 どだい無理がある。

 安全が、俺の能力じゃ、絶対に成立させられねえ。

 

 これがクライマックスじゃなければ、せめて数分で済むシーンなら、ワンカット長回しじゃなければ―――そう思わずにはいられねえが。

 

 ただの美術監督兼助監督でしかねえ俺には、何もできねえ。

 

 俺には、物を作ること以外、何もできねえ。

 

「クソったれ」

 

 元々が台風なんて来てねえ日に、何回ものカットに分けて撮影して、それを繋ぎ合わせることで完成させるつもりだったシーンだ。

 この道の左右にも、安全対策なんてするつもりは無かった。

 そんな余計な安全対策に時間使ってたら、どんな撮影だって間に合わねえ。時間は有限だ。必要なところにだけ必要な安全策を施すのが、撮影に求められる安全対策ってもんだ。

 

 晴れた日に放水車で雨を降らせて後で編集で曇りに見せかけるか、曇りになった日に放水車で雨を降らせてそれで済ませるか、の二択だったはずだったんだ。

 安全対策なんて、慣例通りのもんだけでいいはずだった。

 でも、そうならなかった。

 だからしょうがねえんだ。

 

「俺がなんとかします。

 皆さん、バックアップをお願いします。

 ただし危険なことはしないように。

 なんとか、どうにかしてみせますので」

 

 地面を踏み締める。

 雨でグチャグチャ。

 泥でぬるりと滑る。

 地表の砂が雨で流されて、地面で普通に踏ん張れねえ。

 晴れた日に海からの風で陸地に舞い上がってきたこの砂が、俺がよく転んでた海の砂になるんだと、感覚的に分かった。

 

 崩れやすい島の斜面。

 平たい道の左右に木々が生えた急斜面がある場合、それはそこの地面がかつて崩落して、崩落した斜面に木が生えて仮留めされたみたいになってるから……なんて話もある。

 雨が降りゃ、鉄砲水が出る可能性だってある。

 そうならなくても、土石流が起きりゃ人は死ぬ。

 雨で地盤が不安定になった木が、風に押されて倒れて人を押し潰した事例なんざ、日本じゃ珍しくもねえ。

 

 俺が定期的にやってた小石拾いも、この台風のせいでやった意味はもうなくなった。

 暴風と泥で転べば、その先に鋭い石、傷口から入る雑菌だらけの泥水が待ってる可能性は非常に高え。

 "普通の地面"ってのは、小石やら何やら、転んだ人間を怪我させるもので溢れてて……転んだ人間が怪我しねえ『撮影用の地面』なんて、手を尽くさなきゃ作れねえからだ。

 小石だけだと思ってる俺は、随分楽観してるけどな。

 以前の撮影で雰囲気出すために放置されてたそこそこの岩はそのまんまそこにある。

 転んだ先にそいつがあれば、それで頭を打てば、人間なんざ簡単に死ぬ。

 

 この道ですら、完全に安全かは分からねえ。

 なにせこの道、舗装されてねえからだ。

 いつ崩れてもおかしくねえ。

 土砂崩れなんか起きたら百城さんと景さんが一環の終わりになるどころか、追いかけてた撮影車両が、このあたりの地面ごと地すべりで持って行かれる可能性すらある。

 

「……クソ」

 

 落ち着け。

 道の下手側の大部分は、斜面にはなってねえ。

 島の内陸部側、高台側に繋がってる。

 こっち側から土石流が雪崩込んでくる場合……ダメだ、対策できねえ。

 

 雨によって生まれた土と石混じりの濁流は、人を飲み込めばそのままミンチ、あるいは溺死に持っていく。

 普通対策しなくちゃならねえ。

 だが時間がねえ。

 土石流対策の強固なネットまで張ってる時間がねえ。

 急斜面を転げ落ちる俳優を捕まえる程度のやわいネットを張るだけでも、時間が足りん。

 

 土砂災害が起こるかどうか?

 6割大丈夫……そう判断する。

 4割のリスクすら『低リスク』だと自分に言い聞かせて無視しないといけねえのが、本当にクソで、自分を許せなくなりそうだ。

 溜まった雨は、どんな災害を起こしても不思議じゃねえってのに。

 

「……19日目に朝風さんが地層情報とか集めてたのが役に立ちましたね」

 

「こんなことのために使うつもりじゃなかったんですよ。

 18日目に来た台風の豪雨のせいで土砂崩れとか起きないか、それが心配だったんですから」

 

 19日目にやっといた情報収集が活きてるようで活きてねえ。

 つかマジで時間が足りん。

 改めて計算すると、俺個人の安全のことなんて考えてるようじゃ絶対時間足りねえし、ネットを一枚ずつ張るような堅実なやり方でも間に合わねえ。

 しゃあない。

 ここは選択のし時だな。

 

「予定変更です。俺は、命綱の使用をやめます」

 

「……えっ!?」

 

「俺のリスクは増えますが、それだとネットを張る速度が足りません。

 景さんと百城さんが危険に晒されます。

 俺の安全性を考えてたらあの二人の安全性が確保できません。なので、その代わりに……」

 

 俺が新しいやり方を提示して、部下に指示を出そうとした俺を。

 

「それはチーフ助監督として許可できないな、サード助監督」

 

 『その人達』が、止めた。

 

「……え?」

 

 なんで、あんたらが、ここに? そう思って、俺の思考はショートして、すぐ復帰した。

 

「ち……チーフ助監督!

 それに他の助監督に……PV用のミニチュアを手伝ってくださった皆さん!?」

 

 そこには助監督全員と、デスアイランドのミニチュア作成を共にやってくれた人達がいた。

 

「ミニチュア仕事はもう終わってましたけど、プロデューサーに再招集されたんですよ。

 台風に気付いてなかったマヌケな早朝便が一便だけあったんです。

 それに乗って朝イチでここへ。今度はミニチュアじゃなくて本物の島で一緒に仕事ですね」

 

「皆さん……」

 

「朝風さんの下に付けって言われてます。指示ください」

 

 この人数がプラスされたんなら、台風用に道具を最適化させる作業も、間に合うかもしれん。

 

「斜面作業は十人でやろう。朝風に九人加えて十人だ」

「現場経験が十年近くある人だけを抜粋しました。使ってやりましょうよ」

「転げ落ちる急斜面をネットでカバーするだけなら400枚で行けるんじゃないか?」

「8時間400枚。60分で50枚を10人で分担してやれば、台風の中でも間に合うだろ」

「私達を使ってください。十人の命知らずが揃ったなら、なんとかなるんじゃないですか?」

 

 ありがとう、と言いそうになった。

 でも、ぐっとこらえた。

 皆を命の危険に晒すのが、怖かった。

 

「分かってないようですから言います。

 これから斜面にネットを張りに行くのは、そこを転げ落ちたら死ぬからです。

 転げ落ちたら死ぬ場所に、あなた達はネットを張りに行こうとしています。

 それが、撮影の前準備ってことです。

 海外では最近でも、撮影の前準備の段階で、大作映画でも人は結構死んでるんですよ?

 事前準備で死んで、ボートから落ちて死んで、事故で照明に押し潰され死んで……」

 

 怖がってる俺は、きっとバカだった。

 

「皆さん、そのお気持ちだけ受け取っておきます。

 今ここで死ぬとも思っていない甘い考えは捨てて、自分の持ち場に戻ってください」

 

「死なないとは思ってませんよ。

 でも、分かるんですよね。

 朝風先生、このままほっといたら、役者さんを生かすために死んじゃいそうだって」

 

「―――」

 

「ほっとけないじゃないですか」

 

 やめろよお前。

 台風で顔が濡れてるからバレねえだろうし、俺泣くぞ。

 

「『俳優が死ぬかもしれない撮影で、俺だけ後ろに引っ込んでるつもりはない』。

 シビレましたよ、朝風監督。

 朝風監督が死ぬかもしれない準備で、俺達だけ後ろに引っ込んでるつもりはありません」

 

「―――」

 

「やってやりましょうや。

 予定にない台風。

 予定にない台風の中での撮影。

 予定にない台風の中での準備。

 力を合わせた人間の数が増えれば増えるほど、背負わなきゃならない危険は減るはずです!」

 

 映画は一人で作るもんじゃねえ。

 映画は一人じゃ作れねえ。

 分かってたつもりだった。

 

「一人に危険背負わせたくないんですから、一人で何もかも背負い込まんでください!」

 

 俺は本当は、分かってなかったのかもしれねえと、思った。

 

 俺に命の危険があることを許さねえ人が、俺の周りにこんなにもいることにすら、気付いてなかったんだから。

 

「ノルマは皆さん、一時間に三枚です。

 安全第一でお願いします。

 初めてでしょうし、最初は台風の中ネットを結ぶのに苦労すると思います。

 ですが最終的に一時間に三枚ずつのペースになってくだされば十分です。

 9人なので1時間に合計27枚。8時間弱で大まかに合計216枚張って下さい」

 

 頼むぜ皆。

 

 皆で笑って終わるために。誰も死なせず終わるために。

 

「あとは俺が、200枚張ります。

 安全対策上、これ以下の枚数では絶対に安全は確保できませんから」

 

 1時間に25枚。

 これ以上、俺のノルマは削れねえ。

 それは景さんと百城さんの危険へと直結する。

 

 怖えな。

 怖えのに嬉しい。

 誰も死ぬなよ。誰も大怪我するなよ。

 皆が来てくれて嬉しかったこの気持ちを、後悔させないでくれ。

 

「頼りにしてます、皆さん! 一緒に頑張りましょう!」

 

 台風の雨音と風音が一瞬消えるくらいに大きな声で、皆が返答してくれる。

 

 俺達の心は、一つだった。

 

 

 




 デスアイランドクライマックスで二人が走ってる道が『島の土道』で『未舗装』なの本当に怖いんですよね……島で地すべりが起きて建物が700m以上移動したりした例が実際にあったり。

 平面のかなり広い道、つまり台風で川が洪水起こして突然の鉄砲水もどきでも来ない限り、道の真ん中走ってれば斜面に落ちるはずのない道。
 ああいうとこでするなら神経質な安全対策でも、道の端沿い(斜面手前)に杭打ってネットを張るくらいでしょうか。まあ斜面に張ることはないでしょうね。
 つまりあの急斜面のネットはピンポイントで急に設置した台風対策だったわけですが……
 超頑張った裏方がいるのは確実だと思います。

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