初めてそいつを見たときに思ったこと。
それは“男みてーなやつ”ってことだった。
越谷夏海。
越谷姉妹の妹のほう。
背丈だけでいうとでっかいほう。
夏休みのホームステイで越谷家にやってきた僕が手を差し出すと、ぶっきらぼうにつぶやいた。
「握手なんていいよ別に。面倒くさい」
なんだよこいつって思った。
ちっこい姉の小鞠ちゃんが言った。
「もー、夏海、ちゃんと挨拶して」
「え。やだよ。握手ってなんか気持ち悪いし」
そう言ってプイと顔を背け、頭の後ろで腕を組む。
むかつくやつだな、と思った。
でも、むかつく分だけ気になったりもした。
なんかこう、ムズムズする、懐かしい感じ。
「夏海。これからしばらく一緒に暮らすお兄さんなんだから。ちゃんと仲良くしなさい」
越谷ママがそう言って叱る。
「ウチの兄ちゃんは兄ちゃんだけだし」
口をとがらせる夏海。
「そういう意味じゃないでしょ」
怒るママ。
僕は置いてけぼりだ。
退屈そうに僕がぼんやりしていると、夏海が言った。
「そもそもさ、背低いから年上に見えないんですけど。歳いくつなの?」
この言葉にはさすがにムッとした。
「悪かったね。僕は15歳だよ」
「ふぅん」
また興味なさそうにそっぽを向いた。
僕はぼそっとつぶやいた。
「……ブラコン」
その言葉に反応して顔を真っ赤にした夏海がきっとにらんでくる。
「な、ななな! ち、違うし!」
「図星だろ」
「ち、違う!」
そんな感じで、僕と夏海の出会いはあまりいい雰囲気のものじゃなかった。
※
けれど、打ち解けるのは意外に早かった。
ある日のことだ。
田んぼの畦道をぶらぶらしていると水路に釣り糸を垂らしている夏海を見かけた。
ワーク風の短パンにサイズのでかいTシャツ。
相変わらずの男の子みたいな服装。
楽しそうに鼻唄をうたいながら釣り糸を素早く動かしてる。
「よっ、ブラコンおとこ女」
僕は興味を惹かれて声をかけた。
「なんだよ。都会から来たヒョロヒョロ男。いま忙しいんですけど」
こっちに顔もむけず不機嫌な声を出す。
「それってさ、タウナギ釣ってるの?」
「え?」
夏海が振り向いた。
すげー驚いた表情してる。
僕は面白くなった。
「タウナギ、知ってんの?」
「知ってるよ。親父が釣り好きだもん」
「え。マジか」
「水路で素早く糸を動かして釣るっていったらタウナギでしょ」
「ま、まぁね」
夏海が少しばつが悪そうに鼻の頭を掻く。
「とはいえ、知識だけで実際に釣ったことはないけど」
僕がそう言った瞬間だ。
釣り糸が強く引いた。
「あ!」
夏海がうれしそうな声を上げる。
「すごい引きだ! これは大物かも!」
水路の底の泥に目をやると、巣穴から顔を出したタウナギが釣り針に食いついている。
「ていっ!」
夏海が大きな掛け声を上げて一気に糸を引くと、ずぼっと巣穴からタウナギのぬめっとした体が引き出された。
「やった。釣れた!」
満足げに笑う夏海。
目がキラキラと輝いている。
ぶっきらぼうで不貞腐れたやつかと思ってたけど、元気で楽しいやつじゃん。
「生のタウナギ初めて見たよ」
「へへへー」
釣り上げたタウナギを素手でつかんで、口元の釣り針を抜くと、水路にリリース。
慣れたもんだな。
「いつもこういう遊びしてるの?」
「ねーちゃんたちと一緒じゃないときは、たまにね」
「僕も一緒してもいい?」
「うぇ!?」
そんなに驚かなくてもいいだろ。
夏海がちょっと照れ臭そうに言った。
「べ、別にいいけど。釣り好きだって言ってたし、ちょっと印象変わったから特別に許したげる」
「ありがと。そっちこそ印象変わったよ」
「え?」
「元気で楽しそうなやつだなって思った」
「ば、バカ」
※
それからは、頻繁に二人で遊ぶようになった。
夏海は釣りだけじゃなくて、いろんな田舎ならではの遊びを知っていた。
木に登ったり、秘密基地を作ったり、虫を取ったり、橋から川に飛び込んだり。
二人で川遊びをしながら、僕は言った。
「こんなに外で遊んだの小学生の時以来だ」
「あ、それさ。前から聞こうと思ってたんだ」
濡れた髪の水滴を払うようにブルブルと首を振って夏海が言った。
「裕太ってさ、けっこう野外遊び好きでしょ。なのになんでひょろっとしてるのかなーって」
「中学校に上がってから全然外で遊ばなくなったからだよ。進学校に入学したから勉強も忙しくなったし」
「進学校?」
「勉強にうるさい学校」
「ウチそんなん絶対に無理だー」
うげって顔をして舌を出す。
「あとはまぁ、一緒に遊んでた悪友がいなくなっちゃったからかな」
「転校?」
「そんな感じ」
「ふぅん」
「なんだよ」
「ぼっちだ」
にししっと夏海が口元に手を当てて笑う。
「うっせー」
僕が口を尖らせると、夏海は川岸に手をついて上がった。
「はー、びちょびちょだ」
そう言って、川から上がると大胆にTシャツの裾をまくって水を絞る。
おへそが見えるのもあまり気にしない。
それがむしろ夏海のチャームポイントだと思う。
※
二人で遊んでいて、一番楽しかったのは探検と称して森の中をかき分けて散歩したことだ。
夏海曰く、森の奥に謎の要塞があるらしい。
「前にねーちゃんと探検してて発見したんだけどさ。それ以来たどり着けられてないんだよね」
「それって迷って偶然見つけたってこと?」
「まーそうとも言う」
「なんか目印ないかなぁ」
「渓流を登っていくところまでははっきりしてるんだけどね」
「よしっ。そんじゃその要塞とやらを見つけてみようぜ」
長丁場になるかもしれないから、リュックサックにお弁当や懐中電灯を入れて出発。
なかなかワクワクする。
獣道をかき分けて、森の中の渓流までたどり着いた。
「ここまでは簡単なんだよなぁ」
さらさらと流れる透明な水をにらんで夏海が悩ましげに言った。
「川沿いに登っていくわけじゃないの?」
「それが、そう行っても何もないんだよなぁ」
「かといって他に道は見当たらないし……」
僕はあたりを見回す。
時折、鳥か何かのガサゴソ動く音がするだけ。
道らしきものは何もない。
「あっ!」
夏海が唐突にポンと手をたたいた。
「今の鳥の音で思い出した」
「マジ?」
「うん。前に来た時さ、とりあえずここで水遊びしてたんだよ。そしたらねーちゃんが、冷えたからおしっこしたいって言いだして」
小鞠ちゃん、とんだ話が始まっちゃってるぞ……。
「でもトイレなんてないでしょ。どうしようってなってさ。ウチが『その辺でしてきたら?』って言ったんだ」
おぉぅ、ワイルドだね。
「最初はねーちゃん『そ、そそそそんなの絶対ムリ―!』とか言ってたんだけど『んじゃおもらしする?』って聞いたら、しぶしぶそっちの草やぶに行って……」
夏海が、渓流の大きな岩肌の奥の茂みを指さす。
「しばらく待ってたら、パンツも履かずに飛び出してきたんだよね。『なんかいたっ! がさって音した~!!』とか涙目で叫んで」
そう言いながら、件の草やぶをかき分ける。
「で、あっちに走って逃げたねーちゃんを追いかけたら……あっ」
道だ。
草やぶに隠れて見えなかったけど、うっすらと道がある。
舗装されたものではないけど、細い獣道。
「これだぁ!」
僕たちは小躍りしてハイタッチ。
二人で意気揚々と獣道をたどった。
すると、ちょこちょこと、石みたいなのが道に埋め込まれてるようになった。
「これってやっぱり、人工的な道?」
「みたいだね」
やべっ。
テンション上がる。
そのまま進むと、やがて地面に埋め込まれた石みたいなのは比較的形の残っている石畳のようなものに変わっていった。
そして、僕たちは廃墟にたどり着いた。
それは、かなり古い建造物だった。
ほぼ石でできた何かの建物が、朽ちて、ところどころ崩れ、苔むしている。
戦前のものかもしれない。
「中! 中入ろうよ!」
興奮気味に夏海がまくしたてる。
「うん!」
僕はうなづいて、二人で廃墟の中に足を踏み入れた。
「うわぁ。中は結構広いや」
夏海のそんな声がこだまする。
「あれ? 前に来たときは中に入んなかったの?」
「ねーちゃんが怖がって帰りたがったから」
あぁ、想像つくわ。
「なんか、しんとしててひんやりしてる」
「お化けでも出そうだな」
僕がわざとおどろおどろしい声を出したけど夏海は動じない。
「そんなん夏海ちゃんパンチとキックでやっつけるし」
「おっ。あれ、見てよ」
がらんどうのような朽ちた石の建造物の奥に、下に降りる階段があった。
「ち、地下室?」
さすがに夏海も、ごくりと唾をのむ。
「なんか拷問部屋とかあったりして」
「え?」
「ほら、こういう古い施設って、戦時中の軍隊の施設だったりする可能性もあるだろ。人体実験とか、毒ガスの実験する部屋とかだったりして」
「えぇぇ?」
夏海がおろおろする表情を見せた。
それが珍しくてちょっとからかいたくなる。
「あれ? 怖いの?」
「こ、怖くなんかないし!」
そう言い放つと、夏海は階段を下り始めた。
が。
数歩降りると振り向いた。
「ちょ、ちょっと。裕太も一緒に降りてよ」
情けない声を出した。
「はいはい」
苦笑して、二人で階段を下りていく。
電気も何もついてないから、かなり暗い。
日中だということを忘れそうになる。
それに、土をくりぬいたような穴に近い階段だから、かなり狭い。
夏海は僕にぴったりくっついていた。
「な、なんかガサガサ鳴ってるような」
心配そうにそうつぶやく。
確かに。
なんか頭上でかすかな音がするような。
「あ。懐中電灯持ってきたんだった」
僕はリュックから懐中電灯を取り出す。
「うりゃ」
電源を入れて、頭上を照らすと……。
びっしりと、蜘蛛に似た虫が壁に張り付いていた。
「ひぎっ!」
僕は思わず変な声を上げてしまった。
「あ、これカマドウマだ」
さっきまでビクビクしていた夏海が急に元気を取り戻して平然と言う。
「別に害はないから安心していいよ、裕太」
そう言って僕のほっぺたを後ろからつんつんしてくる。
さっきの仕返しとばかりにからかって来やがった。
「き、急に見たから驚いただけだよ」
僕はそう言いつつ虫が動き出さないように、刺激しないようゆっくりと階段を下りる。
下りきると、細い通路に出て、一本道なのでそのまままっすぐ進むと、今度は上りの階段になった。
またもやカマドウマぎっしりの階段を上ると、地上に出た。
「あれ? 地上に出ちゃったな」
廃墟の続きに出ると思っていたから、肩透かしだ。
でも、なんだろうここ……ちょっと不思議な独特の雰囲気。
それは、廃墟の中庭のような場所だった。
朽ちた石の壁に囲まれた直径10メートルにも満たない空間。
もともとは天井があったのだろうか、レンガが剥き出しになった割れた柱が一本立っている。
けれども、足元は土だ。
草が茂って、小さな草原という感じ。
昼過ぎの温かい日差しが僕と夏海を柔らかく包んだ。
さっきまで真っ暗な地下階段にいたからだろうか、地獄から急に楽園にやってきたみたい。
「ここでお昼にしようよ」
「そうだね」
結局この廃墟が何の施設かはよくわからないままだったけれど、そんなことはどうでもよくなっていた。
二人で、越谷ママの作ってくれたお弁当を食べる。
「ぷはー! おなかいっぱいだー!」
夏海がそう言って寝ころんだ。
シートがなくて直接草の上でも気にしないのが夏海スタイル。
僕も同じように寝転がる。
青い空。
ゆっくりと流れる白い雲。
そよそよと、風が肌をなでる。
僕たちは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく微笑みあった。
「裕太と一緒にいるとウチ、めっちゃ楽しい」
「僕もおんなじこと考えてた」
「へへへ」
夏海が、男の子みたいに笑う。
僕は言った。
「夏海といるとさ、男と女ってのを忘れそうでいいよな」
その言葉に返事がなかった。
しばらく沈黙がおりたあと夏海は急に立ち上がった。
「あんまりゆっくりしてると日が暮れちゃうかも。そろそろ帰ろ」
「お、おう」
※
この日を境に、夏海と僕の関係は急速に変化していった。
その日から、夏海と僕の間におかしな距離感が生まれた。
理由はよくわからない。
目が合っても逸らしてしまうし、あまり話しかけてこなくなった。
野外での遊びにも、誘ってこなくなったし、僕が誘ってもなんかはぐらかされてしまう。
僕は戸惑い、そしてイラっとした。
でもどうすればいいのかわからなかった。
時折、視線を感じることがあった。
そういう時は必ず、少し離れたところから夏海が僕を見ていた。
何か言いたげな瞳で。
けれども、僕が視線に気づくと、ぷいと彼女はいなくなってしまう。
なんなんだよ、いったい。
夏海とばっか遊んでいたから、一人きりで遊ぶと、手持ち無沙汰で困った。
今さら急に、他の子たちに遊びに混ぜてとも言いにくいし。
急にすれ違いはじめた僕と夏海を、みんな心配そうに遠巻きに見ている感じだった。
触れにくいんだろうとは思ったけど、そのこともまた、イライラした。
僕は、一人で田んぼの畦道をふらふらと散歩して時を過ごすことが多くなった。
そうこうしているうちに、徐々にホームステイの期間の終了が近づいてきてしまった……。
※
夏海という、せっかくできた気を許せる友人を訳のわからないまま失いたくない。
僕は勇気を出してある日、夏海に声をかけた。
「あのさ。明日、どっか遊びに行こうよ。前みたいに。虫取りとかどうだ?」
「え、明日?」
「ダメか?」
すると夏海は申し訳なさそうに言った。
「ごめん。ウチ、明日は大事な用事があるんだ」
「どんな用事?」
「えっと。車で、デパートに連れてってもらう」
「似合わねーな」
僕のその言葉に、夏海がうつむいた。
ちょっとひどいこと言ったかな。
僕は謝った。
「ごめん。その、僕も一緒に行ってもいい?」
「えと……だ、ダメ」
断られた。
断られると思ってなかった。
それがショックだった。
僕は不機嫌そうに言った。
「わかったよ。勝手にすれば」
そうつぶやいて襖を閉めた。
「あ……」
夏海の小さなつぶやきがかすかに聞こえた。
翌日。
夏海は小鞠ちゃんと二人で車に乗せてもらってデパートに出かけて行った。
俺は一人でテレビを見てその日を過ごした。
その日の夜。
帰ってきた夏海が、部屋で何かごそごそしていたかと思ったら、急に襖の向こうから声をかけてきた。
「あの、裕太」
「なに?」
ちょっと不機嫌そうな声が出てしまう。
「入っていい?」
「……いいけど」
「! あ、ありがとう」
すごくうれしそうな表情で、夏海が襖を開ける。
久しぶりに、こいつの明るい顔を見たような気がする。
「なんか、用事?」
「う、うん」
一呼吸おいて、夏海が言った。
「今日はごめん。あのさ、明日一緒に遊ぼうよ」
それは予想外の言葉だった。
僕がずっと待っていた言葉でもあった。
「え、僕と? 二人で?」
「う、うん」
「あ、そ、そっか」
思わず頬が緩む。
「い、いいよ。久しぶりに一緒に遊ぼう」
「やった!」
夏海が太陽みたいな笑顔でガッツポーズ……をしてから、恥ずかしそうに手をおろした。
「そんじゃ、虫取りでもする?」
僕がウキウキして問いかけると、夏海は申し訳なさそうに首を振った。
「あ、できれば、ちょっと違うことがしたいんだ」
「違うこと?」
「うん」
「どんな?」
「そ、それは内緒」
「なんだよそれ」
「それとさ、待ち合わせにしようよ。前にタウナギを釣った畦道で」
「まぁ、いいけど」
そんなわけで翌日。
僕は久しぶりに楽しい気分で畦道を歩く。
天気もいい。
水路の透明な水が、日に照らされてキラキラしている。
いつものタウナギ釣りをする場所に人影が見えた。
夏海だ。
「おぉーい」
僕が手を振ると、向こうも手を振り返す。
僕は小走りで駆けた。
今日は釣りとか、虫取りとか、川遊びとか二人でいっぱいしよう。
待ちきれない。
「夏海、お待たせ……って、なに? その恰好」
僕は唖然とした。
夏海がスカートを穿いていたからだ。
それに、髪形もいつもと違ってなんか編んでるし、ヘアピンまでしている。
「お、おはよう」
顔を真っ赤にして、夏海が言った。
「え、どうしたの、その服装」
僕はつぶやく。
「え、えと、その。へ、変、かな?」
「変っていうか、女の子みたい」
その言葉に夏海が盛大にニマニマする。
「そ、そっか」
「あのさ、その格好だと、虫取りとかできなくない?」
「う、うん」
夏海が僕をまっすぐに見つめて言った。
「今日はちゃんと女の子らしい服装してきたから。お散歩とかしようよ!」
勇気を振り絞るように言った。
僕はうつむいた。
心ががらんどうになって冷え込んでいくのが分かった。
言いたくない。
言ってはならない。
しかし、言いたくて仕方がない言葉が、口をついた。
「やめてくれよ。夏海らしくない。僕、虫取りとかしたかったのに」
そして、沈黙。
ぽつり、ぽつりと、何かが畦道に滴り落ちた。
夏海の涙だった。
その日以来、夏海とは一言も話さなくなった。
夏海が女の子らしい服装をしたのはその日だけだった。
たまたま軒裏に出ると、デパートの袋にぐちゃぐちゃに入れられたスカートが捨てられていた。
たぶんヘアピンも入っているのだろう。
※
一週間後、僕が都会に帰る日がやってきた。
僕はうつろな気分でバス停に立っていた。
見送りに来てくれたのは、小鞠ちゃん、お兄さん、越谷ママ。
夏海は来なかった。
やがてバスが来た。
僕がそれに乗り込もうとした瞬間、小鞠ちゃんが小さな封筒を差し出してきた。
「これ、読んでよ」
「手紙?」
「夏海からだから」
僕は思わずそれを受け取った。
乱暴に、クシャっとポケット入れると、扉が閉まった。
バスが発車する。
田舎の風景が流れていく。
流れていく。
流れていく。
僕はしばらく立ったまま、窓の外の景色を呆然と眺めていた。
「あ……」
バス停を離れ、越谷家の前を通った時。
ぽつんと立つ人影が見えた。
夏海だった。
いつも通りのボーイッシュな服装。
僕の乗るバスを、じっと見ていた。
一瞬で通り過ぎてしまったから、その表情はよく見えなかった。
僕は後部座席にふらふらと腰かけた。
乗客は僕一人だった。
がらんどうのような車内だ。
ポケットに突っ込んだ手紙を開いた。
そこにはところどころ涙でにじんだ文字でこう書かれていた。
“夏海です。裕太、ごめんなさい。”
それから、だいぶ空白を開けて、こんな言葉があった。
“男の子みたいじゃなくて、女の子みたいに見られたかった”
またかなり空白を開けて。
一番下に途切れそうな文字で、こう書かれていた。
“好きでした”
僕は泣いた。
その手紙をくしゃくしゃに握りしめて泣いた。
そして自分の愚かさが胸にしみて爆発した。
「夏海、ごめん……」
もう遅すぎる言葉をつぶやいた
※
後部座席に身を委ね、目を閉じた。
暗闇の中で、夏海がスカートを穿いてきた日のことを想った。
あの時の夏海が〝あいつ〟にダブって見えてイラついたことを想った。
〝あいつ〟は小学生の6年間を通して一番仲が良かった親友だった。
いつも短パンとTシャツ。
泥んこになっても転んでも気にしない。
いつも2人で走り回って遊んでいた。
そんな〝あいつ〟が、急にお洒落をし出したのは中学生になってからのことだ。
親にうるさく言われて受験した僕と違って、地元の中学に進んだ〝あいつ〟はそこでの新しい友達の影響でどんどん女の子らしくなっていった。
学校は別々になっても、これからも土日は遊ぼうって約束したのに。
どんどんと疎遠になる。
たまに一緒に遊んでも会話も合わなくなっていく。
そしてある日、告げられたのだ。
「彼氏が出来たから、もう会えない」
と。
その時になって僕はようやく、〝あいつ〟のことが好きだったのだと気がついた。
でも、もう手遅れだった。
心に出来た空白を埋めるように僕は勉強に没頭するようになる。
僕はどんどん色白くひ弱になっていった。
夏海と出会うまでは。
そんな経験があったから。
僕は怖かった。
男の子の友達みたいな大好きな女の子が、急に女らしくなって変わってしまうことが。
たとえそれが今度は僕に向けられたものだったとしても。
だから僕は、夏海の。
ヘアピンやスカートが許せなかった。
夏海がまるで恋してる女の子みたいになっていくのが、怖かった。
恋なんてして欲しくなかった。
※
僕は、唸り声をあげた。
嗚咽だった。
悔しさやむなしさや悲しさや痛ましさがぐるぐると渦巻き、僕を殺そうとしているみたいだった。
僕はそれと闘うように歯をくいしばった。
バスは暗いトンネルを抜け、もう郊外へと近づいていた。
(終わり)
さて、いかがでしたでしょうか。
最近ラブコメばかり書いている反動で暗い話が書きたくなりました。
少しでも楽しんでいただけると良いのですが。
ご感想や叱咤激励のお言葉などいただけたら幸いです。