旧暦の地理に当てはめてみると、およそフランスが存在した位置に現在のアドラー帝国首都は存在する。
そこから軍事国家として侵略戦争を続け、アドラーは千年の間にジワジワと国土を拡大していった。周囲の国を屈服させ、軍備力を整え、さらにさらにと手に入れた力で他国を侵略して憚らない。すべては帝国の繁栄のため、気が付けば国土は最初期の数倍にまで広がり新西暦でも屈指の国となっていたのだ。
しかしそれも現在では頭打ち、弱小国が次々と淘汰されていく中でしぶとく生き残り幅を利かせる大国というのも確かに存在する。彼らこそ帝国の進撃を止める最大の要点であり、今もなおバチバチと火花を散らす最大の敵なのだ。
北は旧・ブリテン領に存在するカンタベリー聖教国。
東は旧・東ヨーロッパ地域一帯に領土を構えるアンタルヤ商業連合国。様々な国が連合して成り立ったこの国は、十氏族と呼ばれる豪商一族たちが日夜血みどろの権力闘争を繰り広げる蟲毒の底だ。けれど外敵に対しては一致団結する姿勢も見せ、普段の武力争いが嘘のように手を取ることも珍しいことではない。
そしてこのアンタルヤこそアドラー帝国の進軍を阻む現状最大の敵であった。商業国だけあって経済的な強さはかなりのものであり、他国との貿易に加えて武器の製造から麻薬の密売まで何でもござれだ。さらにアンタルヤで一旗揚げようと目論む傭兵や暗殺者も多く有していることから、戦力的な意味でも決して帝国に劣ることはない。
端的に言って厄介な国。それがアドラーからのアンタルヤの評価であり、幾度となく武力衝突してもなお終わりの兆しが見えることはない。もう戦端が開かれてから何年も経過したはずの東部戦線だというのに、未だ最前線と言われるゆえんの一端はここにある。
──けれどこの膠着は、ついに動きを見せることになる。
今はまだ誰も知らないただの一兵卒でしかないクリストファー・ヴァルゼライド。後の英雄となる彼がこの東部戦線に配属された時から、アドラーとアンタルヤの版図は大きく塗り替わる。彼と、その盟友たちの活躍が冗談のように戦線を変化させるのだ。
まずはその序章、まだ新兵だった彼らの配属された先は旧・ドイツ領の一大都市フランクフルト。旧暦からここまで残り続け現在まで存続した歴史あるこの地から、彼ら彼女らの新しい運命の歯車は静かに回り出す。
◇
アドラー帝国の誇る
第六東部制圧部隊
オレたちが配属される先は第六部隊の
なんてことを考えつつも東部への移動は問題なく進み。
アドラーからの列車がフランクフルトの駅に到着したのは、正午もすぎて早くも太陽が雲に隠れだした頃だった。
「へー、ここがフランクフルトか……さっむいなぁ」
蒸気駆動の列車から降りた途端、身を刺すような冷気の洗礼に見舞われる。のんきな感想と共に零れた吐息は白くなっていて、しかも手袋をしているはずの指先がかじかむような寒さであり、トランクケースを掴むだけでも一苦労だ。さすがに北の方だけあってアドラー首都とは比較にならない外気温である。車内に置いてあったストーブが早速恋しく感じられてしょうがない。
とはいえこのまま列車に戻れば首都へと逆戻りなので、厚手の軍服に感謝しつつ身を縮こませた。スラムで冬を乗り越えた時はたいてい三人で薄布に包まり身を寄せ合ったものだが、それに比べればまだマシである。
「いやぁ、長旅で背中や肩がガチガチだわ。ジッとしてるだけでも疲れるってのは贅沢だなおい」
「同感だ。何もしないよりかは鍛錬に身を置いている方がよほど性に合っている。まさかこの程度の時間で身体が鈍ることもないだろうが……」
「心配性だなクリスは。まあちょいと筋肉は固まってるだろうけど、ほぐせば大丈夫だろ」
肩を回しつつ降りてきた二人と軽口を叩きながら、オレもならって軽く腕を伸ばしたりしておく。なんてことはない列車の旅、外の景色を眺めるのも楽しかったが身体が強張って仕方ない。
なんてことをしていたら他にもぞろぞろと新配属の新兵たちが駅のホームへと溢れ返り、さらに引率役のなんとか少佐に引き連れられて一気に移動を開始する。さすがに軍人なので勝手な私語は慎んだが、好奇心に負けてキョロキョロと周囲を見渡してしまう。
フランクフルトの駅は旧暦と新西暦の混じったような装いだ。所々に旧暦らしい自動改札や照明などの名残が散見される一方で、普段一般市民が使うような改札は古き良き駅員さんが切符を売って制御している。鉄で出来た頑丈な壁は
「なぁレーテ、フランクフルトってこんな寒いもんなのか? 雪まで降ってきてこりゃヤバいだろ」
「気持ちは分かるが我慢しろって。フランクフルトならこんなもんらしいぞ」
駅を出てアドラー帝国軍の拠点に向かう道すがら、トランクケースを引きずる音に紛れてアルから不意に話しかけられた。ひそひそ声で答えつつ空を仰げば、確かに分厚い曇から雪がしんしんと降り始めているではないか。そりゃ寒いはずだ。
「確か冬になると最高気温の時点で五、六度くらいまで落ち込むとかなんとか。でも夏はわりと暖かくて過ごしやすいらしいぞ」
「そりゃいいや、夏まで生きてられれば最高じゃねぇか。はー、こんな街並みを好きに散策してみたいもんだぜ」
「下手して麻薬でも売られたら大変なことになるけどな。どうするよ、そんなことにでもなったら」
「馬鹿言え、そうなったらすぐ軍に報告してしょっぴいてやるよ。……ま、新米の俺が何できるかは知らないが」
旧暦の頃もこのフランクフルトは犯罪が結構多い都市だとは聞いていたのだが、今になってもなおそのジンクスは変わっていないらしい。特に麻薬被害には手を焼かされているらしく、治安維持をするにも一苦労だと士官学校で習っていた。
このフランクフルトの都市は中心にマイン川という巨大な河川が流れていて、今も昔も貿易の要所となっている。しかも現代では飛行機もなく旧時代的な鉄道や自動車程度しかないため、河川のルートはより重要だ。そのため帝国もこの地を東部における前線拠点の一つとしているらしいが。
「色んな物品が流通するせいで麻薬やら何やらも次から次に紛れ込んでくると……世知辛いよな全く。冗談抜きで街歩いてたら変なもん売りつけられてもおかしくなさそうだ」
「確かニルヴァーナだっけか? 迷惑な野郎だぜ全くよ……」
アルが呟いた『ニルヴァーナ』とは、アンタルヤ商業国に根城を構えると言われる巨大麻薬組織の名である。どうやら手広く麻薬関連の商売をしているらしく、莫大な利益を得てはアンタルヤにも還元しているとか。そのくせ組織の主要な拠点はおろか詳しい麻薬流通ルートすら判然としていない秘密性の高い組織であり、アドラー側が是が非でも潰したがっている勢力の一つだった。
ちなみに”ニルヴァーナ”とはうろ覚えの記憶によれば仏教の用語らしく、要するに煩悩を捨てた悟りの境地とかなんとか。これもうろ覚えだが涅槃とも言い表されていた気がする。
まあ確かに麻薬を吸って多幸感にでも酔いしれれば、その瞬間から煩悩を捨てて俗世のことなどどうでもよくなってしまうのかもしれない。好きに夢を見て現実など忘れてしまえ、俺たちはそうして金を手に入れると。随分と皮肉が効いているし反吐が出る思想だ。
「現実から逃げたところでしょうもないだろうにな……そりゃ嫌なことなんざたくさんあるだろうけど、だからって人生棒に振っちゃ全部お終いだろ」
「確かにそうだけどな。でもやっぱ現実は辛いもんさ。正しいことを正しいようにやれる奴なんざこの世には一握りだ。誰だって夢を見たいし、嫌な事からは逃げたいもんだ。麻薬なんてふざけた代物だろうとな」
「そういうもんか……」
「そういうもんさ。誰もがお前やクリスみたいに強くは生きられる訳じゃない。辛いことがあっても頑張って乗り越える、そいつは見た目よりずっと重労働だ」
昔の俺がそうだったようにな、そうアルバート・ロデオンは締めくくった。彼なりに実感の籠もった言葉にオレとしても口を噤むしかない。
別にオレは自分自身が強い心の持ち主だなんて考えたことは一度もない。ないのだが……もしかしたらそれは、無意識に驕りとなっていたのかもしれなかった。アルの態度を見て改めてその反省をさせられる。
しかしだからといって、麻薬などといった非合法のブツに手を出す気持ちなど欠片も分からない。理解したくもない。
「難しいもんだな、色々と──」
「おい。レーテ、アル」
ちょっとばかり感慨に耽っていると、唐突にクリスが話に割って入ってきた。彼はこれまで真面目に無言を貫いていたのにどうしたのだろうか。
「なんだよ急に」
「興味深い話をしているのは分かるが、もう少し静かにしろ。さすがに目立っているぞ」
「あー……ごめんなさい」
気が付けば周囲の視線がかなり突き刺さってしまっている。どうやらアルと二人で話し込みすぎたみたいだ。
こんなことで叱責を喰らってもご免である。なので誤魔化すように愛想笑いを浮かべながらアル共々ペコリと頭を下げ、それ以降は口を噤んで歩くことしたのだった。
◇
フランクフルトの街並みも駅と似たような具合に近未来と旧時代的な施設の入り混じったものだ。
旧暦から残っている高層ビル群が異質を放つ一方でチラホラと煉瓦や石造りの家屋も混じっており、また遠くの方にはうっすらドイツらしい装いの建築物も残っている。マイン川を横切る川も旧暦のものから新西暦になって新たに建造されただろうものまであり、新旧入り乱れる情緒を感じさせる。
そんな不思議な街並みを見物しながら歩くことしばらく、ようやく我らがアドラー帝国軍の拠点に到着した。引率の少佐に続いてぞろぞろ兵が入っていくのは、まさに旧暦から残る高層ビルの一つだった。
「大きいなー……」
首都にある
踏み込んだ内部はよくある広めのエントランスとなっているが、機械類が完全に全滅してる影響で電力は一つも通ってない。ビル内も駅と同じく松明や蝋燭で灯りが取られており、自動ドアは手動ドアに、電子ロックは機能せずエレベーターはただの箱となっているようだ。
こういうところでも
ともあれエントランス脇の幅の広い階段でどんどんと上層へと昇っていき、四階まで辿り着いた辺りで一つの大部屋へと到着した。そこはどうやら廊下や部屋を仕切る壁をほぼ全て取り払って作った大部屋らしく、一フロア分が丸々集会場のようになっていた。
「総員整列!」
少佐のよく通る低い声が木霊し、全員が即座に綺麗な列となって直立する。この辺りは士官学校で散々習ったことでもあるからオレたちにも戸惑いはない。軍隊なんて縁遠いと思っていたのに気が付けば適応してるのだから人間万事塞翁が馬と言うべきか。
集った人数はおよそ七十人程度、フロアの半分にも満たない程度の面積を占めている。この時期に配属される輩はだいたいオレたちと似たような理由持ちだろうし数が少ないのも頷ける話だった。
なんて考えている内に、前方の少し高くなっている舞台に一人の男が登壇した。まだ若い男だ、たぶん三十代に足が掛かった程度だろうか。神経質そうな細身の体躯は、失礼ではあるが前線で戦う者とは思えない貧弱さだ。たぶん文官系の人物なのか、あるいは──
「君たちは本日付けで
そうして彼は表上は友好的に、けれど口調と瞳には隠そうともしない侮蔑の念を込めてオレたちを舐めるように見渡した。あまりにも分かりやすいその態度に、こちらも表には出さず内心で嘆息した。
配属先の部隊長の名を聞いた時点で覚悟はしていたが、やはりアドラーの血統主義にガチガチに凝り固まった人物であるようだ。であれば次に飛び出す言葉も想像に難くない。
「我ら帝国のために生きて死ね。それだけが君たちが生まれた意味であり、この場にやって来たただ一つの至上命題なのだから。役に立ってくれたまえ、それすら出来ない者は生きる価値すらないのだから」
ああ、全く。本当に分かりやすくていっそ笑えてきてしまう。スラムの屑はその程度がお似合いだと突きつけ笑う様は絵にかいたような”傲慢な貴族”であり、悪い予想をこれっぽっちも裏切ろうともしてこない。オレ以外もだいたい予想はついていたのか、特にざわめくことなく彼の言葉を受け止める。
カイト・
「まあ良い、誰がどのように役立つかは君たちの頑張り次第だ。あるいは思いもよらぬ方向で力を発揮できることもあるやもしれないが……」
言って、改めて値踏みするようにオレたちを見渡す。その視線がほんの一瞬だけオレのところで止まったように感じ、無意識に身体が強張った。細められた視線はこちらを
「どうであれ、諸君らの健闘を祈ろう。ベルリン侵攻予定はこれより二週間後、それまでは各自戦いに向け余念のないように過ごすべし。詳細はまた追って連絡する、以上だ」
最後の最後に部隊長らしく真っ当な事を述べ、影隊長はオレたちの前から去って行った。そのまま少佐の方からこれからの通達と解散の指示が出たため、ひとまずそれに従い動き出す。やはりというかこの高層ビルの一室がそのままオレたちの自室となるらしかった。
上の方へと向かって階段を上りつつ、隣のアルとクリスへこっそり舌打ちする。話題はもちろん先ほどの部隊長についてだ。
「なんつーか嫌味な感じの隊長だな……あれだ、慇懃無礼っていうのか?」
「俺も同感だぜまったく……そんな感じはしてたけど、いざ会ってみるとやっぱキツイわ」
「アレは相手を対等と見ていない故の態度だろうな。言葉の端々に士官学校で経験したような悪意が滲み出ている」
やはりアルやクリスも同じように感じたらしい。特に人一倍正義感の強いクリスのこと、あのように大した努力もせずに高官の地位に就いている手合いは嫌悪とはいかずとも好かないだろう。オレはもっと
話しながらも階段をひたすら上り、上り、たぶん十階層くらいはさらに上ったところでようやくオレたちに用意された自室へと来た。ここでもやはりオレたち三人は同じ部屋としてまとめられているらしい。たぶん面倒だからいっしょくたにしたとかそんな理由だろうが、どう考えてもこの方がありがたいので良しとする。
雑にトランクケースを放り出して荷物の整理を始めがてら、二週間後に想いを馳せる。
「にしても初陣が大規模作戦ってのもどうなんだって話だけどな。もうちょっと楽な任務から始めたかったのが本音だわ」
「確か現時点での国境線はこのフランクフルトとベルリンの中間くらいなんだっけか? そこから戦線を押し上げてベルリンまで侵攻すると。ったく、考えるだけで眩暈がするぜ」
「だが同時にチャンスでもある。ここで手柄を立てることが出来れば、俺たちもまた不当な扱いを受けることはなくなるはずだ。何より帝国繁栄の切っ掛けとなるなら無茶でも何でもやるしかあるまい、そのためにここまで来たのだから」
旧・ドイツ領に陣取る二つの国家。それがぶつかり合う日までほんの二週間程度しかない。移動中の列車の中で大まかに話は聞いていたが、いざ部隊長の口から聞くとより現実味も帯びてくる。
オレたちはその作戦用に連れてこられた肉壁みたいなものなのだろう。ほぼ消耗品じみた扱いであり、正規に軍人となった者たちの踏み台となるのが影部隊長らの描いた未来図であるはずだ。
──だがそのような道理、オレたちが知ったことはない。
どんな不条理に見舞われようと必ず生き延びてみせる。心が諦めさえしなければ、絶対に現状を踏破し打ち破ることは可能なのだから。
「例えどれだけの困難があろうとも、決まっている。勝つのは──」
「オレたちだ。そうだろう?」
頷いた二人の親友と共に、まずはこの東部戦線最初の作戦を無事に生き残ってみせるのだ。
ひとまず年内の更新はこれくらいでしょうか。出来ればあと一話くらい更新したいのですが、今の執筆ペースだとかなり怪しいものでして……あまり期待しないで待っていてください。
どうにせよ今年も拙作にお付き合いいただきありがとうございました。また来年も一緒に楽しめれば幸いです。