まずは結論から言えば、先のテューリンゲンの森での戦いはアドラー帝国の勝利で終わった。
オレたち三人は大局には一切噛んでないので後から知ったのだが、どうやら帝国軍は正面から派手に攻め込む陽動たちと、森を迂回してアンタルヤの本陣に攻め込む二つを用意していたらしい。特に前者については情報管理に敢えて穴を空けておく一方で、後者の本命は自軍にすら徹底して秘匿しておく周到ぶりである。
そして作戦開始直後に一部の兵を連れて行動を開始し、警戒網を潜り抜けて敵陣に大打撃を与えたそうだ。夜が明ける前にアンタルヤの傭兵たちは散り散りになって逃走し、アドラーは軍事帝国としての面目躍如を果たしたことになる。
捨て駒作戦は正直癪だし腹は立つが、それでしっかり成果を出しているから何とも言い難い。などと感想を抱いていたオレたちではあるのだが、現在はちょっとしたピンチに陥っていた。
「つまりまとめると、君たちはかの悪名高き”血塗れの雛罌粟”の構成員と交戦、そして命からがら逃げてきたということかな?」
「まあ……」
「……その通りですね」
あのとんでもなく強い傭兵との交戦からおよそ一週間が過ぎた頃、オレたち三人は影隊長の呼び出しを受けていた。ビクビクしながら隊長室に赴き整列したのは三十分も前だったか。先の戦いのあらましは既に上層部へ報告していたものの、今回改めて詳細を話す形となったのだ。
ただし治療を受けたクリスの傷はまだほとんど癒えていないのだがお構いなし、本人もなんら躊躇なくベッドから出ていたので止める暇もなかったほどだ。医者も無理はさせるなと言っていたのだがどちらも気にする素振りすらない。
軍隊において一兵卒が上官の命令に従うのは道理だろう、そこは理解できる。だが仮にも怪我人で、しかも生還できた一番の要因をこうも無碍に扱うのはどういう了見なのか。個人的に怒りが沸き上がるものの隊長の手前なのでグッと我慢する。
「ふむ、なるほどな」
そしてこっちの心情を知ってか知らずか、影隊長は思案するように顎へ手を寄せる。黒髪黒目という大和が直系の証を見せつけるように身を乗り出し、値踏みするようにオレたちを見渡した。
さてここからどうなるか。変ないちゃもんを付けられてしまえばどうしようもない。なまじ血統主義の頂点かつ平気で捨て駒発言を出来る上官だから、変な意味の信頼は多分にある。
動揺を表に出さないように意識しながら待つこと数秒、影隊長が口を開いた。
「成果が挙がらなかったのは残念だが、それ以外に特段責めるべき箇所はないだろう。君たちの今後の活躍も期待させてもらうとしよう」
一瞬、自分の頭が馬鹿になったかと錯覚した。それくらい隊長の発言は
これまでの態度とは正反対な言葉に今度こそ動揺してしまい言葉が出ないが、それをフォローするようにアルが先んじて頭を下げた。
「……ありがとうございます、影隊長」
腑に落ちないといった具合のまま礼を述べたアルに続き、オレとクリスも一緒に頭を下げる。どうであれ評価された上で期待されているのは事実なのだ、ここでおかしな態度を取る方が余程相手の機嫌に障るだろう。
だけど、本当にそれだけなのか? あのとき、初めて顔を合わせたタイミングで臆面もなく”役に立たない者に価値はない”と宣言してみせた男にしてはやけに素直なような。
目くばせで隣の二人を視線を交わす。やっぱりどちらも似たような感想を抱いてるらしく、瞳は疑惑の色に染まっていた。
果たして隊長の方は、オレたちの悪い期待を裏切ってはくれないようである。
「ああ、礼は不要だよロデオン二等兵。つまり君たちは見込みがあり、かつ格上に追い詰められても戦い抜けるということだ。これは良い、非常に便利な
「は、はぁ……」
真正面から手駒とかいう辺り、ちょっと見直した感情が一気に下方修正されていく。やはりなんというか、この上官はオレたちスラム育ちの一兵卒を人として見ていないのだろう。有用ならば多少は気に掛けるが本質的には何も変化がない。役に立つか立たないか、それ以外は至極どうでも良いから簡単に色々と言えてしまうのだ。
これがアドラー帝国に蔓延る血統主義とやらの弊害なのだろうか。人を人とも思わないその感性は、今も昔も理解しがたいものがある。なまじ特別な感情など少しもなく、「それが当然」と言わんばかりの態度だから余計に酷いのだ。
「だから君たちを見込んで、早速だが次の戦線に出てもらうことにした。喜びたまえ、今度こそ武勲を稼ぐチャンスだ」
「それは……!?」
「発言は許可していないぞ、ブラウン二等兵。いいかね、今回の勝利によって他の膠着していた戦線も動きつつある。これは紛れもないチャンスだ、我ら
理屈は分かる。旧・ドイツ領におけるテューリンゲン州での戦いがアドラーの勝利に終わったことで、東部戦線の各地で変化が起き始めるのは自然なことだろう。自国の勝利によって勢い付いている現状を指揮官が利用しないはずもなしだ。
けれどそれの意味するところとは、つまり……
「ですが隊長! まだクリ──ヴァルゼライドは完治していません! 無茶をさせればそれこそ期待も何も──」
「先ほども言ったが発言は許可していないぞ、ブラウン二等兵。それとも営倉に入れられなければ分からないかね?」
「ッ……! すみません、でした」
「よろしい。私も美人の顔を殴る、などという事はしたくないからね」
今更どの口が言うのやら。謝罪しながら心の中で吐き捨てる。今までもこの手の輩とは何人も出会ってきたが、彼は上官だけに性質が悪いし腹も立つ。こちらが言い返せないのを知っているのだ。
しかしそんな個人的文句より遥かに問題なのは、オレたち三人が次の戦線にも順当に送られるということである。この流れを活かす以上、さらなる戦火まで数か月も間を取るなんてしないだろう。遅くとも一ヶ月か、早ければ数週間単位かもしれない。時間はそう多くないだろう。
そうなるとクリスの大怪我はいったいどうなるのだ? 本来なら今も安静にしてなければならず、こうして上官の前で不動の佇まいを維持していることが異常なのだ。なのに傷も塞がらない内から戦線に放り込むようでは、実質的に死ねと告げてるようなものではないか。
ハッキリ言ってあり得ないし考えられない。だがついさっき、影隊長はわざわざ真正面から教えてくれたじゃないか。オレたちはあくまで手駒であると。その観点からみて、安静させてる暇があるなら肉盾にでもなって来いということだ。
「君たちは何か忘れてはいないかね? スラム出身で成り上がりを夢見る若者なんて毎年いくらでもやって来るし、それこそ
だから文句など口にせず、黙々と上に従っていれば良いという事か。
ハッキリ言って反吐が出るような思想だ、これと同じ人間であることが恥ずかしいくらいである。
それでも今度こそ何も言わず黙っていると、隊長はクリスの方を見た。「出来るか?」ではなく「やれ」という意味の込められた視線に、クリスは力強く頷いてみせた。
「承りました。この命に替えてでもアドラーに勝利を齎してみせましょう」
「うん、良い返事だ。だが勝手に口を開くなと、私は二度も言わなかったかね?」
満足げな笑顔のまま、隊長はツカツカとクリスの目の前に来ると、大きく右腕を振りかぶって彼の頬を殴った。突然の凶行にオレもアルも開いた口が塞がらない。
しかし当の本人はその一撃に揺らぐことすらなく、口の端から血を流してもなお揺るがない。そんな有様が癪に障ったのか、それとも面白いとでも感じたのか、無表情になった隊長は短く退出を促してきた。これ幸いとばかりに三人揃って部屋を出て、本来クリスの居るはずの病室まで戻ったところで深い溜息を吐いてしまった。
「ったく、なんだありゃ……おいクリス、大丈夫か?」
「委細問題はない。そう心配せずとも大丈夫だ」
「本当か……? お前の我慢強さは見てて心配になるぞ」
そこでようやく張り詰めた緊張がほぐれ、ちょっとだけ口元に笑みが浮かんだ。本当にあの状況は胃に悪いし、一秒だって滞在したくない程にムカムカする。だけど三人で居ればなんとかその悪感情も隅に追いやれる気がした。
ともあれ、今回の一件で影隊長のスタンスはこれ以上なくハッキリしたと言えよう。丁寧な態度ながらあくまでこちらを人とは見ず、替えの利く消耗品程度にしか考えていない。重傷を負った相手を容赦なく殴れる辺り胸糞の悪さはトップクラスだ。
だが完全な無能でもないから余計に困る。今回の作戦もこちらの感情や兵の損失を除けば有効だったし、一応成果も出している。時期を鑑みて畳みかけようとするのも指揮官なら当然だろう。どうしてもその”ある程度は筋の通った合理性”まで責め切れない。
たぶん二人も似たような感情を抱いているのだろう。アルは苦虫を嚙み潰したような表情だし、クリスはなんら気にしてない様子でベッドに腰かけている。一番怒り狂っても良いだろうに、この中で最も冷静だ。
「んで、どうするよ? このままやるしかないのか?」
「だろうな。問題あるまい、幸いにしてお前たちに怪我はないのだ。ならば後は、俺さえ早期に復帰すれば懸念はないだろう」
「そういう問題かよ……」
またそうやってこの男は、こちらの気持ちも知らないでそんな
「今回はオレ達が守ってもらったんだ、次はこっちがお前を守ってやる番だろ? なぁアル?」
「そうだぜ、いつまでも一人で背負うなってんだ。俺達は親友で、仲間だろ?」
「仲間、か……そうだな、お前達が言うならそうなのかもしれない」
だが、と鋼の男は続けた。有無を言わさぬ強い視線に射抜かれる。
「そのような気遣いこそ俺には無用だ。お前達は俺などを守るより先に、自分の事にまずは集中してほしい」
「お前は……! この後に及んでまだそんなことを──」
「事実を言ったまでだ。この程度の傷で遅れを取ることなどない。だからまずは、自らがしっかり生き残る事を考えろ」
もしかしたら、それはクリストファー・ヴァルゼライドという男からの不器用で正論混じりな気遣いだったのだろうか。反論しそうになるのをグッと堪えて彼の言葉を反芻した。それ自体はとても嬉しいのだが、正しさだけで世の中は回らない。
絶対に無理などさせたくない。下手をしなくとも今度こそ死ぬかもしれないのだ。けれど、そう──クリスならあるいはと思えてしまうのだ。この誰よりも強い男は、本当に傷などモノともせずに活躍してしまうだろうと。
そう考えてしまった時点でオレはクリスの友人失格なのだろうか。だけどもその雄姿に憧れた一人として、彼の紡ぐ逆転劇を見てみたい。二つの感情の板挟みとなってしまい、うまく言葉を探せなかった。
「ったく、そうなるとお前は強情だからな。分かったよ、なら折半だ」
ポン、とアルが手を叩いた。二人してそちらを見やる。
「クリスはクリスで好きなようにすりゃいいさ、止めはしねぇよ。ホントは養生して欲しいが命令ともなればそうはいかねぇしな。ただし、俺とレーテも勝手にお前を守ってやる。それで良いだろ?」
「……お前も、随分とまとめ役が板についたな」
「言ってろ、誰のせいでそうなったと思ってやがる。レーテもそれで良いな?」
確認されたので静かに首肯した。確かに、現状の最善手はそれしかないだろう。互いに感情論で突っ走っても平行線のまま終わらない。
なんだか最近はアルの冷静さに助けられてばかりだと、ふと感じた。彼が居なければどうなっていたことやら。あまり考えたくない想像だ。
「ありがとな、アル。お前がいてくれて良かったよ」
「よせよ、照れるって。俺達だって今回の反省しなきゃならねぇし、やる事は沢山あるんだからな!」
本当に照れ臭そうに頭を掻いて話を逸らしたアルに、こちらも照れ臭くなって視線を逸らしたのだった。
◇
──それから先の出来事は、もはや語るまでもないだろう。
鋼の英雄の不屈が、その光に憧れた者の努力が、たかが
テューリンゲンの戦いから僅か二週間足らずで三人は次の戦場へと送られるが、先の戦いで既に要領は掴み始めている。さらに此度は単騎で戦局をひっくり返せるような
ただし、最初の方はこの評価にも色々と疑念や虚偽の視線が向けられた。なにせ一人はまだ重傷も治らぬ新兵で、さらに一人は少女でしかない。これにもう一人青年を加えたところで本当に先陣が務まり、かつ生還できるのかと疑問視されるのは当然といえよう。
もちろん実際のところはひたすらに気合と根性、怪我を負っていようがお構いなしにヴァルゼライドは突き進むしマルガレーテも後を追う。むしろピンチはチャンスとばかりに学習速度を高めていくものだから、ハンデがあるはずなのになお無双してしまう有様だ。前だけ向いて走り出す両者のフォローに回るアルバートが苦労する羽目になったのは言うまでもない。
精神力が限界を凌駕する、などと荒唐無稽な理論は既に芽を出しているのだが、普通はそう考えるはずもなし。
──どうせ他人の手柄を横取りしたのだろう。
──いいや、最初だけ勇猛に見せかけて逃げ惑っていただけかもしれない。
──あるいは単に運が良かっただけやも。
そんな多くのやっかみが軍内で飛び交ったが、謂れのない中傷程度を気にする様な繊細なメンタルの持ち主など一人もいない。好きなように言わせておけとヴァルゼライドはにべもなく切り捨て鍛錬に励むし、マルガレーテもアルバートもそんな彼に倣って無視をする。
こうなると面白くないのは悪評を噂する兵士たちだが、彼らも次第に黙らざるを得なくなる。波に乗った帝国軍が短期間の間に一気に戦線を押し上げた結果、アンタルヤとの武力衝突が幾度となく起き、マルガレーテ達もまた様々な戦場をたらい回しに送られることになったからだ。誰もが次こそは野垂れ死ぬだろうと信じて疑わなかった。
なのに次の戦場で、その次の戦場で、次の、次の次の、そのまた次の、あらゆる戦場で。どれだけ過酷だろうとなお先陣を切り、五体満足で生き残るとなればぐうの音も出ないだろう。次第に疑惑の声ややっかみは消え、代わりに彼ら彼女らへの尊敬の感情が強くなっていく。
──彼らはいったいどれだけの強さを持っているのだ?
──なんでも、ヴァルゼライドとやらは他者の数十倍の鍛錬を一日も休まず続けているとか。
──他の二人も似たようなものらしいぞ。おまけに勉学にすら励んでいるらしい。
一度風当りが正の方向へと傾けば、後は容易く前評は覆るものだ。これまでの悪評判が嘘のように立ち消え、戦場で輝かしい活躍を残す若き英雄たちへの憧憬の念が大きくなる。加えて三人とも一回たりとて成果を鼻にかけたことはなく、常に謙虚な姿勢で鍛錬を続け、時には教えを請うことすらあったのだから心証は一挙に右肩上がり。
まるで物語から抜け出したかのように奇跡を起こす青年と、その友として弱音を吐かずに背中を追う二人。インパクトとしては十分すぎたし成果も伴うなら言う事なしだ。
僅かに一年と少し。それがヴァルゼライドたちが期待のホープとして頭角を表し、不動の戦績をモノにし始めるまでの時間だった。
◇
「ああ、まさかこれほどまでとは。素晴らしい、噂に伝え聞くだけでも身震いするくらいだよ」
故にこそ、”彼”は想う。あの時抱いた自らの予測は外れていなかったのだと。彼らは紛れもない傑物として名を上げ、東部戦線に存在感を知らしめ始めている。嘘のような真の話は遠くアドラー帝国首都の、士官学校にまで届いていた。それだけスラム育ちの
「だが伝聞はあくまでも伝聞であり、百聞は一見に如かずとも言う。ならば良いだろう、君たちの輝きを是非とも間近で見届けさせてくれ。あるいはそれこそが、全てを変えてしまう一因かもしれないのだから」
まだ完全に信じ切っている訳ではない。彼らの輝きを知るには直に視ることが一番だから、一刻も早く東部戦線へ投入されることを”彼”は望むのだ。例え強大な光に両眼を潰されようとも構わない、もとよりこの不誠実で不平等な世の中が見えなくなろうが一向に構わなかった。
「綺麗なもの、理路整然としたものが好きだとしても、全てが上手くいく訳ではない。だからこれが現実だと諦めたが──さて、君たちはいったい何を私に見せてくれるのだろうか?」
”彼”にしては珍しく、それこそ滅多に見せないような楽し気な響きを含ませて、眼鏡の奥の青き瞳を輝かせたのである。
後半はかなりあっさりしてますが、次回でもう少し掘り下げる予定です。せっかくの成り上がり要素ですので。