予期せぬ褒め殺しをされてしばらく撃沈していたものの、ようやく顔の火照りも収まってきた。熱の引いた頬に吹き付ける河川の風を浴びて頭を切り替え、パンパンと頬を叩いて気合を入れ直す。どうして全員が全員オレに対する評価で一致しているのやら、あまりにも恥ずかしいから勘弁してほしいものである。
そうしてオレが復帰するのを待っていたかのように、ギルベルトへと向き直ったアルがまずは口火を切っていた。さっきまでの雰囲気は既になく、自然と空気も固くなる。
「で、本当の目的は何なんだ、ギルベルト・ハーヴェス少尉殿? まさか本当にフランクフルトの観光がしたかった、なんて訳じゃないだろう?」
「ふむ、慧眼恐れ入るよ。確かにその通り、今日の私の目的は他にあった。もちろんこの街の実態を自分の目で見てみたったのも事実ではあるがね」
まったく悪びれないギルベルトだ。その様子にこっちは三人揃って目くばせ、『やっぱりな』で意見が共通する。
本当にただの親睦を深めるだけだった可能性も無くはないが、彼ほど優秀な人間なら何の目的もなく街を散策するだけとはとても思えない。何か別の目的を覆い隠し、後からこちらを巻き込むくらいはやりかねない。
オレは確信も掴めなかったので中々切り出せないでいたが、どうやらアルはある程度の確信を持っていたらしい。ちょっとした意趣返しに「さすがはアルだな」と頷いておく。
「ったく、照れるからやめろって。というか、街を眺めるギルベルトの眼はどっちかといえば路地裏とか死角とか、そういう方ばっか行ってた気がしたからな。ちょうど明るい方ばっか見てたレーテの真逆だ」
「悪かったな、細かいところを見てなくて」
「大した観察眼だよ。その細やかさからして、君は調査や諜報といった仕事に適性があるのだろう。やはり私の見込みは間違っていなかったようで安心した」
何か小馬鹿にされたような感じもあるが、とにかくフランクフルト散策の本題はもっと後ろ暗い”何か”で間違いない。ではその”何か”とはいったいどういうことかだ。
考えられる可能性は多くない、むしろ一つしか無いだろう。とりわけ今のアドラー帝国を悩ませているフランクフルトでの出来事などこの街に住む誰だって知っている。
「巨大麻薬組織ニルヴァーナの売る麻薬の出どころ、それを探ろうという訳か」
「ご明察。影隊長から言われた”手柄”の立て所としてこれ以上相応しいものはあるまい?」
「まあ、確かにそうかもしれないけど……出来るのか? そんな大それたこと」
初めてこのフランクフルトに足を踏み入れた時もアルと少し話したが、ここでの麻薬被害はかなり根が深い。古くは旧暦から始まった因縁は新西暦となった今でも続いており、特に麻薬売買で大儲けをしているアンタルヤの一部はこの地を根拠地の一つとしている程である。それには流通の便が良いだとか、敵国相手に情けは不要だとか、そういった理屈も多くあることだろう。
どうであれ、アドラー帝国は特にニルヴァーナによる麻薬被害に頭を抱えている。なので躍起になって仲介役などを潰そうとはしているものの、狡猾で影も形も見えない彼らには非常に手を焼かされていた。
それを、一介の軍人四人で潰そうとする? いくら何でも無茶が過ぎるだろう。国や軍隊を挙げての調査と防止策すら功を奏さないのにちょっと理想が高すぎるのではなかろうか?
……確かにこっちには無理無茶無謀を奇跡へと変える男もいるにはいるが、そういう問題でもない。だというのにギルベルトはといえば、大真面目に「可能だとも」と言い切ってみせた。
「その根拠は何処にあるんだ? 多少の手柄にしてはちょいと難易度が高すぎる気がするが……」
「いいや、それが君たちが一緒ならばそうでもないのだよ。何やら自覚はないらしいが、君たちの軍部及びこの街での評価は如何ほどだと思うかな?」
咄嗟に「質問を質問で返すなよ!」と言いたくなるのをグッと堪えて考えてみる。
オレたち三人とも各地の戦線を転々として戦い続けていたから、こうしてフランクフルトに戻ってきたのも数日前の影隊長からの呼び出し時だ。久々の都会での評判など気にしていなかったし、大したことも無いだろうと踏んでいたのだが──
「なんかその口ぶりだと、まるでオレたちが有名人みたいだな」
「まるで、ではなく現実にそうなのだよ。数々の戦場で戦い生き抜き、そして武勲を挙げた君たち三人は今や若きエースと知られて久しい。人は下克上や不遇の者が成り上がることを好むからこそ余計にな」
「……そう、だったのか? 二人はどう思うよ?」
「まあ、なんか視線は感じるなーと思ったけどよ。てっきりいつものやっかみ的なのばかりかと」
「同感だな。このような街中で一般市民から好意的な視線を貰うこと自体、想定すらしていなかった」
軍の内部ではまあ、強さを示した者が評価されるのも理解できる。どれだけ懐疑的で仲が悪かろうと、実際に自分の眼で見てしまえば認めざるを得ないからだ。そうやって理解者を増やした事実は間違ない。
ただ、それが軍人でもない一般市民にまでなると戸惑いは大きくなる。本当に新聞や雑誌に掲載される有名人みたいではないか。戦いに続く戦いを潜り抜け、対策と鍛錬ばっか頭にあったせいでそのようなこと考える余地すらない。
揃って首を傾げたオレたちの反応は折り込み済みだったのか、ギルベルトは特に驚くこともなく話を続けた。
「どのような時でも謙虚さを忘れないのは紛れもない美徳だが、もう少し自らの影響を考えてみることを推奨しよう。考えてもみたまえ、ただの一兵卒の三人がどのような激戦区でも必ず勝利を齎すのだ。しかも揃って美男美女であり、生まれは決して恵まれたものではない。軍としてはプロバガンダに使わない理由がないだろう?」
「言われてみれば確かに……」
「軍事帝国、だもんな。その辺は抜かりなしってか」
一人でも兵士を多く徴用し、周辺国を奪って領土を広げたいアドラー帝国らしい考え方だ。同時によく血統主義のお偉方がオレたちを利用したなとも思うが、スラム云々の下りはどうせボカシているのだろう。むしろ使えるならば骨までしゃぶり尽くしてやれの精神か。
でも、それが何だというのだろうか。オレたちがこの街で多少なりとも有名だとして、どうしてギルベルトの思惑に関わってくる? 因果関係が上手く読み取れない。
ちょうどそのタイミングでギルベルトが「君の疑問はもっともだよ、ブラウン嬢」と言ってくるのは何となく予感があったけど。気持ち悪いくらい思考を読んでくるのは今後彼と付き合う上で慣れなきゃなのだろう。
「光差す地平に闇は無いように、後ろ暗い行いに覚えのある者はこぞって輝く者を忌避するものだ。ほんの短い時間この街を歩くだけで、もう君たちを避けるような仕草をしていた者を確認したよ。そのような人物に絞って麻薬に特有の症状や特徴を探せば、糸口は簡単に掴めるものだ」
「入手経路を辿っていけば必ず大元か、それに準じる組織にまで突き当たる。それを俺たちで制圧するまでがお前の計画か。……随分と個々人の資質に頼った思考だな」
三人揃えば文殊の知恵と言うように、軍隊は規模が大きい分のメリットは確かにある。集合知は全く馬鹿に出来ない素晴らしい要素だ。
一方でオレたちは身軽に動ける利点こそあれ、一人一人の負荷はそれなりに大きい。常識的な観点からクリスが苦言を呈すのも無理はなかった。
「そう言わないでくれヴァルゼライドよ。
下手に他人に遠慮する必要はないということか。まあそんな理由でクリスが止まるとは到底思えないが、一般論としては賛同できる。出る杭は打たれると言われようが、やれるなら突っ走る方が良いに決まってるのだ。そしてこの若き少尉はオレたちになら出来ると確信しているらしい。
とにかく、ギルベルトの思い描く計画の全貌は朧気ながら見えてきた。このフランクフルトに蔓延る麻薬の流通を叩くことを目的として、行動を起こすつもりだろう。詳細は分からないがたぶん入念な準備をしたうえで後日にでも──
「ああ、この計画は今日の内には実行する予定だ。あまり初動が遅いと何処から情報が洩れるかもわからないし、軍もそれで何度となく煮え湯を飲まされたという。少数精鋭のメリットを最大限に活かすならここだろう」
「マジかよ……」
「そんな突貫で大丈夫なのか?」
あっさり予想を覆されて驚くばかりだ。発案者は自信満々とばかりに薄ら笑いを口元に浮かべている。なんだか無性に腹が立つような、頼もしいような、そんな印象を与える笑みだ。
「私はここに来る前からフランクフルトの内情と、それに関する軍の動向は聞き及んでいたのさ。後は実際に伝聞と実情を擦り合わせ、頼りになる者を見つければ十分に実行可能と踏んで計画は練っていた。無論のこと、君たちは想定以上に素晴らしい人物だったと保証しよう」
当然ながら予定外の出来事に備え複数のプランは用意していたが、と何でもないことのように彼は言う。いったいどこまで未来を想定し、予測したうえで準備をすれば気が済むのだろうか。オレからすれば異星人か何かのようにすら感じられる頭脳に戦慄を禁じ得ない。
ギルベルト・ハーヴェスの先読みの具現はオレが思っていた以上に底知れないものであるようだ。もしかしたら彼の中にはスーパーコンピュータでも詰まっているのかと、益体もない馬鹿げた想像なのになぜだか納得できそうなのがちょっと腹立たしい。バグでも起こしたら一瞬でショートしてしまいそうだ。
「故にこそ、今この時より私はかねてよりの計画を実行に移してみたいと考えている。当然だが手柄は私たち四人ですべて折半だ、家名に誓って私だけが独占をしないと誓おう。どうだろうか、君たちはこの話に乗ってくれるかね?」
敢えて問いかけるような口調ではあるものの、彼にしてみればこっちの答えなんて想定済みなのだろう。
オレたちからしても、まさしく言うべきことなど一つだけである。
「それが上官からの提案だというのなら、私たちに従わない理由はないでしょう──なんて言うのを期待してるんだろ、最初から」
結局のところ、軍人という立場に縛られるオレたちは上官の命令に逆らうことなど出来はしない。例え死地に飛び込んで来いと言われても逆らう訳にはいかないのだ。飛び込んだうえで生還するかは別として、だが。
それに加えればギルベルトの言葉はまだ可愛げもあるし誠実だ。正しいことを信奉する者としての正直さはしっかり伝わってくる。
──そのような男にこそ、オレは微力ながら報いてみたいと思う。
「私もまだまだということか。ああ、その通りだとも。正しさに裏打ちされた行いならば必ずや断るまいと最初から高を括ってしまっていた。その非礼をここに詫びさせてくれ」
皮肉気に笑い、彼は真摯に頭を下げた。その在り方に対して怒りを持ち越す程、オレも狭量な人間になった覚えはない。二人に至っては猶更だろう。オレよりもはるかに出来た人間なのだから。
さて、そのうえで彼はどのようなやり方を考えているのか。
「で、ギルベルトの計画だとオレたちはどうすれば良いんだ?」
「まずは、そうだな──ブラウン嬢、君にはこのフランクフルトの令嬢となってもらおう」
「……は?」
なんだかあまりにも予想外な言葉が耳に飛び込んだので、思わず聞き返したオレは何も悪くないと思いたい。
◇
唐突だが、アルバート・ロデオンからしてみると、マルガレーテ・ブラウンとは仲の良い異性の幼馴染以上の感想を持ちえない無二の親友だった。
かつてヴァルゼライドを気に入らないからと喧嘩を売った際に、まだ子供だった──彼らも同じ程度の年齢だったが──彼女が果敢に挑んできたときのことは鮮明に覚えている。あの小柄な体躯でアルバートへと拳を振るい、そして相打ちにまで持ち込んだのだから大した奴だと兜を脱いだものだ。
「へぇ、なんだよ。レーテお前、ちゃんと女らしい格好も出来たんだな」
あれからもう十年弱も経った今、まさか彼女の女性らしい服装をこんなところでもう一度見られるとは思ってもみなかった。なのでつい、隣に並んでフランクフルトの大通りを歩く幼馴染へと軽口を叩いてしまう。
ぶっちゃけるとアルバートはマルガレーテのことを女性だとは思っていない。確かに豊かな茶髪と猫のような愛くるしい顔は美少女に相応しいけれど、いかんせん口調が男っぽすぎて異性と思えないのだ。だからこそ今まで適度な距離感で過ごせたのだろうし、スラムという法の介在しない土地で節度を守って暮らせたのだとは思うが。
ただ、こうして私服で着飾っている彼女を見ると意見も変わりそうになる。いつか首都で披露した服装に加え、顔を隠すために探偵じみた黒いハットを被った姿は実に似合っている。あまり言いたくはないが”カッコいいし可愛らしい”と評しても良いものだ。
物珍しさからしげしげと眺めていると、彼女は口を尖らせて不満を露わにした。
「なんだよ、ジロジロ見やがって」
「おう、レーテの女っぽい格好なんて久々に見たからな。こういう時くらい目に焼き付けておかなきゃ損だろ」
「ちぇ、このムッツリめ。まあ良いけどさ、アルなんてフード被って陰気さ満々じゃないか」
「それは言ってくれるなよ……俺だって好きでやってる訳じゃねぇんだからさ」
苦し紛れに反論してから、アルバートはさらにフードを深く被り直した。彼とて好きでやっている訳ではないのだが、司令塔たるギルベルト直々の指示ともなれば無視するわけにもいかなかった。彼の言葉の正しさはほんの短い時間でもしっかり伝わっている。
彼らは一度東部アドラー軍の本拠地へと帰還し、アルバートとマルガレーテだけが私服へと着替えて街中へと繰り出しているところだった。軍服を着てる時は確かに周囲の視線が気になったものの、服装を変えただけで堂々と街中を歩いても注目を浴びないのには苦笑を隠し切れない。
「なんというか、軍服だけで俺たちって判断されてるのかね? だとしたらちょいと寂しいもんだよ」
「まあそれが一番の特徴だろうからなぁ……いくら写真があるっても詳しい人相まで覚えるのは不可能だろうし。むしろギルベルトの計画がやり易くなったって喜んでおこうぜ」
「ったく、レーテはいつもとことん前向きだな。そのポジティブさは尊敬するぜ」
「ばーか、そうじゃなきゃこんな恥ずかしい格好やってられないっての」
怒ったように彼女は白いシャツの裾をひらひらとさせた。アルバートからすれば十分似合っているし恥ずかしいと思う必要など無いと思うのだが、本人がそのように言うなら否定しない優しさを持っていた。
あるいは……彼女は少々特殊な人間なのかもしれない。薄々感じてはいたのだが、肉体の性別と精神的な性別が違う人間も世の中にはいるらしい。マルガレーテもそのような人物である可能性は高いのだが、確証がない以上は切り込むことも出来なかった。このようなデリケートな問題は慎重に扱わないと思わぬ爆弾になると直感で理解出来ていたのだ。
「まあ、まさか俺たちに囮捜査なんてやらせるとは思わなかったけどな。ギルベルトの奴ちょっと過信し過ぎじゃないのか?」
「それだけ信頼してもらえてるってことなら良いことだろ……だからってこんな大金を渡されるとは想像してなかったけどさ」
言いながらマルガレーテは肩にかけた鞄を揺すった。その中にはギルベルトから預かった多額の現金がこれでもかと詰まっている。彼らの言う囮捜査に必要不可欠な代物だった。
上手く麻薬を売り捌く相手に接触できたら、まずは大金をちらつかせて麻薬を手に入れるか、出来るなら直接取引所まで案内させる。そうして麻薬売買組織の主要な潜伏場所を突き止めたら、あとはギルベルトとヴァルゼライドの二人が一気に制圧してしまうという算段だった。軍と違って少数すぎるおかげで実行が早く、警戒されづらいのも彼の考慮の内だろう。
もしこれをスリでもされたら大惨事なので、アルバートはさりげなく鞄の側に身体を置いている。また取引所──マルガレーテは何となくスナックバーのようなイメージをしている──が予想以上に大きければそれだけ護衛の人数やらも多いはずなのだ。不確定要素や困難は間違いなく多いはずなのだが……それすら織り込んだうえでなお、ギルベルトは「何も問題はない」と言い切ってみせた。
「なぜそう言い切れるか? 決まっている、君たちの正義に限界など無いと信じているからだ。数多の戦場で不可能を可能にしてみせたその手腕、たかが現実に耐え切れなかった者に負けるはずがないと確信しているのさ」
清々しいまでにキッパリと言い切った男に免じて、今回の計画をアルバートは了承した。どちらにしてもマルガレーテという少女一人に任せるには荷が重いのだ、自分もしっかりサポートしてやらねばと気を引き締める。
しばらく歩き、いつの間にやらギルベルトの指定した地点にまで到達していた。左手には野菜売りの露店があり、右手には暗い路地裏がある。その奥の方に緑色の上着を着た男か、灰色のワンピースの女性がいれば間違いないと言っていたのだが、
「あれは、緑色の上着の男性、だよな……?」
「あともう一人、灰色のワンピースの女性もいるぞ。おいおいマジかよ、どうなってるんだ」
ギルベルトの予想通り、彼らは路地裏の奥に座り込んでいた。まるで焦点の合っていない茫洋とした瞳を彷徨わせ、道行く者たちを眺めている。明らかに薬を服用している者だろう。アルバートたちの狙いで間違いなかった。
「いよいよもって、アイツが実は宇宙人とか言い出してもオレは驚かないぞ」
「それよりはまだ
「おう、任せろ」
たぶんすぐ近くで監視してるであろうあまりにも人間離れした上司に驚きながら、彼らは路地裏へと足を踏み入れたのだった。
フランクフルトでの麻薬撲滅の旅withギルベルト。
今回の話で省略されてたフランクフルトの現状やマルガレーテの服装辺りは、Chaputer12やChapter14を読み返してもらうと分かりやすいかもしれません。