・時は新西暦1016年。東部戦線で功績を積み上げるヴァルゼライドたちは、ついに帝国を悩ませる巨大麻薬組織ニルヴァーナを滅ぼし、同時に邪竜にして魔剣がその産声をあげたのだった。
人も、麻薬も、鉄も、何もかもが燃え落ちていく。
アンタルヤとも繋がりを持った巨大で狡猾な
きっと鋼の英雄は定めた目的を全うするまで滅びはしない。
一度の死がなんだというのか。地獄の底から何度でも蘇るだろうし、ましてそこらの小悪党が殺せるはずもなし。
故にこその
それが証拠に見るがいい。麻薬流通組織の元締めながら古風な城塞にも似た造りだからだろうか。炎に包まれた内部を駆け抜ける青年の姿は、
しかし勿論、
「死ねよ貴様ら、帝国に仇なす塵共め。腐った堕落の蜜と共に燃え尽きてしまうがいい……ッ!」
銃火を退け、砲撃を掻い潜り、これまで腐敗をばら撒いてきた人間たちを鏖殺しては刀の錆びへと変えていく。誰が見ても異常と分かる進撃を続けるヴァルゼライドの原動力は真実たった一つだけ、蔓延る悪を許せないからその全てを滅ぼし尽くしてしまいたいと願っているのだ。
そのために本気で努力し、本気で怒り、本気で挑み続けている。求道者であると同時に覇道を邁進する者、自己を高めた結果として他者を轢殺していく悪の敵──それこそヴァルゼライドの本質であり全てなのだろう。
故にこそ、もはや後のことを語るまでもないだろう。一方的な蹂躙なんて英雄譚に綴る価値すらないのだから。
どこまでも順当に、相応しい末路を辿り、帝国へ仇名す巨悪は一夜にして滅び去ったのである。
◇
一晩経過して炎も収まれば、昨夜の凄惨な戦いの余熱もすっかり風へと消えていく。
瓦礫の山を眺めながら帝国軍の到着を待つこと数時間、太陽も上がり切った頃に軍用車たちが続々とやって来た。
「かくしてニルヴァーナは滅び去り、裏で糸を引いていたアンタルヤの重鎮も痛手を負ったと。さすがだ、我らが英雄よ。君たちならば出来ると信じた想いに不足はなかった」
「ま、ギルベルトの目に不足が無いのはいつもの事だと思うけどな……」
開口一番に浴びせられた賞賛の言葉に、思わずはぁ、と溜息をついてしまう。
普段から狂ったように狂いのない予測を立てる男がなにを言っているのやら。呆れながらも腰かけていた瓦礫から飛び降りると、「そういえば昨日もこんなことしたな」と既視感に襲われてしょうがない。それでやっと、国境線でアンタルヤの傭兵たちに勝利してからまだ一日程度なのだと自覚する。
たぶん他の帝国兵は昨日の今日で殲滅劇が発生するなど予想だにしなかったことだろう。昨日の戦いからいきなりニルヴァーナ跡地へと来る羽目になった兵たちのほとんどは、帝国を悩ませた組織の壊滅を前に喜ぶよりも訝し気な表情ばかり浮かべていた。
実際、こんな電撃戦が叶ったのはクリスが居たからこそである。普通はもっと準備を整え、計画を練り、大人数で油断なく殲滅するような規模の組織がニルヴァーナだ。その道理を全てねじ伏せ踏みつぶし、こうして成果を手に入れた。強引にもほどがある故に最短距離を突っ走ったのだ。
そんな訳で現実的にあり得ないような成果を一晩で成し遂げてしまったオレたちであるが、悪の組織が滅んだので万々歳と簡単には終わらない。軍による施設跡地の調査や残党狩り、
そんな訳で少なくない数の人員がこちらへと寄越され、その指揮を今はギルベルトが握っているという訳だ。彼とて階級的には大尉なのだ、それなりの権限は有していて当然だった。
「しかし、ここまでの戦果を挙げるなど私以外の誰も考えてはいなかったろうな。上層部もこの結末には腹立たしいやら喜ばしいやら大騒ぎだろう」
「んで、アルの奴は頭を抱えてるんだろうな。アイツのことだからすぐにでも飛んできそうなもんだと思ったけど、来てないのな」
慣れ親しんだ幼馴染の姿を探して目線を彷徨わせても、アルバート・ロデオンの姿は全くもって見当たらなかった。
「ああ、彼も彼で言いたい事は山ほどあったろうがな。呆れたような顔で言伝を頼まれたよ、『美味い飯でも作ってやるからさっさと帰ってこい』とね」
「達観してるなー、アルも……」
たまに振舞ってくれるご飯はまあ、美味しくもマズくもない普通の味というのはおいといて。
いつもいつも心配させてしまっているアルにも悪いから早く帰ろうかなと思うのだった。
◇
とはいうものの、実地検証やら何やらが一日程度で終わる訳もない。このニルヴァーナの存在した土地でどれだけの麻薬が生産されていたのか、帝国への被害はどれだけになる見積もりか、裏で繋がっていたと思われるアンタルヤの重鎮に繋がる証拠は無いか、他の麻薬組織に関する情報が残ってないか……他にも他にも。調査すべきことは山ほどあるし、それらの情報すらまとめて燃やし尽くしたオレたちは最後まで現場の覚えてる限りの内容を話す義務があった。
そんなこんなでギルベルトの手伝いをしたりしながら数日、ある程度落ち着いてきたところでようやくオレたちも戻れる時期になったらしい。いつまでも瓦礫と麻薬の山に居座っていては気も滅入るから大助かりだ。
「……まったく、こんな組織に今まで何人の帝国民が狂わされてきたのか。思い返すだけでも腹立たしい。このような弱者を食い物にする組織が再び起こらないことを祈るばかりだ」
去り際の直前のこと。背後を振り返って珍しく溜息をついたのはクリスだった。彼なりにニルヴァーナへは思う所があるのだろう、怒りと同時に何か哀愁も感じさせるような声音である。
だから「どうしたんだ」と反射的に訊ねてしまった。彼はこちらを一目見て、ゆっくりと語り出す。
「悪行に走る人間は度し難いが、一方で誰もが最初から悪だった訳でもないだろう。意志の力だけではどうしようもない現実は数多ある。それは麻薬を売り捌いていた者も、買ってしまった者も同じようなものだろう」
「つまり、もしかすれば悪には悪に染まってしまっただけの理由があったかもしれないってことか」
「俺は善人でもなければあらゆる全てを救いたいなどと
その言葉に少しばかり思考の海へと沈んでみる。悪を選ばずともいい環境……例えばそれは何があるか。
一番当たり前なのは皆が幸せに過ごせるような世界だろう。抽象的で夢のような話ではあるが、誰もが幸せならわざわざ悪い方へと向かう人間はきっと激減するはずだ。
あるいはもうちょっと具体的に、悪い事をした人間にはしっかり罰が下るような世界とか。いい事をした人間が報われ、悪いことをした人間は報いを受ける。因果応報、善悪が正しく定められた世界ならばやはり悪を選ばない環境と言えるだろう。
でも、この二つは結局のところ──
「悪のない世界を作ろうにも、ほとんど机上の空論になっちゃうんだな。言ったり考えたりするのは簡単だけど、いざ悪い事をしない環境を考えると不可能なことばかりだ」
「……だろうな。俺とて察しているとも。どれだけ悪の芽を摘んだところで際限は無く、完璧な因果応報など作ろうものなら人類は即座に滅びるだろう」
「どうしたんだよ、やけに素直じゃないか」
静かに息を吐いたクリスの姿はやはり珍しい。普段ならば「出来ないから諦める? なんだそれは」と言いそうなものだが、今回はどうしたのだろうか。絶対に斬り捨てるべき巨悪を滅ぼしたことでスイッチが切れたのか。いいや、胸に抱いた炎が途絶えるなんてそれこそ天地がひっくり返ろうが絶対にあり得ない。そんなことはオレが一番よく知っている。
「大したことではない、自分の願いの度し難さを改めて噛み締めただけだ。レーテも考える通り、悪を無くすにはそれ以上に大きな犠牲をいつまでも払い続ける必要がある。それでもやると吠える俺は傍から見れば身勝手にも程がある」
「でも、諦める気は無いんだろ?」
「当然だ。簡単に理想を諦めるようなら俺はこの場に立ってなどいない」
つまりは何としても理想を目指して突き進むという宣誓に他ならない。根っこのところでは何も変わらないクリストファー・ヴァルゼライドそのままである。
でも、そのためにはどうするべきなのか。こうしてニルヴァーナを壊滅させるという手柄こそ立てたが、あくまでも功績の一つでしかない。たとえ机上の空論だと分かっていても、東の先に配属されたままでは挑戦する事すら覚束ないのは論ずるまでもないのだ。
「つまり差し当たっては──」
「首都に戻る必要がある、という所かな?」
こちらの言葉を継ぐようにしてオレたちの会話に割って入って来たのは、もはや聞きなれた上司兼戦友のもの。
いつから聞いていたのだろうか、薄ら笑いを浮かべたギルベルトがオレたちの背後に立っていた。眼鏡の奥に輝く蒼天の瞳に曇りなし、変わらぬ熱量のままオレたちを強く射抜いている。
そんな彼の言葉の真意は、オレでも理解できるくらいにシンプルで明快なもの。
「このまま東部戦線で成果を挙げ続けたとして、”戦場の英雄”以上の評価を得るのは難しい。特に上の者たちにヴァルゼライドという英雄を知らしめるには単純に
「力だけじゃなく、頭を使って成り上がれってことか。簡単に言ってくれるな」
「その通り。道筋というのは明白になればなるほどシンプルになるものだよ」
我が意を得たりとばかりに頷くギルベルトを軽くねめつけた。
懐に潜り込む、要するにオレたちの生まれ故郷とも呼ぶべきアドラー帝国首都へ戻るということだ。しかしそれは言う程簡単なことではない。
オレたちはあくまでも力によって成り上がっている最中の一兵卒であり、
なのだが、炯眼を持つこの男にとってあらゆる道程は透明に見通せるらしい。不敵な薄ら笑いは味方にとってみれば頼もしくすら映って仕方ない。
「近い内に
そう、ギルベルトは一つの躊躇もなく言い切った。向こうから呼び寄せるとはどういうことか……理由は思い当たらないでもないが、果たしてそんなことがあり得るのだろうか?
いいやしかし、彼が言うのならばそれは近々真実になるのは間違いない。オレもクリスもそこに疑いを抱く余地はないのだ。
……正直なところ、最初から分かっていたことではあった。今のまま我武者羅に剣を握って戦場を走るだけではいずれ
そのためにはギルベルトの力は必要不可欠だ。この天才はオレたちに不足しているものをすべて備えた万能の人物であり、その協力なしにアドラー中枢で成り上がるなどほぼ不可能。まあ、クリスならいずれ不屈の努力で何とかしてしまうだろうが、どれだけ時間を要するか見当もつかない。
だからいずれは
そんなことを考えていると、不意にギルベルトがこちらを見た。蒼穹を映したような瞳がこちらを射抜き、知らず背筋が伸びるような感覚を味わう。
「ああ、そうだ。先ほどは『悪のない世界』について興味深い話をしていたようだが、一つ私の意見を言わせてもらっても良いかな?」
「なんだ、藪から棒に。お前の意見を聞くまでも無くあの話は終わっているが」
こういうとき、クリスからギルベルトに対する態度は割と冷たい。理由は知らないが今もそうだ、好奇心に満ちた瞳に対して胡乱気な視線を送っている。忌憚なく表するならば”溝”とでも呼ぶべきか。
オレとしてはこう、どちらも大事な戦友なので仲良くしてほしいとは思うが……両者共に結構な頑固者なのでどうなるやら。普段は紛れもなく光を仰ぐ同士として仲が良いのに、一歩踏み込むとこうなのだ。
とはいえ、クリスからのぞんざいな態度もどこ吹く風、ギルベルトには一つも堪えた様子はない。
「私個人としては、因果応報というのはこの世で最も美しい言葉に思える。優れた者にはその証を、惰弱な者には叱咤を、それがあるべき理想に思えてならないのだよ。ブラウン嬢、君はどう思う?」
「オレは……」
思わず言いよどんだ。それはついさっきクリスとした会話とは真逆の結論を思ってしまうから。
白状すれば、
「やっぱり努力にはそれなりにご褒美とかあると嬉しいなとは思うよ、うん。もちろん出来たらの話だけどな」
でも、それを素直に評するにはどこかギルベルトの雰囲気が怪し気で。だから当たり障りのない言葉でお茶を濁した。
何故だろう。オレとしてはかなり最初の方から、ギルベルトの意見には共感できるところばかりだったのに。いざ内面深くまで話題が伸びると途端に肯定し辛くなる。その理由を言葉にすることは出来ないが、もしかしたらこの感覚こそクリスとギルベルトの間に横たわる”溝”の正体なのだろうか。もちろんただの考えすぎかもしれないが。
「ふむ、なるほど、それが”そちら”の意見ということか……参考にさせてもらおう」
「ハーヴェス、あまりおかしなことは考えない方が良い。完璧な因果応報など絶対に不可能だ、実現する術もした後の未来もない」
「ああ、あなたに言われずとも分かっているさ。これを成すにはそれこそ世界を変えてしまうような力が……俗に言う”魔法なり超能力なり”の領域まで行かねば不可能なのだと。故にこそ、これはあくまでも参考にしかなり得ない」
では、もしもその”魔法なり超能力なり”が実際に存在したらどうするのか?
その問いを投げかける前にギルベルトは嘆息してから話をまとめた。
「あくまでも現実的な範囲で理想を追い、公平で正しい世界を作るべきだと理解してるとも。いくら私とて現実にありえない手段を模索するなどしないさ」
などと嘯いた男は仰ぐように天を見上げ──その先には常と変わらぬ
またも更新が遅くなってしまい申し訳ないです。
今後もちまちまと更新は続けていく予定ですのでよろしくお願いいたします。