オレは別に哲学に興味がある訳ではないが、たまに自分の”ルーツ”というものを考えたりする。
はっきり言って小難しいことは好きじゃない。物事はなんだってシンプルな方が良いのは道理だ。なのにこんなことを考えてしまうのは、やっぱり自分の存在そのものが特殊だと確信してるからに違いなく。
「なんて言ったらまるで中二病を拗らせた可哀そうな子だけどなー……」
小難しい話は脇に置き、鏡の前に立って苦笑した。鏡の中のオレも苦笑を返したのを他人事のようにちょっと眺める。
もはや着慣れた軍服に袖を通してシャツの襟をしっかりと正す。髪を後ろで一つにまとめ、後はネクタイの位置だけ微調整すれば、どこに出しても恥ずかしくない軍服美女の完成である。
……まあ、自分でそんなこと考えるのもどうかとは思う。どこに出しても恥ずかしいナルシストなのは否定しない。
「だけどなぁ」
おもわず溜息が出てしまった。滑稽な話かもしれないが、既にこの身体と付き合って二十年あまり、未だに鏡に映った自分を自分と捉えられないのだ。女になった自覚がない、なんて言い換えてもいいだろう。
精神と肉体の齟齬について折り合いを付ける、というのは想像以上に難しい。だってオレの中身は最初からずっと”男性”であり、女性的な思想も価値観も趣味も一切持っていない……はずだ。しいて言えばクリスへの憧れがあるくらいで、少なくとも男にときめいたり恋したりなんて微塵も考えられない。
なのに肉体面ではもう言い訳のしようがないくらいに”女性”だから困ってしまう。声こそちょっと低めな方だが、胸は小さいながら確かに出てるので下着で押さえないことには痛くて運動もできない。体付きなんかも筋肉が付いた上でなお丸みを帯びているのが分かるくらいだ。
しかも”月のもの”は悲しいくらい順調に起きているので毎月が若干憂鬱になるくらいだし、なんなら十年くらい前、アルと一緒に血塗れで大騒ぎしたのも軽いトラウマになってる。幸いにもオレは軽い方だったのでどうにか対応して今に至るが、一方でクリスが珍しいくらい役に立たなかったのが印象強い。それでオレは確信した、「あいつは将来、女性関係で間違いなく苦労するな」──と。
閑話休題。
そういう身体面での違いというのもどうにか慣れはした。一六〇センチをちょっと超えたくらいからちっとも伸びない身長とか、最低限の化粧術みたいなのとか、色んな箇所の処理だとか、思う所はあるけど問題なく付き合えてる範疇だろう。
なのにそれが自分だという自覚が未だに薄い。主観的でなく客観的で、それこそ鏡を見たところで実感が湧かないのだ。
セミロングの茶髪にオレンジの瞳の美女は傍目には目の保養になるくらい綺麗だ。だが、断じてオレ自身がそうなりたかった訳じゃない。せめて当事者じゃなく傍観者になりたかったと考えたのは数えきれないほど。
「まったく、なんでこんなことになったのやら……」
三度目の独り言が漏れ出た。もう慣れと諦めの境地に達したとはいえ、やっぱり”そもそもの原因”は依然として不明なままなのが気持ち悪いのだ。転生なんて言葉はそれこそ旧暦から続くありふれた言葉だが、いざ我が身に起これば疑問は大挙して押し寄せる。
どうしてそんな魔訶不思議をオレが体験する羽目になったのか?
わざわざ性別が変わった理由は?
あの双子になんとなく覚えがあるのはどうしてだ?
前世をまったく意識してないのは何故?
そもそもオレは何者だったんだ?
空に浮かぶ
何もかもが理解不能で、もしかしたら理由なんて無いのかもしれない。むしろそっちの方があり得そうまである。
でも考えたところで仕方ないのだ。分からないものは分からないし、
「ま、要するに悩んだって仕方ないって訳だな、うん」
最後はそんな当たり障りのない意見に落ち着くという訳だ。
男だからどうとか、女だからどうだとか、そんなものは総じてくだらない。大事なのは貫くこと、正誤の別を置いてもなお自分の意志を押し通せる強さに他ならないとオレは知っている。
それに、だ。あまりこういうのもどうかと思うのだが……なんだかんだ今の状態も得ではあるのだ。主に可愛い女の子──ただし自分だが──を好き勝手に着飾ったり磨いたり鑑賞したりできる点で。倒錯的だけどそれくらいは役得とでも思い込まなければやってられない。もう変態だろうが知ったことか。
……ホント、世の女性はよくこんな苦労をしながら平然と生活出来てるものだ。当事者の身になると尊敬の念しか湧いてこない。これに本格的な化粧やらオシャレやらが増えるとどうなってしまうのか。
などと改めて考えたところで、パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直した。
だって今日は久々にフランクフルトに戻ってきて、特に予定もない貴重な日なのだから。いつまでも自室でダラダラしてては勿体ないというもの。しばらく前からついに別室扱いとなったクリスとアルも同じく部屋から飛び出してることだろう。
そういう訳で、現在時刻は午前九時。天気は快晴。
オレは意気揚々と部屋を出て、数か月ぶりのフランクフルトの街へと繰り出した。
◇
「賑やかだけど静かっつうか……」
予想通りクリスとアルは既に部屋にはいなかったので、今はオレ一人で街を歩いている。おそらく休日の朝早くに起こしに行くのも悪いとでも気遣われたのだろう。そんなことせずとも軍人なのだしキッチリ起きてるのだが。
ともあれ、一人で行動というのも珍しいとは思う。スラムで初めてクリスに助けられてから今日まで、ほとんど単独行動というのは無かった。その後の貴族の青年たちに襲われて以降はより顕著になったというか、アルと親友になって以来はどんな時でもずっと三人で過ごしてきた。思えばオレの幼少期は守られてばかりだな。
だから今この時、どうしても寂しく感じる原因はきっとそれだろう。今朝の哲学めいた思考と合わさって妙に人恋しいというか、見慣れた二人が近くにいないと落ち着かないし心細い。おかしいな、オレはそんなに甘えたがりではないはずなのだが。
まあそれはともかくだ。なにも二人がいないことだけが寂しさの原因ではない。もっと根本的に、この平和な街並みにも因はあるのだろう。なにせ戦場暮らしに
いわゆる戦場帰還兵はこうした平和に馴染めずおかしくなったり、また闘争を求めて戦場に出向いたりと破滅的な後遺症があると聞く。生憎とオレは繊細な人間だなんて言えないのでいずれ元通りに馴染めると思うが、確かに慣れないうちは気が滅入る。
なので一々物陰に視線を走らせたり、たまに聞こえる大きな音に反応して咄嗟に振り向いたり、過剰反応をちょくちょくしながら歩くこと数分。こそこそと適当なお店でサンドイッチを買い、近くのベンチに腰かけた。
そう、まるで人目を避けるようにこそこそとである。敵地のど真ん中でもないのに何をやっているのやら。
「はぁ……」
また溜息が出てしまった。こそこそしてるのは何も警戒ばっかしてるからでない。もっと別の要因がある。
結論から言おう、オレは座ってるだけで変に衆目を集めているらしい。それはもう、サンドイッチ持って腰かけてるだけのオレへ通行人が視線を投げてくるのだ。なにか悪いことをしたわけでも、目立つ行いをしたわけでもないのになんだこれ。
当然ながら居心地が悪いので誤魔化すようにサンドイッチを食べつつ、ちょっと耳を澄ませてみる。良くも悪くも過敏になった聴覚はそこらの会話くらいなら至極あっさりと拾ってくれた。
「おいあれ、マルガレーテ・ブラウンか……?」
「ぜってーそうだろ、あんな美人見間違えるか」
「戦場の英雄に付き添う戦乙女ってか、ありゃ確かにな」
「すっげぇなおい、声かけてみるか」
「いやいや、そんなの恐れ多いっての」
……どうしたものか、自分の耳と正気を疑いたくなるような会話が漏れ聞こえてきたのである。
割とマジで「なんだその評判!?」とツッコミを入れたい気持ちでいっぱいだ。クリスが戦場の英雄と呼ばれることに異論はないが、じゃあオレがその戦乙女だって? 冗談は止してくれ、オレの中身は乙女どころかバリバリの男性だぞ。男が脳内で思い描く”いじらしい”ものじゃ断じてない。
第一、だ。戦乙女といえば神話における戦神の遣いであり、死後の英雄を導く存在じゃないか。しかし実際はその逆、オレはクリスを導くどころか彼の光に導かれてここまで来た。戦乙女なんて評価はお門違いも良いとこだ。
もちろん事情を知らない人間に対して一々説明するのも馬鹿らしい。それにせっかくオレたちの活躍が評価されてもいるのだ、わざわざ水を差してまで否定するのも勿体ない話だった。
にしても体感八割くらいの人間がこっちへ視線を寄越すし、さらに好き勝手言われてしまえばいくら褒められてたって座りが悪い。ましてや
結局のところ、どう足掻いても女性としての
服に落ちた食べかすをパンパンと叩きながら立ち上がる。せっかくの良い天気だし散歩でもしようかと思ったのだが、こうも注目を浴びるとなれば大人しく引っ込むしかないか。テキトーにギルベルトでも捕まえて雑談するのも一興だろう、たぶん。雑談を楽しむアイツの姿が全然想像できないのは置いといて。
「さて、と──」
わりかし不毛なことを考えながらもいざ帰ろうと踵を返した、ちょうどそのタイミングだった。
「あ、いつかの軍人さんじゃないですかー!」
「お久ぶりですね」
「アンタら……あ、いや、あなた達は……」
ついアンタらと口走ってから慌てて言い直す。今日はやけに意識する羽目になってるが、オレの外見は女性なので男言葉ばかり人前で使ってると違和感を持たれてしまう。軍ではもう”男勝りな女軍人”として受け入れられてるが、どっちかと言えばそれが特殊だ。
などと前置きが長くなってしまったが、オレの眼前に立っているのはお揃いのメイド服に身を包んだ金髪の少女たち。
………………なんだろう、今の違和感は。
「確か、ティナさんとティセさん、でしたっけか? 私になんの用ですか?」
「あ、ちゃんと覚えててくれましたねー。こんにちは、マルガレーテ・ブラウンさん!」
「特別な用がある、という訳でもないのですが。つい見かけたものでして」
「はぁ……」
つい曖昧な返事を返してしまう。相変わらずにこやかに笑う双子の笑みは眩しい。でも前に出会った時のことまで否応なく思い出してしまうのだ。
溌剌としてあからさまに悪戯好きっぽいのがティセで、ちょっと落ち着いた雰囲気の方がティナだったか。数年前、この双子は麻薬の取引現場となっていた酒場で働いていて、その売人を捕らえる際にこちらを妨害してきた食わせ者である。どさくさに紛れて何処かへ消えてしまって以来見かけることは無かったが、まさかこんなところで再会する羽目になろうとは。
「あなた達、数年前のことをちゃんと覚えてる? あんな派手にこちらの妨害までしてきて声をかけるなんて良い度胸、本当なら軍まで引っ張りたいとこですが」
「それはまあ、昔の事ってことでー。きれいさっぱり水に流したりしてくれませんかー?」
「お客様同士の戦いを止めるのも仕事の内ですから。あ、それと、そんなに猫を被らなくても構いませんよ。私たちは気にしませんので」
「……ったく、マイペースな奴らだな。まあ確かに、今更終わったことぐちぐち言っても仕方ないけどさ。用がないならオレはもう帰るぞ」
天を仰いで呆れながら口調を元に戻した。やっぱり女性らしく振舞うのは何となく難しい。オレの場合はちょっと露骨に寄せすぎてる気もするが、周囲に女性軍人なんてちっともいないので参考例すらないのだ。
とにかく、もう四年以上は経ってる事柄を持ち出して軍に報告なんてしても面倒が増えるだけだ。なので余程煽ってもこない限りは適当に流してこの場を去るつもりなのだが……向こうはやっぱり何か用があるらしい。
「まぁまぁ、そんなこと言わずに雑談でもどうですか? 私たちもちょうど休憩中の身でして、暇潰しを探していたんです」
「ついでに何か奢ってくれると嬉しいなー、なんて!」
「悪いけどそんな給料が多い訳じゃないんだ、諦めてくれ」
嘘である。適正よりワンランク下くらいの給料はちゃんと出ているが、この双子にごちそうするのも癪だなという子供っぽい理由だった。
そんな嘘を信じたのか信じてないのか、ニヤッと笑みを浮かべた二人はそれ以上追及はしてこない。妙に聞き分けのいい様子に逆に気味悪く感じるのは失礼か。
「それにしても聞きましたよ、戦場で大活躍の英雄と女傑のことは! アドラー東部ばかりでなく首都の方までその名前は知れ渡ってるとか」
「ついたあだ名は戦乙女、いやー綺麗なものですね。スラム上がりの女の子も今じゃ超有名でご立派な軍人さん、世の中なにが起きるか分かりませんね」
「で、だからどうした? まさかそんなこと言いに来た訳じゃないだろう?」
現在戦場で成果を出してるオレたちがスラム出身なのはそんなに秘匿されてもない。あまり大きく喧伝すると『貴族より優れた劣等がいる』ことを認めてしまうが、さりとて徴兵の為のプロパガンダにも使えるということだろう。まずもってオレが妙な二つ名を付けられてるのがその一環なのは周知で羞恥の事実である。
しかしそんな話をこの双子に振られると、表面的な事実よりもむしろ奥底を見透かそうとしているようにも思える。冗談と悪戯が好きな元気な双子というキャラに対して、どこか底知れない雰囲気をも漂わせているからだろうか。飄々とした態度や急な店内戦闘にも動じない胆力がその考えをより強くする。
見れば見る程よく分からなくなるこの双子こそ何者なのか。ある意味かつてのオレの正体以上に気になる点ではある。
「いやいや、そんな凄い人に喧嘩売っちゃったなんて私たちもやんちゃしてたなーってさ。ほら、後で気が付いたらすごい人だったみたいな?」
「どうだかな。オレよりもクリスの方がよっぽどすごいさ。オレがやってることなんて、アイツの後ろをついてくことくらいだ」
「謙虚ですねー、憧れちゃいますねー。そんなあなたにはきっと
「さぁな、むしろ
「おや、意外と不信心なんですね」
「天にいるだけのよく分からない存在に、やれ幸せにしてくれだの祈っても仕方ないからな」
とはいえ
「なるほどなるほど、そう考えますかー……これは良い事を聞けました」
「……? そんなに面白いことでも言ってたか?」
「私たちからすれば意外と。
「お褒めに預かりどうも。っていうか、しばらく
「そこはほら、ちょっとだけでも戦った誼ってことで一つ!」
よくもまあ適当なことを言うもんだ。思えば最初に出会った時も『オレと会ったことがあるかも』なんて言われたか。案外オレのそっくりさんみたいなのが居るのか、でなければこの双子が電波系なのかのどっちかである。後者の方がまだ可能性は高そうだけど。
──まさかこの二人がベルリンや他の街に居たなんてことはないだろう。
──全く同じような金髪の双子を見た記憶なんて、ない。
「…………ホントにそうだっけか?」
分からない、もしかしたら出会っていたのか? どうにも記憶が曖昧だ。それこそすれ違っただけで気付かずに、なんてこともあるやもしれないのに。まるでモザイクでもかかったかのように詳細を思い出せない。
まあ長いこと戦い続きだったし、素で忘れてるだけかもしれないな。きっとそうだろう、でなければこの奇妙な感覚──しばらく前にも出会ったことがあるはずだという不思議な確信を説明できない。
「別にどっちでもいいか。じゃあオレはそろそろ行くよ、元気でな」
「え、もう行っちゃうんですか? せっかくですし暇潰しに弄らせてくださいなー」
「そうですよ、こんなか弱い双子メイドを放っとくんですか?」
「あのなぁ……どの面下げてそんなこと言うんだ」
「今ならあんなことやこんなこともし放題! ……かも?」
「さあ、その心に秘めた内なる獣性を解放するのです! もちろん料金は頂きますが」
「やるか馬鹿。ったく、同じ女に向かってなんつー言い草だよコイツら……」
確かにこの二人が可愛いのは認めるけど、それで手を出すのは色んな意味で負けた気がするので無しである。オレにだって常識はちゃんとある。
第一そんな見境ない訳じゃないし、女の身体に触りたいならそれこそ自分ので──いや、この話はやめよう。ホントに男としての尊厳が微塵と砕けて戻らなくなりそうだ。
「それじゃ今度こそ、さよなら」
「またお会いしましょうねー」
「次はたくさんお金貰っちゃうのでそのつもりで!」
「はいはい」
まったく、とんだ休日だと内心で苦笑いしつつ、これもこれで穏やかで悪くない。いつの間にか過敏に張り詰めてた神経も元に戻っているのは馬鹿話をしてリラックスしたからか。
元気に手を振ってくる双子へと軽く手を挙げて答え、ようやくオレは軍本部のビルへと歩き出したのである。さてと、帰ったらどうするか。せっかく私服だってあるのだから、たまには着替えるのも良いかもしれない。たぶん軍服で出歩くよりはマシだろう。
それにしても本当に……男の精神で女の身体とは、大変なものである。