「まずは単刀直入に本題を告げてしまおう。本日付けで君たちには
ついにこの時が来たか──もはや馴染みとなってる四人揃って、上官の言葉に対する感想は全く同じだろう。思わず強張った身体を意識しないようにして、努めて自然体のまま嫌味な
「急ですまないが、君たちには明朝には政府中央棟へと発ってもらう手筈となっている。よって速やかに荷物を纏めてもらい、準備を整えておくように」
「了解しました、そのように用意を進めておきます」
淀みなく返答したのはギルベルトだ。彼は最初からこの展開を見通していた。よってこうして呼び出された時点で、影隊長の目的などお見通しであったのだろう。
そう、いずれオレたちの舞台が東部戦線から帝都へと変遷するのは分かっていた。軍の上層部はクリストファー・ヴァルゼライドという男の活躍を疎みだすだろうし、英雄に必要な戦場を取り上げるだろう事も承知の上だ。何せ権力というレンズを通すしかできない上層部は、クーデターを恐れるからこそ兵卒たちの信頼と憧憬を一身に集めるクリスを無視できない。いずれ下賤な血の者が自分たちの首を噛み千切ると、そんな見方と警戒しか出来ないのだ。
まあ確かに、邪悪や腐敗を許さぬクリスの在り方からしてその警戒は間違ってもいない訳で。
つまりは帝都による飼い殺し。自分たちの腹の中で何事も成させず、『いつかは英雄と呼ばれた人間たち』へ貶めてしまうつもりなのだ。
「では確かに伝えたぞ。各々、すぐに準備へ取り掛かれ」
「了解しました!」
揃って返答次第すぐに隊長の前より退出していく。なんだかもう見慣れた光景というか、この数年の間に結構な回数あったなとふと懐かしく思えてしまった。
帝都へ行けばこの隊長とも結局これきりになるのだろうか。分からないが、あまり一緒にいたいと思える人間でないのは確かだった。正直に言えば初めて見た時からちょっと気に入らないし。フランクフルトの基地に来た直後の妙な視線は今でも印象に残っている。
……というより、あれは本当に
「あの人の意図は一体なんなのか……」
「ん、どうしたレーテ?」
「いや、なんでもないよ。こっちの話だ」
気のない返事をアルに返しながらもついつい考え込んでしまう。
改めて考えると実に不気味で不透明だ。もっと目に見えて『腐敗した軍人の典型』だったら悩むこともないのに、実務においては最低限のことはしっかりこなしているようにも思えるから性質が悪い。単純な悪者、などと片付けられないのだ。
今の東部戦線において、どこまでも腐り切った人間というのは実は多くない。当初は新兵を平気で盾にする古参だとか、訳の分からない命令を下す上官なんてのも存在したが、クリスがあまりにも活躍しすぎたせいかそのような手合いは恥じ入る様に消えていった。文字通りに戦場で命を散らして消えた者も多いだろうし、どうしようもない奴はオレとアルで結託してさりげなく激戦区へ──なんてのは置いておこう。
だがあの上官が真っすぐな輝きに感化されたとは到底思えない。そう考えると実に不気味で、見通しの悪い人物と言えた。真意も何もあったものじゃない。
「レーテ、考えごとも良いが今は目の前のことに集中しろ。そのようでは足元を掬われるぞ」
「あ、ああ、そうだな……悪かったよ」
「しかし、今回の異動はまさしく好機だ」
気が付けば既にギルベルトの私室に辿り着いていた。階級の高い彼の部屋はかなり豪奢で、ゆったりしてるが少し落ち着かなくもある。
ともあれクリスに注意されつつソファーに腰を下ろした。これもある意味で見慣れた構図というか、戦場以外で四人集まって話し合う時はいつもこうだった。そんな感慨を抱きながら炯眼を持つ男の言葉を待つ。
「向こうは君たちが東部で兵士を掌握し、帝都の貴族たちへ刃を向けることを恐れている。だから自分たちの腹へとおびき寄せ、そこで生かさず殺さずの策を取るつもりなのだろうが……」
「それは同時に、俺たちが上層部の首に手を掛ける切っ掛けにもなると」
「その通りだ」
アルの言葉に我が意を得たりとばかりに頷いて、
「彼らが妙手と思い込むそれこそが、こちらにとってもまたとないチャンスとなるのだから」
大胆不敵にギルベルトは言い放つのだった。
「なんつーか、大胆かつ難しいやり方だよな。どうあれしばらくは飼い殺しにされる未来は決まってるし、向こうも都合よく気を抜いてくれるか?」
「いいや、逆に考えてみろ。その”しばらく”の間は相手にとっても油断が生じている。あわや既存の権勢をひっくり返しかねない危険人物を自分らのホームグラウンドにまんまとおびき寄せ、しかも慣れない政治の土俵に持ち込んだ……これで気を抜くなという方が無理な相談だろう。そこに付け入る隙がある」
「まあ確かに……そうかもしれないけど」
いつも最悪の事態を考え、”勝算”なんて贅沢とは無縁だったクリスにしては珍しく言い切ったなと感じた。
それだけ帝都に居を移した後での振る舞いに目途が立っているのだろうか。疑問に感じてギルベルトへと視線をやる。彼は腹立たしいくらいに落ち着いた様子で、オレの疑問すら考慮の内といった様子である。
「これはまだヴァルゼライドにしか話していなかったことだが……そもそも今回の異動の件、私は何も関係が無かったのだよ」
「え、そうなのか?」
「おいおい、そりゃ初耳だぞ。じゃあどうしてお前まで──ってまさか」
「そう、私も君たちの異動指令にねじ込んでもらったのだよ。なにぶん元から君たち三人の上司でもある、貴族という立場も合わせてそう難しい事では無かったさ」
事もなげに語るこの男の先読みを前にして、オレもアルも流石に言葉に詰まった。つまりなんだ、オレらからすれば遥か雲の上の存在である軍高官たちの動きを、距離すら離れたこの地から完全に先読みして手を回していた訳だ。確かにこれまでも『近いうちに帝都に呼ばれることになる』とは予見していたが……こうもピッタシ合わせてくるとは。
しかしそれ以上に、今回の異動がオレたち三人の狙い撃ちだったことが一番の冷や汗モノなところだったが。いくらチャンスに繋がるといえども事実上の左遷に対し、普通なら将来有望かつ家柄まで保証されているギルベルトが巻き込まれるはずもない。すっかり気安くなっていたが本来の彼はそういう立場の人間なのだ。
「向こうとしては私まで一緒に来られてはむしろ困るのだろうが、それに従う道理もない。出方さえ分かっていれば先に手回しを行い、別系統から帝都に”栄転”する事は実に容易かったよ。なにせ君たちと共に築いた戦果もある、手土産は十分だったさ」
ちょっとしたことのように涼し気に笑うギルベルトだが、その意味は非常に大きい。
スラム出身の三人だけではどうしたって政治についての知識や経験はすぐ頭打ちになる。今でもギルベルトから教えを請うたりはしているとはいえ、彼本人が居るといないでは大違いでもある。
「ま、お前も一緒ってんなら力強いことこの上ないけどよ……何だか悪いな、いつも俺たちに付き合ってもらう形でよ」
「何を遠慮する必要がある。力ある者、意志ある者が輝ける場を整えることに喜びはあれど苦労など一切ない。再三言わせてもらうが、君たちはそれだけのことを成しえているのだ。胸を張り誇るべきだろう」
「ありがとな、そういうとこは本当に感謝してるよ」
「まったくだ、お前には頭が上がらん」
こればかりは三人揃って素直に頭を下げた。軍に入ってからこれまで、純粋にオレたちの味方をしてくれる人間など片手の指でもまだ多いくらいだ。その一人がこれだけ親身になってくれるというなら、オレたちもまたその期待には応えたい。
「さて、話が横に逸れてしまったな。元に戻すが、そういう訳だから私も君たちと共に帝都へ戻る運びになり、これに際して上の人間たちは間違いなく安堵し緊張の糸を緩める。何故なら、私が君たちの監視役になると考えているからだ」
「監視役だって? 出来るのか、そんなこと?」
この
そんな当然の疑問を前にしてもこの男は揺るがない。
「出来るとも。最初からそういった条件込みで異動する予定なのだから。『ヴァルゼライドたち三人を帝都でまで好きにはさせない、むしろそれとなく見張っておくから自分も帝都に行かせてくれ。同じ貴族として下賤なる者たちの成り上がりまでは見てられない』……などと向こうが共感するよう大げさに語ればアッサリだ。良くも悪くも彼らは自分たちの物差しで考えるのが得意なのさ」
「要するに二重スパイじゃねぇか……ほんっとうにやりたい放題してるな、お前は」
「お褒めいただき光栄だよ」
立場も頭脳もある男に万全の準備期間まで与えてしまえばどうなるのか。その結果がギルベルトの独壇場とも呼ぶべき根回しの数々となる訳だ。オレたちの敵となるはずの相手に取り入りながらこちらの利になるよう動く様はいっそ芸術的ですらある。
そんなものをまじまじと見せつけられてオレとしては頼もしいやら恐ろしいやら。将来なにか埒外の出来事があったとしても彼だけは絶対に敵に回したくないと思わされる。というか絶対にイヤだ。
「いずれにせよ、ハーヴェスの助力もあって俺たちはこの上ない形で帝都へと帰還することが出来るのだ。本来ならばこれだけの下準備、前情報など望むべくも無かったことを鑑みれば僥倖が過ぎる。これで一つも成果を出せないとあらば光を掴む資格無しだ」
ハッキリと断言したクリスの語気はかつてない程に強かった。頷きながらもごくりと喉を鳴らす。
そうだろう、これまでがいわゆる下積み時代ならば次からが正念場だ。不慣れな”戦場”でどこまで足掻き戦い抜けるか、どれだけ己が光を貫き腐敗に抗うことが出来るのか。やれる全てで成果を出せねば待っているのは無為な人生に他ならない。
「その覚悟、しかと受け取った。微力ながら私も尽くせる限りの援助をしよう」
どこが微力だ、反射的に呟いた言葉はアッサリと流された。
「だが改めて確認しておこう。君たちは軍の高官たちに抗うつもりであるらしいが、何故そのような茨の道を行く? 飼い殺しといえど大人しくしている方が遥かに賢く、また身の丈にあった振る舞いなのは自明のことだが」
「愚問だな。だが敢えて誓ってやる。今日の涙を明日の笑顔に出来るような──そんな世の中を俺は作りたい。そうであれる人間に俺はなりたい。なればこそ、大志を抱き前に進む以外にありえない」
「敢えて言っておくが、オレはそこまで大それた目的意識は持ってないぞ。ただクリスの奴を友達として放っておけない、それだけだ」
「俺だって同じだ。でもその途上で俺たちみたいな不遇を受ける奴が一人でも減るならやる甲斐はあるだろ、間違いなくな」
いつどこであろうと、それだけは絶対に変わることない核となる部分。
この想いがある限りは決して負けないと声高に叫んでみせよう。いいや、むしろこの想いを無くしてしまったその時こそ、オレがオレでなくなってしまう時なのだ。光を目指さず足掻きもしない自分なんて想像もできないから。
「ならば良し、その決断を最大限に尊重しよう。なに、案ずることは無い。君たちは
「止せハーヴェス。正しさだけを信じ、悪とあらばあらゆる全てを斬ってしまう俺に正義など似合わない」
そこで一拍だけ間を置いてから、
「俺はあくまで、邪悪を滅ぼす死の
どれだけ正しかろうとも、我が身に正義など一片たりとも無いのだと。
誰よりも悪を憎み清廉潔白に突き進む男は告げるのだった。
◇
それからはとんとん拍子に用意が進んだ。
こちらとしてはやる気十分、躊躇う要素なんて何処にもない。だから多くもない荷物をすぐさま纏め、明朝には余裕を持ってフランクフルトを旅立つ備えが出来ていたほどである。
まだ日も昇り切っていない、少しだけ肌寒い朝。隊長含め関わりのあった幾人かに挨拶も終えたオレたちは揃って駅のプラットフォームに立っていた。
「結局、あんましフランクフルトでの思い出みたいなのは出来なかったな」
「そりゃ仕方ねぇだろ、ずっと戦場を転々としてたんだから。ま、それでも悪くなかったとは思いたいところだが」
「酒場で双子に手を焼かされたのは一生忘れないと思うけどな。あ、そういえばこの前あの二人にも会ったぞ」
「マジか。はー、俺も一言文句でも付けてやりたかったぜ」
あの双子は元気にしてるかなぁとか、そういえば挨拶もしてないし何者だったのやらとか思うものの、縁があればまた何処かで会うだろう。楽観的に考えながら帝都へ向かう便を待つ。
旧暦から残る駅のプラットフォームは初めてここを訪れたときと何も変わっていない。無機質で機械的な壁がずらりと続く一方で、篝火や蝋燭を用いて灯りを採るのは旧暦以上に旧時代で新西暦らしさを感じられる。
「それにしても帝都、帝都かぁ……あんま考えたくないけど
「本質はそう変わらないさ。既存利益の獲得ばかりに腐心し、下の者を見下し権勢に固執する典型的な者ばかり。たまたま良い家柄に生まれたから高い地位に座っている、そんな者たちの巣窟だよ」
「地獄絵図じゃねぇか……こっちでアンタルヤの連中と斬り合ってる方がマシなんじゃと思えてきたぞ」
「なんだアル、帝都に着かない内からもう弱音を吐くのか? そんな惰弱では先が思いやられるが」
「冗談だっつーの! ったく堅物はこれだから……」
はぁ、と苦笑交じりに溜息をついたアルを横目にのんびりと線路の先を見やった。遠くまで続くその先に、アルの言う地獄絵図な伏魔殿が待っているのだろう。もしオレだけで異動にでもなっていたら流石に心細かったかもしれない。
政治なんてサッパリな今のオレたちは、帝都ではきっとやる気があるばかりの弱小者たちの集団と思われていることだろう。軍事国家なのだから戦績も多分に重要とはいえ、実質的には張子の虎も良いとこのはず。
その中でどれだけの事が成せるのか。本当に腐敗した国を変えるなんて大それた行いが可能なのか。たった数名の個人がどれだけの波紋を起こせるのか、不安がないと言えば嘘になる。
でも、その不安を全て薙ぎ倒して突き進んだから今がある。ならばもう行けるところまで行くべきで。
「これまでが英雄の紡いだ
「詩的だが的確な表現だ。
「やめろ、その言い方はホントやめてくれ。お前のせいでなんか猛烈に恥ずかしくなってきた」
ちょっとカッコつけて中二っぽく呟いたのがアホっぽくなるじゃないか。そういうのは大人としてスルーして欲しかったものである。
どうにせよこれまでとはあらゆる面で勝手が異なるのは間違いない。身体を鍛え剣を振り、最前線を駆け抜ければ良かった頃とは全てが違ってくる。出来ることならこの身体に残っている
……そういえば。
こうして今とは違う自分の記憶を持つ人間は過去にも存在したのだろうか? オレという実証がいるのだから過去に存在しない理由もない。もしかすると
過去千年とまでは言わないから、数百年分くらいのデータベースでも残っていればの話だが。あんまり期待もしてないけど。
◇
──そこは、まるで墓場のようであった。
この新西暦ではまず見られない複雑な機器類がいくつも並んでいるが、そのほとんどは沈黙を保ったまま動かない。埃を被ったそれらはまるで『作ったは良いが使い所が存在しない』と言わんばかりに放置されたままである。
なのだが、しかし。使われもせず埋もれた機械たちのその奥に。あまりにも巨大な
「ほう、久方ぶりに人員の入れ替わりが起きるか。さて、次こそは己の眼鏡に適う人間が見つかれば良いのだが……」
「この数百年ついぞ現れなかった己と手を組むに値する逸材。今度こそ見いだしてみせようぞ」
嘯きながらも声の主は分かっている。自身の設定した基準が高すぎるから適格者が現れないのだ。
なにせ求める者は紛うこと無き傑物だから。
冥府魔道を苦もなく踏破し、不条理を一瞥しながら斬り捨てて。清濁を併せて吞みながら、闇ではなく光をいつまでも掲げられる勇者こそを求めている。その難易度、その高望み、いかに厳しいものかは余さず承知しているとも。
だが、それがいったいどうしたという?
「勇者が現れぬというのなら、いつか世に羽ばたくその日まで己は待ち続けるのみ。いずれ運命の車輪を回し、大和をこの地に下ろすその日を目指して──」
鋼の
帝国の地下深くで、己が宿敵にして無二の協力者を待ち続けている。
早ければ次回の最後ら辺で星辰光という名称は出せそうです。
やっとシルヴァリオのメイン要素に手がかかる……
それはそうと、前書きでも述べましたがマルガレーテのイラストをいただきました。この場を借りてお礼申し上げると共に、許可を貰えましたので掲載させてもらいます。
【挿絵表示】
あんまり本編ではマルガレーテの軍服を描写したりはしてないですが、これらの格好はしっかり私のイメージに沿った内容を形にしてもらったものです。軍帽やケープ、直刀などは完全に趣味です。