軍事帝国アドラーにおける首都の象徴と言えば、何においても
とはいえ、ならば軍事帝国の象徴らしく質実剛健、清廉潔白な
「報告・連絡・相談の風通しは恐ろしいくらいに悪いし、ちょっとでも自分らに不都合な事案があれば速攻で握りつぶしにくるし、そのくせ態度ばっかり偉そうで回りくどいし、ったく何なんだよホントにさ!」
執務の間にようやく訪れた十五分だけの休憩時間──
そのわずかな時間にちょうど見かけたクリスを強引に捕まえ自室に連れ込んだところだった。そうでもしないとこの男は休憩を返上して働こうとするので仕方ない。現に今も手元の資料に目を通したままである。
「そう叫ぶな。こんな展開が待っていると覚悟の上で乗り込んだのは俺たちのはずだぞ? 弱音を吐いている暇はない」
「弱音っつーか愚痴だよ愚痴! クリスは何も思わないのかよ……」
まるでなじるような口調になりつつ備え付けの椅子に思い切り身を沈ませた。これまで体験したことのないようなフカフカした座り心地に思わず気が抜けるような声が出てしまう。心までダメになってしまいそうだ。
この
「そりゃ覚悟の上で
「笑えない冗談だな。あの隊長も、ここにいる者共も、結局は弱者を踏み躙ることに長けた卑怯者共だ」
そこで一度言葉を切ってから、
「先ほどの問いだが、何も思わない訳がないだろう。いずれ俺の手で必ずや不徳の清算をさせてやる。だが今はまだ雌伏の時だ、打って出るタイミングを間違える訳にはいかん」
「そのために色々下準備もしてるわけだしな。行動すれば結果がすぐに結びつく訳じゃない、分かっていても苦しいな」
スラム育ちなのだから当然だが、オレたちには帝都での知り合いなんてほぼ存在しない。特に権力者との繋がりなんて皆無な以上、後ろ盾のない身としては早急に誰かしらとのパイプが求められている。
そのためにオレたちが選んだ手段は
都合の良い高望みだが、そこに一縷の望みをかけなければズルズルと腐敗の波に圧し潰されるだけである。よってオレたちは帝都に戻ってくるや否や行動を開始した。
出来るだけ仕事を早く覚えてこなし、空いた時間でさりげなく同僚などに探りをかけていく。大概はスラム育ちという事実だけで蔑んでくるような者ばかりだったが、中にはギルベルトのように正当にこちらの能力や東部での活躍を評価してくれる人間もいた。そのような人間相手にちょっとづつ政治や
「道は長く険しいのが当然、報われる保証など何処にもない。俺もレーテもそれをよく知っているはずだ」
「千里の道も一歩からってか。幸いなのは意外と仲間を見つけられたことなのかね。思ったより好意的な人間も多くて驚いたよ」
「腐っても軍事帝国だ、純粋に武力に対する憧憬は強いのだろう。人殺しが上手いだけの男がこうまで評価されているのだからな」
「良いじゃないか、そのおかげでオレたちだって動きやすいんだからさ。そんなに自分を卑下するなって」
元々ギルベルトなどはまず東部で功績を立ててから帝都に凱旋する予定だったと聞くし、やはりこの国において単純な力とは案外馬鹿にできるものではない。とりわけ東部戦線の英雄たるクリスに憧れる者はこの帝都にも少なくなかった。この点はこれまでの無茶無謀な戦いの成果を実感できた瞬間だろう。
ただ、それ以上に家柄や血筋のお陰で労せず上に立ってしまう者が多いだけで。単にそう生まれたからという理由でのうのうと高い地位に就いた人間ほど、実力でのし上がってきた者に対して敵意と警戒心を抱く。自分を脅かすかもしれない相手を全力で排除しようと動き出すのだ。
だからまあ、オレたちもやっぱり万事が上手くいってるわけじゃない。むしろ向けられる感情のほとんどは僻みや妬み、侮蔑に差別とより取り見取りだ。何も嬉しくないけれど。
「そろそろ時間だ、行くぞ」
「分かってるよ、んじゃ行くか」
先が思いやられるというか、オレたちが存在感を示せるようになるまでどれだけの時間がかかるやら。
思わず出そうになる嘆息をグッと堪えて自室を出た。やるべき仕事はまだまだある。といってもこれまでと違い派手さなんて欠片もない。それはクリスが剣ではなく書類の束を抱えてる時点で明白だろう。
コツコツと軍靴を響かせ廊下を歩く。隣に並んだクリスと行先は同じだった。
「今日はどこの部隊のを回されたんだ?」
「
「こっちは
前線から異動したことにより、オレたちに求められる役割も文字通りに一変した。今や握るのは剣ではなくペンだし、向き合うのは戦局ではなく机になった。睨むのは敵兵でなく書面に記された数字や文字の羅列ばかり。この数か月で身体ではなく頭を動かす文官へと見事にシフトチェンジしたのである。
なのだが仕事の内容はハッキリ言って無意味な雑業そのものだ。
執務仕事の新米の業務なんてたかが知れていると言われればその通り。だけど意味もやり甲斐も何もない日々には辟易する。というより穿ちすぎでなければ、わざとこういう閑職に回されているのだろう。オレとクリスはこうしてほぼ意味のない仕事に従事してるし、アルは別部署だがやっぱり無味乾燥な仕事ばかりやっていると聞く。ギルベルトだけはマシだと聞くが、そんなところだ。
出る杭は打たれ、かつて英雄と呼ばれた人間も所詮は人──なんて意思が透けて見えた。これまでとは大きく違うフィールドで閑職に追いやってしまえば下賤な者に打つ手なしと、きっとお偉方は考えているのだろう。分かりやすいにも程がある。
そうこう考えている内にオレたちの職場へと辿り着いた。あんまり光の入らないような隅っこの部屋だ。漂う陰鬱な空気はこの場所が厄介払いされた人間だけを集めたものと如実に理解させてくる。
「それじゃ、また後でな」
「ああ」
ひらひらと手を振っていったんクリスと別れた。机に向き合い面白くもなんともない書類に目を通しては、テキトー極まりない要求をピックアップするだけである。チラリと横目で確認すればクリスも黙々と同じことをしていた。その横顔からは何の感情も見て取れない。
さらに周囲を盗み見れば、他の者はほとんど生気のない顔で淡々と事務をこなしているだけだ。もはや長くはないだろう。彼らはこの状況に反抗する気概すら失ってしまった抜け殻みたいな人間になっている。
ただの剣を振るうしかない英雄であったなら、この手はきっと効果的だった。
つまらない仕事をこなす間に気が付けば心が腐り、何事にも無関心になり飼い殺される。向こうとしても自分の土俵で相手を骨抜きにしてしまう必殺の布陣のつもりだったはず。これに立場や生まれによる差別、侮蔑まで加われば簡単に心をやられて引退だ。
なのだがそこは鋼の英雄、この程度の謀略など涼しい顔だし気にも留めない。むしろ閑職だけあって時間は余っていることを有効活用しては水面下で走り回っている。
カリカリ、カリカリ。ペンを走らせる音と、たまに紙をめくる音だけが静かな室内に響く。
ずっといれば魂さえ抜き取られそうな無気力空間で、ひたすら無心で作業だけに没頭してやる気を保つことしばらく。
「…………っと、終わりか」
気が付けばもう終業時間だった。あまりにも面白味がなさ過ぎて思考が半ば飛んでいた気がするが構わない。重要なのはむしろこれからなのだから。
各部署からの要求をまとめた書類を上司に渡して確認してもらう。しかし文章へと目を通す姿はあまりにおざなりで、本当に読んでいるのかすら不明だ。はっきり言って覇気もやる気もない。
まだ年若い青年であるこの上司も、聞くところによれば下級貴族の生まれながら
「確認した。今日の作業はこれにて終了だ、ご苦労だった」
機械的に署名し、機械的に終了を告げられる。本当に目を通したのかすら怪しいが仕方ない。なのでこちらもまた事務的に返答してから一礼してからその場を後にした。
「ホントにさ、見てるだけでもキツイよ。理不尽のせいであんな姿に成り果てるなんてさ」
「それがこの国の中枢に蔓延る歪みそのものだ。稚児でも分かる不条理が横行していて、それに声を上げられるものはごく少数。存在したところですぐに潰されるのがオチだろう。その中で正しくあれる者、毅然と前を向ける者など奇跡に近いと言っていい」
先に退室していたクリスの隣へ足早に追いついた。彼の言葉こそ今のアドラーの現状を正しく述べている。
上に立つ者で本当に優秀なのはごく一握り、その他大勢の”真面目で向上心のある人間”ほど台頭を恐れる小物の手により潰される。不当な左遷、苛烈な同調圧力による追い込み、実質的に仕事を取り上げる、他にも他にも──何もオレたちだけが特別に飼い殺されてるわけではないのだ。
ただ
ならば、現状を是正するためには、この腐敗した
オレだけなら周囲に潰され流され諦めてしまったかもしれないが、オレは一人ではないから。信頼できる幼馴染と戦友がいて、共に未来を目指している。ならば不可能など何処にもない。
だからその為にはまず──地道な活動が不可欠なのだった。
◇
このアドラーに不満を持つ者、より直截的に述べてしまえば改革派を見つけ出すのは並大抵の事でない。
まず上位の者から率先して不道徳と汚職へ手を染めているうえ、声高々に不満を語ればそれだけで粛清される危険性すら存在する。そんな中でコネも繋がりもない、帝都へ異動してすぐの若造たちが彼らと手を結ぼうとするなど不可能と言って良かった。ギルベルトの神算鬼謀ですら信用を貰い渡りを付けるには時間がかかりすぎてしまう。
よって、打つべき最初の一手は満場一致で決まっていた。
帝都へと戻ってきてからほんの数日後に、オレたちは懐かしい場所へと訪問していた。
「果たして何年振りになるのか……久しいな、変わらず健勝のようで何よりだ」
神妙に頷いたのは、かつてオレたちが剣術を教わったトナリ・ムラサメ教官である。彼はムラサメというアマツの傍仕えとなる家系の一族だが、今は引退して士官学校で教官をしている。とてつもない剣の使い手である教官とはほんの半年程度の関わりしかなかったが、それでも縁は縁である。
今は一線を退いていようとかつてはアマツの懐刀であったのだ。だからオレたちよりも明らかに上層部の内部事情には詳しいはずだし、そうでなくとも様々な生徒を見ているのだ、思いも寄らない情報を聞けるかもしれない。
そのような打算と、後は純粋にもう一度会いたい気持ちも含めて三人揃って教官の下を訪れたのである。
「この帝都でもお前たちの活躍はよく聞いていた。短い間でも俺の手掛けた生徒と剣が武勲を残したことを誇りに思うぞ」
「光栄です。自分たちは出来ることをやったまで、そして出来ることを増やしてくださったのは教官の指導があればこそでした」
「英雄とも呼ばれる男が謙虚なことだ。いや、お前はあの頃からそうだったな」
──それで、お前たちは何を成すためにここへ来た?
鋭い視線だけで言外に問われた。
老体から放たれる威圧感に身が竦んだのも昔の話、戦場を渡った今なら真正面から相対できる。
「自分たちはこのアドラーに革命を齎したい。そのためには仲間が多く必要です」
「ですが当然ながら私たちに横の繋がりなど全くありません」
「なので教官ならばあるいは現状に不満を持つ者をご存知なのではと考え、こうして足を運んだ次第です」
「なるほどな……言いたいことは理解した」
単刀直入、飾り気のないこちらの訴えに教官は静かに頷く。
無理とも言わず、言外にアマツを打倒すると告げるこちらに怒ることもない。ただ凪いだ湖面のように姿は揺るがず、しかし紡がれた言葉には隠しようのない落胆が含まれていた。
「確かに今の帝国の姿は目に余る。ああ、大した能力もないのに金だけ積んで裏口から入ってきた者もごまんと見てきた。こんな奴らに我が剣を教える羽目になるのかと本気で悩んだこともある」
「なら……!」
「だが、それと俺の持っている情報量の多寡はまた別だ。引退した老骨一人が持ちうる情報などたかが知れている。はっきり言ってお前たちの必要とする量にはちっとも届かないだろう。それでもか?」
「それでもです」
明瞭にクリスが断言する。
「ここで教官から頂ける情報は非常に貴重で有用なものに疑いはありません。ほんの僅かでも一つの道筋があるのなら、そこから幾らでも望む未来へと邁進できる。自分たちはそのようにして生きてきました」
「それが持たざる者たちの考え方、か……リスクも勝算も度外視で突き進むとは。いいや、だからこそ東部戦線の最前線で戦ってなお生き残れたという訳か」
「自分はこういった生き方しか知らないものですから。誰かの幸福のために、光を目指して突き進んでしまう大馬鹿者です」
「本当に大馬鹿だ。個人が抱く野望にしては大言壮語も程がある。それに付き合うお前の友も大概だな」
この場の四者の視線交わる。お前にそれが出来るのか──言われるまでもない、成し遂げる。譲れない意志がぶつかり爆ぜて、知ったことかとばかりに一歩も後ろには引かない。
そんなやり取りを交わしてから、教官はフッと笑い肩の力を抜いた。呆れたように頭を振って
「良いだろう、ならばやって見せるがいい。俺とて実力ある剣士が磨り潰される様は我慢ならん。かつての主を裏切ることまでは出来ないが……」
「結構です。どのような些細な情報だろうと、必ずやこの手に勝利を掴んでみせましょう」
「よくぞ言った。まったく、この時代に生まれた癖に眩しすぎる男だよ」
まさかこんな若造に憧憬すら抱くことになろうとはな。
噛み締めるように呟いた教官の言葉が、とても印象的だった。
◇
それから先はとんとん拍子、とはやはり行かず。
まずはムラサメ教官に仲介してもらった数少ない改革派の人間に接触して頭を下げ、志が同じであること告げ。それからは自分たちを信用してもらえるように地道に磨き、身の振り方を学び、さらにギルベルトと協力して情報をいっそう集めたり……
やはり改革の意志を持った者は少なく、帝国全体を支配する貴族主義な血統派からすれば吹けば飛ぶ藁のようなものである。表立って動くことも出来ないからには同じ理想を抱いて燻る者を探すことすら遅々として進まないことだってある。だけども諦めてしまえばお終いなのだ、それだけは出来ないとばかりに面従腹背を貫き通した。
どうやらその間にも、東部戦線で活躍した若き英雄の噂は少しづつ広まっていたらしい。実質的な左遷であることは政治に携わる者からすれば瞭然らしいが、それでも腐らず動き続ける姿に感化された者も僅かずつ出てきている。自分から頭を下げて協力を要請する姿も帝都ではとても珍しいのか感心されたことすらある。
牛歩の歩みながらも信用を得て、仲間を増やし、段々と改革派の規模が大きくなってくる。
一年も経過した頃には、謙虚な姿勢と絶大な意志の力を見せたクリスの立ち位置は改革派の中でも中心に近い位置にまで到達していた。アルは調整役として上からも認められる程度には部署間でのバランサーが上手くなっていたし、ギルベルトは相変わらず二重スパイじみたことを続けている自由っぷりである。
それに比してオレの活躍はと言えば非常に地味であるものの、不本意ながら得てしまった
後はまあ、暗殺されかけたこともそこそこある。深夜にいきなり襲撃されたりとか、飲み物に毒を混ぜられていたりとか。前者はどうにか撃退できたが、後者は何気なくギルベルトが予言してなければ危なかった。感謝しかない。
──なのだが、しかし。それ以上の転機は唐突に訪れる。
ある日から急にクリスの姿を見ない時が出来た。いつも精力的に活動しているしちょっとした会話なら毎日交わしていたというのに、まるで
いったいどうしたのかと悩むことしばらく。疑問も晴れないままに何故だかオレは地下深くへと向かう通路を歩いていた。いきなり降って湧いた謎の特命に首を傾げ、もしや暗殺かとも警戒しながら下へ下へと進んでいく。
「まるで冥府に続く
ふと心細くなって冗談を言うも、それすら暗い廊下に吸い込まれ消えていく。あたかも墓標のような静けさだ。
そして、辿り着いた先に存在したのは厳重に封のされた巨大な扉。しかしオレが近づいた途端に勝手に開き、まるで歓迎するかのようにその先への道を示してくる。
「ここは……」
まず目に入るのは見るからに複雑そうな機械の類だ。新西暦に生まれてこの方、このようなものにお目にかかったことなど一度もない。前世の知識にだってこんなものがあったかどうかだ。
けれど、それ以上に目を引かれるのは真正面に鎮座する巨大な
太陽の如き熱量を携えた存在が、そこに鎮座していたのだから。
「よくぞ来た、マルガレーテ・ブラウンよ。喜ぶがいい、お前を己の選ぶ
「……ッ!」
尊大な物言いが実にしっくりくるほどに圧倒的な意志の力。
こうと決めた事柄を必ず曲げずやり通す頑固さ。
声音に秘められた燃え盛る熱情。
その全てがクリスに匹敵するという規格外の存在が、オレを真っすぐ見据えていた。
──この出会いこそ、オレにとっての第二の始まり。
後に世界の行く末すら左右することになる、
勘の良い方はお気づきでしょうが、ラストのシーンは『審判者よ、天霆の火に下るべし』の直前といったところです。詳しい時系列などはまた次回にでも。
あとシルヴァリオラグナロクの体験版は既にプレイしました。最初からシルヴァリオシリーズらしさ全開でとっても楽しんでおります。個人的にはルーファス君が結構お気に入りになりました。