首都からここまで乗ってきた鉄道から降り、記憶を頼りに街並みを歩く。
懐かしの東部戦線の空気は、かつてと比べて明らかに淀んでいた。
再びやって来たのはアドラー帝国軍の東部戦線における要衝、フランクフルトだった。かつてオレとクリス、それにアルと一緒に前線で駆けずり回っていた頃の名残はそのままだが、明らかに空気が変わっている。報告で聞いてはいたものの、前線がかなり押し返されたという実感を肌で感じてしまう。
「だいぶこっぴどくやられたらしいな、こりゃ……」
「勢い付いてたところに冷や水を掛けられたようなもんだ、そりゃ意気消沈もするだろうさ」
囁き声くらいの調子で隣のアルと会話を交わしながら辺りを見回す。オレたちがいた数年前と比較すると影の落ちた街並みは、そのまま東部戦線の戦況を映しているのだろう。それも当然というべきか、かつてクリスが居た頃と比べて現在の戦果はパッとせず、しかも悪辣な傭兵相手に手玉に取られるようでは自信を失うのも仕方ない。
アドラーは軍事帝国なのだから、暴力で負けてしまえば当たり前に威信は翳る。いや、この場合はむしろ一国を相手に驚異的な戦果を叩き出している例の傭兵が異常なのか。そんな相手が敵にいると理解してしまえば、余計に脅威が伝わってしまうのも無理はなかった。
「ま、その上で
「実際前線に出るのは俺たちが初めてなんだろ? いくら話は通ってるにせよこっちの奴らからすれば不安にもなるわな」
「むしろ二人だけの援軍とか頭おかしいのかって言われてもおかしくないっつーか」
「どんな嫌味を言われるかも分かったもんじゃない。さすがに頭ごなしに否定はしないだろうけどよ」
「まったくだ」
はぁ、と一つ溜息を吐く。この先で待つ相手を思えばどうにも気が乗らない。
一騎当千の身体能力と星辰光があるとはいえ、実情を知らなければ不信感を覚える話だ。しかもオレとアルは指揮系統としても微妙な扱いであり、平たく言えば『命令を聞きつつ好き勝手に暴れてこい』という枠組みにある。なので余計に扱い辛く、あたかも遊撃軍のような配置となるのは容易に想像が付いた。
だからまあ、何はともあれまず第六東部制圧部隊
別に極端な無能ではない。ただギルベルトと比べれば超有能とも思えず、そもそも嫌な意味で貴族としての振る舞いが染みついている。スラムから昇ってきた軍属は躊躇なく捨て駒にするとか、妙に嫌味っぽいとか、そんな調子だ。あと初めて東部に配属された際の、あの何ともいえない視線も未だに忘れられない。
まさしく血統派な彼が改革派に属するオレたちを見た時、どんな皮肉や嫌味を言われるやら。覚悟しながら帝国軍の本拠となるビルへと向かえば、
「……なんというか、拍子抜けだな」
「まさか有無を言わさず前線に行って来いとは思わなかったぞ」
覚悟してたような応酬はちっともなく、帝都からの再配属の旨を受領し短いやり取りを交わしてすぐに終わった。
これはまさか改心なり見直したりしたのか、なんて訳ではもちろんない。原因は誰が見ても明らかだ。
「随分とこう、やつれてたな」
「順調だったのが押し返されればそうもなるだろ。責任問題とか采配の如何だとか、偉くなればそれだけ厄介事や重責も背負い込む羽目になるさ」
「今まで偉かったから好き勝手にやれてたのが、偉いから追い詰められるのも皮肉なもんだな」
「人間うっかりイイとこまで昇りつめても難儀なこった。クリスの奴にも言っといてやらないとな」
重役になるのも結構だが、それはそれで下っ端には理解できない気苦労やプレッシャーは存在する。今や改革派の筆頭として名を上げたクリスの立場や難しさなどさもありなんだ。改めてオレたち親友が支えられるところは支えていく必要があると認識したところで──
「そういえば、”アイツ”は元気にやってるのかね」
暗い話題から明るい話題へと切り替える。ふと思い出したのは東部戦線で戦う中で邂逅した、とある青年兵卒のことだ。
予想外すぎる出来事からオレたち全員に強烈な印象を残した”彼”のことは、長い
「ああ、”アイツ”のことか。何言ってんだか、クリスに喧嘩売るような跳ねっ返りがそう簡単にくたばってたまるかよ」
「はは、だよな。少しだけ心配になったのが馬鹿らしいよ」
やはり忘れていなかったらしいアルの言葉に自然と笑みが浮かんだ。
数年前、とある街に滞在していた頃、無謀にもクリスに喧嘩を売ってきた力自慢の乱暴な青年。ギルベルトですらあまりの事態に一瞬固まり、次いで笑いだすような出来事を起こした”彼”は、今もアドラー軍で元気でやっているのだろう。いつ死んでもおかしくない激戦区であるというのに、不思議とその確信が持ててしまった。
「時間があれば顔も見ておこうぜ、息災って知ればきっとクリスも喜ぶだろ」
「だな、こんなとこでも俺たちの思い出の場所と言えばそうなんだし」
死ぬような目にあったり、打ち上げしたり、色々あった。
スラムでも、戦場でも、年月を重ねた土地にはどうしても郷愁が湧いてしまうものらしい。
◇
かつて死ぬような目に遭ったテューリンゲンの森の先、やや開けた土地に今の前線基地は存在する。
フランクフルトに到着したその日の内に早速オレたちは出発し、現在のアドラー帝国とアンタルヤ商業連合の戦端近くまでやって来た。慌ただしいことこの上ないが、
果たして、中央からいきなり東部へと飛ばされてきたオレたちへの反応はまちまちだった。数年振りに会った戦友なんかは無邪気に再会を喜んでくれるものの、胡散臭そうな視線で見られたり明らかに舐められた空気を感じたり。挙句の果てには「中央仕えから地獄の最前線に飛ばされるなんてよっぽどですね」と遠回しに言ってきた相手もいるくらいだ。
「ここまで温度差があるとは思わなかったぞ……!」
「嬉しいやらちょっと腹立つやらで複雑だな……ま、悪意や皮肉なんて今に始まったことじゃないさ」
ある程度は顔を見せて回り、ひとまず切り上げたところで外周の防壁へと背中を預けた。
中心から離れたこの近辺は人が少ないおかげで落ち着いた雰囲気がある。心身共に疲れ始めてたのでちょうど良い穴場だ。
「いいよなーアルは、そうやって流せる度量があってさ」
「性分だからな。レーテに比べりゃ色んな意味で大きい自信があるぞ」
「はいはい、それは良かったですねー」
身長についてサラッと触れてきたのはムカつくけれどグッと我慢。ここでムキになればニヤついてる
それに、こうして軽口を叩き合うだけでもいい休息になる。無意識に強張っていた肩の力を抜いて深呼吸。すっかり夜も更けた冷たい空気が火照った身体を冷やしていく。
「ま、散々言われたことは置いとくとしてもだ。ちゃんと目的自体は達成しないとな」
帝国の星辰奏者はまさしく戦場の覇者を決め得る人材である──実戦でそれを証明し、戦意を上げつつ敵国への牽制とするのが第一目標だった。
「ド派手にぶっ放すのはレーテの能力向きだろ、心配するこたないさ。俺の地味な能力に比べりゃ羨ましいくらいだぜ」
「……ま、不本意だけど
「任せとけ、それこそ俺の得意分野だからな。お前は正面だけ見てれば十分さ」
「ああ、頼りにしてる」
たった二人ながらもこうして信頼できる相手と居るのだ、不安がる必要なんてこれっぽっちもありはしない。
そう安心したところで…………ふと、嗅覚が奇妙な匂いを察知した。ほんの少しだけ焦げ臭いような、どうにも鼻を突く嫌な匂い。火薬と脂の焼ける匂いに酷似したそれは、戦場で散々に感じてきたものであり。
「おいレーテ、マズいぞ」
「……ああ、分かってるさ。まさかここまで堂々と来るなんて」
「それどころじゃない、ここら一帯がもう
「嘘だろ──!」
言いかけた直後、静寂を引き裂くように轟音が響き渡った。先ほどまで寄りかかっていた防壁を吹き飛ばしながら爆風が駆け抜け、間一髪で飛びのいたオレの髪先を焦がしていく。もしアルの警告がなければ仲良く巻き込まれて大怪我を負っていたことだろう。
見張りはどうしたとか、そもそも帝国軍基地に殴り込みなんて正気かとか、気になる所は多いがまずは抜刀。アダマンタイト製の直刀を握りしめて意識を戦闘用へとシフトさせていく。だけどどうにも奇妙なことに、人の気配は感じられない。むしろ肉の焦げた臭気が立ち込めていることから、すぐにそのやり口を悟った。
「人間に爆弾を持たせて特攻させたな……えげつないことしやがる」
「報告にあった一般人に爆弾持たせて特攻ってヤツか、胸糞わりぃな。だけどそれなら見張りが止めそうなもんだが……いや、この場合は」
「先に排除されてたか、だな。にしても誰にも気取られなかったのが信じられないが」
少なくとも帝国軍側はこの兆候にまったく気づいていなかった。そうでなければ向こうの方が蜂の巣をつついたような騒ぎとなってはいないし、さらに他の地点からまで爆音が響いてはこないはず。傭兵相手に完璧な奇襲を決められてしまい軍事帝国としての面目は丸潰れもいいところだ。
だが威信や面子以上に重要なのは、一連の流れを一切気取られずに成し遂げたとんでもない大胆さと用心深さである。まず常識的な頭を持っていれば『敵陣ど真ん中に襲撃をかける』など選ばないし、なのに奇襲を仕掛けるやり口は見事なまでに鮮やかだ。加えて当然の権利とばかりに人倫すら無視とくればいよいよテロリストじみた相手である。
こんな頭のおかしいやり口をしてくる相手に、残念ながら心当たりが一つだけあった。
「執拗にアドラー帝国だけを狙ってくるアンタルヤの傭兵……まさか進軍を止めてる元凶とこんなに早く遭遇するなんざ運が良いのか悪いのか」
「これじゃ運が良いとはあんまし思いたくないもんだぜ。とにかく俺たちがどう動くかだ、敵の狙いも数も不明となれば下手に行動するのも悪手になる」
「勝手に前へ飛び出すなって言うんだろ? それくらいは分かってるけど……」
突然の襲撃のせいで指揮系統はズタズタ。さらに新入りかつどうにも曖昧さを残した立場のままのオレたちが、マトモに命令を仰げるとも思えない。軍人ならば勝手な行為は慎むべきだと頭では理解しているのだが──座して待つだけでは事態が好転しないのも事実だった。
「そっちの
「見た限りだと基地内部はほぼ平気だが向こうの外周に……っておいおい」
「あんまりやりたくないけど、打って出る。帝国への嫌がらせに特化した相手が
過信はしないが、これでも新西暦における最新の
どうやらアルも同じようなことを考慮していたのか、ほんの数秒迷うように腕を組み、
「……よし、その提案に乗ってやる。ただし指示はオレが出すから、旗色が悪くなったり帝国軍の足並みが揃い次第引くか合流する。分かったか?」
「オッケー、それで十分だ。油断なく慢心なく、やれるところまで駆け抜けてやろうぜ」
たとえ尋常ならざる敵だろうと関係ない。
親友に倣って”勝つ”のはオレだと信じるだけだ。
◇
「さて、と……仕込みは上々。あとは結果がどう転ぶかだな」
帝国軍基地から少し離れた林に紛れ、男はクツクツと嗤っていた。
両手に装備した竜爪のごとき
「帝国の誇る虎の子の兵器──というほど希少でもないらしいが、ともあれ初の顔合わせだ。実戦でどれだけヤれるのか、是非とも見せてもらいたいもんだがね」
アドラーが
よって男の目的は二つとなる。第一に、この東部戦線に送られたという星辰奏者と交戦し、その実力を測ること。第二として、血液でも髪でも肉片でも構わないので、研究用のサンプルを採取すること。捕虜とするのは考慮しない、超人相手にその考えは容易く死を招くだろうと男は確信しているから。
そのためにわざわざ
どう足掻いても苦境に立たされるのが末路なのだが……男はそれでこそと言わんばかりの笑みを深める。
「本気で挑めば不可能など一つもない、それを教えてくれた麗しの
無理無茶無謀を次なるチャンスへ繋げるのは光に焦がれた者の特権だ。本気で未来を目指すからこそ死すら恐れぬ覚悟で挑むし、必ずや憧れの背に魔剣を突き立てるべく牙を研ぐ。そこに驕りは一切なかった。
だが、その上で生き残るための準備もまた怠らない。男の背後にはまだまだ洗脳された
「さあ、殺し殺され合おうぜ、新時代の超兵士よ。願わくば、前を目指して命を燃やせる益荒男であることを祈ってるぜ──」
全力だから手段は選ばず、あらゆる外道の手管を以って光を目指し滅ぼそう。
邪竜にして魔剣──ファヴニル・ダインスレイフは己が欲望の赴くまま、ここに開戦の狼煙を上げたのである。
この時点で星辰奏者の中にマルガレーテが居ることは分かっていません。