眼下の光景を見て、彼は柄にもなく興奮していた。
「いました!ニドリーナが2!それとニドラン♀が5!サイズ的に去年の生まれでしょう」
おつきみ山の中腹より上、緑もまばらになってくるこの岩山で数少ないブッシュ。そこにうつぶせで潜みながら、傍らの上司に報告する。嬉しいのは隠さない、と言うか隠せない。無論、フィールドワーク中につき、小声だが。
「あれは・・・ニドクイン!間違いないですよ『博士』!ついに群れを見つけました!」
崖の側面に空いた洞窟からノシノシと出てきた「肝っ玉母さん」を確認して、さらに声のトーンが上がる。やはり小声で、同じ性別♀でも眼下のそれとは似ても似つかない、傍らの女性に声をかけた。
「どうしたんですか『博士』!?一週間ですよ一週間!それだけかけてやっと見つけた観察対象ですよ!もう少し喜んだらどうですか!?」
「まあ待て、今私は新聞を読んでいるのだ。待ちたまえ」
「一週間前の新聞なんてそれこそどーでもいいでしょう!?」
「まあ確かに読み飽きてきたな」
やれやれという感じで彼女、「博士」と呼ばれた女性は新聞を畳んだ。おそらく今夜辺りにたき火の着火材となるだろうそれの、地方欄「ハナダ郊外で謎の爆発!新種のポケモンか?」という見出しが見てとれる。ここ一週間のフィールドワークで何回も見た。と言うか見飽きた。
彼は傍らの『博士』を見やった、この人も大概よくわからん人だ、と改めて思いながら。
一つ、ポケモンの知識がすごい。フィールドワークの手際と着眼点に至っては熟練の域に達している。まあ師と仰ぐのだからそうでなくては困る。実際、師事してからのこの短い間に大いに学んだ。
一つ、恐ろしく美人である。自分と同じフィールドワーク用のジャケットとカーゴパンツに身を包み、風呂にもろくに入れないこんな状況でさえ、彼女の色気は損なわれない。その胸の膨らみとしまったウエストに視線が吸いつけられた回数は数えきれない。
一つ、前述の二つが気にならないくらい態度が尊大である。彼女を紹介した人物、「ポケモンの権威と言えばこの人」と言われるような人物を顎で使うような人である。正直狂ってる。ただしどうやらポケモンには優しく、彼らについて語る時だけ饒舌になることから、その尊大さは人間相手、特に成人男性、限定のようだ。
「何を言ってる、大事なのはこれからだ。これしきのことでわーわーきゃーきゃー言い出したらきりがない」
「まあ確かにその通りですが・・・」
確かに観察はこれからだ。だが待って欲しい。お月見山に篭って今日で早一週間である。
ポケモンがそれすなわち野生動物である以上、生態観察のためのフィールドワークは中々ハードだ。野山を歩き回る体力はもちろんだが、非文明的な生活は以外と精神にくる。風呂はなく、暖かい食事はいいとこ一日一回、寝るには固い地面の上で寝袋で、テントすら張れないことも多い。時には毒草に悩まされ、不意に虫ポケモンが飛び出す。
「何にせよ、これでもう寝床を変えずにすむ。水場も遠くないし、ここらにテントを張って観察拠点にしよう」
悶々と文句を頭の中で並べては消していた彼をよそに、『博士』は極めて事務的、あくまで冷静に提案した。彼女の下についてもうすぐ一月だが万事この調子である。
彼女の言うことも一理ある。今回の観察目的は、タイトルをつけるなら「お月見山個体群のニドラン系列の繁殖行動について」だ。ニドラン系列はメスを中心とした群れを作る。そして進化したメス達が群れを率い、守る。生殖能力の喪失と引き換えに強くなったニドリーナやニドクイン達がいないと、身重のニドランや子供達はたちまち肉食ポケモン達に狩られてしまう。
つまり、観察は長丁場であり、これからが本番と言えた。
「ああ、それにしても本当に長かった!」
「恨むなら開発業者を恨むんだな」
「どういうことです?」
ふふんと『博士』は鼻をならす。
「勉強不足だぞ。観察対象についてもっと事前に知っておけ」
「えーと・・・」
「昔はニドラン系列はお月見山を中心にハナダやタマムシ、トキワ辺りまでカントー西部全域の広範囲に生息していたんだ。開発のせいでお月見山へのルートが断たれてしまってな。そうなるとどういう問題が起きる?」
始まった。普段の尊大さは置いといても、ポケモンのこととなると途端に饒舌になる。
「繁殖地であるお月見山周辺に移動出来ないということですよね?」
「正解ではあるが、本質を突いてない。ニドリーナとニドリーノはここお月見山特有の鉱物、ここいら独特のミネラルを含む石、通称月の石を摂取しないと進化できない」
「あ」
「つまり強い個体になれない。群れを守る戦力が減った個体群は、子供の生存率が低くなった。さらに人の生活圏と重なるようになって捕獲もされやすくなってしまった。お月見山から離れた個体群が消滅するのにそう長い時間がかからなかったよ。20年以上前から、お月見山周辺の個体群が唯一の野生個体群だ」
絶滅危惧種と言っていいな、と彼女は付け加える。
「なるほど・・・」
「自然のバランスは一旦崩れると脆い。知ってるか?昔はトキワ辺りに野生のガルーラやラッキーがいたんだぞ?今じゃサファリゾーンの中にしかいないが」
きゅーーん
山間にニドラン達が上げる警戒音が響いた。博士たちはそちらに顔を向ける。力は弱くても、大きな耳で聴力に優れたニドラン達は、外敵を察知すると警戒音を上げて危険を群れで知らせているのだ。
「いいものが見れるぞ」
そんなことを言ってる『博士』を尻目に、助手はあわてて再び双眼鏡を手に取った。
一体のニドキングが見える。こいつが闖入者だろう。数体のニドリーナと対峙していた。お互い盛大に唸り声を上げ、毒の棘を逆立てて威嚇しあっている。奥からギャースと群れを率いるニドクインが雄叫びを上げた。負けじとニドキングも咆哮を返す。両者の視線が交錯し、じりじりとにじり寄る。
見入る、にらみ合う雌雄に。
「あ!」
「ふむ」
ニドクインが駆け出し、一瞬遅れて加速したニドキングと・・・衝突!がっぷり四つに組み合い、お互い一歩も引かない。
ニドランの世界において、群れを守るニドクインやニドリーナを倒し、自分が強い雄であると証明したニドキング、ニドリーノでないと、子孫を残すことが出来ない。雌に追い払われる程度の雄では、群れのボスたる資格はない。ニドキングという種族名を冠するとは言え、群れを統べる
「どうやらまだ雄のボスがいない群れだったようだな」
「・・・」
組み合う二体。ニドラン系列自慢の硬い皮膚と毒の棘は同族相手に意味を為さない。この場は純粋な力勝負だ。
どうやら組相撲はニドキングのほうが優勢のようだった。ニドクインを横に投げ飛ばし、起き上がる前にうつぶせに押さえ込む。三十秒もそのままでいると、ニドキングは離れ、再び咆哮を上げた。それは勝利の雄叫びだった。離れたこちらにも時間差で遠雷のような吠え声が響き、お月見山の山間に木霊する。
ニドクインは起き上がり、新たな群れの主に頭を垂れる。外傷はないようだ。地面タイプは元来頑丈であるし、彼女は群れを守る大事な戦力だ。そんな彼女をいたずらに傷つける短慮な雄は、群れの信を得ることが出来ない。その点でも、このニドキングは合格らしい。
「すごい、初めて見た」
彼は眼鏡の位置を直しながら、つぶやく。「ポケモンの繁殖行動」が研究テーマの彼にとってはまさに至福の時だった。
「君は今の記録を取るといい、情報が新鮮なうちに。私は水を汲んでこよう。まだまだ先は長いぞ」
「はい!」
助手に一声かけ、荷物から潰して平たくなってる携帯用ポリタンクと水筒を取り出す。リュックは置いていくが、ボールの着いたベルトは無論置いてはいけない。
山篭もりを初めて一週間。これは最後に風呂に入ってからも一週間であることも意味している。助手の言葉ではないが、確かに気が滅入る。最後に水浴びしたのですら三日前。ここらで水浴びしておこうと思い立ち、タオルや石けんの入ったナップザップも取り出して背負う。
片手は空けておく。いつでもボールを取り出せるようにだ。視界の端をオニスズメが横切っていった。こちらを気にする素振りはない。経験則から警戒には値しないと判断する。
しかしポケモンの生態観察は楽しい。それを見て夢中になる若者を見るのはもっと楽しい。歴代の弟子達の顔を思い浮かべていく。あいつらは今頃どうしているだろうか。
そんなことを考えている間に沢に着いてしまった。躊躇いもなくジャケット、カーゴパンツ、黒のタンクトップと脱いでく。助手はあの調子だ、覗きの心配はない。ただ「覗き」という言葉から一人の人物の顔が頭をよぎった。
「そう言えばアイツと出会った時もこんな感じだった」
聞くものもいないのに、自然と独り言が出ていた。
そう、それこそまだカントーの開発が本格化する前。
トキワ周辺にまだ野生のラッキーやガルーラがいた。
マサラ近くの河をミニリュウが泳いでいた。
色々変わった。森は町になり、原っぱを道路が貫いた。
あるポケモンは姿を消し、別のポケモンが増えた。
ある人は老い、ある人はこの世を去った。
自分だけが歳を取らず、老いない。周りばかり変わっていく。
思い出す。
あいつは歴代の弟子の中で一番出来が悪くて、
一度熱中したら周りが見えないポケモンバカで、
水浴び中を覗かれるような、そんな最悪の出会いをした、
そんな自分の一番弟子を。
オーキド・ユキナリとの出会いを。
『博士』と呼ばれる人物は、静かに思い出していた。