かわいい子には旅をさせろ。
昔からそう言われるが、確実にかわいくないであろう自分は旅に出される余地があっただろうか。トキワの森、その道なき道を歩きながらそんな思考に耽ける。傍らには彼の緑の相棒がてくてくと同じ歩調で付いてきている。
青年の名はオーキド・ユキナリ。御齢16歳。その横の緑のポケモンは種族名フシギダネ、個体名フシっち、推定3歳。
今日は朝から虫の居所が悪い。
理由はわかりきっている。朝、宿にて今日の予定を確認しようと手帳を開いたのがいけなかった。
「日付を見たのが間違いだった・・・」
日課だ、責めるべきはそこじゃない。不幸だったのは、今日が自分の16回目の誕生日だったことだ。15歳が男として、もしくは「かわいい子」として、旅に出るのに早いかはたまた遅いのか、それはよくわからない。しかし事実として自分がマサラを飛び出してから早3ヶ月が過ぎようとしていた。ひとつ齢をとったことが、時が経ったことをいやでも感じさせる。
上の兄が村役場で働きだしたのは兄が18の時。下の兄は去年から16の齢で村の郵便局で働いてる。自分はどうだろう。15で鞄ひとつ背負って村を飛び出した。食うために仕事もしている。家を出て働く=旅に出る、だとすれば、自分は兄弟で早いうちに入る。
人生わかんないもんだな。
そんな益体もないことを考える。
自分は若造とも青二才とも言われる歳だが、そんな人生の真理を知ってもいる。
祝う人のいない、自分が生を受けた日は、哲学するにはいい日だった。
自分はなぜ、若い身空で危険なトキワの森なんぞを散策しているのだろうか。
子供の頃に何度も夢中で読んだ、ニシノモリ博士のピカチュウ観察の絵本。それを真似て、近所草むらで傷だらけになりながら野生の獣と仲良くなり、10になる頃には村の数少ない「人間の」友達よりそうじゃない友達のほうが多くなった。
そう、それがはじまりだった。はじまりはそこだった。
では村を出ようと思ったきっかけはなんだったか。無論、兄たちだ。それまで一緒にただ農作業を手伝うだけだった兄たちが村役場や郵便局で働きだした。そして上の兄に縁談の話が来た。その時自分は14で、来年には中学を卒業する歳だった。
ありありと思い描いてしまったのだ、自分の歩むだろう未来を。
自分はどこで働くのだろう。兄たち二人が村役場と郵便局だから、自分は農協かその辺りだろうか。望めばトキワの上の学校に行かしてもらい、村の小学校の教師ぐらいにはなれたかもしれない。そしてその過程で父か兄に紹介された隣村だかの女を嫁にもらい、所帯を持って子を持ち、孫ができる頃には引退して、村で死ぬまで一生のんきに暮らすのだ。
糞食らえだ、そんな人生。
そう思って村の中学の卒業を待たず家を飛び出した。背中にはキャンプ道具と頑丈さだけが取り柄の服、当座の食料、そしてスケッチブックと大学ノート。何より、相棒たちの入った3つの
これまではなんとかやってきた。農地の周りの害獣・害虫駆除、間引き以来、開墾作業や調査の護衛、見回り、ついでに携帯獣、今風に言えばポケモン、の関わらない肉体労働が少々(主に農作業、手慣れたものだ)。相棒3匹様々だが、日雇いでも一人と三匹は食っていけてる(木の実を相棒と分け合うひもじい夜もあるにはあったが)。今では休日に自然観察と鍛錬をする余裕もある。今日みたいに、だ。
自分はこの3匹とともに身を立てるのだ。
方向性は間違っていないはずだ。ただ先の見通しが中々立たないだけで。
たぶん。
おそらく。
そう自分に言い聞かせた。
しかし現実は非常だった。
ここはトキワの森。毒持つ虫ポケモンの宝庫。傍らに相棒が必要な理由を推して知るべし。「森の奥のほうはスピアーが繁殖期で気が立ってるから気をつけなよ」そうトキワタウンで言われたことなど頭の隅に追いやっていた。
考え事をしている人間の視野ほど狭いものはない。そんな人間は、頭上の枝々から、獰猛な毒蜂ポケモンの「さなぎ」がた〜くさんぶらさがっていることなど気づきはしない。
まあお約束である。
ーーーーーーーーー
「行ったか・・・」
「フシっ」
川沿いの背の高いブッシュ、その中から周りを伺いながら、相棒その1と一息つく。くるぶしまで水に浸かり、靴の中が大変気持ち悪いのは、この際無視する。相棒は腹まで濡れてるのだ。足だけの自分が文句を垂れるのでは申し訳が立たない。やっと撒いたスピアーの群れだが、まだ周りを巡回している可能性がある。あのブンブン唸る羽音が聞こえないとはいえ、しばらくは身を潜めて様子を伺ったほうがいいだろう。
そんなことを考えていた矢先だった。
がさり。
「「!」」
対岸の薮が揺れ、何かが出てきた。
警戒する一人と一匹だったが、出てきたのはスピアーでも、ましてや他の獣でもなかった。
一人の女だった。
薮の向こう、薄暗い森の中から現れたその女は美しかった。それはもう、言葉を忘れるくらい。
まず目が行くのは背に流れる黒髪。優美な肉食獣を思わせる目尻に、整った鼻梁。マサラの女たちとは一線を画するスラリと伸びた手足に、華奢な体。細く締まった胴が、見事なくびれを描き、さほど大きくもない腰付きを際立たせる。
すわキュウコンに化かされたかと疑うが、着ているものは野外で動きやすいであろう丈夫そうな生地の上下に革の長靴、腰には少し大ぶりなポシェット。初夏の真昼の暑さのせいか、上着は脱いで腰に巻いてるせいで、上半身は薄手のシャツ一枚で、華奢な体型が一目でわかる。
この場で間違いなく場違いだが、よく見ればそうでない、そのギャップに一層困惑する。
ごくり、と生唾を飲み込む。それくらいの美女だった。
がさり。
薮がもう一度揺れる。二度目にして、今度は獣が顔を出した。
(知らないポケモンだ・・・)
薮から出るタイミングを失ったまま、ユキナリはブッシュの隙間から自分にとっての「新種」を観察した。
まず木陰から出たのは長い首。そこから同じく長い前足、胴体の順で出てくる、草食獣タイプのポケモン。特徴的なのは体の色と模様で、前半身が黄色と白、後半身は黒で、それぞれ逆側の色の斑点がある。尾部も長く、先が大きく丸い。
騎乗のための「鞍」が背中に設けてあり、腹の両側に荷物を乗せている。
「キリンリキ、ここらで休む。周囲を警戒しつつお前も休め」
おそらく種名だろう(でなければすごいネーミングセンスだ)、アレはキリンリキと言うらしい。
呼ばれたそれはそのままその場で四肢を畳み座ると、長い首で体を囲むようにして休み姿勢を取った。長い尾は立てたままだ。
なんにせよ、やはり彼女は生身の人間だ。証拠にポケモンを共に連れてる。人間が
しかし美人だ、と女に目を戻すと、彼女は上着に手をかけ脱いでいるところだった。
「!」
水浴びでもするつもりに違いなかった。思わず彼女のくびれた腰の、肌の白さに目を奪われる。
今日はスピアーに追いかけられるわ、今も足首まで水に浸かったりと散々だ、こういう幸運もあっていいだろう。
そう思いながら、女が肌着に手をかけ、色っぽい背中が露わになる。やはり目を奪われるほど白い。背中のくぼみ、腰へと下るラインと来て、ズボンと背中の隙間の暗がりへと目が吸い込まれる。女がベルトの金具に手をかけた。
こちらを向くのをまだかまだかと待ち望んでるユキナリをよそに、その向こう、キリンリキの尾がこっちを見ていた。
正確にはそこにある第二の頭の両目、がだ。
グゥエエエェェェーーーーー!!!
地獄の底に魔獣がいるならきっとこんな声だろう。そんなキリンリキ(の後の頭)の上げた警戒音が森に響く。
最初に反応したのはオーキドの相棒だった。
「わっ!こら主人を置いてくな!」
狂騒にやられたフシギダネがブッシュから逃げ出し、思わず声を上げた。否、上げてしまった。相手の女に自分の存在を教える愚を犯したのに気づいても後の祭りである。
「キリンリキ、草むらに『サイコキネシス』!」
ベキベキベキと、間を置かずにブッシュの草の茎が全て折られ、相棒に置いてかれたマヌケな青年が白日の下に晒された。
胸元を腕で隠した女と、薄情な相棒その1が逃走した方向を交互に見やる。端から見てその姿はさぞ滑稽であろう。
「無法を行ったからには、報いを受けてしかるべきだな?」
「え・・・え?」
「問答無用!」
ぽん!
放られた球からそれは姿を現した。流れるような金の毛並み、ゆらゆらと揺れる幻惑的な九本の尾、小ぶりの頭に尖った耳に、切れ長の、まるでこちらを値踏みするような目。そして何より、凄まじい熱気。
金色の炎狐、キュウコン。
やはり今日これまでのことは全部、キュウコンに化かされた結果でないだろうか。
そんなことを思う傍、バカなのか現実逃避か、はたまたトレーナーとしての性なのか、この時ユキナリの目と頭脳は初めて見る種のポケモンをつぶさに観察するのに費やされていた。文献で見たキュウコンのサイズよりかなり大きい。そして、今まで見たどのポケモンより神々しい。神話や伝説に語られるポケモンが世にはいるらしいが、ユキナリはそれに出会ったような錯覚にとらわれた。
「出歯亀だ。灸を据えてやれ」
ケーーーーン!
返事とともに、口から火の粉と呼ぶには大振りな炎の粒がキュウコンの口から散った。
(あ、これ死んだわ)
後から聞いたところによると、上がった火柱はトキワの村からもはっきり見えたらしい。
ーーーーーーーー
「すみませんでした!!!」
土下座。それは最大級の謝罪の証。
オーキド・ユキナリは、土下座をしていた。16歳の初日にして人生初土下座である。
あの金色のキュウコンが火を噴く瞬間、とっさに水中に身を隠し、辛くも炎の本流から逃れた。風呂を超えて茹で釜の温度となった河の中で、息の続く限り耐えた。限界を超えて気を失い、気づけば河原に横たわり、フシギダネが心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。
「なにか言うことはないかね?」
その声を聞いて、ユキナリ青年は自分の状況を思い出した。問題は何一つ解決していない。そして、取るべき行動はひとつであった。謝罪である。
そんなこんなでユキナリは土下座していた。全身ずぶ濡れで、肌は羞恥によって、ではなく熱湯に晒され服から見える限りは真っ赤だった。
「予期せぬ幸運に舞い上がってしまいました!申し訳ありません!」
本心である。腕組みして、仁王立ちした女は、無表情ながら憤怒の気配を漂わせながら、答えた。
「キリンリキの念動力で貴様を引き上げてる中、お前を心配して戻ってきたそこの子に免じて、命だけは取らないでおこう」
「はい!寛大な措置に感謝します!」
父の書斎の本棚にあった時代小説のようなやり取りであるが、両者ともに真剣である。
覗きをして命を落とすとか笑い話にもならない。何より、恥ずかしくて化けて出ることも出来やしない。
当たり前だが、ユキナリが気を失っている間に、女の脱ぎかけの衣服は元に戻っていた。
もう一度女の顔を見て、改めて見ても怖いくらいの美人だ、そう思いながらも、ユキナリの興味は別のことに移っていた。
「こんな状況で言うのもなんですけど・・・」
「・・・」
「俺とバトルしません?」
「『目と目があったらポケモンバトル』そういうものでしょ?
後にも先にも、目の前の女性がその時ほど驚いた顔をしたのは、この時ぐらいだった。
オーキド・ユキナリ、後のポケモン研究の権威、オーキド博士。
その本質はポケモンバカ。
これ以後長い付き合いになる彼女がユキナリを呼ぶ際、その九割を「バカ」か「馬鹿弟子」が占めていたことが、その事実を端的に示していた。
「貴様、さてはバカだな?」
後に青年の師匠となる女性は容赦が無かった。