東方SF短編集 作:メルクリウスのランプ
滴る血で満たされる器は、深い界面が
「
「いましばらくお待ちください、お嬢様」
家の主は無機質なリノリウムの床を駆けよってきて、白い合成樹脂の机の前に腰を下ろす。他の住人達——魔法使い、悪魔、そして、主の妹——もまた、椅子に座る。
魔女パチュリー・ノーレッジは摩擦熱パックを振らずに開け、凍りついた黄色い塊を皿の上に取り出すと、指から鈍い光をほとばしらせた。食器に突然上がった湯気は次の瞬間には晴れ、スクランブルエッグが現れる。
紅茶よりも紅いもので満たされたティーカップをお嬢様の前に差し出すと、お嬢様はそれをお飲みになり、
「美味しいわ」
水色の髪に包まれた笑顔が溢れる時、私は騙している罪悪感で、痛い。
牙が覗く口は飲み込んで、真紅が白磁に点をうつ。
小悪魔が、パンに塗るために取っていたジャムの瓶を「使います?」と差し出してきた時、私は少し迷ったあと、取った。
私は再び、お嬢様の方を見る。
長らく本物を飲ませてやっていないのだった。お食事の回数は次第に増えていく。お体も、少しずつ痩せていっている。
だから今日、狩りに出かけることにした。食事を終えたあと、私は時を止める。玄関でいつになく暴れまわっているようだった門番の女を、いつかロボットと替えてやろうかと思いつつ、館の外に出た。
惑星クリスティの空は朱色の夜を背に、静止した摩天楼をたたえている。自家用機の影は空に張り付き、窓のない車も、触手に毛むくじゃらな低賃金労働者も、奇抜な手術をした人々も、統一感のない姿のカラクリも、みな、歩みを止めている。
街を歩いていた丁度いい生娘にナイフを突き立て、胸から紅い果汁を流し出す。時を早めたボディはやがて腐り、枯れる。
命で満たされた金属の容器を何となく、しばらく見つめた。何度も繰り返していることだけれど、何かたまに、心が騒ぐ。
その時、動くものを見た。
空間の裂け目から出てくる女性が先の人混みを横切る。
目にした私は、一瞬ためらって、
「あの」
「何」
ウェーブのかかった金が、静止した宙を泳ぐ。
「どこかでお会いしたかしら」私は言った。
「さあ」
「でも、古い日本語は通じるのね」
「もしかしたら、割と知り合いなのかも」相手は言う。
「ここから凄く遠い場所にいたでしょう」
「そうね。多分、貴女の遠い祖先となら会ったことがあるかもしれないわね」
「見捨てられた色々な不思議の住む場所にいたわ」
「その不思議を、貴女も私も使えるようだからね」
「貴女は幻想郷にいた」
相手は笑って、
「こんな所で会うとは偶然ね、それとも奇跡かしら、
「妖怪か神様か忘れましたけど、それなのに奇跡なんて言葉を使うのね、
私を見つけ出そうとしたのでなければ、本当に奇跡だった。可能性はどれぐらい少ないだろう。
私達は少しの間見つめ合っていた。少なくとも私は、この人をよく知らない。同じ場所で過ごした人への親しみが半分、強力な妖の力への恐れが半分。
「“
古い漫画の
「病気がちだわ。妹様はベッドに横たわってばかり」
「だから血を集めてるのね」
「……ええ」
紫は血を指差して、
「毎回大変でしょう。そこに入ってる機械——確か、ナノ・セルとか言うのでしたっけね」
「本当はもっといい血を飲ませてあげたいのだけど」
「そうじゃなくて、それを壊すと
「え、ああ……いつどこから撃ち殺されるか、正直不安だわ。でも、一通り壊してしまったら、もう他は襲って来なくなるのよ。なんでか、分からないけど」
「なんで、でしょうね」
「理由を知ってるの」
「まあね」
いまひとたびの沈黙が続いた。
「ねえ、なんでこんな所にいたの」
私は聞いた。
「境界のあるべきところに、私はいるのよ。通過儀礼の神様なの、私」
「聞いたことないわ」
「冗談よ。でも、今はロボットと人の間に境界を作ってるわ。曖昧でしょ。二つの間って」
「何のために?」
「信じてもらうために。私達の存在を。みんなそのために暴れてるのよ。貴方の友達もそうだと思うけど」
「変な話ね」
また、裂け目が開いた。
「じゃ、私もう行くわ」
「あ、うん」
「人間って随分と長生きなのね」
裂け目は閉じた。
鮮血を泳ぐ血塊が動きを止めた。代わりに、他の全てが元の早さで歩き出す。
古典的な形の銃弾が、私を取り巻く時間の壁——タイムロック——に静止した。相手はこれまで色々試してきたけど、もうバリエーションは無くなってきているのかもしれない。
その時、耳元で、何かが聞こえた。
『異常な動きをする人間を発見。レベルV以上のミュータントと見て交戦を始める。おくれ』
『対情報伝播異常への措置としてケースレッドを適用。おくれ』
(何……?)
紫の力によるものなのか、それとも何か敵の攻撃を受けているのか。そう思っていると、また、声が聞こえ始める。
『もしもし、八雲紫さん? 今、精神感応で話してるんですが……私の“能力”とは違いますけど、使い方を“レベルL”の方に“直に”教えてもらえば直ぐに理解できたので、覚えるのは苦じゃありませんでしたね。とにかく今それで話してます……近くで暴動が起こってるみたいです。猟犬の人達が銃とか使ってきてるので、注意してください。無線を盗聴してるので、そのまま送ります。今どこにいますか?』
「私紫じゃないわ」
『誰です? ああ、集中していると何も感じられなくなる』
「誰でもいいじゃない」
『この辺りに金髪の長い髪で傘を持ってる人いたでしょう』
「沢山いるわよ。もういい?」
『……? どこかで会いました?』
「さあ。早く探しに行ってあげたら?」
『嘘ですよ。あの巫女の知り合いでしょう。多分いつか会ったことがあると思いますよ』
「巫女……? 今まで巫女服を着た人なんて、古い故郷を出てからというもの……」
その時、私の頭によぎった影は、私の巫女に対する個性のないイメージだったろうか。それとも……?
「ところであなた、八雲紫を探してるの?」
『はい、もう見つけましたけど』
「それはよかったわね」
『またいつか会いましょう、“アラン”さん』
「そのネタ流行ってるの?」
『ポピュラーですよ。漫画なんて読む人、もうほとんどいないけど』
無線も、会話も、耳元から、消えた。
私の周りは銃弾やら光の束やらで一杯になっていた。私の手からもナイフが消えている。それらは正確に狙撃手達の頭部を粉砕していた。
腕を怪我していた。時間を逆行させて治す。13次元移動だかなんだか知らないが、時間の壁を思わぬ場所から超えてくる技術が、できつつあるのだろうか。さっきの精神感応さえ、タイム・ロックに引っかからなかったし。
しかしそもそも自分は、どんな風に“時間を操っ”ているのか、よく分かってないのかもしれない。待てよ、さっきの子に頼めば、対策も教えてくれたかもしれなかったのではないか……?
しても仕方のない考えに疲れた私は、時を止めると、万全の注意を払い、家路についた。
リノリウムの床に、従者と、友人と、二人の主人。金の繭と水色の絹、それらに守られて、一方は弱々しく、もう一方は活発な、笑み。
「咲夜、遅いわよ」
「すみませんお嬢様。お嬢様のお誕生日に相応しいお食事を用意して参りましたので」
「誕生日! 覚えててくれたのね!」
わざとらしく喜んでみせるお嬢様。きっと私がお祝いするのを待っていて下さったに違いない。そしてお祝いの品を召し上がり、妹様と「不味い」としかめっ面をなさるに違いない。それが、私の幸福なのだ。
「明日はお散歩に行きましょう」
「その後またお引越し?」お嬢様が言った。
「……はい」
「誕生日の後っていつもお引越しをするのね」
「昨夜は、私達を色々なところに連れて行ってくれるのだわ」と、パチュリー様が言う。
そう、いつまでも同じ場所に居続けることはできない。カラクリ達は何故か連絡を取り合わないけれど、執念深いから。大丈夫、場所が変わっても、まだそこにはこの光景をいつまでも続ける余地があるはずだ。
次はもっと遠くに行かなければなるまい。この“腕”一帯から出る必要があるだろう。いや、まてよ。この近くに新ソ連の惑星があったから、あそこはオールドアースとそう変わらない暮らしができるかもしれない……。
「咲夜」
「はい、お嬢様」
「去年の約束、覚えてる?」
「はい」
「来年も守ってよ、私との約束」
「はい」
「じゃあどんな約束だったか、言ってみて」
頭に響く声が、続きを教える。私の声。精神感応でも、魔法でもない、その声。私の脳の
私はその声に従う。お嬢様の知っていること、知らないことを、逐一保存する、そのAIの声を聞いて。小さな体に13次元の並列処理機構を占め、私の体が1年前に巻き戻されても、問題なく記憶を取り出せる、その内なる声を聞いて。
「はい。ずっと一緒ですよ。ずっと」