地球と惑星ディスティニーが歴史的な平和同盟を結び、星の海に新たな希望のレールが敷かれた頃——交わることのない次元の彼方、ミッドチルダでは不穏な戦乱の暗雲が立ち込めていた。
管理局の汚い裏取引を担う巨大武装輸送船が、最新鋭艦を駆る宇宙海賊シーマ・ガラハウの襲撃を受ける。
救命信号を受信し現場へ急行した次元警邏艦『オベロン』の艦長、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。
しかし、過去の敗戦に対する焦りから生じた致命的な機関トラブルにより、彼女はシーマの圧倒的な力量の前に為す術なく敗れ去る。
「殺す価値すらない」と嘲笑と共に見逃され、救うべき命が目の前で散るのを見届けるしかないという、あまりにも重い屈辱と絶望。
だが、自責の念に押し潰されそうになるフェイトを救ったのは、高町なのはと八神はやてたち親友の温かい絆だった。
二人の言葉に焦りと迷いを振り払ったフェイトは、ただ敵をねじ伏せる力ではなく、いかなる時も冷静さを失わない「指揮官としての真の強さ」を手に入れることを誓うのだった。
激闘の余韻と、拭いきれない敗北の苦い味が残る中、フェイトには図らずも「休暇」が言い渡された。
大破した次元警邏艦『オベロン』の修復には相応の時間がかかる上、他の艦の手配に時間がかかるので、彼女は艦長としての職務から一時的に外れることになったのだ。
(すぐにでも新しい艦を借りて、次元の海へ出たい……あのシーマ・ガラハウを追わなければ……!)
内心では焦燥感が渦巻いていた。あの嘲笑、見逃された屈辱、そして目の前で散っていった命。
シーマを野放しにしておけば、さらに多くの犠牲が出るのは火を見るより明らかだった。
しかし、フェイトはきつく握りしめていた拳をゆっくりと解き、ふっと息を吐き出した。
なのはと、はやての言葉が胸に蘇る。
『フェイトちゃんが一人で背負うことじゃないよ』
『指揮官が焦ったら、あかん。周りが見えんようになる』
彼女たちの言う通りだった。オベロンを降りる際、振り返って見たクルーたちの顔は、死地から生還した安堵と、極限の緊張から解放された深い疲労に満ちていた。
もしあのまま無理に追撃を強行していれば、彼らの心身は確実に限界を超えていただろう。
「……この休暇は、怪我の功名だったのかもしれないな」
フェイトは自嘲気味に呟くと、気持ちを切り替えるように歩き出した。
乗員のメンタル面、指揮官として真の強さを手に入れるために、今は立ち止まり、見つめ直す時間が必要なのだ。
フェイトがまず向かったのは、ミッドチルダの首都クラナガンにある管理局員関係者用の高度医療施設だった。
清潔だがどこか無機質な長い廊下を抜け、特別個室の重い扉を静かに開ける。
「リンディ義母さん」
かすかな声で呼びかけた先には、かつて次元航行部隊の提督として勇名を馳せた養母、リンディ・ハラオウンの姿があった。
真っ白なベッドに横たわる彼女は、いくつもの点滴や治療用のチューブに繋がれ、静かな寝息を立てている。規則正しく鳴り響く心電図の電子音だけが、部屋の中で時を刻んでいた。
先の『ディンギル戦役』――次元を超えて襲来した圧倒的な脅威との凄惨な戦いとミッドチルダに迫る水惑星アクエリアスからの水没を防ぐためにリンディはたった一人の実の息子であるクロノ・ハラオウンを失った。
最愛の息子を喪った絶望は、気丈なリンディの心と体を内側から無惨に食い破った。
過労と心労が重なり、彼女はついに倒れ、以来こうして療養生活を余儀なくされているのだ。
フェイトはベッドの傍らに設置された椅子に腰を下ろした。
サイドテーブルには、見舞い客が置いていった色鮮やかな花束や、可愛らしいフルーツの籠が所狭しと並べられている。
「リンディ義母さんは、本当にみんなから慕われているね……」
フェイトはそう微笑みかけるが、リンディの閉ざされた瞼が動くことはない。
かつての優しく、時に厳しかった凛とした母の面影は薄れ、今はひどく小さく、脆く見えた。
フェイトは、チューブを避けるようにしてリンディの細い手をそっと握る。
「ごめんなさい。私、また失敗しちゃった。クロノみたいに、完璧な指揮官にはなれなくて……」
懺悔のようにこぼれ落ちた言葉。
フェイトにとってクロノは、時に口煩くも常に背中を見せてくれた頼れる義兄であり、目標とする指揮官だった。
彼が生きていれば、自分にどんな言葉をかけてくれただろうか。
「でもね、なのはとはやてが教えてくれたの。私は一人じゃないって。だから……もう少しだけ、私に時間をちょうだい。必ず、みんなを護れる強い艦長になってみせるから」
眠り続ける養母の手に自分の額を押し当て、フェイトは静かに祈りを捧げた。
医療施設を後にしたフェイトは、自室に戻ると通信端末を立ち上げた。
発信先は、次元の海を隔てた遥か遠い星――『地球』。
数回のコールの後、空間に展開されたホログラムスクリーンに、少し疲れたような、それでも柔らかい笑顔を浮かべた女性が映し出された。
『もしもし、フェイトちゃん? そっちから連絡をくれるなんて珍しいね』
「久しぶり、エイミィ」
スクリーン越しのエイミィ・ハラオウン――亡きクロノの妻であり、二人の子供を育てる未亡人だった。
現在、地球とミッドチルダの間には、かつてのような一瞬で空間を繋ぐ『転送ポート』は本局の喪失後から管理外世界と言う事で再建・設置されていない。
エイミィが住んで居る地球は魔法文化がないので、地球には次元航行船の定期便がない。
転送ポートの再建・設置されなければならない。
なので、地球に住んで居るエイミィとはこうした通信越しでしか会えない。
「そっちの時間は夜だったよね。子供たちはもう寝た?」
『うん、さっきやっと寝かしつけたところ。最近、二人ともやんちゃ盛りで本当に手がかかるのよ』
エイミィは困ったように笑いながら、肩をすくめた。
だが、その笑顔の奥に潜む深い憂いを、フェイトは見逃さなかった。
『ねぇ、フェイトちゃん……子供たちにはね、まだ「パパは遠い次元の海でお仕事だから、しばらく帰れないの」って言い聞かせているんだ』
エイミィの視線が、ふと手元のマグカップへと落ちる。
『でも、二人とも物心ついてきて……最近、「どうしてパパは通信もしてくれないの?」「いつ帰ってくるの?」って聞いてくることが増えて……私、いつまでこの嘘を通しきれるのかなって……』
エイミィの震える声。
画面越しでも伝わってくる、一人で子育てと深い悲しみを抱え込む彼女の苦悩に、フェイトは胸を締め付けられた。
真実を伝えれば、子供たちの心にどれほどの傷を負わせるか?
かといって、嘘をつき続ける罪悪感もまた、エイミィの心を蝕んでいる。
それにいつまでも帰らない父、
連絡がつかない父の存在にいくら子供とは言え、何かあったのだと気づくはずだ。
「エイミィ……」
かけるべき言葉が見つからず、フェイトが唇を噛んだ時、エイミィが不意に顔を上げ、小さく首を横に振った。
『ごめん、ごめん、暗い話しになっちゃったね! 私がしっかりしなきゃ、クロノ君に怒られちゃうもんね……それよりフェイトちゃん、リンディさんの具合はどう?』
気丈に振る舞うエイミィの問いかけに、フェイトは先ほどまで病室で見てきた光景を思い浮かべた。
「今日、お見舞いに行ってきたよ。相変わらず眠ったままだけど……でも、少しずつ顔色は良くなっている気がする。それに、サイドテーブルにはお花が乗り切らないくらい置いてあった。お母さんは、本当にたくさんの人に愛されているよ」
フェイトは、あえて管に繋がれた痛々しい姿の詳細は伏せ、温かい事実だけを伝えた。
『そう……よかった。リンディさん、クロノ君のことで自分を責め続けていたから……』
エイミィの目から、ほろりと一筋の涙がこぼれ落ちる。
『いつか、転送ポートが繋がって自由に往来できるようになったら、絶対に子供たちを連れてお見舞いに行くって伝えてね。私たちがついているから、早く元気になってねって』
「うん、必ず伝える……エイミィも、辛い時はいつでも連絡して。私は艦長として、まだまだ未熟だけど……家族としての頼りくらいには、きっとなれるから」
フェイトの真摯な言葉に、エイミィは涙を拭い、今日一番の明るい笑顔を向けた。
『ありがとう、フェイトちゃん。その言葉だけで、私、もう少し頑張れる気がする』
通信を切った後、フェイトは暗くなった自室の天井を見上げた。
愛する者を失った傷は、そう簡単に癒えるものではない。リンディも、エイミィも、そして自分自身も‥‥
だが、その傷を抱えながらも、人は前を向いて生きていこうとする。
(焦る必要はない。私には、私のペースで……護るべき人たちを支える強さを見つけるんだ)
フェイトの黄金の瞳に、迷いのない静かな決意の炎が宿った。
自室の端末を再び操作し、フェイトは次なる通信回線を開いた。
発信先は、ミッドチルダから遠く離れた自然豊かな辺境の保護世界。
数秒のラグの後にスクリーンに映し出されたのは、日焼けした元気そうな顔つきの青年と、少し大人びた面差しになった少女——エリオ・モンディアルとキャロ・ル・ルシエだった。
「フェイトさん!?」
「急に通信が入ったから、びっくりしました。どうかしたんですか?」
突然の、かつての保護者からの連絡に目を丸くする二人に、フェイトは思わずふっと相好を崩した。
「ごめんね、急に。少し休暇をもらったから、二人の顔が見たいなと思って」
画面越しの二人は現在、その世界で希少生物の保護と自然環境の維持を担う自然保護官(レンジャー)として立派に働いている。
背後に広がる雄大な緑の景色と、彼らの肩越しに見え隠れする竜たちの姿が、二人の充実した日々を物語っていた。
エリオが少し照れくさそうに頭を掻きながら、最近保護した飛竜の群れの生態について熱っぽく語り出し、キャロがそれを優しく補足する。
かつて自分の背中を追いかけていた小さな二人が、今は自分の足でしっかりと大地を踏みしめ、命を育む仕事に強い誇りを持っている。
その事実が、フェイトの強張っていた心を春の陽だまりのように温かく解かしていった。
「そっか……二人とも、すごく頑張っているんだね。私も、負けていられないな」
フェイトの言葉に込められた微かな痛みに気づいたのか、キャロが画面に顔を近づけ、真っ直ぐに黄金の瞳を見つめ返してきた。
「フェイトさん。なんか無理をしていませんか? どんなに離れていても、私たちはずっとフェイトさんの味方ですからね」
「フェイトさんが教えてくれた優しさが、今の俺たちの力になっています。だから、一人で抱え込まないでくださいね」
その真っ直ぐな信頼の言葉に、フェイトは深く頷く。
彼らが護るこの美しい世界と笑顔のためにも、自分は必ず立ち直ってみせる。
そう強く心に誓った。
一方その頃、フェイトが親しい者たちとの絆を確かめ合っていたのと同じくして、大破した『オベロン』の副長兼戦術長を務めていたチンク・ナカジマもまた、ミッドチルダ西部にある実家へと帰り着いていた。
「チンク姉、おかえりーっ!」
「無事でよかったッスよ、まったく……!」
玄関の扉を開けるなり、妹のノーヴェやウェンディたちが弾かれたように飛びついてくる。
騒がしくも温かい出迎えに、チンクは思わず苦笑しながらも、その小さな体温を優しく抱きしめ返した。
「ただいま。心配かけて、すまなかった」
奥の居間からは、父であるゲンヤ・ナカジマが「よく帰ってきたな」と安堵の笑みを浮かべて顔を出した。
凄惨な戦場と圧倒的な力を見せつけた宇宙海賊への恐怖。
そして何より、副長としてフェイトの負担を軽減できなかった己の戦術指揮の甘さを、チンクは帰路の最中ずっと悔やんでいた。
しかし、妹たちの温もりと家族の変わらぬ愛情に触れた瞬間、極限まで張り詰めていた緊張の糸がふっと緩んでいくのを彼女は感じた。
「……少しだけ、休ませてもらう。次こそ、絶対に負けないためにね」
指揮官と副官‥離れた場所にいながらも、フェイトとチンクはそれぞれの家族から生きるための強い活力を受け取っていた。
立ち止まり、己を見つめ直すこの安息の時間こそが、再び過酷な次元の海へと漕ぎ出し、見えない悪意を打ち砕くための強靭な刃となるのだ。
居間の温かな照明の下、湯気を立てるお茶を前にして、チンクは家族たちに次元の海で起きた先日の出来事を静かに語り始めた。
最新鋭艦を駆る宇宙海賊シーマ・ガラハウの圧倒的な暴力、そしてオベロンが為す術もなく敗北したという苦い事実。
黙って娘の話に耳を傾けていたゲンヤは、深く息を吐いて腕を組んだ。
「シーマ・ガラハウか……一介の海賊、犯罪者‥と侮るには、あまりにも厄介な相手だな。彼女の放つ危険性は、単なる略奪を目的とした荒くれ者たちのそれとは根本的に何かが違う」
歴戦の捜査官として第一線を退いた今も、ゲンヤの洞察力は少しも錆びついていなかった。彼の言葉に、チンクも重く頷く。
「ええ、父上の言う通りです。私も……かつてドクターに造られた戦闘機人として管理局と敵対した経験があるからこそ、肌で痛いほど感じました。あの女は、ドクターとは全く違う。ドクターの狂気には、純粋な探求心や自分自身の欲望がありました。でも、シーマの憎悪には……明確に自分以外の誰かを恨む理由がある」
かつての創造主であるジェイル・スカリエッティは、自身の狂気と探求心を満たすため、テロ行為すらも華やかな『祭り』の延長として心底楽しんでいた。
だが、モニター越しに対峙したシーマから伝わってきたのは、そのような自己陶酔や享楽的な狂気ではない。
這いずるような、暗く冷たい純粋な憎悪だった。
「彼女の瞳の奥にあったのは、管理局という組織そのものに対する底知れぬ恨みです。モニター越しに見た彼女の姿ですが、背筋が凍るほどの執念を感じました……でも、だからこそ分からないんです」
チンクは手元の湯呑みを見つめ、眉根を寄せた。
シーマは元管理局員だ。
しかも一介の局員ではなく、八神はやての様に若くして佐官まで昇り詰めたエリート局員‥‥
かつて自身が所属し、身を捧げたはずの組織に対して、なぜあれほどの憎悪を抱くに至ったのか?
「彼女の詳しい経歴を調べようとしましたが、管理局時代のデータはなぜか途中から不自然に抹消されていました。それに加えて、本局が失われたことによる人事記録の喪失……今となっては、彼女の過去を正確に辿る手段がありません」
「元身内があそこまで本気で牙を剥くには、それ相応の理由があるはずだ。もちろん、給料や福利厚生への不満といった、可愛いレベルの話じゃないだろうがな」
ゲンヤが皮肉交じりに言うと、チンクも微かに口角を上げた。
「当然です。次に次元の海で会った時、尋ねて素直に答えてくれるような相手でもない。でも……」
チンクの瞳に、副長としての鋭い光が戻る。
「過去の管理局員時代に『何か』があり、彼女が組織を脱走してまで深い憎悪を抱くに至った出来事があったのは明白です。それを突き止めない限り、彼女の真の狙いも、あの異常な執着と憎悪も理解することはできない……!」
単なる海賊討伐ではない。暗闇に葬られた管理局の負の遺産が、次元の海で再び牙を剥いている。
その不気味な真実の輪郭に触れ、ナカジマ家の居間には一瞬、冷たい夜風のような重苦しい静寂が降りていた。
一方、思いがけず長期の「休暇」を与えられたフェイトは、どうにも落ち着かない日々を過ごしていた。
頭では、なのはやはやての言う通り「今は休むべき時だ」と理解している。
しかし、身に染み付いた艦長としての責任感とシーマを逃がしたという焦燥感が、彼女の心を常にざわつかせていた。
なのはやはやては平時通り職務があり、訓練や執務に追われているため、気晴らしに飲みに行ったり、一緒に遊びに出かけたりすることも叶わない。
一人で部屋にいると、どうしてもオベロンのブリッジで見た光景や、クルーたちの疲労しきった顔がフラッシュバックしてしまう。
結果として、フェイトの足は一日に一度、吸い寄せられるかのようにクラナガンの港湾地区へと向かっていた。
(……私は、何をしているんだろう?)
潮風に似た人工の風が吹き抜ける港湾デッキ。
フェイトは手すりに寄りかかり、港にずらりと停泊する大小の次元航行艦をぼんやりと見つめていた。
装甲の輝き、艦橋のシルエット、せわしなく行き交う整備士たち。
その光景を見ていると、自分が帰るべき場所はあそこなのだと再認識させられると同時に、今は乗るべき艦がないという現実を突きつけられた。
「おや? もしかして……ハラオウンさん?」
背後から突然かけられた声にフェイトは弾かれたように振り返った。
「えっ?」
そこに立っていたのは、見慣れた管理局の制服、それも技術部門の腕章を付けた中年の男性局員だった。
少し疲れたように下がった目尻と、無造作に撫でつけられた髪。
フェイトの記憶の引き出しが、すぐに彼の名前を導き出す。
「おお、やっぱりハラオウンさんではありませんか!!」
「ヴェルタンさん……」
そこに居たのは、管理局の艦政部・造艦科に所属する造艦技師のフランソワ・エミール・ヴェルタンであった。
彼の顔を見た瞬間、フェイトの胸の奥がチクリと痛んだ。
彼はかつて、義兄であるクロノ・ハラオウンが最後の艦長を務め、フェイト自身も副長として乗艦していた次元航行艦『ガイア』の設計主任だった男だ。
「ヴェルタンさん……その、ガイアの件については、本当にすみませんでした」
フェイトは深く頭を下げた。
ディンギル戦役において、ミッドチルダを‥そして数え切れないほどの人々の命を救うためだったとはいえ、彼が心血を注いで造り上げた結晶であるガイアを自沈させる決断を下したのは、他でもない自分たちガイアの乗員たちだった。
設計者である彼にとって、自分の子供のような艦を失った悲しみは計り知れないはずだ。
だが、ヴェルタンは慌てたように手を振り、穏やかな笑みを浮かべた。
「頭を上げてください、ハラオウンさん。謝る必要なんてありません。ガイアは、ミッドチルダを救うために沈んだのです。ミッドチルダと大勢の人々を救うために……次元航行艦の設計者として、そしてガイア自身にとっても、それはまさに本望だったと思います」
「ヴェルタンさん……」
「ハラオウン提督も、その際にお亡くなりになったと……」
ヴェルタンの声が僅かに沈む。フェイトは目を伏せ、静かに頷いた。
「ええ……ガイアと共にミッドチルダを‥大勢の人々を救うために……立派な、最期でした」
潮風だけが、二人の間に流れるしんみりとした空気を撫でていく。
喪われた義兄とかつての母艦‥‥悲しみに引きずられそうになる心を奮い立たせ、フェイトは意識的に声のトーンを上げて話題を変えた。
「ところで、ヴェルタンさんはどうしてミッドチルダに?」
フェイトが彼と最後に会ったのは、第六十一管理世界『スプールス』だった。
あの時彼は、次元漂流してきたもう一つの地球に所属する宇宙戦艦『まほろば』の圧倒的な技術と機能美に驚嘆しつつ、ディンギル軍の苛烈な攻撃を受けて満身創痍だったガイアの整備にも不眠不休であたってくれていた。
最前線の技術拠点であるスプールスにいるはずの彼が、なぜ首都の港湾地区を歩いているのか。
フェイトの問いに、ヴェルタンはこれ見よがしに深く、重い溜息を吐き出した。
「ハラオウンさんもご存知の通り、先のディンギル戦役、そしてその傷が癒えぬまま強行されたエルトリアへの遠征……そのおかげで、我々艦政部は過労死寸前のオーバーワーク状態でしてね。にもかかわらず、管理局の上層部は先のボラー連邦の艦を真似た量産艦を『24時間不眠不休で引き続き作れ』なんて、馬鹿な命令を平然と出しておりましてね」
「は、はぁ……」
「それで、流石に進歩しない上層部に嘆願書を持って行ったのですが……ものの見事に突っぱねられまして、頭を冷やしてこいと追い出された帰りなんですよ」
ヴェルタンは肩をすくめ、忌々しそうに空を仰いだ。
「嘆願書‥ですか?」
「ええ。ディンギル戦役やエルトリアへの遠征で明白になったでしょう?今の管理局の戦力は、次元の海を高速で飛び回る『小型艇(艦載機)』の不足が致命的だと‥だからこそ、それら小型艇及びそれらの小型艇を多数運用できる母艦、もしくは高度な格納・整備機能を持つ新たな次元航行艦が絶対に必要だと訴えたのです」
その言葉に、フェイトははっとしたように目を見開いた。
「それは……私もディンギル戦役の後に上層部へ訴えました。でも、コストと建造期間を理由に却下されて……」
「そうでしたか‥現場で戦う指揮官の意見すら無視するとは‥‥」
ヴェルタンは呆れたように首を振る。
「スプールスで見た『まほろば』……あれは本当に素晴らしい艦でした。単艦としての戦闘力だけでなく、艦載機の運用能力、ダメージコントロール、どれをとっても理想的だった。もちろん、私どもが手掛けたガイアも、まほろばに負けないくらい自信を持って作り上げた誇りでしたよ」
「ええ、それは分かっています。ガイアは……まほろばにも負けないくらい、強くて優しい、素晴らしい艦でした」
「ありがとうございます。ハラオウンさんにそう言っていただけると、造艦技師冥利に尽きます」
そこで、ふとフェイトの心に一つの疑問、いや、期待が首をもたげた。
目の前にいるのは、管理局きっての優秀な造艦技師だ。
彼がこの現状にただ甘んじているはずがない。
「ヴェルタンさんは……あれから、新造艦の設計や建造はしていないのですか?」
フェイトが真っ直ぐに見つめて尋ねると、ヴェルタンはピクリと肩を震わせ、さっと不自然にフェイトから視線を逸らした。
「…………」
「……しているんですね?」
逃がさないとばかりにフェイトが半歩距離を詰めると、ヴェルタンは額に冷汗を浮かべながら口ごもった。
「ま、まぁ……あくまで、趣味の範囲で、と言いますか……その、上層部の命令の合間に、少しばかり図面を引いているだけでして……」
本来の量産艦建造の仕事を放り投げて、上層部に無許可で自分の理想の艦を設計している。
それをフェイトに咎められると思ったのだろう。
しかし、フェイトの反応は彼の予想を完全に裏切るものだった。
「その設計は、今どこまで進んでいますか!? 建造は……実際に建造はしているんですか!?」
「ひぃっ!? ど、どうしたんですか急に!? やけに食いつきますね……」
普段の温厚な彼女からは想像もつかないほどのすさまじい気迫で身を乗り出してきたフェイトにヴェルタンは思わず後ずさった。
フェイトはハッと我に返り、一つ咳払いをしてから真剣な眼差しでヴェルタンを見据えた。
「じ、実は……」
フェイトは声を潜め、彼に現在の窮状を打ち明けた。
先日遭遇した宇宙海賊シーマ・ガラハウの乗る海賊艦リリーマルレーンの恐るべき性能。
彼女の艦の性能と戦闘能力に自分が指揮する艦が手も足も出ずに大破させられたこと‥‥
そして、そのシーマという女を追うための艦が、自分には与えられていない……
これまでの戦いの傷が癒えていないこと・‥‥
上層部のゴタゴタにより全く目処が立っていないという絶望的な現状を‥‥
フェイトの口から語られる宇宙海賊シーマ・ガラハウの脅威。
彼女が駆る海賊艦の常軌を逸した機動力と戦闘力。
その切実な報告を聞くにつれ、ヴェルタンの顔から人の良い中年の笑みが消え、技術者としての鋭い眼光が宿っていった。
「……なるほど。ハラオウンさんの話が事実ならば、今上層部が必死に作らせている量産艦を何隻並べようと、その海賊艦には到底太刀打ちできないでしょうね。速度でも、火力でも、そして何より戦術的柔軟性の面においても‥‥あの艦は元々私の同僚であるニナ・パープルトン技師が設計・建造した艦ですが、恐らくシーマたちは自分たちが使いやすいように色々と改造している筈です。管理局で使用禁止にされている質量兵器も搭載しているでしょう」
顎に手を当て、ヴェルタンは忌々しそうに吐き捨てる。
「はい。それに彼女はエルトリアとも繋がっていました。彼女の乗る艦にはエルトリアの技術もふんだんに使用されている筈です。それこそ艦載機搭載能力も有している可能さえも‥‥」
フェイトの話を聞き、ヴェルタンの瞳の奥には、優秀な設計者特有の熱い好奇心と対抗心が静かに燃え上がっていた。
「そして、そのシーマという女を追うための艦が、ハラオウンさんにはまだ与えられていない……上層部は事態の深刻さを全く理解していないようですね」
「ええ。だからこそ、私は焦っていたんです。でも、今は待つしかない……そう思っていました」
フェイトはきつく唇を噛み、ヴェルタンの顔を真っ直ぐに見据えた。
「ヴェルタンさん。あなたが先ほど言った『趣味の範囲』の設計。それは、シーマの艦に対抗しうる……いえ、それ以上の機動力と艦載機運用能力を持った艦ですか?」
その真っ直ぐな問いに、ヴェルタンは周囲を一度見回した。
潮風が吹き抜ける港湾デッキには、遠くで作業する局員がいるだけで、二人の会話を聞き咎める者はいない。
彼は一つ深呼吸をすると、観念したように、だがどこか誇らしげな笑みを浮かべて口を開いた。
「……実は、設計だけではありません。正式な建造計画には組み込まれていませんが、廃艦から回収した部材や量産計画で余剰になったパーツを再利用して、私の信頼できる部下たちだけで密かに『船体』の基礎建造に入っている極秘のプロジェクトがあるのです」
「建造までしていたんですね……!?」
驚きに目を見開くフェイトに、ヴェルタンは力強く頷いた。
「ええ。『まほろば』のコンセプトに感銘を受け、かつての『ガイア』の堅牢さを引き継ぎながらも、圧倒的な艦載機の運用能力を持たせた私の最高傑作……いわば、次世代の強襲母艦です。上層部の馬鹿げた量産計画の裏で、管理局の無駄になっていた資材を我々技術者が再利用して組み上げているため、正規のドックにはありませんがね」
ヴェルタンの言葉に、フェイトの胸の奥で、消えかけていた希望の炎が激しく燃え上がった。
「もっとも搭載できる艦載機はまだ有りませんけど‥‥」
「その艦なら……あの海賊艦に追いつくことができますか?」
「当然です。ただの次元航行艦ではありませんからね。指揮官の戦術次第で、どんな戦局も覆せるだけのポテンシャルを与えています……ガイアの艦長を務めたハラオウン提督の遺志を継ぐ貴女になら、あの子の舵を任せてもいい」
ヴェルタンは真摯な声でそう告げると、「少し歩きましょうか」とフェイトに促した。
向かう先は、華やかな表の港湾地区ではなく、人気の少ない地下の旧式整備ドック方面。その背中を追いかけながら、フェイトはコートの裾を翻した。
(まだ、やれる。私には……仲間と力を貸してくれる人たちがいる!)
黄金の瞳に、もう迷いはなかった。静かな決意を胸に、フェイトは新たな刃となるべき未知の新造艦が眠る場所へと足を踏み出していった。
ミッドチルダの喧騒を離れ、フェイトはヴェルタンと共に第六十一管理世界『スプールス』へと降り立った。
表向きは休暇を利用した単なる視察旅行という名目だったが、彼女の胸の奥では、抑えきれない期待と微かな緊張が静かに渦巻いていた。
かつて対ディンギル戦役の最前線の技術拠点として機能していたスプールス。
その辺境に位置する、すでに廃棄されたはずの旧地下管理局施設へと、ヴェルタンは迷いのない足取りで進んでいく。
分厚く錆びついた隔壁の前に立つと、彼は悪戯を成功させた子供のように目を細めた。
「さあ、こちらです。上層部の目を盗みながら、私に賛同してくれた馬鹿で最高な部下たちと共に組み上げた、我々の最高の結晶ですよ」
重々しい駆動音と共に巨大なシャッターが開くと、薄暗い地下空間に煌々と眩い作業灯が灯った。
溶接の青白い火花が散る中、機械油の匂いと数十人の技術者たちの熱気がフェイトの頬を打つ。
そして彼女の視線は、ドックの中央に鎮座する巨大な鋼のシルエットに釘付けになった。
「こ、これはっ……!?」
フェイトは思わず息を呑んだ。目の前にあるのは、まさに 威容そのものだった。
ガイアに似た鋭く前方を睨む流線型の艦首。
幾重にも重なる重厚な装甲を持ちながらも、空間抵抗を極限まで削ぎ落とした研ぎ澄まされたフォルム。
艦体中央部には、流麗なウイングが左右に展開されているが、そのウィングは状況によって収納する事も出来る。
上部にそびえる艦橋は、指揮系統を守るための堅牢な防殻に守られており、その姿は単なる輸送艦や哨戒艦ではなく、まさしく敵陣の中枢へと単艦で切り込む次世代の強襲母艦であった。
「どうでしょうか?これが、『ガイア』の強靭な骨格思想を受け継ぎつつ、あの『まほろば』の戦術的柔軟性を完璧に融合させた私たちの最高傑作です」
ヴェルタンの言葉に深く頷きながら、フェイトは無意識のうちに歩み寄り、その美しくも猛々しい艦体にそっと手を触れた。
冷たい金属の感触がフェイトの手に伝わる。
だが、その奥には、造艦技師たちの熱い魂と未だ見ぬ次元の海へ漕ぎ出そうとする力強い鼓動が確かに感じられる。
あのシーマ・ガラハウが駆る海賊艦の常軌を逸した機動力にも、この艦ならば決して引けを取ることはないだろう。
(これなら……あの圧倒的な暴力に対抗できる。そして今度こそ、みんなを護り抜くことができる)
「フェイトさん」
ヴェルタンが真剣な眼差しで、まっすぐに黄金の瞳を見つめ返した。
「この艦には、まだ名前がありません。クロノ提督の遺志を継ぎ、誰よりも仲間を想うあなたにこそ……指揮官として、この艦に魂を入れてやってはくれませんか」
その問いかけに、フェイトは静かに、だが力強く頷いた。敗北のトラウマに囚われていた焦燥はすでにない。
彼女の瞳に宿っているのは、指揮官としての真の強さと、いかなる絶望にも立ち向かう確かな覚悟だった。
「ヴェルタンさん。この素晴らしい艦の……名前はなんと言うのですか?」
見上げるほどの巨大な鋼の威容を前に、フェイトが静かに問いかけると、ヴェルタンは照れくさそうに無精髭の生えた顎を撫でた。
「それが、まだ決まっていないのですよ。何しろ上層部の目を盗んでやり繰りした極秘建造ですから、書類上の仮称すら存在しません。それに……名付け親は、この艦に魂を吹き込んでくれる真の艦長にこそふさわしいと思っていましたから」
彼の期待に満ちた眼差しを受け、フェイトは再び流線型の美しい艦体へと視線を向けた。
絶望の淵から這い上がり、再び次元の海へと漕ぎ出すための新たな希望。自分一人ではなく、傷ついた仲間たちと共に前へ進むための、揺るぎない絆の象徴。
「……『ナディア』」
フェイトの口から、自然とその言葉がこぼれ落ちていた。
「ナディア、ですか?」
「うん。希望を意味する名前だから。絶望した時に、最後まで残るものは……希望だと思うから。この艦が、私たちにとって希望になってくれるように」
「希望の艦、ナディア……素晴らしい。いかなる暗雲をも切り裂くこの艦に、これ以上ないほどぴったりの名だ」
ヴェルタンが満足げに頷くと、周囲で作業の手を止めていた技術者たちからも、誇らしげな笑みと静かな歓声が漏れた。
「ヴェルタンさん、どうか引き続き、ナディアの建造続行をお願いします。私はミッドチルダに戻って、この子が正式に次元の海を飛べるように道を切り開きます」
「承知しました、ハラオウン艦長。我々の魂の結晶、必ずや完璧な状態に仕上げてみせましょう」
スプールスの極秘ドックを後にし、ミッドチルダへと急いで帰還したフェイトは、すぐさま実家で休養を取っていた副長兼戦術長のチンクを呼び戻した。
自室のホログラムモニターに映し出されたナディアの流麗なフォルムを見て、チンクは驚きに目を丸くしながらも、すぐに頼もしい副官の顔つきを取り戻した。
「……なるほど。上層部を通さずに無許可での極秘建造中の新造艦ですか。相変わらず、艦長もそうですが、あの造艦技師も思い切ったことをしますね」
「ごめんなさい、チンク。でも、あのシーマの艦を追うためには、どうしてもこのナディアの力が必要なの」
「謝らないでください。むしろ、最高ですよ。正規の書類がない幽霊艦を、管理局の次元警邏艦として正式登録するのは骨が折れますが……今の管理局は量産艦計画のゴタゴタで、承認ルートも無茶苦茶に混乱しています。その監査の隙を突けば、ナディアの正式艦籍登録は十分に可能です」
チンクはニヤリと笑い、さっそく手元の端末で分厚い規約の抜け道を探り始めた。
「書類の山と面倒事な手続きは、副長である私に任せてください。シーマ・ガラハウを叩きのめすためなら、徹夜で裏工作だってやってみせます」
二人は固く頷き合い、新たなる希望『ナディア』を表舞台に引き上げるための煩雑な手続きへと、迷いなく立ち向かっていった。
一方、交わることのない次元の彼方――戦艦『まほろば』が所属するもう一つの地球では、星の海を繋ぐ新たな歴史が幕を開けようとしていた。
地球と惑星ディスティニーとの間で歴史的な正式同盟が締結され、長きにわたる戦乱の傷跡を癒やすかのように、両星を繋ぐ『銀河鉄道』の地球への乗り入れが決定したのだ。
首都メガロポリス東京では、空前の熱狂の中で銀河鉄道の中央駅、そして宇宙へと巨大な列車を打ち出すための長大なカタパルトレールの建設準備が急ピッチで進められていた。
しかし、星間を繋ぐ超大型インフラの建設が一朝一夕で終わるはずもない。
正式な中央駅と新レールが完成するまでの間、銀河鉄道の仮離発着場として白羽の矢が立ったのは、海上区画に建造された仮設施設だった。
潮風が吹き抜ける海上区画のプラットホームでは、今まさに他星からの列車を受け入れるための最終調整が慌ただしく行われていた。
星と星、人と人が繋がり、次元の海を越えて新たなレールが敷かれていく。それぞれの世界で、見えない悪意を打ち砕き、未来を切り開くための歯車が今、確かな音を立てて回り始めていた。
同僚を失い傷心のユーノ、そんな彼の身を案じたなのはの今後の進展について
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付き合っちゃえ
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お友達のままで