アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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少年期・シュタイエルマルク提督と父の秘密・後(宇宙歴754年3月25日)

「『法の精神』『世界人権宣言』『全体主義の起源』『アナーキー・国家・ユートピア』『宇宙時代の人権論』『シリウス革命論考』『星系間分権論』……。タイトルを読んだだけでも分かる。ここは発禁本の宝庫だ……」

 

 クルトは慄きながらそう言った。私も言葉が出ない。父、カール・ハインリヒに対して、反帝国組織の活動に関する推論を聞かせた後、私は父に連れられて、シュタイエルマルク邸を訪れた。シュタイエルマルク提督は一言だけ「ついてきてくれ」と言うと、後は何も言わず、私とクルトを資料室の奥の部屋へと案内した。

 

「シュタイエルマルク家の初代当主はルドルフ支持者ではあったが、慣れ親しんだ共和思想を否定できなかったらしく、銀河連邦崩壊時に散逸しつつあった貴重な書籍を手に入れてはこの部屋で保存していたらしい」

 

 シュタイエルマルク提督は驚く私たちにそう解説した。

 

「シュタイエルマルク家は代々、地球史研究を趣味としていることで知られている。特に私の曽祖父は軍人としての名声以上に地球史研究者としての名声を獲得し、今でも帝国の地球史研究者に幅広くその名を知られている。代々のシュタイエルマルク家当主は、共和主義思想家と言うよりは、地球史研究者としての崇高な使命感によって、これら貴重な『発禁本』を保管していたようだ」

「今まで一度も気づかれなかったのですか?」

 

 私は思わず尋ねた。この部屋の蔵書はかなりの数だ。恐らく、銀河連邦末期のまだルドルフが権力基盤を固めきれていない時期に蒐集されたのであろうが、それにしてもこれだけの蔵書が内務省社会秩序維持局の弾圧を逃れたという事は驚かざるを得ない。

 

「代々の当主が共和主義そのものに共鳴すれば、言動からあるいは気づかれたのかもしれない。だが、そうでは無かった。彼らにとってこれはちっぽけな自尊心を満たしつつ、人類の偉大な歴史に貢献している気分に浸る為の道具に過ぎなかった。……流石に穿った見方に過ぎるかな?」

 

 シュタイエルマルク提督は苦笑しつつそう言った。だが私は納得した。共和主義思想に共感「してしまった」人間は言動の端々にそれが表れる。勿論、意識すれば隠せるが、歴代シュタイエルマルク家当主全員が共和主義者の『癖』を隠しきったと考えるよりは、「書籍を保管している」という事実に満足して、内容は気にしていなかったというシュタイエルマルク提督の見方の方が説得力がある。

 

「……父さんはこの本に触れたことで共和主義者になったんだね」

「いや、それは違う。確かに私の中に共和主義的な素養を作り出したのはここにある書籍だろうが、結局私も先代たちと同じだった。それで自分が共和主義思想を実現しようなんてことは微塵も思っていなかった」

 

 シュタイエルマルク提督は懐かしむような表情をしている。そして自らの過去を語りだした。

 

「昔の私は帝国軍の改革を志す夢想家だった。今の私のように、ただ自己のみを律し、それで良しとするような卑怯者と違って、な。……士官学校への平民入学許可、貴族軍の解体と星域警備隊の創設、辺境人事の刷新、帯剣貴族による一部役職の独占禁止。まあ、色々なことを仲間たちと言っていたよ」

「……当時、ハウザーと志を共にしていた仲間たちの一人が私だ。だが、私たちには力が無かった。名門ライヘンバッハ家出身と言っても所詮は三男坊。そしてシュタイエルマルク家だって子爵家に過ぎない。だからと言って、上位貴族たちのご機嫌取りに精を出す、三流軍人になるのは御免だった。そんな鬱屈を抱えている中で、私たちはあの人と会った」

 

 私には「あの人」が誰なのか分かる気がした。

 

「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター提督……ですね?」

「……なるほど。そこまで辿り着いていたのか。リューデリッツより君の方がよっぽど優秀なようだ」

 

 シュタイエルマルク提督は苦笑してなおも続けた。やはりリューデリッツはジークマイスターの存在にまでは辿り着いていなかったようだ。

 

「あの人とは場末の酒場で出会った。あの人が私たち改革派青年士官を組織に招くつもりで接触してきたのかどうかは、今でも分からない。ただ、帝国軍の内部改革を志しながらも、血筋、あるいは身分故にそれを成し遂げることが出来ない事に無力感を感じていた私たちは、あの人の語る理想に惹かれた」

「『我々は次の事を自明の真理と見做す。全て人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、及び幸福の追求に対する不可侵の権利を与えられていること……』」

 

 父が引用したのはアメリカ独立宣言の一節だ。私の前世においては、あるいは自由惑星同盟においては当たり前に過ぎるこの言葉も、この帝国においては重みが違う。大帝ルドルフの否定、ゴールデンバウム王朝の否定、貴族階級の否定、四世紀以上にわたる銀河帝国の歴史の否定、そして……自己の価値観の否定。ジークマイスター提督からこの言葉を聞いた二人の衝撃はいか程の物だっただろうか。

 

「私たちはジークマイスター提督によって『啓蒙』された。私たちは彼の組織に入り、そこでミヒャールゼンと出会った。その直後、ジークマイスター提督は自由惑星同盟へと亡命した。『外からの変革』を目指して」

「同盟に亡命したジークマイスター提督と、帝国側のミヒャールゼン閣下、シュタイエルマルク閣下、そして父上は、『外からの変革』の為にブルース・アッシュビーに協力したのですね……。他方帝国側でも、ヴァルター・コーゼルと言う新進気鋭の平民軍人に目をつけ、彼に武功を立てさせることで、上層部に引き上げた」

 

 私はシュタイエルマルク提督と父に対し推論を述べた。ジークマイスター提督の亡命は個人的な憧れだけが理由だったのではなく、体制内での共和主義活動に限界を感じたからだろう。

 

「その通りだ。私たちはアッシュビーと自由惑星同盟という外圧によって銀河帝国の封建体制を揺るがし、コーゼルを旗頭に祭り上げて、新たな国家体制を作り上げようと目論んでいた」

 

 父は淡々と答える。父が何を考えているのか、その表情から読み取ることは出来なかった。だが恐らく、今に至るまで何度も苦悩したはずだ。伝統的帝国貴族である父にとっては、例え現体制に不満を感じていたとしても、反帝国組織に参加するというのはかなりハードルの高い決断だろう。

 

「でもそれは第二次ティアマト会戦によって頓挫した。同盟のアッシュビー、帝国のコーゼル、双方が戦死してしまうという失敗によって」

「いや、それは違う」

 

 クルトの指摘をシュタイエルマルク提督は否定する。推論に自信があったからか、クルトは少し驚いた様子だ。

 

「第二次ティアマト会戦は失敗ではない。むしろ成功しすぎたのが問題だった……。あの戦いはジークマイスター機関がツィーテンたち対抗勢力を一掃するために仕掛けた罠だった。無論、コーゼルも暗殺対象の一人だった。……コーゼルは優秀すぎた。彼はミヒャールゼンが反国家的組織を操っていることをほぼ確信していた。大義の為には……殺すしか無かった」

 

 シュタイエルマルク提督の顔には苦悩が浮かんでいる。シュタイエルマルク提督はコーゼル提督と極めて親しい仲だったとして知られている。恐らく、その友情は本物だったのだろう。……私にクルトやラルフが殺せるだろうか?

 

「だが、出征した将官がほぼ全滅するのは流石に予想外だった。確かに、機関にとって死んでくれた方が都合の良い者も居たが、そうでない者も……例えば我々の仲間だったシュテッケルのような者も戦死するか、捕虜になってしまった」

 

 シュタイエルマルク提督は悔やむような表情で振り返る。恐らく、シュタイエルマルク提督と父の『仲間』もその中に居たのではないか、と私は推測した。

 

「第二次ティアマト会戦前、機関はアッシュビーという脅威を巧妙に利用しながら軍上層部に勢力を拡大しつつあった。統帥本部は既に機関によって掌握されつつあり、軍務省にも一定の影響力を有していた。そんな中、機関の存在に気づいて抵抗を始めたのが宇宙艦隊総司令部のツィーテンたちだった。ツィーテンたちを排除できれば、機関の理想実現を妨げる者はもう存在しないはずだった」

 

 シュタイエルマルク提督はそこで言葉を切る。顔には深い悔恨が刻まれている。

 

「……ところが、ツィーテンたちが全滅したことで、第二次ティアマト会戦の敗戦責任を軍部全体で背負う必要に迫られた。我々が長い年月をかけて軍上層部に送り込んだ同志や協力者は殆どが敗戦責任を分担させられ、失脚してしまった。さらに機関の想定以上のペースで平民の台頭と他貴族集団の軍部介入が始まった」

 

 シュタイエルマルク提督はそう言って自嘲する。結果的にではあるが、ブルース・アッシュビーという天才が作り出した『軍務省にとって涙すべき四〇分』はジークマイスター機関にとっても同様に涙すべき四〇分になってしまったということだろう。

 

「父上たちは成功しすぎたということですね。帝国軍の屋台骨を揺るがすばかりか、自らの足元さえ切り崩してしまった」

 

 クルトはそう言った。クルトがどのような表情をしているのか読み取ろうと努力したが、残念ながら私の立つ位置からは確認するのが難しかった。

 

「リューデリッツとエーレンベルクは、パランティア星域会戦の前後に機関の存在に気づいたのですね?それでミヒャールゼン提督が暗殺された」

 

 私はクルトの表情を確認することを諦め、ミヒャールゼン提督暗殺事件について確認しようとした。しかし、この件に関しては父もシュタイエルマルク提督も答えない、あるいは答えられない様子であり、私は追及を諦めた。その後、事件を調べ続けた私が組み立てた考察については、以前に述べた通りである。

 

「それで……アルベルト、クルト君。お前たちはどうする?」

 

 話が一段落した時、父が尋ねてきた。私の答えはほぼ決まっているような物であったが……。クルトの考えが読めず、私は沈黙していた。

 

「憲兵隊に密告するのもアリだろう。他人の密告だと間違いなく族滅は免れないだろうが、息子の密告であれば功績と相殺され、私たちだけが処刑されるはずだ」

 

 シュタイエルマルク提督が淡々と言う。その声音は落ち着いていた。

 

「……少し考えさせてください。色々と衝撃が強くて」

 

 クルトは青ざめた顔で絞り出すようにそう言った。無理もない。父とシュタイエルマルク提督が反帝国組織に属していることを半ば確信していた私と違い、クルトは「確証も無ければ、傍証も不十分」とあまり信じていなかった。衝撃の大きさが違うだろう。

 

「分かった。だが、密告する時はその前に一言教えてくれると有難い。私たちにも……準備が必要だ。アルベルト、お前もそれで良いか?」

 

 父の問いかけに私は同意した。そして私は二人に尋ねた。

 

「何故、本当のことを話したのですか?先ほど父にも言いましたが、私たちの推論は確証どころか傍証すら不十分でした。誤魔化す方法はいくらもあったのでは?」

「あっただろうな。だが、誤魔化したとしてお前たちは納得しないだろう。そして確証を得るまで調べ続ける。……お前たちが我々を探っていることには前から気づいていた。同期の伝手を使って、統帥本部情報部長シュテファン・フォン・クラーゼン宇宙軍中将から色々と便宜を図ってもらっていたこともな。お前たちなりに気を付けては居たようだが……。お前たちにあまり派手に動かれると、リューデリッツやエーレンベルクが機関の生き残りに気づくかもしれない。それを防ぐには本当のことを話すしかないという結論になった」

 

 父は少し不機嫌そうにそう言った。私は、まさか調査していたことがバレていたとは思わなかったために少し慌てる羽目になった。

 

「……まさか息子を口封じで殺す訳にもいかんしな」

 

 父は小声でそんな物騒な事も言っていた。当時の私は気づかなかったが、今にして思えば、私とクルトは結構危うい橋を渡っていたのかもしれない。シュタイエルマルク提督はヴァルター・コーゼル宇宙軍大将を、父は直接的にヴィットリオ・ディ・ベルティー二同盟宇宙軍中将を、間接的に祖父フィリベルトを初めとする同族を、望むと望まぬとに関わらず手に掛けた。あるいは掛けようとした。

 

 確かに私とクルトは二人にとって大切な息子かもしれないが、もし機関の存在を明らかにしたならば……。いや、仮定の話は止めておこう。実際の所、私たち二人が父親と機関によって危害を加えられるようなことは無かったのだから。 

 

 私と父はその後、シュタイエルマルク邸を辞した。気づけば日は暮れており、空には二つの(モーント)が昇っている。惑星オーディンを周回する二つの衛星はゴールデンバウム王朝によって、フギン、及びムニンと名付けられた。しかし、人々は何故か二つの衛星を纏めて『(モーント)』と呼び続けている。その由来は遥か地球時代にまで遡ると言う。

 

 結局のところ、ルドルフがどれほど記録を改竄しようが、ゴールデンバウム王朝がどれほど栄えようが、人々の間に一度根付いた言葉や習慣が消えることは無い。民主共和政治も同じだ。このオリオン腕において完全に消え去ったように見える自由と平等の精神も、ジークマイスター邸の書斎で、あるいはシュタイエルマルク邸の資料室で小さな火を灯し続けていた。

 

 その火はマルティン・オットー・フォン・ジークマイスターによって、あるいはハウザー・フォン・シュタイエルマルクによって育てられ、このオリオン腕に確かに広まりつつあったのだ。地球時代からいくつもの冬を抜けて受け継がれてきたこの火を、実際にこの目で見た私は静かに感動していた。……その火の為に、夥しい程の血と涙が流されたことを、私はまだ本当の意味で理解していなかったのだ。

 

『おお、自由よ、汝の名の下に如何に多くの罪が犯されたことだろうか!』

                                   ―マノン・ロラン―

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈8
 マノン・ロランは地球時代のフランス革命期に極めて活躍した女性運動家であると言われているが、フランス革命と同じようにその詳細に関してはほとんど判明していない。

 ただ、人類史の中でも代表的な女性運動家であったことは確かなようであり、自由惑星同盟では『平民の為に剣を握って自由を勝ち取った救国の聖女』とされ、広く知られている。また銀河帝国においても優れた知性を持つ女性に対して『ロラン婦人の如き才女』と言うような言い回しが使われることが多く、ベーネミュンデ侯爵夫人やヴェストパーレ男爵夫人等が『ロラン婦人の如き才女』として称えられたことがある。

 ちなみに、ライヘンバッハは彼女の言葉を引用して『おお、自由よ、汝の名の下に如何に多くの罪が犯されたことだろうか!』と発言することが多かったが、この言葉をマノン・ロランが遺したとする資料は見つかっていない。

 なお、アルベルト・フォン・ライヘンバッハは「ロラン婦人ではなく夫人、剣は握ってないし、聖女でもない。青い靴下も履いてないし、ハイネセンのような銅像にもなってない。国と結婚したのは彼女ではなくエリザベス女王だ!ナチスドイツに処刑されたって最初に言いだした奴は誰だ。歴史家を名乗るのを止めちまえ!」と言い遺している。

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