アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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幼少期・ティアマトの衝撃(宇宙歴745年12月~宇宙歴746年3月)

 宇宙歴七四五年一二月五日から一二月一一日の間、ティアマト星系で行われた会戦は帝国軍の敗北で終わった。同盟軍の天才、ブルース・アッシュビー宇宙軍大将と彼の部下である七三〇年マフィアを前に帝国軍の精鋭を集めた遠征軍は惨敗・完敗・大敗を喫したのだ。しかし、帝国軍に全く良い所が無かった訳ではない。一一日の攻勢で帝国軍青色槍騎兵艦隊副司令官、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍中将、つまり私の父が同盟軍第一一艦隊司令官、ヴィットリオ・ディ・ベルティー二宇宙軍中将を戦死に追い込んだ。さらに何がどうしてそうなったかは一切不明だが、『帝国軍の砲火』が同盟軍総司令官ブルース・アッシュビー宇宙軍大将の旗艦「ハードラック」の艦橋を直撃したのだ。

 

 もっとも、帝国軍の損害は「アッシュビーが死んだ」という事実を以ってしても覆い隠せない程に酷かった。中央艦隊から三個艦隊、それに辺境艦隊から三個艦隊、計五六〇〇〇隻を動員した帝国軍はシュタイエルマルク宇宙軍中将の青色槍騎兵艦隊を除く全艦隊が四割を超える損害を出した。つまり全滅判定である。全体では五六〇〇〇隻の内二〇〇〇〇隻にも満たない数しか帝国領に戻らない有様だった。

 

 特に指揮官クラスの被害は想像を絶するものがある。宇宙艦隊司令長官ハンス・テオフィル・フォン・ツィーテン元帥が戦死したのを筆頭に、宇宙艦隊総参謀長フィリベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍上級大将、黒色槍騎兵艦隊司令官ヴァルター・コーゼル宇宙軍大将、赤色胸甲騎兵艦隊司令官クリストフ・フォン・シュリーター宇宙軍大将、宇宙艦隊副参謀長リヒャルト・フォン・シュタインホフ宇宙軍中将、宇宙艦隊副司令長官代理兼第一辺境艦隊司令官ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将、第三辺境艦隊司令官オスカー・フォン・カイト宇宙軍中将、第四辺境艦隊司令官クリストフ・フォン・カルテンボルン宇宙軍中将らが戦死。

 

 赤色胸甲騎兵艦隊副司令官エーリッヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍中将、黒色槍騎兵艦隊第三分艦隊司令官ユルゲン・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将、宇宙艦隊総司令部人事部長ハンス・エドワルド・フォン・シュリーター宇宙軍中将、宇宙艦隊総司令部後方支援集団司令官オットー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍中将、第四辺境艦隊副司令官ヨハン・ディードリヒ・フォン・メルカッツ宇宙軍少将らが行方不明。

 

 赤色胸甲騎兵艦隊第二分艦隊司令官ウィルヘルム・フォン・ゼークト宇宙軍中将、同艦隊第三分艦隊司令官カール・ラウレンツ・フォン・ハーゼンクレーバー宇宙軍中将、第三辺境艦隊第四分艦隊司令官マインラート・フォン・ビューロー宇宙軍少将らは同盟軍の捕虜となった。

 

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍中将ら青色槍騎兵艦隊の指揮官・参謀たちと、あとはエドワルド・フォン・クナップシュタイン宇宙軍中将、ミヒャエル・フォン・ヴァーゲンザイル宇宙軍中将、クリストフ・フォン・ツィーデン宇宙軍少将ら幸運にも生き残った僅かな将官も居るが、第二次ティアマト会戦に参戦した帝国軍の帯剣貴族将官、そしてその数倍の帯剣貴族佐官・尉官のほとんど全員が失われた、と言っても差し支えないだろう。

 

 そして、これほどの大敗となると責任を取る人間が必要になる。最後まで艦隊を維持したシュタイエルマルク宇宙軍中将に責任を取らせることは流石に出来ないとしても、彼と彼の部下を除いた将官たちには責任を取って貰う必要があった。先ほど私は、クナップシュタインやヴァーゲンザイルを「幸運にも生き残った」と書いたが、同盟軍に包囲されて戦死するのと、憲兵に銃殺されるのを選べと聞いたら勇敢な帯剣貴族である彼らは前者を希望するはずだ。その意味では彼らは不幸だったかもしれない。

 

「エーリッヒ様が行方不明でフィリベルト様とクラウス様とエドウィン様が戦死したって本当か?何かの間違いじゃないのか?」

「間違いない、一族のカール・オイゲン様やフランツ様も戦死が確認されたそうだ。」

「ライヘンバッハだけじゃなく、ツィーデンやミュッケンベルガー、アイゼナッハも一族の大半が戦死したか捕虜になったそうだ、これからの帝国軍はどうなるんだ……」

「……まあ、不幸中の幸いはカール様が武功を立てて生還されたことですね。シュタイエルマルク提督と一緒に表彰されるらしい、もっとも青色以外の生還者達には名誉ではなく軍法会議が待っているって話ですが……」

 

 帝国軍大敗の報はタップファーにまですぐに届いた。一時は屋敷中、いや惑星中が恐慌状態に陥った。物価が急激に高騰し、備蓄物資を開放する必要に迫られた。領民たちが自警団を結成し、同盟軍の侵攻に備えると言って非白人系への迫害を強めた。私設軍は私設軍で弔い合戦とか絶対不可能な事を言いだす有様であった。ライヘンバッハ家が取り潰されるというような噂も流れ、領民、使用人の間に不安が広がった。留守を預かる家臣団は不眠不休で対処に奔走した。しかし、父が武功を立てて生還した報が届くと、これらの動きはとりあえず沈静化した。ただ、他の貴族の領地では暴動が起きた場所もあったらしい。当主一族の戦死もさることながら、アッシュビーが回廊を超えて攻めてくるという噂が瞬く間に広がったことが大きい。

 

「情報統制が全く効いていないのか、統制する立場の側も動揺しているからな。これじゃどうしようもない」

 

 私は使用人と領民の会話を聞きながら素知らぬ顔でそんなことを言っていた気がする。だが、正直言うとあの時は内心父が生還したことが嬉しくて溜まらなかった。実を言うと私は第二次ティアマト会戦で帝国軍が大敗し、父が戦死するのではないかという恐怖に囚われていたのだ。「前世」の知識が私にその可能性を示唆していたし、それ以上に伝え聞くブルース・アッシュビーの噂は規格外だったからだ。

 

「ファイアザード会戦では帝国軍を損害無しで撃破。ドラゴニア会戦では帝国軍が完全に安全を確保していたはずの後方宙域に突然現れて、あっという間に帝国軍を撃破。ドーリア星域会戦では帝国軍旗艦をピンポイントで撃沈……まあ、話が盛られているとは思うけど、五歳児の耳にまで聞こえてくるっていうのは凄い」

「全くですな、御曹司。アッシュビーは化け物です。しかしいくら化け物でも不死身ではなかったようですよ」

「ヘンリクか……いきなり後ろから話しかけられるとビックリするじゃないか。……不死身じゃなかったってどういうこと?まさかブルース・アッシュビーはティアマトで戦死していた、とか?」

 

 ヘンリク・フォン・オークレールは父が私につけた護衛士だ。ライヘンバッハに仕える武官の一族の出身で帝国騎士である。だが容貌は貴族というより山賊と言った方が当てはまるかもしれない。いや、流石にそこまで汚い恰好をしている訳ではなかったが、大柄で強面、しかも顔には傷がついている。私の護衛士になる際に髭を切り落とし、髪型も整えたらしいが、傷は勲章として残したかったらしく、父に交渉したという。実力と経験重視、そして応急処置が出来る程度に医療知識がある人間を選ぼうとした結果、正規軍の前線部隊で地上軍大尉にまで昇進していたバリバリの現役軍人を連れてくることになったらしい。

 

 その後、父は「流石に怖すぎる、なんとかならなかったのか」と母に怒られていた。とはいえ、ヘンリクはその後長く私に仕えてくれた訳で、父の判断は間違っていなかったと言えるだろう。

 

「ほう……よく分かりましたな御曹司。その通りです。アッシュビーの奴、勝って油断していたようで、旗艦の艦橋に一発貰ったらしいですよ」

「いや、適当に言ってみただけだけだよ」

 

 そう言って私は誤魔化した。実のところ、アッシュビーの死は私にあまり驚きを与えなかった。前世の知識があったからだ。それで納得できない奴は、第六感が働いたということにしておいてくれ。

 

「それにしてもヘンリクはどこでそういう情報を仕入れてくるの?一介の護衛士が知ることが出来るような情報じゃないよね?」

「御曹司、俺は前線帰りですよ?色々と伝手が有るってことです」

「ふーん……まあいいや。あとさ、ヘンリク。御曹司って言うのは止めてよ、ディートハルト従兄様に悪い」

 

 ライヘンバッハ本家は第二次ティアマト会戦でほぼ全滅に等しい被害を受けた。当主フィリベルトはツィーデン元帥の参謀長を務め戦死。長男エーリッヒはシュリーター艦隊副司令官を務めていたが行方不明に。次男クラウスはツィーデン元帥の作戦参謀を務めており、やはり戦死。エーリッヒの長男リュディガーはバーゼル艦隊の戦隊司令官を務めており行方不明、次男エドウィンはカイト中将の副官を務めており、戦死。フィリベルトの弟であるカール・オイゲンはミュッケンベルガー艦隊分艦隊司令官を務め戦死。フィリベルトの従弟であるフランツはカルテンボルン艦隊参謀長を務め戦死。その他、分家や縁者も多くが戦死、または捕虜となった。

 

 生き残った者の中で最も当主に近いのが三男のカール・ハインリヒだが、その後となると話がややこしい。嫡流は途絶えているが、次男クラウスの息子で二三歳のディートハルトが辛くも生き延びている。そしてカール・ハインリヒの息子である私、アルベルトは虚弱体質でしかも幼い。

 

「ディートハルト様ねぇ……しかしカルテンホルン艦隊に属していて良いとこ無しだったんでしょう?カール様も多分、アルベルト様を跡取りにしたいでしょうし、やはりアルベルト様が御曹司ですな」

 

 ヘンリクの読みは正しかった。……まあ、ある程度の頭があれば誰でも予想できることではあるが、私は家督争いなどというモノに巻き込まれるのは嫌で仕方が無く、そうでないことを祈っていたのだ。ディートハルトと家督を争うとなると、間違いなく陰謀とか醜聞とかそういう類のモノが必要になるはずだ。前世の一般市民的感覚を微妙に引きずっていた私としてはそんなモノに巻き込まれるのは御免だった。

 

 

 第二次ティアマト会戦から三か月が経ったある日、父がタップファーに帰ってきた。戦後処理の全てが終わったわけではないが、「英雄」である父には故郷への帰還が許されたらしい。その時、父は二人の医者を連れてきていた。1人はいわゆる精神科医だ。「前世が~」というようなことは流石に言っていないが、それでも私はしきりに精神的ストレスを訴えていた。もう1人は「東洋医学」の専門家だという黒人男性だった。……私に人種差別的感情は一切ないが、素朴に何で東洋なのに黒人男性?と思ったのは事実である。

 

「アルベルト……お前はいずれはこのライヘンバッハ家を継ぐ立場となった。その為にはお前の虚弱体質を何とか直さなくてはならない。手段を選ぶ余裕もない。今まではエーリッヒやクラウスに邪魔されていたが、精神医学や東洋医学の方面から治療を試みることにした。お前も嫌だろうが、私も苦渋の決断だ。彼らを信じ、言う通りにしなさい」

「分かりました。父上」

 

 私の返事を聞くと、父は頷いた。

 

 銀河帝国において精神の病は「弱さ」とされ、迫害の対象となる。かの劣悪遺伝子排除法が猛威をふるっていたころならば、間違いなく死刑になっていただろう。とはいえ、実際の所、精神の病を患う患者はいつの時代にも居るものである。銀河帝国では表向き精神科医は存在しないが、非白人系が集められた自治領では精神科医が今なお存在している。彼らは「外」の貴族や裕福な平民向けに高額な報酬と引き換えに治療行為を行っているのだ。

 

 とはいえ、劣悪遺伝子排除法が有名無実化された今でも精神科医に頼るというのはかなりハードルが高く、余程のことがないと彼らが呼び出されることは無い。ライヘンバッハ家でも三男の息子に過ぎず、しかも虚弱体質なだけで表向き精神的な病を患っているようには見えない私の為に、精神科医を呼び出すことは反対されたのだろう。

 

 そして東洋医学は西洋医学に受け継がれている部分があるものの、体系としてはやはり「劣等人種の迷信」として冷遇され、今では僅かな医者しか残っていない。しかも数百年の冷遇は知識の劣化を起こしており、今ではまさしく「迷信」のようなレベルでしかなくなっている。

 

 しかし、こちらも自治領や辺境地域では腕の良い東洋医学者が残っており、追い詰められた貴族達から呼び出されて治療を行う者たちも存在している。繰り返すが彼らのお得意様は優等人種の中でもさらに優れていると認められた貴族たちである。……劣悪遺伝子排除法とか、西洋優越思想がいかに馬鹿らしいものか、よく分かる例ではないだろうか?

 

「ああ、それとな、アルベルト」

 

 父は書斎に戻る前に振り向いて言った。

 

「なんでしょうか、父上」

「……こんなことになってすまない、愚かな父を許してくれ」

「え?」

 

 父はそう言って足早に私の前から去った。後には私と黙って控えていたヘンリク、それに二人の医者が残された。父は何故私に謝罪したのか、謝罪だけなら分かる。虚弱体質の私を家督争いに巻き込むことになったことを謝っていると解釈できるからだ。しかし、「愚かな父」とはどういう意味なのか。

 

 確かなのは暫くして父は酒をよく飲むようになり始めたということだ。昔から酒好きではあった。しかしその酔い方は至って健康な物だった。すなわち、一に兄弟への悪態、二に上官への悪態、三に領地貴族への悪態。酒を飲んでは彼らに対する辛辣な批判を繰り返していた。しかし、第二次ティアマト会戦以後、父は酒を飲むときに一言も話さなくなる。たまに話すことがあれば、それはエーリッヒ伯父上やクラウス伯父上への謝罪だった。ちなみに領地貴族への悪態はその状態でも時々言っていた。あの状態の父に悪態をつかせた領地貴族たちを私は一周回って称えたいと思う。

 

 父が不健康そうな飲み方を始める一方で、私の健康状態は徐々に改善していった。父が連れてきた二人の医者のどちらの治療が良かったのか私には分からないが、私の虚弱体質はこの頃から改善へ向かった。私の身体を蝕む突発的な倦怠感、腹痛、頭痛は結局今に至るまで解消されていないが、些細な風邪で命の危機になるようなことは無くなった。

 

 そういう意味で言えば、ティアマトの四〇分は軍務省にとって涙すべき時間だったかもしれないが、私にとっては喜ぶべき時間なのかもしれない。戦死した者たちには悪い話だが。

 

 とにもかくにも、体調が改善していった私は宇宙歴七五一年に帝都オーディンの幼年学校に入ることになるのだが……。幼年学校での生活を詳しく書く前に触れておくべき事件がある。実際の所、当時私は帝都にこそ居たが、事件には全く関わっていない。年齢を考えれば当たり前の話ではあるが。しかし、これを読んでいる歴史家諸君は私にあの事件について知り得ることを話してほしいと願っている筈だ。私が同志達から聞いた話は後に回すとして、我が父カール・ハインリヒ、そしてシュタイエルマルク提督があの事件の前後、どのような行動を取っていたかを私が知り得た限りにおいて書いておこうと思う。

 

 「クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督暗殺事件」

 

 彼は崇高な理想の為にその命を散らしたのだ。銀河の歴史がまた1ページ……。

 


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