アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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青年期・『ベイカー街不正規連隊』(宇宙歴766年3月)

「ライヘンバッハ大佐。第四次ドラゴニア会戦における艦艇の損害、及び戦死者・行方不明者に関する最新の報告書です」

「ありがとう、シュターデン大尉」

 

 宇宙歴七六六年三月。私は宇宙艦隊司令長官カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍元帥の元帥府に所属すると共に、宇宙艦隊総司令部情報部第三課長を務めていた。

 

 情報部第三課は主に辺境情勢に関する調査と分析を行う課である。階級も既に宇宙軍大佐にまで昇進していた。明らかに家柄ブーストが掛かった出世スピードだが、実績が無い訳でもない。私はこの時までに「辺境政策に精通した優秀な軍官僚」という評価を確立していた。

 

 ……宇宙歴七六一年のリューベック騒乱は多くの帝国人にとって些末な事であったが、辺境星域の住人と各総督府、そして軍務省には大きな衝撃を与えた。防諜セクションや現地司令部もさることながら、各総督府の上位組織である内務省自治統制庁や各駐留軍を政策面で指導する軍務省地方管理局はリューベック騒乱を招いた責任を追及され、早急に辺境政策の立て直しを迫られることになった。

 

 自治統制庁と地方管理局は協議の結果、辺境自治領統治に関する新たなガイドラインを策定することで合意、両組織から招集された人員によってプロジェクトチームが結成されることになった。そのチームの中で中心的な役割を果たしたのが私である。地球で過ごした前世を持つ私は標準的な中央官僚が持つ帝国的価値観とは無縁だった。銀河連邦時代に近い感性を持つ自治領民の事は下手すると領地貴族共より理解しやすかったかもしれない。……彼らの帝国に対する恨み、不信感、敵意以外は。

 

 私が関わった『辺境自治領統治に関わる基本政策の大綱について』はリューベック騒乱によって動揺した辺境諸地域を鎮めるのに一定の効果を挙げた。その後も私は辺境政策に携わる軍官僚として出世し、宇宙歴七六四年には宇宙軍中佐として軍務省地方管理局辺境調査課課長補佐を務めていた。が、同年に父が元帥に昇進し宇宙艦隊司令長官に任じられたため、私は宇宙艦隊総司令部へと転属することになった。

 

「艦艇八六〇〇隻余を失い、戦死・行方不明者は九三万四〇〇人……。酷い有様だな。諸事情を考えればグローテヴォール大将達はよく保たせていると言えるけど……。叛乱軍がドラゴニアを突破するのは時間の問題だね」

 

 ドラゴニア星系は、同盟の最辺境有人地域であるアスターテ星系とイゼルローン回廊出口との間に位置し、第三惑星が居住可能である。しかしながら遠隔地であることと、条件があまり良くないことから、銀河連邦や同盟による入植は行われていなかった。

 

 宇宙歴六四〇年のダゴン星域会戦時、帝国軍はこの惑星に目をつけ、遠征の兵站を担う仮説基地を設置したが、ダゴンの大敗後は放棄されていた。その後、コルネリアス一世元帥量産帝が大親征を行う前に、改めて帝国軍艦隊を派遣し、この星系を掌握。ダゴン時代の仮説基地を補強する形で恒久的に一個艦隊が駐留可能な大規模な帝国軍の基地が建設された。

 

 親征失敗後も基地は維持され、長年に渡り帝国軍のサジタリウス腕側における大規模拠点として機能していたが、宇宙歴七四二年にブルース・アッシュビーによる奇襲攻撃を受け失陥する。宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦後、自由惑星同盟はドラゴニア星系基地を拡張した上で常に三個艦隊の司令部を設置し、二個艦隊弱を常駐させ、必要に応じて集結させたうえで、帝国辺境地域への侵攻を繰り返していた。ちなみにリューベック騒乱の際に増援として到着した第五、第七、第一一艦隊もこの基地に司令部と主力を置いていた。

 

「ロクな支援を受けておりませんからな。身内同士で争っている場合でも無いでしょうに」

 

 私の部下の一人であるシュターデン大尉は苦々し気な表情でそう言った。

 

 宇宙歴七六三年。イゼルローン要塞が着工する直前に銀河帝国宇宙軍は三個中央艦隊と二個辺境艦隊、計五個艦隊五万隻を動員し、ドラゴニア星系に進軍。同盟宇宙軍三個艦隊との激戦の末に星系全域を制圧した。

 

 その後、同星系基地に青色槍騎兵艦隊と第一辺境艦隊を配置し、帝国側で最も回廊入り口に近いアムリッツァ星系に突貫工事で基地を作って黄色弓騎兵艦隊を配置し、要塞建設を妨害するであろう同盟軍を抑え込む体制を作り上げた。……勿論、巨額の費用をかけて、だ。

 

 以来、帝国艦隊は要塞建設を阻もうと進軍してくる同盟艦隊と激戦を繰り返してきた。アレンティア星域会戦、第二次パランティア星域会戦、第三次ドラゴニア会戦、惑星シルヴァーナの戦い、第三次パランティア星域会戦、シヴァ星域会戦……。これらの戦いは後にアスターテ=ドラゴニア戦役と呼称される。

 

「貴官の言う通りだ……。要塞建設の是非は置いておくとして、遥かサジタリウス腕で同胞が、戦友が苦しんでいるのだと思うと胸が張り裂けそうになる」

 

 私は本心からそう言った。……アスターテ=ドラゴニア戦役はその前半において帝国軍が優勢に立っていた。帝国艦隊の内、常に動員体制にあるのは青色・黄色・第二の三個艦隊だが、その後方のロートリンゲン辺境軍管区やシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区にはさらに黒色・第一・第三の三個艦隊が駐留している。必要に応じてこれらの部隊が回廊を超え、救援に向かうことで帝国軍は概ね余裕を持って同盟宇宙軍を撃退出来ていた。

 

 しかし、現在は補給が滞った状況で戦力優位の同盟軍に対し連戦を強いられている。

 

 ……宇宙歴七六五年、要塞建設にかかる費用の高騰が問題となった。リューデリッツは要塞建設「だけ」の費用しか真面目に計算していなかった。例えばアムリッツァに基地を建設する費用、あるいは三個中央艦隊と三個辺境艦隊の動員体制をほぼ常に維持する費用、そしてそれらの艦隊に補給を行う費用……。こういったものをリューデリッツは過小に計算していた。

 

 彼の軍官僚としての能力を考えれば、これが無能故の計算違いで無いことは容易に想像がつく。彼は意図的に要塞建設にかかる費用を過小に見積もり、それを以ってオトフリート五世や財務省に要塞建設計画を呑ませたのだ。「作ってしまえばこっちの勝ち」と言うような確信犯的な思いもあったのかもしれない。

 

 実際、オトフリート五世は大激怒しながらも要塞建設の必要性は認め、名士会議招集と帝前三部会の開催を以って要塞建設費用の捻出を図った。これはリューデリッツの予想通りの流れだっただろう。……ただ一つ『弾劾者クレメンツ大公』の登場を除いて。

 

『我らの血税をガラクタにつぎ込むのを止めろ!』

『国は穴籠りの臆病者ではなく、勇敢な戦士達に報いるべきだ』

『嘘吐きのリューデリッツを弾劾せよ!』

『回廊の向こう側でこれ以上戦友に血を流させるのは人道上許されない』

『三部会の肯定は衆愚政治の肯定、三部会の皇帝は衆愚政治の皇帝だ!』

 

 これらは全てクレメンツ大公とその支持者として「臣民の味方」を気取るブラウンシュヴァイク公爵オットー、リッテンハイム侯爵ウィルヘルム、トラーバッハ伯爵クラウス、ヒルデスハイム伯爵アーベルらの発言だ。

 

『卿らがいつ血税を払った!臣民の血税を私物化しているのは卿らだ!』

『……戦士達にこれ以上犠牲を強いない為にも要塞が必要なのです。長い目で見れば必ずメリットの方が大きい』

『貴様らは不敬者だ!皇帝陛下の威光を何と心得るか!』

『戦友を飢えさせておいて何が人道だ!恥を知れ』

『クレメンツの奴……衆愚の神輿になっておいてよくもまああんなことを言えるな』

 

 一方こちらはリヒャルト大公とその支持者を中心とする要塞派、ルーゲ伯爵ヘルマン、リヒテンラーデ子爵クラウス、クロプシュトック侯爵ウィルヘルム、レムシャイド伯爵子息ヨッフェンらの発言である。

 

 ……そう、現在帝都では『弾劾者クレメンツ大公』を旗頭とする領地貴族とリヒャルト大公を支持する官僚貴族が真正面から激しく対立している。その対立は軍部を巻き込み、肝心の前線地域に対する補給も満足に行えない有様だ。

 

「何とかならないのでしょうか、ライヘンバッハ大佐……。このままでは前線部隊が……」

「……分かっているさ。父上もクヴィスリング元帥閣下も反要塞派だけどね、この現状を快く思っている訳じゃない。出来ることなら前線で戦う将兵にはしっかりとした補給体制を整えたい。だが……この状況では下手に動くとクレメンツ派かリヒャルト派のどちらか一方についたと見做されかねない。二人とも軍部の政治的中立を重視する帯剣貴族だ……。動きようにも動けないのだろうね」

 

 私はシュターデン大尉にはそう説明したが、内心ではもう一つの考えを思い浮かべていた。クヴィスリング元帥の考えは私が今言った通りだが、機関の幹部である父にはもう一つ考えがあるはずだ。……前線部隊を意図的に弱体化させることで同盟軍が要塞建設を妨害出来るようにする、という考えが。

 

「まあ、とにかくありがとうシュターデン大尉、私の個人的な興味に付き合ってくれて。もう遅い、今日は帰ってくれて構わない。私も用事があるから今日は帰るよ」

「承知しました」

 

 情報部第三課にとって第四次ドラゴニア会戦の情報を収集することは職権の範囲外という訳では無いが、あまり優先度は高くない。シュターデン大尉には私が頼んで調査、報告書を纏めてもらったのだ。

 

「皆も仕事が終わっているなら無理に残業せずに帰宅しなさい。何度も言っているが、残業すれば良い仕事が出来るという訳では無いんだ」

 

 私は今も残っている課員に対してそう声をかけた。模範的な帝国軍人たる彼らは上司であり大貴族の息子である私が帰るまでは絶対に帰らない。私が帰っても暫くは黙々と仕事を続け、日付が変わる直前にようやく数人が帰りだす有様である。……前世の地方公務員としての経験から言わせてもらえば、流石に常時〇時頃まで残業というのは異常……というか身体が持たないだろう。彼らは必要に応じてタンクベット睡眠も使用しているようだが、あれの連続使用は身体的な疲労軽減効果が落ち、やがて精神的ストレスを発生させる。

 

 ……幸い、模範的な帝国軍人たる彼らは上司であり大貴族の息子である私の命令には絶対に逆らわない。私が帰る前に一言釘を刺しておけば、彼らも無理に部署に残ろうとはしない。

 

 

 

 

 

 

 宇宙艦隊総司令部を出た後、私は乗用車に乗ってヴェストパーレ男爵邸へ向かう。そこで開かれているサロンに参加する為だ。サロンの主人であるブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵は爵位こそ低いが、明敏な頭脳と洗練された立ち振る舞い、そして整った顔立ちの持ち主であり、高名な歴史学者として広く知られている。

 

 彼は熱烈な地球趣味者としての顔を持つことでも知られており、彼のサロンで話される話題は専ら地球史について――特にとある作家の作品について――である。サロンの名称、『ベイカー街不正規連隊(ベイカー・ストリート・イレギュラーズ)』からしても、彼の趣味が分かるという物だ。

 

 私は個人的な嗜好もさることながら、親友クルト・フォン・シュタイエルマルクを初めとする機関のメンバーとの接触の為に、このサロンを利用していた。現在クルトは宇宙軍中佐としてアムリッツァに駐留する黄色弓騎兵艦隊で機動打撃群司令を務めているが、僅か二六歳にして既にその名は広く知られている。……熱狂的な『探偵趣味者(シャーロキアン)』の一人として。

 

「おお、婿殿!元気にしていたか?」

「……お久しぶりです。クロプシュトック閣下」

 

 そこで私はなるべく会いたくない人間の顔を見つけてしまう。カミル・フォン・クロプシュトック伯爵。ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵の叔父であり、分家の一つを継いだ人物だ。ちなみに予備役中将の階級を持つ。私はクロプシュトック派と軍部保守派の結びつきを強める為にこの人物の娘との婚約が決まっていた。来月、宇宙軍准将に昇進した後、挙式を行う予定になっている。

 

「他人行儀だなぁ……私の事は養父(ちち)と呼んでくれと言っただろう?」

「そうでした養父上様、ところで何故養父上様がここに……?」

「いや何を隠そう私も地球には興味があってだな……。婿殿がここに入り浸っているとヘンリクに聞き、一度来てみたいと思ってな」

「はあ……」

 

 私は中の様子を伺う。サロンのメンバーは少なくとも養父上の存在を不愉快には感じていないようだが……養父上が地球趣味者だという話は聞いたことが無い。

 

「……政治絡みですか?」

 

 私が小声で尋ねると養父上は小さく頷き、小声で返してきた。

 

「このサロンのメンバーをリヒャルト大公派に引き入れたい。協力してくれないか、婿殿」

「申し訳ありませんが……。皇位継承を巡る争いに軍部が関わるのは『暗赤色の六年』の例もあり好ましくないかと」

 

 『暗赤色の六年』はダゴン星域会戦での大敗をきっかけとする帝国史上最も陰謀に満ちた期間である。その詳細に関する説明は省くが……。即位したマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝は『暗赤色の六年』を招いた責任の一端を帯剣貴族と官僚貴族の増長にあると見做し、強い不信感を抱いていた。その不信感は帯剣貴族たちに対しては帝国軍幼年学校の設立、官僚貴族に対しては大審院解体と高等法院設立という形で現れることになる。

 

 マクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝はルドルフ大帝を除き、帝国史上最高の名君とも言われるが、彼のその治世において帯剣貴族集団と官僚貴族集団の主流派は常に保守的な抵抗勢力であり、その事は現在の我々にとって極めて後ろめたい事実であった。帯剣貴族は本来、マクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝のような名君を支え、忠誠を尽くすべき存在なのだから。

 

「婿殿の言うことも分かるが、個人として少し手を貸してくれるくらいは良いだろう?我々クロプシュトック派は軍部保守派に多大な協力をしている筈だ」

「……承知しました。では主だった方に紹介させていただきます」

「おお!助かる」

 

 私は養父上の頼みを引き受けた。軍部保守派の二大巨頭、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハとユルゲン・オファー・フォン・クヴィスリングは皇位継承争いに中立の構えを崩していない。彼らは要塞建設に反対しているが、財政再建とその為の税制改革には賛同している。リヒャルト大公は要塞建設を支持すると共に税制改革に賛同し、クレメンツ大公は要塞建設にも税制改革にも反対している。どちらかを支持できる状況では無いのだ。

 

 ちなみに同じような立場に置かれ、中立を選ぶ人物は少なくない。軍部改革派のフーベルト・フォン・エーレンベルクやエドマンド・フォン・シュタインホフ。財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ。枢密院議員クリストフ・フォン・ノイエ・バイエルン。枢密院議員コンラート・フォン・バルトバッフェル等がそれに当てはまる。

 

「久しぶりだな、リヒャルト」

「おお、アルベルト!元気そうで何よりだ。来月に宇宙軍准将に昇進するようじゃないか!おめでとう。昇進記念のパーティーをいつやるかは決まったのか?」

「……近く結婚する予定だからな。昇進記念のパーティーはそこで纏めてやるよ」

 

 私は『有害図書愛好会』以来の友人であるリヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルンに声をかけた。このサロンの参加者で、現在アムリッツァに赴任しているクルトと同じく、最も親しい友人の一人だ。

 

「結婚か……。確か相手はクロプシュトック伯爵の令嬢だったな」

「ああ……そうだリヒャルト。ついでに紹介しておきたい人が居るんだ。私の養父上となるカミル・フォン・クロプシュトック伯爵閣下だ」

 

 私がそう言うと共に養父上が進み出て右手を差し出した。握手の構えだ。一昔前なら決して許されない無礼だったが、最近では『開明的』であると自負する貴族たちの間で流行し始めた。

 

「カミル・フォン・クロプシュトックだ。初めましてリヒャルト君」

「ノイエ・バイエルン伯爵家嫡男のリヒャルトです。御令嬢とアルベルトの結婚を心から祝福させていただきます。アルベルトとは十年来の付き合いで……」

 

 養父上とノイエ・バイエルンが話し始めた。私はその間適当な相槌を打ちながらサロンを眺める。鹿撃ち帽とパイプに虫眼鏡を持っているのはサロンの主であるブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵だ。根っからの『探偵趣味者(シャーロキアン)』である彼はサロンにおいて常にホームズの仮装に身を包む。

 

 ちなみに、彼にはこんなエピソードがある。二年前に同好の士から寄付を募り、自費で『シャーロックホームズ全集』の出版を強行したのだが、出版に際しては他の本と同じように内務省情報出版統制局が検閲を行うことになっている。そこで情報出版統制局はヴェストパーレ男爵にその内容を大幅に変えるよう迫ったのだが、ヴェストパーレ男爵は猛反発。伝手を通じて情報出版統制局に圧力をかけ、ついに帝都オーディンに限るとしながらも、ほぼ無検閲での出版に漕ぎ着けたという。

 

「養父上、ヴェストパーレ男爵の身が空いたようです。挨拶に向かいましょう」

「おお、そうか。ではリヒャルト君、是非アルベルト君とコンスタンツェの結婚式に出席してくれ」

 

 私は養父上と共にヴェストパーレ男爵の下へ向かう。サロンの主に真っ先に挨拶するのは当然の礼儀である。が、ヴェストパーレ男爵はバルトバッフェル子爵ら数名と神聖ローマ帝国史に関して議論している様子であり、仕方なく先に知己であるリヒャルトの下へ向かったのだ。

 

「ふむ、アルベルト君か。先程コンラートの奴が神聖ローマ帝国が末期において宗教による衆愚政治に陥っていたと主張していてな……その権威は今の時代で考えられているような絶対的なモノではなく……」

 

 私の顔を見るなりヴェストパーレ男爵はまくし立ててきた。私は適当にあしらうと養父上を紹介する。

 

「ほう!クロプシュトック閣下が地球史に興味があるとは知らなんだ。しかし一口に地球史と言っても様々な時代・地域がありましてな……。閣下はどのような時代に興味があるのですかな?」

「イタリア統一史ですな。その詳細を残す資料は殆ど残っていませんが、我が家には興味深い蔵書がありましてな……。何でもイタリアには数百種類を超えるパスタが存在したとか」

「ほう、パスタですか」

「ええ、このパスタの分布はどうやらイタリアの歴史と密接に関係していましてな。特に新大陸と呼ばれる地域の……」

 

 ヴェストパーレ男爵は必ず初めてサロンに来る人に同じ質問をする。「どのような時代に興味があるのですかな?」と。養父上もそのことは知っていたのだろう。澱みのない口調でヴェストパーレ男爵にイタリア史とパスタの関わりについて説明している。この様子を見ると、あらかじめ予習してきたのだろうが、元々地球に興味があったのかもしれない。

 

 その後も数人に養父上を紹介したが、養父上は地球史に対しそれなりの知識を持っているようだ。私は頃合いを見て養父上の側を離れた。この様子ならば私が居なくてもサロンに溶け込めるはずだ。流石は海千山千の貴族というところか。

 

「お疲れさん。それと結婚・昇進おめでとう」

 

 いきなり背後から肩に手を回された。友人の一人であるラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンの仕業である。ラルフは特に地球趣味者では無かったが、やはりクルトの勧誘でこのサロンに出入りするようになっていた。

 

「昇進は君もだろう?来月から宇宙軍中佐だってね」

「……辺境勤務だけどね」

「ガイエスブルクが辺境ならリューベックはどうなるんだ」

 

 ラルフは緑色軽騎兵艦隊司令部情報参謀を務めていたが、次の人事異動でガイエスブルク要塞防衛司令部情報副部長に転属することに決まっている。

 

 このサロンにはクルトの勧誘によって少なくない知己が出入りしている。勿論、それだけでなく、このサロンで新たに出来た知り合いも居る。私はラルフや知人たちと談笑しながらヴェストパーレ男爵邸での一時を過ごした。彼らの地球史理解は時に唖然とするレベルだったが……それでも私は地球の話を他人と出来ることを楽しんでいた。既に失った、遠い過去の記憶ではあるが、それもまた確かに「私」を構成する一部分なのだ……。

 




注釈17
 『探偵趣味者(シャーロキアン)』とは地球趣味者の中でも特に探偵小説を好む者たちを指し、帝国・同盟問わず一定数が自らを『探偵趣味者(シャーロキアン)』であると考えている。

 語源は地球時代の探偵小説の主人公、シャーロック・ホームズであるとされる。ブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵のサロン、『ベイカー街不正規連隊《ベイカー・ストリート・イレギュラーズ》』の元ネタも同探偵小説に登場する組織である。

 「国境を超えて分かり合えるのは麻薬組織と『探偵趣味者(シャーロキアン)』だけ」「国や思想が滅びても『探偵趣味者(シャーロキアン)』は滅びない」というクルト・フォン・シュタイエルマルクの言葉は一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

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