アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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少年期・シュタイエルマルク提督の秘密(宇宙歴751年4月~宇宙歴751年8月27日)

 突然だが、諸君は帝国軍幼年学校と帝国軍士官学校の違いを説明出来るだろうか?歴史家諸君には簡単だろうが、一般人諸君、特にサジタリウス腕の諸君には難しい問いだと思う。

 

 幼年学校とはその名の通り、一一歳から一五歳までの五年間、将来の尉官・佐官候補を教育する機関である。基本的に下級貴族や裕福な平民向けの機関であり、私のような帯剣貴族が通う学校ではない。一方士官学校は一六歳から二〇歳の五年間、将来の佐官・将官候補を教育する機関である。第二次ティアマト会戦までは貴族のみが入学を許されていた。士官学校のルーツは銀河連邦の士官学校であり、帝国建国当初から存在するが、幼年学校は晴眼帝・マクシミリアン=ヨーゼフ二世帝の時代に、ダゴンの人材損失補填を名目として帝国軍内部改革の手段として設置された。

 

 さて、ここまでの文章に異論のある者も居るだろう。それならばラインハルト・フォン・ミューゼルはどうなのか?イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンは?彼らは下級貴族かもしれないが、立派な将官になったではないか、と。そして彼らの伝記には幼年学校で彼らを見下すいけ好かない上級貴族が出てくるじゃないか、と。それらの話が嘘かというと、そういう訳でもない。

 

 幼年学校は第二次ティアマト会戦以前は確かに下級貴族、平民向けの教育機関だった。帯剣貴族がここに通うことは恥と言っても過言では無かった。しかし、第二次ティアマト会戦における人材の大規模損失はそんなことを言っている余裕を軍と帯剣貴族から奪ったのだ。すなわち、少しでも早く帝国軍は失った人材を補いたいし、帯剣貴族たちは軍における影響力を維持したい。必然的に、士官学校よりも任官の年が早い幼年学校に子弟を送るようになった。同時に士官学校の平民入学禁止が解除されたのだ。

 

 しかし、幼年学校で教えられることは士官学校よりレベルが低い。ラインハルトやトゥルナイゼンのように実力(と少しのコネと幸運)で上り詰める例外は居るにせよ、基本的に幼年学校上がりにも関わらず、身分のゴリ押しで将官に上り詰めるような奴はロクなのが居なかった。それでも帯剣貴族ならばまだ軍人として最低限の心構えが出来ていたが、第二次ティアマト会戦後、「今がチャンス!」とばかりに幼年学校に殺到してきた領地貴族の連中はそれさえできていなかった。ああいう手合いは軍人を犯罪者か何かと勘違いしているらしく、問題しか起さなかった。本当に忌々しい連中である。

 

 一方、平民上がりで将官になるような奴は基本的に士官学校を出てコツコツと地位に見合う能力と経験を得ながら昇進してくる。まあ、貴族の威光に縋る奴も居たが、それにしたって最低限の実力が無いと縋っても冷たく振り払われるだけだ。貴族将官=無能、平民将官(下級貴族含む)=有能というような図式が生まれ始めたのは第二次ティアマト会戦がきっかけだった。

 

 さて、私もまた、幼年学校に放り込まれたのだが、ライヘンバッハ家の場合は父が健在であるから本来焦る必要は無い。しかし、ディートハルト従兄上が既に軍人となっている以上、大功を立てて逆転されるという事もあり得る。父上が健在な内に、ディートハルト従兄上が家督を継ぐ目を無くすためには、私が軍人として一角の人物になっている必要があった。

 

 そういう訳で宇宙歴七五一年四月、私は帝都オーディンの幼年学校に入学することになる。その経験は私にとって得難いモノであったが、詳しく振り返る前に、「クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督暗殺事件」について書いておこう。

 

 諸君は宇宙歴七五一年一〇月二九日に起きたミヒャールゼン暗殺事件についてどこまで知ることが出来ているだろうか?まあ、恐らくは私がこの本を書いている時と何ら状況が変わっていないことだろう。故に結論から先に言ってしまおうと思う。ミヒャールゼンは暗殺などされていない。彼は自殺したのだ。

 

 

 私にとって、事件の始まりは幼年学校でクルトと出会ったことだと言って良いと思う。クルト・フォン・シュタイエルマルクはハウザー・フォン・シュタイエルマルク提督の息子であり、そして私の生涯の友である。あれは入学から一月程経った頃だっただろう。前世の感覚を引きずっている私は(それで納得できない者は生まれつき正義感が強かったとでも解釈しておくように)身分制を色濃く残している幼年学校での生活に馴染むことが出来ていなかった。

 

 当然だろう。第二次ティアマト会戦以前と同じように裕福な平民や下級貴族が入学してくる一方でやたらプライドが高い帯剣貴族のボンボンと、プライドが高いだけではなく品格……というか理性を有していない領地貴族の馬鹿息子共が殺到してきているのである。当時の幼年学校の雰囲気は殺伐としていた。タップファーではほぼ屋敷暮らしだった私は、ここで初めて生の身分制に触れた訳である。

 

 そんな私と同じように、クルトもまた孤立していた。……いや、孤高を保っていたと言った方が良いか?同じ孤立でも私とクルトでは何かが違っていた。シュタイエルマルク提督の息子ということもあって、私はクルトの事が気になっており、話しかけるチャンスを待っていた。ある日、木陰で彼が読んでいる本を見た時、そのチャンスが来たと思った。

 

「ふーん、トマス・ホッブズか……『万人の万人に対する闘争』で有名だけど……『リヴァイアサン』というのは聞いたことが無い本だね」

 

 私はそう言ってクルトに声をかけたが、どこか白々しかったかもしれない。何故なら『リヴァイアサン』を知らないと言ったのは嘘だ。むしろ『リヴァイアサン』こそホッブズの著作であり、『万人の万人に対する闘争』というのはホッブズの思想をゴールデンバウム朝に都合よく解釈した偽物である。

 

 トマス・ホッブズは西暦時代の哲学者、あるいは思想家だ。ゴールデンバウム朝御用達の共和主義者と言っても良い。私が前世で知る限りにおいて(あるいは歴史本を読み漁った限りにおいて)、彼は単純な絶対王政支持者では無かったはずだが、ゴールデンバウム朝はこの偉人の名前を借りて、大帝ルドルフの権力簒奪を『共和主義的に』正当化しているのだ。同じような例はいくらでもある。

 

「だろうね。『リヴァイアサン』は歴史から抹消された本だ。内務省の発禁対象本にすらなっていない。何故だかわかるかい?」

 

 クルトは私の方を見もせずに問いかけてきた。私には分かる気がした。

 

「トマス・ホッブズには『模範的な』共和主義者で居てほしいから……かな?」

 

 『リヴァイアサン』は様々な解釈が出来るが、それでもあまり(正しい意味での)共和主義者受けの良い本ではない。当然、同盟でも帝国内の共和主義勢力でもほとんど評価されていない、というか知られていない。一方、内務省にしてみれば、ゴールデンバウム朝を正当化する偉大な学者の書いた別の本を発禁処分にしては、その学者のゴールデンバウム朝を正当化する主張自体が説得力を失ってしまう。『リヴァイアサン』が共和主義思想のバイブルとして祭り上げられる可能性すらある。幸い、今の所共和主義者たちからもあまり知られていないのだから、『無かったこと』にしてしまうのが一番楽なのだ。

 

 クルトは少し驚いた顔をしてこちらを見た。

 

「君は歴史に興味があるのかい?えーっと……ライヘンバッハ君だったかな?間違っていたらごめん。しかし君も人が悪いな……その回答が出来るという事は、君も『リヴァイアサン』を読んだことがあるんだろう?」

 

 その言葉を聞いて私は思わず「あ」と間抜けな声を出してしまった。その通りであった。私は6年前から成長していなかったらしい。クルトの父親に対しても同じような失敗をしたというのに。

 

「ははは……。読んだことは無いんだけどね。ただホッブズは単純な王党派じゃなくて、例えば平等を……」

 

 そこまで言った所で私は気づく。ちょっと喋りすぎた。こんなところで堂々と『リヴァイアサン』を読んでいる人間とはいえ、ほぼ初対面だ。

 

「トマス・ホッブズは『模範的な』共和主義者だ……そうだろう?」

 

 クルトは少し笑みを浮かべながらそう言った。六年前に見たシュタイエルマルク提督の笑みに似ている、と思った記憶がある。

 

「そうだね……その通りだ。彼は『模範的な』共和主義者だ。陛下に楯突く不埒な輩とは違って、ね」

 

 私もそう言った。それでこの話は終わった。私とクルトはそれから他愛の無い話を少しして別れた。しかし、別れ際、彼は私にこう言ってきた。

 

「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ」

「え……」

「覚えておいたら良いよ、君ならこの言葉を役立てることが出来るかもしれない」

 

 そう言ってクルトは私の前から立ち去ろうしたが、私はそれを引き止めた。

 

「待って!……君のお父さんも同じことを言っていたけど……どういう意味なんだい?」

 

 そう尋ねるとクルトは驚いた。

 

「父が?……いや、正直、僕もこの言葉が何の役に立つのかは分からないんだ。ただ、父から『もしも、幼年学校で開明的な価値観を持ち、尚且つ信頼できる人間に会ったらこの言葉を伝えなさい』と言われて……。というか、いつ父と会ったんだい?」

「六年前だから帝国歴四三六年かな?僕の父、カール・ハインリヒが君の父上の艦隊で副司令官を務めていたのは知ってるよね?」

「え」

「まさか……知らなかったの?」

 

 今度は私が驚く番だった。

 

「あ、ああごめん。そう言えばそうだった……かも?君は本当に人が悪いな……。もっと早く教えてくれても良いじゃないか!」

「えー……」

「父さんと知り合いだったのか、それなら今度家に来ないか?丁度良いことに先日父さんも出征から帰ってきたんだ。父さんが趣味で集めた地球時代の資料もある。『リヴァイアサン』を知っているくらいだし、君も興味はあるんだろう?」

 

 何故私がクルトから怒られたのか、今でも納得がいかないが……。私はクルトの誘いを受けることにした。地球時代の資料というのに興味をそそられたし、五歳の頃会ってから、私はシュタイエルマルク提督に憧れていた。父がダメな訳じゃないが、シュタイエルマルク提督はよりスマートで威厳があって……まあ格好良かったのだ。決して父がダメな訳ではないが。ただ酒を飲んで悪態をついている姿を、あるいは酒を飲みながら黙り込んで時に泣いている姿を「格好良い」と評することは……いくら身内でも難しい。

 

 

 結局、色々あってシュタイエルマルク邸を初めて訪れた頃には六月になっていた。シュタイエルマルク邸、というよりライヘンバッハ家も含む帯剣貴族の邸宅はほとんどが帝都オーディンと同じくゲルマニア州に存在するメルクリウス市に存在する。

 

 メルクリウス市はオーディンのすぐ東隣にあり、統帥本部、宇宙艦隊総司令部、兵站輜重総監部、赤色胸甲騎兵艦隊司令部、憲兵総監部、幕僚総監部、科学技術総監部など軍の重要機関が設置されている。なお、軍務省、教育総監部、近衛総監部、首都防衛軍司令部などは帝都オーディンに存在している為、帯剣貴族の中でもそれらの組織に近い一部は帝都オーディンに邸宅を有している。

 

「久しぶりだな、アルベルト君。御父上は元気にされているか?」

  

 シュタイエルマルク提督は六年前に比べてどこか疲れているような印象を受けた。それが単に身体的な疲れなのか、それとも精神的な疲れなのか、一時的な物なのか、長期的な物なのか。六年ぶりに会う私には分からなかった。

 

「ご無沙汰しております。シュタイエルマルク閣下。父は……まあ元気です。」

 

 我が父カール・ハインリヒも第二次ティアマト会戦以降、どこか疲れているような……そんな印象を受けるようになった。酒の飲み方が不健康になったとはいえ、軍人として長年身体を鍛えている。簡単に衰えたりはしない。だが、精神的には一気に老け込んだように思えた。今は黄色弓騎兵艦隊司令官を過不足無く務めているが、かつてのような覇気は感じられない。いつもどこか陰鬱そうな表情をしていた。

 

「そうか……」

 

 シュタイエルマルク提督は私の表情から何かを読み取ったらしく少し憂うような色を浮かべたが、すぐにその色を消して言った。

 

「君は地球時代の資料に興味があるらしいね。良い趣味だ。好きに見てくれ、分からないことがあればクルトに聞いてくれ。それと……資料室は自由に見て良いんだが、資料室の奥にある扉の向こうには貴重な資料が多く置いてあるから、入らないでくれ」

「承知しました、閣下。ところで父から閣下に手紙を預かっているのですが……」

 

 私はそう言いながら手紙を差し出す。

 

「手紙か……なるほど、良い手かもしれない。感謝する、アルベルト君。帰る前に私の書斎に寄ってくれ、クルトに聞けば分かるはずだ。返事を書いて用意しておく」

「承知しました。それでは失礼します」

 

 私は居間から立ち去り、廊下で待っていたクルトと合流した。その後、シュタイエルマルク邸の資料室に入れてもらったが、これが素晴らしいコレクションだった。前世における私の故郷である地域の本もあった。漫画まで置いてあったのは嬉しい誤算だった。正直、私の知っている本など『ファーブル昆虫記』位しか無いのだろうと思っていたが、『三銃士』『緋色の研究』『源氏物語』『罪と罰』『水滸伝』『ハリー・ポッター』『西部戦線異状なし』……私の前世の記憶にもあるような小説も多く蔵書に含まれていた。もっとも、これらの本はあくまで復元らしい。古くてもシリウス戦役後に復刻出版されたような代物しかない。本当に西暦時代から生き延びたような本は博物館で厳重に保管されている。

 

 だがそれにしても、私にとってシュタイエルマルク邸の資料室は天国だった。そこには私が失った日常の残照があった。私はクルトに頼み込み、幼年学校を出るのに時にライヘンバッハの名を使ってまで足繁くシュタイエルマルク邸を訪れた。……その度に父の手紙を携えて。父からシュタイエルマルク提督への手紙はわざわざ幼年学校の寄宿舎にある私の部屋に送られてきた。そして私はそれをシュタイエルマルク提督に手渡していたのだ。そしてシュタイエルマルク提督からの返事を私の手紙として父に送る。そんなことを繰り返していた。だが、蔵書に目を奪われていた私は、そんな不可解な行為を些細な事だと気にしなかった。

 

 とはいえ、そんな頭がお花畑の私も徐々に自分の行動に疑いを持つようになる。きっかけは八月一日のことだった。父からいつものように届いた手紙を見ると、そこには大至急同封されているデータチップをシュタイエルマルク提督に渡すようにと書かれていた。しかし八月の前半は幼年学校のスケジュールの関係でシュタイエルマルク邸に行くことが出来なかった。

 

 すると、八月一八日になって突然、シュタイエルマルク提督が幼年学校を訪問してきた。そこで生徒に対し講義を行った後、クルトに会うという名目で私に近づき、そしてデータチップを渡すようにと言ってきたのだ。シュタイエルマルク提督の目は恐ろしく真剣だった。まるで六年前、父の書斎の前で会ったときのように。

 

 もしかしたら「遅い」と言われるかもしれないが……父とシュタイエルマルク提督に対し、疑念を持ったのはこの時が初めてだった。私が渡したデータチップには一体何が書かれていたのだろう……。

 

 

 

 余談ではあるが……。宇宙歴七五一年八月二七日、パランティア星域会戦において同盟軍の名将ジョン・ドリンカー・コープ宇宙軍中将が、彼が指揮をしたとは思えないほどの精彩を欠いた指揮ぶりでハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ宇宙軍中将率いる帝国軍に惨敗し、三〇万人の戦死者を出し自身も戦死した。私は後にこの戦いの記録を見たが、コープは当初、まるで『帝国軍がその場所に布陣していると確信している』かのような指揮を執っていたように思える。実際の帝国軍は正反対の位置に布陣していたというのに。

 

 さらに言えば、援軍に向かったフレデリック・ジャスパー宇宙軍大将はまるで『コープがどのように負けるか分かっていた』かのような指揮によって、戦勝に沸くシュムーデ艦隊に痛撃を与えている。

 

 ……世の中には不思議なこともあるものだ。ただ……どのような種類の戦いであれ、決して勝利のみを得て理想を実現できるほど甘くは無い、という事では無いだろうか?

 

 そう、我々は敗北によって理想の実現に近づくこともあるのだ……望むと望まぬとに関わらず、な。そして彼は……ミヒャールゼンはその事をよく分かっていたのだろう。




注釈2
 トマス・ホップズは西暦時代の哲学者・思想家である。ゴールデンバウム朝では彼の思想の一部分……つまり、人間の自然状態が無秩序な「万人の万人に対する闘争」であるとすること。自然法がいまだ不完全な存在であるとすること。社会契約を服従と捉えていたことなどを組み合わせ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの権力簒奪を正当化する論拠として喧伝された。なお、その際障害となる部分は抹消され、都合の良い部分を集めて新たに『万人の万人に対する闘争』という本が作り出された。
 その為、自由惑星同盟ではホップズは論ずるに足らない王党派とみなされて居る他、帝国内共和主義勢力でもあまり人気が無かった。稀に彼の本当の著書である『リヴァイアサン』を入手し、彼を共和主義者とみなして称える勢力が無かった訳ではないが、少数派である。
 しかしながら、バーラト自治大学人文学部歴史学科のエリオット・ジョシュア・マッケンジー名誉教授(故人)はかつてホップズを近代的政治理論と位置づけ評価する論文を発表している。マッケンジーは権威ある学者だったが当時は賛同する声が少なかった。近年ではジークマイスター機関のメンバーに影響を与えたこともあり、再評価の動きも出ているがハイネセン記念大学文学部史学科のブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェル教授らは、ルドルフの簒奪を正当化しうる思想であるとして批判している。

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