アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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青年期・アルテナ星域会戦(宇宙歴768年4月12日~宇宙歴768年7月16日)

 宇宙歴七六八年四月一二日から始まったイゼルローン戦役では六月までに二度の大規模会戦を含む無数の武力衝突が繰り返されていた。帝国軍は同盟軍の半分程度の戦力を有していなかったが、回廊の狭隘な地形を活かし各所で同盟軍に痛撃を与えた。

 

 黄色弓騎兵艦隊と第二辺境艦隊はいずれも帝国宇宙艦隊随一の精鋭だ。高い練度と豊富な実戦経験を有している。率いるバッセンハイム大将とパウムガルトナー中将は、シュタイエルマルク提督や父の下で奮戦し、第二次ティアマト会戦後の帝国宇宙艦隊を支えた名将だ。加えて、ミュッケンベルガー少将の下に再編されたドラゴニア特別派遣艦隊は指揮官のカリスマ性と能力に支えられ、実力以上の働きを見せている。

 

 メルカッツ准将やカイザーリング准将は若手とは思えない落ち着いた老練な指揮ぶりを見せる。ノイエ・バイエルン准将やグライフス准将は大胆かつ巧妙な奇襲攻撃を何度も成功させた。私やゼークト准将のような凡庸な将官も率先して前線に立ち勇戦する。

 

 ドラゴニア特別派遣艦隊に大勝を挙げ、さらに遠征軍が軽微な損害で回廊突入を成功させたことで同盟市民の間では楽観論が広がり、反戦運動は下火になりつつあった。しかし、帝国軍の善戦を受け再び勢いを盛り返しつつあった。

 

 とはいえ、同盟軍は苦戦しながらも数的優位を活かし着々と回廊の攻略を進めている。また帝国宇宙艦隊の劣勢によってドラゴニア辺境軍管区の各地上部隊から降伏が相次いでいることから、反戦運動は昨年末程の支持を得ることはできておらず、政府及び遠征軍の足元を揺らがせるほどの力は有していない。

 

 宇宙歴七六八年六月八日、アルテナ星系から六光年程同盟側にあるアルトミュール星系でサミュエル・ジョージ・ジャクソン宇宙軍中将率いる同盟軍第二艦隊とホルスト・フォン・パウムガルトナー宇宙軍中将率いる帝国軍第二辺境艦隊が衝突。同盟軍随一(・・)の勇将がジャクソン中将なら帝国軍唯一(・・)の知将がパウムガルトナー中将だ。二人の能力は拮抗し、艦隊の練度と能力も拮抗していた。士気の優位は第二艦隊にあるが、地の利はアルトミュール星系を知り尽くした第二辺境艦隊にある。

 

 結果として第二次アルトミュール会戦は五日間に渡って膠着状態となる。六月一三日、同盟軍は戦線に第五艦隊を投入することを決定、一方帝国側はドラゴニア特別派遣艦隊を援軍に派遣する。これによって同盟軍二万一〇〇〇隻、帝国軍一万四〇〇〇隻がアルトミュール星系に集まることになった。

 

「クソ!何だこの醜態は!」

 

 ……そしてアルトミュール星系は両軍合わせて三万五〇〇〇隻もの艦艇が戦えるような安定した星系では無かった。不定期に発生する強烈な恒星風、データに記録されていない未探査の小惑星帯、回廊有数の難所は両軍に対し平等に牙を剥いた。

 

「駄目です!司令部と連絡がつきません!」

「閣下!前方の敵艦隊と距離を取らなければ緊急回避システムが……」

「分かっている!だが分艦隊が回頭するスペースがどこにあるって言うんだ!」

 

 ジャクソン、ヒース、パウムガルトナー、ミュッケンベルガー、いずれも文句のつけようがない名将だったが、彼らはそのキャリアの中で恐らく経験したことが無い程の無様な乱戦を許容せざるを得なかった。きっと不本意な決断だったに違いない。

 

 私の第二分艦隊も二度にわたって敵中に孤立した。かと思えば気づけば敵の分艦隊旗艦を射程圏内に捉えていた。あるいは、包囲され降伏勧告を受けたが、実は逆に私の部隊とメルカッツ准将の部隊で敵を挟撃出来る状態だった。そのような凡戦――というよりは無秩序な混乱――が数度の戦線立て直しを挟んで一〇日余続き、やがて戦線に参加した全将兵――特に四人の最高指揮官――の神経を著しく磨り減らした後、これ以上得るモノがない事を悟った両軍は息を合わせたようにアルトミュール星系から後退する。

 

 後世の歴史家は若干の誇張を含んだ上で第二次アルトミュール会戦をこう評する。

 

『前半は数世紀に渡る同盟と帝国の戦史でも五指に入る接戦、後半は数十世紀に渡る人類の歴史でも五指に入る凡戦、後半が酷すぎる故に足して二で割っても凡戦という評価は変わらない』

 

 参戦した人間から言わせてもらえば……辛辣だが的確な評価だろう。

 

 尤も、それはあくまでアルトミュール星系という狭い戦場での話だ。イゼルローン回廊全体に視野を広げれば、フレデリック・ジャスパーは帝国軍を巧妙な罠にかけたといえる。アルトミュール星系が最たるものだが、その他にも回廊の数か所でジャスパーは意図的な膠着状態を作り出した。注目すべきはその立地だ。アルトミュール星系のようにアルテナ星系から殆ど離れていない場所もあれば、ジュール星系のようにかなり距離のある星系もある。つまり、狭い回廊を最大限広く使って帝国軍を分散させたということだ。

 

 その上で自ら第九艦隊を率いてバッセンハイム大将の黄色弓騎兵艦隊にA=二〇宙域で決戦を挑んだ。黄色弓騎兵艦隊は戦力の一部を応援として回廊の各地に派遣しており、本隊は手薄であった。第九艦隊の猛攻に対し黄色弓騎兵艦隊は一時はそれを上回る猛射で応じたが、数時間の後、ジャスパーが予め用意していた別動隊が左翼から黄色弓騎兵艦隊に突っ込み、散々にかき回した。バッセンハイム大将はついに耐え切れず撤退を余儀なくされる。殿を務めたバッセンハイム大将は戦死こそ免れたものの片腕を失う重傷を負う。

 

「帝都の馬鹿どもがようやく中央艦隊の派遣を決めたそうだ。血塗れのバッセンハイム大将が通信画面越しに何人かの高官を怒鳴りつけた……という噂もある。真偽は分からんがな。どうして奴らは手遅れになってからしか動けないんだろうな!グローテヴォール大将の次はバッセンハイム大将、いずれは私の順番も来るのだろうよ!」

 

 ミュッケンベルガー少将はドラゴニア特別派遣艦隊の作戦会議で珍しく苛立ちを露わにした。ミュッケンベルガー少将によると援軍部隊は赤色胸甲騎兵艦隊、黒色槍騎兵艦隊、紫色胸甲騎兵艦隊の三個艦隊で構成され、この内中央地域と辺境地域を隔てるシャーヘン星系に駐留していた黒色槍騎兵艦隊は既にイゼルローン回廊に向けて出立したらしい。

 

 黒色槍騎兵艦隊はオトフリート五世が健在の頃に一度動員され、フォルゲンまで進駐していたが、その死によって皇室財産からの費用拠出が停止したために中央地域への後退を余儀なくされた。しかしながら当時の帝国軍三長官、特に統帥本部総長クヴィスリング元帥が機転を利かせ、ノイエ・シュタウフェン公爵時代に作られた後放置されていた帝国軍シャーヘン基地などを再整備し、黒色槍騎兵艦隊の拠点自体をイゼルローン回廊により近い位置に移転させた。中央地域の中で拠点を動かす分には三長官の代行権限で事足りる。これが辺境となると行軍扱いとなり、皇帝の裁可が必要になってしまうが。

 

 六月のA=二〇宙域会戦で黄色弓騎兵艦隊が大打撃を受けた後、帝国艦隊は目に見えて苦戦を余儀なくされるようになった。いくら回廊の地形を知り尽くしていても戦力自体が足りないのだ。二万隻ちょっとで回廊を守りたいならそれこそヤン・ウェンリーでも連れてくるしかない。……要塞が未完成である以上、ヤン・ウェンリーでも難しいかもしれない。

 

 七月六日、ついに同盟軍の偵察部隊がアルテナ星系に到達する。最早同盟軍がアルテナ星系に雪崩れ込んでくるのも時間の問題だった。唯一好材料があるとすれば、黒色槍騎兵艦隊のアムリッツァ到達だ。アムリッツァからアルテナ星系までは一〇日とかからない。黒色槍騎兵艦隊の到達まで粘れば希望はある。

 

 ジークマイスター機関のアルベルトとしては黒色槍騎兵艦隊に間に合って欲しくは無かったが……帝国軍将官ライヘンバッハ准将としては一刻も早く黒色槍騎兵艦隊に来て欲しかった。矛盾しているのは承知しているが、私が人類の権利と理想に対する責任を有していることは、私が指揮官としての責任を放置して良い理由にはならないだろう。……往々にして前者を優先させることがあったとしてもである。

 

 七月九日、ついに同盟遠征軍がアルテナ星系から三光年の位置に進出する。帝国艦隊はパウムガルトナー宇宙軍中将が最高司令官を務め、ミュッケンベルガー宇宙軍少将が副司令官を務める体制であり、一部が完成しているイゼルローン要塞に艦艇二万一〇〇〇隻が集結している。

 

 イゼルローン要塞はドック機能が優先して整備されており、既に一万隻程度の収容が可能だ。我々が少数ながらここまで同盟軍に対抗できたのはイゼルローン要塞が限定的ながら後方拠点として機能したことが大きいだろう。……尤も他の機能、特に防衛システムの完成度は僅か三〇%に過ぎず、全体でも計画の四〇%程度しか完成していない有様であるが。

 

 七月一〇日深夜、ついにフレデリック・ジャスパー率いる同盟軍三個艦隊(二個艦隊は後方待機)とホルスト・フォン・パウムガルトナー率いる帝国軍二個艦隊強がアルテナ星系で開戦する。アルテナ星域会戦である。要塞の固定砲や通信設備、レーダー設備等の支援を受けることで帝国艦隊は同盟艦隊の猛攻を凌ぎ切ることが目標だ。一方同盟艦隊は黒色槍騎兵艦隊の到着前に勝負を決めるのが目標だ。

 

「砲撃を続けろ!物資は要塞に集積してあるぞ!出し惜しみはするな!」

『御曹司を死なせるなよ!これ以上ジャスパーにくれてやるものなどない!』

『我らの勇気と赤誠を示す時が来たぞ!』

「そうだ!卿らの戦いぶりは全て父に伝えよう!だが死に急ぐなよ!卿らが自身の口で報告するのが一番父を喜ばせるのだからな」

 

 カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ、そしてオスカー・フォン・バッセンハイムが育てた黄色弓騎兵艦隊はハウザー・フォン・シュタイエルマルク、そしてリヒャルト・フォン・グローテヴォールが育てた青色槍騎兵艦隊と並ぶ帝国最精鋭だ。私の分艦隊はそんな最精鋭の先頭で戦っている。私の分艦隊にアスターテ会戦を生き残った旧青色槍騎兵艦隊の一部が加わっていることも将兵にとっては意味深いものがある。

 

 父の指揮を受けていた黄色弓騎兵艦隊の将兵にとって、ライヘンバッハ、そしてシュタイエルマルクの名は崇拝の対象と言っても良い。重傷を負い絶対安静のバッセンハイム大将に頼まれ、私は黄色弓騎兵艦隊の偶像(アイドル)として最前線に身を置くことになった。

 

「左翼の第二艦隊の戦列が乱れました!一部の部隊が突出したようです!」

「ミュッケンベルガー艦隊、第二艦隊に突入します!」

「司令官閣下、恐らく叛乱軍は右翼の立て直しに気を取られるでしょう。中央の我々も押し出す準備をしておきましょう」 

 

 エッシェンバッハ作戦部長が進言する。数分後、黄色弓騎兵艦隊司令官代理を兼任するパウムガルトナー提督から同趣旨の指令が来た。

 

「今だ!前進せよ!」

 

 第二艦隊に突撃したミュッケンベルガー艦隊が後退するのと入れ替えに中央の黄色弓騎兵艦隊が前進し敵を圧迫する。同盟軍の中央を支える第九艦隊は混乱する第二艦隊を庇うために後退出来ない、そのまま黄色弓騎兵艦隊の猛攻を正面から受けざるを得ない。一部を第二艦隊救援に出したこともあり、第九艦隊は押され気味だ。

 

 やがて第二艦隊の混乱が収まってくると同時に黄色弓騎兵艦隊も再び後退し、第九艦隊との間に距離を置く。一連の衝突で第二艦隊は二〇〇〇隻弱、第九艦隊も数百隻の損害を出す。対して帝国軍の損害は軽微だ。七月一〇日から翌一一日にかけての最初の衝突は帝国側に軍配が上がったといえよう。

 

 ジャスパーの指揮、というよりジャスパーの指示を受けた同盟軍全体の動きが精彩を欠いていた。後に知ったところによると、反ジャスパー派のジャクソン中将とカークライト中将のジャスパー元帥に対する不信感が高まっており、それが第一一艦隊の潜在的な反ジャスパー派にも影響を与えていたようだ。

 

 特に第二次アルトミュール会戦後、ジャクソン中将の不満が爆発したらしい。「自分を囮にジャスパーが美味しい所を持って行った」とジャクソン中将は感じたようだ。実際、ジャクソン中将は一個艦隊規模の戦線投入を「アルトミュール星系に大軍を配置するのは逆効果だ」と反対していたのだから、そう感じるのも無理は無いだろう。

 

 七月一二日、損害の大きい第二艦隊が下がり、代わって第一一艦隊が中央に展開、第九艦隊が右翼へと展開した。この日は配置変更直後であることもあって平凡な砲戦に終始した。

 

 七月一三日、同盟軍が全線にわたって攻勢に出る。数の優位を前面に押し出した戦法であり、帝国軍としてはセオリー通りに防御を固める他対処方法がない。帝国軍は初日とは打って変わって大損害を出すが、苛烈な応射は同盟軍にも同等の損害を発生させた。尤も、同盟軍は豊富な予備戦力を有している。翌日には第五艦隊に代わって第三艦隊が、翌々日には第九艦隊に代わって第二艦隊が攻勢に参加する。

 

 帝国艦隊は当初の二万一〇〇〇隻から一万五〇〇〇隻程度にまで撃ち減らされた。黄色弓騎兵艦隊第二分艦隊司令官イーヴォ・バッハマン中将、第二辺境艦隊副司令官ヘルマン・フォン・フォルゲン少将、ドラゴニア特別派遣艦隊第三分艦隊司令官ヨーゼフ・フォン・グライフス准将らが相次いで戦死、私の分艦隊でも第一二特派戦隊司令官代理ミヒャエル・フォン・アイゼナッハ大佐が戦死した他、第二分艦隊副司令官ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト准将が重傷を負い戦線を離脱した。

 

 それでも組織的な抵抗を続けられるのはパウムガルトナー宇宙軍中将の能力もさることながら、中核戦力である黄色弓騎兵艦隊の結束力によるところが大きいだろう。彼らは第二次ティアマト会戦以来続く、帝国軍の苦境を乗り越えてきた強い自負心を持つ。貴族軍人たちは高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を未だ本気で信じ、兵士たちはそんな貴族軍人に進んで命を捧げる。勿論平民将官たちも「黄色」の名前を背負う自身の能力と立場を微塵も疑わずに戦う。

 

 七月一六日、連戦に疲弊した同盟艦隊が一度後退、帝国艦隊は束の間の休息を手に入れた。尤も言うまでもないことだが帝国艦隊の疲弊は同盟艦隊の比ではない。いくら精鋭部隊とはいっても、このままでは遠からず戦線は崩壊する。実際、一五日の攻勢では寄せ集めのドラゴニア特別派遣艦隊が消耗による陣形の乱れからグライフス准将を失い、戦線全体が崩壊しかけた。メルカッツ准将が多大な損害と引き換えに稼いだ一五分により、帝国艦隊は辛くも壊滅を免れた。

 

「司令官閣下!パウムガルトナー提督より命令です。『戦隊級以上の宇宙軍部隊指揮官、及びその第一指揮権継承者。師団級以上の地上軍部隊指揮官、及びその第一指揮権継承者全員は一五分以内に黄色弓騎兵艦隊臨時旗艦シーラスヴォに集合するように』以上です!」

 

 疲れ切った私が部屋に戻ろうとしたその時、シュタインメッツ少尉が走ってきて私に報告した。

 

「何?……参謀長に代わりに行ってもらう訳には……いかないよな、冗談だ」

 

 私は六分程度本気でそう口にしたがシュタインメッツ少尉の諫言を招くことを予想し打ち消した。

 

 指揮権を一時的にレンネンカンプ参謀長に委ね、私は副官のシュタインメッツ少尉、作戦副部長エルラッハ少佐、情報副主任ハーゲン中尉、総務副主任カウフマン中尉、後方副主任ノーデル中尉ら数名の幕僚を連れてシャトルで旗艦シーラスヴォへ向かった。現在第二分艦隊副司令官を代行している第七特派戦隊司令官代理ベルント宇宙軍大佐も向かっている筈だ。

 

「一体何だって言うんだ……」

 

 疲労を滲ませ私はボヤく。私はゼークト准将と共に常に最前線で指揮を続けていた。ゼークト准将が重傷を負い離脱した後は大事を取って少し後退したが、それでも前線に身を置き続けた。頭はずっと鈍い圧迫感を訴えている。リューベック騒乱終結後や軍務省勤務時代に三徹した時よりも酷い倦怠感である。……しかし、会議の場で青ざめた表情のパウムガルトナー宇宙軍中将と共に数人の士官に支えられたバッセンハイム大将が入ってくるのを見て私は気持ちを切り替えざるを得なかった。イゼルローン要塞で絶対安静のバッセンハイム大将がわざわざシーラスヴォまで足を運ぶなど明らかにただ事ではない。

 

「まずは諸卿の勇戦を称えたい。卿らは本当に俺の自慢の部下だ。……特派の者たちもよく戦ってくれた。正直に言おう。経験も浅く、叛乱軍に大敗した卿らを私は戦力に数えていなかった。しかしそれが誤りであったことを卿らはその戦いぶりで証明した。若く優秀な卿らを見て、何とか俺も帝国宇宙艦隊の将来に希望が持てそうだ」

 

 バッセンハイム大将は着席すると徐にそう言った。参謀長ケレルバッハ宇宙軍中将が敬礼の合図を出すタイミングを失い戸惑うが、バッセンハイム大将は気にしない。

 

「さて、連戦で疲れている卿らを集めたのは理由がある。三点、卿らに伝えることがある」

 

 バッセンハイム大将は穏やかな口調で切り出す。横のパウムガルトナー中将は青ざめた表情で俯いている。

 

「一点目。黒色槍騎兵艦隊は既に回廊に突入している。今日中にアルテナ星系に到達し、我々を支援してくれる手筈になっている」

 

 その言葉を聞き幾人かの将官がホッとした表情で溜息をつく。バッセンハイム大将とパウムガルトナー中将のただならぬ様子に皆不安を感じていた。予想よりも明るいニュースに安心したのだろう。……尤も、私も含めて大半の将官はその不安をさらに強めた。黒色槍騎兵艦隊が近づいているのならばそれを大々的に発表すればよい。部隊指揮官に加え第一指揮権継承者まで集める必要は無いだろう。

 

「二点目。残る二個中央艦隊の動員は中止された。……帝国軍上層部はイゼルローン要塞の防衛を断念し、回廊に展開する全艦隊に撤退を命令した」

 

 バッセンハイム大将はそう言い終わった後、堪え切れないといった様子で「クソ」と呟く。居並ぶ将官たちの表情は一様に暗くなったが、意外にも驚きの声は無かった。……皆、心のどこかでそう言うことが有り得ると覚悟していたのだろう。だが、続く言葉に平静を保っていられた者は一人としていなかった。温厚なカイザーリング准将も剛毅なミュッケンベルガー少将も沈着なメルカッツ准将も皆、動揺を抑えきれなかった。勿論私も。

 

「三点目。……帝都オーディンで爆弾テロが発生。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)で行われた回廊救援部隊の壮行会が狙われた」

 

 ……時が止まった。あまりに信じられないその内容に皆言葉を失ったのだ。私も人生の中で十本の指に入るほどの間抜け面を晒していたと思う。驚愕から回復した幾人かの将官がバッセンハイム大将に詰め寄ろうとしたその瞬間、バッセンハイム大将は再び口を開く。

 

「確定した情報だけ伝える。摂政ブローネ大公、財務尚書カストロプ公爵、内務尚書ノイエ・シュタウフェン侯爵、枢密院副議長リンダーホーフ侯爵が即死。憲兵総監クラーマー大将、科学副尚書エールセン退役大将、枢密院議員ノイエ・バイエルン伯爵が死亡。フリードリヒ大公、オーディン高等法院副院長フレーゲル侯爵、幕僚副総監マイヤーホーフェン宇宙軍上級大将が最低でも重傷を負い入院。クレメンツ大公、エーレンベルク侯爵、ブラッケ侯爵らが最低でも負傷」

 

 バッセンハイム大将は淡々と語る。私の視界の端でノイエ・バイエルンが立ちあがって何かを言おうと口を開閉させ、やがて「馬鹿な……」と小さく呟く。枢密院議員ノイエ・バイエルン伯爵は彼の父だ。バッセンハイム大将は気の毒そうにノイエ・バイエルンを一瞥した後、躊躇いがちに続けた。

 

「なお、憲兵総監部は下手人を……ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵らと断定したそうだ」

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈22
 自由惑星同盟の市民は大きく四集団に分けることが出来る。植民系・長征系・解放民・新解放民の四集団である。

 この内、解放民とは帝国辺境地域からその名の通り「解放」された人々であるが、実際にはダゴン星域会戦後に自主的に亡命してきた者たちも含んでいる。
 自由惑星同盟の政界上層部は植民系が、軍上層部は長征系が長年強い勢力を有し、もう一方がそれに対抗する形となっていたが、その状況に風穴を開けたのが七三〇年マフィアであった。

 ブルース・アッシュビーが集めた七三〇年マフィアはジョン・ドリンカー・コープを除き全員が解放民出身者であり、既成勢力との繋がりが希薄であった。(チャンバースも解放民出身者)

 アッシュビーが意図してそういう人間を集めたのか、それとも新進の気風に富む者を集めた結果、「持たざる者」であり、改革志向の解放民出身者を集めることになったのかは不明である。だが、結果としてアッシュビーの死後彼の幕僚たちが解放民の地位向上を目指して動き始めたのは歴史的な事実である。

 フレデリック・ジャスパーやウォリス・ウォーリックが帝国辺境攻撃に積極的だったのは一つには彼らの支持母体である解放民たちが今なお帝国に残された「同胞」を解放することを自分たちの英雄に求めていたことがあるといえよう。また解放民による軍部・政界の掌握……とまではいかないまでも植民系・長征系の牙城を打ち崩すことを二人が目指していたのは間違いない。

 一方で長征系出身者のジョン・ドリンカー・コープは内心はどうあれジャスパーやウォーリックを中心とする解放民勢力に対抗せざるを得ず、やがて古参の解放民系幕僚を遠ざけ、植民系・長征系の幕僚たちを重用していくことになる。パランティア星域会戦におけるコープの大敗は、ジークマイスター機関を巡る暗闘の産物かもしれないが、コープ自身が政治的な期待に拘束されて用兵の柔軟性を失っていたことも一因として挙げられるだろう。

 ただし、解放民系でもファン・チューリンは七三〇年マフィアが「同盟の軍人」では無く「解放民の英雄」として祭り上げられる事を快く思っていなかった。一方で既成勢力への不満は他の解放民と等しく有していたことから、既成勢力に媚びる気にもなれず、軍部の政治的な独立の実現に心血を注ぐことになる。

 ジャスパー・ウォーリックとコープの対立、そして独自路線を進み七三〇年マフィアから距離を置き始めたファン。七三〇年マフィアは急速に崩壊に向かっていくことになる。アルフレッド・ローザスの尽力により数年間にわたって七三〇年マフィアの軋轢は表面化しなかったが、ローザスが精神的に参ってしまい宇宙歴七五〇年に宇宙軍大将で退役すると対立が表面化していくことになる。

 「ローザスがもっと頑張っていれば七三〇年マフィアは解体しなかった」と言う人間も居るが、私としては賛同しかねる。ローザスが文字通り身を削って七三〇年マフィアの維持に尽力していたことは彼の回顧録を抜きにしても客観的に読み取れる事実だ。そもそもアッシュビー亡き後の七三〇年マフィアが(第二次ティアマト会戦で決定的な決裂を迎えたにもかかわらず)五年間に渡って辛うじて集団として成り立っていた事の方が奇跡であり、偉業と言っても良い。

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