アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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とっても大雑把ですが地図を描いてみました。如何でしょうか?


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青年期・秘密捜査チーム(宇宙歴769年2月2日~宇宙歴769年2月14日)

 宇宙歴七六九年二月二日。惑星ニュルンベルク近郊でクロプシュトック侯爵軍がブラウンシュヴァイク公爵軍を急襲し、これを壊滅させた。マリエンブルク要塞駐留艦隊司令官トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将の指揮は際立っており、ニュルンベルクを占領するエルンスト・カルテンボルン率いるブラウンシュヴァイク公爵軍八二〇〇隻を三〇分で敗走させると、救援に集まってきた他部隊を各個に撃破した。

 

 数時間の後、惑星ニュルンベルクには一〇余りの艦隊の残骸と呼ぶべき小集団が残されるのみであり、ニュルンベルクとその周辺に存在していた一万隻余りのブラウンシュヴァイク公爵軍はその半数が撃破され、残り半数も散々に打ち破られることとなった。

 

 この日を境にクロプシュトック侯爵軍は宇宙においても領内の各地で反攻に転ずることになる。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の不仲、そして各貴族部隊の連携不足と練度不足に付け入る形でクロプシュトック侯爵軍は各地で侵攻軍を撃破する。しかし、クロプシュトック侯爵の予想に反し、大損害にも関わらず侵攻軍は中々撤兵しなかった。

 

 理由は二つ挙げられる。良くも悪くも貴族単位で部隊が高い独立性を有している為に他の部隊が損害を受けても殆ど影響が無かったこと。そして後方を預かるシュミットバウアー侯爵らが叛乱の規模を過小に報告していたことだ。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵は愚者であるが無能者ではない。後方での叛乱の規模が適切に報告されていれば、少なくとも戦線の整理と補給線の維持の為に一度部隊を下げたはずだ。

 

 なお、余談ではあるが……、フォイエルバッハ宇宙軍中将と彼の率いる艦隊は紛れもない正規の帝国軍人だ。マリエンブルク要塞の帝国軍人はクライスト宇宙軍中将を始め、その殆どがクロプシュトック侯爵家に取り込まれている。フォイエルバッハ中将率いる駐留艦隊はその抑えとして配置されており、彼らまでもがクロプシュトック侯爵家側に付くのは帝国軍上層部にとっては予想外であった。

 

 クロプシュトック侯爵家側はあくまで「君側の奸に陥れられた」と主張しており、侵攻軍への抵抗も「大規模な強盗集団に対する警察権の行使」であり、「皇帝陛下に弓引く行為は何一つ行っていない」という立場だ。フォイエルバッハ中将ら駐留艦隊はこの見解を支持し、クロプシュトック侯爵の指揮に従うことを表明している。背景には数年来続いていたブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵によるクロプシュトック侯爵領への破壊工作が原因で正規軍人の間でも両巨頭に対する不信感が強まっていたことが挙げられるだろう。

 

 

 

 

 

 宇宙歴七六九年二月四日。クロプシュトック討伐戦においてクラウス・フォン・トラーバッハ伯爵が高位貴族としては初めて戦死したこの日、私はコンラート・フォン・ランズベルク民政局福祉課長と面会していた。

 

「ああ、ファイネン掌典次長に黒いセラミック・ケースを渡したのは私だよ。それがどうしんだい?」

「ランズベルクさんは何故掌典次長にケースを渡そうと思ったんです?」

 

 リューベック騒乱の後に中央に戻った彼は領地貴族出身の官僚として実家やブラウンシュヴァイク一門の支援を受けて高位に登り詰める……はずだった。しかし、あまりにもポンコツ過ぎて再び福祉課長という閑職に回されている。流石、名門ランズベルク伯爵家出身者でありながらド辺境リューベックに左遷された男は一味違った。

 

「ああ、あのケースはね?来賓席のアンドレアス公爵閣下の席に置いてあったんだよ。でもほら、アンドレアス公爵閣下は宰相代理で国務尚書であらせられた。だから殆ど来賓席の方には来ないで主催者側のブローネ大公殿下や軍務尚書アイゼンベルガー元帥閣下の居るあたりで話しておられたんだ」

 

 ランズベルクの証言は現場の状況と合致している。アンドレアス公爵はブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵を嫌っている。来賓席には彼らやその縁者が少なからず存在していた。その為にパーティーを主催する摂政ブローネ大公、キールマンゼク宮内尚書、アイゼンベルガー軍務尚書らと常に行動を共にし、来賓席には近寄らなかった。

 

「このままだと公爵閣下がケースを置き忘れるかもしれないし、誰かが間違って持って帰ることも無いとは言えない。まあ、とにかく不用心だと思ったからね。一応アンドレアス公爵閣下に届けておこうと思った」

「何故自分で行かなかったのです?」

「そりゃあ君……。私は民政局の一課長だし、爵位も男爵だよ?国務尚書で公爵のアンドレアス閣下に直接届けるなんて畏れ多いじゃないか。だからファイネンに頼んだんだが……」

 

 そこでランズベルクは悔恨の表情を浮かべる。

 

「爆発の中心は主催者席側だったそうじゃないか。彼には本当に悪いことをしてしまった……。私が彼にケースを届けることを頼まなければ彼は死ななくて済んだかもしれない。彼にこんな無残な死に方は相応しくなかった。……クロプシュトック侯爵を私は絶対に許せない!」

 

 ファイネン掌典次長もブラウンシュヴァイク一門の出身で、官僚貴族の巣窟である侍従職に食い込もうとしていた人物だ。同じような境遇であるランズベルクとは以前から面識があったのだろう。ランズベルクは無能の極みだがその人柄からか友人は少なくない。私やメルカッツ少将、アーベントロート少佐との交友関係すら未だに続いているのだ。

 

「なるほど……。貴重な証言を有難うございました」

「私の証言がクロプシュトック事件の真実を明らかにする助けになるのならこれに勝る喜びは無い。ファイネンの仇を取ってくれ!ライヘンバッハ君!」

「全力を尽くしましょう」

 

 

 

 

「……以上が内務省民政局福祉課長、コンラート・フォン・ランズベルク男爵の証言です。補足しますと、ランズベルク男爵は先代のランズベルク伯爵の三男ですが、能力の欠如故にあまりランズベルク一門、またブラウンシュヴァイク一門からは信頼されておりません。しかしながら、個人的な人柄の評価に関しては別であり、兄である当代のランズベルク伯爵と良好な関係を築いてはおります」

 

 私は報告を終えて自分の席に座る。

 

「……つまりランズベルク男爵の証言に裏は無く信頼はできる、ということかね?」

「私個人としてはそう考えております。門閥や派閥から何らかの干渉を受けた結果の証言では無いでしょう。……彼は嘘をつける人間でも無いですしね。とはいえ、勿論裏取りを試みる予定です」

 

 私は質問者である無任所尚書マティアス・フォン・フォルゲン伯爵に向き直って答えた。フォルゲン伯爵は唸った。

 

「大分見えてきたな……。少なくともウィルヘルム……失礼、クロプシュトック侯爵が黒幕という結論は間違いだ」

 

 旧リヒャルト大公派の一人であるが、リッテンハイム侯爵への牽制を担う貴族の一人である為に、クレメンツ一世の意向で粛清リストから外されたカール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵が勢いよくそう断言する。

 

「……一度整理しましょう。まず憲兵総監部の発表はこうです。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)のテロはクロプシュトック侯爵によるもの。目的はクレメンツ大公を含む対抗勢力の暗殺。また同時にリヒャルト大公派の盟主であるアンドレアス公爵らを排除することで派閥内の主導権を奪取しようとした」

 

 軍務省官房審議官インゴルシュタット中将が発言する。彼はこの会議……つまり、内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の指示でクロプシュトック事件を再捜査し、その全容を明らかにすることを目的として結成された秘密捜査チームを事実上指揮する人物であった。

 

 出席者の地位としては無任所尚書フォルゲン伯爵が最も高いが、彼は後見人としての立場で出席している。またリューネブルク伯爵もそうだが、彼らは自身が所属している集団からこのチームに送り込まれた見届け人、あるいは証人である。彼らはチームの捜査結果の信憑性と正当性を担保する役割を担っているのだ。

 

「爆発物はクロプシュトック侯爵が会場内に持ち込んだ杖であり、クロプシュトック侯爵はこれを秘密裏に閣僚席の近くに設置し、頃合いを見計らって起爆した。この爆発を前にクロプシュトック侯爵派の主だった者は会場を去るか、閣僚席から遠ざかっており、このこともクロプシュトック侯爵の犯行であることを示唆している。なお、憲兵総監部は結局証拠不十分として立件しませんでしたし、公的にはそのような疑いがあったことも伏せられていますが、リヒャルト大公がクロプシュトック侯爵の犯行に関与していたことを憲兵総監部は示唆しています」

「このことでリヒャルト大公殿下は帝位継承者として完全に失墜した。陰謀家のレッテルを張られた訳だ。生き残った支持者の半数はクロプシュトック侯爵に連座して粛清対象となり、もう半数の内さらに半数はリヒャルト大公殿下の支持を止めた」

 

 インゴルシュタット中将の整理をリューネブルク伯爵が補足する。

 

「しかし、実際の所クロプシュトック侯爵の犯行を直接的に裏付けるのはいくつかの『目撃証言』と爆弾が仕込まれていたとされるクロプシュトック侯爵の杖だけ。後は全て状況証拠です。極めて杜撰な捜査だ……。同じく司法に携わる者としては許せませんね」

 

 内務省保安警察庁公安部長のシュテファン・フォン・ハルテンベルク伯爵が発言し、その場にいたメンバーが同意の声を挙げる。

 

「……そして、我々の再調査では別の筋書きが見えてきました。まずは近衛の証言です。彼らはクロプシュトック侯爵の杖が危険物で無いことを入り口で確認したと言い張っている。憲兵総監部はこれを責任逃れと切って捨てているが……ブレンターノ憲兵大佐」

「はい、小官が憲兵総監部で発見した監視カメラの映像には近衛兵がクロプシュトック侯爵の荷物、勿論杖も含めて検査を行っている光景が映っておりました。近衛兵が仕込み爆弾に気づかなかった可能性もありますが……」

 

 捜査チームの一人であり、私の元部下であるブレンターノ憲兵大佐が発言しながら、隣に座るハルテンベルク伯爵を見る。彼は現在憲兵総監部警保局に復帰しているが、そこから捜査チームに協力している。いわばスパイだ。

 

「だとしても、グリューネワルト公爵閣下の協力を得て我々が現場検査を行った結果、爆心地と杖の放置されていた位置には明らかなズレが存在しました。近衛兵がミスをしたと考えてもこの矛盾は解消できません」

 

 ハルテンベルク伯爵はブレンターノに頷きながらそう答えた。

 

「その通り。そしてそこで出てくるのがライヘンバッハ少将が集めてきた証言です。ランズベルク福祉課長からファイネン掌典次長に渡された黒いセラミック・ケース、これを爆弾と仮定すれば現場状況との矛盾は起こらない」

 

 インゴルシュタットは落ち着いた口調で話していたが、そこで一旦言葉を切った。

 

「……さて、この黒いセラミック・ケースは当初アンドレアス公爵の席に放置されていたそうです。もしそのまま爆発していれば、一体誰が犠牲になり、誰が疑われることになったでしょう?フォルゲン閣下、当時の状況を思い出していただけますか?」

「……当時、アンドレアス公爵の隣の席に座っていたのはブラウンシュヴァイク公爵だ。当然、その一門も多くが近くに居た。加えて、カレンベルク公爵・ルクセンブルク公爵・ブラッケ侯爵・エーレンベルク侯爵・私・グレーテル伯爵・ヴァイルバッハ伯爵……まあ、その辺りが居たかな」

「常日頃ならば当然に挙がる名前が無いと思われませんか?」

 

 インゴルシュタットがフォルゲン伯爵に尋ねる。フォルゲン伯爵は苦虫を嚙み潰したような表情だ。

 

「リッテンハイム侯爵・ヴァルモーデン侯爵・シュタインハイル侯爵……。ヘッセンの三候だな?そしてノルトライン公爵も居なかった。思えばあの時、リッテンハイム一門やその派閥の連中はいつも以上に会場中を動き回っていた。おかしいとは思っていたんだがな……まさかそういうことか?」

「アイゼンベルガー元帥はリッテンハイム一門と強く繋がっています。彼が『何か』を見て逃げ出したのは、爆弾の存在を知っていたから……、と考えることも出来ます。アイゼンベルガー元帥と言えば、彼が事件後に幕僚総監という閑職に追いやられたのもおかしな話です。後釜には高々大将に過ぎなかったエーレンベルクが就きました。あるいはブラウンシュヴァイク公爵かエーレンベルク侯爵か……、まあ殺されかけた側の誰かと何か取引があったのかもしれません」

 

 インゴルシュタットの言葉を聞いたフォルゲン伯爵は「俗物共め!……理解できん」と呟く。

 

「話が少し逸れました。誰が犠牲になり、誰が疑われることになったか?犠牲者はものの見事にリッテンハイム侯爵にとって邪魔な人物ばかりだったでしょう。そして犯人と目されるのはアンドレアス公爵。こちらもリッテンハイム侯爵……というかクレメンツ大公にとって邪魔な人物です。当然連座でリヒャルト大公派が大勢消えます。それが最初のシナリオだったのでしょうね」

「私とクラーゼン准将、それにブレンターノ大佐が事件を調べている最中にもそのシナリオの『残骸』は所々で発見出来ました。例えばブレンターノ大佐は『リヒャルト大公とアンドレアス公爵が二か月間で何度も密会を繰り返していた』という情報を纏めた資料を憲兵総監部で発見しました」

「リッテンハイム……何という愚かさよ」

 

 インゴルシュタットを補足する形で私も発言する。リューネブルク伯爵が顔をしかめながら吐き捨てた。

 

「黒幕に仕立て上げようとしたアンドレアス公爵が死んでしまったことで本当の黒幕であるリッテンハイム侯爵、あるいはクレメンツ大公殿下は大いに慌てたことでしょう。そして新たに黒幕を作り上げる必要性が生まれ、偶々爆発の直前に用を足そうと会場を出ていたクロプシュトック侯爵に白羽の矢が立った。しかし、元々クロプシュトック侯爵を黒幕に仕立てる計画では無かったために少なくない派閥要人を取り逃がしてしまった。さらに満足な物証を用意することが出来無かったために我々の再捜査を招いてしまった」

「決まりだな。クロプシュトック征伐をすぐにでも中止させよう」

 

 インゴルシュタットの言葉が終わるなり、間髪入れずリューネブルク伯爵が発言する。

 

「気持ちは分かるがそれは難しい。我々の捜査もまた直接的な物証を欠いている。いくつかの証言の他はブレンターノ大佐が憲兵総監部で発見した『アンドレアス公爵を黒幕と示唆する捏造された資料』、そして保安警察庁科学捜査研究所による現場検証で判明した杖と爆心地の位置的なズレ……。これでリッテンハイム侯爵を告発するのは難しい」

「そうでしょうか?状況証拠の積み重ねですがこれだけ揃っていればクロプシュトック征伐を止める位は可能では?」

 

 フォルゲン伯爵の見解にハルテンベルク伯爵が異を唱えた。

 

「無理筋でしょうな……。既に帝国はクロプシュトック侯爵を黒幕とする方向で動き出しております。今更『そうではなかった』と間違いを認めるのは至難の業だ。……やはり別の黒幕が居るという動かぬ物証が必要です。特に今回の場合はクレメンツ一世陛下としても真相を明らかにされたくは無いと思っているでしょうからな……」

「馬鹿な!ならばここまでの捜査は一体何だったというのだ!」

 

 内務尚書政務補佐官のヴィルフリート・グルックが述べた悲観的な見解に対し、リューネブルク伯爵が食って掛かった。

 

「……とにかく、捜査の進展に関しては尚書にお伝えしておきます。皆様には物証を探していただきたい。物証があれば望みはあります」

「……インゴルシュタットでもライヘンバッハでもハルテンベルクでも誰でも良い!何とか物証を見つけ出せ!」

 

 リューネブルク伯爵が私たちに向けて叫んだ。その表情は必死である。

 

「現在ブラッケ派は総力を挙げて帝国正規軍の出動に抵抗しています。しかし、ブラッケ侯爵閣下は大義で動く方ですが、その他の方も同じとは限りません。例えば、穏健派の一部は逆に正規軍を早めに出動させ、クロプシュトック侯爵領の重要地域を先に制圧するべきだと考え始めています」

 

 グルックは私たちにそう説明する。開明派でも意見が別れ始めているらしい。クロプシュトック事件の不正捜査疑惑を徹底追及したいブラッケたちとは違い、クロプシュトック侯爵領の権益を重視する一派が居るようだ。彼らは「ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムがクロプシュトック侯爵領全域を制圧するのは悪夢だ、そうなるくらいならさっさと正規軍を出してしまった方が良い」と考えている。

 

「あまり時間的猶予は無いということですか?」

「残念ながらそういうことになります」

 

 ハルテンベルク伯爵の質問にグルックはそう答えた。

 

「……まあ、結局これまでとやることは変わりません。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の真相を明らかにする。その為に物証を見つけ出す。それが我々の役目です」

 

 インゴルシュタットが最後にそう纏め、会議は解散した。

 

「アルベルト君」

「これは……フォルゲン伯爵閣下。如何なさいました?」

 

 私が秘密捜査チームの拠点となっているリューネブルク伯爵の別邸を後にしようとすると、そこでフォルゲン伯爵に呼び止められた。

 

「いや、御父上はご壮健かと思ったのでね」

「父上ですか?そうですね……ここ数年少し塞ぎがちでしたが、枢密院議員になってから少し元気になりました」

 

 私がそう答えるとフォルゲン伯爵はニヤリと笑う。

 

「卿の御父上は大の領地貴族嫌いだ。そして枢密院は領地貴族の巣窟。常人なら嫌になる所だろうが、卿の御父上にとってはむしろ望むところだろうな。思う存分舌戦を交えることが出来る」

「望んではいないと思いますけどね」

 

 私はフォルゲン伯爵の言葉に苦笑する。

 

「ところで卿の上官はバッセンハイムだったな?」

「はい、回廊戦役で縁が生まれ、そのまま補佐に就いております」

 

 間違ったことは言っていない。実際はバッセンハイムにも私にも閑職に回される理由があっただけに過ぎないが、同じ部署に配置されたのは回廊戦役で面識が出来たことが全く影響していない訳では無いだろう。

 

「バッセンハイムと言えばライヘンバッハ元帥府きっての猛将として知られていた。軍務省のデスクワークなどあの猪武者には合わん。卿もそう思わんか?」

「……戦場で最も輝く方だとは思っております」

 

 私は無難に答えながらも言外にフォルゲン伯爵の見解に同意した。

 

「そうだろう。バッセンハイムに伝えてくれ。『さっさとフォルゲンに来い、何なら儂の領軍を任せてやっても良いぞ』とな。卿にだから言うが、実を言うとシュタイエルマルクとうまくやっていく自信が無くてな……。まだあの猪の方がマシだ」

 

 フォルゲン伯爵はそうボヤいた。去年の暮れからシュタイエルマルク元帥は宇宙艦隊副司令長官として三個辺境艦隊と二個中央艦隊の指揮権を委ねられ、フォルゲン星系に赴任した。そして前線地帯に踏み止まる貴族の中で一番の大物がフォルゲン伯爵だ。辺境防衛では両者の協力関係が重要となる。我が父とフォルゲン伯爵は割と波長があったのだが、シュタイエルマルク元帥とフォルゲン伯爵はあまり上手くいっていないようだ。

 

「承知しました。バッセンハイム大将閣下にお伝えしておきます」

 

 

 

 

 

 

 私はフォルゲン伯爵と別れ、平民用の玄関に向かった。全員が全員、仰々しい車で集まっては目立つ。私は上級平民の弁護士に扮して地下鉄を利用してリューネブルク伯爵家別邸を訪れていた。帝都オーディンとその周辺には古風な蒸気機関車が走っているが、これは上流階級向けの鉄道であり、平民や下級貴族が通勤や通学に使う地下鉄が別で走っている。

 

 地上を走る鉄道とは違い地下鉄は機能性を重視した構造だが、あまり設備の更新がなされておらず、小規模なトラブルが頻発し、「ダイヤは努力目標」と揶揄される有様だった。しかし財務尚書リヒター子爵と内務尚書ブラッケ侯爵が国営蒸気鉄道の予算を縮小し、浮いた予算の一部で国営地下鉄道の再整備に乗り出した為に、最近では状況が改善しつつあった。

 

「遅かったな、ラッシュ」

「フェデラーさん……。私を待っていたのですか?」

 

 私がリューネブルク伯爵家別邸から最も近い国営地下鉄道キルヒプラッツ駅に入ると、そこではインゴルシュタットが待っていた。ピークの時間を過ぎており、帝都の中心地から少し距離があることから、利用者の姿は疎らだ。

 

「これからのことについて話したくてな」

「……例の件ですか?」

 

 私とインゴルシュタットは改札口を通り、プラットフォームまで降りる。

 

「ああ、森は動きそうか?」

「やはり無理でしょう。あの森は普通です。どこまでも普通な森です。森は静寂と安寧以上の何かを欲してはいません」

 

 森、とはグリューネワルト公爵を指す隠語だ。クレメンツ一世の支配体制は遠からず破綻する。それはジークマイスター機関の総意と言って良い。そのタイミングでどう動くかについて、機関ではいくつかの意見が出されていた。その内、インゴルシュタット……より正確に言えばジークマイスター機関の一部が練っているのがグリューネワルト公爵こと第二皇子フリードリヒを傀儡として担ぎ上げるというシナリオだ。インゴルシュタット自身はそのシナリオを支持している訳ではないが、機関の指導者として実現性を検討していた。

 

 そう、カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットこそが、宇宙歴七六九年からのジークマイスター機関指導者である。少なくとも私が把握している限りでは四代目ということになるか。ジークマイスター、ミヒャールゼン、シュタイエルマルク、そしてインゴルシュタット。

 

 カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットがどのタイミングでジークマイスター機関に参加したのかは私にも分からない。私が知っていることは精々、彼がミヒャールゼン・ラインではなくシュタイエルマルク=ライヘンバッハ・ラインに属する構成員であったということ位だ。彼が機関の構成員であるという事を私が正式に知ったのも宇宙歴七六八年の暮れ、シュタイエルマルク邸に呼び出された時の事であった。

 

 宇宙歴七六八年の後半、回廊戦役の敗北によって軍上層部は辺境防衛を強化する必要に迫られた。そこで名将シュタイエルマルク提督に白羽の矢が立ったのは最早必然であった。当時シュタイエルマルクは退役手続きの最中であったが、急遽手続きが中止され、元帥杖を与えられたうえで辺境防衛の任に当たらされることになったのだ。

 

 ジークマイスター機関として、シュタイエルマルクの栄達は喜ばしい事ではあったが、同時に困った事態でもあった。指導者が辺境に居ては機関の活動に支障が出る。我が父カール・ハインリヒが次の指導者になることも考えられたが、父はこれを固辞し、また世代交代の必要性を訴えた。言われてみれば父は既に五九歳、シュタイエルマルク提督は六二歳である。

 

 そこで父とシュタイエルマルク提督を含む古参のメンバーが後見職に退き、インゴルシュタットや私を初めとする若い世代が新たな指導部に任命された。

 

「そうか。しかし、あの森は人間の思惑で何度も荒らされている。もし森に意思があれば復讐心を抱いてもおかしくないんじゃないか?」

「……こういう環境に居たら忘れがちですけどね。逆境を前に立ち向かえる人間は圧倒的な少数派です。大抵の人間は諦観や絶望に呑まれるものです。そしてそれは罪ではありません。逆境に立ち向かう自由があるように、諦める自由や絶望する自由も保証されなければならない。とはいえ、立ち向かう道標を作ることで立ちあがる人も居るかもしれません。選択の余地が必要です。我々の活動は……」

 

 私はフリードリヒとの面会を思い出しながら滔々と語る。フリードリヒとのパイプを持つのは私だけだ。故にフリードリヒを「焚きつける」役割は私が担っていた。……いや、担わされたというべきか?

 

「ストップだ。ラッシュ。お前の悪癖が出ているぞ」

 

 インゴルシュタットが呆れた表情で私を遮った。私は口を噤む。日頃言いたいことを抑えているからか、同志たちに対して私は饒舌になりやすい。私が話す内容は同志たちから受けが良かったが、私が話しだす状況は同志たちの顰蹙を買うことが少なからずあった。

 

「……まあ、我々には切り札がある。本丸を落とすには至らないが、門扉はぶち抜ける切り札だ。ブラッケには悪いが、これは機関に利益が出るように使わせてもらわないとな。……最悪は取引もアリだ。二代目の成功例に倣いたいものだ」

 

 「二代目の成功例」について私は詳しく知らない。しかし、「二代目」ことミヒャールゼン提督と当時の皇帝オトフリート三世猜疑帝との間で何らかの取引があった可能性がある。私個人としてはアルベルト大公失踪事件あたりで何かあったのではないかと睨んでいるのだが……、まあその辺りは私の管轄外である。私は「正しい地球史」の再構築事業で忙しいのだ。歴史家諸君、君たちが頑張って調べたまえ。ジークマイスター・ミヒャールゼンの頃の活動に関しては私も知らないことが多いのだ。是非私が生きている内に全容を明らかにしてほしいものだ。

 

 会話が一段落した時、プラットフォームに列車が入ってきた。内務政務補佐官グルックが直接民政局を動かして導入した新型車両だ。古くからの財閥でも、貴族の庇護を受けた私有企業でもなく、フェザーンとのパイプを活かしてのし上がってきた新興企業が設計に携わっている。技術の一部は何と同盟産だ。当然、様々な横槍があったが、民政局は一丸となりこの新型車両導入を実現した。

 

 チェリウス民政局長を初めとする民政局員は閑職で燻っていたが、元々は内務省内で改革を志したり、既存の秩序に異を唱えた者たちだ。(ランズベルクのような無能も居るが)彼らはカール・フォン・ブラッケという巨大な太陽とヴィルフリート・グルックという誰よりも誠実で誰よりも勤勉な実務家の姿を見て、かつての在り様を思い出したらしい。

 

 カール・フォン・ブラッケとヴィルフリート・グルックは民政局を生まれ変わらせた。いずれは帝国全てをこのように生まれ変わらせたいと、彼らはきっとそう考えている。私は彼らのように正道を歩む者ではないが、願わくば彼らの理想を共に目指すことを許してほしい。当時の私は停車した新型車両に乗り込みながらそんなことを考えていた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。


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