アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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青年期・リッテンハイム侯爵の失脚(宇宙暦769年2月25日~宇宙暦769年3月2日)

 宇宙暦七六九年二月二五日。帝都オーディンでリヒャルト・フォン・ベーネミュンデ公爵の葬儀が執り行われた。通例で言えばリヒャルトは臣籍降下から間もなく、また現皇帝の兄であることから葬儀は皇族に準ずる扱いとなる。しかし、クレメンツ一世の感情面と、皇族扱いの大葬儀をやっている時間的・政治的余裕が無いという現実面から葬儀は一公爵としての規模にとどまり、帝都に居合わせた主な貴族と帝国軍四長官(・・・)・各部総監・帝都防衛軍司令官等軍の要人、皇帝の代理人として宮廷書記官長が参列するに留まった。

 

 そしてベーネミュンデ公爵の死から間もない宇宙暦七六九年三月二日。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)ユリウス・ツェーザーの間において帝国名士会議が開かれた。今回の名士会議は議題の重要性から一週間の日程が取られている。四年前の前回は五日間の日程だったが一日目からクレメンツ大公が皇帝批判を行ったために以後の日程は全て中止された。なお、今回の主要な議題は下記の五つだ。軽く説明しておきたい。

 

『枢密院による内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵・無任所尚書マティアス・フォン・フォルゲン伯爵・枢密院議員カール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵の解任動議について』

 

 宇宙暦七六九年二月二四日。ブラッケ・フォルゲンの二人が秘密裏に捜査チームを結成し、時にそれぞれの組織を裏切らせる形で――ブレンターノの内偵行為がその一例だ――機密情報にアクセスしていたことを理由に枢密院の貴族たちが解任動議を可決した。皇帝であるクレメンツ一世は当然にこれを拒否する権限があったものの、「枢密院との対立を避けたい、だけど開明派を怒らせたくも無い」という思惑によって、帝国名士会議の場で再度話し合うという(責任逃れ・決断の先送りともいえる)決定を下した。

 

 ちなみに秘密捜査チームの存在が枢密院の貴族たちに発覚したのは、リューネブルク伯爵の暴発が原因だ。二月の新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)西離宮大火で最初に実行犯として疑われたのがリューネブルク伯爵ら旧リヒャルト大公派だった。しかし、リヒャルトが火事で死亡していることが判明すると旧リヒャルト大公派への嫌疑は晴れた。……自分たちの旗頭を暗殺する必要がどこにある?

 

 一時皇宮警察本部に拘束されていたリューネブルク伯爵は枢密院議員に復帰すると、怒りに任せて、西離宮大火の首謀者を「皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の本当の黒幕である」と断じた。そして秘密捜査チームの存在とその捜査状況を明らかにし、「クロプシュトック侯爵の無実と自身の犯行が公になることを恐れ、先手を打ってリヒャルト大公を殺害したのだ!」と主張した。これを受けて、ブラッケとフォルゲンは捜査チームの存在とその捜査状況を公開せざるを得なくなったのだ。しかしながら未だ決定的な証拠も無かったために、枢密院は両名の行為を支持せず、解任動議に踏み切ったという訳だ。枢密院ではブラウンシュヴァイク・リッテンハイム系の力が強かったという事情もある。

 

『司法尚書ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵に対する内務尚書カール・フォン・ブラッケの指揮権発動の是非について』

 

 これはブラッケとフォルゲンが公開した秘密捜査チームの捜査報告書が明らかにリッテンハイム侯爵の犯行を示唆する内容であったことから、リッテンハイム侯爵とブラッケ侯爵・フォルゲン伯爵の間で対立が発生。その結果リッテンハイム派が多数を固めるオーディン高等法院が内務尚書の解任勧告をクレメンツ一世に行った。

 

 これに対抗する形でブラッケは内務省保安警察庁と社会秩序維持局に対し、『ユリウス一世陛下三一号詔勅』・『三二号改訂詔勅』並びに『ジギスムント一世陛下三号詔勅二関スルユリウス一世陛下ノ三号補則』及び『マンフレート二世一一号詔勅』(以上は通称、閣僚法典の一部)に基づく指揮権発動を行い、リッテンハイム侯爵への強制捜査に乗り出した。

 

 これにリッテンハイム侯爵は仰天し、次に激怒し、やがて恐怖した。内務尚書の指揮権発動は極めて強力な効果を発揮する。しかしながら、今までは逆に大貴族の不正を隠蔽する方向で作用し続けてきた。……リヒャルト三世帝の折に当時のノイエ・シュタウフェン大公検挙を目指した内務省と司法省の捜査機関が閣僚の指揮権発動で捜査を断念したのはあまりにも有名な話である。ちなみに、当時の内務尚書と司法尚書に圧力をかけて検挙を逃れたノイエ・シュタウフェン大公家はその後流血帝の虐殺に巻き込まれ、断絶に追い込まれた。その後止血帝の下で再興するが、爵位は侯爵にまで下げられ、かつてのような絶対的な権力は最早残っていなかった。

 

 話を戻そう。リッテンハイム侯爵はブラッケ侯爵がまさかここまで強硬な姿勢を取るとは思っていなかった。慌てた彼は枢密院に対しブラッケの解任動議を通すようなりふり構わず圧力をかけ、名士会議の開催が決まると指揮権発動を唯一取り消すことが出来るクレメンツ一世に指揮権発動の是非を名士会議の場で議論するように働きかけたという訳だ。

 

『ウィルヘルム・クロプシュトックの処遇について』

 

 これについては説明するまでも無いだろう。ブラッケとフォルゲンの秘密捜査チームの捜査結果を踏まえて、クロプシュトック侯爵が叛逆者であるか否か、あるいは討伐軍を出すのか出さないのか、そういったことを議論する。

 

『故オイゲン・フォン・カストロプ公爵の遺産の使い道について』

 

 ブラッケとリッテンハイムの対立は開明派と保守派大貴族の対立にも飛び火しつつあった。その最大の争点が長年に渡り財務尚書を務め、不正蓄財によって巨万の富を築いたカストロプ公爵の遺産の使い道だ。ここでは簡単に説明しよう。要するに地方貴族が資産を管理するか、中央政府が資産を管理するか、という対立だ。

 

 銀河帝国の景気は元々悪かったが、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムによる私的なクロプシュトック征伐の開始によってオーディン=フォルゲン間航路等が断絶し、治安も悪化、経済状況は急速に危険水域に入り始めた。この状況を改善する為にリヒター財務尚書は租税対象外の補助金給付や帝国正規軍が管轄する軍事分野での公共投資を計画していたが、これに領地貴族が横槍を入れた。

 

 「リヒターの政策は無意味で中途半端なバラマキである。大規模な減税と公共投資を行うべきだ」というのが貴族共の主張だ。なるほど、一見正しく見えるかもしれないが、各貴族の領地において行政権を握っているのはその貴族である。故に中央政府が各貴族領に公共事業を行う時は貴族を間に挟まざるを得ない。……貴族に資金を与えて良い事など一つも無い。故にリヒターは貴族の干渉を排することが出来る軍事的公共事業や貴族の不当な搾取を防げる租税対象外の補助金給付を検討していたのだ。

 

『ザールラント叛乱軍・リュテッヒの大請願・ノイケルン暴動・トリエステ独立投票等への対応について』

 

 これは上の内容と少し関連している。クロプシュトック征伐による混乱は辺境地域に困窮を齎した。ブラウンシュヴァイク家・リッテンハイム家と関係のある貴族たちはこぞって私的征伐軍に私兵を出し、本来の領地から警備部隊が消え去った。帝国正規軍にしても資産没収によって不安定になっているカストロプ公爵領・回廊戦役の敗北によって同盟軍の侵攻が予想されるエルザスやロートリンゲン・そしてクロプシュトック侯爵領周辺宙域に大部隊を展開しており、帝国全土で警備が手薄な宙域が出来てしまった。

 

 そういった状況の中で海賊・犯罪組織・反帝国組織は活動を活発化させ、それによって星間航路が寸断、物価が高騰し、辺境住民は物資不足に悩むことになった。こうして溜まった辺境住民の不満は反帝国活動のさらなる活発化へと繋がり、さらに辺境情勢は不安定化していく。まさに負のスパイラルだ。

 

 ザールラント叛乱軍は帝国側の呼称であり、彼ら自身はウィントフック独立革命戦線(FREWLIN(フレウリン))と名乗っている。ザールラント警備管区で建国期以来しぶとく抵抗を続ける分離勢力だ。ザールラント住民に対する一貫した寛容さとザールラント外の住民(特に支配階級)に対する度を越した残虐性で知られる。『帝国史上、最も多くの貴族を殺した共和勢力』とも称されるが、彼らは共和主義者ではなく分離主義者だ。

 

 惑星リュテッヒはノイエ・バイエルン伯爵領の第二の都市でフェザーン貿易の拠点の一つだ。ここにノイエ・バイエルン伯爵領内外の困窮した辺境住民が押し寄せ、備蓄物資の開放等を求めて居座っている。その数は凄まじく、最低三〇万人はくだらない。『リュテッヒの大誓願』と聞いてピンとこなかった諸君。……『(セント)パトリックの流血祭』と言えば分かるだろうか?

 

 ノイケルン星系はザクセン=アンハルト行政区に存在する伝説の名将ミシェール・シュフランの故郷だ。シュフランは軍から退いた後故郷の星系首相を務めることになる。為政者としても優れており、穏健な共和主義者として広く支持された彼の記憶はルドルフ大帝を以ってしても消しきれなかった。ノイケルンは難治の地として知られたが、数年前にノイケルン共和主義者連盟が大打撃を受けたことで近年は安定している。しかし当代のノイケルン伯爵が閣僚に任命され帝都に常駐したことをきっかけに、ノイケルンの住民に対する抑制が緩み始めた。クロプシュトック征伐開始と同時にノイケルン伯爵領から私兵部隊が消えたことで、住民は再びの反抗を決意する。これがノイケルン暴動の簡単な経緯だ。……ちなみにノイケルンに関しては我々機関も一枚噛んでいる。

 

 トリエステは言わずと知れた伯爵公選制を取る辺境貴族領だ。政府レベルで反帝国意識の強かったトリエステはしかしながら高度の自治権を認められていたが故に歴史上大規模な反抗に転じることは少なかった。ところがカール・フォン・ブラッケの内務尚書任命が彼らの独立心を刺激した。ブラッケ侯爵領は世襲制ではあるが、銀河帝国に組み入れられた経緯にトリエステ伯爵領と似通った部分がある。その為にブラッケ侯爵領は孤立するトリエステ伯爵領の代弁者かつ支援者として長年に渡り交友を温めてきた。そのブラッケが自治統制庁を管轄する内務省のトップに就いたことはトリエステ伯爵領の住民にとって独立を達成するまたとない機会のように思われた。こうしてトリエステ伯爵アーロン・プレスコートは独立の住民投票実施を宣言。大方の予想通りブラッケはこれを承認こそしないものの妨害にも動かず、トリエステ伯爵領は独立への自信を深めた。……なお、トリエステ総督府と周辺帝国部隊には機関の手が深く及んでおり、間違っても独断での投票妨害に動かないように統制を強めている。

 

 この他、思想・組織色が強くない暴動や騒乱も辺境各地で起こっている。クレメンツ一世即位のタイミングで開明的(と思われた)な新皇帝の誕生に期待した為に一度辺境情勢は安定化に向かったが、クレメンツ一世が帝国経済どころか自身の閣僚すら統制できない有様が明らかになるにつれて、期待は失望と怒りに代わり、暴動や騒乱の増加に繋がった。しかもそれらは放置しておけば共和主義勢力や分離主義勢力と結合すること明らかであったことから自治統制庁長官リヒテンラーデ伯爵の悲鳴のような進言で名士会議の議題に加えられた。……尤も、リヒテンラーデ伯爵の危機感を共有していた人間は少ない。名士会議でも議題には上ったものの、深く話し合われることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「アルベルト!それにラルフ君じゃないか!一体どうしてここに?」

 

 私が帝都防衛軍司令部情報部長を務めるラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンと話していると、背後から聞き覚えのある声がした。

 

「リヒャルト……そうか、君は父上の後を継いだんだったね。名士会議のメンバーだったのか」

「ああ。まあ数合わせというか、格というか……まあ中身を期待されての抜擢じゃない。だが、お飾りで居るつもりは無いぞ!……私もブラッケ侯爵やフォルゲン伯爵の解任動議には反対だった。枢密院で私は圧倒的な少数派だったが、この名士会議の場では私と思いを同じくする方々は少なくない。必ずお二方を守って見せるさ」

 

 ノイエ・バイエルンは決意に満ちた表情だ。枢密院はブラウンシュヴァイク・リッテンハイム系の力が強いが、それはそれとして両巨頭の影響下に無い議員も少なからず存在する。しかし、ブラッケ・フォルゲンの支持に回ることは両巨頭と敵対することを意味し、確たる証拠が無い状況ではリスクが大きい。その為、枢密院においてブラッケ・フォルゲンを支持したのは開明派系統の四名とノイエ・バイエルンだけだった。ちなみにブラッケ侯爵家と関係の深い枢密院副議長リンダーホーフ侯爵は棄権した。

 

「……リッテンハイム侯爵との関係は良いのかい?ノイエ・バイエルンとリッテンハイムは経済的な結びつきも強いだろう?」

「知ったことか!我が父の仇、決して許さん!」

 

 ラルフの言葉に対してノイエ・バイエルンは強い口調で答える。私は遠くのリッテンハイム侯爵の方を伺うが、流石に聞こえなかったらしい。どうやらノイエ・バイエルンは秘密捜査チームの捜査を信頼しているようだ。

 

「秘密捜査チームが嘘をついている可能性もある。その時はどうする?」

「ブラッケ侯爵が嘘をつく訳が無い。なあ、アルベルト?」

 

 ノイエ・バイエルンはにこやかにそう言って、私に同意を求めてきた。私は内心で「人民に対しては」という保留を付けながら「その通りだ。ブラッケ侯爵が嘘をつくはずがない」と答えた。

 

 私とラルフ、ノイエ・バイエルンが会話しているとユリウス・ツェーザーの間に出席者たちが集まり始めた。出席者は全ての閣僚とクレメンツ一世が特に議題に関係があると判断した枢密院議員、官僚、軍人。比率的には開明派が三・保守派が六・旧リヒャルト大公派が一と言った所か。尤も、保守派が皆開明派と対立し、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムに好意的という訳でもない。その観点で考えれば反ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派が四・非ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派が二・ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派が四という風に変わる。

 

 名士会議の議長はグリューネワルト公爵フリードリヒが務めることになっていたが、当日になって「腹痛」を理由に欠席した。……フリードリヒは最早お飾りの皇族で居る気はない。しかし、仮病での当日欠席というのは自らを取り巻く環境に対する抵抗としては流石に幼稚に過ぎる。そもそも出席者の中にこれをフリードリヒの抵抗であると受け取った者が居るのかどうか……。

 

 何はともあれ、議長不在によって一時間ほど予定が遅れた。代わりの議長に国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵が立候補し、開明派と非ブラウンシュヴァイク派――リッテンハイム派の一部も含む――から猛反発を食らい、能吏であるリヒテンラーデ伯爵に任せてはどうかというリヒター子爵の提案はクレメンツ一世にやんわりと退けられ、エーレンベルク侯爵他数名に推挙されたマリーンドルフ侯爵が「若輩の身に畏れ多い」と固辞し、故ブローネ大公の子ステファンの名が挙がったものの当人と連絡が取れなかった。

 

 名士会議の結果に対する直接的な責任を取りたくないクレメンツ一世はかなり悩んだ後、先々帝オットー・ハインツ二世の第二皇女の息子であるエドワルド・フォン・パルムグレン伯爵――カール・パルムグレンの子孫、格は十分だが権力・影響力は無い――の存在を思い出し、急いで彼を呼び寄せ議長に任命した。

 

 会議はすぐに激しい口調での論戦へと発展した。軸となるのはカール・フォン・ブラッケとウィルヘルム・フォン・リッテンハイムだったが、この二人の論客としての実力はブラッケが遥かに勝っており、リッテンハイムはすぐに防戦一方となった。リッテンハイムはブラッケの秘密捜査チームの捜査報告書は全て傍証に基づく推論でしかないということの一点張りで、ブラッケの攻勢を凌ごうとした。しかし、ブラッケ侯爵には切り札があった。

 

「現在、内務省保安警察庁は一人の兵士の遺体を収容している。縁者が無く、共同墓地に土葬されていた軍の兵士だ。憲兵総監部が埋葬の一切を取り計らったそうだが、書類にはこの遺体がハンスという名の上等兵であることが記されている」

 

 ブラッケ侯爵の指示でグルック補佐官らが出席者に資料を配る姿を確認しつつ、ブラッケはその切り札を出した。会議の場には困惑と緊張が広まる。一兵士の情報など何の意味があるのか?という困惑と一見価値のなさそうなその情報をここでわざわざブラッケ侯爵が出してきたことに対する緊張である。

 

「書類によると遺体は酷い有様だったらしい。大量の金属片が身体に突き刺さっているばかりか、全身に火傷を負っている上に身体の一部は欠損していた。その上、どういう訳か念入りに顔が潰されていた」

 

 ブラッケはそこで言葉を切り、ある参加者の方に向き直る。その参加者はブラッケの話に心当たりがあったのか、少し強張った表情をしている。

 

「まあ、無理も無いだろう。死因は昨年五月一二日にエルテンブルク演習場で発生した誤射事故だ。落下予測地点から大きく逸れた砲弾が外周の警備部隊付近に着弾。隊員二二名内四名が即死、七名が後死亡……まあ悲惨な事故だ。しかし一つ不自然な点がある。どういう訳か死人の一人……まあハンス上等兵の事なんだが、彼の遺体の遺伝子情報が別の人物と合致した」

 

 私は軍務尚書エーレンベルク元帥の後ろに尚書官房の幕僚の一人として控えてブラッケの話を聞いていた。ブラッケに「切り札」を与えたのは機関だ。当時帝都防衛司令官だったインゴルシュタットが事件直後、秘密裏に捜査に乗り出していたことは秘密捜査チームでも知られている。しかし、その捜査は結局実を結ばないままインゴルシュタットは左遷された……ということになっている。実際は違う。帝都防衛司令官として憲兵総監部の怪しげな動きをマークしていたインゴルシュタットは、ジークマイスター機関指導者としての手札も用いて憲兵総監部が秘密裏に処理しようとした遺体の確保に成功していたのだ。

 

 ミヒャールゼン亡き今でも憲兵隊には少なからず機関と繋がっている者が居る。一兵士の遺体程度ならば彼らは喜んで差し出すだろう。動機はブレンターノのように汚職・腐敗への反感か、あるいは私のように開明思想か、あるいはツァイラーのようにあくまで取引として協力しているだけか……、もしかしたら脅されて協力しているという事も有り得るかもしれない。

 

 ブラッケ侯爵の表情は普段から険しいが、今日は一層その険しさが増しているように見える。ブラッケ侯爵は落ち着いた、それでいて検事が被告人を追及するかのような厳しい口調で尋ねた。

 

「その人物の名はカミル・フォン・クロプシュトック元伯爵。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の首謀者の一人であり、今なお憲兵総監部の追跡を逃れヴァルハラ星系に潜伏している、と憲兵総監部の報告には記されている。……さて、一つここで大きな疑問がある。六月一二日に皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に居たカミル・フォン・クロプシュトック伯爵が何故一か月前のエルテンブルク演習場で事故死しているんだ?お答えいただこうか。オッペンハイマー憲兵総監!」

 

 出席者たちの視線がオッペンハイマーに集まった。前任者の死後に帝都憲兵隊司令官から転じたこの男が、リッテンハイム一門から軍に送り込まれた人材の一人であることは周知の事実だった。

 

「事ここに至りましては、憲兵総監部の捜査に一部瑕疵があったと考えざるを得ませんね……。本会議終了後、すぐに再捜査を……」

「結構!内務省には優秀な捜査機関があるのでな。貴官らは既に捜査する側ではなくされる側であることを自覚した方が良かろう。今この場で私は保安警察庁に対して憲兵総監部の不正捜査に対する指揮権を発動することを宣言する。皇帝陛下、宜しいですな?」

 

 オッペンハイマーは引き攣った愛想笑いを浮かべながら何とか取り繕おうとするが、ブラッケはそれを許さない。

 

「お待ちください。それはいくら何でも横暴が過ぎます!」

「横暴?私が一体何の法に背いた?言ってみろ憲兵総監」

「帝国では長年の慣習と伝統が制定法に準ずる効力を有します!ブラッケ内務尚書の指揮権発動は明らかにそれらに反しております!」

「黙れ!法に背いた慣習と伝統に何の価値がある!?このカール・フォン・ブラッケに『伝統に従って』指揮権を隠蔽に使えとでも言うつもりか貴様!」

「きょ、曲解が過ぎます、別に小官はそのような……。そうだ、そもそも軍部は統帥権の独立が保障されている!警察に軍人を捜査する権限は無い!」

 

 オッペンハイマーは必死で抗弁するが、ブラッケは話すだけ無駄だという風に頭を振ると議長席の後ろに座るクレメンツ一世に向き直った。

 

「畏れ多くも憲兵総監は陛下の統帥権を盾に司法の追及を逃れようとしているようです。事が軍の内部で済むことであるならば、あるいは憲兵総監の主張も是とされる余地はあるでしょう。しかしながらこれは大逆罪の捜査です。軍規違反の捜査ではありません。ヴィレンシュタインの叛乱に連座した者の中には軍人も居ましたが、彼らを検挙したのは内務省であり、彼らを裁いたのは高等法院です。憲兵総監部ではありません。大逆罪以外でも『幼年学校の悪魔』カルテンボルンは中将の階級を有していましたが高等法院によってその悪事が明らかになり、貴族位を剥奪されました。『リューベックの内通者』ノーベルも『ザクセンの背信者』プデラーも『町殺し』のヴィーデナーも内務省が捜査を担当しました。事が軍の内部秩序の問題には留まらないからです。今回もそのような事案に当たると臣は考えております」

 

 ブラッケは淀みのない口調で進言する。クレメンツ一世は難しい表情をして考え込んでいたが、やがて口を開いた。

 

「ブラッケの言が正しい。大逆罪の捜査だ……本来は内務省と司法省が管轄すべきであろう。非常事態宣言下で憲兵総監部が捜査を担当したこと自体は問題はない。しかし混乱も収まりつつある今、その捜査状況を見直すことは益になることはあっても害になることはあるまい。内務尚書の指揮権発動を余は是認する」

 

 クレメンツ一世はこちらも淀みの無い口調で断言したが、内心では苦渋の決断だっただろう。内務省の捜査状況次第では自分の尻に火が付きかねないからだ。リッテンハイム侯爵も苦虫を潰したような表情をしている。ブラウンシュヴァイク公爵が動いたのはその時だった。

 

「……議長。国務尚書から提案があるのだが、宜しいか?」

「え?……あ、承知しました。どうぞ」

「ブラッケ侯爵とフォルゲン伯爵の越権行為は問題だが、それよりも遥かに大きい問題が明らかになった以上、両名の責任を問うのは後にするべきではないだろうか、と思う。この際、ブラッケ侯爵とフォルゲン伯爵に全ての捜査を委ね、真相を明らかにしてもらおうじゃないか」

 

 その言葉に議場がざわついた。ブラウンシュヴァイク公爵はブラッケ侯爵・フォルゲン伯爵と激しく対立していたはずではなかったのか?そもそも枢密院に解任動議を出させたのはブラウンシュヴァイク公爵だ。

 

「そして、この状況では司法尚書が自身の職に対し忠実であると見做すのは難しいと言わざるを得ない。司法尚書リッテンハイム侯爵には御自身の疑惑が晴れるまで、一度職を辞していただいた方が良いと私は思う」

 

 騒めきが大きくなる。ブラウンシュヴァイク派の中にも動揺を顔に出している者が数名見受けられる。ブラッケが大して面白くもなさそうな顔でブラウンシュヴァイク公爵に視線を向け、「身内切りか」と吐き捨てた。

 

「……こ、公爵閣下……それは司法尚書リッテンハイム侯爵の解任を提案するということで宜しいでしょうか?」

「侯が自身で辞めるのであれば、それは必要なかろうて」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵は涼し気な表情でそう言ってのけた。リッテンハイム侯爵は顔を真っ赤にして「ブラウンシュヴァイク……貴様……」と呟いている。

 

「さて、リッテンハイム侯よ。私は卿を信じているのだが、この場は分が悪い。潔白であるならば、いや潔白だからこそ、ここは潔く退かれよ。何、卿の潔白が証明された暁にはこのブラウンシュヴァイクが全力で卿の復権に尽くそう」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵は白々しい顔でリッテンハイム侯爵にそう語りかける。リッテンハイム侯爵はブラウンシュヴァイク公爵を睨みつけていたが、やがて立ちあがり、クレメンツ一世に対して職を辞すことを申し出た。閣僚の任免はクレメンツ一世の専権事項だが、だからと言って名士会議=帝国中の有力者から「職を辞せ」と言われて無視できるはずがない。威信はガタ落ちだ。それならば自分から辞めてしまった方がまだマシ、ということだ。

 

「流石、ブラウンシュヴァイク公爵。鮮やかな手腕だ。俺たちじゃどうしようもない本丸を簡単に潰してみせるとはな」

 

 私の横に居るインゴルシュタットがやや皮肉気な口調で呟いた。機関の切り札は憲兵総監部の捜査に信憑性が無いことを示す動かぬ証拠だが、リッテンハイム侯爵の事件への関与を示している訳ではない。機関も、機関から切り札を受け取ったブラッケもこの場でリッテンハイム侯爵の首が取れるとは思っていなかったはずだ。

 

 帝国名士会議一日目は大方の予想に反して、司法尚書リッテンハイム侯爵の失脚と言う結果に終わった。


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