アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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もっと良い地図を描きたいと思ったんですけど、心が折れて以下のようになりました。


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青年期・名士会議は踊る、されど進まず(宇宙暦769年3月5日)

 宇宙暦七六九年三月五日。名士会議四日目の日程を終え、人々はクレメンツ一世が主催する立食形式のパーティーに参加していた。これまでの日程……厳密には名士会議二日目までにブラッケ侯爵・フォルゲン伯爵に対する解任動議は行われないこと、リッテンハイム侯爵家に対する指揮権発動が取り消される代わりに、新たに憲兵総監部に対する指揮権発動が認められること、リッテンハイム侯爵が司法尚書を辞任し、クロプシュトック侯爵領への正規軍派遣を中止すること、ブラウンシュヴァイク公爵が私兵軍を撤兵させること、リッテンハイム侯爵に対しては名士会議から私兵軍の撤兵を勧告すること、クロプシュトック侯爵に対し再度帝都出頭を命じ、これに応じる場合は征討令を一旦取り下げることなどが決定した。

 

 それは参加者の予想をはるかに上回るスピードでの決着だっただろう。しかし、名士会議三日目、カストロプ公爵の遺産の使い道が議題に上ると議論は停滞した。カストロプ公爵が有していた利権や資産に食い込みたい領地貴族と、あくまで国庫に納め中央政府の管理下で経済政策に使いたい開明派が激しく対立し、これに『軍拡』を主張する――ティアマト以来壊滅した部隊を書類上存在する扱いにしている為であり、実際には再編の方が正しい――軍部や治安対策に部隊を動かしてほしい辺境貴族の思惑も絡んで議論は遅々として進む気配が無かった。

 

「名士会議の出席者は五三名。私のような学者組はともかく、他の出席者はその背後に大勢の支持者を背負っている。背負ってるものが重くて軽々に妥協する訳にはいかないのだよ。大帝陛下はこのような有様を衆愚政治と呼び、それを解決する為に専制を敷かれた。しかしながら専制政治でも強権を振るえるリーダーが居なければ……『コックが多いと粥を駄目にする』だ」

 

 ヴェストパーレ男爵が誰かの発言に対してそう答えた。高名な学者である彼は開明派に多くの友人を持つが、その派閥の一員として振舞うことを務めて抑制していた。彼自身は常日頃から歴史の観察者になりたいのであって当事者には成りたくないという事を繰り返し言明していた。

 

「つまり、会議が往々にして何も生み出さないのは体制や主義の問題では無く人類普遍の真理という訳ですか。面白い」

 

 口元に笑みを携えながら、ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンがそう呟き頷いている。帝都防衛軍司令部情報部長を務める彼は職務上の理由で帝都防衛司令官の随員として招集された。名士会議に出席している上官の指示に対応する為に会議中は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の一室に詰めている。

 

「『面白い』では済みませんよ……。地方は中央の機能不全によって壊滅寸前だ。名士会議を開くと聞いて漸く中央が重い腰を上げたかと思ったら……」

 

 シャウハウゼン子爵は暗い表情だ。ヴェストファーレン行政区の端に領土を持つシャウハウゼン子爵は現在様々な苦難に直面している典型的な辺境貴族だ。

 

「壊滅寸前は少々言いすぎではないか?」

「言いすぎなものですか!我がシャウハウゼン子爵家は中央に対する来年度の税金を未だ収めておりません。それが何故か、皆様はご存知ですか!?」

 

 宇宙軍少将で教育総監部副宙雷戦監を務めるグレーテル伯爵令息オイゲンが窘めるようにそう言ったが、シャウハウゼン子爵は首を振って逆に問いかける。現在、私の周りには元・有害図書愛好会メンバーを中心に一〇数名程の若手貴族と、ライヘンバッハ一門に属する若手貴族数名、そしてヴェストパーレ男爵ら政治と距離を置く開明派に近い貴族が集まっている。彼らに共通するのはこういったパーティーの場を好まないという点だ。

 

「知っているよ。……海賊だろう?『流星旗軍』が派手に暴れているそうじゃないか」

「流石にクラーゼン准将はよくご存じだ。その通りです。我が家の輸送船が『流星旗軍』の襲撃を受け、中央へ輸送予定の税金の約六割を強奪されました。……数年来続く不況の中で定められた通りの税金を揃えるのは非常に大変でした。我が家も我が領民も奪われた分の税金を補填する余裕など当に失っております……」

 

 シャウハウゼン子爵は悲嘆に暮れた表情だ。『流星旗軍』……それはヘッセン行政区からフェザーン回廊、さらにバイエルン行政区にかけての広い範囲を活動範囲とする宇宙海賊の大規模連合だ。第二次ティアマト会戦後、首領ジョン・ラカムの下で旗揚げした小さな組織は『専制主義打倒』『人民搾取に対する裁きの代行者』『自由を愛する全ての人間の味方』という御題目を掲げ、帝国の秩序に対し公然と叛逆した。

 

 帝国は政治犯に容赦しない。宇宙海賊たちは政治犯と見做された人物が帝国から徹底的な弾圧を受ける様を知っている。その為に海賊に限らず犯罪組織は務めて自身の政治色を薄める。その方が帝国から激しい取り締まりを受けずに済むからだ。ジョン・ラカムの一党はそういった犯罪組織のセオリーを無視していた。

 

 恐らく第二次ティアマト会戦での混乱と地方部隊の弱体化が無ければこの組織は帝国のメンツにかけてすぐに潰されていただろう。しかし、帝国はこの小さな宇宙海賊に対する対処を後回しにした。それはあの余裕のない状況ではあながち間違った判断でも無かっただろうが、気づけば旧式のフェザーン警備隊駆逐艦一隻に総勢二七名を数えるだけの組織だった『流星旗軍』は艦艇凡そ三〇〇〇隻~一〇〇〇〇隻――全てが戦闘艦ではない――、最低構成人数二万人を数える大組織へと変わっていた。

 

 その活動の特徴は標的を帝国の財閥・門閥傘下の特権企業・フェザーンの大企業・そして帝国の公務艦に限り、さらに強奪した戦利品を主に辺境の貧民に配っているという点だろう。彼らは自由惑星同盟でこう呼ばれる。「自由の義賊」と。

 

「まさか……海賊風情が国税に手を出したのか?」

 

 宇宙軍中将で青色槍騎兵艦隊の司令官代理――残存兵力の管理人とも言う――を務めるクヴィスリング男爵ヘルマンが「信じられない」という様子で尋ねた。ちなみにグレーテルらは私の幼年学校以来の知人であるが、クヴィスリング男爵やシャウハウゼン子爵は軍務に就いて以降に知り合った知人である。クヴィスリング男爵は大叔父である故・ユルゲン・オファーと我が父カール・ハインリヒが「保守派の二大巨頭」と呼ばれた縁で面識が生まれた。シャウハウゼン子爵はヴェストパーレ男爵のサロンで知り合った。惑星移民史を調べる趣味があり、歴史学者として高名なヴェストパーレ男爵を慕ってサロンに出入りしていた。

 

「私がわざわざ帝都に来たのは中央に『流星旗軍』への対処をお願いする為です。そして何とか我が領に課せられる来年度の税金を免除していただかないと……。最悪、リッテンハイム侯爵の御援助に縋るしか無くなります。……しかし、帝都に来てみて驚きましたよ。名士会議の議題に辺境情勢への対処が無いんですからね。リヒテンラーデ伯爵の尽力が無ければどうなっていたことやら……」

「同感だ。中央は辺境に対して無関心に過ぎる。我が領土のリュテッヒについてブラウンシュヴァイク公爵が何と言ったか聞いたか?『卿が領民を甘やかしていたのが悪いのではないか?平民に宇宙船の私有を許していたからこのような事態を招いたのだ』……馬鹿馬鹿しい。重要なのは請願を可能とした手段では無く、請願を実行した動機だ!」

 

 ノイエ・バイエルンが憤激しつつそう言った。彼の領地は中央地域と辺境地域の境目に存在する。リュテッヒに困窮した辺境民が押し寄せた理由の一端には確かにノイエ・バイエルン領が他領に比して領民の星系間移動を自由に認めているという点があるかもしれないが、それは問題の根本ではない。フェザーン方面辺境地域から一番近くにある経済的大都市がリュテッヒである以上、ノイエ・バイエルン家の統治方針に関わらず辺境民はリュテッヒに押し寄せるだろう。

 

 ちなみにノイエ・バイエルン伯爵領は帝国中央地域からフェザーンを繋ぐ貿易路の要衝に存在し、対フェザーン貿易の最大拠点となっている。ノイエ・バイエルン伯爵領よりさらにフェザーン側に存在する各領地はノイエ・バイエルン伯爵領に比して規模が小さい、治安が悪い、あるいは政治的立場が弱くノイエ・バイエルン伯爵家程大胆に自由主義政策を取り入れられない、といった理由で貿易拠点としては適していない。故に建国期は一伯爵に過ぎなかったノイエ・バイエルン家はフェザーン自治領と深い協力関係を築くことで莫大な財を為し、今ではブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯、あるいはリンダーホーフ侯やエーレンベルク候に匹敵する大貴族と見做されるようになった。ノイエ・バイエルン伯爵家が時に「第二のフェザーン在帝国高等弁務官」と呼ばれる所以である。

 

「『流星旗軍』か……。シャウハウゼン子爵、小官の縁者に貴卿の事を紹介しようか?少しは力になれるかもしれない」

「おお!是非ともお願いいたします。ライヘンバッハ少将」

 

 シャウハウゼン子爵と私たちの中の数名は前々から面識があったが、それはあくまでヴェストパーレ男爵のサロンにおける個人対個人の関係だ。彼がこのパーティーで元・有害図書愛好会メンバーというグループに接近してきたのは少なからずその軍に対する影響力に期待したという打算的な面があるだろう。私たちのグループは大貴族の縁者である軍人で構成されている。一言でその性質を表すなら「現体制に漠然とした不満を持っていて、それでいて完全に排斥するのは難しい程度の影響力を持った青年将校の集まり」となるだろう。

 

 そしてブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵と疎遠であることもシャウハウゼン子爵には都合が良いはずだ。両巨頭は財政的・政治的な援助と引き換えに次々と中小貴族を傘下に加えているが、シャウハウゼン子爵は可能な限り独立した身軽な貴族で居たいと思っている。シュタインハイル侯爵家が長い年月をかけて完全にリッテンハイム侯爵家の血統に乗っ取られたというのは、独立貴族たちに警戒心を抱かせるに充分な事実であった。

 

 私はシャウハウゼン子爵を連れて会場の一角に赴く。その一角は明らかに周囲とは異質なオーラで満ちていた。中央で腕を組み、目を閉じて座っているのが我が父カール・ハインリヒ。その両脇には厳つい大柄の男が二人立つ、『双璧の四天王』その一角を為すオスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将、『狂犬』マティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍中将。一線級の将帥として知られる元ライヘンバッハ元帥府の勇将だ。父が現役を退いた――あるいは退かされた――今でも自身をライヘンバッハ派と言って憚らない。

 

 さらに周囲には我が母アメリアの兄にしてカール・ハインリヒ長年の腹心であるアドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍大将、かつての名門アイゼナッハ男爵家当主で我が従妹アンドレアの夫であるハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍中将、クヴィスリング元帥府の実戦派を率いてライヘンバッハ退役元帥派に加わったゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍上級大将、断絶したメクリンゲン=ライヘンバッハ男爵家に迎え入れられたルーゲンドルフ公爵家の五男ホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍中将などがズラリと並ぶ。つまり政治嫌いの『古き良き時代の』帯剣貴族集団である。ちなみに、私の元部下である『新世代の一一人』ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍少将もこの集団に加わっている。シュタイエルマルク元帥府と並ぶ帝国の最優秀武力集団といって良いだろう。

 

 私はラインラント警備管区司令を務めるホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍中将にシャウハウゼン子爵を紹介する。ラインラント警備管区とヴェストファーレン行政区は隣接している。ラインラント警備管区でも『流星旗軍』は取締の対象となっていることを考えれば、協力に応じてくれる可能性は高いと判断した。

 

「シャウハウゼン子爵領の国税強奪事件に関してラインラント警備管区として協力するのは中々難しいかと……」

 

 ホルストは申し訳なさそうにそう答える。シャウハウゼン子爵があからさまに落胆する。

 

「何故です?『流星旗軍』はラインラント警備管区としてもマークしている組織では?」

「御曹司。『流星旗軍』がやった、という確証があれば我々としても動くことはできます。帝国司法省が認定した三八の第一級国家犯罪組織に『流星旗軍』も加わっていますからね。しかし基本的に軍は刑事事件の捜査権を有しておりません」

「分かっています。辺境軍管区内では軍が貴族領・直轄領の区別なく治安維持に動くことができるが、警備管区内では貴族領に関しては貴族の出動要請が無いと治安維持には動けない。行政区に至っては当該貴族領からの要請だけでは無く、帝国司法省の承認を必要とする。しかし例外はある。国家叛逆罪を含む緊急性を要する重大犯罪だ。そして司法省指定三八組織が絡む事件は全て例外的に軍が対応に動けるはずです」

 

 私がそう言うとホルストも頷いた。そして顔を顰めながら私とシャウハウゼン子爵に答える。

 

「つまり、司法省指定三八組織以外は軍の取締対象にならないという訳です。……司法尚書のリッテンハイム侯爵が軍出動の承認を出してくれないんですよ。『当該事件は指定犯罪組織の犯行と認めるに足る証拠が無く、貴族統治権尊重の原則から、帝国軍の出動はこれを認めない』……こういうロジックです。おかげで行政区内で活動する犯罪組織は野放し状態です。基本的に行政区に駐留する帝国軍部隊に治安維持の権限もノウハウも与えられていませんからね。辺境艦隊だって全て辺境軍管区と警備管区に駐留していますし」

「そんな……何故リッテンハイム侯爵は警備管区に承認を出さないのですか!?」

「それはシャウハウゼン子爵の方がご存じでしょう?……派閥に属さない貴族に対して、あのロクデナシ共がどのような態度に出るか、我々は充分に知っているはずです」

 

 私は言葉を失った。要するにリッテンハイム侯爵は自分の派閥に加わらない貴族の領地では犯罪組織の活動を取り締まる気が無いのだ。そして十分にその貴族を困窮させた所で支援を持ち掛ける。その対価として派閥入りや養子縁組、あるいは利権の譲渡を迫る。

 

「しかし、シャウハウゼン子爵。リッテンハイム侯爵はめでたく司法尚書を解任されました。これから司法省はクレメンツ一世陛下が直接指揮なさいます。つまり、今までのような理不尽は遠からず是正されるという事です。ラインラント警備管区として正式にシャウハウゼン子爵領への治安出動が可能になればいつでもお力になりましょう。……御曹司、それで良いでしょうか?」

「ええ、有難うございます。中将殿」

 

 ホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍中将は私たちに笑いかけた後、父の方へ歩いて行った。シャウハウゼン子爵は暗い表情だ。

 

「シャウハウゼン卿……私は開明派にも少し知人が居るのですが、紹介しましょうか?」

「宜しいのですか?」

「ええ。……ブラッケ侯爵も同じ辺境貴族、シャウハウゼン卿の苦境に何か手を差し伸べてくれるかもしれません」

 

 私はシャウハウゼン子爵をインゴルシュタットに紹介した。インゴルシュタットは軍部で明確に開明派の一員として振舞っている数少ない将官の一人だ。私はそこでインゴルシュタットにシャウハウゼン子爵を任せてその場を離れた。

 

 会場を見回すといくつか纏まった集団が存在するのが分かる。とはいえ、貴族社会においては他の派閥や利益集団との関わり合いも重要である。我がライヘンバッハ伯爵家が私とヴィンツェル・フォン・クライストの交友関係をきっかけにクロプシュトック侯爵家に接近したように、どのような関係がいつ役にたつか分からないのが貴族社会だ。……どのような関係がいつ災いになるのかも分からないが。

 

 そのような中で殆ど他の集団と交流していない集団が三つ存在する。一つは先程説明したように私の父を中心とする軍部保守派だ。そしてもう一つはカール・フォン・ブラッケ侯爵を中心とする革新官僚集団だ。殆どが文官で、平民出身者もある程度混ざっているはずだが、その威圧感は軍部保守派の占拠する一角に勝るとも劣らない。ブラッケ侯爵の社交嫌いは筋金入りだ。ブラッケ侯爵の陣取る一角に近づけるのは盟友リヒター子爵や血縁関係にあるリンダーホーフ侯爵位の物だ。

 

 最後の一つは集団とは少し違うかもしれない。グリューネワルト公爵の息子であるルートヴィヒ、娘であるアマーリエ嬢とクリスティーネ嬢、そして三人に付き従う従者と護衛、それがその集団を構成する人々だ。微笑みを浮かべて座るアマーリエ嬢に対してクリスティーネ嬢はあからさまに退屈している様子である。無理もない。彼女らの一角には殆ど誰も訪れず、例え訪れたとしてもルートヴィヒに対して儀礼的な挨拶をしてすぐに立ち去ってしまう。私は三人と面識がある。気づいた以上は挨拶に向かうべきだろう。

 

「ご無沙汰しております。ルートヴィヒ様、アマーリエ様、クリスティーネ様」

「ライヘンバッハか。久しいな!」

「お久しぶりです、ライヘンバッハ様」

「ご無沙汰って程ご無沙汰でも無いと思うけど」

 

 私は左胸に手を当てて深く礼をする。それに対し御三方はそれぞれの反応を返す。

 

「ルートヴィヒ様、御快癒おめでとうございます。すっかり壮健になられたようで、このライヘンバッハ、非常に嬉しく思います」

「なーに、少し季節風邪をひいただけよ。父上も姉様方も少々過保護に過ぎる。あの程度少し寝れば治るさ」

 

 ルートヴィヒはそう言って大笑した。ルートヴィヒ・フォン・グリューネワルトは現在一二歳の少年である。父フリードリヒよりは叔父クレメンツ一世に似た人柄であるとされる。貴族たちも凡庸な父よりはこの快活な少年を評価し、期待しているようだ。多少は、であるが。しかしながら私の彼に対する評価は少々異なる。この少年は生まれつき身体が弱く、何度も体調を崩していた。父に似て皇族として人並みの責任感を有していた彼はそのことを務めて隠そうと、あるいは矮小化しようと試み、結果として快活な叔父クレメンツ一世の振る舞いを務めて模倣するようになった、と思われる。

 

 私の眼に映る彼はクレメンツ一世よりもむしろベーネミュンデ公爵ことリヒャルト大公に似ている。思慮深く、万事に対して自身の全力で向き合い、最善とは限らないが最悪ではない答えを捻りだす。若手貴族の間で流行となりつつある啓蒙思想に触れて、その表面をなぞるのではなく、歴史的な事象と絡めその本質を理解しようと試みる。そんな学者肌の青年であった。正直なところ、私はどこか流行り病のように開明的な価値観に傾いていった所がある我が友人たちよりも彼に善良な共和主義者としての芽を見出すことが出来た。

 

「ルートヴィヒ……貴方は少し無理をし過ぎです。今日もずっと立ち続けていますよね?少し休んではどうですか?」

「そうそう、あたしが代わりに馬鹿貴族たちの相手をするからさ」

「アマーリエ姉様……。流石に立っているだけで無理をしていると仰られるのは私を侮っておられます。無理をしているのは私よりもクリスティーネ姉様でしょう。この前も陛下に食って掛かったとか。本当に目を離したらすぐに暴走なさるのですから……」

 

 ルートヴィヒはアマーリエ嬢とクリスティーネ嬢の心配を取り合おうとしない。しかし、確かに言われてみればルートヴィヒは少し顔色が優れない様子だ。表情や声色、立ち居振る舞いでそういう印象を打ち消そうとしているようにも思える。

 

「ルートヴィヒ様。アマーリエ様はルートヴィヒ様のことが心配なのです。ここはアマーリエ様を安心させると思って少し休まれては如何でしょうか?」

「卿の言うことも一理ある。だが私は自身の地位に相応しい器量があることを臣民に示さねばならないのだ。あまり頼りのない姿を見せる訳にもいかないよ」

「畏れながらそういうことであれば尚更一度休まれるべきでしょう。ルートヴィヒ様、彼の天才ナポレオン・ポナパルトは一日に三時間しか睡眠を採りませんでした。しかし、こうも考えられるでしょう。大天才ナポレオン・ポナパルトを以ってしても、『休む』という行為無しに偉業を果たすことはできなかった、と」

 

 ルートヴィヒ様は地球史に造詣が深い。父親が全く、微塵も地球史に興味を持たないのに対して何と素晴らしい少年だろうか。

 

「ルートヴィヒ様、休む事は決してルートヴィヒ様の恥とはなりません。本当にルートヴィヒ様の力が求められる時にその力を発揮出来ないことこそ本当の恥です。もしナポレオン・ポナパルトが寝不足が原因で戦いに敗れたら、それによって彼は人類史上五本の指に入る愚将とされていた……かもしれません。臣民に自身の器量を示されたいのであれば、自身が適切に『休める』事をお示しなさいませ」

「そうそう、正直な話さ、あなたが何をしていようが今更あたしたちの評価に影響は与えないわよ。あんな馬鹿共の為にあなたが無理をするなんて割に合わないわ」

 

 私の言葉にルートヴィヒは少し考え込み、「卿の言にも一理あるか」と呟き、アマーリエ嬢の隣の席へと座った。私はそれを見て再び一礼してその場を立ち去ろうとした。

 

「ねえ、ライヘンバッハ。少し夜風に当たりたいんだけど、あたしをエスコートしてくれる?」

 

 そこにクリスティーネ嬢からお声が掛かった。顔には「退屈だから何とかして!」と書いてあったように思える。アマーリエ嬢が何か言おうとしたが、溜息をついて「お願いできますか?」と私に言った。

 

「……承知しました」

 

 断る理由もない。強いて言えば衆人環視の中でクリスティーネ嬢と連れ立ってテラスへ行くと何か変な噂が立つ可能性もあるが……。テラスはテラスで人がいるはずだ。問題は無いだろう。

 

「ありがとね。最近、ルートヴィヒったらあたし達の言うことを聞かないのよね……」

「仕方がありません。誰にでもそういう年頃はありますから」

「反抗期ってやつ?煩わしいわね……」

 

 (あなたが言うのか)と内心で思いながらも何とか口には出さなかった。すると突然クリスティーネ嬢が私の斜め後方に目線を移して声を挙げた。

 

「見て、あちらに居るのはバルトバッフェル子爵じゃなくて?」

「おや?本当だ。隣に居られるのはどなたでしょうね?お美しい方だ」

 

 テラスの端の方でバルトバッフェル子爵が美しい貴婦人と談笑している。貴婦人の方は黙って微笑んでおり、バルトバッフェル子爵が一方的に語り掛けている様子だ。クレメンツ一世やブラウンシュヴァイク公と同等かそれ以上に大仰な仕草を好み、またそれが似合う男ではあるが、今日はいつにも増して激しく身振り手振りを交えている。

 

「よっぽどあの婦人の事が気に入ったようね。でも見て?あの男、全然相手にされて無いじゃない」

 

 クリスティーネ嬢は「良い気味ね。あの女ったらし」とニヤついている。すると、バルトバッフェル子爵がこちらに気づいた。バルトバッフェル子爵は貴婦人に断りを入れると私たちの方に近づいてきた。

 

「これはこれはクリスティーネ様、今日も相変わらずお美しい。御尊顔を拝することができ、このコンラート・フォン・バルトバッフェル。実に恐悦至極にございます」

「バルトバッフェル卿も相変わらずの色男振りね。会場を見なさい?見る目の無い貴族女たちがあなたを探しているわよ?」

「相変わらずクリスティーネ様は険のある物言いをなさりますな!そこがまたクリスティーネ様の魅力でもございますが」

 

 バルトバッフェル子爵は微笑しながらクリスティーネ嬢に語り掛ける。クリスティーネ嬢はあからさまに「うぇ~」と不快感を示して見せるが、本気で嫌っている訳でもないようだ。想像はつく。バルトバッフェル子爵は人類の半数に対して極めて共和主義的に接する人物だ。比喩ではない。平民はもとより、自治領民や農奴の女性に対しても彼は平等に優しい。ただ優しいだけでは無く、「女性の為に」本気で男女平等や農奴解放を訴える開明派切っての変人である。社交界で冷遇されているクリスティーネ嬢に対しても当然、彼は最大限の礼を尽くして接していたのだろう。

 

「卿はカールの部下だったかな?」

 

 不意にバルトバッフェル子爵が私の方を向いて問いかけてきた。私は一瞬硬直し、それから「カール」が恐らく彼と同じ開明派のインゴルシュタットを指すと気づいた。

 

「正確には小官の上官はバッセンハイム大将です。しかし、インゴルシュタット中将にも良くしていただいています」

「なるほどね。実を言うと私はカールと幼馴染なんだ……。『友人』というやつだ、故・ゾンネンフェルス宇宙軍元帥とブルッフ予備役中将のような、極々正しい意味で、ね」

 

 そこでバルトバッフェル子爵は言葉を切る。……帝国で言う『友人』と同盟で言う『友人』、ついでに言えばフェザーンで言う所の『友人』は全て別物だ。バルトバッフェル子爵が引き合いに出したゾンネンフェルスとブルッフは職務や階級、門閥を超えた同盟式の『友人』であった。そのような関係が帝国貴族の間で築かれるのは極めて珍しい。バルトバッフェル子爵とインゴルシュタット中将はその珍しい例の一つなのだろう。

 

「カールが何をやっているのか、それは私が知るべきことではない。だから私は知らない。もし卿が知っているのならばそれを助けてほしい。……カールの事を頼むよ、ライヘンバッハ少将」

 

 バルトバッフェル子爵はそう言って私たちの前から立ち去った。貴婦人の下に戻り、再び談笑する。……よく見ると大仰な身振りとは正反対にその手振りは正確無比で、どこか一定の法則を感じられる。私はその動きにどこか既視感を感じた。それは『私』の記憶では無い。遠く過ぎ去った、ここではないどこかでの記憶だ。だがそれはここで口に出すべきことではない。

 

「……何よ、今の意味深な言葉」

「さあ?」

 

 私がそうとぼけるとクリスティーネ嬢が私の襟元を掴んできた。そのまま引き寄せようとしたのだろうが、これでも軍人の端くれだ。令嬢の力で体勢を崩す程柔じゃない。

 

「あんまり馬鹿にしないでくれる?あなたが何かよく分からない物を背負っている事位はあたしにだって分かるんだから。惚けるならもっと本気で惚けて頂戴。流石に腹が立つわ」

 

 クリスティーネ嬢が私をキッと睨みつけた。

 

「……御機嫌を害したことは謝罪させていただきますが、クリスティーネ様が何を仰っているのか小官には分かりかねます」

「うん、それで良いわ。馬鹿父様と同じ位、あたしにも気を付けなさいよ?」

 

 クリスティーネ嬢は嬉しそうに頷いてそう言った。そして私の襟元から手を放す。そしてテラスの柵に寄りかかる。私はどこか気まずい雰囲気で黙り込んでいたのだが唐突にクリスティーネ嬢が話し出した。

 

「そう言えばラムスドルフが面白い事を言っていたわ。伯父様が生きているかもしれないんだって」

「……は?伯父様というのはまさか、ベーネミュンデ公爵でしょうか?」

「そうそう。ラムスドルフが友人から聞いた話らしいけど、本人も全く信じていないようね。父様に面白い話をしろって命令されて渋々って感じだったし」

「どんな話なんです?」

 

 私は務めて冷静さを保ちながら尋ねた。

 

「いや……何でも近衛か皇宮警察の協力者を使って、別人の遺体を『ベーネミュンデ公爵』に仕立て上げたとか何とか。本物はオーディン防衛軍司令部に匿われているとか……」

 

 オーディン防衛軍司令部は帝都とゲルマニア州を除く惑星オーディン全域と二つの衛星を管轄する司令部だ。近衛軍・帝都防衛軍などと同じ宙陸統合部隊であるが、基本的には地上軍将官が指揮官を務める。……ちなみに閑職の一つである。別名は『地上の幕僚総監部』、現在はアルベルト・フォン・リューデリッツ宇宙軍中将が防衛司令官を務めている。リューデリッツ伯爵一門はイゼルローン要塞絡みのスタンドプレーにより軒並み閑職に回されていた。長兄セバスティアンは後備兵総監、次兄フランツはエッケオストマルク総督府警備艦隊司令といった具合である。とはいえ、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロで大勢の高官が死亡しなければ、予備役編入や退役も有り得たことを考えるとまだマシな状況かもしれない。

 

「流石に有り得ないと思いますが……近衛や皇宮警察は特に忠誠心の厚い者が集まっている上に、プライベートも厳重な監視下にありますし……。リューデリッツ中将はともかく、オーディン防衛司令部の面々にベーネミュンデ公爵を匿うだけの器量があるとは思えません」

 

 私はそこで考え込む。本当にそうだろうか?クロプシュトック事件前までリヒャルト大公はクレメンツ一世に匹敵する勢力を誇っていた。リヒャルト大公派はリヒテンラーデ伯爵らが生き残っているとはいえ、要職からは悉く追われている。当然、皇帝に最も近い実力組織である近衛と皇宮警察は念入りな粛清が行われている。とはいえ、その粛清を生き延びたリヒャルト大公派が近衛や皇宮警察に残っていない、とも言い切れないのでは……。

 

 そしてリューデリッツ一門にはベーネミュンデ公爵に協力する動機があるだろう。クレメンツ一世の支持者である領地貴族から睨まれているリューデリッツ一門が軍中央に復帰する目は無い。今は軍部の高官が極端に減っている為に、やむを得ず彼らを数合わせで閑職に置いているが、時間が経てば少しずつリューデリッツ一門は軍から排斥されるはずだ。

 

(一応、インゴルシュタット中将に話をしてみるか……)

「あたしだって別に信じている訳じゃないわ。でも……西離宮の大火の原因はまだ分かってないんでしょ?まさか本当に失火だったってことも無いでしょうし……。何か裏はありそうよねぇ……」

 

 クリスティーネ嬢はそう言って考え込んでいる。確かにクリスティーネ嬢の言う通り、あの大火が一体誰が何の目的で――仮に目的がベーネミュンデ公爵の命なら、何故――起こされたのかは分かっていない。皇宮警察本部の「失火」という発表に納得している者は一人もいないだろう。

 

(機関としてももう少し本腰を入れて調べてみないとな……)

 

 私はそう考えていたが、結局機関が動くよりも早くその答えは明らかになった。

 




注釈25
 帝国の二大門閥貴族と聞けば、子供でもブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の名前を挙げるだろう。しかし、何故この二人が二大門閥貴族と呼ばれるのか、それを説明出来るだろうか?

 例えば、リッテンハイム家は侯爵だが、帝国には他にアンドレアス公爵、ノルトライン公爵、シュレージエン公爵、ルーゲンドルフ公爵、ザルツブルク公爵、フィラッハ公爵と言った公爵位を持つ貴族がいる。その内の数名、例えばルーゲンドルフ公爵家や、フィラッハ公爵家は帯剣・官僚貴族に属する一族である為に領地貴族であるリッテンハイム侯爵に比し『勢力で劣る』と見做されるのも分からなくもない。しかし、ノルトライン公爵やシュレージエン公爵は紛れもない領地貴族である。

 リッテンハイム侯爵がブラウンシュヴァイク公爵と並び称される理由、それは卓越した婚姻外交にある。婚姻を通じて他家を乗っ取り、平和裏にリッテンハイム侯爵家が影響力を及ぼすことが出来る領地・利権を拡大してきたのだ。以下、いくつか例を挙げよう。

 リッテンハイム侯爵家の盟友……ということになっているノルトライン公爵家は元々をノルトライン=ゴールデンバウム大公家と呼ばれ、大帝ルドルフの従妹の子シュテファンが初代公爵として送り込まれていた。リッテンハイム侯爵家も含む辺境の不穏分子を牽制するのが目的だ。……そのノルトライン公爵家に最初にリッテンハイム侯爵家の娘が嫁いだのがユリウス一世長寿帝の治世下である帝国暦一二六年・宇宙歴四三五年である。以来、ノルトライン公爵家とリッテンハイム侯爵家は急速に接近し、結びつきを強めた。そしてアウグスト二世流血帝による『血祭』でノルトライン公爵家が断絶に追い込まれた後、リッテンハイム一門からノルトライン公爵家の血を引く男子が送り込まれ、第二六代ノルトライン公爵位を継承した。それ以来、ノルトライン公爵家は完全なリッテンハイム侯爵家の傀儡である。

 ヴァルモーデン侯爵家とシュタインハイル侯爵家は元々リッテンハイム侯爵家と仲が悪く、大帝ルドルフは三者が牽制しあう関係を利用して統治に役立てようと意図していたと言われる。しかし、オトフリート二世再建帝の治世下でリッテンハイム侯爵家はクロプシュトック侯爵家と組みヴァルモーデン侯爵家の家督争いに介入、ヴァルモーデン侯爵家の資産の半分と引き換えに再建帝の支持を得て、帝国暦一六一年・宇宙歴四七〇年に当時のヴァルモーデン侯爵領をクロプシュトック侯爵家と分割、その後、リッテンハイム一門の男子にヴァルモーデン侯爵家の名跡を継がせ、傀儡として枢密院や貴族社会における強力な盟友に仕立て上げた。

 シュタインハイル侯爵家はリッテンハイム侯爵家の拡大に抵抗する素振りを見せていた。しかし、帝国暦二四七年・宇宙歴五五六年。リッテンハイム侯爵の讒言でアウグスト二世流血帝がシュタインハイル侯爵家当主アンゲルスを粛清、族滅こそ免れたが取り潰しの憂き目にあった。その後エーリッヒ二世止血帝の治世下である帝国暦二五三年・宇宙歴五六二年、シュタインハイル侯爵家は復活する。……リッテンハイム侯爵を後見人として。当主こそ確かにシュタインハイルの血を引いていたが、妻を筆頭に周囲の人間のほとんどがリッテンハイム一門から送られ、さらに息子はリッテンハイム一門の分家から嫁をとらされ、娘二人はどちらもリッテンハイム一門の家に嫁がされた。宇宙歴七六九年時点では完全にリッテンハイム一門に組み込まれている。

 リッテンハイム侯爵がブラウンシュヴァイク公爵と並び称されるのは一重に事実上掌握している領地が一侯爵領に留まらず、最低でも一公爵領、三侯爵領分を掌握しているからである。……勿論、同じようにして勢力に組み込まれた貴族家は他にも無数に存在する。

 

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