アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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少年期・ミヒャールゼン提督暗殺事件(宇宙歴751年9月3日~宇宙歴751年11月8日)

 クリストフ・フォン・ミヒャールゼンは不思議な魅力を持った、それでいて胡散臭い男だった。ただ、公的な彼の姿を知る人々は、彼を真面目だけが取り柄な地味な男だと評していた。まあ、表と裏で姿が違うのは、我々の間ではそう珍しくない。インゴルシュタットのようにどちらでもクソ真面目な奴もいるが。

 

 彼と会ったのは一度だけだが、私に強烈な印象を与えている。宇宙歴七五一年九月三日、私はクルトに相談した上でデータチップの内容をシュタイエルマルク提督に尋ねることにした。そして資料室では無く、シュタイエルマルク提督に面会することを目的に訪問させてほしい、と打診した。資料室目当てでシュタイエルマルク邸を訪れたとしても、提督がいつも在宅しているとは限らなかったからだ。それに対して、シュタイエルマルク提督は「君の疑問は分かっている。しっかり対応するつもりだ、ただ君からくる必要は無い、こちら側から向かおう」と返してきた。

 

 後から考えれば分かるが……。「しっかり対応する」とは言ってはいるが、別に自分が対応するとは一言も言っていない。私はまんまと騙されたのだ。しかし、この状況でシュタイエルマルク提督が初対面の別人を自分の代わりに会わせることにするなど誰が予想できるだろうか?……そう、シュタイエルマルク提督に会うべく面会室に入った私を待っていた人間こそ、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン宇宙軍中将であった。

 

「……お初にお目にかかります。アルベルト・フォン・ライヘンバッハと申します」

 

 ミヒャールゼン提督とは幼年学校にある面会室の一つで会った。後から聞いた話によると、ミヒャールゼン提督の親族も幼年学校に居るらしく、その親族に会うという名目でやって来たらしい。それなのに何故その親族ではなく私がミヒャールゼン提督と面会することが許されたのか……。言うまでもない。幼年学校にすら我々の同志が居た、という事である。

 

 その時の私は内心、ちょっとしたパニックに陥っていた。シュタイエルマルク提督が居ると思い込んでいたのに、そこでは見ず知らずの胡散臭い人間がコーヒーを飲んで寛いでいたのだ。もっとも、名前を聞いた後でパニックに陥った理由は変わったが。

 

「うん、ご丁寧にどうも。私は軍務省で参事官をやっているクリストフ・フォン・ミヒャールゼンという者だ。宜しく、アルベルト少年」

 

 彼はコーヒーを飲みながら微笑んで私の挨拶に応えた。紺色のややくたびれたスーツに身を包んだ彼は、優男風の顔と相まってエリート軍官僚というよりもちょっと冴えない商社マンのように見えた。父やシュタイエルマルク提督からどこか疲れているような印象を受けたのに対して、彼はまさしく体力的にも精神的にも満ち足りている、そんな風に見えた。

 

「あの……シュタイエルマルク閣下はどちらに……?」

「逃げた」

「……は?」

「知ってるだろう?あいつは撤退戦が上手なんだ」

 

 ミヒャールゼン提督は笑いながらそう言った。しかし、私が唖然としているのを見ると軽く咳払いをしてから真面目そうな表情を取り繕った。

 

 後から聞いた話によると、ミヒャールゼン提督は自分から私に会うことを希望したらしい。つまり、逃げたというのは彼なりのジョークだったのだろう。それに応えられなかったことに若干の申し訳なさを感じるが、相手の身にもなって欲しい。あの状況でそんなジョークを出されて反応出来る訳がない。

 

 そして彼は、どこか芝居がかったような仕草で両腕を広げながらこう言った。

 

「さて、アルベルト少年、君の疑問を聞こうじゃないか!残念ながら私にはあまり時間が無くてね……」

 

 当然ながら私は彼に疑問をぶつけることを逡巡した。目の前の男がシュタイエルマルク提督で無いというのも理由の一つだが、それだけではない。歴史家諸君は信じてくれないだろうが、私には前世でミヒャールゼンという名前に聞き覚えがあった。

 

 彼がここに居る、その一事で私の中に恐ろしい可能性が浮かんでいた。ハウザー・フォン・シュタイエルマルクとクリストフ・フォン・ミヒャールゼンの間に繋がりがあった。そして恐らくカール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハとも。だが、結局のところ私は疑問をぶつけることを選んだ。

 

 恐らく、それに対するミヒャールゼンの返答は、私の信じていた世界を大きく揺るがすことになるだろうということは分かっていた。だが、その真実がどれだけ大きな衝撃を私に与えようと、転生が私に与えた衝撃に比べたら小さな物だ。私はそう考えた。

 

「……8月に父から私にデータチップが届きました。『大至急ハウザーに渡せ』という指令と共に。様々な事情から、すぐにその指令を果たすことができませんでしたが、その時シュタイエルマルク閣下はわざわざ幼年学校まで来て、データチップを回収していきました」

 

 私はあの時のシュタイエルマルク提督の目を思い出す。真剣さもさることながら、焦燥・後悔・苛立ち……色々な感情が強く読み取れた。あの聡明で常にスマートなシュタイエルマルク提督から、である。

 

「ミヒャールゼン閣下。何故あなたがシュタイエルマルク閣下の代わりにここに居られるのかは分かりません。ですが、あのデータチップの内容について何かご存知なのでしょう?どうか教えていただけませんか?父とシュタイエルマルク閣下は一体、私に何をやらせていたのですか?」

「君はカールとハウザーの私信を運んでいただけ、それでは納得できないのか?」

 

 その言葉と同時にミヒャールゼン提督の雰囲気が変わった。刀を突き付けられているような、そんな錯覚を覚えた。サーベルではなく刀だ。歴史家諸君、意訳はしないでくれよ?

 

 我が同志、インゴルシュタットも似た雰囲気を漂わせていたが、ミヒャールゼンのそれはインゴルシュタットのそれを百倍に濃縮したかのような代物だった。とはいえ、それで怖気ずく私ではない。「保身に興味がない」と言うのは別に地位に限った話ではない。自覚は無いのだが、ブラッケによると私は自分に降りかかるリスクに対してやや無頓着な所があるらしい。もっともそれを言ったブラッケもすぐにリヒターから「お前が言うな」と言われていたが。

 

「納得出来ませんし、そもそも閣下がそれで私を納得させたいなら……、閣下はここに来るべきではありませんでした」

「……なるほど!正論だ。しかし私にも事情があってね。ハウザーに対して君に興味があると言ったのは嘘ではないのだが、どちらかというとコレが目的だ」

 

 ミヒャールゼン提督は懐から封筒を出し、私の方に差し出した。

 

「恐らく11月くらいに、君はミヒャールゼンという名を再び聞くことになるだろう。そうしたらこの封筒をカールかハウザーに渡してくれ」

「またメッセンジャーですか……」

「他に方法が無くてな。『面会を代わりに行かせてくれ』とハウザーに伝える事にすら苦労したんだ。リューデリッツとエーレンベルクが私に辿り着いたからね。今の私は処刑台の上で死を待つ囚人に等しい」

 

 そう言いながらミヒャールゼン提督はくつくつと笑っていた。私の方は突然衝撃的な話を聞かされて何も返せない。

 

「ああ、すまない、アルベルト少年。どうやら少し精神的に参っているのかもしれないな。君にこんなことを言っても仕方がないだろうに」

「いえ……」

 

 私はやっとのことでその一言だけを返した。だが言われてみれば私が前世で知るミヒャールゼンは謎の死を遂げていた。それがいつの話なのか、当時の私は覚えていなかった。

 

「さて、君の疑問は尤もだが……君がその答えを知るにはまだ早い。だから今はこれだけ覚えておきたまえ。『パランティア星域会戦』。君が幼年学校を卒業するころには詳細な会戦のデータがコンピュータで見れるようになるはずだ。君は聡明だ。見れば分かるはずだ」

「『パランティア星域会戦』……ですか?疑問に直接答えていただくことは出来ないのですか?」

「出来ない、という訳でもないが、今答えるべきでは無いだろう。ただ……君には本当にすまないことをしたと思っている。卑怯なやりようだが、私のこの謝罪も一緒に覚えておいて欲しい」

 

 それからミヒャールゼン提督は少し躊躇して続けた。

 

「ただ、そうするしかなかったというのは事実だ。恐らく私は……何度やり直しても同じ事をするはずだ。そして後悔も、無い」

 

 そう言った顔には苦悩が刻まれていたが、迷いの無い目をしていた。

 

 暫く沈黙が面会室を支配した。机の上のコーヒーを飲み切ると、ミヒャールゼン提督は立ち上がって面会室を出た。当時の私は何か言いたかったが、何を言うべきか分からなくて黙って見送った。あるいはあの瞬間、私が何か的確なことを言うことが出来れば、我々はミヒャールゼンという男を失わなくて済んだのかもしれない。……流石に思い上がりが過ぎるか。

 

 ミヒャールゼン提督の最後の言葉……。単純に解釈すれば私を巻き込んだことに対して言っているのだろうが、きっと彼は自分の人生自体を振り返って言ったのだろう。もしかしたら違うかもしれないが、彼が死んだと聞いたとき、私は自然にそう思った。

 

 

 宇宙歴七五一年一〇月二九日一四時三〇分過ぎ、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督は軍務省の参事官室で頸部を撃たれて死亡しているのが発見された。当日は一一四〇〇名もの帝国軍士官の人事異動が発表されていた。さらにどういう訳か軍務省人事局は一〇時三〇分に出した第一次異動発表を20分後に撤回。人事局長マイヤーホーフェン地上軍中将が謝罪するほどの大きな騒ぎになった。そんな混乱の最中、ミヒャールゼン提督は射殺された。

 

 ミヒャールゼン提督は死の直前、第二次ティアマト会戦の生き残りであるハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将と面会し、激しく口論していたという。しかし、そのシュタイエルマルクも一三時一五分頃には参事官室を辞去している。一三時二〇分頃には生きているミヒャールゼンの姿が多くの士官に目撃されている上に、一四時頃には軍服姿の人間が参事官室を抜け出す姿を見たという数人の士官の目撃証言がある。証言を信じるならば、シュタイエルマルク提督はミヒャールゼン殺害の犯人ではない。

 

 その他、ある者はミヒャールゼン提督と一四時過ぎにトイレで会ったと証言し、またある者は、ミヒャールゼンの親族を参事官室の近くで見たと証言した。このようなどこまで信用できるか分からず、中には厄介なことに相互に矛盾しているような証言まで存在し、捜査は難航した。

 

 同年一一月八日、私はシュタイエルマルク邸を訪れた。

 

「お久しぶりです……。シュタイエルマルク閣下」

「ああ、久しぶりだな。アルベルト君」

 

 シュタイエルマルク提督は最後に会った時と全く変わっていなかった。……少なくとも表面上は。

 

「ミヒャールゼン提督から封筒を預かっています。自分の名前が聞こえてくるようなことがあれば、閣下か父に渡すようにと言われていました」

 

 私は封筒を差し出す

「何?……そうか、ミヒャールゼンの奴、突然アルベルト君に会いたいなんて言うから何が目的かと思ったが……。そういうことか」

 

 シュタイエルマルク提督は一瞬驚いたようだが、すぐに納得した表情を浮かべると封筒を受け取った。

 

「すまないが……外してくれないか?一人で中身を確認したい」

「……分かりました。」

 

 私はシュタイエルマルク提督の書斎を出た。廊下ではいつものようにクルトが待っていた。私が挨拶をしている間はどうせ暇だからと廊下で本を読んでいることが多かった。

 

「終わった?それじゃあ、今日は何の本を読もうか?この前は2人で『西遊記』を読んだんだっけ?」

「今日は資料室には行かない」

「……そう。まだ父さんに用事?」

「そんなところ」

 

 私はミヒャールゼン提督が最後に遺した封筒の中身が気になっていた。とはいえ、勝手に中身を除くのは流石に人として間違っている。時間を置いて再び書斎に入れてもらい、駄目元でシュタイエルマルク提督に聞いてみよう、そう考えていたのだが……。

 

「ミヒャールゼンの馬鹿野郎が!」

 

 突然大きな声と何かを叩く音がした。……いや、実際の所、分厚い扉を隔てていたこともあり、完全には聞き取れなかったのだが……。『馬鹿』という単語は何となく聞き取れたので、恐らくこのようなことを言っていたと思う。

 

「今のは……?」

 

 私とクルトは顔を見合わせ、そして書斎の扉を恐る恐る開けた。

 

「どうされましたか、閣……」

 

 私は驚いた。シュタイエルマルク提督は泣いていた。あのシュタイエルマルク提督がである。

 

「……」

 

 私たちは無言で再び扉を閉めた。ミヒャールゼン提督の封筒に何が入っていたのかは今でも分からないが、チラリと見えた限りでは便箋とデータチップがシュタイエルマルク提督の机の上にあったような気がする。

 

 あの事件に関して、私は今も真実を知らない。シュタイエルマルク提督に聞くことは、この時も、それ以降も出来なかった。しかし、同志たちから聞いた情報などを組み合わせて、一つの推論に辿り着いた。それなりに自信もある。折角の機会だ。次はその推論をお披露目しよう。




注釈3
 ジークマイスター機関には多くの謎がある。その中でも特に大きな謎の一つが『七五一年問題』である。
 『七五一年問題』とは創設者マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターや指導者クリストフ・フォン・ミヒャールゼンを始めとする少なくない数のメンバーがこの時期を境にジークマイスター機関から脱落を余儀なくされたと推測されるにも関わらず、後の救国革命第一世代の指導者に、ジークマイスター機関に関係していると思われる人物が多数存在することに対する疑問である。
 なお、ジークマイスターやミヒャールゼン以外にもメンバーが脱落していると推測される根拠は、情報公開後の軍務省の人事記録である。これによると、七五一年前後に士官の『事故死』『病死』が激増している。同様の現象は他の時代でも何回か確認されているが、例えばマンフレート亡命帝の暗殺前後、あるいはコルネリアス元帥量産帝の親征断念直後など、大きな政変があった時に限られている。このことから断定はできないものの、ミヒャールゼン暗殺事件前後に何人かの士官が粛清されていることは確かなように思われていた。
 
 さて、話を『七五一年問題』に戻すが、学界では主に二つの説が唱えられていた。一つ目は『二段階説』または『断絶説』と呼ばれる物であり、七五一年前後の粛清でジークマイスター機関の第1世代は大幅に減少したが、細々と生き残り、新たなメンバーを獲得したという説である。二つ目は『詐称説』であり、七五一年前後の粛清で第一世代は全滅したが、その後、救国革命の際に同盟の協力を引き出すために、革命指導者たちが同盟とつながりのあったジークマイスター機関のメンバーを詐称したという説である。
 しかし、ライヘンバッハの自叙伝に書かれていた真実と彼の推論は、両方の説を否定する物であり、学界に大きな衝撃を与えた。

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