アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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青年期・混迷の帝都(宇宙暦769年3月24日~宇宙暦769年4月上旬頃)

 宇宙暦七六九年三月二四日。その日は酷く寒かった。季節外れの雪が薄く帝都に積もり、使用人たちは慌てて倉庫から薪を用意し、暖炉に火をつける羽目になった。

 

「おはようございます。父上」

「おはよう、アルベルト」

 

 その日、私は久しぶりにリラックスした朝を迎えていた。 

 

 三月一五日、名士会議からの出頭勧告に応じ、クロプシュトック侯爵が帝都に赴く事を発表した。翌日にはクロプシュトック侯爵領から艦艇五〇〇〇隻が帝都に向けて出立する。これを受けて中央政府は近衛第一艦隊と赤色胸甲騎兵艦隊を急遽動員し、帝都防衛軍宇宙部隊八〇〇〇隻と合わせて凡そ艦艇三〇〇〇〇隻を帝都に集結させた。万が一の事態に備えてである。

 

 この間、軍務省は不眠不休で首都星オーディン近郊で大規模会戦が起きた場合を想定した対策、そして首都星周辺航路を封鎖したことによる各方面への対応に追われることになった。閑職にある私も古巣の地方管理局の応援に駆り出され、随分と大変な目にあった。しかし、三月二二日にクロプシュトック侯爵とその私兵艦隊が首都星オーディンに到着すると、大きなトラブルが起こることも無く、無事クロプシュトック侯爵はベルリン州ラントシュトゥールにある別邸へと入った。

 

 ここからはクロプシュトック侯爵の協力を得た上で内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵が再捜査を主導し、またその結果を受けクレメンツ一世による帝臨大法廷によってクロプシュトック侯爵に対する判決が言い渡されることになる。ちなみに帝臨大法廷では一八名の陪審員がクレメンツ一世から求められて意見を述べることが決まっているが、その一人が枢密院議員である父カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ退役元帥だった。

 

「コンスタンツェ嬢はどうした?」

「まだ寝ています。遅くまで起きていましたからね。起こすのも可哀想でしょう」

 

 私は父に苦笑しながら答える。

 

「また書庫に籠っていたのか……。元気を取り戻してくれたのは嬉しいが、あそこにある本を彼女に見せるのは彼女の精神衛生上良くないと思うんだが……」

「父上、朝から私と女性に『相応しい』生き方について議論なさるおつもりですか?良いではありませんか、女性が政治や経済に興味を持って、それで誰の権利が侵害されるんです?誰にだってアメリア・イアハートになる道はあって良い、それが私の考えです」

 

 私は少し冗談めかしながらもキッパリと父の意見に反論する。ジークマイスター機関、あるいはもっと広く共和派・開明派と言い換えても良いが、そのメンバーが必ずしも男女平等について理解しているかというとそうとは限らない。……まあぶっちゃければ『自由』や『共和主義』というもっと根本的な部分に対する理解に相違点があることも少なくないのだが。

 

 我が父は古典的な帯剣貴族であり、ジークマイスター機関に加わった動機は父や兄への反感と能力主義への強い渇望だ。共和主義に理解が無い訳ではないが、それは多分に「能力ある者による支配」という考えに偏っている。また、女性を尊重はするが、「尊重」という行為に対する考え方も私とは違う。多分に騎士道精神に満ちた父は正しい男女関係を「男性は女性を危険から守る」という方向性で定義している。

 

 その考えで行けば『危険な軍事や思想、政治は男性が行うべきであり、女性がそのような事をする必要が無い社会が理想である。むしろ女性にそのような事をさせるのは男性の恥である』というような結論が生まれてしまう。

 

「アメリア・イアハートか……。あれは中々面白かったな」

 

 父は苦笑している。ある日の事だ。私と父が帰宅すると迎えに出てきたコンスタンツェ嬢が開口一番こう言った。

 

『旦那様!養父様!私、パイロットになりたいです!』

 

 当然、私たちは呆気にとられた。脳裏に浮かんだのはワルキューレを駆るコンスタンツェ嬢の姿である。反射的に「有り得ない」と思い、そこでカーテローゼ・フォン・クロイツェルの事を思い出して「何が有り得ないかを言うのは難しい」という言葉を思い出した。

 

 よくよく話を聞いてみると艦載機では無く飛行機のパイロットになりたいということらしく、目を輝かせながら『空の女王アメリア・イアハート~サイパンに消えた白薔薇~』というシリウス時代に書かれた本を差し出してきた。最初に古書店で見たときには「アメリア・イアハートの名がよく残っていたものだ」と感心し、内容を読んで「フィクションなら一流だが、伝記としては四流」と評価し、そのまま書庫の片隅に放置していた本だった。

 

「まあ……お前の妻だ。お前の好きなようにしたら良い」

 

 父はそう言うと手に持っていた帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)を私に渡してきた。

 

「アルベルト、言い忘れていたが今日は少し出かけてくる」

「どちらへ?」

「ハイナー君の所に行って少し調べ物をしてくる。著作の関係だ」

 

 父は退役後、故、ヨーナス・フォン・エックハルト宇宙軍大将の戦略理論を題材に兵学書の執筆に精力的に取り組んでいた。私は父を見送ると、手元に帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)に目線を落とす。

 

『国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵は来月一日を以って帝国中央銀行(ライヒスバンク)のヴァイスバッハ頭取を解任することを発表。ヴァイスバッハ頭取は開明派に属し、大胆な規制緩和や経済構造の改革による民間投資の刺激が必要であると主張し、経済再建に対する中央銀行以外の役割を強調、金融緩和には消極的な姿勢を取り続けてきたことから、閣僚会議議長を兼ねるブラウンシュヴァイク公爵とは激しく対立してきた。今回、名士会議の決定という錦の御旗を以って……』

 

『内務省社会秩序維持局のアント報道官が元国務次官補で国税庁長官レッケンドルフ子爵を拘束したことを発表。内務尚書ブラッケ侯爵と財務尚書リヒター子爵は拘束を不当と判断し解放を求めているが、社会秩序維持局長フンク男爵は親任職の独立を理由にこれを拒絶。帝国大学のヴェストパーレ特任教授は「ブラウンシュヴァイク公爵は自身に対する最も先鋭的な批判者の口を封じに……』

 

『リューベック藩王アーレンバーグ氏が名士会議で裁可された新課税法に対し「著しく不当で一方的、到底受け入れられない」と声明を発表。旧城内平和同盟(ブルク・フリーデン)諸星は既に適用を拒絶することを決議、フェザーン自治領主(ランデスヘル)カリーニン氏は記者の取材に……』

 

『ローザンヌ選民評議会は賛成五七・反対一九・棄権一一でローザンヌ伯爵アレクセイ・ナロジレンコ氏の解任を決定した。ナロジレンコ氏は親帝国派として知られる。後任には下層民出身の独立主義者フィリップ・チャン評議員が選出される可能性が高い。自治統制庁長官リヒテンラーデ伯爵並びにローザンヌ総督府はチャンのローザンヌ伯爵襲名を阻止する構えではあるが、内務尚書ブラッケ侯爵は不介入を指示……』

 

『バルヒェット伯爵領にて大規模な富裕層向けカジノ施設の建設が開始。名士会議にて決定した地方交付金によって費用捻出の目途が立った模様……』

 

『リュテッヒの大暴動は未だに収拾の目途が立たず。ノイエ・バイエルン伯爵は隣接するラインラント警備管区の帝国軍警備艦隊司令部に出動を要請、軍務省筋関係者は記者に対し「背後に流星旗軍の関与が疑われる」と……』

 

 名士会議以来、ブラウンシュヴァイク公爵と開明派の対立が一層激しくなっている。ブラウンシュヴァイク公爵は名士会議の場で持論である大規模な金融緩和と減税を主張、国庫の負担はカストロプ公爵の遺産で補えば良いとした。さらに「地方の事はその土地をよく知っている人間に任せるべきだ」と発言し、地方交付金の増額を要求する。開明派は激しく抵抗したが、この問題に関しては普段から反ブラウンシュヴァイク・非ブラウンシュヴァイクを掲げている者たちも自分たちの利益となる為にブラウンシュヴァイクの側に立ち、開明派は結局押し切られた。

 

 名士会議の場でカストロプ公爵が財務尚書の地位を使って築き上げた巨万の富――本来は国庫に納められるべきだった――が地方貴族に無意味に分配されることが決定し、さらに国庫が未だ予断を許さない状況にあるにもかかわらず、政府の借金を助長する効果がある金融緩和――ヴァイスバッハ頭取の言葉を借りれば「小手先の安易な金融政策」――が実施されることが決まり、また「国税の」減税が決定した。……どうせ国の減税分はそのまま貴族の懐に入っているに決まっている。

 

 そしてこれは中央の人間があまり重く考えていないことではあるが、辺境自治領に対する課税が一層強化された。これについては後々詳細に説明することになるだろうが、一言だけ言わせてもらえば、辺境情勢が悪化している状況であまりにも軽率な増税策だった。

 

「アルベルト様。朝食の用意が完了しました」

「ああ、有難う」

 

 私は帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)をテーブルの上において食堂へ向かう。

 

「おはようございます……旦那様」

「おはよう、コンスタンツェ」

 

 食堂には既にコンスタンツェが居た。どうやら私が新聞を読んでいる間に目覚めていたらしい。ただ随分と眠そうだ。一応、今でも公的には従妹アンドレアということになっているが、今更コンスタンツェをライヘンバッハ伯爵家が匿っていると知れた所でさしたるダメージは無い。当初こそ屋敷内でも従妹アンドレアとして振舞ってもらっていたが、最近では普通に旦那様・コンスタンツェと呼び合っている。

 

「無理しなくても良かったんだよ?昨日も遅くまで起きていただろう?」

「いえ、旦那様が起きられたのに私だけいつまでも寝ている訳にはいきません」

 

 コンスタンツェはキッパリとそう言った。私はその彼女の様子を微笑して眺める。二人で朝食を摂っている時の話だ、それは唐突に起こった。

 

「何をなさいますか!」

「どけ!ライヘンバッハ少将を出してもらおうか」

 

 玄関の方から言い争うような声が聞こえる。私は不穏な空気を感じ、すぐに食堂の装飾品に仕込んであるブラスターを回収した。

 

「だ、旦那様?」

「コンスタンツェは隠れているんだ、私は少し様子を見てくる。トルベンはコンスタンツェを守ってくれ」

「承知しました、御曹司」

 

 コンスタンツェが使用人のトルベンに連れられ、食堂を出ていくのを確認し、私は玄関へと向かう。既に不穏な空気を察していたのだろう。使用人に扮していた護衛が集まってきた。我がライヘンバッハ伯爵家は父子揃って反政府組織の幹部である。いつ何があってもおかしくない。常日頃から憲兵隊や社会秩序維持局を想定した防御を整えていた。使用人の半数ほどを軍務経験者から雇用しているのもその一環だ。勿論、別に一伯爵家に相応しい警備兵も存在するが。

 

「何があった?」

「分かりませんが、リューネブルク伯爵が尋ねて来られたのは確かです。御曹司を出せと言っています」

「リューネブルク伯爵は武装した兵士を同伴しています。リューネブルク伯爵の御車が邸内に入った直後、一斉に軍用車が邸内に突入してきました。完全に不意を突かれたのと、リューネブルク伯爵の為に門を開けていたことが災いして、あっさりと邸内への侵入を許してしまったようです」

「……二名ここに残れ、コンスタンツェとトルベンが向かった方へ誰も通すな。残りは着いてこい」

「御曹司、危険です」

「時間を稼ぐ、それに邸宅に踏み込まれるのは色々と都合が悪い。あと伯爵の意図も知りたいしな」

 

 私はそう言うと有無を言わさず玄関の方へ向かう。日頃から気を使ってはいるが、ジークマイスター機関に繋がる情報がこの邸宅には存在する。既に日頃言いつけている通りに証拠隠滅作業が始まってはいるだろうが、なるべく時間を稼ぎたい。

 

「リューネブルク伯爵!我が家に兵士を連れて乗り込むとはどういう了見か!?」

「ライヘンバッハ少将、私は軍務尚書の要請を受けて貴官と御父上を保護しに参った。大人しく同行されたい、それが貴官の身の為である」

「保護?一体何のために?」

「ブラウンシュヴァイク公爵の刺客から守る為だ。詳しいことは軍務尚書が説明なさる、着いて来るんだ」

 

 私は困惑した。とりあえず最悪の可能性、ジークマイスター機関の存在が露見したという可能性は無くなった。しかし、ブラウンシュヴァイク公爵の刺客とはどういうことだ?何故軍務尚書の命でリューネブルク伯爵が動くのだ?

 

「同行していただけないならば、我々をこの邸宅に入れてもらおう。貴官を守る為にはそれしかないのでな。おい!」

 

 私が黙り込んでいるとリューネブルク伯爵が同伴した兵士たちに邸内に入るように指示を出した。

 

「な、何を為さるのですか!?……承知しました。状況は分かりませんが伯爵閣下に同行しましょう。ですから、邸宅が軍靴に踏み荒らされるなどという屈辱を小官と父に与えるのは止めていただきたい」

 

 私はやや早計にも感じたが、リューネブルク伯爵に従うことにした。リューネブルク伯爵はどうも想定以上の兵士を引きつれているようだ。下手に抵抗するべきでは無いし、抵抗してもいずれ力ずくで従わされるだろう。少なくとも邸宅への侵入を防ぐ術はない。

 

 リューネブルク伯爵は頷くと邸宅の外へと向かう。数人の兵士が私を取り囲む。その間際、護衛の一人にヘンリクにこのことを知らせるように命じた。ヘンリクは帝都防衛軍で連隊長を務めている。

 

 

 

 

 

「御曹司!卿も捕まったのか!」

「ハルバーシュタット中将閣下!お久しぶりです、このような時ではありますが、ご快復おめでとうございます」

 

 私がリューネブルク伯爵に連れられてやってきた部屋――機密防止と言われ、そこの辿り着くまでは目隠しをされていた――には既に多くの人間が収容されていた。見覚えのある顔もちらほらある。主にライヘンバッハ派に属する軍人が多い。

 

「おお、あの時は不覚を取った。叛乱軍め、この報いを必ず受けさせてやる。……しかし、それはそれだ。御曹司、一体これは何の騒ぎだ?それと卿の御父上は無事か?」

「父は私が拘束されるよりも早くアイゼナッハ卿の下へ向かわれました。ですから分かりません……」

 

 ハルバーシュタット中将は「うーむ」と唸った。部屋の中には同じように困惑したり考え込んでいる者が大勢居る。その大半はライヘンバッハ派か、それと縁が深い要人である。帝都在住の将官クラスのライヘンバッハ派は軒並み揃っているのではないだろうか。

 

 退役元帥ルーゲンドルフ公爵、統帥本部最高幕僚会議議長ファルケンホルン上級大将、地上軍中央軍集団司令官シュティール大将、地上軍第三軍集団司令官ライヘンバッハ大将、帝都防衛軍宇宙部隊司令官ハルバーシュタット中将、青色槍騎兵艦隊司令官代理クヴィスリング中将、地上軍第六装甲軍司令官ブルクミュラー中将、第三装甲擲弾兵師団長リブニッツ少将、赤色胸甲騎兵艦隊第三分艦隊司令官ゼークト少将、近衛第二師団長クロイツァー少将らは私とも直接面識のある人々だ。彼らはハルバーシュタット中将と同じように次々私の下に寄ってきては私の無事を喜び、父を心配した。

 

 肩書を見れば分かるかもしれないが、宇宙軍においては若干軍の本流から外れた役職に追いやられている一方で、地上軍ではまだまだ要職を独占している。大勢の地上軍将兵が失われたドラゴニア戦役では父の従弟ロータルのようにライヘンバッハ派に属する戦死者も少なくないが、それでも宇宙に比して地上においてはまだまだ帯剣貴族家の力が強いといえる。

 

 三時間……は流石に経っていないと思う。暫く時間が経った頃、再び扉が開きバッセンハイム大将が部屋の中に入ってきた。兵站輜重総監部整備回収局長アイゼナッハ中将も一緒だ。

 

「バッセンハイム大将閣下!」

「ライヘンバッハ少将か、それにライヘンバッハ退役元帥に近い連中が多いな……。聞け、俺はさっきまで別の建物に収容されていたのだがな、他に閣僚連中と幕僚総監部の連中が捕まっていた。幕僚総監部はゲルマニア防衛軍司令部に踏み込まれた。他の閣僚連中は開明派が各省庁で捕まり、門閥派はそれぞれの邸宅に踏み込まれたそうだ。フレーゲルのガキがゾンネベルク伯爵は抵抗して射殺されたとか何とか言ってた。あくまで噂だがな」

 

 バッセンハイム大将は険しい表情で一気にまくし立てた。

 

「……これは恐らくクーデターだ。とりあえず開明派と門閥派の主導ではない。そして当然俺たち軍部ライヘンバッハ派の仕業でもない。となると消去法でクーデターを起こしたのは旧リヒャルト大公派だってことが分かる。奴らベーネミュンデ公爵の敵討ちでもやるつもりだ」

「馬鹿な、有り得ない……旧リヒャルト大公派の勢力は小さいですし、往時からして軍に対する影響力は微々たるものでした。クーデターなど不可能です」

「何が有り得ないのか言い当てるのは難しいんじゃなかったのか?」

 

 バッセンハイム大将が私の口癖を挙げ、私は黙り込む。

 

「ちょっと良いかな?アルベルト君。君の父上はどちらに?」

「……アイゼナッハ卿と一緒では無かったのですか?」

「ということは、君と一緒では無かったという事か……。落ち着いて聞いてくれ。私が拘束された時点で私の屋敷にまだライヘンバッハ退役元帥は到着していない」

 

 アイゼナッハ中将は案ずるような表情で続ける。

 

「クーデターに気づいて潜伏なさったのかもしれないが……帝都の主なライヘンバッハ派は軒並み拘束されているようだ。大丈夫だろうか……」

 

 私もその言葉に不安を覚える。てっきり父はアイゼナッハ中将と一緒だと思っていた。果たして一体何があったのだろうか?この時の私に知る術は無かった。

 

 

 

 

 

 

 収用されて一〇日程が経った頃、監視に立っている兵士の一人が私に接触してきた。どうやら機関の構成員らしい。私の周りを一門の者たちが取り囲んでいる為に接触が送れたが、難を逃れたインゴルシュタットの命で帝都の情報を伝えに来てくれたようだ。

 

「そう警戒しなくても良いぜ。『フェデラーからラッシュ』へのメッセンジャーだ。久しぶり、っつっても分からねぇかな?何せ九年前の話だ」

 

 朝食の後、急な腹痛に襲われ慌ててトイレに行く羽目になった私は、用を足した後で付き添いの兵士からいきなり話しかけられた。

 

「あんたがリューベックに赴任する時に話した兵士なんだがな、流石に覚えてねぇか?……カイ・ラディット。ヴェスターラント解放戦線のメンバーで、第二八代ヴィレンシュタイン公爵たるギュンター・ヴェスターラントに仕える者だ」

「……思い出した。あの時の輸送艦に乗っていた少佐か」

「輸送艦を襲った海賊はフェザーンの息が掛かっていた。あの時は分からなかったがな。二辺も動かないように細工されていた。俺から連絡を受けたギュンターが急いで救援を送らなかったら、あんたも俺もあそこで死んでいた」

 

 「お互いこうして生きて会えて良かったな」とラディットはニヤりと笑う。しかしすぐに表情を切り替えた。

 

「本題に入るぜ。まずここはベルリン州の古い思想犯収容所だ。建国期に内務尚書アルブレヒト・フォン・クロプシュトックが秘密裏に建設した。既に閉鎖・解体されたはずなんだが、どうも代々のクロプシュトック侯爵はこの収容所を私的に使用していたようだな。他に開明派の一部官僚が放り込まれているが、これは一種の人質かもしれん。ブラッケやリヒターは既に解放されているんだが、民衆人気の高い二人に反クーデターをやられると大層不都合だからな」

 

 ラディットはスラスラと私に情報を伝える。

 

「フェデラーとバルトが今、ライヘンバッハ派の下っ端を巻き込んで奪還作戦を立てている。それまではここで大人しく待ってろ」

「帝都の情勢はどうなんだ?」

 

 私はラディットに尋ねた。収容されてから全く外の情報が入ってこない。

 

「まず、クーデターの首謀者はクロプシュトック侯爵・リューネブルク伯爵・ルーゲ伯爵の三人だ。リヒテンラーデ伯爵は協力を拒んで一端は拘束されたが、ルーゲ伯爵の説得でクーデター派に加わった。エーレンベルク侯爵が一早く支持を表明し国務尚書に就いた。アンドレアス公爵とノイエ・バイエルン伯爵も支持よりの姿勢だ。二人は皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の一件でブラウンシュヴァイク公爵にも不信感を抱いているしな」

 

 ラディットはそこで一旦私の反応を伺ってきた。私は軽く頷いて「続けてくれ」と言う。

 

「軍では軍務尚書エーレンベルク元帥と後備兵総監リューデリッツ大将、そして統帥本部次長シュタインホフ上級大将と元・近衛兵総監のラムスドルフ予備役上級大将、黒色槍騎兵艦隊司令官グデーリアン宇宙軍大将、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令ケルトリング中将。……そして帝都防衛軍司令官ディートハルト・フォン・ライヘンバッハ中将がクーデター派に加わった」

「……名前を挙げられてみたら納得だな。そのメンツは確かにクーデターに同調しかねない危険性を持ってる。尤も、その全員が見事にクーデター派に引き込まれるとは想定出来なかった。彼らが現体制に抱く不満は別々の種類であり、それぞれの関係性も一部を除いて希薄だ。バラバラの不穏分子を一体誰がまとめ上げたか……」

 

 私は少し考え込むが、ラディットがまた発言を始め、私は思考を打ち切った。

 

「クレメンツ一世は『兄暗殺』と『爆弾テロを首謀』の二つを理由に退位を迫られている。どちらも確証はないが、傍証は多少ある。後は力ずくで容疑を認めさせるつもりだな。今までの帝国でもよくあるパターンだ。あと、門閥派を中心に何人か殺された奴が居る。ブラウンシュヴァイク公爵はまだ生きているが、クーデター派の監視下に置かれた。このままいけば殺されるだろう」

「……クレメンツ一世を退位させてどうするんだ?」

「そんなのは決まっている。グリューネワルト公爵を即位させるんだろうよ。尤も、グリューネワルト公爵が何を考えているかは分からん。とりあえず沈黙を保っているが、近衛の警備部隊が臨戦態勢で皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を守っている。どうやらラムスドルフ近衛軍少将らは父を含むクーデター派に同調する気が無いらしい」

 

 ラディットはそこまで説明すると「以上だ。とにかく助けが来るまで大人しくしているんだ、いいな?」と言い、トイレから私を連れ出そうとする。

 

「待ってくれ。父上は……」

「おい!御曹司は無事か!?帰りが遅いぞ!」

 

 私がラディットに父の安否を確認しようとすると、トイレの外から怒号が聞こえた。ハルバーシュタット中将の声だ。他にも聞いたことのある声がある。

 

「タイムオーバーだな。他の警備兵が来るかと思ったら一門連中が先か」

 

 「随分と愛されているな」とラディットは苦笑している。その表情を切り替え、冷徹な警備兵の振る舞いに戻るとラディットは私を連れてトイレから出た。外では二人の兵士が一門の者たちに迫られていた。

 

「皆さん。心配は要りません。私はこの通り無事ですよ。……普通に腹が冷えただけです。ご心配には感謝しますが、大騒ぎされたら私が恥ずかしい」

 

 私は苦笑しながらハルバーシュタット中将らに話しかける。結局、この時にはまだ父の安否について確認することが出来なかった。


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