アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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漸く終わりと始まりが見えてきました。


第四章・時代の終わり、伝説の始まり(仮)
壮年期・チェザーリ子爵とフリードリヒ四世(宇宙暦775年5月5日~宇宙暦775年9月20日)


 宇宙暦七七五年五月五日、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)。その長い回廊を私は旧友に連れられて歩いていた。旧友の名はエーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍中将、時の近衛兵総監マルク・ヨアヒム・フォン・ラムスドルフ近衛軍元帥の次男であり、自身も近衛第一師団長と侍従武官長を兼任している。

 

「わざわざ私の為にすまない。お前も多忙だろうに」

「陛下の御為だ。お前の為じゃない。……しかし、取次ぎさえまともにやってもらえないとはな。随分とお前も嫌われたな」

 

 ラムスドルフは私の方を見ないまま少し呆れた口調でそう言った。私を謁見室に連れて行くことは、当然ながら近衛の本来の職務ではない。にも関わらず彼がこうして私を引き連れているのは、私が宮廷の侍従たちから嫌われているからである。……新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の人々が私を見る目は冷たい。まあ私の当時の立場と、その言動を考えれば宮廷の主流派が私を敵視することは仕方がないだろうが。

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)には大小多数の謁見室が存在するが、その中でも後宮から程近いこの部屋には皇帝の私的な客人を招くことになっている。部屋の中には年季の入った赤絨毯が敷かれ、その一角がやや高くなっている。その上には華美ではないが高貴さを感じさせる椅子があり、天井からは椅子と謁見者の間を遮るカーテンが吊り下げてある。しかし、今は椅子の両脇に括りつけられている。

 

「陛下。チェザーリ子爵をお連れしました」

 

 その椅子の上で気怠そうにこちらを見る御方こそ、銀河帝国第三七代皇帝フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム四世である。ラムスドルフが一礼して退室するのを見てからフリードリヒは徐に口を開いた。

 

「久しぶりだな、ライヘンバッハ少将」

「皇帝陛下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます」

 

 私は臣下の礼を取るが、フリードリヒは顔を顰めながら手を振って「堅苦しいのが嫌だからここに呼んだんだ」と言った。

 

「陛下がそうおっしゃられるまでは堅苦しく行くしかありません。身分制とはそういうものです」

 

 私は目線をフリードリヒの方に上げ、やや砕けた口調で言った。

 

「面倒臭い、お前がそれを破壊したがるのも分からんでもないな」

「……小官が身分制破壊を企んでいるなどと言うのは根も葉もない中傷です」

「そうか?根も葉もある、と余は思うけどな」

 

 フリードリヒはからかうような口調でそう言う。私はやや顔を顰めながら「御冗談を」と言う。

 

「陛下は五年前の帝臨法廷で小官に無罪の判決を下されました。それは小官の忠誠を信じてくださったからでしょう?」

「違うな。余はリューデリッツの報告を聞いた時、お前ならやりかねないと思ったぞ?ただな、くだらん政争でこれ以上知己を失うのはな……。その、何というか……癪に障ってな」

 

 フリードリヒは言葉を探しているが出てこないといった表情でそう言った。

 

「余は皇帝即位を求められた時にあいつらにこう言ったんだ『俺は俺の事を好きにやる、卿らは卿らの事を好きにやれば良い、お互いに干渉はしない、それが卿らの神輿になる条件だ』とな。その条件通りに俺は好きにやった。それだけのことだ」

 

 フリードリヒは少しぶっきらぼうにそう言った。……帝臨法廷におけるアルベルト・フォン・ライヘンバッハに対する無罪判決は貴族・平民問わず多くの者の予想に反していた。とはいっても、私が実際に反国家的な行動を行っていたと確信していた人間は殆どいない。

 

 流石にあのセバスティアン・フォン・リューデリッツが手回ししただけあって、どの証拠も尤もらしく整えられていた。クーデターという非常の手段に便乗して私の首を取りに来ただけあって、殆どの証拠が捏造されたモノであったが、その内の数点はジークマイスター機関の存在を立証する本物の証拠であり、私も法廷では冷や汗をかかされた。

 

 それでも、そもそものストーリー――すなわち名将と謳われる元帥・宇宙艦隊司令長官経験者とその息子が反国家的組織の幹部である――が荒唐無稽な代物である。常識的に考えれば浅学な平民ですら「有り得ない」と思う。故に、人々は私を半ば無実と感じながらも、政治的な事情から私に有罪判決が下されることを確信していた。……政争の敗者にこれでもかと汚名を着せて、処刑台へ送るのがこの国の司法の常である。皮肉な事に司法への信頼度が低いことが、セバスティアン・フォン・リューデリッツの探り当てた真実を矮小化した。

 

 実際、全面無罪を主張したカール・フォン・ブラッケを除く全陪審員が程度の差は有れど有罪という意見を述べた。公にされていないがクーデター派の息が掛かった高等法院の判事たちも有罪を主張したのは間違いない。しかし、フリードリヒは高等法院長ゲオルグ・フォン・ルンプ伯爵から渡された判決文を数秒見つめた後に破り捨てると、「被告人無罪、証拠不十分」とだけ述べてさっさと退廷してしまった。

 

 リューデリッツの手回しで帝国中の主要メディアや有力者が集められた中での逆転無罪である。隠蔽不可能――そもそも帝臨法廷の判決を隠蔽すると言うこと自体、その権威を失墜させることになると思うが――と判断したクーデター派のルーゲ公爵、リヒテンラーデ侯爵らはリューデリッツと我が従兄ディートハルトの強硬な再審主張を退け、「ライヘンバッハ派への疑惑はオットー・ブラウンシュヴァイクの姦計による根も葉もないモノ」とし、私と拘束されていた軍部ライヘンバッハ派の要人を解放した。……尤も、全てが元通りになった訳ではないが。

 

「チェザーリ子爵という呼ばれ方にはもう慣れたか?」

「正直に言えばまだ慣れませんね。もうあれから五年も経ったというのに」

 

 私は苦笑しながらフリードリヒの問いに答えた。チェザーリ子爵アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍予備役少将、それが今の私の肩書である。五年前から多くの事が変わったが、私個人にとって最も大きな変化の一つは恐らくチェザーリ子爵位の襲名であろう。

 

「悪いな。ルーゲがライヘンバッハ伯爵家の家督はお前の従兄に継がせろと煩くてな」

「……いいえ、陛下のおかげで小官は貴族位とライヘンバッハの家名を失わずに済みました。本音を言えば貴族位や家名に大した価値を見出すことはできませんが、今のこの国で自由に生きるにはどうしても必要です」

「……相変わらず他の貴族が聞いたら怒り狂うような事を言う。礼はリヒテンラーデに言え。貴族のお前に皇帝直轄領の代官に任じられた平民用の称号貴族位を与える。先例は無いが、だからこそできない理由もない」

 

 この帝国において貴族であるか否かは非常に重要であるが、当主であるか否かも同じ位重要である。『三・二四政変』の後、ライヘンバッハ伯爵家の嫡子の地位を放棄させられた私は、フリードリヒの意向を受けたリヒテンラーデ侯爵の手回しでオストプロイセン警備管区に存在する辺境の皇帝直轄地、惑星チェザーリの代官職とチェザーリ子爵の称号貴族位を与えられた。

 

 現在ライヘンバッハ伯爵家は従兄のディートハルトが継承しており、多少の問題をクリアすれば簡単に私からライヘンバッハの家名を奪うことが出来る。そうなれば当然私は貴族身分を失うことになる。しかし、チェザーリ子爵の称号貴族位を有している間はライヘンバッハの家名を奪われても私は貴族として扱われ、またチェザーリ子爵家の当主として一定の特権によって保護される。

 

「リヒテンラーデ伯爵……今は侯爵ですが……。自分で言うのも変ですが、小官の言動はリヒテンラーデ侯爵にとって不愉快な代物の筈です。何故あの方は小官に便宜を図ってくれるのでしょうか?」

「そんなこと本人に聞け。余は分からんし興味もない。……ああ、でもリヒャルトは昔からクラウス・フォン・リヒテンラーデに目を付けていたようだがな。『将来の帝国官界はクラウス・フォン・リヒテンラーデとオイゲン・フォン・リヒターを中心に動くでしょう』と言っていた」

 

 ここでいう「リヒャルト」とは故、リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン宇宙軍大将の事だろう。大抵の人間はフリードリヒが「リヒャルト」といえば兄である故、リヒャルト・フォン・ベーネミュンデ公爵の事だと考えるが。

 

「まあ、そんなことはどうでもいい。本題に入ろう、ローザンヌはどうだった?」

「何とか流血の事態を回避することができました。これも陛下が小官に『特使』の肩書を与えてくださった御蔭です」

「そうか、それは良かった」

 

 私が今日フリードリヒに拝謁した理由は、内務省・帝国正規軍と独立派の公選伯爵・領主府の武力衝突が間近に迫っていると噂されていたローザンヌ伯爵領に対して、皇帝フリードリヒ四世の『特使』として派遣された件に関する報告をする為だ。

 

 『三・二四政変』の後、軍を追い出された私はフリードリヒの近臣として一定の身分を保障された。その後、私はフリードリヒとの個人的な信頼関係を基に彼から特別な庇護を受け、時にはフリードリヒから特別な権限を得て「好きに」している。ローザンヌ伯爵領に『皇帝特使』として派遣されたのも、私の頼みをフリードリヒが聞き容れてくれた――そして内務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵がそれを黙認した――からだ。

 

 私が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の人々から嫌われている理由の一端はここにある。私は他者からフリードリヒの寵愛を良い事に専横を働く奸臣と思われているのだ。……実際、その批判はあながち間違っていないだろう。今の所それなりに分を弁えていたつもりだが、ルーゲ公爵からは「卿はエックハルトやシャンバーグの再来に成り果てるつもりか?」と睨まれた。

 

「報告を聞かれますか?」

「ん……。そうだな。聞いておこうか。今度は何をやった?」

 

 私はフリードリヒが「興味ない」と答えると予想していた。フリードリヒは今まで私のいくつかの『進言』を聞き容れ、便宜を図ってきた。すなわちブラッケ侯爵・リヒター子爵の留任、バルトバッフェル子爵領への経済制裁解除、スラーヴァ・インターナショナル社会長ドミトリー・ワレンコフへの勲章授与、レッケンドルフ前国税庁長官の解放、旧・カストロプ公爵領地域への人道支援等である。そのいくらかは他の有力者の横槍が入って私の意図する結果とはならなかったが、そもそもフリードリヒは私の『進言』がどのような結果を招こうとさして興味のない様子であった。

 

 しかし、今回は私の予想に反してフリードリヒは詳細な報告を求めてきた。その時の私は余程意外そうな表情をしていたのだろう、フリードリヒは溜息を一つつくとその理由を説明した。

 

「司法尚書ヘルマン・フォン・ルーゲ公爵、内務省自治統制庁長官ワレリー・フォン・ゲルラッハ子爵、それから内務省社会秩序維持庁長官アルトリート・フォン・キールマンゼク伯爵の三人が余に強い不満を訴えてきた。よく分からんがお前のせいで国政の大望が狂ったとか何とか言っていたな」

「……なるほど。御三方はローザンヌ星系でシリウスの『ラグラン市事件』を意図的に再現しようと計画していました。小官がその計画を頓挫させたことを非常に不満に思っているのでしょう」

 

 ゲルラッハ子爵とキールマンゼク伯爵は前内務尚書ブラッケ侯爵とは違い、分離主義勢力や共和主義勢力に対する強硬な弾圧を主張している(彼らの方が内務官僚の標準(スタンダード)であり、ブラッケ侯爵の方が異端であるが)。ルーゲ公爵は自身と縁戚関係にあるコールラウシュ伯爵――正確には彼の妻である娘とその娘二人――をザールラント叛乱軍――ウィントフック独立革命戦線(FREWLIN(フレウリン))――の爆弾テロで失って以来、急速に反辺境・反分離主義・反共和思想的な傾向を強めている。

 

 彼らは急進的な分離・独立主義者であるローザンヌ伯爵フィリップ・チャンとその支持者を見せしめとして処刑することでクロプシュトック事件とその後の紛争、また『三・二四政変』をきっかけに活発化した独立運動、共和主義運動を押さえつけようと企図していた。

 

 彼らは恐怖によってこれらの運動を鎮静化させ、帝国の威信を示す為にローザンヌ星系に一個中央艦隊と二五万の地上兵力を投入する段取りを整えていた。戦艦と戦車、そして銃剣による制圧とフィリップ・チャンを初めとする独立派指導者の『逮捕』。それは恐らく夥しい流血を招くことになるが、それもまた『強い帝国』を示したいルーゲたちにとっては望むところであった。彼らは地球がシリウスで犯した失敗を分析した結果、「あのような愚行は起こしてはいけない」ではなく、「もっと上手くやれば有効である」との結論を得たらしい。

 

「宇宙暦七六九年八月。トリエステ伯爵アーロン・プレスコートは住民投票の結果と前内務尚書ブラッケ侯爵との間に交わした覚書を根拠に帝国からの独立を宣言しました。一方でプレスコートはトリエステが主権を回復したとしつつ、未だ帝国の支配下にあることを繰り返し強調し、粘り強く中央政府と折衝を重ねました。リッテンハイム派やシュタイエルマルク元帥府とクーデター派の関係が緊張状態であったこと、ライヘンバッハ派・門閥派を対象とした粛軍の最中であったことなどから、帝国政府も妥協を余儀なくされます。最終的に陛下の承認の下、銀河帝国の歴史上二番目の属国となるトリエステ自治国が建国されました」

「そうだな。それは覚えているぞ。フェザーンのメディアも読んで大々的に独立承認をやったな。官僚貴族の苦虫を嚙み潰したような顔が印象に残っている」

 

 トリエステ独立に際してフリードリヒがやったことは『独立承認を記した文書にサインし、国璽を押す』ことだけだ。一方、リューベック独立に際してオトフリート五世倹約帝は三日三晩承認に踏み切るべきかを悩み、最終的に承認を決意した後は閣議を主導して反対勢力を黙らせ承認までこぎつけたという。フリードリヒがお飾りであることがここでも分かる。

 

「……ルーゲ公爵の言葉を借りれば、『妥協してはいけない所で妥協した』からでしょう。リューベック、そしてトリエステに続けと帝国各地で分離独立運動が激化しました。一方で国内改革を訴える者たちも増加し、その一部は明らかに共和主義的な思想に影響されています」

「そうだな、後者の代表的な論者の一人がお前だと聞いているぞ」

 

 フリードリヒの指摘する所は当然私も自覚していたが丁重に無視して続ける。

 

「ローザンヌ伯爵チャンはトリエステ伯爵プレスコートとは違い、教条的な共和主義者であり、明確に反銀河帝国・反身分制の意思を明らかにしていました。プレスコートが最初にブラッケ侯爵と、後にレムシャイド伯爵らと粘り強く交渉し妥協点を見出したのに対し、チャンは帝国を憎悪し交渉すら行おうとしませんでした。……まあ、一つには黄色人種とのハーフであるチャンを帝国中央政府が軽視しまともに遇しようとしなかった、という事情もありますが」

 

 フリードリヒはやや退屈し始めているようだ。不勉強なフリードリヒの事であるからそもそもローザンヌが『導火線に火が付いた爆弾』と評されている理由も知らないと思って説明していたのだが、これ以上はフリードリヒの集中力が続かなさそうだ。

 

「ともかく、こうして反帝国の姿勢を強めるローザンヌと中央政府の対立は激化していき、ついにルーゲ公爵たちはローザンヌを見せしめとして『焼く』、最低でもフィリップ・チャンとその一派を族滅することを決意しました。一方のチャンたちも黙ってはいません。先に独立したリューベックやトリエステ、中央に不満を持つ一部の辺境貴族までもを巻き込んで大規模な反乱を画策し始めます。尤も、リューベックやトリエステは動くつもりがありませんでしたが……、フェザーンの一部勢力やサジタリウス叛乱軍、城内平和同盟(ブルク・フリーデン)東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)が不穏な動きを始めました」

「……で、お前が首を突っ込んだわけだ。『小官に事態を収拾するチャンスを』だったな。それでお前はそのチャンスを活かしたようだが、何をやったんだ?」

 

 フリードリヒは私の説明を遮り再び最初の質問を繰り返した。もう少し各勢力の動向、特にブラウンシュヴァイク公爵が処刑された後混乱している旧ブラウンシュヴァイク派の各家に言及しておきたかったが、止むを得ないだろう。

 

「警備隊にクーデターを起こさせました。トリエステ伯爵領警備隊司令官ライアン・エドワード・ティアンム帝国軍少将待遇軍属。彼を説得し戒厳令を布告させ、独立派指導者層を拘束、すぐに裁判に掛けた上で無期懲役刑を下しました」

「うん?どういうことだ?」

「ティアンムには帝国の忠実な臣民として振舞ってもらいました。彼がローザンヌの統治権を奪取し、帝国に恭順する意思を表明することで内務省・帝国正規軍側は介入の大義を失います。……ティアンムがローザンヌの統治に失敗すれば、その時こそ帝国軍の介入を招くことになるでしょうが」

 

 ティアンムと彼の部下達を説得するのは本当に大変だった。……ある大尉は私に唾を吐いた。別の大尉は灰皿を私に投げつけた。ある中佐は激昂して私に銃を発砲し、私を庇ったヘンリクが負傷した。ティアンム少将の副官はティアンムが説得に応じかけた時、号泣して翻意を迫った。憲兵司令の大佐は私とティアンムの接触を中央政府側に密告しようとし、ギリギリで同僚の説得で思いとどまったそうだ。

 

 唾を吐いた大尉はフィリップ・チャンを拘束する小隊の隊長を務めた。感情を殺してチャンの弟を殴打した。灰皿を投げた大尉は帝国内務省ローザンヌ総督府に乗り込み事態の説明にあたった。総督府の役人たちは対価として冷笑と侮蔑を与えた。私に発砲した中佐は選民評議会の制圧を担当し、激昂した議員から『人民の敵』となじられた。ティアンム少将の副官は決行の前日に部屋で拳銃自殺した。敬愛する上官も祖国も裏切ることはできないと遺書には書かれていた。……私は彼らを本当に尊敬する。

 

「畏れながら陛下に一つ願いたきことがあります。ティアンム少将は現在軍事政権を成立させ、繰り返し帝国への恭順を表明していますが、帝国は今の所公式にこの政権を認めている訳ではありません。どうか陛下からティアンム少将にローザンヌ伯爵位を授けては頂けないでしょうか?」

「ん。まあそれくらいならな。宮内尚書と典礼尚書に話をしておく」

 

 宮内省は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)や後宮、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)やリントシュタット宮殿といった皇族の居所を管理する他、君主や皇族の世話をする侍従たちも宮内省の監督する。皇室財産の管理も任されているが、あくまで管理行為のみしか許されていない。監督下に帝国学士院があり、帝国の全貴族は学士院に遺伝子データを提出する。学士院の管理する家系図・血統表が貴族身分を保証する重要な要素の一つである。

 

 また、皇帝への謁見や逆に皇帝の詔勅が下される場合は宮内省がその段取りを決める為、有力な貴族が宮内尚書に就任した場合は皇帝を囲い込み専横を振るうこともある。歴史上ではマンフレート一世不精帝の時代に宮内尚書マールバッハ伯爵が絶大な権力を握った他、宮内尚書ではないがオトフリート一世禁欲帝時代に宮内省に所属する皇帝秘書官のエックハルト子爵が専横を振るったのも有名である。

 

 典礼省は公的な行事を取り仕切る省であるが、同時に貴族社会における調整役兼監視役と言う側面を持っている。典礼尚書は夥しい量の慣習・前例・伝統に帝国貴族で最も精通している――ということになっている――ので、典礼尚書が貴族社会の揉め事で白と言えば白であり、黒と言えば黒となる。

 

 とはいえ、典礼尚書が影響力を発揮するには本人が元々持つ影響力と資質が大きく関わる上に、仮に典礼尚書が黒と言った事象でも帝国の法律に帝国貴族で最も精通している――ということになっている――司法尚書ならば異議を唱えることもでき、その場合は大体司法尚書の言い分が通ることから、典礼尚書は他の閣僚より少し低く見られている。

 

 両省は帝国学士院の監督省としての立場を歴史上何度か争っているが、学士院が無くても職責の一部が重なっている為に宮内尚書と典礼尚書は仲が悪くなりやすい。

 

「『ラグラン市事件』くらいは流石の余も知っている。あれと同じことを好んでやる必要も無いだろう。『地球統一政府(グローバル・ガバメント)』と同じ轍を踏む可能性もあるからな」

 

 フリードリヒは少し考え込んだ後でそう言った。つまりは私がルーゲ公爵たちの計画を狂わせたことを支持する、ということだろう。

 

「よし、ローザンヌの事は良い。話は変わるが……少しお前に相談に乗って欲しい事がある」

「相談、でございますか?」

「うむ。まあ家族の話なのだ……」

 

 フリードリヒは難しい表情をしながら語りだした。フリードリヒの家族と言えばアマーリエ、クリスティーネ、そしてカール、ベルベルト、ルートヴィヒ、カスパーの六名だ。噂によると放蕩生活時代に産ませた隠し子が数名居て宮内省の手回しで辺境で暮らしているか消されたらしい。この内身体の弱いカール(二二歳)は断絶したエッシェンバッハ伯爵家、母が帝国騎士家であるベルベルト(一九歳)は断絶したリスナー子爵家を継いでいる。その為皇族として扱われるのはアマーリエ(二二歳)、クリスティーネ(二〇歳)姉妹とルートヴィヒ(一八歳)、カスパー(一五歳)兄弟である。

 

 その他、宇宙暦七七〇年にフリードリヒはエーレンベルク侯爵の孫であるシャーロットと再婚しているが、どうにも相性が悪かったのか二度の出産はどちらも流産であった。現在生きている子供はベルベルトを除き全員が断絶したエッシェンバッハ伯爵家の血を引くフィーネの子であり、現在の有力者たちとの関係性は希薄である。その為、側室を迎えた方が良いのではないかという意見が宮廷の一部から出ており、ルーゲ公爵の娘ハンナ、故フレーゲル侯爵の妹でカレンベルク公爵の養女となったアデレート、ノルトライン公爵の孫イザベラらの名前が挙がっている。

 

「シャーロット皇后陛下の事でしょうか?それとも側室の一件でしょうか?」

「ああ……まあそれも大変ではあるがそうではない。実はな……アマーリエをリッテンハイム侯爵に、クリスティーネをクロプシュトック公爵の息子に嫁がせるという話があってな……。お前はどう思う?」

 

 フリードリヒの目は私に「反対すると言ってくれ」と語り掛けているように思えた。……ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵は今年三二歳、宇宙暦七六九年の名士会議で司法尚書の座から転落するが、それが幸いし『三・二四政変』を生き延びた。一門のシュタインハイル侯爵やヘルクスハイマー伯爵を殺されたことで当初は反クーデターの姿勢を打ち出していた。しかし、クレメンツ一世がフリードリヒ四世にあっさり譲位したこともあってクーデター派はすんなりと実権を掌握し、リッテンハイム侯爵も一門を殺された恨みは一旦抑え、恭順の意を示さざるを得なかった。

 

 一つにはオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵を初めとするブラウンシュヴァイク派の要人が悉く処刑され、ブラウンシュヴァイク派の各領地が混乱していたという事情もあるだろう。リッテンハイム侯爵としては中央との対立は止め、旧ブラウンシュヴァイク派諸侯の切り崩し、あるいは内紛への介入に集中したかった。とはいえ、その後も中央とリッテンハイム侯爵は微妙な関係性のままである。恐らくアマーリエ嬢をリッテンハイム侯爵に嫁がせるのは関係改善とリッテンハイム系勢力との和解を考えてのことだろう。

 

 ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵は今年五五歳、その息子ヨハンは二五歳である。『三・二四政変』を主導した後は宰相代理兼枢密院議長に就任した。しかしながらブラウンシュヴァイク派・リッテンハイム派との武力衝突、叛逆者追討令やそれによる経済制裁が祟り消耗しており、政変後はエーレンベルク侯爵・リンダーホーフ侯爵・アンドレアス公爵の三頭同盟やルーゲ公爵率いる官僚勢力に押され気味である。その為、最近では国政から距離を置き、領地の復興と隣接する旧ブラウンシュヴァイク公爵派の領地の制圧に注力している。

 

 恐らくクリスティーネ嬢をヨハンに嫁がせるのは、宮廷勢力とクロプシュトック派がの結束を再確認する目的があるのだろう。

 

「……難しい相談ですね。正直に申し上げるならば、小官は自由恋愛こそが人々にとって望ましいと思っています。その観点からいえば政略に基づいて婚姻を強制することは望ましくは無いでしょう」

「そうか!やはりお前もそう思うよな」

 

 フリードリヒは我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。だが私は軽く首を振って続ける。

 

「しかしながら……アマーリエ殿下もクリスティーネ殿下も陛下の娘、皇女殿下であります。現実問題として銀河帝国においてお二人の結婚相手と成り得る者は限られます。領地貴族の公爵五家・侯爵一一家、帯剣貴族の公爵三家・侯爵一四家、官僚貴族の公爵六家・侯爵一九家。しかもその全てが爵位に相応しい財力・権力・資質を有している訳ではありません」

 

 ノルトライン公爵家やシュタインハイル侯爵家、ヴァルモーデン侯爵家はリッテンハイム侯爵家の傀儡だ。カレンベルク公爵家は既にその領地の大半をサジタリウス叛乱軍との戦いで失い、ブラウンシュヴァイク公爵家の庇護下で辛うじて存続している。ルクセンブルク公爵家は銀河連邦の旧主星テオリアを監視する為だけに作られた貴族家であり、既にその役目はほぼ終えている。ザルツブルク公爵家は農業政策の失敗で貧困に喘いでおり、とてもではないが皇女を娶ることはできない。

 

 シュミットバウアー侯爵家やフレーゲル侯爵家はブラウンシュヴァイク公爵の臣下と見做されている上に現在は当主を処刑され混乱している。当然、叛逆者の縁者という汚名も着せられている。ノイエ・シュタウフェン侯爵家は徹底的に力を削がれて今では家格と過去の栄光のみを有する。シュレージエン公爵家は領地が遠すぎるし反帝国感情が強くて治安が悪すぎる。フィラッハ公爵家が帯剣貴族の名家と呼ばれたのもかつての事、長い年月で政変や大敗に寄らず自然に軍部への影響力を失った帯剣貴族家も少なくない。

 

「政治的な状況を抜きにしても、小官が考えるに候補としては両手の指で数える程度しか残らないかと。アンドレアス公爵家、シュトレーリッツ公爵家、ルーゲンドルフ公爵家、ルーゲ公爵家、ラムスドルフ公爵家、クロプシュトック公爵家、リッテンハイム侯爵家、エーレンベルク侯爵家、リンダーホーフ侯爵家、ブラッケ侯爵家、マリーンドルフ侯爵家、リューネブルク侯爵家、リヒテンラーデ侯爵家、クヴィスリング侯爵家、リューデリッツ侯爵家……意外にありましたが、それでも一五家ですかね」

「……」

 

 フリードリヒは黙り込んでいる。私はその心情を慮りながらも、話を続ける。

 

「……実際の所、私は結婚が女性にとって最上の幸せとは限らないと思っています。しかし、人によっては、あるいは巡り合わせによっては結婚が最上の幸せとなることはままあるでしょう。自由恋愛はその可能性を高めますが、人類社会の一部に『お見合い』という風習が長く存在したように、定められた相手との結婚で幸せが生まれないと断言はできません」

「……つまり、お前は政略結婚に賛成という事か?」

 

 私は再び頭を振った。

 

「そういう訳ではありません。ですから最初に『難しい相談』と評しました。……卑怯な言い様ではありますが、これに関しては陛下と両皇女殿下、そして可能ならば婿候補となる二人を交えて答えを出すしかないかと思います。両皇女殿下が結婚を望まれるのであれば、その相手は自然一五家、そうでなくても侯爵位以上の家から選ぶしか無いでしょう。その場合は誰を選んでも大なり小なり政略的な意味合いが生まれてしまいます。……ですから小官としては『政略結婚である』という点だけを理由にリッテンハイム侯爵家・クロプシュトック侯爵家との婚姻に反対することは出来かねます」

 

 私はそこまで言うとフリードリヒを黙って見つめた。フリードリヒは目を閉じて腕を組み考え込む。そしてやがて「ふう」と息をつくと口を開いた。

 

「まさか、お前がリヒテンラーデと同じような事を言うとは、な」

「……お気を悪くなさったのであれば、謝罪させていただきます」

「ああ、まあ『お気を悪く』はしたが謝罪は要らん。相談したのは余だ。誠実にそれに応えて非難される道理もあるまい」

 

 フリードリヒは虚空を見つめ、再び溜息を一つつく。

 

「お前は言った。『下は平民から、上は皇帝陛下まで、この国に自由に願いを叶えられる人間など居ません』とな。まさしく至言だ。しかしお前は俺にそれを『変えろ』とも言っていた。……俺はこうして皇帝なんぞになってしまった訳だが、お前は同じことをもう一度俺に言えるか?」

 

 私の方を見ないままフリードリヒはそう言った。その声色には若干責めるような色もあった。だから敢えて私は断言した、内心の疑いと不安を捻じ伏せて真っすぐとフリードリヒを見て。

 

「勿論です」

 

 そして付け加える。

 

「陛下が変革を望まれるのであれば、小官も全力を尽くしましょう」

 

 フリードリヒは小さく笑う。そして私の方に再び目線を向ける。

 

「変革とやらについては今はどうでもいい、……俺はとにかく娘たちに幸せになって欲しい。リッテンハイムやクロプシュトックが娘を幸せに出来るだろうか?」

「それは小官では無く、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムとヨハン・フォン・クロプシュトックに問うべきことかと」

 

 「違いない」とフリードリヒは呟いた。

 

「……お前の言った通り、リッテンハイムとクロプシュトックの二人に実際に会ってみることにする。アマーリエとクリスティーネは……俺なんかよりもずっと大人だからな、政略結婚に異存は無いと言っている」

 

 フリードリヒは少し憂いを帯びた表情で最後にそう言った。

 

 宇宙暦七七五年九月二〇日、帝国宮内省はウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵とアマーリエ・フォン・ゴールデンバウム第一皇女の婚約を発表する。発表の時期をずらすそうだが、既にヨハン・フォン・クロプシュトック公爵令息とクリスティーネ・フォン・ゴールデンバウムの婚約も内定していると聞いた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。


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