アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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壮年期・第二次アムリッツァ星域会戦(宇宙暦776年12月8日~宇宙暦776年12月18日)

 宇宙暦二三二年、『冒険家提督』アーノルド・ジャンスキー銀河連邦宇宙軍退役中将はその著書の中で「ストラスブール――アムリッツァ恒星系の旧名――からリューベックに至る宙域近くにある暗黒星雲の後方にはバザード・ラム・ジェットエンジンの継続的な高出力使用に耐えうる星間物質濃度を満たし、ワープ航法時に基点となる大質量の安定した恒星系が存在する」と語った。

 

 そして彼は付け足した。「オリオン腕とサジタリウス腕にほとんどの恒星系が集まっていると言われながらも、両腕の間に太陽程度の恒星が複数存在することは知られている。仮にワープ航法技術、あるいはハザード・ラム・ジェットエンジン技術に一定の進歩があれば、暗黒星雲突破後同星系にワープを行い、安定した恒星系を飛び石伝いに『跳ぶ』ことでサジタリウス腕を人類の新たな生存域に加えることが可能になるだろう」と。

 

 彼はこの記述を相当の熱意をもって書いたようだが、大部分の市民はジャンスキーと『大熊』ナーセン、『襟立て将軍』モレンスキー、『ヴィントフックの革命家』ジョン・アラルコンらが繰り広げた冒険と闘いに関する記述にしか興味を持たなかった。

 

 ジャンスキーが八〇歳の時、彼の遠縁にあたるフェルナルド・フォン・ローゼンタール博士がラム・ジェットエンジン技術に半世紀ぶりとなる革新を齎す。しかし、当時銀河連邦は所謂『中世的停滞』に差し掛かり始めたころであり、ローゼンタールによるラム・ジェットエンジン技術の革新に対して大多数の市民は見向きもしなかった。それどころか、ローゼンタールの研究室は偉業を達成したにも関わらず、同時に発表された――恐らく広報官は良かれと思って――これまでに費やした莫大な研究予算が市民からの猛批判を浴び、ついに政府は援助金を打ち切る決定を下す。

 

 これに憤り――あるいは失望――を覚えたジャンスキーとローゼンタールは自らと同様に進歩的・開拓的気風に溢れた人々を――あるいは貧困にあえぐ人々を――集め、新たな移民船団を結成した。ジャンスキーが『ドン・キホーテ船団』と一種開き直って命名したこの一〇二万人の船団が、自由惑星同盟が公的に認めるサジタリウス腕進出に成功した最初の移民船団である。

 

 宇宙暦三一二年。帝国政府は後にイゼルローン回廊と呼ばれるオリオン=サジタリウス間航行可能地帯を隠す、広大且つ密度の濃い暗黒星雲をジャンスキー=ローゼンタール星雲と命名する。……もし当時の帝国科学省がジャンスキーとローゼンタールの率いた『ドン・キホーテ船団』がニュー・カノープス星系第四惑星カッシナにおいて、後に自由惑星同盟を構成する国家の一つである『ヒスパニア共和国』を建国したという事実を知っていれば、このような地名は付けなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一二月から始まった同盟侵攻軍と帝国迎撃軍の戦いは後世『第二次エルザス=ロートリンゲン戦役』――同盟側呼称は『授業の再開』または『第二次アルザス=ロレーヌ戦役』――と呼ばれる。その最初の戦いが繰り広げられたのがイゼルローン回廊出口を覆い隠すジャンスキー=ローゼンタール星雲であった。

 

 といっても通信・レーダー設備が殆ど使い物にならなくなり、有視界戦闘すら覚束なくなる同星雲の中で大規模会戦を行うのは自殺行為である。よって戦闘は暗黒星雲を突破してきた同盟軍の艦隊に対し、暗黒星雲を囲むように布陣する帝国軍が猛攻を加えるという形になった。より正確に言えば広大な暗黒星雲を囲むのは不可能ではあるが、同盟軍の戦略意図がエルザス辺境軍管区の制圧にあり、暗黒星雲を突破した後の行軍路や後方との連絡を考慮すると大体同盟軍の侵攻路は予測可能となる。またそれ以外の地点にも封鎖では無く警戒を目的とした部隊を配置することで、同盟軍の確認後、素早く帝国軍が対応できる体制が整えられていた。八個艦隊という大軍が為せる技でもある。

 

「恐らく叛乱軍は暗黒星雲を利用して自らの身を隠し、機を見て帝国軍の警戒が薄い地点を狙い、迎撃軍本隊が殺到してくる前に包囲を突破しようと試みるでしょう。各艦隊は迅速な行軍を心掛けてください」

 

 経験豊富なシュタイエルマルクの元参謀長、ホルスト・フォン・パウムガルトナー宇宙軍上級大将は司令官たちにそう忠告した。

 

「参謀長の仰られる通りですが、小官から一点付け加えさせていただきたい。各提督方は敵軍もまた大軍を動員しているという事を頭の片隅に置いていただきたい。すなわち、敵艦隊が一点において突破を試みているとしても、他の方面が安全である保障はありません。その一点が陽動に過ぎず、他の一点、あるいは数点から叛乱軍が同時に突破を試みるかもしれません」

 

 機動戦の名手であり、陽動作戦を好んで用いるトラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将の提言は『自分ならどうやって突破するか』と考えた上でのものだろう。

 

 諸将は二人の言葉に頷いた。しかしながら彼らの忠告を皆が真剣に受け取った訳では無かった。……パウムガルトナー宇宙軍上級大将が排斥されつつあるシュタイエルマルク派の重鎮であることは、彼が帝国正規軍で随一の知将であることと同じ位広く知られており、また重要視されている。端的に言えば、彼は干されているのだ。

 

 にも関わらず、今回の迎撃軍で総参謀長を務めることになったのは内務尚書リヒテンラーデ公爵が閣僚会議で軍務尚書エーレンベルク元帥に対し強力に推挙し、またミュッケンベルガー宇宙軍中将ら実戦派帯剣貴族が普段はこの手の人事干渉を嫌悪し反発するにも関わらず黙認、あるいは支持した為である。

 

 そしてフォイエルバッハ宇宙軍中将は元々軍部開明派を標榜する人物の一人だった。軍部開明派、カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタット宇宙軍中将が率いた派閥――というより不平派の集まり――だ。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵のクロプシュトック征伐に際し、クロプシュトック侯爵の説得に理を感じたフォイエルバッハ中将はクロプシュトック侯爵を支持した。その後は八面六臂の活躍ぶりを見せ、クロプシュトック侯爵から絶大な信頼を寄せられた。『三・二四政変』後、一度は中央に栄転したが、交友のあったインゴルシュタット中将がカウンター・クーデターを画策し失敗して以来は危険視されて辺境に飛ばされた。クロプシュトック公爵本人が彼を気に入り強固な後ろ盾となっているために軍は追われていないが、そもそもクーデター派やクロプシュトック派にとって外様の彼に味方は少ない。

 

 今回の迎撃軍には第四辺境艦隊を率いて加わっているが、第四辺境艦隊は本来フェザーン回廊近くのザールラント・バーデン・ラインラント方面を担当する。状況に応じて叛乱軍との戦いに加わるノルトラインの第三辺境艦隊を外して、遠くの治安戦専門の第四辺境艦隊が動員されたのは、フォイエルバッハの境遇を案じたクロプシュトック公爵が彼に武功を立てさせるべくゴリ押ししたからだ。……なお、第二次ティアマト会戦で三辺・四辺が動員されたのはツィーテン元帥が機関の影がある中央艦隊を避け、信頼のおける人員で遠征軍を固めようとした結果の例外措置である。表向きは『サジタリウス叛乱軍のゲリラ的抵抗に備えて』と発表されたが。

 

 さて、お察しの通り、彼らの存在は迎撃軍に不和を齎していた――軍務に支障をきたしかねないレベルで――。一部の司令官はパウムガルトナーを軽ろんじ、総司令部はフォイエルバッハに冷淡に接した。……尤も、見方を変えれば、あるいは彼らが能力と実績を兼ね備えた名将であることを抜きにして考えれば内務尚書リヒテンラーデ公爵と枢密院議長クロプシュトック公爵の『個人的なゴリ押し』で登用されたとも言える彼らに他の諸将が反発するのも無理はなかったが。

 

 代表例がこの二人というだけで、他にも迎撃軍に不和を齎している者は多かった……というよりはほぼ全員が誰かと険悪な関係となっていた。……例えばクロプシュトック征伐の際に矛を交えた後方主任参謀クライスト大将以下クロプシュトック派諸将と紫色胸甲騎兵艦隊司令官グリュックスブルク大将以下リッテンハイム派諸将は嫌悪を通り越して憎悪しあっていた。第二辺境艦隊司令官ミュッケンベルガー中将ら実戦派帯剣貴族は務めて門閥系軍人・平民軍人と距離を取り、時にはあからさまに侮蔑した。リンドラー元帥はクーデター派にとって外様である自分の立場を鑑み、クーデター派中枢に近い軍人をあからさまに厚遇した。シュタインホフ元帥は腐っても実戦経験者の帯剣貴族であり、何とか迎撃軍の不和を解消しようと最大限の努力を行ったが、その努力に彼の持つエネルギーの八割方を浪費することになった、……そしてやがて自身の苦労も知らずにゴマすりに励むリンドラー元帥を疎ましく思うようになった。エッシェンバッハ伯爵やヴァイルバッハ伯爵ら実戦未経験ながらやる気に満ち溢れるゴールデンバウム血族は、お飾りにされている状況に強い不満を覚えた。逆にオストヴァルド伯爵・アーネンエルベ伯爵らはお飾りとはいえ前線に引っ張りだされたことに強い不満を覚えて当たり散らした。リスナー子爵は母親が侍女であったことを理由に一部の貴族から蔑視されていたが、それが戦場でも続いていた。

 

「……まあ、それはもう酷い有様だったよ。特任将校共の口出しに加えて、迎撃軍内部の全方向対立。負けるべくして負けたと言わざるを得ない。……初戦であれだけ派手に勝てば纏まるだろうと軽く見ていたが、甘い想定だったよ」

 

 我が友人、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍中将(戦時昇進)は通信画面越しにそう嘆いた。特任将校は宇宙暦七七一年のジーゲルト将軍の叛乱以降導入された制度だ。端的に言えば軍服を着た官僚貴族共による軍の監視である。政治将校、と言えば戦史に詳しい者は分かってくれるだろう。

 

「僕たちが不和を煽るまでも無く勝手に瓦解してくれたね。あの戦場は特に動きやすかった。始まる前はリューデリッツに近い連中が多いから殆ど身動きが取れないと思っていたんだけど」

 

 我が親友、クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍少将――またの名をジークマイスター機関幹部ドラグロワ――は後に呆れながらそう語った。

 

 宇宙暦七七六年一二月七日、警備が手薄な地点を狙い、暗黒星雲を突破してきた同盟軍第四艦隊はフォイエルバッハ宇宙軍中将率いる第四辺境艦隊による猛撃を受けた。恐らく、第四艦隊司令部の想定を超える速さでの対応だろう。しかし、率直に言って治安戦主体の第四辺境艦隊は同盟正規艦隊の相手としては力不足であった。第四艦隊司令部は突破可能と判断し、反撃に打って出る。

 

 まさにそのタイミングで来援したのがミュッケンベルガー中将率いる第二辺境艦隊、リューベック会戦大敗以来、雪辱を晴らすべく猛訓練に励みつつ、回廊戦役などで同盟軍と激戦を繰り広げた精鋭だ。フォイエルバッハ中将の第四辺境艦隊程ではないが、迅速な対応であった。第四艦隊は二人の連携を前に突破を断念、ほぼ一方的に被害を受けたまま回廊へと後退する。

 

 この勝利が帝国を沸かせたのは先に説明した通りだが、これに焦りを覚えた者たちがいた。帝国迎撃軍は八個艦隊を四個艦隊ずつに分け、片方を暗黒星雲の周辺宙域、もう片方をアムリッツァ星系に設営した後方基地に展開している。流石に八個艦隊は回廊出口封鎖に必要な戦力として過大に過ぎるという事情もあるが、これによって長期戦でも艦隊を入れ替えることで容易に戦線を立て直せる上に、万が一前衛四個艦隊が突破されても後衛四個艦隊による対応で容易に迎撃可能となるからだ。

 

 そして一二月八日は二辺・四辺だけではなく、クーデター派に参加したケルトリング大将率いる赤色胸甲騎兵艦隊とリッテンハイム派のグリュックスブルク大将率いる紫色胸甲騎兵艦隊も前衛艦隊として布陣していた。彼らは対立……とまではいかないが、疎遠のミュッケンベルガーとフォイエルバッハが武功を立てたことに不快感と焦りを感じた。特にケルトリング侯爵家の分家当主であるケルトリング大将は自身と同じくケルトリング一門の名門出身者であるミュッケンベルガー中将を本家継承争いのライバルと考えており、対抗心を燃やした。

 

 一二月一〇日、迎撃軍総司令部は二辺と四辺を後衛に下げ、代わって黄色弓騎兵艦隊と第一辺境艦隊を前衛に出すことを決定する。表向きには『初戦で消耗した二個艦隊に休息と再編の時間を与える』と通達されたが、初戦の消耗は両艦隊とも微々たるものである。勝利で士気も上がっており、適切な補給が為されれば後衛へ下げる必要などない。ケルトリング大将の上申、フォイエルバッハ中将への反感、ミュッケンベルガー中将らクーデター派と距離を置く実戦派帯剣貴族への警戒、リンドラー元帥の政治的配慮が重なった結果の措置だった。

 

 一二月一一日、二辺・四辺が前衛を離れ、反対に第一辺境艦隊が前衛に到着する。中央艦隊よりも即応性で優れるのが辺境艦隊である。翌一二日の未明、同盟軍第一二艦隊第二分艦隊が回廊を出て、暗黒星雲を突破する。帝国側はその時点で黄色弓騎兵艦隊がまだ到着しておらず、三個艦隊で対応することになったが、幸運にもケルトリング大将率いる赤色胸甲騎兵艦隊本隊が布陣する近くに同盟軍艦隊は現れた、ケルトリング大将は喜び勇んで第一二艦隊第二分艦隊に猛攻を加えた。

 

 第一二艦隊第二分艦隊はあっさりと暗黒星雲側に押し戻された。その後、第一二艦隊本隊を加えて数時間にわたって同盟軍は暗黒星雲からオリオン腕側へ進出するべく繰り返し帝国軍に攻撃を加えたが、帝国軍側は第一辺境艦隊を加えてこれを迎え撃ち、七度にわたる第一二艦隊の攻勢を跳ね返した。……尤も、腐っても一定の実戦経験と能力を持つケルトリング大将はこれが陽動であることに気づいていた。

 

 同盟軍第一二艦隊は散発的な攻勢に出て帝国軍に多少の損害を与えては帝国軍の反撃で必要以上に無様に潰走して見せた。崩れ方は酷いが実際に受けた損害は微々たるものだ。つまり、第一二艦隊に本気で帝国軍を突破するつもりはなく、むしろ帝国軍をその場にひきつけようと動いていたということになる。

 

 ケルトリング大将だけではなく、能力的には劣る門閥系の将官も流石にこの事には気づいていた。しかし、佐官クラスの前線指揮官の中には上位司令部が繰り返し無様に潰走する同盟軍部隊を無視していることに不満を覚える者が増え始める。散発的に行われる同盟軍の攻勢は戦略・戦術レベルで帝国軍に与える損害は僅かであったが、血気盛んな中堅指揮官たちの精神面に与える損害は決して少なくなかった。とはいえ、ケルトリング大将も無能ではない。自身の艦隊を統率しつつ、他の宙域にも気を配り、同盟軍が隙をついて暗黒星雲を突破する動きを見せないか警戒していた。

 

 ……しかし、ケルトリング大将の力量を以ってしても統率しきることが出来ない部隊が一つだけ存在した。オトフリート五世倹約帝の外孫であるクルト・フォン・ヴァイルバッハ伯爵を名目上の指揮官とする第一猟兵分艦隊である。

 

「……おい、ベルドルフ少将。叛乱軍が次に攻勢に出たら、我々は突撃するぞ」

「は!?しかし、ケルトリング大将は叛乱軍の誘引に乗るなと……」

「ふん!臆病者のケルトリングには何もかもが罠に見えるらしい。逃亡奴隷の末裔共が何か小細工をしてきたところで栄えある帝国軍には通じん。ベルドルフ、巨人が鼠の一体何を怯える必要がある?」

 

 勇敢ではあるが軍事経験が一切無く、高潔ではあるが高慢でもあったヴァイルバッハ伯爵は同盟軍第一二艦隊の八度目の攻勢でついに耐え切れず攻勢に打って出た。

 

 ヴァイルバッハ伯爵の第一猟兵分艦隊が同盟軍第一二艦隊に突撃したことで、ケルトリング大将の赤色胸甲騎兵艦隊でも前衛部隊が釣られるように突撃を始めた。

 

「ヴァイルバッハ中将は何を為さっているのか!?」

「閣下!既に複数の部隊が第一猟兵分艦隊に引っ張られて前進しています。この上は危険を承知で本隊も前進するしかありません!」

「……止むを得んな。一辺のゾンネンフェルス中将に連絡、『赤色胸甲騎兵艦隊はこれより叛乱軍第一二艦隊に突撃し、そのオリオン腕進出の目論見を阻止する。貴艦隊には後方にて援護と警戒を頼みたい』」

 

 ケルトリング大将は第一猟兵分艦隊と赤色胸甲騎兵艦隊前衛部隊に引きずられる形でついに突撃を命じた。同盟軍第三艦隊が警戒の手薄な宙域から暗黒星雲突破に成功したのはまさにこの直後である。本来ならば四個艦隊によって警戒されていた各宙域を全く気付かれずに突破することは不可能だっただろう。しかし、二辺・四辺と一辺・黄色の配置換えによって一時的に警戒が手薄になり、また黄色弓騎兵艦隊の進発が送れたことで警戒艦の数も減っていたことから、ケルトリング大将らはついに第三艦隊の動きに気づくことが出来なかった。

 

「閣下!五時方向から新たな敵部隊です!その数およそ一万二〇〇〇隻!」

「何だと!?」

「前方、両翼方向より叛乱軍です!恐らく第四艦隊と第一〇艦隊と思われます!」

「ッ!馬鹿な!何故今の今まで気づかなかったんだ!?」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊は暗黒星雲の外縁部で第一二艦隊と戦闘状態にあったが、別宙域を突破しながら大きく後方に回り込んだ第三艦隊と、第一二艦隊の両翼から新たに表れた第四艦隊・第一〇艦隊に挟撃される形となった。第一辺境艦隊が五時方向に回頭し第三艦隊を迎え撃ったが、真っすぐ突撃する第三艦隊に対して回頭直後の一辺は態勢が悪く劣勢に立たされる。またほぼ同時期に反攻に転じた第一二艦隊の猛攻を受けて戦列の先頭に立っていたヴァイルバッハ伯爵が司令部ごとあっさり戦死する。混乱した第一猟兵分艦隊が赤色胸甲騎兵艦隊側に潰走してきた為に、ケルトリング大将は苦しい戦いを強いられることになった。

 

 一七時二一分、赤色胸甲騎兵艦隊旗艦『ヒンデンブルク』機関部が被弾、ケルトリング大将は第一分艦隊旗艦『シュペー』に移譲するべくシャトルに搭乗したが、不運にもこのシャトルに流れ弾が命中する。『ヒンデンブルク』被弾の時点で各艦にはケルトリング大将の無事が伝えられており、それ故に指揮権継承者第一位の副司令官ハードナー中将はケルトリング大将の戦死をすぐに把握できなかった。一八時〇七分、漸くケルトリング大将の戦死に気づいたハードナー中将は指揮権を継承しようと試みるが、この時点で既に指揮官を無為に失っていた赤色胸甲騎兵艦隊の戦列は崩壊しつつあった。

 

 一八時一六分、第一分艦隊旗艦『シュペー』撃沈、ウォルフガング・ハードナー宇宙軍中将戦死、赤色胸甲騎兵艦隊は秩序を回復できないまま一方的に同盟軍三個艦隊に撃ち減らされることになる。また、第一辺境艦隊司令官オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将は模範的な帯剣貴族の一人であり、ケルトリング大将の友人であったが、この場合はそれが彼の判断を鈍らせた。秩序を回復できないまま混乱する赤色胸甲騎兵艦隊を『見捨てる』という決断が出来なかった彼は撤退の機を逃し、二三時四二分に同盟軍の包囲下に置かれ降伏することになる。

 

 この間、紫色胸甲騎兵艦隊は完全な遊兵となっていた。リッテンハイム派の司令官グリュックスブルク大将とクーデター派の司令官ケルトリング大将は折り合いが悪く、連携が十分に取れていなかった。グリュックスブルク大将はケルトリング大将と同盟軍が交戦状態にあることを認識していたが、個人的な好悪の情と、『他宙域を警戒する』という軍事的理由から救援に赴こうとしなかった。それ自体は間違っても居ないが、ケルトリング側の戦況を気に掛けようともしなかったのは明らかに不適切であっただろう。

 

 グリュックスブルク大将は一九時二三分にケルトリング大将戦死の報を聞き、初めて帝国軍が大敗しつつあることを知る。慌てて艦隊を率いて救援に赴いたが、その時点で既に戦場の趨勢は決していた。それでも本腰を入れて接近戦を挑めば第一辺境艦隊を救援できる可能性はあったが、グリュックスブルク大将は赤色胸甲騎兵艦隊を撃破した三個艦隊を相手取ることを恐れ、遠距離での砲撃戦に終始した。二三時一二分、同盟軍第四艦隊、第一二艦隊が赤色胸甲騎兵艦隊から第一辺境艦隊に標的を変えたことでグリュックスブルク大将は第一辺境艦隊救援を不可能と判断し、撤退の決断を下す。

 

 

 

 

 

 

 『ジャンスキー=ローゼンタール星雲の迎撃戦』において帝国軍は最終的に一個中央艦隊・一個辺境艦隊の過半を失う大敗を喫する。さらに同盟軍艦隊は余勢を駆ってアムリッツァ星系に侵攻、帝国軍艦隊は暗黒星雲への進発準備を整えていた黄色弓騎兵艦隊を中心に迎撃を試みるが、初戦での勝利に浮かれていた帝国軍は完全に油断していた。ロクな艦列も整えられず、準備が出来た艦隊からとにかく展開するという有様である。後に『第二次アムリッツァ星域会戦』と呼ばれる戦いの初期において、帝国軍は殆ど烏合の衆と化していた。

 

「友軍は当てにするな!我らだけで叛徒共を迎え撃つ心づもりでいろ!」

 

 例外的に艦隊として纏まりながら布陣した第二辺境艦隊司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー中将は第四艦隊と白色槍騎兵艦隊第三分艦隊の接触を横目で見ながらそう断じた。艦隊ごとに固まって迎撃に出れていない以上、本来の力を発揮することは不可能だ。

 

「援軍要請だと!?『馬鹿め!』と言ってやれ!『馬鹿め』だ!」

 

 迎撃部隊の中心となったが故に、最激戦区に身を置かざるを得なくなった黄色弓騎兵艦隊は同盟軍第八艦隊・第一二艦隊・第三独立分艦隊の猛攻を受けている。そんな中オストヴァルド伯爵の部隊から援軍要請を受けたオスカー・フォン・バッセンハイム大将は怒鳴り散らした。

 

「総司令部の奴ら、ヴァルハラに行きたいなら一人で行きやがれ!」

「……『旅は道連れ、世は情け』って言うだろ?つまりそういうことだよ」

 

 総司令部からの死守命令を受けた青色槍騎兵艦隊第二分艦隊司令部では副参謀長カミル・エルラッハ大佐がコンソールパネルを叩いて叫び、その横で司令官クルト・フォン・シュタイエルマルク少将が何処かズレた呟きを漏らした。

 

『ライヘンバッハさん……どうにも再会の約束は果たせそうにありませんね』

 

 恐慌状態の紫色胸甲騎兵艦隊司令官カルステン・フォン・グリュックスブルク大将を見ながら情報副主任参謀テオドール・フォン・アーベントロート中佐は内心で呟いた。

 

「無理に攻勢を受けようとするな!八時方向に敵の突撃を逸らすぞ!」

「閣下!友軍が我が艦隊の八時方向に後退しつつあります」

「我々を盾にしようとしている連中の事など知るか!」

 

 そう言ってトラウゴット・フォン・フォイエルバッハ中将は副官カール・ロベルト・シュタインメッツ少佐の意見具申を退けた。八時方向で再編を試みていたフローベルガー宇宙軍少将率いる紫色胸甲騎兵艦隊第二分艦隊第四七戦隊は同盟軍第四艦隊の猛攻を正面から受けて爆散した。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一二月一三日から一四日にかけての戦いで帝国軍は六個艦隊の内凡そ三個艦隊弱を失ったとされる。その大半は戦隊、酷ければ群レベルでバラバラに布陣せざるを得ない状況であり、本来の実力を何ら発揮できないままに無為に摺りつぶされた。そんな中でも一四日午後になると黄色弓騎兵艦隊や第二辺境艦隊、いくつかの分艦隊を中心に何とか指揮系統が確立されていき、帝国軍部隊は秩序を回復しつつあった。

 

 迎撃軍総司令官エドマンド・フォン・シュタインホフ元帥はこれ以上の抗戦は難しいと判断し、撤退を決断するが、これに対し副司令官リンドラー元帥が強硬に反対する。「今なお帝国軍は三個艦隊程度を保持しており、同盟軍も消耗している。サジタリウス叛乱軍にオリオン腕進出を許す訳にはいかない。全軍玉砕の覚悟で抗戦するべきである」と主張したのだ。特務主任参謀ベルンカステル大将――官僚貴族家の名門侯爵家当主――ら特任将校がリンドラー元帥を支持したことでシュタインホフ元帥は撤退の方針を撤回せざるを得なくなった。同じ部署に同格の指揮官を二人置けば九九%までは対立するというが、シュタインホフ元帥とリンドラー元帥の関係性もその例に漏れなかったと言えよう。

 

 総司令部が撤退か抗戦かで論争を繰り広げている間、前線部隊は完全に放置された。シュタインホフ元帥は抗戦派に遠慮してハッキリとした指令を出せず、パウムガルトナー上級大将は崇高な使命感から撤退論を自身の手で推し進めることを決意しそれに基づいた指令を勝手に出したが、ディートハルト従兄上が抗戦派としてパウムガルトナー上級大将の越権行為を咎めその指令を撤回した。

 

 宇宙暦七七六年一二月一五日一時一五分、左翼を守る第二辺境艦隊司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将は白色槍騎兵艦隊第三分艦隊司令官代理ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍少将と連携して同盟軍第四艦隊に対し反攻に打って出た。初戦から戦い続けている第四艦隊に疲弊の色を見て取ったのだ。

 

 メルカッツ少将は上位指揮官の戦死後指揮権を継承、第三分艦隊の再編を手早く済ませていたが、故意に艦列を乱し既に組織的抵抗力を失っているように演じていた。これによって同盟軍艦隊は正面の二辺・四辺に注視し、既に打ち破った第三分艦隊を捨て置いていた。メルカッツ少将は慎重に同盟軍の目を盗みながら艦列を整え、前進してきた第四艦隊に逆撃を加える体制を作り上げた。一方、ミュッケンベルガー中将もメルカッツ少将の動きを見てその意図を読み取り、第四艦隊を誘い出すべくジリジリと後退を始めた。傍目から見れば他の帝国軍艦隊と同じように同盟軍の猛攻に押し負けたように見える。

 

 第四艦隊がミュッケンベルガー中将の第二辺境艦隊に止めを刺そうと主砲を短距離砲に変え接近戦を挑むべく距離を一気に詰めようとしたその瞬間、メルカッツ少将の第三分艦隊が矢のように飛び出し、第四艦隊前衛に突き刺さった。主砲を切り替える為に瞬間的に無防備となっていた第四艦隊前衛部隊は脆くも崩れ、艦列が大きく乱れた。第二辺境艦隊と第四辺境艦隊がこの機を逃さずに反攻に転じる。この反攻は成功し、一時的に第四艦隊は大損害を出して後退を余儀なくされた。しかし、ミュッケンベルガー中将もメルカッツ少将もその機に乗じようとはせず、左翼側の他の帝国軍部隊を纏めながら一光秒程後退した。

 

「ミュッケンベルガー中将!何故無断で後退したのか!叛乱軍は混乱し、攻勢の絶好の好機だったではないか!」

『中央の黄色弓騎兵艦隊は防戦で手一杯、右翼側の紫色胸甲騎兵艦隊は明らかに崩れつつあります。我々左翼部隊が部分的に叛乱軍を押し戻せたのは叛乱軍が中央と右翼側に攻勢を集中しているからです。我々の攻勢の目的は二つ、一つは我が方右翼に投入されようとしていた敵予備部隊を足止めすること、もう一つは左翼部隊を再編しつつ、負担を軽減しフォイエルバッハの四辺を中央援護に回せるようにすることです。また現状左翼部隊が本格的な攻勢に出た所で、中央と右翼はついてこれません。我々左翼部隊は一時的に敵第四艦隊に対し優位に立つでしょうが、時間が経てば崩れるのはこちらです。万全の状態であれば第四艦隊を短時間で崩壊させることも不可能ではなかったでしょうが……』

 

 ミュッケンベルガーは理路整然と自身の行動の理由を説明したが、それは総司令部の神経を逆なでするだけであった。

 

「もう御託は良い。見損なったぞ!臆病者め!ミュッケンベルガー、これ以上一光秒でも艦隊を後退させてみろ、貴様の指揮権を剥奪するからな!」

 

 特務主任参謀ベルンカステル大将は激怒しながらそう言った。特任将校には『戦意不足』を理由に指揮官を更迭する権限が与えられている。場合によっては特任将校自身が指揮権を継承することも可能だが、第二辺境艦隊司令部特務主任参謀ノルデン少将は昨年まで内務省に勤務していた人物である。当然、軍隊の指揮経験は無い。

 

 この直前、総司令部は右翼が崩壊しつつある状況に焦り、僅かな予備部隊を全て右翼側に投入していた。それでもなお右翼の崩壊は止まらない。総司令部の参謀たちの頭に『敗戦』の二文字が浮かび、それを打ち消すことが出来なくなりつつあった。この大一番、圧倒的多数での大敗、間違いなく総司令部の面々の首は飛ぶ。あるいは物理的にも。

 

 総司令部は明らかに冷静さを欠きつつあった。ミュッケンベルガーとメルカッツが反攻を成功させたのはそんなタイミングである。総司令部は左翼の勇戦に期待した。ミュッケンベルガーとメルカッツの勇名は広く知られている。『この二人が何とかしてくれるかも』そんな無責任な期待は両提督の冷徹な判断であっさりと裏切られた。故に総司令部は半ば八つ当たりの如くミュッケンベルガーを批判したのだ。

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一二月一六日午前八時頃、混乱する右翼側にあって勇戦を続けていた宇宙軍中将カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵が戦死する。病弱故にフリードリヒ四世と故・フィーネ皇后の長男として生まれたにも関わらず、臣籍に降ることとなったこの青年貴族はこの戦役に際しても誰からも期待されていなかった。しかし、従軍したゴールデンバウム血族の中では格別の勇気を示した。

 

 副司令官に旧シュタイエルマルク派の老将エドマンド・ハーラー宇宙軍少将、参謀長にティアマト以来の叩き上げであるパトリック・レンネンカンプ宇宙軍准将、作戦部長にエッシェンバッハ一門の生き残りであるエリート参謀マヌエル・フォン・エッシェンバッハ宇宙軍大佐を迎えた彼は部下の意見を良く聞きながら、常に最前線にあって将兵を鼓舞し続けた。血筋的には皇太子になっていてもおかしくなかった人物が、最前線にあって奮戦する姿は右翼の将兵を奮い立たせ、同盟軍の猛攻を四度に渡って跳ね返した。……紫色胸甲騎兵艦隊司令部と迎撃軍総司令部が彼の稼いだ時間を有効に使うことが出来ていれば、彼はその奮戦に相応しい栄誉を生きて受け取ることになっただろう。

 

 危うい状況で辛くも踏み止まっていた右翼側前衛はエッシェンバッハ伯爵の戦死と同時に一気に崩れた。宇宙暦七七六年一二月一六日午後九時頃、黄色弓騎兵艦隊司令官バッセンハイム大将戦死の報が流れた――誤報であったが――ことで、迎撃軍総司令部はついにアムリッツァ恒星系からの撤退を決断する。その後退にあたっては第二辺境艦隊と第四辺境艦隊が殿を務めることになったが、同盟軍の苛烈な追撃を前に壊滅的な被害を被った。

 

 

 宇宙暦七七六年一二月一八日、即応体制で待機していたノルトラインの第三辺境艦隊が大敗の報を聞きつけ来援、これを受けて同盟軍宇宙艦隊司令長官ステファン・ヒース宇宙軍大将は追撃中止を命令、これによって『第二次アムリッツァ星域会戦』は同盟軍勝利で決着した。帝国軍がこの戦いで被った被害は第二次ティアマト会戦以降最大であり、動員した艦艇九万四〇〇〇隻の内、ジャンスキー=ローゼンタール星雲で一万九〇〇〇隻、アムリッツァ恒星系で四万八〇〇〇隻を失う。兵員は合計七四二万一六〇〇名を失い、その中にはヘルマン・フォン・ケルトリング宇宙軍大将、ラインハルト・フォン・ケレルバッハ宇宙軍大将、トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将、クリストフ・フォン・オストヴァルド伯爵、カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵、クルト・フォン・ヴァイルバッハ伯爵らの名前があった。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈27
 従来迎撃軍側の無能・不和ばかりが大敗の原因として強調されてきた『ジャンスキー=ローゼンタール星雲の迎撃戦』、そして『第二次アムリッツァ星域会戦』ではあるが、近年の研究によると帝国軍大敗を決定づけた最大の要素はそれらでは無く、ジークマイスター機関による情報工作であったと推測されている。
 ジャンスキー=ローゼンタール星雲を突破した同盟軍第三艦隊はピンポイントで帝国軍の警戒が薄い宙域を通り帝国軍に襲い掛かった。確かに当時帝国軍の警戒態勢は乱れており、戦力的にも十分と言えなかったが、同盟軍第三艦隊は第三艦隊で暗黒星雲の中を航行しており、その向こう側の帝国軍の警戒状況を知る方法は無かった。つまり、同盟軍総司令部の主観としては初戦と同様に暗黒星雲の向こう側には万全の警戒態勢が敷かれている、と考えるべきところであった。しかし、同盟軍総司令部は一切の躊躇なく第三艦隊にC=56宙域付近からの迂回攻撃を命じている。帝国軍側が戦略的・戦術的意義の無い艦隊再編を行っており、尚且つ代替戦力が未だ到着していない、という情報を知らなければ大博打も良い所だろう。

 さらに言えばケルトリング大将の赤色胸甲騎兵艦隊が手遅れになるまで第一二艦隊の両翼から回り込む同盟軍増援部隊に気づかなかったこと、ケルトリング大将が搭乗するシャトルが『偶然の流れ弾で』ピンポイントに沈められたこと、グリュックスブルク大将がケルトリング大将の戦死まで友軍の不利に気づかなかったこと、ギリギリになって迎撃軍総司令部で黄色弓騎兵艦隊と白色槍騎兵艦隊のどちらを派遣するか論争が起こったこと、ジャンスキー=ローゼンタール星雲での大敗にアムリッツァ恒星系の後衛部隊が暫く気づかなかったこと等に不可解な点が散見されている。

 その全てに機関の関与があったかは不明だが、クルト・フォン・シュタイエルマルク、クリストフ・フォン・スウィトナー、ギュンター・ヴェスターラントらがその地位を利用して同盟軍に協力した可能性は否定できない。

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