アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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壮年期・改革者の資質(宇宙暦777年1月12日)

 宇宙暦七七七年一月一二日。その日の惑星オーディンは雨が降っていた。私は帝都からオストガロア市へ向かう私用車の中に居た。ブレンターノを運転手とし、ヘンリクを従えている。

 

「……」

 

 帝都近郊のオストガロア宇宙軍基地は惑星オーディンに存在する宇宙軍基地としては四番目に大きく、今でも使われている宇宙軍基地の中では二番目に歴史が古い。その為か、基地を有するオストガロア市には帝都在住の宇宙軍人の邸宅が非常に多く存在する。

 

「少将閣下。レンネンカンプ邸に到着いたしました」

「ああ。……ブレンターノ、君も来るか?」

「……いいえ、小官はここでお待ちしております」

「……そうか」

 

 私は車を降り、傘を指す。雨は相変わらず降り続けている。その日のレンネンカンプ邸は多くの人々が訪れていた。同僚・元部下・幼年学校の同期生……皆故人を慕っていたのだろう。帝国軍人にとって公衆の面前で涙を見せることは恥ずべきことだ。しかし、軍服に身を包んだ者たちは少なからず目に涙を浮かべており、それを嗤う者も居ない。

 

 

 大規模会戦の後、戦死者は余程大物でもない限りは合同葬儀によって弔われるのが通例だ。古代北欧地域の風習を古代十字教等を参考にアレンジしたよく分からない方式で葬儀は行われる。帝国では内務省習俗良化局と典礼省神祇局――北欧神話をベースにしたゲルマン国教の祭事を管轄している――が認める範囲で宗教の自由が認められているが、軍人の葬式については必ずゲルマン国教の方式で行われる。

 

 パトリック・レンネンカンプ宇宙軍少将(一階級特進)の葬式もまた例外ではなく、合同葬儀で弔われることになった。しかし、それとは別に故人を偲ぶ事を目的に遺族が私的な集まりを開くことがある。

 

「チェザーリ子爵アルベルト・フォン・ライヘンバッハ予備役少将……?」

 

 受付の軍人に「御花料」とフルネームを記した封筒を渡すと、驚いた表情で私の顔をまじまじと見つめてきた。

 

「……八年前になるかな?私が初めて戦隊指揮官を務めたときにレンネンカンプ少将は参謀長として私を支えてくれた。後ろに居るヘンリクもその時に副参謀長を務めていた。それ以前には父の事も作戦参謀として支えてくれていた。……恩人が戦死したと聞いたらじっとしていられなくてね」

「そ、そうでありましたか。少々お待ちください」

「ああ、いや……」

 

 受付の軍人が奥の方に駆けていく。私は止めようとしたが間に合わなかった。……予備役に編入されたとはいえ私は宇宙軍少将の階級を持ち、元宇宙艦隊司令長官の実の息子であり、名門ライヘンバッハ伯爵家の血を引く、子爵位を持つ貴族である。帯剣貴族の中には部下思いの者も居るが、それにしても直接の部下でもない平民の一准将を偲ぶ私的な集まりに直接顔を出す者は居ないだろう。

 

 しかし、私が指揮した最後の部隊が回廊戦役の第一二特派戦隊である。しかも、リューベックでの僅かな経験を除いて私は殆どを軍務省や宇宙艦隊総司令部の机で軍歴を過ごしてきた。私にとって第一二特派戦隊は思い入れのある部隊であり、参謀長であるレンネンカンプ少将は共に回廊戦役の死線を生き延びた戦友である。……最初の頃は経験不足からレンネンカンプ少将に多大な迷惑をかけたものだ。

 

「ライヘンバッハ様……わざわざこのような場所まで足を運んでいただき、誠に感謝いたします」

「エルゼ・レンネンカンプさんですね?御主人の事は非常に残念でした」

「……上官であるカール様を救おうとした結果の戦死です。それを果たせないまま生き恥をさらすよりは、夫はカール様に殉死する道を選ぶでしょう。夫がカール様をお救い出来なかったことは残念です。しかし、それによって戦死したこと自体は悲しむべきことではありません」

 

 レンネンカンプ少将の妻であるエルゼ・レンネンカンプは気丈にそう言った。……『第二次アムリッツァ星域会戦』終盤、カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵は乗艦『ケーニヒスクローネ』艦橋部近くが被弾した際、崩れた柱の欠片の下敷きになり、身動きが取れなくなった。エッシェンバッハ伯爵は自分がもう助からないことを悟り、総員退艦を命じた。しかしレンネンカンプ参謀長は部下を退艦させる一方でその場に残り、最後までエッシェンバッハ伯爵の救出を試みたという。

 

「……御主人のその人柄と能力を鑑みれば、間違いなくヴァルハラにおいても現世と同じく高潔で優れた将帥となるでしょう。……ヴァルハラに身分制はありませんから、ね」

 

 私はエルゼ夫人にそう語り掛ける。そして彼女の隣に立つ少年に顔を向けた。

 

「君がヘルムート君かい?御父上から色々と話は聞いているよ」

「お初にお目にかかります。パトリック・レンネンカンプの息子、ヘルムート・レンネンカンプと申します」

「今年の四月から士官学校に入学するんだったね?」

「……」

 

 私がそう尋ねるとヘルムートは少し逡巡し、また口を開く。

 

「……父上を殺した憎き叛乱軍は今も皇帝陛下の神聖なる領土を侵し続けています。私は一刻も早く立派な軍人となり、皇帝陛下の御為に働きたいと思っています」

「……という事は幼年学校を出てすぐに軍務に就くつもりかい?」

「はい」

 

 ヘルムートは今度は強い口調で応えてきた。

 

「……ふむ。君の御父上は幼年学校を下位集団で卒業した後、相当な苦労をしながら宇宙軍准将の階級まで登り詰めた。ティアマトでの大敗・皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の悲劇・三・二四政変後の粛軍による人材不足、そして何よりも我が父カール・ハインリヒによって偶然そのセンスを見出されなければ、将官の地位を得ることは無かった……かもしれない」

 

 私はかつてレンネンカンプ少将と交わした会話を思い出しながら語る。

 

「レンネンカンプ参謀長は常々言っていた。『ヘルムートは私とは似ても似つかない程優秀な子供です。私はヘルムートを士官学校に通わせてやりたいのです』とね。……確かに幼年学校上がりと士官学校上がりではスタートラインが違う。人事考課でも士官学校卒業者の方が有利だ。貴族でも実力主義者は身分制よりも士官学校の成績を重視する。アムリッツァで勇戦したミュッケンベルガー提督もそういうタイプだ。ヘルムート君の気持ちも分かるが、御父上の遺志を酌んで士官学校を受験してはどうだろう?」

「……」

 

 私がそう助言するとヘルムートはやや暗い表情で俯く。そんな彼をエルゼ夫人は痛ましそうに見ている。そんな姿を見て、私は漸くレンネンカンプ家の置かれた状況を察することが出来た。

 

「……エルゼ夫人、故人を偲ぶ場でこのような事を聞くのは申し訳ないのだが……」

「はい、閣下のお察しの通りです。……晴眼帝陛下は平民が幼年学校に通えるように様々な奨学金・支援制度を整備なさいました。しかし士官学校は……」

 

 エルゼ夫人は言いにくそうに応えた。士官学校に平民の入学を許可したのはコルネリアス二世帝の皇太子オトフリートである。オトフリートは保守的な帯剣貴族たちの抵抗を排し、士官学校の入学選考制度を大きく変更して平民や領地・官僚貴族たちに士官学校の門戸を開いた。

 

 皇太子オトフリートがやがて皇帝オトフリート三世となり、さらなる強権を得たとき、オトフリート三世はマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝の前例に倣いさらに士官学校改革を進めようとした。奨学金制度を初めとする支援体制の拡充が図られたが、やがてオトフリート三世帝が猜疑心に取りつかれ政治への活力を失うと、保守的な帯剣貴族の抵抗でオトフリート三世帝が設けようとした各種支援制度は全て廃止されることになった。

 

 「強者は強者から生まれる、弱者からは弱者しか生まれない」……それがゴールデンバウム王朝における一般的な考え方だ。平民という『弱者の子』が『強者の子』の集まる士官学校に入学することは有り得ない。ティアマトの敗戦でこの考え方は変更を迫られたが、それでも「平民でありながら士官学校に入学するのであれば、それに相応しい『強者の子』である必要がある。支援を受けなければ入学できない『弱者の子』など人材として役に立つ訳がない」というような論理が平気でまかり通っている。

 

 カミル・エルラッハは裕福な家庭の出身であり、また抜群の学力――入学試験で総合四位――を示して士官学校に入学できたが、それでも経済的な事情から二度退学を覚悟したそうだ。

 

「……レンネンカンプ参謀長には世話になりました。私が生きてこの場に居るのは彼の補佐があったからです。その恩を返す時が来ました。エルゼ夫人、ご子息の士官学校入学を経済的に支援させてはいただけませんか?」

「それは!……しかし宜しいのでしょうか?」

「腐っても皇帝直轄領の代官、そして子爵です。多少の蓄えはあります」

 

 私は胸を叩いて請け負った。実際の所、ライヘンバッハ伯爵家の主導権は従兄ディートハルトが握り、その資産も当然ながら私が手を出せる状況ではない。フリードリヒとリヒテンラーデに与えられたチェザーリの代官職もそれ程実入りが大きい役職ではない。個人資産で言えば他人を援助する余裕は無い。

 

 しかし、活動家アルベルト・フォン・ライヘンバッハに期待する者は陰に陽に多く、彼らは私への支援を惜しまない。多少の蓄えがある、というのは決してハッタリでもない。私には彼らの恩に報いる能力はある、と評価されているらしい。

 

「……ヘルムートと相談してまた改めて連絡させていただきます」

 

 エルゼ夫人はそう語り、私も頷いた。その後、夫人とヘルムートと別れ、私は邸宅内を歩き回る。元第一二特派戦隊後方副主任ヨゼフ・ノーデル少佐、同後方副部長代理ユリウス・ハルトマン予備役少佐を初めとする知り合いの姿もあり、彼らとレンネンカンプ参謀長の思い出を語り合いながら過ごした。

 

 

 

 

 

 

「待たせたな。ブレンターノ」

「……いえ」

 

 午後二時頃、私たちはレンネンカンプ邸を去った。どうしても外せない用事がある為だ。

 

「……少将閣下、我々の活動が無ければレンネンカンプ少将は……いえ、何でもありません」

 

 ハンドルを握るブレンターノ予備役大佐は難しい表情だ。……私も彼と同じ事は考える。今回の大敗にジークマイスター機関がどれほど関与しているのか、機関と一旦距離を置いている我々には判断が出来ない。だが無関係と言うことは無いだろう。ヨーナス・ロンペル、ルーカス・フォン・アドラー、ハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ、マルセル・フォン・シュトローゼマン……そしてパトリック・レンネンカンプ。私が面識のある相手だけで既にこれだけの人々が機関の犠牲になっている。

 

「今は『仕方ない』と言ってしまうしか無いでしょうな。どの道我々は地獄に落ちるでしょう。罪を嘆くのはそれからでも出来ることです。……今を変えることは今しか出来ません」

「……」

 

 ヘンリクが割り切ったことを言う。……確かにヘンリクの言う通りだ。しかし、我々は本当に『今』を変えられているのだろうか?……機関と切り離されていた当時、私は定期的にそのような疑念を抱いていた。

 

 『三・二四政変』で政治情勢が大きく変わり、機関の長期計画も大きな変更を迫られたはずだ。開明派を支援し軍だけでは無く政界・官界・財界の中枢にも影響力を伸ばしていく予定だったが、その開明派は中枢から遠ざけられ、宇宙のシュタイエルマルク系と地上のライヘンバッハ系で掌握しつつあった軍からも排斥された。一体、今の機関はどういう戦略で動いているのだろうか。一応、機関が関与したと思しき騒乱は定期的に起こっている、ジーゲルト将軍の叛乱・城内平和同盟(ブルク・フリーデン)の再軍備宣言・FREWLIN(フレウリン)掃討を名目とした惑星ブラメナウの虐殺……。しかし、一体何を目指してそれらの騒乱を起こしているのかイマイチ方針が見えてこない。

 

「御曹司。そろそろ到着します。心の準備は出来ていますね?」

「ああ」

 

 私は言葉少なに答える。今日の会合はあまり気が進まない。葬式の直後に金勘定とは、何とも醜い人間になったものではないか。

 

 ホテル・グロスヴォーンハオスは帝都近郊にある外国人向け――つまり主にフェザーン自治領(ラント)、その他リューベック、トリエステ、ティターノなど――の一流ホテルである。このホテルに私の支援者にして同盟者の一人、スラーヴァ・インターナショナル社会長ドミトリー・ワレンコフ氏が滞在しているのだ。今日は彼を初めとする私の支援者――というよりは私への投資家――たちと会合を持つことになっている。ワレンコフ氏のスケジュールの都合でどうしても今日しか会合できる日が無かったのだ。

 

 護衛を兼ねる私設秘書のヘンリクを従え、私はホテルに入る。フェザーン人向けのホテルだけあって会議室も存在しており、その一つに私は案内された。

 

「お待たせしました。前もってお伝えしていた通り元部下の葬式に参列していたのですが、積もる話もあり、つい遅れてしまいました」

「ふむ、確か平民階級の部下でしたな?結構結構。名門貴族の閣下が身分を気にせず平民の部下の戦死に心を痛める、極めて大衆受けするエピソードですな。しっかりと喧伝させていただきますとも」

 

 帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)副社長のレニ・フォルカー・クラウン氏がニコニコしながらそう応えた。フェザーン支社長を経て副社長に就任した彼はブラッケ内務尚書時代に開明報道の旗振り役を務めたが、『三・二四政変』を経て開明派が冷遇され、社会秩序維持局が庁に格上げされると、社内の保守派から開明報道の責任を追及されるようになった。そんな彼が活路を見出したのが憂国騎士団報道である。フリードリヒ四世の寵臣である活動家アルベルト・フォン・ライヘンバッハと大物帯剣貴族揃いの憂国騎士団、社会秩序維持庁や保守派も手出ししにくいこの集団と結託することで保身と巻き返しを狙ったのだ。

 

「儂の都合ですいませんな、チェザーリ子爵。しかしフェザーンに戻る前にどうしても一度あなたと会って話をしておきたかった」

 

 鋭い眼光を持つ初老の男性の名はドミトリー・ワレンコフ。倒産寸前と言われたフェザーン六大財閥の一つ、情報産業の名門スラ―ヴァ・インターナショナル社を一代で立て直した剛腕の持ち主である。彼は短期的な利益では無く長期的な発展を見据える人間だ。自社と情報産業の更なる発展の為には自由惑星同盟と銀河帝国の長きにわたる戦争状態、さらに銀河帝国中央地域と辺境地域の断絶、本国地域と自治領地域の断絶、直轄領と貴族領の断絶、新世界と旧世界――この場合はシリウスを中心とするズィーリオス辺境特別区とそれよりさらに遠い地球近郊宙域――の断絶などを解決する必要があるという結論に達した。……つまり、革命後に台頭する全人類統合論に近い考えの持ち主である。

 

 彼はその結論に基づき、フェザーン自治領主(ランデスヘル)の地位を狙っている。その為にフェザーンでは少数派である自身の劣勢を補うべく、同盟や帝国の諸勢力と積極的に連携している。体制内改革派の開明派や憂国騎士団にも莫大な投資をしているが、その目的は我々の力で市場の自由を実現しつつ、さらに領地貴族の影響力を削ぎ中央政府への統合を進めることだ。その思想から分離主義には批判的ではあるが、リューベック藩王国のミシャロン国務長官が主張するような融和的分権主義、すなわち地方に一定の権利と財源を与えた上で中央政府と辺境自治領の間で欧州連合のような高度の統合経済圏を実現するという構想には前向きの姿勢を示している。

 

「言いにくい話ではありますが……他の方は商人の対等な交渉相手としてはその……不適当でして……」

 

 疲れたような表情でそう言うのはロイエンタール商会会長のヴィンセント・フォン・ロイエンタールである。元々財務省の下級官吏だった彼は有能な人材であったが、それ故に財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵の追従者に疎まれ出世の道を阻まれた。その後は鉱山への巧みな投資で莫大な財を成し、やがて名門マールバッハ伯爵家の三女レオノラを妻として迎え入れた。この結婚生活は残念ながら不幸な結果に終わったが、彼自身はその後も自身の才覚によって社会的な成功を治めることになる。

 

 宇宙暦七六八年、財務尚書カストロプ公爵が死亡した後、後任のオイゲン・フォン・リヒター子爵に見いだされ、カストロプ公爵の非合法な資産の処理を任せられる。開明派や非主流派の官僚たちとこの難しい仕事を達成した後、リヒターの信を得たヴィンセントは財務省国税庁課税部長の要職に起用されることが内定するが、その直前に『三・二四政変』が発生する。リヒターは政権中枢に留まったが、国税庁ではレッケンドルフ長官以下開明派官僚の殆どが職を追われることになり、ヴィンセントもその例に漏れなかった。

 

 そこでヴィンセントは同僚を纏め新たに商会を作ることを決意した。カストロプ公爵領赴任時の伝手でマリーンドルフ侯爵の信を得ると、一時的な当主不在と軍政執行、それに各種課税による衰退でボロボロになっていた旧カストロプ公爵領の再建に携わることになる。私と知り合ったのもこの頃である。

 

 彼は投資とカストロプ公爵領の再建事業の部分的な成功で財を成しているが、所謂新興企業の一つに過ぎず、財界の特権企業やそれと癒着する腐敗官僚・貴族からは蔑視されている。内務省や司法省から開明派残党の一つとしてマークされているし、実際そういう側面はある。こうしてロイエンタール商会は他の新興企業と同じように私と憂国騎士団への投資を始めることになった。

 

「……まあハルバーシュタット中将やらブルクミュラー中将は猪武者な面がありますからね。……選民意識はそれ程強くないんですが、逆に軍人としての誇りが強い分商人の皆様とは合わない部分もあるでしょう。頼みの綱は元官僚のレッケンドルフさんですが……ロイエンタールさんの元上司ですからね……」

「それにレッケンドルフさんは数字にも経済にも強いですが、駆け引きが完全に国税畑のそれなんですよ。それにちょっと清廉すぎるところがありますし……。対等な立場でお互いに利益を得ていくって感じじゃなくてですね、何といえば良いのかな……まあ、良くも悪くも優秀な官僚と言いますか」

 

 ヴィンセントは辟易した様子である。他の商人たちも一様に頷く。私の横に座るハイナー・フォン・アイゼナッハ予備役少将が居心地悪そうに身じろぎをした。温厚で後方畑に精通する彼はレッケンドルフと共に商人たちとの折衝も担当している。

 

「まあ流石事務方としての能力は抜群ですし打てば響くような対応の速さは有難いんですが、政治的なご相談はやはり子爵にお願いしたいと……」

「分かっています。……今日は憂国騎士団の長期計画について語って欲しいという事でしたね。昨年の大敗を受けての修正点も確認したいと」

 

 私は話し始める。憂国騎士団の短期目標は開明派の立て直しであり、具体的には帝都に置いて無任所尚書の肩書を与えられながらも幽閉されているカール・フォン・ブラッケ侯爵の解放と、開明派官僚の公職復帰を目指している。勿論、ライヘンバッハ派が同時に軍部に復帰出来ればなお良い。その具体的な手段として挙げられるのは民衆レベルでの扇動だ。かつて開明派やクレメンツ大公派がやったように民衆レベルで現体制への素朴な不満を煽り、自分たちこそがそれを解決する力と方法を有していると信じさせる。また軍部や官界の中立派・あるいは非主流派の切り崩しも重要である。例えば旧シュタイエルマルク派のパウムガルトナー宇宙軍上級大将や故・ケレルバッハ宇宙軍大将などは憂国騎士団メンバーから繰り替えし接触を受けていた。財務尚書リヒター子爵は憂国騎士団と距離を置いているが、憂国騎士団に合流した元官僚たちを通じて連携を模索している。

 

 この一連の地道な活動と並行して、帝国各地の分権主義活動や反帝国活動に介入して世論を憂国騎士団に有利な方向に誘導する。これは殆どの場合、私が担当しているが、状況に応じて憂国騎士団本隊が介入することもある。例えばトラーバッハの虐殺時にはその実態を憂国騎士団が各地で大々的に宣伝し、ルーゲンドルフ公爵らが公の場でザルツブルク公爵の蛮行を非難し、それを阻止できなかった現体制の無力を強調した。

 

 これらの活動はそれなりの成果は上げているが、現体制を揺るがすには至っていない。逆に言えばだからこそ保守派や社会秩序維持庁は我々の活動を忌々しく思いながらも潰そうとしないのだ。一応フリードリヒ四世が私の後ろ盾になっており、高位の帯剣貴族が多く属しているという事情も抑止力にはなっているが、それでも本気で向こうが潰す気になれば潰せる。

 

 では何のためにこのような活動を行っているのか?……私やレッケンドルフら数名はおおよそ今から一〇年程度の間に必ず帝国現体制の限界が訪れ、高確率で帝前三部会の開催に追い込まれると確信していた。草の根の活動はその決戦の場に備えての準備といって良い。今の体制を合法的に突き崩すにはチャンスを待つしかない。そしてそのチャンスでは短期決戦だ。相手が本腰を入れて対応に動く前に相手の対応能力を奪う。クーデターや革命と構造は同じだろう。

 

「……帝国が疲弊し限界が近づいていることはここにいる我々も同意する所だ。帝前三部会開催に追い込まれる、という予測も希望的観測は含まれているが、荒唐無稽な予測とは言えないだろう」

 

 ワレンコフ氏が淡々と話す。その横でクラウン氏が頷いている。

 

「だが、ジャンスキー=ローゼンタール星雲、そしてアムリッツァ星域での大敗は流石に予想外の筈だ。全く憂国騎士団の長期計画に影響を与えないとは思えない」

「勿論です。……アムリッツァの大敗は帝国の限界をさらに早めるでしょうが、同時に現体制の危機感をさらに煽る筈です。つまるところ、我々を強引に黙らせる路線を保守派に決意させる可能性があります」

 

 ワレンコフ氏は頷いている。

 

「ならばどうしますかな?チェザーリ子爵」

「少なくとも『建白書』の提出は延期ですね。今アレを出したら現体制が発作的に弾圧に乗り出すかもしれません」

「ふむ、確かにその通りですな。しかし、こちらの動きに関わらず、現体制が弾圧に乗り出そうとしてきたらどうしますかな?可能性としてはあり得るでしょう」

「……高度の柔軟性を保ちつつ、臨機応変に対処します」

 

 私は渋い表情でそう言った。今はそれしか言えないだろう。アムリッツァが齎した変数が大きすぎるのだ。しかし、ワレンコフ氏は納得していない様子だ。

 

「……例えばの話ではありますが、現在同盟の戦略目標はイゼルローン回廊の制圧と要塞建造です。つまり、その侵攻は帝国中央地域にまでは及ばないでしょう。最悪でもボーデン、あるいはシャーヘンまでで進軍を止めるはずです」

「……フェザーンの入手した情報でもそうなっている」

 

 言葉少なに口を挟んだのは在オーディンフェザーン高等弁務官事務所参事官のフィデル・ハシモトだ。ワレンコフ派に属す人物である。

 

「で、あるならば……そのラインで同盟と帝国の激戦が続くはずです。そしてやがて要塞が建造されたとしても同盟がすぐに態勢を整えて帝国に侵攻するなどと言うことは有り得ません。このタイミングが憂国騎士団にとって大きなチャンスになるはずです。やがて迫るであろう同盟軍、それに対処するには帝国も一枚岩にならざるを得ません。そこで我々を弾圧する路線に走るかもしれませんが、民衆と軍は我々を無為にすりつぶす決定を支持するでしょうか?アムリッツァではティアマトを超える損害を出しました。軍務省の涙も人材も既に枯れ果てていることでしょう。内紛で潰すにはあまりにも貴重な人材集団です。私が今言えることはただ一つ、そこまで憂国騎士団の勢力を保ってみせる、ということです」

 

 私は一気に語る。商人たちの一部は悲惨な未来予測に少し青褪めている。

 

「……子爵の見解は分かりました。勝ち筋が見えているのであればまあ良いでしょう。私としては引き続き支援を続けさせていただきます」

「自由な市場が実現するより先に市場が潰れかねないですね……。そこは『戦争を終わらせる』というワレンコフさんのお力に期待するしか無いですか。我々も当面支援は続けさせていただきます」

 

 ワレンコフ氏とロイエンタール氏がそう言った。横でアイゼナッハ少将が安堵する。

 

「ワレンコフさん。クラウンさん。宣伝活動の方はどうなっていますか?」

 

 私はそれを確認し新たな話題を振る。

 

「それはもう上手く行っております!民衆の味方アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、フェザーンでも帝国でも大人気ですとも」

 

 クラウン氏は即座にニコニコしながらそう答える。

 

「……だと良いのですがね……。実際の所は違うでしょう?私の事を慮っていただけるのは嬉しいですが、遠慮なく本当の事を仰ってください」

「……」

 

 クラウン氏がニコニコしたまま困った表情をする。横でワレンコフ氏が溜息を一つついて話し始めた。

 

「クラウン氏は嘘をついている訳ではない。実際、フェザーンでも帝国でも、同盟でさえ子爵の人気は高い物がある。それは事実だ。しかし……」

「しかし?」

「……少なくない人間が子爵に対して冷笑を浴びせている。『権力闘争の敗北者が民衆に媚びているだけ』『顔と血筋の良さで偶像に祭り上げられた男』『百歩譲って善人だとしよう、それがどうした?善人であることが何の役に立つ?』『政争の一環に過ぎない』『現実を知らない夢想家の戯言』『偽善者』『実戦派気取りのボンボン、戦歴は回廊戦役だけ』『リューベックで無能を晒した男』『宮廷革命家、皇帝の金で反体制活動をやるという意味で』……まだ聞かれますか?」

 

 ワレンコフ氏が何とも言えない表情で私に聞いてくる。横のアイゼナッハ少将が机に拳を叩きつけた。

 

「……必要ならば。しかしそれだけ聞いておけばまあ実態は掴めたでしょう?ですから遠慮しておきましょう。……やはりそんな物でしょうね。憂国騎士団の活動も今の所大半の臣民からは冷めた目で見られています。支持が無い訳ではないのですが。……とはいえ、あのブラッケ侯爵やリヒター子爵だって最初は冷笑と侮蔑で迎え入れられました。我々もその先達に倣っているということでしょう。この上は両人のように我々が改革者たる資質を持つことを人民に示すしかありません」

 

 私は務めて笑顔を見せながら商人たちにそう語った。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 


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