アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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お待たせしました。


壮年期・皇女殿下はご機嫌斜め?(宇宙暦777年4月6日~宇宙暦777年4月21日)

 クロプシュトック星系第三惑星トロイアイトには帝都オーディンへ最短で到達できる星間航路が整備されている。技術的な面から評価すればトロイアイトルートは最短では無い。しかし、政治的都合から――特に国防上の都合から――帝都オーディンへ到達可能な星間航路の情報は公開が制限されている上に、広く利用可能な航路は五つに限られている。その中で最も帝都に近い航路始発点であるトロイアイトは『帝都オーディンの玄関』とも評される。……近年はノイエ・バイエルン伯爵領都ミュンヘンからのルートが整備され、対フェザーン貿易で栄える同地にその称号を奪われそうだが。

 

「……ヨハン様!皆、ヨハン様が帰られたぞ!」

「よくぞご無事で……!」

「はは!皆大袈裟だな!ザクセンの腑抜け共が私に歯向かえる訳がないさ」

 

 宇宙暦七七七年四月一五日。クロプシュトック侯爵領を訪れた私の前を歩く青年貴族……ヨハン・フォン・クロプシュトック侯爵令息は彼を見るなり駆け寄ってきた領民たちに対し気さくな笑みを浮かべて応じた。領民たちはヨハンの姿を見て口々にその帰還を喜ぶ。

 

 クロプシュトック侯爵家は帝国の中でも領民から慕われている貴族家の一つとして知られている。……ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家という強大な仮想敵を抱えていたクロプシュトック侯爵家は成立当初から領民に両家への憎悪を刷り込んだ。長い年月を経て、念入りなプロパガンダと偏向教育によってクロプシュトック侯爵家の領民たちには本能レベルで両家とその領民たちに対する憎悪の念が刷り込まれており、また両家へ対抗するべく自らの主人であるクロプシュトック侯爵家の下に固く団結している。貴族家と領民の双方にとって共通の敵を作ることで、領民の不満をそちらに逸らしているのだ。

 

 ……構図としては同じく領民の不満が殆ど無いと言われるフォルゲン伯爵家やブラッケ侯爵家と同じである。前者は帝国辺境を脅かす自由惑星同盟、後者は民衆の権利を脅かす銀河帝国中央政府という強大な敵を利用することで貴族家と領民の固い団結を実現している。

 

「……ああそうだ、アルベルト君、こちらへ来てくれ。皆、紹介しよう。我がクロプシュトック侯爵家一門に連なるチェザーリ子爵アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍特務中将だ。コンスタンツェの夫、といえば分かるか?」

「おお!コンスタンツェ様の!」

「お噂はかねがね聞いております!」

「皇帝陛下の御側に控え、奸臣の専横に立ち向かう忠臣だ!父上が陥れられた際には危険を厭わずコンスタンツェやそこにいるヴィンツェルを救ってくれた」

 

 ヨハンは私の肩を叩きながら領民たちに語る。

 

「今日はクリスティーネとコンスタンツェに会いに来たのだが、そのついでにアルベルト君に我等の故郷(・・・・・)を案内しようと思ってな。……アルベルト君、どうかな?誠実で勤勉な我が同胞たちは?」

 

 『我等の故郷』『同胞』という言葉を強調しながら聞くヨハンに私は「先の侵略に対するクロプシュトック侯爵領の強さに得心がいきました」と微笑みながら答えた。

 

 ……クロプシュトック侯爵家の初代当主は『血のローラー』を実施した内務尚書アルブレヒト・フォン・クロプシュトックである。その弾圧対象となったのは過激派共和主義者や犯罪者だけではなく、地方分権活動家やブランケル派政治学者――地球時代最末期に『星系間分権論』を著したアギーレ・ブランケルの系譜に連なる――も含まれる。

 

 建国時の銀河帝国にとって共和主義よりも厄介だったのが分離・分権主義……というよりその原動力となった郷粋主義(ナショナリズム)である。郷粋主義(ナショナリズム)の高揚は大衆の政治的無関心以上にルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの台頭に貢献した。そして教条的共和主義者の抵抗以上にルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを悩ませた。……何せ当時のカストロプ公爵やグレーテル伯爵など支持者の中にも郷粋主義者(ナショナリスト)が居るのである。

 

 さてこういった郷粋主義者(ナショナリスト)系にルーツを持つ領地貴族は全体的な傾向として自分の領地を第一に考える。領地貴族なんぞ多かれ少なかれどいつもこいつもそういう所があるが、郷粋主義者(ナショナリスト)系は今でも民意を気にすることが多く、他の貴族よりも領民『だけは』大切にする。(別に開明的という訳ではない、銀河連邦末期に大衆迎合主義(ポピュリズム)的指導者として権力を握った後遺症である)具体例を挙げるとするならば元財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵だろう。彼は自身と自身の故郷が如何に私腹を肥やすかしか考えていなかった。国家への忠誠心を欠片も持ち合わせていない代わりに、国家全体に対する野心も欠片として持ち合わせて無かった。ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵が帝国全体への影響力を増やそうとする一方でカストロプ公爵は徹頭徹尾今の自領と権益を豊かにすることだけに集中していた。

 

 そんな「国より地元」な郷粋主義者(ナショナリスト)系貴族は他の貴族の顰蹙を買いがちであるが、それを知りながらも何の因果か郷粋主義者(ナショナリスト)を弾圧したアルブレヒトの子孫であるクロプシュトック侯爵家もまた郷粋主義(ナショナリズム)を利用して領地を統治せざるを得なかった。その理由はやはりブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家である。領土とする範囲で勝る――そしてクロプシュトック侯爵家を敵視する――両家に対抗するには平民に至るまで「臣民化」、欲を言えば「領民化」していないと難しかったのだ。

 

 また、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム・クロプシュトックは奇しくもいずれもその領地から見ると「外様」の貴族である。元々中央地域出身の上院議員であるブランズウィックや同じく中央地域出身の内務尚書であったアルブレヒトは言わずもがな。テオドール・リッテンハイムもたまたま銀河連邦崩壊時に第四辺境管区総司令の役職を務めていただけで、元々は他の地域出身である。……しかもテオドール・リッテンハイムに至っては軍事クーデターで現地の地方政府を崩壊させている。

 

 銀河帝国建国初期の未だ不安定な時期である、今のように「平民が束になろうと~」などとのたまう余裕は無い。ブラウンシュヴァイク家もリッテンハイム家も死に物狂いで領民の反乱を抑え込み、厳格な統治体制を確立した。一方で、両家と同じく他地域出身ながらもルドルフやノイエ・シュタウフェンと近かったアルブレヒトは帝国中央政府からの支援を期待することが出来た。「硬軟使い分けて領民を懐柔しつつ、郷粋主義(ナショナリズム)を上手く利用し不満をブラウンシュヴァイク・リッテンハイムに逸らす」という方針を取れるだけの余裕があったのだ。

 

「……慕われているのですね」

「一種の洗脳だな。生まれてから死ぬまで、この領地じゃブラウンシュヴァイク・リッテンハイムへの憎悪を刷り込まれる。多少生活に不満があってもそれは全て両家に向かう。ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムが他の地域でどれほど恐れられていようが、力を持っていようが、ここでは農奴以下の存在だ。臣民も私領民もあいつらをこぞって馬鹿にする。まるで有色人種を相手にしているみたいにな。……アルベルト君、人は『誰某は正しい』『誰某は優秀だ』と言われるよりも『誰某は間違っている』『誰某は劣っている』と言われる方が信じるものなのさ。誰だって人の欠点を探している。絶対悪を叩くのはさぞ楽しいだろうよ」

 

 領民たちに笑顔で別れを告げた後、私に対してヨハンはそう言った。その顔には隠し切れない領民に対する侮蔑心が見える。

 

「……誰の目にも分かる欠点は誰が見ても分かるものです。そんなものをあげつらう事に意味はありません」

「同感だ」

 

 私の言葉にヨハンが頷いた。その後ろでヴィンツェルが気まずそうな表情をしている。私の言葉がそのまま領民の欠点を嗤うヨハンにも向けられていることに気づいたのだろう。

 

 私とヨハンは数名の護衛を引き連れ田舎道を歩く。一種のパフォーマンスだ。クロプシュトック侯爵家が領民と共にある、そう錯覚させる為の。……目的地はクロプシュトック侯爵家の別邸の一つであり、皇帝フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウムの第二皇女、クリスティーネ・フォン・クロプシュトックが私の妻コンスタンツェと共に滞在している。

 

 

 

 

 

 

 草原を二頭の馬が走る。やや遅れて数頭の馬が続く。その様子を眺めながらヨハンが頭を抱えている。

 

「……アルベルト君」

「前にも言いましたが、私は妻の意思を尊重しておりますので」

 

 弱り切ったヨハンが私の方を向いて何か言おうとする。しかし、私は機先を制した。

 

「……私だってなるべくはそうしたいさ!しかし……クリスティーネに何かあったらどうするんだ?皇女殿下が落馬で……なんて事になって見ろ、クロプシュトック侯爵家は終わりだぞ!?」

「では殿下に直接そう仰れば良いでしょう」

「うむ……いや、しかしな……」

 

 ヨハンは煮え切らない様子である。私は気づかれないように小さく溜息をついて視線を前に戻す。二頭の馬、その鞍上でクリスティーネ皇女殿下とコンスタンツェが笑い合っている。

 

「皇女殿下に差し出口はできませんか?」

「……そうだ、といったら君は怒るんだろう。しかしね、君やバルトバッフェル子爵みたいには成れないよ」

 

 ヨハンは不機嫌そうな、あるいは悲観するような声色でそう言った。……クリスティーネ様がこの場にいたらきっと「ヘタレ」と笑うだろう。ヨハンの名誉の為に言っておくと、「ヘタレ」と面と向かって言われる位には彼もクリスティーネ様から信頼されているのだ。

 

「……まあ私やバルトバッフェル子爵が異端であることは殿下も理解していますよ。月並みな言葉ですが重要なのはヨハン様がクリスティーネ様のことをどう思っているか、という事でしょう。表面に出る態度よりも根底にある気持ちが重要だというのは政治の場と同じです」

「……覚えておこうか」

 

 ヨハンは前を向きながらそう言った。目線の先ではクリスティーネ様とコンスタンツェが馬を降りている。そのままの服装でこちらに向かおうとして付き人から何か言われているが、意に介さずそのままこちらに歩いてきた。 

 

「あら旦那様。お早いご到着ですわね」

「……クリスティーネ、私が早くついた訳ではないよ」

 

 ヨハンが少し呆れながらそう答える。横でコンスタンツェがバツの悪そうな顔をしているが、この程度を気にするクリスティーネ様ではない。

 

「久しぶりだね、コンスタンツェ」

「ああ旦那様……。お怪我の方は大丈夫なのですか?賊に襲撃されたと聞いて非常に心配しておりました……」

 

 私は後ろを振り向く。ヴィンツェルとブレンターノがさっと目を逸らし、ヘンリクが軽く笑っている。

 

「君たちはまた勝手に……」

「うう……あの優しい旦那様が私への連絡を忘れるなんて……。余程の重傷を負われたのかと、心配して夜も八時間しか眠れませんでしたし、食事も三度しか喉を通りませんでした……」

 

 コンスタンツェがわざとらしく袖を目元にあてて泣き真似をして見せる……が、乗馬のせいで袖が汚れていたらしく、それに気づいて慌てて泣き真似を止めた。

 

「……違うんだよ、確かに襲撃は受けたが、大したことは無い。あれは暴発した馬鹿の独断行動、流れ弾みたいなもんなんだ。その程度の事を一々君に伝えて余計な心配をかけたら悪いと思ってね……」

 

 私は頭を掻きながら言い訳がましく言う。

 

「お言葉ですが旦那様?大したことがあるかないかは相対的な評価です。確かに四方八方に喧嘩を売って、同時に売られた喧嘩を片っ端から買っている旦那様です。ザルツブルク一門に属するとはいえ子爵家程度の陰謀なんて本当に大したことが無いんだと思います。でも普通の人間にしてみれば帝国歌劇場で銃撃を受けるなんて十分大したことですよ?勿論、身分に関わらずです。普通の人間は年に三、四回も襲撃は受けませんからね」

 

 コンスタンツェは立腹した様子でそう言う。そして上目遣いで私に問いかけてきた。

 

「……旦那様は私に誓ってくださったではないですか。あれは嘘だったのですか?」

「それは違う!私は君に絶対に嘘はつかないし、絶対に君より先には死なない」

 

 宇宙暦七六九年の帝臨法廷で死にかけた私は解放された後ジークリンデ皇后恩賜病院に入院したのだが、そこで再会したコンスタンツェに号泣された。ある程度慕われているとは思っていたが、まさか彼女の中で親が決めた婚約者に過ぎない私が号泣する程大きな存在だとは思っておらず、私は少々驚いた。そして気持ちが高ぶってしまった私は恥ずかしながら「絶対に君を一人にしない」などと調子に乗って誓ってしまった。……とはいえ実際の所、活動が活動である。その後二度ほど死にかけた。その度に「危ない事はしない、してしまったときは可及的速やかに連絡する」とか「年の半分は家族と過ごす」とか色々約束していたのだが、それを悉く守れないダメ人間の私はついにコンスタンツェを激怒させてしまう。

 

「……それだけですか?」

「……次に死にかけたら、あるいは嘘をついたら公式の場から退き二人で暮らす、だね」

 

 私は意図的に発しなかった三つ目の誓いを口に出した。やはり惚けるのは誠実では無いと思いなおしたからだ。コンスタンツェの声色が段々冷たくなっていったという事実とは一切関係無い。

 

 コンスタンツェは大きく頷く。それからじっと私を見つめてきた。やがて溜息をついた。

 

「何だい?」

「いいえ、まだまだ止まる気は無いんだな、と思って」

「……すまないな。君は苦労を掛けている。夫らしいことも碌にできていない」

 

 私の敵対者は皆が上品な連中と言う訳では無いし、法律や権威を気にするタイプでもない。中には私を黙らせるのに親類縁者に危害を加える人間も居るだろう。……二年前に亡くなった母アメリアとコンスタンツェ、それに従兄ディートハルトの下では安全が保障されない数名の古参家臣は五年前、正式にコンスタンツェとの式を挙げた後からクロプシュトック侯爵家の庇護下に置かれている。

 

「夫らしいこと、ねぇ……」

「何だい、その目線は?」

 

 気づけばヨハンとクリスティーネ様が近くに寄ってきていた。

 

「ヨハンはライヘンバッハと違って別に主流派に反旗を翻した訳でも無いし、馬鹿父上の御守で忙しい訳でもない。気楽な一侯爵令息だわ。ところがどういう訳か私は『夫らしいこと』をして思った覚えがあんまり無いのよねぇ」

「……酷い、それはあんまりじゃないかクリスティーネ」

 

 クリスティーネ様の言葉にショックを受けたような様子でヨハンが呟く。が、この程度のやり取りはいつもの事であると聞く。

 

「ねえコンスタンツェ、いっそ夫を交換しましょうか?ライヘンバッハは私を個人として見るし、やること為すこと一々口出ししてこない。ヨハンはいつでもあなたの側に居れるでしょうし、余計なブランドがついてない相手には普通に誠実で温和よ?」

「クリスティーネ様、お戯れを……」

 

 コンスタンツェが困ったような表情で私の方を見てくる。ヨハンが額に手を当てて首を振り「先に戻っている」と言って踵を返した。私は――というよりその場の人間たちは皆――何とも言えない表情でそれを見送る。

 

「……クリスティーネ様、いくら何でもお戯れが過ぎるというものです」

 

 私はやや呆れた表情でクリスティーネ様に話しかける。コンスタンツェも微妙な表情だ。クリスティーネ様は小さく肩を竦めて私に向き直った。

 

「まあね、自覚はあるわ。……夫を男の友人と比較したり、友人の夫と交換してほしいと言ったり……禄でもない女よね。でも言わずにはいられないのよ」

「クリスティーネ様……」

 

 クリスティーネ様はそう言うと屋敷の方に歩いていった。その背をコンスタンツェが気の毒そうに見つめている。

 

「あの二人、上手く行ってないのかい?」

「……少なくとも、クリスティーネ様は満足できていません」

 

 私が尋ねるとコンスタンツェはそう答えた。コンスタンツェはクリスティーネ様と同年代であり、信頼されているそうだ。

 

「ヨハン様が悪い訳ではありません。ヨハン様は御人柄も良く、器量も良い方です。血筋もしっかりしていますし、侯爵位に相応しい能力の持ち主です。ですが……良くも悪くも普通の貴族です」

「……普通?」

「クリスティーネ様は幼い頃から周囲の悪意に晒されて育ってこられました。……『普通の貴族』にとって皇女というブランドは絶対的なモノです。しかし、そのブランドがありながらも御父上であるフリードリヒ四世陛下に対する侮りや嘲笑から馬鹿にされ続けていました」

 

 そこでコンスタンツェは言葉を切り、その先を言うか迷う表情を見せる。しかし、やがて再び口を開いた。

 

「結論から言ってしまえば、クリスティーネ様は不安なのです。『皇女殿下』という肩書に自信を持てないのです。……私は詳しくは知りません。しかし、フリードリヒ四世陛下の即位前後で多くの貴族が『変節』しました。残念ながらクロプシュトック侯爵家もそうです。同じことがクリスティーネ様の周囲でも起こったでしょう。そして……この混迷した政治情勢で同じことが再び起こらないという保証はありません」

「なるほどな……」

「ヨハン様は良い方です。しかしクリスティーネ様に対しあまりにも多くの線を引き過ぎています。確かに『皇女殿下』に対する距離感としては間違っていないでしょう。しかし……」

「クリスティーネ様が夫に望む距離感ではない、ということか」

 

 私は考え込む。クリスティーネ様はフリードリヒからヨハンとの政略結婚について尋ねられ、積極的に同意した。しかし、ヨハンとの夫婦関係に対して完全に割り切れている訳では無いのだろう。むしろクリスティーネ様の人柄とこれまで培ってきた経験を考えれば、『皇女殿下』として敬われ囲われて過ごすのは望むところではないはずだ。

 

「……ヨハン様も分かっています」

「え?」

「アルベルト君も聞いたでしょう?『君やバルトバッフェル子爵のようには成れない』と。ヨハン様だってクリスティーネ様の求める夫婦関係は察しています。察した上で手をこまねいているのです」

 

 私の側に残ったヴィンツェルが私にそう語った。ヨハン・フォン・クロプシュトックは貴族としては善良な部類と言って良い。しかし、クリスティーネ様はそもそも「貴族」という存在に不信感を抱いている節があった。ヨハンもその事には気づいていたが、それでも「貴族」という枠組みを超えることは難しいものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀河帝国の男性皇族は伝統的に中央省庁や軍で勤務することが多い。これはジギスムント一世鎮定帝が自身の経験に基づいて皇太子リヒャルトに士官学校入学と軍隊勤務を強制したのが始まりである。即位当初行政や軍務に携わった経験が無かったために苦労したジギスムント一世鎮定帝は皇帝が一定の統治能力を有するためには中央省庁や軍での勤務経験が必要であるとの考えを持つようになったのだ。

 

 その後もリヒャルト一世名文帝が皇太子オトフリートを財務省に入省させ、オトフリート一世禁欲帝――散文帝とも――が皇太子カスパーを近衛兵総監部に、第二皇子クリストフを典礼省に、第三皇子ユリウスを宮内省に入省させた。この頃になるとゴールデンバウム家の男子は公職に就くべきである、という風潮が形成されていた。

 

 軍隊勤務を経験した皇族としては、ユリウス一世長寿帝の皇太子フランツ・オットー、アウグスト一世節制帝の皇太子エーリッヒ、リヒャルト三世無精帝の第一皇子ルートヴィヒ、リンダーホーフ侯爵エーリッヒ等二八名が挙げられる。しかし、宇宙暦六四〇年に自由惑星同盟の存在が明らかになり、さらに同年のダゴン星域会戦で帝国軍が大敗、皇位継承が確実視されつつあったベルベルト大公が失脚すると、その後は軍隊勤務を経験する皇族の数は激減する。

 

 ダゴン以降軍務に就いた皇族はマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝の皇太子コルネリアス、マンフレート一世不精帝の第二皇子レオンハルト、ヘルムート一世不運帝の皇太子ルートヴィヒ、第二皇子フランツ・オイゲン、コルネリアス二世大敗帝の皇太子オトフリート、オトフリート五世倹約帝の皇太子クレメンツ等僅かに九名である。……なお、オトフリート四世強精帝の庶子は計算に入れていない。また、宇宙暦七七六年のアムリッツァ星域会戦に参加したゴールデンバウム血族はいずれも臣籍に降っており、何かの間違いで彼らが帝位を継承しない限りは皇族として数えられることは無い。さて、この内、皇太子コルネリアス、皇太子オトフリート、皇太子クレメンツはいずれも帝位継承の有力候補ではあったが、最初から立太子されている訳では無かった。最初から帝位継承を確実視されていた皇族で軍隊勤務を経験したのはヘルムート一世不運帝の皇太子ルートヴィヒただ一人である。

 

 なお、この皇太子ルートヴィヒはシャンダルーア星域会戦の大敗で負った傷が元で若くしてこの世を去る。また、第二皇子フランツ・オイゲンは兄が戦死した戦いで生き残ってしまったために帝位継承者として不適格との声が挙がり、最終的にルクセンブルク公爵家へと追い出される羽目になる。有名なマンフレート二世亡命帝が幼少期に亡命したのも、その後に帝位を継承出来たのもルートヴィヒが戦死し、フランツ・オイゲンが失脚した為である。

 

 ……話が逸れた、本題に戻ろう。宇宙暦七七七年四月六日、皇太子時代のコルネリアス一世親征帝から数えて十人目となる皇族の軍隊勤務者が誕生した。フリードリヒ四世帝陛下の皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将である。

 

「……汝、宇宙軍予備役上級大将ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム皇太子を宇宙艦隊司令長官に任ず。エルザス=ロートリンゲン地方を奪還し、サジタリウス叛乱軍のオリオン腕進出を阻止せよ」

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の大広間で跪くルートヴィヒを見下ろすフリードリヒはいつも通りの無気力さであるが、見る人が見ればその無気力がいつものように無関心からくるものでは無く、ルートヴィヒを宇宙艦隊司令長官に任ずることを快く思っていない為であると分かるだろう。カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵の戦死後、父であるフリードリヒ四世は非常に落ち込み、息子をアムリッツァ星域に送ったことを後悔した。一方、ルートヴィヒは慕っていた兄が無能な上官から適切な救援を得られず戦死に追い込まれたことに憤り、ついに帝国再建に立ちあがることを決意した。日頃から重臣たちの無能に不満を感じていたこともある。

 

 ルートヴィヒは手始めに迎撃軍総司令部を激しく弾劾した。既にシュタインホフ元帥が解任され軍法会議に掛けられることは決定していたが、幕僚総監リンドラー元帥や特務主任参謀ベルンカステル侯爵、さらに軍務尚書エーレンベルク元帥の責任を激しく追及する。いつもは無気力なフリードリヒ四世が厳罰に前向きであったこともあり、最終的に迎撃軍総司令部は解散に追い込まれ、首脳部は更迭される。……同盟軍の大軍が迫るタイミングで首脳部全員を更迭したのは純軍事的に考えると悪手も良い所だが。だからこそルートヴィヒが動くまで他の高官はシュタインホフ元帥の首だけで責任問題を決着させようとしていたのだ。

 

 迎撃軍は緊急的に第一作戦総軍に再編され、黄色弓騎兵艦隊司令官バッセンハイム宇宙軍大将が指揮官に就任した。ルートヴィヒは迎撃軍総参謀長パウムガルトナー宇宙軍上級大将を推したが、迎撃軍総司令部全体の責任を追及している中、パウムガルトナーだけを免責するのは筋が通らないと猛反発を受け、渋々これを撤回した。

 

 その後、ルートヴィヒは自分が新たな迎撃軍を編成し、指揮を執ると言い出した。当然揉めにもめた。迎撃軍総司令部の責任追及には前向きだったフリードリヒ四世もルートヴィヒが前線に出ることには難色を示した。軍は宇宙艦隊副司令長官グデーリアン宇宙軍上級大将を指揮官に推した。財務省は財政的に大艦隊の動員は避けるべきであると提言した。国務省と内務省は皇太子が元帥府を開設し権力基盤を作ることを警戒した。論争を終結させたのはフォルゲン星系陥落の報だった。バッセンハイム大将は援軍無しに戦線を持たせることは出来ないと明言した。ルートヴィヒは非主流派を結集しついに自身の迎撃軍を編成することに成功したのだ。

 

「拝命、謹んで御受けいたします。皇帝陛下と祖国……そして忠実で善良な帝国臣民の為、このルートヴィヒ、必ずや皇帝陛下のご期待に応えましょう」

 

 ルートヴィヒは皇帝陛下と祖国に並べ、『帝国臣民』の為戦うと明言した。これは極めて異例である。臣民の存在を強調するのはかつて帝位継承争いの時期にクレメンツ大公が取った手法に酷似している。

 

「汝、宇宙軍予備役中将カール・ウィリバルト・フォン・ブルッフ男爵を宇宙軍大将に昇進させ、宇宙艦隊総参謀長に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍中将・軍務省高等参事官補フォルカー・エドワルド・フォン・ビューロー子爵を宇宙軍大将に昇進させ、宇宙艦隊副司令長官に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍中将・オストプロイセン行政区警備隊司令ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン子爵を宇宙艦隊副参謀長に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍少将・第四猟兵分艦隊司令官オイゲン・フォン・グレーテル名誉男爵を宇宙軍中将に昇進させ、白色槍騎兵艦隊司令官代理に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍少将・幕僚総監部宇宙監部教育局長ヘルマン・フォン・クヴィスリング男爵を宇宙軍中将に昇進させ、青色槍騎兵艦隊司令官代理に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍少将・第一六警備艦隊司令ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト男爵を宇宙軍中将に昇進させ、紫色胸甲騎兵艦隊司令官代理に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

 ルートヴィヒを支えるべく集められた軍人たちが次々と名前を呼ばれる。皇太子の出陣とあって扱いは盛大だが、参列者たちは白け切っている。ルートヴィヒの人選はいっそ清々しい程に帝国軍の主流派を敵視したものだ。やり方も強引である。白色・青色・紫色の各艦隊は司令官が戦死、あるいは敗戦責任を追及されて不在となり、また艦隊自体も緊急的に第一作戦総軍司令官に任命されたバッセンハイム大将の手で第一打撃艦隊・第二機動艦隊・第三独立艦隊・第四予備分艦隊・第五予備分艦隊に再編された。その為、この三つの艦隊は書類に名前が載っているだけの状態になっていた。

 

 そこに第二猟兵分艦隊や第一近衛艦隊、各警備艦隊、さらに一部私兵艦隊まで動員した混成艦隊をぶち込み、司令部メンバーは上から下まで門閥派・クーデター派を外したメンバーで固めた。ハッキリ言って正気の沙汰ではない。純軍事的に見てもこのような混成艦隊の編成には不安しか無いし、ルートヴィヒ皇太子の人選は政治色・派閥色が薄いという条件を最優先に設定するあまり、逆に能力に不安のある人材も含まれている。

 

 ……そして、そんな無茶苦茶な人事を行うように皇太子殿下を唆した奸臣と噂される男が居る。

 

「汝、宇宙軍予備役少将アルベルト・フォン・ライヘンバッハ名誉子爵を宇宙軍特務中将に昇進させ、宇宙艦隊総司令部特務主任参謀に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

 当然、私である。……確かに何名か知り合いは紹介した。しかし主犯は私ではないのだ。ルーゲ公爵が居殺さんばかりに私を睨みつけ、キールマンゼク内務次官が面白くなさそうな表情で私を冷たく見つめている。……今回は私のせいじゃないのに。何でもかんでも私の責任にしないで、皇太子殿下を怒らせた自分たちの失策を反省して欲しい。

 

「……皇太子殿下の御身は我が命に代えてもお守りいたします」

 

 私は内心でそんなことを愚痴りつつ、フリードリヒにそう言った。彼は軽く頷く。形式とは違うが、この場で言うべき言葉はこれだと考えた。

 

 私がフリードリヒから辞令を受け取り、自分の控える場所へ戻ろうとすると、内務尚書リヒテンラーデ侯爵と目が合う。リヒテンラーデは私の内心を知ってか知らないでか僅かに唇の端を上げて笑っている。……特務主任参謀の任免権限は基本的に内務省にある。そう、フリードリヒ四世に対し私をこの地位につけるように推薦したのはリヒテンラーデ侯爵なのだ。何故か全部私の陰謀と言うことになっていたが。

 

 当時の私は彼が何を考えているのか、多少は察しが付いていたが全ては見通せなかった。今になって考えると、ひょっとするとこの時点でリヒテンラーデ侯爵は私の未来を予測していたのではないだろうか?彼が革命のエネルギーを正しく評価できていれば、私を上手く「使う」事が出来たかもしれない。尤も、ラインハルト・フォン・ミューゼルというイレギュラーを前にすれば無意味な事ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッセン行政区とニーダザクセン行政区の境界付近にあるキフォイザー恒星系は星間航路の要衝であり、過去に数度戦場となっている。……ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家によって。宇宙暦七七七年四月二一日、その外縁に存在するガルミッシュ要塞に帝国迎撃軍主力二万五一〇〇隻は滞在している。ガルミッシュ要塞は一応、帝国中央政府と帝国正規軍の管轄下にあるが、時代によってはブラウンシュヴァイクかリッテンハイムの影響下に置かれていることがあった。そして現在の要塞上層部もリッテンハイム系の人材で固められており、仮にかつてのクロプシュトック征伐のような事がリッテンハイム侯爵家に対して行われれば、ガルミッシュ要塞はリッテンハイム侯爵家の側につくであろう。

 

「おお!追いついたかライヘンバッハ。クリスティーネ姉上の様子はどうだった?」

「我が妻コンスタンツェと共に草原を馬で走り回っておいででした」

「相変わらずのお転婆振りだな!クロプシュトック侯爵の息子も大変だろう」

 

 ルートヴィヒ皇太子殿下は爽やかに笑う。その机の上にはアルブレヒト・フォン・ブルックナーの『地球後史』が載っている。過小評価されつつあった人類の歴史に対する地球時代の影響を丹念に追った名著の一つだ。

 

「俺の我が儘でトロイアイトまで行ってもらってすまんな。姉上がクロプシュトックで上手くやれているか心配でな……。今の俺の立ち位置的にクロプシュトック領の領都には行けない。行ったら痛くも無い腹を探られてしまうし、クロプシュトックも俺を抱き込もうとするだろう」

「……と、ウェスターラントに言われましたか?」

 

 私はやや意地悪な口調で問いかける。するとルートヴィヒは少し難しい顔をする。

 

「卿はヴェスターラントを嫌っているのか?」

「そういう訳ではありませんが、彼は野心家ですから」

 

 私がそう言うとルートヴィヒが噴き出す。横に立つ首席副官のグローテヴォール少将、次席副官のホフマイスター准将も微妙な表情だ。

 

「……なるほどな!同族嫌悪という奴か!卿にもそういう一面があるのだなぁ。それならば仕方ないが、程々に頼むぞ」

 

 余程面白かったらしくルートヴィヒは腹を抱えている。私は憮然とした表情で「私に野心はありません」と言うが、「一番厄介なタイプだな。野心を野心と認識していないタイプは当然のようにとんでもない事をしでかす」と言われてしまう。やや自覚がある為沈黙せざるを得ない。

 

「さて、ライヘンバッハ。シャーヘンのバッセンハイム大将から連絡があった。ヤヴァンハールを失陥したとのことだ。奪還の動きをチラつかせて何とかノルトライン方面への侵入は防いでいるがそれも時間の問題らしい。援軍部隊の一部をノルトラインに向かわせて、防備を整えてほしいそうだ」

「ではゼークト中将の部隊を向かわせるべきでしょう。正直に申し上げて、他の部隊は単独行動に耐えうるレベルではありません」

「クラーゼンとグレーテルもそう言っていた。しかしゼークト艦隊は我々の切り札でもある。他の艦隊は決定力に欠けるし、万が一の時に頼りになるかは微妙だ。ここはビューロー艦隊を向かわせるべきじゃないか?予備役部隊中心とはいえ、経験で言えば援軍部隊随一だ。ビューロー大将も熟達の指揮官だ」

「我々が頼りにされているのは数だけです。質はバッセンハイム大将やミュッケンベルガー中将に任せれば問題ありません」

 

 ビューロー大将は名門伯爵家の分家当主である。本家は既に断絶しているが、その一門は今でも軍に一定の影響力を持つ。とはいえ、既に衰退している一門であり、またライヘンバッハ派に若干近かったことから軍内では冷遇されていた。用兵能力は水準以上のモノを有していたが、ここ数年は閑職を転々としている。ブルッフ大将もだが、名将でも長らく実戦を離れていた者たちがすぐに一線級の将帥として返り咲けるかは微妙だ。軍事の世界は日々変化している。技術も用兵も細かな事務形式も、当然敵味方の練度も顔触れも。ザールラント叛乱軍相手とはいえ、実戦に身を置き続けていたゼークト中将の方がこの場合は頼りになるだろう。

 

 そして何よりもビューロー大将から信頼されている作戦部長ギュンター・ヴェスターラント宇宙軍中将、彼が問題だ。彼はインゴルシュタット失脚後の機関で急速に重みを増している人物……らしい。ビューロー大将を送れば彼が蠢動する余地が出来てしまう。今の私はジークマイスター機関の方針を全て把握している訳では無く、ヴェスターラントをフリーハンドで活動させるのはいささか怖い。

 

 ……リヒテンラーデ侯爵がどこまで把握していたかは分からない。流石に機関の存在を突き止めてはいない……はずだ。いくら何でも機関の存在はリヒテンラーデ侯爵の許容範囲を超えると思う。それでも、リヒテンラーデ侯爵が私を特務主任参謀に任じた理由の一つは、ギュンター・ヴェスターラントへの牽制では無いだろうか、と私は想像している。今となっては確認のしようも無いが。

 

「うむ……少し考えさせてくれ。勿論、事は急を要する。それは分かっているがな」

「承知しました。……それでは小官はこれで失礼いたします」

 

 私はルートヴィヒの執務室を出た。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウムの出陣、それは私と憂国騎士団に想像より早い機会(チャンス)を与えることになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 

 




注釈28
 マクシミリアン・カストロプ記念大学のシェイラ・ブリット名誉教授は論文「『星系間分権論』がその後の地方制度に与えた影響」の中でルドルフによる貴族制度の復活を郷粋主義(ナショナリズム)系支持者に対する妥協の産物であると評している。事実、ルドルフ支持者の内、郷粋主義者(ナショナリスト)として知られたイオシフ・パパドプロス――カストロプ公爵家初代当主イオニアス・フォン・カストロプ――、モーゼス・グレーテル=ハラ――グレーテル伯爵家初代当主モーゼス・フォン・グレーテル――などは全て地方の領地貴族として中央から追い出されている。

 同化政策の辛辣な批判者であったパパドプロスやゲルマン至上主義に懐疑的であったグレーテル=ハラらは地方転出後、国政への口出しを控えるようになり、一方の帝国政府も彼らの領地――いずれも故郷である――への口出しを控えるようになった。つまり、「故郷に広範な自治権を与える代わりに帝国に従う(そして中央に干渉しない)」という取引が行われたのだ。尤も、単に邪魔になっただけのジェームズ・ブランズウィック――上院議員、ブラウンシュヴァイク公爵家初代当主――やエイブラハム・ロブレード――ロブレード・ファイナンス・グループ会長、ヴァルテンベルク侯爵家初代当主――なども地方に追いやられている他、現地有力者であるフィリップ・ダグラス・マグナンティ――エルドラード行政区自治体評議会会長、カンザス星系首相、ブラッケ侯爵家初代当主――、テオドール・リッテンハイム――銀河連邦地上軍大将、第四辺境管区総司令、リッテンハイム侯爵家初代当主――、ディアゴ・アラルコン――下院議員、ヴィントフック行政区名家出身、ザールラント伯爵家初代当主――らがそのまま領地貴族となっており、全ての領地貴族が郷粋主義者(ナショナリスト)という訳ではない。

 なお、ハイネセン記念大学文学部史学科のブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェル教授は同論文を「『星系間分権論』の評価にこだわるあまり、それを阻害する事象に対する考察を怠っている」と批判しているが、私、クラウス・フォン・ゼーフェルトの見解を述べるのであれば、少なくとも銀河帝国がトマス・ホップズ、エドマンド・バーク、ジャン=ポール・サルトル、マイケル・サンデル、アリ・エルッカ・カタヤイネン、アロイス・グリルパルツァーらと同じようにマリーヌ・ル・ペン、ナタリア・チェルニフスカヤ、レイノ・ブランケルら過去の著名なナショナリストの存在を歴史書から消せなかったことは事実であり、ブリットの見解もあながち的外れとは言えないだろう。

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