アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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壮年期・捕虜交換(宇宙暦779年6月5日~宇宙暦779年9月7日)

 宇宙暦七七九年六月五日、私は帝都のヴェストパーレ男爵邸を訪れていた。

 

「ヴェストパーレ先生、帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)入会おめでとうございます」

「ああ……やっと私の順番が回ってきたよ。昨年倒れた時は私も『四一番目の椅子』で死ぬのかと覚悟したものだがね」

 

 詩人、小説家、版画家、演劇家、哲学者、医師、科学者、民族学者、批評家、教育者、史学者、聖職者といった様々な背景を持つ会員四〇名で構成される帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)は帝国で最も権威のある学術団体である。帝国地理博物学協会会長、帝国文学者協会会長、帝国文化芸術振興会議議長、国立中央博物館館長、帝国国営出版社社長、オーディン文理科大学学長などそうそうたる顔ぶれがそろっている。地球史研究の第一人者であり、帝国地球史学会会長であるヴェストパーレ男爵は長らく帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)入りの有力候補とされていたが、開明派との関りが祟るなどして果たせていなかった。

 

「君も無事ライヘンバッハ伯爵家を継承できたようで何よりだ。正式に軍に復帰することも決まったのだろう?……その原因を思えば手放しでは喜べないが、まあ良かったじゃないか」

 

 我が従兄にしてライヘンバッハ伯爵家当主であったディートハルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将は先のアムリッツァ星域会戦における大敗の責任を取らされ、他の多くの高官と同じく軍を退役に追い込まれた。特に責が大きいと判断されたシュタインホフ元帥が「病気療養」、パウムガルトナー上級大将が「断絶した分家を継承する」という名目で辺境送りにされ、リンドラー元帥が「自殺」させられたことを考えれば、単に当主の座と軍から退くだけで済んだ従兄はまだマシな方だったと言える。

 

 総司令部に属していた高官はベルンカステル侯爵を初めとする内務省からの出向組を除いて全員何らかの処罰、懲罰人事を受けた。総司令部の外でも当時の軍主流派――つまりリューデリッツらクーデター派――に連なる者たちの一部は敗戦の責任を連帯して負うこととなり、軍部の人事が大きく動いた。代表的な例が統帥本部総長リューデリッツ元帥の退役、宇宙艦隊副司令長官グデーリアン上級大将の予備役編入、軍務尚書エーレンベルク元帥の幕僚総監転任である。

 

 迎撃軍総司令官を兼ねていたシュタインホフ元帥の失脚もあって空席となった帝国軍三長官のポストは緊急的な措置として皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍元帥が兼任し、宇宙艦隊副司令長官には第一作戦総軍司令官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将が昇進した上で就任した。ミュッケンベルガー中将、メルカッツ中将、シュタイエルマルク中将、カイザーリング少将、フォーゲル少将らも昇進し、敗戦責任によって空いた中央や実戦部隊の要職に就くことになる。

 

 一連の人事異動の中で旧ライヘンバッハ派と旧シュタイエルマルク派の要人が軍に復帰する。リューデリッツ元帥ら軍部クーデター派にとってこの二派閥は絶対に組むことが出来ない相手であったが、ルーゲ公爵ら政官界のクーデター派にとって旧ライヘンバッハ派と旧シュタイエルマルク派は必ずしも対立する相手ではない。強いて言えばルーゲ公爵やキールマンゼク伯爵は私の事を嫌っていたし、警戒もしていたが、妥協できない相手ではない。こうして私もめでたくライヘンバッハ伯爵位を継承することが出来た訳である。

 

「課題は山積していますがね……。ライヘンバッハ家は帯剣貴族の名門です。ですがそれ故に問題となるのが譜代家臣の扱いです。代々の当主も一門衆も皆正規軍で勤務してきました。ライヘンバッハ家の譜代家臣は従軍し当主や一門衆に付き従う武官と、領地経営に専念する文官に分かれます。前者の例がブルクミュラー家や一門入りしているハルバーシュタット家、オークレール家などです。これらの家は帯剣貴族的価値観を持っているが故に、文句なしの名将である父とその忘れ形見である私に忠誠を誓っています。しかし領地経営に携わる一族の方は伝統的な領地貴族的価値観を持っています。つまり、実力よりも血筋を重んじますし、文官らしく『剣を振るうしか能が無い』武官たちへの反感も持っています」

「家臣同士で対立があるということかね?」

「対立というほどの事でも無いですがね……。クラウス伯父上はどちらかと言えば文官肌のお人でした。その子であるディートハルト従兄上もそうです。文官たちは私よりも従兄上を支持しているのです」

 

 ヴェストパーレ男爵は腕を組みながら椅子の背にもたれ掛かった。

 

「よくある話だな。我がヴェストパーレ男爵家も他人事ではない」

 

 ヴェストパーレ男爵はくつくつと笑いながらそう言った。ヴェストパーレ男爵は早逝した従兄に変わって家督を相続した。彼の相続はすんなりと決まったが、その次が問題だ。ヴェストパーレ男爵は今年五三歳で妻は四八歳、共に未だ老齢とは言えないが、出産適齢期は大きく過ぎていると言えよう。加えて、男爵は数年前から体調を崩して寝込むことが増えている。しかしながら彼の子は今年一〇歳になる娘マグダレーナただ一人であり、もしヴェストパーレ男爵に万が一の事があれば、その家督を誰が継ぐことになるのかは問題となる。

 

「この一年で随分と親しい親戚が増えたよ。願わくば私たちに向けるその好意を、私が居なくなってからも娘に向けて貰いたいものだがね?……もしもの時は頼むよ。カールやコンラート君が排斥されている今、私が頼れるのはオイゲンと君位だ」

「出来る限りの事はしますが、そのような弱気な事は言わないでください。先生」

「弱気だなんて心外だな。リスクヘッジだよ。軍人の君なら分かるだろう」

 

 ヴェストパーレ男爵は穏やかに笑いながらそう言った。

 

「先生には娘に歴史を教えていただきたいのです。あの子がライプツィヒ大学の門戸を叩くまでは壮健で居て頂かないと」

「ああ、それなんだけどね。帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)入りを機に来年から再び帝都に戻ることになったよ。といっても文理科大の方だがね」

「本当ですか?それはおめでとうございます」

「……ノイエ=バイエルンのライプツィヒ大も簡単に入れる大学という訳では無いが、帝立の文理科大はより難関だぞ?あそこはリヒャルト一世帝が文系の最高学府として創設した大学だ」

「さて、親バカと言われるかもしれませんが、ゾフィーならやってくれそうな気がしますよ。あの子は聡明です」

「なるほど。期待して待っていようじゃないか」 

 

 私の娘、ゾフィー・フォン・ライヘンバッハは今年で五歳となる。今は妻と共にクロプシュトック侯爵領都トロイアイトに住んでいる。全くの余談であるが、私の願いは半分だけ叶った。つまり一四年後にゾフィーはオーディン文理科大学歴史学部へと入学したものの、既にヴェストパーレ男爵自身はこの世を去っていたということである。

 

 話が一段落した後、ヴェストパーレ男爵が徐に切り出した。

 

「次の任地は決まったのかね?」

「ノルトライン警備管区司令、ニーダザクセン鎮定使、エルザス=ロートリンゲン特別軍政区司令官、この辺りかと思いますが……。フェザーンでの交渉次第ではそちらへ行くことになるかもしれません」

「フェザーン……。ということはあの噂は本当かね!?」

「ええ、オフレコでお願いしますよ……。国務省からホージンガー自治調整局長とワイツ第一課長、そして軍務省からシュタイエルマルク高等参事官、財務省からシェッツラー外治局第一課長がフェザーン入りしています。同盟側と捕虜交換交渉を行う為です」

 

 ヴェストパーレ男爵は難しい表情で考え込む。現在帝国上層部では内密にフェザーンで捕虜交換交渉が行われており、さらにこの機に休戦協定や交戦法規を巡る話し合いまで行われているという噂がまことしやかに囁かれていた。尤も、知識人たちの見解は一致している。「ただの噂、もし交渉が行われていても決裂する」と。ヴェストパーレ男爵も当然そういう見解だっただろう。

 

「同盟側に捕虜交換を応じる動機はあるだろう。あの国の政体で権力を維持するのに、捕虜交換というイベントはすこぶる都合が良い。第二次ティアマト以来同盟軍は数度に渡って回廊を超えて帝国側に侵攻してきていた、全体として優勢を保っていたとはいえ、それなりの数の将兵が帝国軍の虜囚となっている。特に大規模な地上戦が各地で行われた先の戦役では、激戦地に部隊ごと取り残された者たちも居た」

「同盟・帝国双方で外征専門部隊は予め敵地に取り残されることを前提とした部隊編成が行われています。アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将が率いた第九装甲擲弾兵師団は帝国宇宙軍の撤退後も数年に渡って抵抗を続けました。ランズベルク星系で抵抗を続ける同盟軍独立混成第六統合作戦軍も年単位での橋頭保確保やゲリラ戦を視野に入れて編成されている部隊です。……とはいえ、全ての部隊がこれら精鋭部隊と同様にカタログスペックを発揮できる訳では無い。机の上の計算では三年間独力で戦える部隊が、現実でも同様に戦えるとは限らない」

 

 私の言葉にヴェストパーレ男爵は頷き続ける。

 

「同盟軍が優勢を保っているにも関わらず、数度に渡って反戦運動が勢いをもったのはその辺りにも理由があるな。『必要のない戦争で血を流したり、捕虜になったりするなんてバカみたいじゃないか』という戦死者や捕虜の家族による批判は大きかった。……いや、過去形じゃないな、彼らによる政府批判は今も続いている。捕虜交換が実現すれば彼らは満足し、政府批判を止めるだろう。一部は捕虜交換を実現した今の政府を支持するかもしれない」

「大規模な捕虜交換は滅多に実現しませんからね。捕虜交換をビジネスとするフェザーン企業もありますが……彼らを雇うにはカネがかかりますし、民間の力では限界もあります。勿論同盟政府や同盟軍が捕虜交換に後ろ向きな訳ではありません。国務委員会、国防委員会、人的資源委員会、財務委員会、司法委員会、同盟警察庁、同盟下院拘束将兵問題特別委員会、統合作戦本部……とまあ色々な組織が帝国と接触して捕虜返還交渉に臨んでいますが……」

「そもそも帝国も同盟も互いを対等な国家と認識していない。『外務省』とでも言おうか?『国際』問題、『外交』問題を専門的に一括で担当する部門・省庁が存在していない。両国がいざ対話に乗り出そうとしても上手く行かない理由の一つだな。捕虜問題に限っても両国に乱立した官僚組織が十分な連携も取らないまま勝手に動くから纏まる話も纏まらない。亡命者取締もそうだが、実情を無視してあくまで『この宇宙に人類国家は自国のみ』という姿勢を堅持しようとするからこうなるのだよ」

「同感です」

 

 ヴェストパーレ男爵は机の上のコーヒーをゆっくりと口に運んだ。それから人差し指を私の方へ軽く立てた。興が乗ってきた時にするヴェストパーレ男爵の癖の一つだ。

 

「ところが今回の捕虜交換交渉は、君が身構える程度には実現可能性があるらしい。確かに国務省と軍務省、財務省から人が出ているのは期待が持てる。宰相府と司法省を外したのは完全にリヒテンラーデ派と軍部で話を纏める為だな?ふむ……帝国政府全体にとって捕虜交換はさほど旨味がある話ではない。少なくとも同盟政府に比べればな。だが軍部が積極的なのは分かる。今の軍部は慢性的な人手不足だし、捕虜の中には名の通った帯剣貴族が少なくない。しかしリヒテンラーデ侯爵の意図が分からん。何故あの人が乗った?」

「……」

 

 実を言うと私はリヒテンラーデ侯爵の意図を聞いている。しかし例えヴェストパーレ男爵が相手であっても迂闊に話すことはできない。

 

「今回、フェザーンのワレンコフ自治領主は極めて熱心に捕虜交換交渉の仲介に乗り出しました。彼無しでは交渉にこぎつけることも難しかったでしょう。恐らくはワレンコフ自治領主からリヒテンラーデ侯爵に何らかの見返りの提供があったのではないでしょうか?」

「賄賂、かね……」

 

 ヴェストパーレ男爵は納得していない様子だ。リヒテンラーデ侯爵は清廉潔白とは言えないが、少なくとも有能であり、慎重な人物だ。捕虜交換なんて大それたことを「袖の下」で決める人間ではない。

 

「まあ、ここで考えても仕方がない事ではある。まだ交渉が纏まるとは決まっていないしな」

「もし纏まったとしたらいつ以来の捕虜交換でしょう?政府が本腰を入れて関与したのは久しぶりでは?」

「帝国歴三九六年の亡命帝交換以来だね。あれはシャンダルーア星域で戦死したルートヴィヒ皇太子の遺体を取り戻すことが主目的で、捕虜とマンフレート皇子はオマケ扱いだった。ところが、その後マンフレート皇子は同盟の後援を受けて宮廷クーデターを実行、マンフレート二世として即位する。クーデター派の中核は亡命帝と共に帰還した元・捕虜たちだ。……帝国上層部はそれですっかり捕虜交換恐怖症になってしまった」

「思い出しました。当時のエーレンベルク侯爵もクーデターの犠牲者でしたね……」

 

 ヴェストパーレ男爵は「よく知っているじゃないか」と言うと、口角を少しだけ上げながら続ける。

 

「君が捕虜交換に携わるとしたら……エーレンベルク公爵やルーゲ公爵は黙ってないな。亡命帝交換の二の舞になりかねない」

「勘弁してください。私にマンフレート二世帝陛下のようなカリスマ性は無いですよ」

「否定するのはそこだけかい?それじゃあカリスマ性があれば同じことをする、とも取れる」

 

 ヴェストパーレ男爵は可笑しそうに笑う。私は憮然とした表情で肩を竦めた。ヴェストパーレ男爵は開明派の一員と見做されているが、自身は務めて歴史の観察者たらんとしている。ブラッケ侯爵を始めとする彼の友人が軒並み今の体制に批判的な人物であることは、彼が反体制的な人物であることを意味しない。彼はただ単に次の時代を作るか、あるいはこの時代に潰されることで歴史に名を遺すであろう人々を観察しようとしているだけなのだ。

 

「扇動者としての才能はあると私は見ているんだけどね、まあ確かにカールやルートヴィヒ皇太子のような内側から湧き出るカリスマ性みたいな物は感じないな。とはいえカリスマ性は後天的に身に着けることも不可能ではない。君の経歴は少しずつ『権威』を纏い始めていると私は思うよ」

「私とミュッケンベルガー大将が並んだとして、『権威』を感じるのはどちらか。一〇〇人に聞けば一〇〇人がミュッケンベルガー大将と言うでしょう」

「それは君。比べる相手が悪いよ。だがまあ、彼をナポレオンと見立てたら君はカール大公……いやベルナドットといった所かな」

「……ベルナドットですか。中々含みのある見立てです」

 

 ジャン・バティスト・ベルナドット。フランス革命期の軍人であり、早逝したルイ・ラザール・オッシュを除き唯一ナポレオン・ポナパルトに比肩する天才であると目された男。誰よりもフランス共和制に忠実であろうとした彼は、ナポレオンが第一共和政を崩壊に追い込むその瞬間を文民統制に服して傍観した。祖国を愛するが故に、愛する共和制を崩壊させたナポレオンの下でナポレオン戦争を戦った彼は常にナポレオンに対する反感を隠さなかった。ところが運命という物は不思議な物で、彼は最終的に北欧スウェーデンの皇帝として即位する。そして第六次対仏大同盟の立役者となり、ナポレオン・ポナパルトに引導を渡した。ナポレオンを以ってして「我らが失墜の主たる要因の一つ」と言わしめたこの男は、間違いなくナポレオンと同じ「革命の鬼子」であると言える。

 

「ベルナドットを知っているのか……相変わらず君の歴史知識には感服させられる。学会でもベルナドットを知っているのは西欧地球史研究者のほんの一部だろう。ましてその反応を返せる者が一体何人いるか……」

 

 ヴェストパーレ男爵が感心しているのを他所に、私はある思いを抱いていた。軍事的才能という観点でミュッケンベルガー大将をナポレオンに擬えるのであれば、ベルナドットに擬えられるのは私よりも相応しい人間が何人もいる。ヴェストパーレ男爵が私をベルナドットに擬えたのは軍事的才能だけでは無く、「革命の鬼子」あるいはもっと単純に「共和主義者」という側面、換言してしまえば「反体制派である」という事実を意識しての事だろう。(勿論、私は自身が共和主義者などとこの人に言ってはいないが)

 

 だとするならば、だ。ナポレオンに擬えられるべきはミュッケンベルガー大将では無いことを私は知っている。果たしてこの世界の未来で、本来の世界の未来で起こったことが起こるかどうかは分からない。だがどのような未来であれ、そこに『彼』の姿が無いなどと言うことはあり得ない。私をベルナドットとするならば、『彼』こそがナポレオンに相応しい……

 

「いや、違うな」

「ん?何が違うのかね、アルベルト君」

「いえ、独り言です」

 

 そう、違う。『彼』をナポレオンと見立てるのであれば、ベルナドットに見立てられるに相応しい男は私ではない。なるほど、あの人は『矛盾の人』と呼ばれたが、ベルナドットにもそういう側面はある。……本来の世界で、『ナポレオン』はついに『ベルナドット』に勝つことが出来なかった。だが『ベルナドット』もついに『ナポレオン』を討つことが出来なかった。……『ナポレオン』の命を奪ったのは『ベルナドット』の死であった、という言い方をすれば、『ベルナドット』が『ナポレオン』を討ったと言えるかもしれないが。

 

「……『彼』のモデルの一人がナポレオンなら、『彼』のモデルの一人がベルナドットでもおかしくは無い」

「は?」

 

 真実を知る者はただ一人、その一人はこの世界に居ないし、居たとしても既にこの世を去っていることは疑いようが無いだろう。尤も、その人は確か『彼』に特定のモデルは居ないと言っていた。『特定の』モデルは居ない、『特定の一人ではない』モデルならばあるいは……なんて、所詮はただの妄想だ。

 

 私は困惑するヴェストパーレ男爵にもう一度「何でもありません」と言って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェザーン・帝国間貿易の約六割はフェザーン=リュテッヒ航路を経由する。それ故にこの航路は『銀河の表通り(ギャラクシック・メインストリート)』とも言われる。しかし、それを織り込んだとしてもこの密度は異常だ。船団の周囲に数えきれないほどの民間交易船が集まり、ピッタリと並走、あるいは追走している。……いや、民間だけではないようだ。名の通った貴族家や財務省、内務省の船も複数確認できる。

 

「……本当に商魂たくましい連中だ、そして厚かましい」

 

 私はレーダーの反応を見て苦笑しながら呟いた。私の横で眠そうな表情をしている大男がそれに反応する。

 

「ん?何の話だ?」

「見てください。船団の周囲を沢山の民間船が航行しているでしょう?何故だと思います?」

「何故って……ここはフェザーン=リュテッヒ航路、帝国とフェザーンの貿易の約六割はこの航路を通ると言われている。そりゃあ民間船も多いだろう」

 

 大男……宇宙艦隊副司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム上級大将は「何を分かり切ったことを」というような表情で応える。

 

「だとしても、この数は偶然では無いですよ。……船団の護衛部隊に期待しているんです」

「は?期待?」

「ここ数年、辺境の治安は著しく悪化しています。先の戦役後、帝国軍は漸く各地の秩序回復に本腰を入れ始めましたが、中央地域……特に旧ブラウンシュヴァイク派領土の混乱が凄まじく、辺境にまでは未だ手が回っていません」

「あそこはな……ただでさえ厄介なのにリッテンハイムやクロプシュトックたち欲深クソ領地貴族が対立を煽ってるからな……あいつらの横槍は正規軍でも無視するのは難しい」

 

 「お前もそう思うだろ?」と言わんばかりの表情のバッセンハイムに私は苦笑した。リッテンハイム侯爵家はともかくクロプシュトック公爵家は私と縁戚関係にある。貴族の常識で言えば悪く言うべきではないし、私が批判するのは絶対に許されない。バッセンハイムだってそれは分かっているだろうに敢えて聞いてくるのだ。

 

「……まあ、何にせよ、辺境の治安は悪い訳です。そしてそれはこのフェザーン=リュテッヒ航路も例外じゃない。『流星旗軍』……奴らは完全に調子に乗ってます。堂々と銀河の表街道で強盗を働くんですからね。……メクリンゲン=ライヘンバッハ男爵家のホルストさん、知ってます?」

「ルーゲンドルフ公爵の五男坊のことか?あのクソ頑固爺の息子とは思えない爽やかな美形だったな。まあ無能とは言わんが、あの洗練された立ち居振る舞いと爽やかなルックスが無ければ流石にライヘンバッハ一門入りは出来なかったんじゃないかね?」

「ラインラント警備管区司令を務めているんですけどね……荒れに荒れてます。爽やかさの欠片も無い暗い表情で『流星旗軍』を駆逐できるなら命を捨てたって構わない、と言っていました」

「……なるほど、話が見えてきた。つまり主要航路でも安心できないから商人たちは護衛を必要としている。だが、一々雇うのはコストも馬鹿にならないし、『流星旗軍』相手に多少の護衛では安心できない。そんな時に捕虜交換船団がフェザーンに向かうと聞いた商人たちは、それを利用しようと考えた、ってことだな」

「ええ、ついでに守ってもらおうという意図です。どの船も明らかに積み荷を満載していますね」

 

 バッセンハイムは呆れた表情だ。その時、私の副官であるヴィンクラー少佐から端末にメールが入った。

 

「呆れた連中だな……俺たちの任務は奴らの御守じゃないぞ」

「ええ、同感です。……しかし見捨てる訳にもいかない」

 

 私はそう言いながらヴィンクラー少佐のメールを画面に映し出した状態で端末を見せる。

 

「……ほう?こんな報告は聞いていないが……」

「『良き帝国軍人』とされる人間には二種類います。武人か官僚か、です。官僚はこんな些末な事(・・・・・・・)を一々報告しません。さて、どうしますか?閣下」

 

 私の問いにバッセンハイムは忌々し気に舌打ちした。

 

「気にくわんが、軍人としての本分は果たさんとなぁ。行くぞ副代表」

「了解いたしました」

 

 ヴィンクラー少佐のメールの内容は『流星旗軍』が船団に近づいているという内容の報告だ。

 

「奴ら、正規軍に喧嘩を売るのか?」

「場合によっては。しかし今回は違うでしょう。民間船が目の前で襲われようと捕虜交換船団の護衛部隊が動かないと踏んでいるんです」

「ふん、本気でそう思っているならおめでたい奴らじゃないか」

 

 バッセンハイムは不機嫌そうにそう言ったが、私の感想は違う。ここは帝国だ。治安維持を任務とする部隊でならともかく、捕虜交換船団の護衛を任務とする部隊が、勝手についてきた民間船を守る為に働く義務はない。

 

「黙れ!貴官らは恥という物を知らんのか?それにここで賊共の暴挙を見逃せば、奴らはますます調子に乗るではないか!」

「し、しかしですね、既に日程に遅れが……」

「良いではありませんか、むしろ言い訳が出来たと思えば良いのです。周りの民間船の殆どはフェザーン船籍です。そしてサジタリウス叛乱軍は民草の命をやたら気にします。我々が民間船を守って遅れたとしれば、非難することは無いでしょう」

 

 バッセンハイムはここで民間船を守ろうと考える程度に良識のある人物ではあるが……、私が居なければ、そして『流星旗軍』が既に民間船を襲っている状況では周囲の軍人に押し切られるはずだ。『もう手遅れです』とか『捕虜を危険に晒すことになります』とかそういう理屈で民間船の救援を諦めるだろう。

 

「ヴィンクラー少佐、報告感謝するよ」

「いえ……しかし何故『流星旗軍』が仕掛けてくると予想できたのですか?」

「……何、自分ならどうするか、と考えたらね」

「は?」

 

 『流星旗軍』がただの海賊連合だとは思えない。仮にただの海賊連合であってもどこかの勢力の紐がついている筈だ。それが何処なのかは分からないが、仮に捕虜交換を邪魔したい側の紐付きならここで『流星旗軍』に仕掛けさせるはずだ。一番良いのは輸送中の捕虜である同盟兵に被害を出すことだろう。だがそれは護衛部隊の量と質を考えると無理だ。ならば恐らくはその周りに集るであろう民間船を狙う。恐らく捕虜交換船団が民間船を見捨てたら、その事実をフェザーンや同盟で喧伝する手筈が整っている筈だ。

 

「……」

 

 私はリヒテンラーデ侯爵の忠告を思い出す。彼は捕虜交換を邪魔しようとする勢力が居ることに気づいていた。そして可能な限り私に対処するように命じたのだ。

 

(機関の仕業でも筋は通る、か……)

 

 そう、ジークマイスター機関にとっても捕虜交換……そして同時に行われる自然交戦規範遵守宣言による緊張緩和は望ましい事では無いはずだ。

 

(両国代表が公式に「自然状態から導き出される交戦における規範」を遵守することを宣言する。一応、両国は未だ互いを国家とは認識していない状態だが、事実上の国際条約と言っても問題ないだろう。間違いなく原作でこんな事象は起きてないだろうな。同盟がイゼルローン要塞を完成させた世界線で今更何を言っているんだって話だが……)

 

 宇宙暦七七九年九月七日、フェザーン=リュテッヒ航路、ボールゲン星雲近郊で『流星旗軍』の艦艇約一五〇〇隻が捕虜交換船団後方の民間船団を襲撃する。捕虜交換船団の護衛を務めるルーブレヒト・ハウサー宇宙軍少将率いる第二猟兵分艦隊は人道的見地から民間船団防衛に協力、一時間程度の交戦の後、これを撃退する。

 

 なお、同時に捕虜輸送船の一つ『ブルッフⅣ』の内部で暴動が発生したが、これは想定の範囲内であり捕虜交換船団副代表である私が素早く対応し平和裏に鎮圧、隠蔽した。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。


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