アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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壮年期・女優登場(宇宙暦780年3月20日)

 激動の七八〇年代、その口火を切ったのは自由惑星同盟の野党統一会派「国民平和会議」の若手リチャード・オルトリッチ上院議員であった。反アッシュビー・反ジャスパー派に属する中堅議員であり、長征系軍人一族の名門オルトリッチ家の次期当主と見做されている。

 

「私は……私は七三〇年マフィアと常に対立する側にあった。彼らは新進の気風に溢れていたが、その反面、伝統と文化を蔑ろにする側面があった。……同盟に、共和主義に、自由に全てを捧げてきた長征系一族の一員として、先祖たちが培ってきたものを守る使命が私にはあった。だから私は彼らと……特にフレデリック・ジャスパーと同じ旗を仰ぐことが出来なかったのだろう。だが、幾たびの国難に颯爽と立ち向かった彼らに、私はある種の敬意を抱いていた。私も彼らも共に愛国者であると考えていた。……だから非常に残念だ。フレデリック・ジャスパーが国家に対する深刻な裏切りを働いていたことが」

 

 オルトリッチが自由惑星同盟上院議会で明らかにしたのは同盟・フェザーンの大企業六社と与党「自由と解放の銀河」の贈収賄疑惑である。この疑惑によってロバート・フレデリック・チェンバース前・最高評議会議長が逮捕され、国防委員長を経ていよいよ最高評議会議長へと登り詰めようとしていたフレデリック・ジャスパーとその一派の政界と軍部における地位は失墜した。後世言うところの「ベアルート事件」である。

 

 「国民平和会議」は「自由と解放の銀河」によって小選挙区制が導入されたことを受けて、旧来からの各党が共倒れを防ぐべく政策協定、候補者調整を行う目的で宇宙暦七七四年に設立した会派である。尤も、植民系・主戦・過激分離派「生贄の代弁者」、植民系・反戦・過激分離派「虚栄を弾劾する一六星系の独立党」、新解放系・反戦・急進分権派「銀河の為の唯一の選択」、長征系・主戦・過激統一派「共和前進党」、諸派・中庸・急進分権派「万国労働者連盟」、諸派・中庸・統一派「社会共和会議」などは参加を拒否したが、これらの政党の多くは翌年の選挙で議席を失うこととなった。

 

 この「ベアルート事件」を追及する過程で「国民平和会議」の各党派で次世代を担う人材たちに注目が集まった。旧立憲自由党長征系からはリチャード・オルトリッチ、ブライソン・フォーク、レナータ・サラサール、同植民系からはロイヤル・サンフォード、ネイサン・バーカー・ロックフェラー。旧自由共和党系からはアンリ・クレマン・フィリップ・ドルレアン、アニエスカ・シヴェスエキ、ジェームズ・ソーンダイク。旧新進党系からはジョアン・レベロ、ホアン・ルイ、サイラス・シャノン、ローランド・ケプナー。旧国民憲政党系からはピーター・カプラン、ウィリアム・オリヴァー・アーチボルト・トラバース、ユン・ハンギョムらが台頭し、彼ら「ベアルート組」はその後の同盟の政局を引っ張っていくことになる。

 

 激しい批判にさらされた「自由と解放の銀河」ガライ・アンドラーシュ最高評議会議長は内閣総辞職を表明、この後、野党統一会派「国民平和会議」が政権を獲得することになり、「ベアルート組」の多くが閣僚・準閣僚級ポストを与えられることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして銀河帝国でも大きな動きがあった。宇宙暦七八〇年三月二日。帝国宰相ルートヴィヒは帝国名士会議を開き、その場でこう宣言した。

 

「臣民諸君。私は問う。戦争か?課税か?道は二つに一つだ。この会議では諸君らにそれを選んでもらいたい」

 

 名士会議の場で配られた資料には嘘偽りない、銀河帝国の本当の財務状況が記してあった。これは異例な事だ。銀河帝国と大物貴族の関係性は常に緊張をはらんでいる。帝国の本当の財務状況は……というより帝国の弱みになりそうな情報は常に大貴族に対しては隠匿され、一部の官僚貴族と皇族のみの知る所であった。

 

「……これは……」

 

 思わず絶句したのは枢密院議長フランツ・フォン・マリーンドルフ侯爵だ。銀河帝国の財政状況が悪い事は誰もが理解していた。しかしその程度は貴族たちの予想をさらに超えるモノであった。貴族たちには明らかにされていなかったが、当時ルートヴィヒ皇太子とそのブレーンは帝国暦一〇〇年代までに発行された統一特別債――高利率――に代表される特権的債券の撤廃まで検討していた。そんなことをすれば貴族の叛乱が各地で勃発し、さらにフェザーンに代表される辺境自治領や名義を偽った同盟の債権家からの帝国政府への信用にも関わる。流石に断念せざるを得なかった。

 

「賢明なる臣民諸君なら分かるはずだ。……この戦争を終わらせる時が来たと」

 

 ルートヴィヒ皇太子が迫ったのは自由惑星同盟との戦争を終わらせるか、特権階級に対し全面的な課税を行うかの二者択一であった。これにすぐに反応したのは軍務尚書エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥である。

 

「皇帝陛下が大神オーディンから賜った人類社会の秩序と安寧を守るという崇高な使命を卿らは知らぬ訳ではあるまい。である以上、サジタリウス腕で蠢動する叛徒共を一人残らず討ち果たすことは、我等帝国臣民の責務ぞ。よもやこの場にその責務から逃げる卑怯者はおらんな?」

 

 父親譲りの眼光で出席者たちを睨みつける。しかしそれを物ともせず真正面から受け止めて、リッテンハイム派領袖、元・司法尚書ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵は嘯く。

 

「それは卿らの責務であって我等の責務では無いな。我等の責務は人類社会の秩序と安寧を守るべく、与えられた領土の民草共を庇護し、導くことにある」

「馬鹿を言うな!ではこの宇宙に皇帝陛下の威光に盾突く叛逆者が存在することをリッテンハイム候は認めるおつもりか!」

「バッセンハイム!口が過ぎるぞ!」

 

 宇宙艦隊司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍元帥が食って掛かり、枢密院議員ヨッフム・フォン・ノルトライン公爵が怒鳴りつける。

 

「……皇太子殿下にお聞きしたいのですが、戦争を終わらせるとは具体的にどうされるおつもりですかな?」

 

 それを横目に枢密院議員フーベルト・フォン・エーレンベルク公爵が穏やかな口調でルートヴィヒ皇太子に問いかけた。

 

「サジタリウス叛乱軍を許すつもりは無い。だがサジタリウス腕の全ての人類がサジタリウス叛乱軍に与している訳ではあるまい。その認識の下、各惑星の自主的統治組織が自治領という形で忠誠を尽くしたいと申し出れば、それを許す。……もし各統治組織ではなくその合議体として自治権を求めるのであれば、旧城内平和同盟(ブルクフリーデン)に準ずる扱いとしてこれを認めよう」

「バ、バカな!それは有り得ませんぞ皇太子殿下!それでは事実上憎きサジタリウス叛乱軍の独立を認めることではありませぬか!」

「そうですぞ!どうかお考え直しくださいませ!畏れ多くも大帝陛下がお創りになれたこの偉大な帝国を―」

「ではフィラッハ公とカレンベルク公は課税に賛成なさるということですな。大いに結構」

 

 血相を変えてルートヴィヒ皇太子に翻意を求めるフィラッハ公爵とカレンベルク公爵の口は国務尚書ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵の皮肉気な指摘で遮られた。フィラッハ公爵とカレンベルク公爵はその言葉に苦渋の表情を浮かべ、そして黙り込んだ。

 

「我がファルケンホルン侯爵家は必要とあらば当然にその財産を差し出そう。臣下としてそれが当然の務めだ」

「ルーゲンドルフ公爵家もそれに倣う」

「バッセンハイムもだ!金を惜しんで忠義を果たさぬ者が居るとは思えんな」

 

 統帥本部総長ファルケンホルン宇宙軍元帥が揺るぎない口調でそう言い、ルーゲンドルフ元帥とバッセンハイム元帥が同意する。さらに幕僚総監バウエルバッハ宇宙軍元帥、地上軍総監アルトドルファー地上軍元帥、統帥本部次長シュティール地上軍上級大将、軍務次官アルレンシュタイン宇宙軍上級大将、統帥本部総参謀長グリーセンベック宇宙軍上級大将、枢密院議員・国防諮問会議議長ゾンネンフェルス宇宙軍退役元帥らも同意の声を挙げる。彼らは皆歴戦の帯剣貴族であり、当然にその言葉は忠誠心から出ている……と言いたいところだが、実際は軍部の権益を守る為だ。戦争が終わればその後に軍縮が待つ。帯剣貴族の権力は軍部の権力と直結している。一方で課税対象となるような資産はそれ程多くない為、課税されてもそれほどダメージは受けないのだ。

 

「ライヘンバッハ伯爵家も当然に、国家の為に必要ならば財産を差し出す覚悟です」

 

 私、赤色胸甲騎兵艦隊司令官アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将も静かに同意の声を挙げる。

 

「しかし、帯剣貴族二五〇〇家悉くがその財産を返上するとしても、それは国家全体の負債から見ては微々たる額に過ぎない。財政を好転させるには全く足りない。そうだろう?ノイエ・バイエルン伯爵?リヒター伯爵?」

「……そうですな。帯剣貴族のお歴々の覚悟には感服いたしましたが、客観的な事実としては、その通りです」

「抜本的な改革が必要です。貴族階級への課税、せめて私領民に対して臣民と同率の課税をお許しいただきたい。帝国臣民の倍以上存在するとも言われる私領民への直接課税が導入できれば、国家の税収は単純計算で二倍以上に跳ね上がる」

 

 枢密院議員・宰相府国防諮問会議副議長ハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍退役元帥の指摘に財務尚書に転じたノイエ・バイエルン伯爵と無任所尚書・宰相府社会経済再建計画推進委員会副委員長に転じたリヒター伯爵が応じる。私有財産の提供を口にした帯剣貴族たちが程度の違いはあれどシュタイエルマルク元帥を睨む。「余計な事を言いやがって」ということだ。

 

 シュタイエルマルク退役元帥は退役後、領地で隠棲していたが、宰相となったルートヴィヒ皇太子の招聘に応じて宰相府に設置された国防諮問会議の副議長に就任した。宰相府に新たに設けられた国防諮問会議・社会経済再建計画推進委員会・自治政策検討会議の三組織にはルートヴィヒ皇太子の見込んだブレーンが集められており、ルートヴィヒ皇太子が既存の省庁を挟まず直接的に帝国の立て直しに乗り出したことを意味する。

 

「馬鹿を言うな!私領民は畏れ多くも大帝陛下が我ら帝国貴族に下賜なさった財産であるぞ!所有権の絶対不可侵は大帝陛下が保障なさっている!」

「貴族資産の絶対不可侵性は大帝陛下がお定めになっているのです。勿論皇帝陛下が命令なさるのであれば、それが妥当である限り我ら臣下は従う義務がありますがな。いささかリヒター伯爵のご提案は性急に過ぎるのでは?」

 

 枢密院議員のカール・ホルスト・フォン・ヴァルモーデン侯爵が顔を真っ赤にして怒鳴り、無任所尚書カール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵が窘めるような口調で言った。

 

「財務尚書。まさか私領民制度を最大限活用してきた卿までもが私領民への課税を考えている訳ではあるまいな?」

 

 リッテンハイム侯爵がノイエ・バイエルン伯爵に問いかけた。

 

「……最後の手段としては考えています。他に手段があれば、そちらを選ぶべきとも考えていますが」

 

 ノイエ・バイエルン伯爵家における私領民の地位は独特だ。ノイエ・バイエルン伯爵家私領民は経済活動に関する一定の条件を満たせば直接国税が掛からないにもかかわらず、ノイエ・バイエルン伯爵家の地方税でも減税・免税の対象になる。ノイエ・バイエルン伯爵領においては帝国臣民よりも私領民の方が平均的な租税負担が軽いのだ。この制度を活かしてノイエ・バイエルン伯爵家は自領に多くの企業や人材を集めてきた。それはノイエ・バイエルン伯爵家の発展の礎となった。

 

 議論が進むにつれて、各参加者の旗色が明確になり始める。リッテンハイム派を中心に多くの領地貴族は課税反対であり、終戦も止む無しと主張する。これに対し殆どの帯剣貴族が終戦に反対し、全ての貴族に税負担を求める。開明派は課税と終戦の双方を主張する。リンダーホーフ侯爵やマリーンドルフ侯爵が双方の主張に配慮して穏健な――どっちつかずともいう――立場を採る一方で、カレンベルク公爵やザルツブルク公爵は課税にも終戦にも強硬に反対する構えだ。彼らは財政再建が必要なら平民から搾り取れば良いと主張する。閣僚はそんな名士たちの議論にあまり積極的に口を挟まないが、クロプシュトック公爵、ノイエ・バイエルン伯爵以下領地貴族系の閣僚は課税の必要性を認識しつつもその幅を可能な限り小さくしようと試みている。一方で意外にもルーゲ公爵、リヒテンラーデ侯爵以下官僚貴族系の閣僚は静観の構えだ。恐らく課税と終戦のどちらが実現しても国政に得である――そして領地貴族と帯剣貴族のどちらが弱体化しても官僚貴族たちにとって得である――為に議論に参加する必要が無いのだろう。また課税・終戦の枠組みとは別に財務尚書ノイエ・バイエルン伯爵、司法尚書リヒテンラーデ侯爵、無任所尚書リヒター伯爵の三人は平民に対する増税に明確に反対する立場を表明した。

 

「ブラッケ侯爵。卿はどう思う?」

 

 課税派帯剣貴族と終戦派領地貴族に別れて議論が白熱する中、黙り込んでいるブラッケ侯爵に対して枢密院議員コンラート・フォン・バルトバッフェル子爵が問い掛けた。バルトバッフェル子爵は昨年枢密院議員の職に復帰した。カウンター・クーデターの責任を全てインゴルシュタット中将に被せ、巻き込まれた被害者として振舞ったのだ。といってもバルトバッフェル子爵を非難することはできない。それを提案したのは中央のレムシャイド伯爵であり、快諾したのは他ならぬインゴルシュタット中将なのだから。

 

「私か?……そうだな、いささか妙な表現にはなるが……今日まで帝国とサジタリウス叛乱軍は財政のかろうじて許す範囲内で戦争を続けてきた。だがそれももう限界だ。帝国国土の……失礼、中核地域の約八分の一を巻き込んだ第二次エルザス=ロートリンゲン戦役、並行して巻き起こった暴動・叛乱・独立運動……サジタリウス腕は抜くとしても最大で国土の五分の一が無政府状態へと陥った。国家財政とそれを支える経済は既に破綻を迎えたと言わざるを得ないだろうな。この上戦争を続けて得られる物は破滅しかないよ」

 

 「尤も、それは今に始まった話では無いがね」と肩を竦めながらブラッケ侯爵は付け足した。枢密院副議長カール・フォン・ブラッケ侯爵は面倒そうにバルトバッフェル子爵の問いに答える。三・二四政変のあと長らく自宅に軟禁されていたブラッケ侯爵であるが、ルートヴィヒ皇太子の政権掌握と同時に解放された。その後、リッテンハイム侯爵と共に枢密院副議長の職を与えられたが、これは明らかにリッテンハイム侯爵と対立することを期待しての人事であろう。

 

「ではブラッケ侯爵も終戦に賛成だと?卑劣な共和主義者共の叛乱を野放しにすると?」

「それは卿らに聞きたいものだ。軍部が主導する秩序回復作戦、あまりうまく行っていないようじゃないか。この状況でサジタリウス叛乱軍と事を構える余力が本当に軍にあるのか?それこそ卿らはオリオン腕の叛乱を野放しにする気ではないかと思ってしまうな」

 

 ファルケンホルン宇宙軍元帥の問いかけにブラッケ侯爵は「秩序回復作戦」を例に出して言い返す。第一次秩序回復作戦はルーゲンドルフ地上軍元帥の指揮の下、主要航路を解放し、機能不全に陥っていた帝国の通商・交通網を回復させた。しかし順調なのはそこまでだった。旧ブラウンシュヴァイク派諸侯は帝国軍の本格介入を受けて団結した。これまではフレーゲル侯爵がクロプシュトック公爵家と、ヒルデスハイム伯爵がアンドレアス公爵家と、シュミットバウアー侯爵がリンダーホーフ侯爵家と手を組んで対立していたが、帝国中央政府から正式に征討令が出た以上、分裂してブラウンシュヴァイク公爵家の主導権争いをしているような段階では無くなった。正式に「叛逆者」と認定された以上、これまでのように他家の支援を受けることはできない。

 

 「リップシュタット愛国貴族連合」はこうして誕生した。帝都に幽閉されている前帝クレメンツ一世とその皇太子エーリッヒの解放を大義名分としているが、それが口実に過ぎないのは言うまでもない。その他、旧世界……つまりかつての人類史で中心となっていたズィーリオス辺境特別区やオストマルク行政区でも分権・独立・復権派組織が激しく蠢動する。勿論、フェザーン方面辺境全域を活動範囲とする『流星旗軍』も相変わらず辺境を悩ませているし、リューベック・トリエステの両藩王国を始め、各辺境自治領の位置するアウタースペースも不穏な動きを見せている。

 

「帝国国内の不穏分子を扇動しているのはサジタリウス叛乱軍だ。根本を断てば枝葉は自然に枯れる」

 

 クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥はそう言い切ったが、本心からそう信じている訳では無い。帝国正規軍に比肩する軍事力を有する敵が居てくれないと困るという思いから、帯剣貴族たちは長らく「サジタリウス叛乱軍黒幕説」を主張してきた。ヴィレンシュタイン公爵の叛乱のような同盟と一切関係の無い事件であっても、帝国軍務省と憲兵総監部は「サジタリウス叛乱軍による工作の証拠」を見つけ出し、激しく糾弾した。

 

「さて、それはどうかな?私はサジタリウス叛乱軍ですら枝葉に過ぎないと思うがね」

 

 ブラッケ侯爵は皮肉気にそう返すが、それ以上は何も言わなかった。とはいえ、不穏分子が大量に生み出されるこの帝国の体制こそが全ての元凶である、というブラッケ侯爵の考えは言うまでも無く他の出席者に伝わった。しかしそれを黙殺する形で議論は続く。結局、この日の名士会議で課税と終戦のどちらを選ぶか結論が出ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「課税か、終戦か、か。ルートヴィヒも大胆な二択を突きつけたものだ」

「皇太子殿下にしてみればどちらに転んでも構わないのでしょう。膨大な軍事費にメスを入れるか、莫大な貴族財産にメスを入れるか、どちらが実現しても国政にはプラスです」

「だろうな。領地貴族にとってサジタリウス叛乱軍との戦争など本音を言えばどうでも良い。そして卿ら帯剣貴族にとって個人資産への課税など軍縮に比べれば取るに足らないことだ。ルートヴィヒの二択から答えを選ぶのであれば、奴らはそれぞれダメージの少ない方を……そして憎き政敵にダメージを与えられる方を選ぶだろう」

 

 名士会議の終了後、私は侍従武官長エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将に案内され、いつもの謁見室でフリードリヒ四世帝へ拝謁した。先帝クレメンツ一世や先々帝オトフリート五世と違い、国政に興味を持たないフリードリヒ四世帝は名士会議にも初日の開会宣言だけ出席し、残りは様々な理由を付けて欠席している。

 

「……だが、その二択から奴らは答えを選ぶだろうか?」

 

 フリードリヒは物憂げな表情でポツリとそう言った。

 

「どういう意味です?」

「邪魔なモノは全てカーペットの下に掃くのが奴らの主義だ。選択に窮した奴らが……選択を強いるルートヴィヒの排除に踏み切らない保証はどこにもないだろう」

「……」

 

 フリードリヒの懸念は正しい。領地貴族と帯剣貴族の利害対立が絡む以上、すぐに貴族が団結してルートヴィヒ皇太子に反抗するとは思えないが、終戦派領地貴族と課税派帯剣貴族の勢力が拮抗していることを考えると、問題を先送りにする為にルートヴィヒ皇太子を黙らせようとする可能性は高い。これまでと同じように妥協案として平民への増税が行われ、大貴族たちがそれなりの寄付を行い、軍人たちが俸給を返還してお茶を濁すかもしれない。

 

「ルートヴィヒはあれで潔癖なところがあるでな……。貴族共の取引を認めないかもしれない。余はルートヴィヒにマンフレート二世の轍は踏ませたくない」

「……マンフレート二世帝を暗殺したのは長兄ルートヴィヒ皇太子の子ブランデンブルク侯爵ユリウスである、というのが一番の有力説ですが、未だにその下手人はハッキリしません。しかしそれを扇動したのがフェザーン自治領(ラント)であるという説は、学界の一致する見解です」

「……一体どこの学界なのかは聞かない方が良いだろうな?で、それがどうした?」

 

 フリードリヒは若干の呆れを含みながら私に問う。ちなみにブランデンブルク侯爵家はマンフレート二世帝暗殺後の政治的混乱の中で自由惑星同盟に亡命し、その後は一貫して銀河帝国の皇位請求を続けている。同時期に政争絡みで亡命を余儀なくされた家は数あれど、ブランデンブルク侯爵家の亡命はその中でも不自然な経緯を辿っているため、同盟・フェザーン・アウタースペースの帝国史研究者の多くと、帝国内反体制組織の多くはブランデンブルク侯爵ユリウスをマンフレート二世暗殺の首謀者と見做している。

 

「当時のフェザーンにとってマンフレート二世帝は邪魔な存在でした。しかし今のフェザーンにとってルートヴィヒ皇太子は邪魔な存在ではありません。フェザーン自治領主(ランデスヘル)ドミトリー・ワレンコフは両国の和解を推進しています。勿論、旧来の勢力均衡派の力もまだまだ強いですが、フェザーンの主流派は既に勢力均衡論を断念しています」

「そうなのか?」

「ええ。……帝国は弱体化しすぎたんですよ。フェザーンは勢力均衡論に基づき、第二次ティアマト会戦後から帝国に対して大規模な支援を行っていました。イゼルローン要塞建設計画だってフェザーンの全面的なバックアップがあって初めて実現性がある計画でした。……しかしその支援が実を結ぶことは無かった。いくら支援しても帝国は国力を回復しない、当然同盟はフェザーンのあからさまな帝国支援を快くは思わない、多額の対帝国支援と対同盟貿易への悪影響にうんざりしたフェザーン財界では親同盟派と融和推進派が徐々に勢力を拡大しました。その流れの中で政権を握ったのがドミトリー・ワレンコフ、フェザーン六大派閥創業家出身者にして融和推進派の領袖です」

「詳しい事はどうでも良い、フェザーンはルートヴィヒを支持していると言うことか?」

「そうなりますね」

 

 フリードリヒは「そうか……」と安堵の溜息をもらした。政治に疎いフリードリヒでも分かる程度に、フェザーンの勢力均衡政策の存在は常識である。

 

「加えてルートヴィヒ皇太子殿下には我々が居ます。マンフレート二世帝陛下には我々が居ませんでした。我々が居る限り、ルートヴィヒ皇太子殿下の安全は保証されたも同然です」

 

 私はそう言いながら、後方に控えるラムスドルフの方を振り向いた。ラムスドルフは「我々」と言う括りが嫌だったのか顔を顰めている。フリードリヒの不安はまだ解消された訳では無いようだが、それでも私の言葉に頷き、「頼んだぞ」と言った。

 

「あー時にライヘンバッハよ……。卿は妻君との仲は上手くいっているようだな?」

 

 少々の間を挟んだ後、フリードリヒが突然私にそんなことを言ってきた。とても言いにくそうな様子だ。

 

「え?……ええ、まあ……。私には勿体の無い良い妻です」

「それは結構な事だ。で、だ。ライヘンバッハよ。卿の妻君はその……娘と仲が良いそうじゃないか」

「そうですね。妻はクロプシュトック公爵の年の離れた従妹ですから」

「うん。ところでな……ライヘンバッハよ卿に頼みがある」

 

 「連れて参れ」とフリードリヒがラムスドルフに言う。ラムスドルフは淡々と「承知いたしました」と言い、部屋を出て行った。

 

「あー、ライヘンバッハ伯爵よ。余はな。年上好きだった。それは知っておるな?」

「……ええ。アイゼンエルツ伯爵の妻君にも手を出したと聞きました。口の悪い者はそれと引き換えに閣僚のポストを与えたとか噂していますよ」

「それは誤解だ!……余に閣僚をどうこうする力があると思うか?いや、違うのだライヘンバッハよ。そのだな……アイゼンエルツの奴が勝手に……その、『据え膳食わぬは男の恥』という言葉が確かあっただろう?そう言うことなのだ。それにあそこまで段取りを決められて手を出さなかったらアンゼルマに恥をかかせることにもなる。いや、それで済めばよい!余は皇帝だからな、皇帝の不興を買ったと見做されたら可哀想なアンゼルマはきっと……」

「アンゼルマ様はフィーネ様と遠い親戚だそうですね。私はフィーネ様に会ったことはありません。しかし残された写真を見せていただきましたが、どことなく目元の辺りが似ていたような気もします」

 

 私がそう言うとフリードリヒが黙り込んだ。そして溜息をつく。

 

「フィーネ様の事が忘れられませんか?」

「忘れられる訳がない!……他の女を見れば見る程……抱けば抱くほどフィーネの事を思い出す。シャーロット、ハンナ、アデレート、ディアナ、エリーゼ、パウラ。……皆が悪い訳では無いのだ。いや、むしろ良い女だ。余なんかには勿体の無い器量の良い者たちだ。だが……だからこそ考えてしまうのだ。彼女らは余を愛しているのか?愛しているとしてもそれは『皇帝フリードリヒ四世』への愛では無いのか?とな。そしてフィーネを思い出す」

 

 フリードリヒはどことなく寂しそうに見える。後宮に入った女たちとフリードリヒの仲は決して上手く行っていない訳では無いのだが……フリードリヒは特定の女性を寵愛することはなく、どこか淡々とした、しかし冷淡ではない程度の関係性を築いている。

 

 今、フリードリヒの後宮には多くの貴族令嬢が入内している。ブラウンシュヴァイクの没落、リッテンハイムの排斥を経て、現在の貴族社会は勢力の拮抗する家柄がいくつも乱立している状態だ。だからこそ、競い合うように大貴族たちはフリードリヒに娘を嫁がせる。そして勢力が拮抗しているがために、入内させた家も他の家の入内を妨害することが出来ない。

 

 原作のような……失礼。ブラウンシュヴァイク一門とリッテンハイム一門が頭一つ抜けたまま勢力を維持しているような状況では他の貴族家が娘を嫁がせるのは難しかったかもしれない。さらにいえば、リヒャルト大公の一件がリッテンハイム侯爵の思い通りに進んでいればアンドレアス公爵家・クロプシュトック公爵家を初めとする多くの貴族家が没落していただろう。精々エーレンベルク公爵家、ザルツブルク公爵家、ブラッケ侯爵家程度が一定の力を残すだけで、今日のような割拠状態にはならなかったかもしれない。やはり、フリードリヒにここまで多くの令嬢が嫁ぐことは無かったかもしれない。

 

「……失礼ながらそんな所だろうと思っていました。余計な事かとも思いましたが、クリスティーネ様には私から上手く言ってあります」

「知っておるよ。クリスティーネの奴が余の誕生日に手紙を送ってくれたのだがな。『ライヘンバッハに感謝するのねクソ変態親父』と書いてあったよ……」

 

 「トホホ……」と擬音がついても違和感がない様子でフリードリヒは苦笑した。しかし浮かべる笑みはとても暖かい。いつもの皮肉気な笑みとは全く違う。……アマーリエ、クリスティーネの姉妹、カール、ルートヴィヒ、カスパーの三兄弟は最愛の妻フィーネとの子だ。フリードリヒは公の場では態度に出さないが、目に入れても痛くない位にフィーネとの子を溺愛している。それ以外の子、例えば二男ベルベルトや三女ロジーナ以下の皇女の事も愛していない訳ではない様子だが、私の目から見ればあからさまに差を感じる。

 

「さて、ライヘンバッハ。そんなお前を見込んで頼みがある」

「私に、臣に出来ることがあれば何なりとお申し付けください」

「うむ。つまりだな。クリスティーネに上手い事言っておいて欲しいのだ」

「は?」

 

 フリードリヒはそこで黙り込んで扉の方を見つめる。ラムスドルフが呼びに行った誰かを待っているのだろう。そのラムスドルフが一人の少女を連れて戻ってくるまで大体二分程度位そうしていただろうか。

 

「失礼します。皇帝陛下。シュザンナ様をお連れいたしました」

「陛下!」

 

 無表情のラムスドルフの後ろから花が咲くような笑みを浮かべた見目麗しい少女が飛び出して来た。

 

「おお!シュザンナ!良くぞ参った」

 

 フリードリヒも屈託のない笑みを浮かべながら少女に向けて手招きをする。

 

「紹介しよう!アルトナー子爵家の一人娘シュザンナだ。どうだ?可憐な娘だと思わんか?それだけでは無いのだ。シュザンナは純粋でな!人を疑うと言うことを知らんのだ。余はそんなシュザンナを昔から気にかけていてな。そしたらだ!この前の戦役でアルトナー子爵家の投資している工場が酷い被害を受けてな……危うく下種な新参貴族に身売りさせられるところだったのだ。酷い話ではないか。余は許せなくてな。ラムスドルフに命じてシュザンナを『保護』したのだ」

「陛下の御高配が無ければ、私は今頃……」

 

 シュザンナはそう言って身を震わせる。

 

「安心するが良い!シュザンナよ。余がお前を守る。無論、アルトナー子爵家の事も万事余に任せておけ!何も心配しなくてよいぞ!」

 

 フリードリヒはやたら格好つけた様子でそう言い切る。「陛下!」とシュザンナが抱き着き、フリードリヒは馬鹿みたいなだらしない顔をしながらそれを受け止めた。そしてニマニマとしていたが、私の唖然とした表情とラムスドルフの無表情――長い付き合いだ。私には呆れていることは分かる。そしてフリードリヒとラムスドルフの付き合いも長い、当然フリードリヒも気付いただろう――に気づき我に返ると「ゴホン」とわざとらしく咳払いした。

 

「……という訳なのだ。ライヘンバッハよ」

「どういう訳ですか」

 

 私は思わず突っ込む。全く意味が分からない。

 

「だから!これは正義の行いであってだ、余には何ら疚しい所は無いのだ。……しかしだな。ここオーディンとクロプシュトック公爵領のトロイアイトは遠い。余はシュザンナを保護したに過ぎないのだが、そのことがクリスティーネの『誤解』を招く可能性もある。いや!貴族共は油断ならんからな。余が正義と人道に基づいてシュザンナを保護していることを意図的に悪し様に……つまり、オトフリート四世強精帝の如く……せ、性欲やら何やらで囲い込んだように言い立てる可能性もある。というかそう言い立てるに違いない。だからなライヘンバッハよ。卿からクリスティーネに上手く言っておいてくれぬか?『誤解』は避けたいのでな。うん。……一応、ルートヴィヒやカスパー、アマーリエにもフォローを入れておいて貰えると助かるな」

「『誤解』ですか……」

「よ、余が年上好きなのは卿らも知っているだろう?」

 

 疑いの視線が抑えきれなかったのだろう。フリードリヒは言い訳がましくそんなことを言った。

 

「ライヘンバッハ伯爵閣下は陛下をお疑いなのですか?」

 

 少し舌足らずな声でシュザンナがそう聞いてきた。幼い少女の目にはフリードリヒへの全幅の信頼と、私への若干の敵意が見えた。

 

「……まさか。シュザンナ嬢の姿を見ていたら、疑いなんて起こりようがないよ」

「?」

「皇帝陛下の事が大好きなのは見ていたら分かるさ。陛下は期待は裏切っても信頼は裏切らない。とてもお優しい方だ。シュザンナ嬢の信頼を裏切る訳が無いし、きっと君の事を大切に守るだろう」

「勿論だ。卿に言われるまでも無い」

 

 私は精一杯優し気な表情と声音でそう言った。フリードリヒへの牽制の意も一応込めている。フリードリヒはそれを感じたらしく、もっともらしい表情で鷹揚に頷いた。シュザンナ嬢はまた「陛下!」と感激している様子だ。

 

「じゃ、頼んだぞライヘンバッハよ。余は少しシュザンナと話がしたいのでな。今日は下がっていいぞ。後何か話があれば聞いておくが?」

「……いえ。まあ……一応クリスティーネ様には取り成しをしておきますよ」

 

 私とフリードリヒの面会……そしてシュザンナ・フォン・カールスバート侯爵夫人との初めての出会いはこうして終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で?実際の所どうなんだ?」

「陛下が言うことが全てだ。俺がどうこう言える話じゃない」

 

 新無憂宮の廊下を歩きながら、私は親友……と言いたいが恐らくは「勘違いも程々にしておけ」と答えるであろうエーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将と話していた。その内容はシュザンナ嬢についてだ。

 

「……俺の記憶が確かならアルトナー子爵家はエッシェンバッハ伯爵家の血を引いていた気がするんだが……」

 

 今は宇宙艦隊総司令部作戦副部長を務める私の元部下、マヌエル・フォン・エッシェンバッハ宇宙軍少将の将官昇進パーティーに出席した際に、アルトナー子爵の姿もあった気がする。あのパーティーは断絶したエッシェンバッハ伯爵家本流から近いブロウナー=エッシェンバッハ帝国騎士家が主催したために、エッシェンバッハ一門に縁がある貴族たちが大勢出席していた。

 

「……らしいな」

「なあラムスドルフ……まさかあの噂って本当なのか?フリードリヒ四世帝陛下が旧エッシェンバッハ一門……特にその子女に近衛を張り付けて護衛と監視を行っているって……」

「馬鹿な話だ」

「……否定はしないのか」

 

 ラムスドルフは私の言葉には答えず、そのまま前向いて歩き続ける。

 

「シュザンナ嬢も可哀想に。陛下は……きっと彼女を通して亡き妻の面影を見ているんだろう。陛下の年上好きは恐らくフィーネ様が陛下より年上であったことに起因する。しかしながら……陛下も既に四四歳、自分より年上の女性にフィーネ様の面影を見出すのは難しくなってきたのだろうな」

「……」

「陛下は仰られていた。『彼女らは余を愛しているのか?愛しているとしてもそれは『皇帝フリードリヒ四世』への愛では無いのか?』と。……もしもシュザンナ嬢がフィーネ様の事を知ったら……きっと今の陛下と同じ疑念を抱くことになるかもしれないな」

 

 ラムスドルフは何も言わない。私も返事を求めている訳では無い。私はどこかやり切れない思いを抱えながら、新無憂宮の廊下をラムスドルフと歩いていた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。


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