アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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注釈30
宇宙暦七八〇年一〇月人事異動後の帝国軍指導体制

 帯剣貴族諸派とは本家を派閥の中心に置き分家筋や陪臣一族、治める領土出身の将兵によって構成される派閥である。名門と呼ばれるアルトドルファー一門やシュトックハウゼン一門、ゾンネンフェルス一門、クルムバッハ一門等が形成する諸派は地上軍の覇権派閥ルーゲンドルフ派や宇宙軍二大派閥のライヘンバッハ派、シュタイエルマルク派にも抗しうるが、そこまでの力を持つ諸派は少ない。大抵の諸派は保守のライヘンバッハ派に近いが、ライヘンバッハ派(あるいはライヘンバッハ一門)との確執や懸案ごとの利害関係からリベラルのシュタイエルマルク派や門閥派を支持する場合もある。

軍務省
尚書    エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥(ルーゲンドルフ派)
副尚書   カール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ地上軍上級大将(ライヘンバッハ派・ルーゲンドルフ派)
事務次官  ウィルヘルム・フォン・アルレンシュタイン宇宙軍上級大将(帯剣貴族諸派)

統帥本部
総長    ゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍元帥(ライヘンバッハ派・帯剣貴族諸派)
次長    オイゲン・ヨッフム・フォン・シュティール地上軍上級大将(ライヘンバッハ派・ルーゲンドルフ派)
総参謀長  アドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍上級大将(ライヘンバッハ派)

幕僚総監部
総監    クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥(帯剣貴族諸派)
副総監   カール・ハルトヴィン・スナイデル地上軍上級大将(シュタイエルマルク派)

憲兵総監部
総監    テオドール・フォン・オッペンハイマー宇宙軍大将(門閥派)

兵站輜重総監部
総監    カール・ウィリバルト・フォン・ブルッフ宇宙軍上級大将(皇太子派・シュタイエルマルク派)  
副総監   ハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
 
後備兵総監部
総監    ヘルムート・ハインツ・フォン・モーデル宇宙軍上級大将(門閥派・リッテンハイム派)
副総監   アルベルト・フォン・リューデリッツ宇宙軍大将(リューデリッツ派・シュタイエルマルク派)

教育総監部
総監     アルツール・フォン・シェーンベルク地上軍大将(門閥派・リッテンハイム派)
副総監    トーマ・フォン・シュトックハウゼン宇宙軍中将(シュタイエルマルク派・帯剣貴族諸派)

科学技術総監部
総監     ランドルフ・フォン・アスペルマイヤー技術大将(帯剣貴族諸派)
副総監    ユリウス・フォン・ゼーネフェルダー技術中将(シュタイエルマルク派)

地上軍総監部
総監     リヒャルト・クレーメンス・フォン・アルトドルファー地上軍元帥(帯剣貴族諸派)
副総監    ラインヴァルト・フォン・クルムバッハ地上軍上級大将(門閥派・帯剣貴族諸派)

近衛兵総監部
総監     マルク・ヨアヒム・フォン・ラムスドルフ近衛軍元帥(帯剣貴族諸派)

宇宙艦隊総司令部
司令長官   オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍元帥(ライヘンバッハ派)
副司令長官  フォルカー・エドワルド・フォン・ビューロー宇宙軍上級大将(皇太子派・シュタイエルマルク派)
総参謀長   ニコラウス・オットマー・フォン・ノウゼン宇宙軍上級大将(帯剣貴族諸派)
副参謀長   クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将(シュタイエルマルク派)

赤色胸甲騎兵艦隊司令官 アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
紫色胸甲騎兵艦隊司令官 ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
橙色胸甲騎兵艦隊司令官 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍大将(帯剣貴族諸派)
白色槍騎兵艦隊司令官  ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン宇宙軍大将(帯剣貴族諸派・アルトドルファー一門)
黒色槍騎兵艦隊司令官  フォルクハルト・ディッタースドルフ宇宙軍大将(シュタイエルマルク派)
青色槍騎兵艦隊司令官  ヘルマン・フォン・クヴィスリング宇宙軍大将(ライヘンバッハ派・帯剣貴族諸派)
黄色弓騎兵艦隊司令官  マティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
褐色弓騎兵艦隊司令官  コンラート・フォン・アルレンシュタイン宇宙軍大将(帯剣貴族諸派・アルレンシュタイン一門)
緑色軽騎兵艦隊司令官  ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
灰色軽騎兵艦隊司令官  フリードリヒ・フォン・ノームブルク宇宙軍大将(門閥派・旧ブラウンシュヴァイク派)

第一辺境艦隊司令官   ヨーナス・オトフリート・フォン・フォーゲル宇宙軍中将(帯剣貴族諸派)
第二辺境艦隊司令官   ギュンター・ヴェスターラント宇宙軍中将(シュタイエルマルク派)
第三辺境艦隊司令官   ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング宇宙軍中将(帯剣貴族諸派)
第四辺境艦隊司令官   ルーブレヒト・ハウサー宇宙軍中将(ライヘンバッハ派)
第五辺境艦隊司令官   オイゲン・フォン・グレーテル宇宙軍中将(門閥派・ライヘンバッハ派)
第六辺境艦隊司令官   クリストフ・フォン・スウィトナー宇宙軍中将(シュタイエルマルク派)


壮年期・政争が彩る艦隊司令官の日常(宇宙暦780年10月)

 宇宙暦七八〇年時点で銀河帝国宇宙軍は一八個正規艦隊を有する。より正確に言えば銀河帝国に正規艦隊と言う呼称は無いが、自由惑星同盟やフェザーン自治領、あるいは帝国でも公的な場以外では自由惑星同盟宇宙軍正規艦隊とほぼ同等の戦力を有すると見做される艦隊を総称して俗に正規艦隊と呼称することが多い。

 

 帝国正規艦隊という俗称が指す艦隊は近衛艦隊・中央艦隊・辺境艦隊の三つであり、それぞれ二個・一〇個・六個艦隊が存在する。近衛第一艦隊及び赤色胸甲騎兵艦隊が惑星オーディンに常駐し、近衛第二艦隊がヴァルハラ星系に本拠を置く。近衛第二艦隊から分派された任務部隊と四六の警備艦隊――分艦隊規模の定数を満たしているのは半数以下の一五個警備艦隊、書類上だけに存在する部隊も少なくない――から選抜された部隊が皇帝直轄領の治安維持にあたる。赤色を除く九個中央艦隊は帝都に近い諸星系に分屯し、皇帝からの出兵命令に備え練度を高める。俗にいう帝国正規艦隊の内一二個艦隊の拠点はこの通り基本的に中央地域に集中している。辺境地域に駐留する六個辺境艦隊と貴族の私兵部隊で対応できない事象が発生しない限りはこの中央の戦力が動くことは無い。

 

 近衛艦隊は装備こそ最新であるが、練度面で疑問符がつく。兵士に関しては中央地域や皇帝直轄領の志願兵から忠誠心と能力の双方に優れた者が選抜される。惑星オーディン東北大陸ヴィズリルに設けられた近衛軍兵学校で新兵は六年間、他部隊で経験を積んだ古参兵は二年間知識と技術を叩きこまれる。その為全艦隊の中で最も高い士気と能力を有している……と兵士の練度に関しては一応高く評価されている。問題は率いる指揮官の練度だ。第一・第二近衛艦隊司令官は軍政派、その中でも特に近衛族に属する帯剣貴族家の持ち回りポストと化している。参謀・下級指揮官ポストも縁故や派閥関係、箔付けで選ばれることが多い。彼らは往々にして無能であり、そうでなくても大抵は前線勤務よりも後方勤務のキャリアが長く、戦術指揮よりもデスクワーク、宇宙戦よりも地上戦に適性を持つ者が多い。

 

 特筆すべきは他の艦隊と違って皇帝が軍務省や統帥本部、そして財務省を通さずに動かすことが出来る点だろうか。近衛艦隊は近衛兵総監部が統括し、財源は宮内省が管理する宮中特別費を充てることが可能だ。尤も、実際に近衛艦隊を動かすことは稀だ。オトフリート五世倹約帝、クレメンツ一世驕慢帝、そして今のフリードリヒ四世帝――というよりルートヴィヒ皇太子――は近衛艦隊を積極的に活用しているが、これは帝国の長い歴史からみると珍しいことだと言える。

 

『近衛艦隊司令長官代理  エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将

 近衛第一艦隊司令官   エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将

 近衛第一艦隊司令官代理 ファウスト・フォン・クロイツァー近衛軍中将

 近衛第二艦隊司令官   トマス・ガイストリッヒ・フォン・フィラッハ近衛軍大将……』

 

 私は手元の端末に目を落とす。そこには近衛軍宇宙部隊に絞って宇宙暦七八〇年一〇月三日時点での各部隊指揮官リストが表示されている。皇帝侍従武官長と近衛第一師団長を兼任しさらに近衛軍宇宙部隊のトップであるラムスドルフ大将、慣例によって近衛艦隊司令長官と近衛第一艦隊司令官を兼任するラムスドルフに代わって第一艦隊司令官を務めるクロイツァー中将、共に前線でいくつも武勲を挙げた勇将だ。……ただしその武勲は全て地に足のついた戦いで挙げた物である。そしてフィラッハ近衛軍大将は現在のフィラッハ公爵家嫡男――近衛軍のいくつかのポストは凋落したフィラッハ公爵家が今も有する数少ない特権――である。この人事から一端が分かるようにおおよそ適材適所という言葉から最も縁遠い軍、それが帝国近衛軍である。

 

「……」

 

 私は溜息を一つついて画面を切り替えた。リストの絞り込み条件を中央艦隊指揮官に切り替えて表示する。今回の人事異動で主要艦隊の殆どがライヘンバッハ派によって押さえられた。一方でシュタイエルマルク派の勢力は伸び悩む。中将以下、特に佐官クラスでは未だライヘンバッハ派に匹敵する勢力を持つシュタイエルマルク派だが、パウムガルトナー、ケレルバッハ、ハードナーといった派閥重鎮を軍から相次いで失ったことで上層部における「駒」の数でライヘンバッハ派に差をつけられている。統帥本部や軍務省、各監部の要職に食い込み、中堅クラスの派閥構成員を擁護できる大将クラス以上の派閥構成員が殆どいないのだ。それでもブルッフ、ビューローら皇太子が抜擢した大物将官を取り込むことで何とかライヘンバッハ派に対抗しているが、劣勢は明らかだ。

 

 俗に軍部二大派閥とも呼ばれるライヘンバッハ派とシュタイエルマルク派はカール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハとハウザー・フォン・シュタイエルマルクをそれぞれ領袖とし、両名を慕う部下達を中核として成立した派閥だ。しかしながら、我が父カール・ハインリヒが三男とはいえライヘンバッハ伯爵家本流の出身であったのに対し、シュタイエルマルク退役元帥はフィラッハ公爵家の流れをくむ一子爵家の当主に過ぎず、我が父のように強力な一門の後ろ盾を得ることが出来なかった。エーレンベルク侯爵家やリューデリッツ伯爵家、ゾンネンフェルス伯爵家の協力が得られている内はそれでもライヘンバッハ派に対抗する勢力を有していたが、それらの家々が軍部に持つ影響力が低下するにつれて、シュタイエルマルク派自体の勢力も徐々に小さくなっている。

 

「……まあ、現場主義の彼らには望むところかもしれないが」

 

 中央艦隊司令官が官僚ポストと揶揄されるようになってから久しい。。常に実戦に身を置く辺境艦隊に対し、中央艦隊の出撃機会は一年に二、三回あるかないか。その二、三回にしても当然全艦隊が出撃する訳でも無く、ローテーション(と政治的配慮)によって一部の艦隊にしか動員が掛からない。七四五年の第二次ティアマト会戦以降は流石に中央艦隊の出撃機会も激増したが、それでも中央艦隊司令官が辺境艦隊司令官に対して多分に政治的、官僚的能力が求められることは間違いない。

 

 そもそも中央艦隊は帝国中央地域各所に駐屯する艦隊であり、同規模・同練度の『外敵』を想定して編成されている部隊である(勿論叛乱鎮圧も任務に含んでいるが)。銀河帝国が建国時に多くの『外敵』を抱えていたこと、そしてそれらの内少なくない数を排除できなかったことはこれまでに書いてきた通りである。ルドルフもノイエ・シュタウフェン大公も銀河帝国の統治が及ばない地域に帝国を脅かす『外敵』が生まれる危険性を重々承知していた。辺境自治領・公選貴族領・外様貴族といった不穏分子が『外敵』に協力すれば、銀河帝国を崩壊させることも不可能ではない。帝国など銀河に広がった――あるいは忘れ去れた――人類領域全体から見れば少数派(・・・)に過ぎないのだから。

 

 将来の外敵の出現を視野に入れてルドルフやノイエ・シュタウフェンは帝国中央艦隊の規模を最低一〇個艦隊と定め、これ以下への軍縮を禁じた。尤も、二代ジギスムント一世鎮定帝は早々に軍縮に取り組み、書類上のポストは残しながらもその定数を大きく減らし、一部を辺境艦隊に再編する。建国初期の銀河帝国に一万二〇〇〇隻からなる艦隊を一〇個も維持する余裕は無かったからである。一方で地上軍は外征戦力の一部が解体されるにとどまった。

 

 ジギスムント一世は諸侯にほぼ無制限の私兵部隊保有を許したが、その宇宙戦力――特に恒星間航行能力を持つ軍艦――に関してだけは厳しく制限した。また、各諸侯領に重石となる正規軍の地上戦力を置き、それらを支援する六個辺境艦隊を各地に派遣することで、諸侯の離反を防いだ。これら正規地上軍と辺境艦隊が諸侯の反乱に即応し封じ込め、その間に動員した中央艦隊で粉砕する、という発想である。諸侯の保有する宇宙戦力を制限しておけば、多くの艦艇は必要ない。地上戦力と違って宇宙戦力を速成することはできない。

 

 銀河帝国宇宙軍の保有艦船数は年を追うごとに減少していたが、それが増加に転じたのは宇宙暦三三六年の事だ。五年前のダゴン星域会戦で帝国正規軍は保有する戦力の半数を投入し、その殆どを殲滅された。これ以降、銀河帝国は宇宙軍戦力の近代化更新と再編・増強を全力で進めることになる。なお、中央艦隊に付けられた「胸甲騎兵」「弓騎兵」「軽騎兵」といった兵科名はその艦隊が戦場で果たすことを期待される役割を示している。胸甲騎兵艦隊は重装甲の艦が多い、弓騎兵艦隊は砲戦に強い……等とされているが、長年の戦争の中で平均化が進み、近年では兵科ごとの違いは小さくなっている。

 

 宇宙暦三五一年にはコルネリアス一世親征帝によって新たに黒色槍騎兵艦隊が創設され、初代司令官に平民のマルクス・バッハマン宇宙軍大将が任命される。配下の指揮官も悉くコルネリアス一世親征帝の求める基準を満たした平民将校が任命された。コルネリアス一世帝の意図は、来るべき親征に際して平民軍人の力を既存の貴族軍人の反発を受けずに円滑に活用することにあったとされる。その後も黒色槍騎兵艦隊は「平民艦隊」と蔑視されながらも正規艦隊随一の練度と勇猛さで知られることになる。また、宇宙暦七五一年まで士官学校に入学できなかった平民にとって、一兵卒からの叩き上げで平民が辿り着ける最高の地位と位置付けられることになった。そして宇宙暦三九八年、シャンダルーアでの大敗以降劣勢に立たされていた帝国は最後の中央艦隊である橙色胸甲騎兵艦隊の創設に踏み切る。こうして今に知られる帝国軍一八個正規艦隊が揃った。

 

「……」

『バルヒェット大佐の復権に対する閣下の御尽力、大変感謝しております。我々旧ブラウンシュヴァイク派は今後とも閣下と良い関係を……』

 

 私は机の上に投げ出されている格式ばった手紙に目線を動かす。送り主は灰色軽騎兵艦隊司令官フリードリヒ・フォン・ノームブルク宇宙軍大将、ブラウンシュヴァイク公爵の派閥に属していた伯爵家の分家筋出身だ。『三・二四政変』で壊滅的な被害を被ったブラウンシュヴァイク一門とその派閥だが、ノームブルク伯爵家はアンドレアス公爵家との血縁が味方し粛清を生き延びた。またノームブルク大将自身も遠くズデーテン地方に赴任していた為に難を逃れた。現在、生き残ったノームブルク大将率いる灰色軽騎兵艦隊は軍部ブラウンシュヴァイク派最後の牙城となっている。黒色槍騎兵艦隊が「平民艦隊」と陰口を叩かれるように灰色軽騎兵艦隊も元々「外様艦隊」と陰口を叩かれるような他貴族集団の厄介者を集めた部隊だった。軍部ブラウンシュヴァイク派の巣窟となったのも、半分は軍主流派・帯剣貴族集団が厄介払いの意図を込めたからという側面がある。

 

「バルヒェットを助けたことに下心は無い、はずだったんだがなぁ……」

 

 私はしみじみと呟く。バルヒェット伯爵家はブラウンシュヴァイク一門の名門、そしてその本流筋であるバルヒェットは旧ブラウンシュヴァイク派にとって大切な同胞だ。私が彼を粛清の間の手から守り、そしてかけられた国事犯指定と臣籍剥奪処分を私が助力して取り消させたことは、旧ブラウンシュヴァイク派の面々に対する大きな貸しとなる。……バルヒェットを助けた時にはそんなことまでは考えていなかったのだが。

 

 バルヒェットが私を嫌っていたことは当時幼年学校に居た者なら誰でも知っている。勿論、卒業後もクロプシュトック派に近づいた私とブラウンシュヴァイク一門のバルヒェットでは折り合いが悪かった。だから、『三・二四政変』後にリッテンハイム軍に領地を追われたバルヒェット伯爵一門が私を頼ってチェザーリへ逃げてきたとき、私たちの関係を知る平民や帯剣貴族出身の同期は驚いた。私を頼る位ならばバルヒェットは死を選ぶと予想していたからだ。一方領地貴族たちは納得した。個人的な好悪の情は関係無い、家を背負っている以上はどのような恥辱に塗れようとも生き抜かないといけないのだ。領地貴族たちはむしろ私が彼を助けた事に驚愕した。身包み剥がして警察総局なり社会秩序維持庁なりに突き出した方が圧倒的に得だ。

 

 ……バルヒェットは私の顔を見るなり土下座して詫び、慈悲を請い始めた。見かねた私はすぐに彼を助け起こし、全力で匿うこと約束した。その後のバルヒェットは過去の彼からは想像もつかない程「良い奴」になった。チェザーリの民に混じって治水に参加し、自主的にチェザーリ駐留帝国軍の訓練に参加して全身に傷を作り、共和主義者の聖典をいくつも覚えて私の下に逃げてきた知識人たちの信頼を勝ち得ようとした。……そんな彼を見て私は改めて貴族制度を呪った。彼がそこまでしないといけないのは貴族制度があるからであり、私が彼を守れてしまうのも貴族制度があるからだ。前の彼は「嫌な奴」だった。だがそれもまた彼の在り様だ。この国で個人の在り様なんてものはこんなにも簡単に変わらないといけない、そして変えることができてしまうものなのだろう。

 

「……さて、返事を書かないとな」

 

 ノームブルク大将の手紙には自邸での晩餐会への招待も書かれている。少しでも私との繋がりを強化したいのだろう。軍内で冷遇されている旧ブラウンシュヴァイク派にとって、私は数少ない『味方』だ。現在、講和・課税問題を巡って帯剣貴族と領地貴族は全面的な衝突状態にある。軍部でも継戦・課税支持で一致するライヘンバッハ派と主要な帯剣貴族諸派が、課税反対の軍部門閥派及び終戦支持のシュタイエルマルク派との間で一触即発の状況にある。ノームブルク大将率いる軍部ブラウンシュヴァイク派はリッテンハイム系を中心とする軍部門閥派と対立しているが、領地貴族出身であるが故にライヘンバッハ派やシュタイエルマルク派、帯剣貴族諸派からも白眼視されている。だから、理屈で考えればバルヒェット大佐の復権は帯剣貴族にとって得であり、領地貴族――特にバルヒェット伯爵領を乗っ取ったリッテンハイム派――にとって損なのだが、私が根回しに動くまで復権が実現する気配は無かった。

 

「失礼します。閣下、お迎えに上がりました」

「ああ、少しだけ待ってくれ。……もう少しで終わる」

 

 ノームブルク大将率いる旧ブラウンシュヴァイク派の力は私が密かに計画する粛軍に必要不可欠である。軍部ライヘンバッハ派は巨大派閥だが、残念ながらその重鎮の中で信頼に足るのは母の実家グリーセンベック男爵家と同家を通じて私と血の繋がりがあるアイゼナッハ男爵家だけといって良い。私が神輿で居る限りはライヘンバッハ派は私に従うだろう、しかし軍部の掌握、改革に乗り出すとなると話は変わってくる。私が最終的に目指していたのは皇帝や帯剣貴族が私物化する軍では無く、人民の監視と承認の下国家に仕える軍だ。ライヘンバッハ派の重鎮……というよりも帯剣貴族の重鎮たちに気付かれないように、その牙城を崩す努力をする必要があるのだ。

 

『……帝国正規軍は皇帝陛下の軍であり、将兵の命は全て皇帝陛下に捧げられます。しかしながら……今の帝国軍がそうでは無い事を、私たちは知っています。貴下の同胞たちに関して私が突き止めた幾つかの事実をお教えしたい。近く、貴下と内密に会う機会を設けて戴きたく存じます。――ライヘンバッハ伯爵,チェザーリ子爵,オルトリング男爵,帝国宇宙軍大将,アルベルト・フォン・ライヘンバッハ――』

 

「……よし、終わった。ヴィンクラー中佐、後方参謀のハルトマン少佐を呼んでくれ」

「了解いたしました。視察の同行を命じられるのですか?」

「いや、ちょっとしたお使いを頼むだけだよ」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊司令官次席副官アルフレッド・アロイス・ヴィンクラー宇宙軍中佐は信頼に足る副官ではあるが、手元の手紙の内容を考えると副官としてだけではなく、人間として信頼できる者に託す必要がある。幼年学校の同期生であり、志を共にするハルトマン少佐はその条件を満たしていた。ハルトマン少佐に手紙を託し、私はヴィンクラー中佐と共に公用車へと向かう。

 

「今日の予定を確認したい」

「は!一〇時三〇分よりエイレーネ演習場にて行われるプファイル(正規艦隊陸戦軍機動猟兵連隊全般を指す俗称)とトロンべ(帝都防衛軍中央管区即応連隊の通称)の合同演習を視察、一三時五〇分に同演習場を発ち、一五時より軍務省尚書官房トラーバッハ特別監察委員会に出席、一九時より帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)の企画でブルックドルフ男爵、ヴァレンシュタイン法務博士と鼎談、二二時よりルーブレヒト・ハウサー宇宙軍中将の昇進記念パーティー二次会に参加となっております」

「トロンべ、トロンべね……あー、ヴィンクラー中佐。君はトロンべに対して含むところとかは無いかね?」

「は?」

 

 私の突然の質問に対し、ヴィンクラー中佐は訳が分からないといった表情で応じた

 

「いや、トロンべ……帝都防衛軍中央管区即応連隊は帝都防衛軍最精鋭の市街戦部隊であり、対テロ不正規戦における事実上の最大戦力といって良い。……最近はロンデルでも派手に動いたし、平民出身の君としては思う所もあるのではないかなと思ってね」

「トロンべは狂信的、急進的な共和主義勢力を帝都の治安を守る為に職務として取り締まっている訳ですから、別に思う所等はありませんが……」

「……」

 

 帝都憲兵隊の腐敗と弱体化が進む一方で、帝都防衛軍所属部隊の治安出動と警察総局機動隊の緊急配備が行われる回数が急速に増えている。食料事情の悪化や各地の分離主義・共和主義の活発化は帝都に置いても緩やかに影響を与えており、民衆の間では革命機運の醸成が進みつつある。これに乗じて活動する共和主義勢力や分離主義勢力、宗教過激派の取締りは今の憲兵隊には荷が重い。憲兵隊の凋落と反比例して治安行政での影響力を強めた社会秩序維持庁はしかしながら強力な実働戦力を持たない――この秘密警察は創設以来クーデター予防として実働戦力を引き離されていた――為、帝都防衛軍や警察総局への出動命令を乱発した。

 

 その例の一つ、ロンデル暴動――アーネベルク州ロンデル市政庁前で地球教徒一〇六〇名余りが請願集会を開催、その際に司法省指定特別犯罪組織の一つである地球教系宗教過激派『大地の子ら』のメンバー複数人の参加が確認されたことから、社会秩序維持庁ロンデル支署が警察総局アーネベルク州警察支署機動隊に出動を命令、これが地球教徒の混乱と反発を招く形となり、最終的にトロンべこと帝都防衛軍中央管区即応連隊が治安出動し武力を以ってこれを鎮圧する騒ぎとなった。その後、社会秩序維持庁は同暴動参加者の検挙を進め、最終的に地球教徒五八六名が拘束、その六割が生きて自らの家に帰ることは無かったとされる――が発生したのは今から約一週間前の九月二六日である。

 

「本請願集会は帝国法に何ら反していない。適法に手続きを経て内務省習俗良化局から承認された平和的な集会だ。全く信じ難い暴挙である」

 

 地球教総大主教は即座に声明を発表。内務省社会秩序維持庁、帝都防衛軍司令部、内務省警察総局、そして宗教を管轄する内務省習俗良化局と典礼省神祇局に対し「国認宗教制の根幹を揺るがす治安機関の暴走であり、リヒャルト一世帝陛下が定めた諸法規にも反する」と厳重に抗議した。また帝国政府の諸勢力・諸組織に対し行っていた献金・寄付の引き上げを検討するとともに、帝国政府・軍情報部に対し行っていた自由惑星同盟の情報提供を一時的に停止することまでもを口にした。さらに帝国・同盟双方の地球教徒たちが一斉に『ロンデル教難連帯』を掲げ抗議活動を開始、一部地域ではロンデルと同じような治安組織との衝突にまで至った。

 

「……」

「?」

 

 私はヴィンクラー中佐の顔を少し見つめる。ヴィンクラー中佐の顔には困惑しか存在せず、トロンべ……あるいはロンデル暴動というキーワードに対し過剰に反応する様子はない。

 

「そうか。なら良いんだ」

 

 ……私と親友であるクルト・フォン・シュタイエルマルクが内密に進めている地球教関連の調査において、軍内部に地球教に近い人材が相当数浸透していることが明らかになっている。アルフレッド・アロイス・ヴィンクラー宇宙軍中佐もまた、調査の中で浮上した人物の一人だ。彼が今交際している女性は地球教フロイテンベルク教管区の司教の娘なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『先月二九日、惑星カストロプ主権回復準備会議議長にマクシミリアン・フォン・カストロプ名誉帝国騎士が選出。フランツ・フォン・マリーンドルフ侯爵を養父とし、英明の誉れ高き俊英である。オーディン文理科大学法学部政治学科を昨年次席で卒業、開明派の若手からは「人民公子マクシミリアン」の呼び名で知られる。カストロプ新議長は近く共和派・独立派・復古派・侯爵派・排外派の各勢力と対話の機会を設ける方針を表明』

『内務省社会秩序維持庁長官ゲルラッハ子爵が「公人としては領内自治・学内自治・軍内自治を盾に不穏分子を匿い、私人としては不逞の輩を邸内に招き大いに増長させている。皇室と帝国の安寧を損なう反国家勢力の試みを助長するそのような輩が未だに拘束すらされることなく要職にあることが私にはどうにも許し難い」とコメント。枢密院副議長ブラッケ侯爵、オーディン文理科大学学長ヴェストパーレ男爵、赤色胸甲騎兵艦隊司令官ライヘンバッハ宇宙軍大将ら開明派を念頭に置いての発言か』

『ガルミッシュ要塞司令官人事を巡って激しい対立か。旧要塞司令官ドレーアー中将(軍部リッテンハイム派)は重ねて転任を拒否。新要塞司令官クライスト中将(軍部クロプシュトック派)及び新駐留艦隊司令官ファルケルホルン中将(軍部ライヘンバッハ派)は着任できず。軍務次官アルレンシュタイン上級大将は「断固たる処置」に言及。統帥本部が宇宙艦隊総司令部と地上軍総監部にガルミッシュ要塞攻略案の検討を指示したとの情報も』

『サジタリウス叛乱軍国防委員長リチャード・オルトリッチが「大規模な軍縮計画策定」を軍部に指示。閣僚からは「最低ラインとして五年二五〇万」(人的資源副委員長ホアン・ルイ)、「あくまで(講和成立といった)前提は何もない軍縮であり、状況の変化によってはさらに大規模な軍縮も有り得るだろう」(法秩序委員長ジェームズ・ソーンダイク)との発言も』

 

 私は演習場から軍務省へ移動する公用車の中で、帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)電子版を流し読みする。他にもシュトレーリッツ公爵領での銀河解放戦線による爆弾テロ、サラエヴォ星系での民族主義の高揚、惑星シャフシュタットでの治安部隊とノーフォーク公爵派住民の武力衝突、キールマンゼク星系におけるリップシュタット愛国貴族連合工作員の逮捕、亡命貴族で五指に入る大物ブランデンブルク侯爵が同盟政府からの亡命帝国人テロ組織『暁の向こう側』に対する支援停止要請を拒否、地上軍第一七軍集団内部でのクーデター未遂……。物騒なニュースばかりだ。

 

 名峰エイレーネ山の麓に設けられたオーディン最大の演習場エイレーネ第一演習場でプファイルとトロンべの合同演習が始まったのは今朝六時である。プファイルとトロンべは共に垂直離着陸機多数を保有する機動歩兵部隊であり、地上軍と陸戦隊の違いはあれどその運用には共通する部分がある。同じ帝都に駐留する部隊であることから、毎年、春と秋の二回に合同演習が組まれることになっていた。今回は八日間の日程が組まれており、今日はその三日目だ。ただでさえ多忙な中央艦隊司令官の職にあり、さらに政治的に重要な立ち位置に居る私は全八日間の日程の内たった一日の数時間程度しか視察できない。参考までに帝都防衛軍司令官ベルンハルト・フォン・シュリーフェン地上軍中将の視察時間を挙げると、八日間の内三日間、最終日は終日演習場に滞在する。これで将兵が私に命を預ける気になるとは到底思えない。

 

 しかし、だからと言ってこれから始まる会議に出席しない訳にもいかない。超党派で構成されるトラーバッハ特別監察委員会は宇宙暦七七一年のトラーバッハ征討――別名トラーバッハの虐殺(ジェノサイド)――におけるザルツブルク公爵家私兵軍、トラーバッハ伯爵家私兵軍の軍事行動が帝国法や軍規に反する疑いがあるとして再調査に乗り出した。リッテンハイム侯爵と並ぶ終戦派の巨魁ザルツブルク公爵を黙らせるべく、特権階級への課税と自由惑星同盟との継戦を掲げる帯剣貴族たちによる陰謀である。……とはいえザルツブルク公爵家がトラーバッハで行った殺戮が帝国法と軍規に反していないはずもなく、少しばかり事実を恣意的に解釈してザルツブルク公爵の悪行を際立たせるだけだ。丸っきり事実を捏造する訳では無い。長年トラーバッハの一件を追っていた私としては例え政争に関連していても、やり方に多少の問題があるとしても、ザルツブルク公爵家とトラーバッハ伯爵家を裁きの場に引きづり出せるのであれば満足せざるを得ない。私に後を託したリバルト・ヴィーゼの無念を晴らす絶好の機会なのだ。

 

『アンゲリィ血の三月慰霊祭実行委員会がアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将、クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将、グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍大将の三名に対し慰霊祭出席を要請。シュタイエルマルク宇宙軍大将は即日参加の意思を表明。ザルツブルク公爵家、トラーバッハ伯爵家は「トラーバッハ征討をトラーバッハ虐殺(ジェノサイド)と言い換える歴史修正主義者の試みに正規軍人が協力することは信じ難い、軍務省に対し厳重に抗議する」と声明を発表』

 

 トラーバッハ星系第三惑星アンゲリィの人々もこれを機に再びザルツブルク公爵家との対立姿勢を打ち出している。とはいえ、その活動は一枚岩という訳では無い。独立派最大組織「トラーバッハの為の唯一の選択」はトラーバッハの皇帝直轄領編入を訴える一方、それに次ぐ勢力の「正統トラーバッハ」は旧トラーバッハ伯爵家遠縁のリンダーホーフ侯爵家から新たなトラーバッハ伯爵を迎えることを主張する、共和派との繋がりがある「トラーバッハ臣民同盟」はトラーバッハの自治領化を叫ぶ。今は反ザルツブルクで団結しているが、一歩間違えばランズベルクやノイケルン、カストロプのような分裂状態に陥るだろう。

 

「何ともまあ、最近は先行きの不安になるニュースばかり載るな」

「それに比例するように閣下のお名前が紙面に登場する頻度も増えましたな」

「……クラウン社長のお気に入り、だからね。帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)は露骨な程に私を持ち上げる」

 

 私のボヤキに対して、隣に座る首席副官ヘンリク・フォン・オークレール地上軍准将が笑いながら言った。私は帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)社長を務める丸顔に黒縁眼鏡の小太りの壮年男性を頭に思い浮かべ、少し辟易しながら答えた。

 

「メディアの魔力に取りつかれていないと良いんだけどね」

「魔力……ですか?」

「メディアは『第四の権力』なんて言われることもあるのさ。……そもそも第一から第三までの権力がごちゃ混ぜになっていてメディアが全面的にそれに服従する専制国家じゃ馴染みが無い言葉だがね」

「知っています。大帝陛下も連邦の八大害悪の一つとしてメディアを挙げていましたよね」

 

 ヴィンクラー中佐が頷きながら会話に参加する。私はその言葉に眉を顰めて応えた。

 

「それはどうだろうかね?問題は情報を発信する側では無く受け取る側にあると私は思うよ。自分の見たい情報、聞きたい言葉、それをたった一つの真実としてそれ以外を排斥する。メディアというのはね?多様な情報を発信する物だし、それで良いんだ。誤りはいけないが、最悪本当だと信じたのなら結果的に誤りを広めてもそれは仕方ないさ。だから勿論、受け取る側がそこから情報を取捨選択する、というのも間違ってない。ただ連邦の人々は……まあサジタリウスの人々もかもしれないが、自分の能力を過信しすぎたんだよ。そもそも絶対的に正しい情報なんて中々お目にかかれる物じゃあない。ところが自分が選び抜いた情報だけは絶対に正しいと信じ込んでしまった。メディアの誤りは他のメディアや受け取り手によって是正されうる。受け取り手の誤りは……結局のところ受け取り手自身にしか是正しえない」

 

 私は苦々しい思いを抱きながらそうまくし立てた。私の「スイッチ」が突然入ることに慣れているヘンリクは動じないが、ヴィンクラー中佐は私の強い口調に少し驚いた様子だ。

 

「……情報を解釈と言い換えれば昨今の聖典紛争も当てはまりますな」

 

 ヘンリクが突然そんなことを言う。このまま私に口を開かせたら体制批判の一つでも出かねないと考え、話題を変えようとしているのだろう。いくら私でもそこまで軽率では無いのだが。

 

「宇宙時代にもなって聖典の解釈を巡って争うんだから人は変わらないね。聖典を持ち出すなとは言わないが、それを巡って殺し合う位なら土の中に埋めたまんまにしておけば良かっただろうに」

 

『ノルデイッヒ子爵夫人暗殺事件において犯行グループの遺体から「統治無き世界を!」「皇帝・議会・憲法、全ての支配を打倒するまで我々の闘いは終わらない」と書かれた紙が発見される。聖書主権国家樹立を主張する十字教抵抗派(プロテスタント)が関与か』

「変わらない、という言葉は撤回しようかな。悪化しているね。これのどこが十字教新教派(プロテスタント)だよ」

 

 私は溜息をつきながらそう呟いた。一体何がどう捻じ曲がればこんなカルト集団がプロテスタントを名乗ることになるのだろうか。一三日戦争後の混乱で宗教全般が失墜したが、よりにもよってこんな連中が生き残ってしまうのも歴史の皮肉と言えようか。

 

「夫に先立たれ、息子を軍で失い、孫を育てながら薔薇の世話だけを趣味に生きていた老婆が、何だって『支配の象徴』になるんですかね?」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが作り出したこの国で貴族という地位にいる以上は、多かれ少なかれ貴族制度と不当な支配の恩恵を受けているということになるらしい。そして貴族である以上民衆を虐げている可能性は否定できないし、これから意図せず民衆を虐げる危険性もある。もしかしたら自分の友人や家族や部下がその貴族の犠牲になるかもしれない。技術が高度に発展し、貴族が絶大な権力を握るこの世の中、老婆でもやろうと思えばいくらでも地獄は作り出せる。だから何であれ貴族を殺すのは正当防衛であり、肯定されるそうだ」

「……略奪も?四肢を切り捨てるのも正当防衛?」

「知らん。俺に聞くな」

 

 ヴィンクラー中佐が理解できないという様子で尋ねるが、ヘンリクも肩を竦めてそう答えた。

 

「正当防衛な訳がない。大体、そんな主観的な基準で正当防衛が成り立つなら秩序は成り立たないよ。それこそトマス・ホッブズの恐れた世界の到来だ。万人が正当防衛を唱えて万人を害する。だから法規範が重要なのさ」

「トマス・ホッブズの恐れた世界……万人の万人に対する闘争ですか」

 

 ヴィンクラー中佐が不安そうな表情で呟く。私も正直に言えば不安であった。帝国は命数を使い果たしつつある。ルートヴィヒ皇太子がブレーンと共に立て直しに奔走するが、それも焼け石に水だ。終戦と課税、どちらを実施するかを巡る争いも激化する一方で決着には程遠い。領地貴族と帯剣貴族という二つの貴族集団による全面抗争へと発展しつつある課税・終戦問題が決着した時、恐らく二つの貴族集団は大いに疲弊していることだろう。それはルートヴィヒ皇太子や開明派……そして私たち機関にとって望ましい事ではあるが、しかしこの帝国という国を支える三本の柱の内二本が深刻なダメージを受けることもまた事実だ。帝国という家そのものが倒壊してしまえば、ルートヴィヒ皇太子も開明派も私たち機関も纏めて土の下である。

 

(獅子帝の登場まで後一五年程度。メルカッツが大将、ハウサーが中将、シュタインメッツが准将、エルンスト……アイゼナッハが中佐。心なしか私と関わりのある人間の出世が早くなっている気がするね。少なくてもシュタインメッツがこの時点で将官は早い。……加えてケスラーとレンネンカンプ、それにデータベースではメックリンガー、ケンプ、オーベルシュタインが士官学校生。ファーレンハイトが今年幼年学校を卒業、ワーレンとルッツが幼年学校生か。……こう考えると獅子帝の部下達は出世が早すぎる……あのシュタイエルマルク提督やミュッケンベルガー提督、父を超えるペースじゃないか)

 

 私は溜息をつく。まさしく化け物揃いだ。私も今年で四〇歳、家柄と派閥と幸運に恵まれ何とか宇宙軍大将にまで辿り着いた。それでも彼らには劣る。

 

(全部彼らに任せて引っ込む、というのは無責任だろうね。……この世界でも彼らには彼らに相応しい戦いがきっとあるだろう。それまでに私の戦いは私の手で終わらせたいものだ。この地位に立って漸くスタート地点が見えたんだ。……戦争を終わらせる、軍を掌握する、立ち止まる訳にはいかないさ)

 

「閣下。メルクリウス市に入りました。後二〇分程で軍務省に到着します」

「ああ……分かった」

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 


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