アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

74 / 79
壮年期・「アウト・オブ・コントロール」(宇宙暦780年12月12日)

「その組織……オフレッサー少将は『刑吏(ヘンカー)』と呼んでいたそうですが、それが一体いつ頃から活動を始めているのか……残念ながら小官には突き止めることが出来ませんでした。地上軍総監部やルーゲンドルフ公爵邸に対して現在行われている強制捜査の結果を待つしかありません」

「強制捜査……」

 

 私の発言に議場はどよめく。リントシュタット宮殿に武装した兵士が突入してくる時点で、既に私のやろうとしていることは察しているだろうが、実際に口に出されると驚きもあるらしい。

 

「ただ、宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦以後、セバスティアン・フォン・リューデリッツ宇宙軍元帥による軍部改革に乗ずる形で、その組織が宇宙軍に活動の範囲を広げたのは確かです。軍の再編で多くの地上軍人が軍中枢などに移りました。その中に組織の息のかかった複数名の地上軍人が居たのです。」

 

 私はそう言いながら諸卿の反応を悠然と眺める。帯剣貴族達の反応は二つに別れる、いっそ哀れな程に狼狽しているのはバッセンハイム元帥ら、『刑吏(ヘンカー)』の存在を知らない高官たちだ。逆に組織について知っている者達の反応は薄い。唖然としている、あるいは呆然としているといった様子だろうか。

 

 それ以外の出席者で見るとリッテンハイム侯爵は忌々し気に舌打ちしてから私をずっと睨んでいる。エーレンベルク公爵は一つ呆れたように溜息をついて身に着けた片眼鏡(モノクル)を外して目を閉じた。「見るに堪えない」という事だろうか。他の面々は皆動揺している。……少なくともリヒテンラーデ侯爵を含むその内の何人かには動揺する理由も無いと思われるのだが、明示的に協力を得られている訳でも無い。少なくとも表向きは何も知らない振りをしておくということだろうか。

 

「『一部高官やその派閥の利益の為に部隊や物資が軍の正当な指揮系統と関わりなく動かされていた。組織的な暗殺や汚職も行われており、その為に書類の改竄や偽造が日常的に行われていた』……これが本当なら流石に内務省としても看過できかねる」

「出鱈目だよレムシャイド伯。……我々に銃口を突きつける者たちの言うことを信じるのか!」

 

 内務尚書レムシャイド伯爵が手元の資料を読み上げると、統帥本部総長ファルケンホルン元帥が即座に否定する。が、実際の所レムシャイド伯爵からは内務省警察総局公安総務課別室――非公然の軍部監視部門――の捜査資料を、リヒテンラーデ侯爵からは司法省刑事局公安課と公安調査庁調査第一部第二課(軍部担当)の捜査資料をそれぞれ提供されている。つまり今私が告発している内容の一部はレムシャイド伯爵が既に報告を受けている内容の筈だ。

 

 ちなみに、情報提供は一応『地球教対策』の名目で受けたが、彼らも海千山千の官僚だ。私の真の目的について察しがついていなかったとも思えない。この辺り、帯剣貴族のクーデターに「協力する」と明言してしまったクロプシュトック公爵と、あえて私の動きに何も気づかない「ことにして」黙示的に後押しするリヒテンラーデ侯爵・レムシャイド伯爵の差が際立つ。やはり魑魅魍魎渦巻く官界に入って間もないクロプシュトック公爵と非主流派とはいえ官僚貴族の名門に生まれ育ったリヒテンラーデ侯爵・レムシャイド伯爵では立ち回り方も変わってくるのだろう。

 

「信じない。と一蹴するには証拠が揃いすぎているな。……ライヘンバッハ伯によると卿等が謀を弄んでいるその密会の音声記録まで残っているとか」

「そんなものがある訳がない!あるとすればそれは偽造だ!」

「偽造かどうかは然るべき機関で調べて貰っても結構です。既に宰相府、司法省、内務省宛てにデータは送りました。原本も必要ならば提供しますよ」

 

 私はそう言いながらポケットからデータチップを取り出す。「偽造だ!」と叫んだシュティール上級大将は無念そうに顔を顰めた。私の言っていることがハッタリでないことは帯剣貴族達自身が一番よく分かっているだろう。私自身がボイスレコーダーを身に着けて取った記録も有れば、ヘンリクやブレンターノ准将の協力を得て会合場所に仕掛けた盗聴・盗撮記録もある。……まあ自分たちが担ぐ神輿が担ぎ手に対して反乱を起こすことは想定していなかったのだろう。『私に対しては』皆ザル警備も良い所だった。

 

「帝国暦四三八年の橙色陸戦軍後方部門による組織的横領、帝国暦四四二年のミヒャールゼン提督暗殺事件、帝国暦四四三年の第一六軍集団玉砕、帝国暦四五一年の『赤旗派』による東華航宙公司二二五便・帝国航宙七六五便同時爆破事件などは『刑吏(ヘンカー)』による策動……彼らの言う所の粛清の結果によるものであり、いずれも領地貴族出身の軍人や、開明派、地上軍内の改革派軍人を排除する目的で起こされたと思われます」

「御当主様!」

 

 私はそんな風にさらりとミヒャールゼンの死も『刑吏(ヘンカー)』のせいにする。一方、私の言葉についに堪え切れないといった様子でシュティール地上軍上級大将が叫んだ。

 

「中核メンバーは軍務省尚書官房情報保全監アルホフ地上軍中将、兵站輜重総監部高等参事官マイザー地上軍中将、統帥本部情報部参事官コールライン地上軍少将、憲兵総監部憲兵司令本部主任監察官レマー宇宙軍少将、後備兵総監部後備調査課別室室長オーム地上軍准将の五人の名前が挙がっており、内マイザー中将についてはそこに居るオフレッサー少将と同じく『刑吏(ヘンカー)』の存在と、自身の関わりについて証言に応じています」

「オフレッサー……貴様……!拾ってやった恩を忘れたのか!」

 

 ルーゲンドルフ元帥が怒りをあらわにオフレッサー少将を怒鳴りつけた。一方のオフレッサー少将は「馬鹿馬鹿しい」と怒りを滲ませながら吐き捨てる。オフレッサーの怒気によって前に座っていたマリーンドルフ侯爵がビクッと身を震わせた。

 

「……恩ねぇ。俺は田舎者だから殿上人の考えることは分かんねぇが……。多少、金と地位を与えれば脅迫して味方殺しなんてさせても恩になるのか?それにな、一番大事な話だが……ライヘンバッハの変人伯はアンタらと違って俺を殺す気はない、それだけでもありがてぇ話だ」

 

 そう言ったオフレッサーは憎しみの籠った目線をルーゲンドルフにぶつけるが、これは恐らく芝居だろう。オフレッサーは味方殺しをするにあたって脅迫など受けていないし、与えられた金と地位……ついでに名誉と女……は「多少」なんてモノではない。確かに彼は私に言ったように快楽殺人者でもないし、共感性に乏しい異常者でも無いのだが、必要とあればとことん残虐になれる強欲な人間であることは間違いなかった。……もっとも、それを理由に私はオフレッサーを悪く言えないかもしれない。「必要だ」と考える基準が違うだけで、私も欲望の為には客観的に見て残虐な事をしてきたと言える。

 

「……オフレッサー少将に関しては先ごろザールラント方面で戦死した、との報告がされているかと思います。これは『刑吏(ヘンカー)』によって粛清対象となったオフレッサー少将を守るための虚偽報告でした。……オフレッサー少将を殺そうとしてくれた御蔭で、我々は漸くその組織の全貌に辿り着けました」

「ザールラントじゃ世話になったなクソ野郎共」

 

 捕虜交換から帰還したオフレッサー少将は激戦地に送り込まれ続けた。帯剣貴族たちに私はオフレッサーの安全を保障するように取りなし、彼等はそれに応じた。ところがそれは殺さないというだけで、死なせないという意味では無かったという事だ。……ところがこの化け物ミンチメーカーは上層部の悪意によって繰り返し死地に送り込まれながらもしぶとく生き延びた。やがて、それに恐怖した高官の誰かが『刑吏(ヘンカ―)』にオフレッサーを粛清するように命じた。結果的にそれはオフレッサーに復讐を決意させ、私の告発に協力する決意を固める最後の一押しになった。

 

 私はオフレッサーを冷たく一瞥すると、再び口を開いた。

 

「まあ……『容疑者』たちの自白はここにあるチップに取れています。他にそこに居るオフレッサー少将と、兵站輜重総監部高等参事官の職にあって様々な陰謀に物資を融通していたマイザー中将から詳細な証言を得ることが出来ました。とはいえ実際の所、その他の物証は時間が経過しており、組織的な隠蔽が徹底的に行われたこともあって、細かな点まで立証するのは困難です。……だから、小官はこのタイミングでこういう手段を取らせていただいた」

「実力行使で冤罪を着せるという手段かね」

「容疑者たちが大罪を犯した所で一網打尽にする、という手段です。……皇太子殿下、そして諸卿方、ここに居る者達は言い逃れのしようもない大罪を犯しました。皇帝陛下の軍を私物化し、神聖な帝都を踏み荒らした挙句に忠実な臣下たちを害そうとしました。その計画の全貌は全てこのアルベルト・フォン・ライヘンバッハの知る所であります。無論、『証拠を出せ』と言われれば何だって出せます。……その上で私は、軍部に巣食う寄生虫たちを一掃したい。この軍部のクーデター未遂を機に、全ての罪を白日の下に晒し、膿を出し切りたいと考えております。どうか皆様のご理解とご協力をお願いしたい」

 

 私がそこまで語り終えると、沈黙が議場を支配する。やがてルートヴィヒ皇太子が口を開いた。

 

「……ライヘンバッハ伯爵の言う所は分かった。手段に関しては到底認め得るところでは無いが、この国の腐敗は先程目の当たりにしたばかりだ。軍もまた例外でなかった、という事だろう。妥当性はともかく必要性は認める。……それでライヘンバッハ伯爵、卿の望みは何かね?」

「皇太子殿下……!お待ちを……」

「小官に戒厳司令官として帝国全軍の指揮権、全官吏への指揮権を頂きたい」

 

 帯剣貴族が叫ぶがルートヴィヒ皇太子は全く耳を貸そうとしない。リッテンハイム侯爵やリヒテンラーデ侯爵らも口を開こうとせず、事態を静観している。クロプシュトック公爵は少し顔が蒼い。私の資料に官界のクロプシュトック派が帯剣貴族によるクーデターに加担していた事実は一切書かれていない。とはいえ、クロプシュトック公爵は実際には帯剣貴族たちに対してクーデターへの協力を明言していた。当然その証拠を私は有している。大変危うい立場だと言えるだろう。だからこそ私は今回の告発から官界のクロプシュトック派を除いた。尻に火が付いた彼らの協力を期待しての事だ。

 

「許そう。他には?」

「皇太子殿下!」

「『刑吏(ヘンカー)』を初めとする叛乱勢力によって暫く危険な情勢が続くかと思われます。皇太子殿下と政府要人の方々には一時的に小官の確保した安全な場所に避難していただきたい」

「……ふむ、まあ良い……」

「それは駄目だ。ライヘンバッハ」

 

 私は内心で舌打ちしながら割り込んできた声の方へ向き直る。近衛第一艦隊司令官エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将が腕を組みながら私を睨んでいる。

 

「皇太子殿下は近衛がお守りする。貴様は安心して粛軍に取り組め」

「……言いたくないがな、ラムスドルフ。君の下に居る連中は信用できない」

「ああ、俺もそう思う。この宮殿は厳重な警備が敷かれていた。ところがどういう訳か貴様の犬が大挙して押し寄せている」

「クーデター派が紛れ込んでいた。それを利用させてもらった」

「仲間の振りをして通してもらったのか?ふん……騙されるだろうな。貴様の主観はどうあれ、客観的に見てこれはクーデターだ。目的が違うだけでやってることはそこの軍部高官(叛徒)達と変わらん。『本来の』クーデター派が仲間だと勘違いするのも止む無しと言った所か」

 

 ラムスドルフは冷笑を浮かべながらそう言った。その隣ではノームブルク大将が白い顔をして私を見ている。そしてラルフが真面目くさった――内心面白がっていたのは間違いない――顔で腕を組んで考え込んでいる。

 

「……分かった。ならラムスドルフ、君も皇太子殿下に同行してくれて構わない」

「『貴様の主観はどうあれ、客観的に見てこれはクーデターだ』そう言ったのが聞こえなかったのか?クーデター派に護衛対象の身柄を引き渡す近衛が何処にいる」

「応じない、と?」

「この時世だ。今更クーデター程度(・・)でどうこう言う気はない。だが皇太子殿下の政治利用は近衛の誇りにかけて許すつもりはない」

 

 私とラムスドルフが睨みあう。その間にいるノームブルク大将は居心地悪そうだ。

 

「……残念だラムスドルフ」

「……」

 

 銃を抱えた兵士がラムスドルフに近づく。ルートヴィヒ皇太子が慌てて割り込んだ。

 

「止めろライヘンバッハ!……ラムスドルフ!私はライヘンバッハの粛軍に協力したいのだ。分かってくれるな?」

「殿下。臣下の分を超えているやもしれませんが、御諌め申し上げます。殿下、御自身の立場を御自覚なさいませ。帝国三大貴族集団の一つと殿下が本気で対決なさる。彼等のこの体たらくを見れば、それもまた取り得る選択肢ではあるでしょう。ですが、それはこの男の暴走に引きずられて、軽々に踏み切って良い決断ではありません。この男に全てを委ね神輿となるべきではありません。この男が上手くやる保証は無く、この男が正義であるという保証もない。殿下は殿下自身の手で道を切り拓かれるべきだ」

 

 ラムスドルフはそう言うと組んでいた腕をほどき、右腕を私に向けた。その手には小さなブラスターが握られていた。

 

「!それは……」

「動くな。小さなブラスターだが、ライヘンバッハ伯爵の頭と心臓に一発ずつ打ち込む程度のエネルギー量はある」

「銃を下ろせ。さもないと撃つ」

「試してみろ。貴様等雑兵が俺をハチの巣にするより早く、俺はこいつの命を終わらせるぞ」

 

 ラムスドルフはカールスバート大佐に対して素っ気なくそう言う。その目線は相変わらず私を貫いていた。後ろで物音が聞こえる。私の後ろ、つまり斜線と重なった場所に座っている帯剣貴族たちが一斉に逃げ出したようだ。

 

「皇太子殿下は近衛が護る。良いな?」

「……ふむ。私たちの事を何か勘違いしていないか?私たちは追い詰められた叛徒が皇太子殿下に害を為すことを恐れているだけだ。皇太子殿下を神輿としようなどと畏れ多い事は考えていない……」

「長口上を聞く気はない」

 

 ラムスドルフはピシャリと私の言葉を遮った。私は思わず顔を顰める。このような事態は想定していなかった。皇太子殿下を囲い込もうとすれば一部の真面な近衛は抵抗するだろうが、本丸たる近衛兵総監部を早々に抑えて適度に脅し付ければあっさり屈すると踏んでいた。

 

「ラムスドルフ。そこまで皇太子殿下の身柄に拘るとは卿たちこそ良からぬ事を考えているのではないか?」

「下衆の勘繰りだな。職務に忠実なだけだ」

「真っ当な疑義だろう。職務に忠実な近衛?ライオンと同じだな。ああ、ライオンは知っているか?殆ど絶滅状態、今は精々数○○匹がズィーリオスの辺境地帯に生息している程度……ッ」

 

 熱いモノが頬を掠めた。『命が縮み上がるよう』とでも形容しようか。リューベック以来の感覚が私を襲う。

 

 

 

「……長口上は要らないと言った。ライヘンバッハ、皇太子殿下の身柄は諦めろ。答えは(ヤー)か否《ナイン》か、二つに一つだ」

 

 ラムスドルフは焦れた様子で私に返答を迫る。

 

「……」

 

 私は無言でラムスドルフを睨みつける。可能なら(ナイン)と言ってしまいたい。皇太子殿下を制御下に置けないのは危険だ。皇帝陛下のような無能でなく、行動力と決断力と判断力を持ち合わせている皇太子殿下は「駒」ではなく独立した「プレイヤー」になり得る素質がある。とりあえず今この瞬間に関しては、皇太子殿下には「駒」で居ていただきたいのだ。……そもそも、「駒」であったとしてもラムスドルフが皇太子殿下を神輿に私と対立する可能性だって否定できない。皇太子殿下は何としても制御下に置きたい。

 

「沈黙は肯定と受け取る。……皇太子殿下、御立ちください。この場を離れましょう」

「待て!」

「……何だ?命の捨て所をここにすると決めたか?」

「……」

 

 ラムスドルフは余裕を感じさせる表情だ。だがその額を一筋の汗が流れた。……私の脳裏を一つの考えがよぎる。ラムスドルフの射撃の腕は同期でも五指に入る。そうは言っても実戦で発砲した経験は殆ど無い筈だ。故に私が全力で回避行動をとればラムスドルフは当てられない可能性がある(・・・・・・)。よしんば当たったとしても死ななければ良いだけの話(・・・・・・・・・・・・)だ。ラムスドルフの数発を躱せれば、あとはカールスバート大佐やヘンリクが何とかする。

 

「……」

「!」

 

 私が膝に力を込めたその時、ラムスドルフの表情が変わる。長い付き合いだ。気取られたかもしれない。だが今知ったことか。ラムスドルフの指に力が入るその前に全力で躱す。これしか……。

 

 

 

 

「……ラムスドルフ大将、この場に武器の持ち込みは禁じられておりますぞぉ」

 

 

 

 

 

 

 まさしく緊張の一瞬であったが、そこに呑気な、間延びした声が割り込む。宮廷書記官長補を務めるヨハン・ディトリッヒ・フォン・アイゼンフート伯爵の声だ。

 

 即座に「こいつは何を言っているんだ?」との思いが籠った目線が彼に集まった。真っ当と言えば真っ当な指摘ではあるが、小銃を抱えた大量の兵士たちに囲まれて言う言葉ではない。……これまでの会議でこの老人は一度も発言しておらず、それどころか時々睡魔に負けていたように思われる。もしかしたらこの老人は寝ぼけて自分が小銃を抱えた兵士に囲まれていることにも気づいていなかったのかもしれない。

 

「クッ……」

 

 ラルフが思わずといった様子で小さく噴き出した。すぐに真面目な顔を取り繕ったが、先ほどからのどこか真剣身を感じられないラルフの反応に気づいているノームブルク大将が変な物を見るような目線でラルフを見ている。

 

 私も思わず呆けてしまう。むしろこの瞬間こそラムスドルフの射線から逃れる最大の機会だったというのに。しかし、ペースを乱されたのはラムスドルフも同じだった。

 

「……宰相殿下より特別に許可を戴いております」

「おぉ……そうだったのですか?宰相殿下」

「ああ……私というより皇帝陛下がな……ラムスドルフ侯爵に私を守るようにと」

「それは結構な事でございますなぁ。差し出口を挟みました」

 

 「ほっほっほ」と笑い、アイゼンフート伯爵はほっこりしたような表情で頷いている。その様子に毒気を抜かれそうになりながらもラムスドルフは私に語り掛ける。

 

「……落ち着け。妥協しろライヘンバッハ。皇帝陛下と宰相皇太子殿下の身柄以外の事、つまり粛軍の一切について近衛は口を出さない。……お前は事を起こす前に最悪の事態を考えたはずだ。これは最悪か?」

 

 私は考え込む。首席副官であるオークレール地上軍准将がそこで「閣下」と小さく声をかけてきた。彼の方に目線をやり、そして私は決断した。

 

「……皇太子殿下のお近くに連絡係を付けさせろ。それと皇太子殿下への謁見は誰にも許すな。……君が本当に近衛の職責に忠実なら望むところのはずだ」

「応じる義理はないが……良いだろう、許してやる」

「よし、交渉成立だ」

「閣下!」

「ここで銃撃戦をやる訳にはいかないさ。……戒厳司令官として命ずる。罪人たちを『逮捕』したまえ。そして高官の方々を『保護』、丁重に避難させろ。いいな?」

 

 私はカールスバート大佐にそう命じる。カールスバート大佐は少しだけ不服そうだが「了解しました」と言って行動にとりかかった。兵士たちが一斉に高官たちを拘束する。『逮捕』か『保護』か、名目に違いはあっても実態としては同じだろう。

 

「……え?僕も?」

 

 ラルフが心底驚いた様子で自分を捕まえようとする兵士に声を掛けた。ラルフが私の方に目線で「何故?」と訴えかけてきた。

 

「君は自由にしておけない」

「何もしないさ。クラーゼン子爵家の家訓は……」

「争いの当事者になるのを避け、勝者に全力で媚びる、だろ。……つまり私の勝ちが決まるまでは君は味方じゃない。危害は加えないから全部終わるまで大人しくしておいてくれ」

 

 ラルフは肩を竦めると「分かったよ。……でも罪人扱いは嫌だな」と冗談めかして言う。私は一つ頷いてカールスバート大佐に話しかけた。

 

「大佐。一応再確認しておく、クラーゼン大将は『高官』の方だ。丁重に『保護』しろ」

「は!」

「有難う。やっぱり持つべきは誠実な友人だね」

 

 ラルフは私に一つウインクを寄越すと、兵士に従って部屋を後にした。私はそれを確認して皇太子殿下の方へ振り向く。

 

「……やってくれたね」

「何の事だ」

「扉の外」

 

 私に銃を突きつけながら、皇太子殿下への近くへと歩み寄っていくラムスドルフに対して私は語り掛けた。……私があっさり取引に応じたのは別に命を惜しんだからではない。

 

「何故ここに貴官らが居るのだ!?」

「?……!、何をやっている!助けんか!」

 

 カールスバート大佐の驚愕の声と、ノルトライン公爵の無駄にでかい声が聞こえてくる。扉の外に直立不動……かどうかは分からないが近衛軍の分隊が控えていたからだろう。カールスバート大佐たちの反応を見て彼らが私の味方でないことに気付いたらしい貴族たちが騒ぎ立てている

 

「……貴様の護衛士は相変わらず優秀だ。無血で事が済んで良かったよ」

「ヘンリク。君が気づいてくれた御蔭だ」

 

 私は側に歩み寄ってきた自身の護衛士に語り掛けた。「勿体ないお言葉ですが、特殊部隊に籍を置いていたことがあれば誰でも気づきますよ」とヘンリクは謙遜する。ヘンリクがハンドサインで扉の外に控える部隊について知らせてくれなければ、私は取引に応じず、結果としてこの部屋で要人を挟み近衛と粛軍派が銃撃戦を繰り広げることにもなったかもしれない。

 

「ヘンリク」

「はい」

 

 カールスバート大佐たちと近衛が銃を向け合って睨みあっている。私はヘンリクに止めさせるように指示した。ヘンリクがカールスバート大佐たちと近衛の間に入る。カールスバート大佐たちが不承不承に構えを解くのと同時に、ルートヴィヒ皇太子の周りに数人の近衛軍士官が駆け付けた。その内の一人には見覚えがあった。

 

「久しぶりだな……バルドゥール・フォン・モルト近衛軍准将。今はラムスドルフの次席副官を務めていると聞く」

「……小官の事を覚えておいででしたか」

「妻の恩人を忘れるものか」

 

 私はモルト准将から目線を動かし、ラムスドルフに語り掛ける。

 

「……軍部のクーデターの動きにいつから気づいていた?モルト准将はリントシュタット宮殿の警備担当者じゃないはずだ。いつの間にここに伏兵を?」

「答える気はない。……ただ、クラーゼンの奴を拘束したのは正解だった、とだけ言っておいてやろう」

粛軍派(私たち)の動きにも気づいていたのか?」

 

 ラムスドルフは私のその質問には面倒くさそうに手を振って何も答えず、「用は済んだだろう」と私に議場を退去するよう促してきた。私は溜息を一つついて踵を返す。

 

「そう邪険にするな……言われなくても出ていくさ。やるべきことが山積みだ」

「……貴様が馬鹿なのは知っていたがここまでとは思わなかったよ。こんなことは痴愚帝の猿真似に過ぎない」

「願わくば痴愚帝では無く晴眼帝の例に倣いたいものだ」

「無理だな。……せめてナウガルトのような無様を晒さないように足掻いてみろ」

 

 冷たく吐き捨てるラムスドルフの声を背に私は議場を立ち去った。痴愚帝の腹心として軍制改革に取り組んだアドルフ・フォン・ナウガルト。軍務官僚としては必ずしも無能では無く、また中堅官僚時代は清廉な実務家であった。ところが不相応な抜擢人事で栄達したことで私欲と復讐心に囚われ、また肝心の改革にも私情を挟んだことで支持者を失い、実の息子すら彼を見放した。最後は断頭台の上で「帝国史に残る醜態」を晒したといわれる。私としても同じ轍を踏むのは御免だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 惑星オーディンゲルマニア州メルクリウス市郊外に位置する帝国軍士官学校は帝国軍が有する教育機関では最も長い歴史を誇っている。その士官学校で創立以来経験した事がない異変が起こっていた。

 

「急げ!西門を塞げ!」

「机が足りないぞ一年生!」

 

 紺色の無地の制服に身を包んだ学生たちが慌ただしく駆け回る。校舎の中から机や椅子、果ては訓練場から持ち出してきた有刺鉄線や装甲車を校門に並べてバリケードを作ろうとしている。

 

「……アダン、大丈夫か?俺も手伝おう」

「ああ、すまない」

 

 ウルリッヒ・ケスラー三年生は式典用のピアノを運び出している一団に額から汗を流すジョルジュ・アダン・ニードリヒ三年生の姿を見つけ、手伝いを買って出た。二年前、自由惑星同盟軍による『授業の再開』作戦発動を受け、郷土の防衛に参加するべく休学してクラインゲルトに戻った学生は三二名、その内帝都士官学校に通っていた候補生は八名。……生き延びたのはたったの六名、士官候補生はケスラーとニードリヒの二人だけだった。

 

 クラインゲルト子爵家から許可を受け中央で学んでいる以上、クラインゲルト子爵家の窮地には当然その恩を返さないといけない。少なくとも帝国の常識ではそうだ。クラインゲルト子爵は帝都で勉学に励む学生たちに対し、『志願不要』と伝えたが、結局全員が各教育機関を休学し、クラインゲルト子爵領軍への入隊を志願した。

 

 元より平民・陪臣階級出身者であり、特に有力者の庇護を受けている訳では無いクラインゲルト出身者たちにとって郷土防衛に参加しないという選択肢は無かっただろう。参加しなかったら間違いなく周囲から白眼視され、軍での昇進や中央省庁での採用でも不利に働く。……もっとも、完全に義務感だけで彼らが郷土に戻ったという訳でも無いようだ。クラインゲルト子爵家は長年「概ね」善政を敷いており、ケスラーを含む士官候補生八名に対してもかなりの支援を行っていた。それに対して学生たちは勿論感謝していた。さらに言えば休学の上前線勤務を志願したという経歴は軍でも中央省庁でも有利に働く、あの時点ではクラインゲルト子爵領が第二次エルザス=ロートリンゲン戦役で五本の指に入る激戦地になるとは誰も予想しておらず、打算によって郷土に戻った者たちもいただろう。

 

「おいウルリッヒ。このバカ騒ぎは何なんだ?」

「お前が知らないことを俺が知るはずも無いだろう」

 

 簡素な士官学校の制服に国防戦傷章と国防殊功章の略章を身に着けたニードリヒの問いに対し、第五級皇帝勲章と国防殊勲章の略章を身に付けたケスラーが答える。これらの勲章は彼らが先の戦役に参加した戦場帰りであることを明らかにしている。さらにニードリヒの国防戦傷章は彼が本当の最前線に居たことを証明し、ケスラーの二つの勲章は前者は直接皇帝名義で与えられる代物であり、後者は志願して前線に向かった候補生に対し一律に与えられる物より一段階高い代物だ。士官候補生でありながら卓越した功績を挙げたことを証明している。尤もケスラーは生涯勲章、特に皇帝勲章を「飾る訳にもいかんのに、捨てるに捨てられなくて困る」と有難がる様子もなく持て余していたそうだが。

 

あれ(・・)には聞いたのか?」

「貴族様方もカール・マチアス様の事はよく分かってる。詳しい事は何一つ知らされてない」

 

 ケスラーはどこからか持ち出してきた木箱の上に立って偉そうに学生たちに指示を出している痩せた美青年をあごでしゃくって示した。それに対してニードリヒは呆れたように応える。無理もない。ケスラーやニードリヒがこの『バカ騒ぎ』に参加させられているのは『あれ(・・)』ことカール・マチアス・フォン・フォルゲン一年生の命令によるものだった。ところがその当人すら詳しい事情は知らないという。

 

 ……イゼルローン方面辺境に踏み止まり、中小貴族たちの拠り所となって同盟軍に抗するフォルゲン伯爵家は名実ともにイゼルローン方面辺境の顔役だ。その放蕩息子であるカール・マチアスはそれを良い事にイゼルローン方面辺境出身者達を自分の部下のようにこき使う。ケスラーとニードリヒに限らず辺境出身の身分の低い者達は先の戦役に参加している。士官候補生ではあるが、戦場帰りでもあるのだ。

 

 一方、カール・マチアスは領軍と共に玉砕した次男アウグスト、母親と共に領主館で自害した五男カール・リヒャルトと違って先の戦役には参加していない。一応、当時士官学校では無く一般大学に通っており、しかもフェザーンに短期留学中であったという事情はあるが……それに加え父マティアス――先の戦役では帝都を離れることを許されなかった――に泣きながら懇願して留学を延長してもらい、戦場から逃げたという不名誉な噂もある。フォルゲン伯爵の長男ヘルマンは回廊戦役で戦死、三男アルノー・エックハルトは若くして病死している為、このままいけばカール・マチアスがフォルゲン伯爵家を継承することになるが、人望は皆無であった。

 

「……クーデターだ」

「ん?」

「帝都でクーデターが起きた。じきにここにもクーデター派が来る。だからバリケードを作ってる」

 

 抑揚のない声が突然ニードリヒとケスラーの会話に割り込んだ。ピアノを挟んで二人の向かい側を持ち上げている学生の声だった。ニードリヒとケスラー、さらに一緒にピアノを運んでいた二人がその言葉に驚愕する。

 

「……信じられない。確かなのか!?」

「知らない。ミュッケンベルガーの養子がそう言っていた」

「!」

「クーデター派は士官学校に通う貴族の子弟を捕らえる計画だ。惑星の外に居る軍部要人に対する人質として、我々には利用価値が有るらしい」

 

 どこか不気味な光を帯びた目を持つ学生は淡々と、どこか投げやりに説明する。聞いている側は当然投げやりになんてしてはいられない。

 

「大変じゃないか!何で卿はそんなに平然としていられるんだ!?」

「他人事だからな」

「他人事って……」

「卿等だってそうだろう。こんな『馬鹿騒ぎ』に付き合う理由もない」

 

 学生はどこまでも平坦な口調で続ける。その様子にニードリヒが絶句して黙り込んだ。

 

「……失礼。見た所卿は貴族階級の出のようだが……平民(われわれ)はともかく卿は他人事ではあるまい」

「……貴族にも色々とある。私の場合人質としての価値は無いからな」

 

 ケスラーの問いに対してそう言うと学生はピアノを地面に降ろす。気づけば第二校舎通用口のバリケードのすぐそばまで来ていた。

 

「後は工兵班に任せれば良い」

 

 青白い顔をした士官候補生はそう言って早歩きで校舎の中へ入っていった。ケスラーとニードリヒもピアノを降ろし、顔を見合わせた。

 

「なあウルリッヒ。もしかしてこれ、相当大変な事が起きているんじゃないか?」

「もしかしなくてもそうだろうな」

「……お前はいつも冷静なままだな。尊敬するよ」

「取り乱す理由がない。現実的に考えてみろ、俺達に何かできるか?あの変な二年生の言う通りだ……御貴族様同士の喧嘩なんて心底どうでも良い。……ああ、アイゼナッハ内務長は少し心配だが」

 

 ケスラーは自分とニードリヒを生還させてくれた、酷く無口でありながらも頼りになる青年貴族の事を思い出した。確か名門出身者だったはずだ、クーデターに巻き込まれていないとも限らない。

 

 とはいえ、現実問題としてアイゼナッハを助けるどころか、そもそもどこにいるかすらケスラーは知らない。ケスラーは内心で大神オーディンにアイゼナッハの無事を祈ると、「そら行くぞ。運ばないといけない物がまだまだあるだろ」とニードリヒや後ろで立ちすくむ二人に声をかけて歩き出す。置いていかれた三人は何となく顔を見合わせるが、結局の所ケスラーの言った通り、自分たちが何かを出来る訳でもなく、とりあえず小走りでケスラーの背を追いかけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あくまで協力しない、と?」

 

 フェルディナント・ミュラー宇宙軍中佐は困惑と渋面を作りながら目の前の老人に問いかける。老人……『皇帝陛下の』死刑執行人ヨハン・ライヒハート一五世はゆっくりと頷く。

 

「先程も言いました通り、我々も決して貴方を粗略に扱わない。俸給は据え置き、『この仕事』に取り組んでいただけるなら臨時で五〇〇〇帝国マルクをお支払いします。ああ、一人当たりで五〇〇〇帝国マルクです。総額では無いですよ」

「お金の話では無いのじゃよ。中佐」

 

 帝国では珍しく、イースタン系ルーツの血を感じさせる老人は、皺くちゃの顔に影のある穏やかな笑みを浮かべて答える。老人……そして老人の一族は帝国の身分制度における最下層に置かれている。貴族はおろか、平民たちや私領民――俗に『農奴』と呼ばれる者たちも含めて――彼等の事を激しく嫌悪し、蔑視する。イースタン系にルーツを持つ者達も老人の一族は恐らく差別するだろう。「隔離されども平等」と言い放ち領内では極端なイースタン系至上主義政策を施行するブルンタール自治領・シロンスク自治領・ベーマーヴァルト自治領等……つまり旧「東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)」構成国ですら、死刑執行人一族の特別移住(亡命)は拒否するという。

 

 ……フェルディナント・ミュラー宇宙軍中佐はそんな死刑執行人一族に対し差別感情を持たない帝国でも極々限られた人間の一人だ。シュタイエルマルク派の若手将校として同輩、部下から慕われるこの男は、恐らく帝国軍に置ける最も過激な平等論者の一人だっただろう。何せ帝国軍の階級制度を撤廃することすら大真面目に主張していた人物なのだから。だがだからこそ、開明派や改革派、共和派ですら偏見を持つ死刑執行人に対し、この人物は何の悪感情も抱いていなかった。

 

「……では忠誠心ですか?信じられません!貴方方が歴史の中でどれほど不当な差別を受けてきたか……。たまたま大帝陛下が法務士官を務めている時に先祖が部下だったことで、貴方方の一族は帝国で最も差別を受ける……人でなし、物の一族として扱われてきました」

「……儂は一応ライヒハートの一五世当主じゃが、血の繋がりがあるのは先代だけじゃよ。儂もあの秀逸な冗談は知っておる。『実力で評価されたい?結構、死刑執行人になりなさい』……儂はそうした、ということじゃな」

 

 老人は有名なブラックジョークを引き合いに出してくつくつと笑う。フェルディナントとその部下達は一様に困惑を浮かべる。

 

 ……ライヒハートは「死刑執行人の頂点」と言われる。皇帝陛下個人の所有物であり、他の死刑執行人と違い、司法省では無く宮内省が管轄する。皇帝自ら罰を下した死刑囚にのみ刃を降ろし、それはこの帝国において永久に罪人として記録・記憶され、死後の世界……煉獄でも特別の苦しみを受け、縁者は今世と後世の全てにおいて皇帝陛下の庇護を外れ、あらゆる呪いと不幸を受けることを意味する。

 

 

 帝国人民にとってこのようなライヒハートで処刑される皇帝の敵とその一族を永久に断罪し、戦い続けることは崇高な使命ですらある。ライヒハートに処刑された死刑囚の遥か遠縁の一族を殺戮し、娘に暴行を加えたある海賊の男はその一族がライヒハート収容所の死刑囚と遠縁であると分かった段階で釈放され、何の罪にも問われずむしろ帝国司法省から感謝状と金一封を贈られたという。私もかつてかけられた帝前裁判で死刑判決が下っていた場合、僅かにではあるが、一族から絶縁された上でライヒハート記念収容所に送られライヒハート一四世に処刑されていた可能性がある。このエピソードを始めとする『皇帝の敵』に対する容赦無い迫害が自身の縁者……コンスタンツェやゾフィーに降りかかっていた可能性があると思うとゾッとする。

 

 ライヒハートは徹底した実力主義で知られる。一応、優生思想に基づいて血縁が重視されてはいるが、それ以上に皇帝陛下の所有物として優れた『質』を保つことが重視されており、血縁者が不適格と見做された際は帝国司法省が管理する六八〇〇名――貴族家所有は除く――の死刑執行人から後継者が選ばれる。老人の父ライヒハート一四世も元はウリュウというこれまた死刑執行人の『名門』の出であり、プロイセン行政区第五地方法院の筆頭死刑執行人を務めていた。先々代ライヒハート一三世――公的記録では東スラヴ人とアングロサクソン人にルーツを持つとされていたが『ゲルマン人』との外見的な差異は無い――との血縁は一切無い。

 

 ちなみに一般の処刑であれば、死後に名誉が回復される可能性もゼロでは無い。軍法会議で処刑されたゴットリープ・フォン・インゴルシュタットや司法省によって死刑が執行されたハンス・クレメント・シュライヒャーなどがその例である。

 

「何て言えば良いのでしょう……。公正な扱いでは無く、公正な評価を求めるという事ですか?」

「ふむ。それも違う。いいかの?これは儂個人のスケールの話では無いのじゃよ」

 

 困り果てたフェルディナントが尋ねる。「金」でも「身分」でも無いのなら老人が「名誉」に価値を見出しているのではないかと考えたのだ。だが、老人は首を振って否定した。そして改まった口調で話し出す。

 

「君は『公正な扱い』と言った。そこで聞こう。諸君等はこの国の法律が公正だと思うかの?」

「まさか」

 

 フェルディナントは間髪入れず応えた。老人は一つ頷くと続ける。

 

「そうじゃ。不公正極まりない。法の正義、そんなものはオリオン腕からとうの昔に無くなっておる」

「……」

 

 フェルディナントと部下達は困惑を深める。話の行き先が分からなかったのだ。

 

「だから儂は君たちに協力できない。大金を積まれても、銃口を前にしても、首に刃を当てられても、この不名誉な社会階層から這い上がる機会を与えられても、絶対に協力してはならない。儂こそがこのオリオン腕に残る正義の最後の砦じゃから」

「………………は?」

 

 老人は誇りと強烈な自負を感じさせる口調で言い放つ。

 

「……『一応は』判例主義を標榜している大審院・高等法院よりもさらに不公正の極みであるのが……恣意的極まりない帝前裁判とその結果に下る皇帝陛下の『私刑』では?失礼ながらその執行機関である貴方の立ち位置は……正義の最後の砦から程遠いのではないかと思うのですが」

 

 フェルディナントは理解に苦しむといった様子で老人に問いかけた。

 

「それは皇帝陛下を侮辱しているように聞こえるの?……まあそれもよかろうて。皇帝陛下が間違いを犯されなかったことも無い。……だが考えてもみてくれ。この国の裁判程不確かな物は無いじゃろう?不正が横行し、拳や金、謀で容易く判決が変わる。酷い時には下った判決が執行されない事も有るし、判決を下した裁判官が逆に裁かれることもある。裁判所自体が弾劾されたことも一度や二度の話ではない。貴族階級の犯罪者が収容されるヒンデンブルク特別収容所がヒンデンブルク『宮殿』と揶揄されていることは知っているじゃろう。……帝国司法省に司法を司る力は無く、帝国大審院に判決を下す力は無い」

「……ですな」

「そんな国に於いて、唯一絶対に揺るがない存在……誰にも左右されることなく自由に、公正に裁きを下せる存在こそが皇帝陛下じゃ。皇帝陛下は常に自分の意思だけで判決を下す、皇帝陛下は常に正義。……それが事実かどうかはさておき、その建前だけはこのオリオン腕で唯一絶対であり、また絶対であり続けた秩序じゃ。その秩序にのみ儂は服従し、この身を正義と秩序の執行機関として、万人に公正に刃を降ろす。この公正さのよって立つ基準(皇帝陛下の御意思)は過っているかもしれないが、歪んではいない。導き出された公正さそのものは絶対に揺らがないのじゃよ。皇帝陛下が絶対に正しいとは言わん。が、絶対の存在であることは確かな事実じゃ」

 

 老人は一度息をついで再び口を開く。

 

「この身は絶対の正義と絶対の秩序に服するからこそ存在意義がある。皇帝陛下に背いた死刑執行人に死刑執行人(ヨハン・ライヒハート)を名乗る資格は無い。それは最早ただの殺人者じゃ。儂は殺人者になる気はない」

「……」

「……それは、困るな」

 

 老人の硬い意思を前に黙り込んだフェルディナントに代わって背後に立つ一人の男が口を開く。少し前にライヒハート記念収容所に到着したその男は感情の読めない目でライヒハートを見下ろしながら前へ出る。

 

「罪人の数は多い。あれだけの人間を丁寧に、形式に則って、そして確実に処刑するには貴方の力が必要不可欠だ」

「貴官らにとって罪人だとしても、皇帝陛下にとって罪人とは限らんでな。陛下に一言命ぜられたならば当然役目を果たそう」

「我々は大義の為に起った。勿論、陛下の御意思にも沿った行動だ。有象無象の権力の亡者とは違う」

「それを証明すれば、役目を果たすと言っておるんじゃがの?」

 

 老人は男の目線を物ともせず言い返す。それに対して男は懐からブラスターを抜き出し、老人に突きつけた。

 

「コーゼル大佐!」

「……御託は結構。やれ、と言っている」

「無理、と言っておるじゃろ」

「金も地位も約束するし、失敗しても貴方に責は及ばないようにする」

「無理な物は無理じゃ」

「では仕方ない」

 

 空気を切る音が二回、ほぼ同時に何かが焼ける音が二回。ブラスター銃特有の発砲音がした。

 

「がぁ……」

「次は額だ」

「大佐!やり過ぎだ!」

 

 耳を一発が掠め、脇腹を一発が貫く。男、セバスティアン・コーゼル宇宙軍大佐は無表情のまま淡々と狙いを定める。慌ててミュラー中佐が斜線に割り込んだ。

 

「…………やれば良かろうて。我はこの国唯一の正当なる刃なり……我が背を見て帝国六八〇〇人の刑吏たちは自身が殺人者で無い事を確かめる。我が身は、我が名は決して揺らがせるわけにはいかなんでな……!」

「結構。中佐、治療費は私個人に請求したまえ」

 

 コーゼル大佐はそういうとフェルディナントをブラスターの銃底で殴り倒し、宣言通り老人の額に銃弾を撃ち込んだ。

 

「職責に忠実であったことだけは敬意を表するに値する。全員、この老人に黙祷」

「た、大佐……。なんてことを」

「この手の人間は説得するだけ時間の無駄だ。片付けろ。ああ、あとこの老人の末路を教えて施設の人間に協力させろ。拒否する奴が居たら撃て。撃ちたくなければ私の前に連れてこい。……ああ、誰かミュラー中佐を医務室へ」

 

 コーゼル大佐は淡々と指示を出しながら部屋を出ようとする。そこにフェルディナントが倒れ込んで額を抑えながらも声をかけた。

 

「殺す必要は無かった!」

「殺さない必要も無かった」

「刑吏が居なくなるだろう!」

「全身ホロでも使えば良いだけの話だ。ライヒハートの姿で死刑を執行すれば、細かい形式が整ってなくても大衆は納得する」

「無茶苦茶だ!そんなの映像を解析されたら……」

 

 掠れ気味のミュラーの声を無視し、コーゼルは部屋を後にする。彼には多くの仕事がある。お人よしのボンクラ――あくまでコーゼルの主観では――の相手をしている暇はなかった。

 

「……あの老人は、皇帝陛下の命とあらば喜んで俺や母の命も奪ったんだろうな」

 

 コーゼルは冷たい声色で誰ともなしにそう呟く。第二次ティアマト会戦の戦犯、ヴァルター・コーゼル。コーゼルが戦死した以上、誰かが代わりに責を負う必要がある。遺族は帝前法廷で裁き、処刑するべきだ……。かつてそんな声が貴族階級の一部から挙がっていた。

 

「それが公正だ、と胸を張って……!」

 

 平坦だった声色が少し震える。父を、母を、自分を愚弄した者達の顔が次々と浮かんでくる。全ての顔に悪意が刻まれてはいなかった。だが自分の言動への絶対的な自信、正義に対する確信は全ての顔に浮かんでいた。あの老人と同じように。殺される側、迫害を受ける側の気持ちを僅かでも思えば、そのような顔は出来ないだろうに。

 

 ……シュタイエルマルクの擁護があり、結局コーゼル一族が帝前法廷で裁かれることは無かった。いや、仮にシュタイエルマルクの擁護が無くても、流石に帝前法廷まで持ち出してコーゼル一族が血祭に挙げられることは無かっただろう。コーゼル本人ならともかくその遺族程度(・・)を処罰するとなると、それはそれで帝前法廷とライヒハートの格式を貶めることになる。

 

 コーゼルは突然フッと笑う。

 

「……俺もあの老人を撃つときは同じ顔をしていたんだろうな。あの老人と縋る物が違うだけだ」

 

 コーゼルは胸元の白薔薇のブローチに目線をやり……そして軍服のポケットから取り出した円形のレリーフにそれを移した。馬鹿な事をしていると言われるかもしれない。だが誰もが隣人の痛みに思いを馳せることが出来る世界がその先に待つのであれば、自分はこの独善の道を進まなくてはならない。独善を厭う者はどこにも辿り着けない。今まさに、ライヘンバッハ伯爵は独善を厭い道を閉ざされつつある。自分は道を歩む。歩まなければならない。脳裏によぎるのは、幼少期に聴いた司祭の説法だ。

 

『我々はどこから来たのか?何者であるのか?どこへと向かうのか?一緒に考えてみよう。どこから?「我々は地球から来た」何者?「我々は地球人だ」どこへ?……そう、貴方は気づいたはずだ。三つ目の問いに答える言葉を人類は持たないことを。……一つの星で血を分けた我等兄弟が何故殺し合う必要があるのだろうか?その問いに対する答えがそこにある。我々は向かうべき場所を定めることなく航海へと乗り出し、そして拠るべき大地を見失った。だから争いが生まれた。皆が皆、違う方向を向いて進もうとしたから。……もう一度やり直そう。我々は分かり合える。長き断絶は確かに存在する。だが我々はそれよりさらに長き友好と繁栄の歴史を共有している。そう、我等の母なる大地の中で。より良い未来を再構築する為に、もう一度自分たちを再定義しよう。難しい事は必要ない。『我々は地球人だ!(We are Mankind)』胸を張ってそう言うだけで良い。全ての一歩は我等の隣人が我等の兄弟だと気づくことから始まる。そして皆で母なる大地へ還ろう。そこからまた、航海を始めよう……』

 

 帝都を追い出され、各地を迫害された彼の一族は最終的に旧ティターノ星系共和国(レプッブリカ・ディ・ティターノ)首都マーニ=プリーテへと辿り着いた。銀河の掃きだめ、裏社会のフェザーン、人でなしの終着点、ファルストロングのゴミ箱……不名誉な仇名で彩られたこの背徳の都で過ごした彼が荒むことなく真人間として軍人になれたのは一重にその司祭とハウザー・フォン・シュタイエルマルクの御蔭だったといえよう。

 

「……地球は故郷。地球を我が手に。兄弟よ……母なる地球が我等を導かん」

 

 

 

 

 

 

「軍務政務官リヒテンベルク地上軍大将、同バイガロファー宇宙軍大将、尚書官房長ツィーテン宇宙軍中将……国防政策局運用政策課長レーデ=アルレンシュタイン宇宙軍少将、尚書官房総務課長補佐カイト宇宙軍准将。以上一七名の拘束に成功。しかしながら高等参事官コート=クヴィスリング宇宙軍大将……情報監査局次長代理アルバラード地上軍准将。以上八名の所在は不明」

「官房審議官ノルデルヴェルデン=フェーデル地上軍少将、情報本部長クルーゼンシュテルン宇宙軍大将は自邸に籠り出頭を拒否、後備戦略局長ゲッフェル地上軍中将はオーディン第一空港で拘束、高等参事官補ヴァイマール宇宙軍中将と国防政策局調査第二課長タルティーニ地上軍准将は帝都を脱出した模様」

「自決を図った国防政策局長ヘルネ=ライヘンバッハ宇宙軍中将と官房参事官カウフマン宇宙軍准将はジークリンデ皇后恩賜病院に搬送しました」

 

 軍務省で部下からの報告を聞くマルセル・フォン・シュトローゼマン宇宙軍准将の顔は険しい。『予備計画』……アルベルト・フォン・ライヘンバッハとクルト・フォン・シュタイエルマルクによって企てられた『粛軍計画』の肝は初動にある。帯剣貴族集団全体が共謀した『帝都防衛第一四号行動計画(クーデター計画)』に便乗する形で粛軍派を構成する身分の低い中堅将校を軍の各所に送り込み、さらに同行動計画を乗っ取る形で軍高官の大半を拘束する。大抵のクーデター計画と同じく、『帝都防衛第一四号行動計画』も兵士たちには詳細が説明されることは無い。兵士たちはただ高官たちの『命令』に従って動くだけだ。だからどこかの段階で『命令』の中身をすり替えてしまえば、本来帯剣貴族集団に味方し領地貴族諸侯を拘束するはずだった兵士たちを逆に帯剣貴族集団の排除に用いることが出来る。

 

「第一次拘束措置対象者から最低でも一〇名を取り逃がした。多いと見るべきか少ないと見るべきか……。殆ど血を流さないでこの結果なら上出来か。他の方面はどうなっている?」

「それが……」

「どうした?」

 

 シュトローゼマンは怪訝そうに部下達に向き直る。部下達は一斉に一人の初老の男に目線を集めた。初老の男、シュトローゼマンの部隊の参謀長のような立ち位置であるシンドラー少佐は少し青い顔で報告する。

 

「統帥本部や地上軍総監部、国営通信社や国防臣民会本部ビルの制圧に向かった部隊と連絡が途絶しました」

「何故それを早くに報告しない!それはつまり我等に抵抗する勢力が存在するという事ではないか!」

 

 シュトローゼマンは血相を変えて立ち上がる。怒鳴りつけられたシンドラーは恐縮するが、それでもおずおずと理由を述べた。

 

「申し訳ございません!……しかし、どうやらこれらの部隊は連絡こそ途絶しているものの、なおも健在であり、目標の制圧にも成功しているようなのです……」

「何?」

「間違いない情報です。……少なくとも統帥本部については。国営通信社や皇室宮殿(パラスト・ローヤル)も確認できています」

「馬鹿を言うな。ならば何故こちらに報告を寄越さないのだ?」

「分かりません。小官は各制圧部隊に所属している知人たちに部隊の現状を確認しました。ですが、彼等の大半は粛軍計画を知りません。彼等はそもそも何故統帥本部や国営通信社を制圧しているのかも知りません。まして、制圧部隊が我々への報告を怠っている理由など……」

 

 険しい表情のままシュトローゼマンは考え込んだ。

 

「……直接人を向かわせて調べさせよう」

「既に手配しています」

「手回しが良いな。シンドラー少佐、流石に貴官は優秀だ」

 

 皮肉を込めてシュトローゼマンは部下であるシンドラー少佐を労った。それを感じたシンドラーは目線を逸らす。彼は優秀ではあったが、誤りを極度に恐れる悪癖があった。『悪癖』と評したのはつまり、誤りを恐れる余りに上官に確実な情報しか伝えず、確度の低い情報は上官の判断に悪影響を及ぼさないようにギリギリまで伝えない傾向にあるからである。裏を返せばそれだけ自身の職務に責任を負っているという事でもあり、実際情報の確度を上げるための行動は惜しまない男ではあるが、参謀役としては問題のある男でもある。

 

「……申し訳ありません」

「長い付き合いだ。貴官がこういう局面に向いていないことは分かっている。それでも側に置いているのは私だ。今更責めんさ」

 

 シュトローゼマンは嘆息しながらそう言う。粛軍計画の実働部隊には大きく分けて五名の指揮官が居る。シュトローゼマンはその中で最も重要な部隊を私から委ねられた。能力面でもっと相応しい者は居たが、最も信頼できるのはシュトローゼマンであった。そしてシュトローゼマンも同じ理由で自身の補佐役にシンドラーを選んだ。『悪癖』を考慮してもシンドラーの高い責任感と報告の正確性、そして何よりも捕虜生活を共にした部下であるという事実はシュトローゼマンがシンドラーを選ぶのに十分な理由であった。

 

「となると派遣した者達の報告を待つしかないな」

「……派遣した者達ともつい先ほど連絡が途絶しました」

 

 シュトローゼマンの顔が紅潮する。シュトローゼマンは自身の激情を何とか押さえつけ、やっとのことで口を開いた。

 

「……分かったシンドラー、貴官の実績を信じる。貴官はたった一度を除いて本当に手遅れになる前に報告をあげてきた。このどうしようもない苛立ちは全てが終わった後に行き先を決めよう。ああ、報告の遅い貴官にか、焦燥を隠し切れなかった自分にかだ」

 

 ちなみに手遅れの一度は捕虜になった際だという。『次に手遅れだった時も捕虜で済む保証は無いが、それで済めば俺がこいつを殺してやろう』……シュトローゼマンはそう思った。元来気が短い男である。結論から言うと、シンドラーがシュトローゼマンに殺されることは無かった。ただし手遅れでもあった。にも関わらず、シンドラーがシュトローゼマンに殺されなかったのは、この不穏な事態の原因がシンドラーの報告の遅さ以外の所にあり、その責任の一端をシュトローゼマンも担っていたからだ。この時点では知らぬ事ではあるが。

 

 焦れたシュトローゼマンが手近の粛軍派部隊――近衛兵総監部を制圧に向かった部隊。大半の軍機関がメルクリウス市にある中、近衛兵総監部は軍務省のある官庁街に程近い場所にある――に直接乗り込もうとしたとき、帝国軍の最高機密にあたる秘匿回線の一つを通じて通信が入った。

 

『シュトローゼマン准将閣下。御無事そうで何よりです。貴官は第二部隊を掌握されていますか?』

 

 制圧部隊は役割と担当地域によって五つに分けられている。第一部隊はシュターデンが実質的に指揮する赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍であり、これは統帥本部や地上軍総監部といった軍中枢施設が置かれるメルクリウス市を抑える。第二部隊はシュトローゼマンが指揮する帝都防衛軍と憲兵隊の改革派混成部隊であり、帝都中心部、特に軍務省を含む官庁街とメディア施設を中心に抑える。第三部隊はバルヒェットが指揮する旧ブラウンシュヴァイク派と宇宙艦隊総司令部隷下陸戦部隊の混成部隊であり、大貴族の私邸が置かれるビューダリッヒ地区を抑える。第四部隊はカールスバートが指揮するカールスバート伯爵家の私兵部隊であり、国防諮問会議の開かれているリントシュタット宮殿を抑える。第五部隊はツァイラーが指揮する第四機動軍であり、帝都近郊の空港・宇宙港・主要幹線道路・通信施設といった各種インフラを抑える。

 

 この五つの部隊の内、粛軍派が完全に掌握しているのは第二・第四部隊のみだ。第一・第三・第五部隊は粛軍派が主導権を握っているが、幹部の中には粛軍計画を知らず、帯剣貴族のクーデター計画のみを知る者も少なくない。また、末端はどちらの詳細も知らない。故に、この第一・第三・第五部隊は迅速に目標を制圧すると共に、部隊内部に存在する非粛軍派将校の身柄を拘束している。

 

 五つの部隊が奇襲によって目標を制圧すると同時に、メクリンゲン=ライヘンバッハら私の粛軍計画に賛同した将官が率いる部隊でも非粛軍派将校の粛清が、逆に非粛軍派将校が指揮官を務める一部の部隊(第一〇軍集団や第七機動軍等)では粛軍派中堅将校による指揮権奪取が敢行された。これが終わり次第、メクリンゲン=ライヘンバッハの中央軍集団などが第二陣として制圧部隊に合流したり、あるいは抵抗する部隊の制圧に向かったりする予定だ。

 

「バルヒェット大佐……。部隊はほぼ掌握している。制圧目標もだ。その問いかけはどういう意味だ?」

『小官は指揮権を剥奪されました。ヴァーゲンザイル少佐が現在ビューダリッヒ制圧部隊を指揮しています』

「何!?」

『ヴァーゲンザイル……あの愚か者とグレーザー中尉の一派が組んで小官から指揮権を奪いました。……面目次第もございません』

 

 バルヒェットは真底悔しそうに歯噛みしながらそう言う。グレーザー中尉の一派とはバルヒェットから事前に報告を受けていた『多分に好戦的な平民共』『物を知らぬ不穏分子』の事だ。シュトローゼマンは表面上平静を保ちながらも動揺する。ハッキリ言ってしまえばバルヒェットの報告など微塵も気にしていなかった。貴族的な平民蔑視の感情からくる悪印象、もっと言えば讒言や愚痴の類とすら思っていた。

 

 ……責めることは出来まい。バルヒェットを知る人間なら誰だってそう思う。私だってそう思う。

 

「貴官は今どこにいる?連絡できる程度には自由の身なのだろう?詳しい話を聞きたい。軍務省まで来れるか?」

『……場所についてはご容赦を。閣下もご存知の傍観者が手をまわして小官を匿っています。ええ、閣下の思い浮かべた通りの男です。素知らぬ顔で小官の部隊に鼠を潜ませていました。本当に腹立たしい男です。……軍務省には向かえますが、オストガロアの方へ向かおうと思います』

「オストガロア?シュターデン少将の所へ向かうのか」

『ヴァーゲンザイルはゾンネンフェルス中将の命令書を盾に小官を拘束しました。グレーザーはともかくヴァーゲンザイルは……愚かではありますが、馬鹿ではありません。小官の指揮権を奪うような大それたこと、一人で決断出来る男ではありませんし、そもそもそんなことをする理由がありません。ですから、ゾンネンフェルス中将かどうかは分かりませんが誰かがヴァーゲンザイルに小官から指揮権・部隊・拘束した諸侯の身柄を奪わせたはずです』

「しかし……もしゾンネンフェルス中将が貴官から指揮権を奪わせたのであれば、シュターデン少将も一枚噛んでいるかもしれんぞ」

『それを小官の身で確かめます。ゾンネンフェルス中将がヴァーゲンザイルに渡した命令書の真贋、シュターデン少将がこのことを知っているか否か、二人が小官から指揮権を剥奪したとしてその目的は何か。直に問いただしましょう。……小官からの連絡が途絶えた時は閣下からライヘンバッハ大将閣下にお伝えください。ゾンネンフェルス中将とシュターデン少将が不穏な動きをしていると。そして、バルヒェットが身命を賭してそれを確認したと』

 

 バルヒェットは決意を湛えた目でシュトローゼマンを見つめる。

 

「……分かった。無理はするな。意外に思うかもしれんが……俺はお前の事がそんなに嫌いじゃない。お前はブラウンシュヴァイク一門なんかに生まれたせいで馬鹿に育ったが、それにしてみると意外に骨のある男だ。人は生まれを選べない。お前は不幸な生い立ちにしては頑張ってるよ」

『……相変わらずの物言いだな。貴様を慕う第一八班の連中は頭がおかしいんじゃないか?』

「その頭がおかしい奴に命を拾われたお前は何だろうな?」

 

 シュトローゼマンは分かりやすく嘲りの笑みを浮かべながらラムスドルフを煽る。

 

『……バルヒェット伯爵家が再興した日には自分の首を心配しておけ』

「そんな日は来ないさ。断言しても良いがな。お前もそっちの方が幸せだろうよ。没落貴族の方が名門貴族よりも生きやすい時代が来る」

 

 バルヒェットは舌打ちをしてシュトローゼマンを睨みつけながらキッチリとした敬礼を決め、シュトローゼマンの答礼を確認できたかどうかも怪しい勢いで通信を切った。シュトローゼマンは肩を竦める。きっとバルヒェットは暗転した通信画面に唾でも吐きかけていることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『帝国臣民諸君に告ぐ。私はアルベルト・フォン・ライヘンバッハ。皇帝陛下から伯爵位と宇宙軍大将の階級を授かり、赤色胸甲騎兵艦隊司令官の職を任されている者である。臣民諸君、特に帝都に暮らす者達は、先頃から街を闊歩する兵士の姿を見て困惑と不安を抱いている事と思う。……安心して欲しい。彼等は皆皇帝陛下への忠義を果たすべく行動している。皇帝陛下の大切な臣民に危害を加えることは絶対に有りえない。彼等は皇帝陛下と宰相皇太子殿下、そして皇帝陛下と宰相皇太子殿下から戒厳司令官に任じられた私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハの命で、皇帝陛下と宰相皇太子殿下、国家に弓引く逆賊達を討ち果たすべく行動している』

 

『逆賊とは誰か?軍の長老たるコルネリアス・カルウィナー=ライヘンバッハ、ヨーゼフ・リブニッツらと現役軍人であるカール・ベルトルト・カルウィナー=ライヘンバッハ、オイゲン・ヨッフム・フォン・シュティール、テオドール・オッペンハイマー、ランドルフ・アスペルマイヤーらである。彼等は皆、帝国軍の最高指導者にあたる。……彼等は自らの権力と財産の為に皇帝陛下の軍隊を動かし、自らが国政を壟断するにあたっての障害となる皇帝陛下の忠臣達を排そうと画策していた。私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハは諸君等も知っての通り、彼等とは浅くない関係にある。当然のことながら、私は再三にわたって彼等を翻意させようと試みたが、その努力は実を結ばなかった』

 

『本日、帝国暦四七一年一二月一二日。宰相皇太子殿下の命で各界の名士がリントシュタット宮殿に集まった。逆賊達は愚かにもその場で宰相皇太子殿下を欺瞞し、その御前で政敵を討たんとした。しかし、流石は英明なる宰相皇太子殿下。逆賊達の口車に乗ることは無く、毅然とした態度で逆賊達を叱りつけた。すると逆賊達はあろうことか皇帝陛下の軍を動かし、皇帝陛下と宰相皇太子殿下を害しその野望を果たそうとした。……私は皇帝陛下と宰相皇太子殿下を守るべく、実力を以って立ち上がった。宰相皇太子殿下は私を戒厳司令官に任じられた。逆賊を全て討ち果たし、帝国に安寧を齎し、そして帝国軍から全ての膿を出し切り、有るべく秩序を回復するようにと仰せられた。軍部良識派の両翼と名高いシュタイエルマルク、ゾンネンフェルス両退役元帥は即座に私への助力を約束してくださった。クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将やフリードリヒ・フォン・ノームブルク宇宙軍大将は一早く私の下に馳せ参じ、共に闘うことを誓ってくれた』

 

『諸君、今更私が説明する必要も無く分かっているだろうが、今この国は存亡の危機に瀕している。イゼルローン回廊を見よ!叛乱軍が巨大な要塞を築き、エルザス=ロートリンゲンを常に脅かしている。エルザス=ロートリンゲンを見よ!先の戦役は忠勇なる帝国軍兵士の献身と、皇太子殿下の導きによって我等帝国臣民の(・・・・・・・)勝利に終わったが、一時的に叛乱軍の魔の手に堕ちたフォルゲン、ノルトライン、リューベックは荒れ果て、貧困に喘いでいる。ブラウンシュヴァイクを見よ!悪辣で強欲な腐敗諸侯は皇帝陛下の敵に堕ち果ててなお、微塵も自らを省みようとしない。多くの同胞が盗賊と虐殺者の支配に苦しんでいる。ノイケルンを見よ!盗賊と虐殺者を追い出すまでは良かった。彼等は正しい行いをした、彼等はその瞬間、全臣民の模範であった。……しかし彼等は血に濡れた誤った共和主義を掲げ、信ずる心を失った。人々は恐怖に支配された。同胞を、隣人を信じられず、団結を叫びながら殺し合い、憎みあっている。ザールラント!流星旗軍!城内平和同盟(ブルク・フリーデン)!ズィーリオス!……国家は崩壊しつつある。その原因は?国家に巣食う寄生虫と……そこから目を逸らし続けた私たちであり、君たちだ』

 

『諸君!闘おう!闘うのだ!苦難を討ち滅ぼす時が来た!皇帝陛下の下に、皇太子殿下の下に団結するのだ!陛下は、殿下は、諸君の忠誠を欲している!君たちが立ち上がる時が来たのだ!……良き貴族は主役である君たちを導き、援けてきた。君たちが自分の足で歩く必要はなかった。諸君の中にはその歴史を知るものも居るかもしれない。だから私が教えよう。今は違う。そんな貴族は最早一握りだ。君たちは君たちの力で立ち上がらなければならない。……怖いはずだ。迷うはずだ。だからせめて、良き貴族足らんとする私は武器を取ろう。勇気ある君たちの剣として敵に打ちかかり、誠実なる君たちの盾として敵を受け止めよう。だから臣民よ、自らの向かうべき場所が分からぬ者は私の背中を追え!そして私の言葉を聞く正しく高貴なる貴族達よ。武器を取り、臣民を先導するのだ。私と共に、貴族が貴族たる理由を再び臣民と皇帝陛下に示そうではないか。皇帝陛下万歳!帝国に栄光を!……臣民に勝利あれ!』

 

 広い銀河の星々で、人々は互いに顔を見合わせる。……ブラッケの人々は冷笑を浮かべた。なるほど、晴眼伯の名は伊達では無い。このような内容の演説を行える貴族は帝国広しと言えど、彼一人であろう。とはいっても所詮、政変に関連した扇動でしかない。ブラウンシュヴァイクの人々は虚ろな顔のまま再び労働に戻る。絶望に囚われた心を再動させるのは理想家の綺麗事ではなく大量の食糧と適切な休息だろう。クロプシュトックの人々は熱狂した。彼等は自らが最も忠実な臣民と自負している。どんな演説だろうが、忠誠を求められれば喜んで答えるだろう。まして画面に映るのは『同胞』であるライヘンバッハ伯爵。彼等にとって内容は重要ではなかった。リューベックでは誰も演説を聞いていなかった。彼等は余所者の言葉を聞くまでも無く、自分の足で立ち、歩んでいた。

 

 私のメッセージを正しく受け取り、立ち上がる地域も無かったわけではない。例えばフォルゲン、例えばカストロプ、例えばバルヒェット、例えばランズベルク、例えばリヒテンシュタイン、例えばエッシェンバッハ、例えばヴェスターラント。これらの地域に共通して救国革命期やその後の統合戦争期に活躍する指導者が存在したことは特筆すべきことだろう。私が人々を扇動しただけでは無く、それを糧に民衆を啓蒙し先導する誰かが居なければならなかった。私の演説に好意的な態度を示した地域は帝国の中で少数派であった。しかしリヒテンラーデ侯爵の言葉を借りれば、「決して無視しえない少数派」であり、私の演説は「大帝陛下の治療を掻い潜って潜伏していた『考え、話し、主張する民衆』という病理が制度の腐敗に助けられ、どれほど多くの地域に転移していたかが分かった瞬間」であっただろう。……しかしながら、大半の地域は私の演説から何の影響も受けなかった。それらの地域の民衆は一様に困惑か無関心の表情を浮かべ、日常に戻ろうとした。

 

 ……それで良かった。粛軍の過程で「決して無視しえない少数派」の存在が表面化したのは充分な結果だ。長年の潜伏と闘争でセクト化・テロ組織化している共和派、政財界のインテリ集団である開明派、それとは全く別系統の民衆レベルでの改革支持派が逆賊を討つという大義名分の下公然化したことは、改革を進める上で大きな進展だった。本当に、それで良かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白薔薇を身に着けた大柄の男が、散々に痛めつけられた軍服の男に対し口を開く。

 

『これより、叛逆者への判決を言い渡す』

 

 私の演説が流れてからおよそ一時間後。突如として帝国中に流された映像は、私の演説の何十倍、何百倍もの衝撃を人々に与えた。

 

 そして、状況は、私の手を離れた。……離れて、しまった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。