アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝   作:富川

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壮年期・帝星擾乱(宇宙暦780年12月31日~宇宙暦781年1月4日)

「知らない天井……ではないな」

 

 皇宮警察本部本庁舎地下三階、高級将校の居住区画。私はタンクベットからその身を起こす。無駄に広いこの部屋はタンクベットによる休養でしか使わない。恐らく一度も使われないだろう職人仕立ての調度品。豪華なだけで何の意味も持たない装飾。銀河帝国特有の光景だろう。自由惑星同盟の仮眠室ならばもっと機能的で無駄を排している筈だ。

 

「……」

 

 端末を見て時間を確認する。オーディン標準時で朝六時。設定通り、二時間で起床できたようだ。私は昨日脱ぎ捨てた軍服に再び身を包む。通常時ならば従卒に清潔な軍服を用意させる所だが、今はその時間も惜しい。

 

 私はタンクベット使用時特有の偏頭痛――稀に起こる症状だが、私は元々ストレスが偏頭痛に直結する人間であり、従ってタンクベット使用時にこの症状を起こしやすかった――に顔を顰め、軽く頭を振りながら部屋を出る。

 

 やや薄暗い仮眠室と違って通路は光で満たされている。一瞬眩しさに顔を顰め……そして視界に入った男の顔を見て幾分かの気まずさを覚える。

 

「埃っぽくて息苦しくて気に入らない街だ。君は昔、そんなことを言ってたな」

 

 ……部屋の前ではクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍上級大将が待っていた。チューブ状の軍用レーションを口にしている。私に同様のモノを投げて寄越し、彼は私に話しかけた。

 

「……ああ」

「今はどんな気分だ?少しは清々したかい?」

「まさか」

 

 私は不機嫌さを隠さず首を振る。そしてレーションを口に運び、その強引な味――如何にも化学調味料で強引に食べれる味に纏めました、という味――にゲンナリする。こんなものを好むクルトは本当に味覚が可笑しい。高級軍人が美味いモノを食べたって良いではないか。質素にしてれば戦争に勝てるという話でもあるまいに。

 

「『気に入らない』という理由だけで住民の生活と歴史への敬意を蔑ろにするものか。……最低の気分さ」

「そうかい」

 

 私はクルトと並んで司令室へと歩き出す。……完全に不意を突かれた。帝都西部は反粛軍派改め軍国派叛乱軍の手に堕ちた。帝都北部は敵味方の兵力二万が入り乱れ指揮統制もままならぬまま建物一つ一つを奪い合う混戦状態となった。帝都南部は業火に包まれつつあり、帝都東部も一進一退の攻防が続く。帝都は戦場となった。

 

「僕は意地が悪いから君をしっかりと刺す。この惨状は君の失敗が招いたことだ。反粛軍派……いやもう軍国派か。連中が体制を整えるまで君が手をこまねいてたからこうなった」

「……その通りだ」

「そして僕の責任でもある。一番大切な時、僕は無様にも病院のベットの上に居た。白薔薇なんて連中の暴走を許し、君にも迷惑をかけた」

「その通りだ」

 

 クルトは淡々とした口調だ。「どうすれば成功だったのか」こうなった今でも私には分からない。だが失敗したことは事実である。私は胸の内に苦いモノが広がっていくことを自覚しながらクルトの言葉を肯定する。

 

「だから『最悪』は避けようじゃないか」

「分かってる。向こうは賽を投げたんだ。……私たちももう進むしかないさ」

「よし」

 

 横を歩くクルトは私に左手を差し出した。掌を上に向けている。和解の握手、とでも言えば良いだろうか。我々は互いに寝首を搔こうという邪な考えを抱いていた。考えを捨てる、その意思表示としてクルトは左手を出したのだろう。

 

「……」

 

 私は前を向いて歩みを止めぬまま、クルトの左手を自分の右手でしっかりと握り、そして離した。

 

「やろう」

「……ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が仮眠についた午前四時、戦線の間隙を縫って戒厳司令部には三人の将官が招集された。線の細い額縁眼鏡の青年は幕僚総監部高等参事官クリストフ・フォン・バルトゥング地上軍大将、小太りで豊かな髭を蓄えた目つきの悪い壮年は教育総監部防空戦監エーリッヒ・シュトラスマン地上軍小将、大柄ながらも青褪めた表情の壮年はミズガルズ防衛軍ケーニヒスベルク州防衛部長ラルフ・ニコラウス・フォン・ラデツキー地上軍准将。

 

 彼等に共通しているのは地上軍の門閥からも主流派閥からも縁遠く、従っておおよそ出世コースとは言えない地位にあり、しかし叩き上げの実戦派で本来ならば軍集団を任されても不思議ではない実力の持ち主である、ということだ。ルーゲンドルフを初めとする帯剣貴族家や地上軍の軍閥が花形と言われるポジションを独占したために割を食っている人間、ともいえる。元々粛軍後の人事リストに名を連ねていた彼等を戒厳司令部の地上戦対応能力向上のために招集したのだ。

 

 現在戒厳司令部には地上戦の専門家が居ない。アルトドルファー元帥は前線を張って昇進してきた人間ではないし、実戦派の地上軍人は現在それぞれの指揮部隊を率いて激戦の渦中にある。今更感のある話ではあるが、戒厳司令部には地上戦の専門家が必要だった。

 

 彼等を中心として新たな防衛戦略が練り直されてた。戒厳司令部に戻った私とクルトに、彼等はさっそくその戦略を進言してきた。

 

「防衛ラインは西をモルダウ川、北を中央環状線に設定しましょう。まずはそこよりも中心部側に侵入してきている軍国派部隊を駆逐します」

「そこまで下げるのか!?」

「防衛ラインより外側の部隊はそのまま戦線の維持、現有地点の防衛に徹してもらいます。防衛ラインに集めるのは主に中央軍集団第一野戦軍第二歩兵師団です」

「帝都南方に展開していた第二歩兵師団は奇襲による混乱も無く司令部、戦力共に健在です。現在は消防に代わって消火活動と避難誘導に当たっていますが、官僚と公僕にそろそろ本来の仕事に戻ってもらいましょう。第二歩兵師団を主軸に軍国派の突出部隊を包囲殲滅。防衛ラインを段階的に押し上げます」

 

 メインスクリーンには戦術状況図が示されている。友軍を示す青色と軍国派を示す紫色が入り乱れている。全ての戦況を把握できている訳では無いが、こうしてみると敵軍が各部隊の分断と包囲を見事に成功させていることが分かる。

 

「それでは前線部隊を見捨てることになる。敵を押し返すまで持ちこたえられない」

「いいえ、持ちこたえることは可能です。確かに、現状軍国派は非常に巧妙に粛軍派部隊を分断し、包囲しています。……しかし小勢の軍国派に我の前線兵力を殲滅することは不可能です。少なくとも短時間では。軍国派には予備戦力がありません。戦略レベルで見た場合、包囲されているのは軍国派ですから……ラデツキー」

「……前線部隊は街区ごとで再編します。各街区において最も高い階級にある指揮官を臨時戦闘団団長に任じてその街区における全権を委ねます」

「とはいっても、連絡の取れない指揮官や、孤立している指揮官も相当数存在します。戒厳司令部と連携が取れている指揮官を積極的に戦時昇進させ、戦闘団の指揮に当たらせます。繰り返しますが、彼等には現在の戦線の維持と拠点の防衛に注力させます。それだけで小勢の軍国派には大きな負担となります。包囲の解除や周辺部隊との合流を試みることは推奨しません」

「防衛ラインの外にいる部隊は、本来の指揮系統の立て直しを諦めるという事かね?」

「そう言っても間違いはないでしょう。特に帝都北部では戦線が入り乱れて各部隊が独自の判断で戦闘を行っている状態です。帝都西部もオーディン文理科大学失陥を防ぐ為に動かせる部隊を臨時戦闘団として投入しました。はっきり言ってしまえばこれは現状の追認です」

 

 バルトゥング大将の説明に戒厳司令部の高官たちは難色を示す。バルトゥング大将が言っている事は、現場に丸投げするということでもある。簡単に頷ける提案ではない。しかし一方でこうも乱戦となってしまえば最早本来の指揮系統へ立て直すのが至難の業であるのも事実であった。

 

「各上位司令部にとっては不愉快な話じゃな」

「そうですかね?彼等にとって一番不愉快な話は、帝都の戦いにおける敗将として歴史に名を刻むことでしょう。少なくとも我が曾祖父ならばそう考えますよ、アルトドルファー元帥閣下」

「む……」

 

 バルトゥング大将らの提案を受け容れれば上位司令部は役割を失う事になるだろう。アルトドルファー元帥は一時的な話とはいえ隷下部隊の指揮権を失う形になる上位司令官たちの気持ちを慮った。しかしバルトゥング大将はその懸念を一蹴する。

 

「ライヘンバッハ上級大将閣下。御決断ください」

 

 私はホログラムで出席するメクリンゲン=ライヘンバッハ上級大将に目線を向ける。メクリンゲン=ライヘンバッハ上級大将は頷いて答えた。

 

『中央軍集団司令官としては異存ありません。我が軍集団は東部戦線及びゲルマニア州の掃討作戦を抱えています。帝都に展開中の二個師団及び、郊外に待機中の二個師団については指揮権を戒厳司令部に移管します』

「敵軍はかなり無茶な博打をしています。中央大陸(ミズガルズ)南部は粛軍派が完全に抑えており、その中心にたった(・・・)数万で攻撃を仕掛けるのは無謀です。持ち込んだ物資が尽きるか、将兵の疲弊が限界を迎えるまでに新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)官庁街(ウィルヘルム街)を制圧できなければ奴等は終わりです。今は前線を維持する事だけ考えましょう」

 

 ラデツキー准将の言葉は正しい。軍国派叛乱軍は帝都を戦場にした。皇帝の居所に向け野砲を撃ちこんだ。政治的には有り得ない……非常識と言って良い一手だ。軍国派の正統性は地に落ちた。粛軍派がライヒハートで帯剣貴族を処刑したことすら最早さしたる問題ではない。彼等は皇帝陛下に弓を引いたのだ。

 

 時間は粛軍派に味方するだろう。連座制によって退路を断たれ、止むを得ず軍国派に付く貴族将校は居るだろうが、それより遥かに多くの将兵が粛軍派の味方に着く筈だ。最早、戒厳司令部の正当性に異を唱えられる段階は過ぎたといって良い。軍国派が明確に『叛乱軍』となった今、これ以上『中立』を標榜することは叛逆者の汚名を被るリスクがある。

 

「……分かった。卿等の提案を採用する。健在な前線指揮官を中心に部隊を再編し、前線を死守させる。反攻は第二歩兵師団の配置を待つ。帝都に攻め入った軍国派が攻勢限界に達した後、時間を掛けて行うこととする。それまでは皇室の方々の警護を万全にしろ。奴等はきっと皇帝陛下初め皇族を狙う筈だ」

 

 軍国派はここまでの事をした以上、何としても帝都……というより皇帝陛下を抑えたい筈だ。皇帝陛下さえ粛軍派から奪えば、その瞬間に正規軍と叛乱軍の立場は逆転する。あるいは皇帝陛下ではなく、宰相皇太子殿下か次官皇子殿下を奪取しようとするかもしれない。「皇帝陛下は粛軍派によって脅されている」「皇帝陛下を救出するのだ」宰相皇太子殿下や次官皇子殿下がそう言えば、軍国派叛乱軍も最低限の正当性を主張できる。

 

「宜しいのですかな?それは叛徒共が帝都を踏み荒らす姿を黙って見ているということでしょう」

「……今は守勢に回るべき時さ。宇宙の戦いも地上の戦いも基本は変わらない。攻めるべき時と守るべき時を見誤って勝てた戦いが戦史上あるというのならお聞きしたいものだ」

 

 クルトも私の判断を支持する。こうして帝都の戦いにおける基本方針が決まった。軍国派叛乱軍帝都侵攻部隊の攻勢限界まで前線を維持する。皇室と重要拠点を死守する。この方針の下、各街区の部隊は臨時戦闘団として再編された。指揮系統の混乱が収まった訳ではないが、ひとまず各前線指揮官と兵士は持ち場を死守する事に集中できるようになった。帝都の戦いは膠着状態――地図の上では、の話だが。実際の所各戦線では血で血を洗う戦いが続いている――に陥った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戒厳司令部が部隊再編の拠点としている皇居西苑は喧騒に包まれていた。片輪が外れかけたトラックの隣で兵士たちが不安そうに立ち竦んでいる。木々の合間にいくつものテントが乱雑に立っている。管理事務所には赤十字の旗が掲げられ周囲は負傷者で溢れ返っている。大帝像の前で整列する野戦服を汚した兵士たちの部隊章はバラバラだ。

 

「どけどけ!邪魔だ!」

「各部隊指揮官は不足している弾薬量を申告するように!」

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の方面から装甲車とトラックが列を為す。近衛軍の装備を引きずり出してきたようだ。

 

「貴様等はどこの所属だ!」

「エ、エルベ街のの生き残りです!所属は第一歩兵師団第五歩兵大隊第四中隊第二小隊であります!」

「結構、手足は無事に付いてるな!グラッセ臨時中隊へようこそ!」

「は、は?」

 

 右を見ると途方に暮れた様子の下士官と兵士の一団を肩に紺色の布を巻いた年若い将校が強引に自分の指揮下に収めている。所属ばかりか装備も雑多な集団が将校の後ろに続いており、その数は中隊というには少ない。

 

「ここにある歩兵携行対戦車砲(シュトルムファウスト)を持っていくぞ!」

「待ってくれ!うちの中隊長に確認を……」

「そいつはどこにいる?まだ生きてるのか?」

 

 左を見ると装備を巡って第一野戦軍の部隊章を付けた下士官と帝都防衛軍の部隊章を付けた将校が言い争っている。

 

「原隊復帰の必要はないそうだ。手近の紺布に従えとさ」

「無茶苦茶だ!この状態で戦えと!?」

「これはもう軍の体裁を為して無いんじゃないか……」

「まあな。とはいえいつまでもへばってる訳にはいかねぇさ。連中もうモルダウ川を渡ってるらしいぜ」

「そりゃ不味いだろ……もう目と鼻の先じゃねぇか」

 

 疲れ切った様子の兵士たちが私とすれ違う。濃厚な血の香りが彼等が潜り抜けてきた激戦を私に伝えてくる。

 

「よし!良い子だ……」

「信じられん……直せるのか」

「貴重な装甲車だ。ちょっとショートしたくらいで見切るのは勿体無ぇよ」

「第二〇六整備大隊……ちょっといいか!ヨースター中隊長を知らないか?」

「ん?……誰だそりゃ?」

「ミッテ街ホーファー区の警備責任者だ」

 

 道の真ん中で力尽きた装甲車を整備兵が弄っている。その部隊章を見て話しかけた兵士はどうやら部隊指揮官を探している様子だ。

 

「……おいあれライヘンバッハ伯爵じゃないか」

「馬鹿を言うな」

「階級章見ろよ……偽物って事は無いだろ」

 

 ある程度秩序を保って後退してきた部隊は最低限の補給を済ませた後、フォルクセン大佐、ディッケル大佐、ヴィトカ大佐の戦闘団に組み入れられ、即座に西部防衛線に投入された。今は臨時戦闘団の投入まで決死の遅滞戦闘に努めた死に体の部隊に備蓄装備と散々に打ちのめされ瓦解させられた部隊の残りカスを組み入れて再度の戦力化を試みている。

 

 皇宮西苑は凡そ敗残兵二〇〇〇人を収容している。中央防災公園、リヒャルト一世帝恩賜美術館、オーディン戦勝記念広場、リントシュタット宮殿、帝都中央成花市場、ノイエ=オーディン駅前広場等にも帝都各地から後退した兵員が終結している筈だ。

 

「オットー・ヒースマン准将と連絡が取れました!防災公園からは八〇〇人、リントシュタット宮殿から三二〇人出せるそうです」

「戦力の逐次投入は避けるべきだ、大尉!合流地点は確保できたか?」

「駄目です、ファルストロング伯爵の別邸、ノルトライン公爵の別邸、どちらも空きません!ただ、シュトレーリッツ公爵は帝国軍が損害として五億帝国マルクの支払いに応じるなら敷地を貸すと……」

「貴族共はこれだから……!」

「シロンスク高等弁務官事務所、トリエステ伯爵家公館、ティターノ総領事館、いずれも敷地提供を拒否するそうです。フェザーン高等弁務官事務所とメーメル自治連絡官事務所からの返答は未だありません」

「ふん!治外法権でも気取ってるのか?……三等臣民が」

 

 戒厳司令部を示す旗が高く揚がっている野戦指揮所では慌ただしく士官たちが行き来していた。シュトラスマン少将やその幕僚たちが各拠点と連絡を取りながら戦力をかき集めている。

 

「大佐殿、大乗教が避難民の保護を条件に神殿敷地の提供に応じると回答してきました」

「こういう時に頼りになるのは葬儀屋共だな……。少し狭いが、合流地点は大乗教帝都神殿だと伝えろ!カラル中佐、どうだ?司令部要員は確保できたか?」

「お待ちを!『第二歩兵連隊司令部が出してくれるんだな……?七人?いいぞ、よし、すぐに回してくれ!』……何とかなりそうです!」

「高射砲中隊と連絡がつきました。オーディン・アーセナル・ホテル……ライヘンバッハ上級大将閣下!?」

 

 私が野戦指揮所のテントに近づくと若い士官がそれに気付いて敬礼してきた。その声は喧騒の中でも野戦指揮所の人員を驚かせるに足りたらしく、一斉に私の方へと視線が集まった。

 

「これはまた……よく司令部を出ましたな。狙撃や暗殺のリスクも低くはないでしょうに」

「シュトラスマン少将、突然悪いな。後退した部隊は士気の低下が著しいと報告を受けた、兵士たちに直接声を届けたい」

「……なるほど。何を話すつもりですか」

「この国は岐路に立たされている。そして貴族の思い付きではなく、兵士一人一人の努力が国の命運を決める、そう伝えるつもりだ。だがそれ以上に、『敵前逃亡の罪に問われることはない』と私の口から彼等に約束したい」

 

 地下鉄からの突然の奇襲に戦線は崩壊した。帝都という事もあり、帝都北部を中心にある程度の部隊が戒厳司令部の命令を待たず自主的に拠点の死守に臨んだが、踏み止まれなかった部隊が殆どだ。その後、戒厳司令部が正式に死守命令を発したことで、後退した部隊の兵士間では処罰に対する恐れが広まっていた。

 

「ほう。そんな提案戒厳司令部の高官たちがよく頷きましたな。こうも無様に潰走した以上、前線部隊への八つ当たりは避けられないと踏んでいましたが」

「今は頷くしかないさ。軍国派の連座制も尉官以下について適用を除外するつもりだ。今の内に押し切っておかないとな」

「ふむ……分かりました、西広場の辺りに将兵を集めてます、そこで話してください。……ところでそこの民間人たちは?」

「国営放送、フェザーン・インフォメーション、東和電台、リベラル・オリオン・テレビジョン、そしてヘッセン・ルントフンクのスタッフだ」

「……この際、全て見せてやることにした、と。諸刃の剣ですな」

 

 シュトラスマン少将は呆れたように肩を竦めた。私……そして戒厳司令部が反軍国派のプロパガンダを張ること自体は問題ない。そこに国家の制御が十分利かない非国営メディアを巻き込むことに対してやり過ぎだと感じたのだろう。

 

 フェザーン・インフォメーションはフェザーン系放送局フェザーン・テレビジョンの傘下、東和電台は東洋系資本で支えられ東洋人コミュニティーに大きな影響力がある、リベラル・オリオン・テレビジョンはブラッケ侯爵らがスポンサーとなっている開明派貴族系メディア、ヘッセン・ルントフンクはリッテンハイム侯爵家が牛耳る地方放送。

 

「国家が一丸となって『敵』と対するべき状況なのだ。全ての臣民に協力を呼び掛ける必要がある」

「……臣民の『協力』ね」

「言いたいことはわかるさシュトラスマン……。貴族として、軍人として、忸怩たる思いはある」

 

(私の失敗の尻拭いに臣民を動員するのだから)という言葉は口にしない。代わりに口にするのはお決まりの定型文だ。

 

「だが、軍国派の愚行は断じて許されるものではない。皇帝陛下の宸襟を悩まし奉ったばかりか、ついには皇都オーディンを戦火に晒す真似をする、帝国史を遡ってもここまでの大罪人は居ない。……そう、奴等は『渡ってはいけない橋』を渡ったのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場は帝都オーディンだけではない。中央大陸(ミズガルズ)東部と西大陸(ニダヴェリール)の各地で粛軍派と軍国派が衝突し、多くの帝国軍将兵と民間人の死傷者を出している。年を跨ぐまでは互いに軍事衝突を避けるような意識が強く、たまに衝突しても小競り合い程度のものであったが、帝都における戦闘の激化に伴って各地の戦闘も激しさを増していった。

 

 一月一日、中央大陸(ミズガルズ)中部に存在する交通の要衝レオバラード。その西部に広がる麦畑で、軍国派の第九軍集団第一〇機動軍第二一機械化師団と粛軍派の中央軍集団第一野戦軍第二〇一装甲師団が衝突した。レオバラード包囲を目的に北上する第二一機械化師団を足止めすべく、第二〇一装甲師団がディッセンクルップ十字路で迎え撃った形だ。

 

 さらに西南西に二一キロメートル離れた小都市ヴォサルミでも軍国派の第一〇野戦軍第七六歩兵師団と粛軍派の赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍第一陸戦旅団が激しく衝突した。こちらは北へ突出していた軍国派の根元を刈り取るように第一陸戦旅団が基点となるヴォサルミへと突入した。

 

 この二つの戦い――ディッセンクルップ十字路の戦いとヴォサルミ=バルジの戦い――から始まる軍国派と粛軍派の一〇日余りに及ぶ戦闘、これこそが帝国戦史に残る激戦の一つ、レオバラード=ヴァルター・ヴァルリモント間の大戦車戦である。

 

 同日には西大陸(ニダヴェリール)では粛軍派拠点のオクトゴーンへ繋がる州道二号線と国道一七号線でついに武力衝突が起こった。第一一軍集団司令部は軍国派の帝都急襲を受けて態度を変え、戒厳司令部支持を表明したが、隷下部隊の半数近くが軍国派に付いたニダヴェリール防衛軍司令部に従ってオクトゴーン攻略作戦に参加した。オクトゴーンに籠る粛軍派部隊は僅かであるものの、士気は高く一〇倍近い敵相手に奮戦している。

 

 最大の激戦地はスリヴァルディ山脈である。軍国派部隊が集結する北部三州と帝都を含む中央大陸(ミズガルズ)中央部を隔てる惑星最大の山岳地帯は、惑星最大の戦場となった。特に大陸縦貫高速道路シュミットベルク・バイパスを中心とする直径三〇〇キロメートル一帯――誰が呼んだか、通称『円卓』――では「白い山肌が赤く染まった」と言われるほどの激しい戦闘が行われた。軍国派は『円卓』に対し第四・第五軍集団を中核におよそ一〇〇万の兵力を動員し、粛軍派は第八軍集団を中心におよそ七〇万の兵力でこれを迎え撃った。勿論、スリヴァルディ山脈の他の地域でも大隊級から師団級まで小部隊同士が各地で衝突した。

 

 第八軍集団司令官カール・シュテッフェンス地上軍大将は数の差を埋めるべく中央大陸に存在する師団に片っ端から協力要請を飛ばした(東部戦線は除く)が、ゲルマニア防衛軍からの一〇個師団や第二猟兵分艦隊陸戦軍(五個師団)、地上軍工兵総隊など一部の部隊しか参戦しなかった。軍国派に近い保守派系部隊とリッテンハイム派などの門閥派系部隊が積極的もしくは消極的に協力を拒んだからだ。帝都攻防戦が始まって戒厳司令部がシュテッフェンス大将を北部方面総軍総司令官に任じ、協力要請が命令に変わった後もこの怠慢傾向は変わらなかった。(はっきり言えばシュテッフェンス大将の人気が無かったことも原因の一つである)

 

 数を揃えられなかったシュテッフェンスは山脈の各地に強固な防御陣地を築き、敵部隊の進軍路を限定。山道を利用した奇襲攻撃や架橋爆破などで足止めを繰り返しながら、後方に設置した砲撃陣地からあらん限りの火力を前線に投射した。他の部隊からも火砲をかき集め、これを集中的に運用した。事前観測によってスリヴァルディ山脈全体に数百のキルポイントが作られており、軍国派の激しい電子妨害にもかかわらず誘導ロケット砲や巡航ミサイルも有効な火力支援として活躍した。

 

 これに対して軍国派は少数部隊による浸透と航空戦力の爆撃によって後方支援陣地を崩しにかかった。しかし浸透した部隊はファルケンハイン中将が指揮する予備兵力によって各個撃破され十分な効果を挙げることはできなかった。軍国派は仕方なく粛軍派の火力支援を避けるように戦力の一部を迂回させたが、一方で航空戦力による打撃に『円卓』早期突破の望みを託し、稼働戦力の八五%以上をスリヴァルディ山脈に投入した。航空軍集団を中心にその数は約一万二〇〇〇機とも言われる。

 

 一方のシュテッフェンス大将もこれは予期しており、粛軍派に付いた各部隊から予備機も含め航空戦力をかき集めた。一月二日以降は東部戦線と航空部隊の一部を共有するという離れ業までやってのけた。

 

 第八軍集団第九航空軍二〇〇〇機、ミズガルズ防空軍六個航空大隊三〇〇〇機、赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍第一~第一〇航空隊計一〇〇〇機、ゲルマニア防衛軍航空支援隊三〇〇機、ミズガルズ防衛軍航空支援隊三〇〇機、第二猟兵分艦隊第一二〇三航宙旅団・第一二〇四航宙旅団・第三〇二独立空戦隊計一四七七機、そして第二猟兵分艦隊陸戦軍所属の第二〇〇六~第二〇一〇航空隊計五〇〇機。これにいくつかの小部隊が加わって合わせて九〇〇〇機以上がスリヴァルディ制空戦に参戦した。どの部隊も二割~三割の損害を出し、第九航空軍に至っては半数を失っている。

 

 それだけの損害を出してもなお、粛軍派の航空部隊は退かなかった。戦場の勝敗はパイロットたちの目からしても明らかにスリヴァルディ制空戦の結果に掛かっているように思われたからだ。

 

 スリヴァルディ山脈の地上、時に雪降り荒ぶ極寒の大地では一進一退の攻防が続く。シュテッフェンス大将とファルケンハイン中将が築いた防衛線と苛烈な砲撃、そして氷点下の銀世界は軍国派の戦力を容赦なく削り取ったが、軍国派の苛烈な攻勢は粛軍派に同等以上の損害を与えた。

 

 第八軍集団はかなり早い段階(粛軍派が本格的な武力衝突の回避を目指していた段階)からスリヴァルディ山脈での陣地構築に取り掛かったが、完璧な陣地を築くには時間も資材も足りなかった。そして広いスリヴァルディ山脈の全域を守るには戦力も足りず、軍国派が帝都への最短経路を諦め、手薄な地点から突破に掛かると、防衛戦の名手であるファルケンハイン中将を以ってしてもその全てを守り切る事は困難であった。

 

 この上、もしスリヴァルディ制空戦が敗北に終われば、そして軍国派が航空優勢を確立すれば、粛軍派の防衛線は決壊するだろう。その後は軍国派……古い時代を奉じる叛乱軍が帝都に入城し、皇帝陛下を害し、国政を壟断し、軍を私物化し、平民を虐げるだろう。そんなことは兵士たちに許容できることではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二猟兵分艦隊は保有する航空・航宙戦力の殆どをスリヴァルディ制空戦に投入した。勿論大気圏内運用可能なワルキューレは数が限られているが、周辺の基地や工場から宇宙軍地上軍、機種や状態も問わず『飛ばせる予備機』をかき集めた。そして僅か五日間の空戦で投入した航空戦力の四〇%を喪失した。

 

『ガイエスⅠ-Ⅰ。こちらワルター隊のフォルケ。クスィと共に指揮下に入る』

『シュパンタウⅢ-Ⅰ、ラックスだ!宜しく頼むぜ宇宙軍!』

「話は聞いている!ガイエスⅠ-Ⅰ、ホルスト・シューラー!アムレットと呼んでくれ!」

 

 妙な言い方だが「まともな」戦場ならとっくに戦える状態ではない。しかし背後に帝都を背負っている以上、彼等に撤退の選択肢は無いのだ。指揮系統は既に半壊していると言って良いが、各巡航揚陸艦と野戦航空基地防空司令部が混戦の中でそれぞれ機体を受け入れてはそのまま指揮下に置いている。

 

 ホルスト・シューラー宇宙軍少尉率いるガイエス隊も既に六名と連絡が途絶し、逆にワルター隊から逸れた二名と乗機を失ってワルキューレ・Yウイングに乗り換えた地上軍パイロット一名を加えて隊としての体裁を整えている。

 

 戦場全体がギリギリのラインで踏み止まっていた。航空軍集団は質と量の双方で粛軍派の航空部隊を圧倒している。不幸な事に、気候状況はすこぶる快晴であった。週末には大寒波が訪れると予測されていたが、それまでスリヴァルディの空が持つかは怪しい状況だ。

 

『翼ある限り飛び続けろ!大丈夫だ!俺達は戦えている!』

 

 しかし士気は高い。第二猟兵分艦隊のトップエース、ヴィスター・ガーランド宇宙軍中佐の激励に応えるパイロットたちの声が通信回線に溢れる。ガーランド中佐自身、慣れぬ空戦で二度落とされながらもなお戦場に立っている。彼が率いる第二猟兵分艦隊最精鋭のメテオール隊は既に半数以上の顔ぶれが予備パイロットと壊滅した部隊の生き残り、所属部隊からの落伍者に取って代わられている。

 

『陣地がまた一つ潰された。防衛部隊は全滅だろう。円卓(ここ)を抜かれれば、ミズガルズの全域でこの光景が繰り広げられるって訳だ』

『クソ……おい聞こえるか!お前ら頭おかしいんじゃないのか!?腐敗貴族共の為にどうしてこうも戦える!』

『やめろアイオン。軍人たるもの上官の命令には服従すべし。彼等は正しい』

『しかしケンプ……』

『だが!……頭を使わぬ軍人、是非を知らぬ軍人など殺人機械(ブリキ)に等しい存在ではないか。臣民として正しいのは我等だ!』

 

 意外にも二人の士官候補生は激戦を生き延びていた。まさしくベックマン大尉が評した通り、下手に宇宙に上がってしまったベテランパイロットよりも、圏内飛行課程中の士官候補生の方が空には慣れていた、と言えるかもしれない。もっとも、ワルター隊に加わった四人の候補生は既に全員ヴァルハラへと旅立っていることを考えると、これは単純に「武運」の問題なのかもしれない。

 

「無駄話は終わりだ!……司令部(HQ)、聞こえるか!ガイエス隊戦闘空域に到達した」

『待ってたぞ俺の勇者達!地獄に墜ちるなよ!奴等を墜としてやれ!』

「ここがもう地獄さ……さっさとクエストを寄越してくれ!」

『いいとも、ガイエス隊はアッセム峠、拠点(プンクト)ベーカーへ。クルーガー隊は八時間に渡って制空任務を続けている。そろそろ休息が必要だ、代わってやれ!』

『方位〇二〇、距離一八〇〇、高度二三〇〇!』

「バルトⅤ、聞いての通りだ!ウォーミングアップを済ませたらすぐに向かう!全機続け!」

 

 前線を突破してきた爆撃機が四機、戦闘機が二機、低空を飛んでいる。一機は黒煙をふきながらやや後方に離れた位置だ。直衛機や僚機を悉く失ったが退くに退けずそのまま突っ込んできた部隊だ。

 

「アイオン、ケンプ!後ろについてこい!」

 

 ガイエスⅡ-Ⅰ、ラックス、フォルケがその護衛無人機と共に戦闘機と戦い、他の機体がそれぞれ爆撃機を狙っている。シューラーは迷わず黒煙を吹く一機に向かう。ヒヨッコを抱えている以上弱い敵に当たるべきだ。ミサイルには限りがある。装甲は硬いが鈍足の爆撃機を墜とすには機銃で十分だ。被弾しつつ爆撃機は射線から逃れようと試みたが、やや右後方を飛ぶケンプ機が軌道を修正しながらさらに銃撃を浴びせた。コクピットに銃弾が飛び込んだらしく、爆撃機はそのまま制御を失う。

 

『クソ、スコアが伸ばせると思ったのに!』

「弾を使わないで済んだ!幸運に思っとけ馬鹿が!この後嫌でも戦う事になる!」

『悪いなアイオン。……しかしそろそろ単独撃墜が欲しいですな、共同撃墜だけじゃエースになれない』

「調子に乗るな士官候補生。エースになる前にお前らは士官にならなきゃなんないんだ!……今死んだらエースはおろか士官にもなれないぞ」

『分かってますよ隊長』

『……自衛なら良いですよね?』

 

 本当に分かっているか怪しいケンプに、明らかに分かって無さそうなアイオン。シューラーは呆れながら機首を未だ抵抗する二機の戦闘機に向ける。しかし、数の差は圧倒的な上に、軍国派側は激戦を潜り抜けて消耗していた。シューラーたちが加勢するまでも無く、決着はすぐについた。

 

『隊長、全機墜としたがこっちも無人機を一機やられた。あの状況で反撃できるあたり、やっぱり航空軍の連中は手強いぜ』

「無人機なら良いさ、兵器工廠が一八時間でワルキューレをYタイプに改修してくれるからな」

『気分が悪いぜ……。空の男としてはこんな戦い方はしたく無かった』

「個人技で勝てる相手じゃない、袋叩きにしなきゃ俺達が鴨にされる」

『同感です。一対一で無様に墜とされる位なら多対一でも無様に勝つ方がまだ軍人として意義深い』

『ケンプの言う通りだ。……ラックス、北の連中は皇帝陛下の空軍を汚した。誇り高い死に方はできんだろう』

宇宙(ソラ)の連中は相変わらず言う事が暗い……分かってるよ!俺も向こうに居たかもしれねぇと思ったらな……』

「円卓が感傷に浸りながら生き残れる戦場だと思うかラックス?……全機担当空域に向かうぞ」

 

 ガイエス隊、有人機八機、無人機七機の計一五機はスリヴァルディの空を飛ぶ。見渡す限り戦闘が繰り広げられている。その合間を空戦を避けながらガイエス隊は担当区域に向かう。しかしその途中、通信回線に救援要請が入ってきた。 

 

『ガイエス隊か!どうやら戦神は俺を見放して無かったな。シューラー、悪いがこちらを優先して欲しい!シュネー隊のフォスターだ。敵のネームドに梃子摺ってる。援護を頼む』

「シュネー隊のフォスター……エルベルト大尉か!司令部(HQ)どうする?」|

『ガイエス隊、少し待て!……シュネー隊は区画FⅡAか、そこは不味いな……フォスター!お前でも持たせられないのか?』

『無理だ、もう三機やられてる!「四葉」のシューマッハは俺が抑えていたがその間に他が……』

『フォスター!どうした!』

『嘗めるな地上軍が!……尾翼に掠ったが一機墜としてやった!だが間抜けはもう居ない!逃げるので精一杯だ』

『……クルーガー隊、後ニ〇分耐えろ!ガイエス隊はシュネー隊の援護を』

「ガイエス隊了解し……」

 

 ガイエス隊が進路を変更し、シュネー隊を襲う「四葉」隊へと向かったその瞬間、一気に通信回線に声が溢れた。 

 

『……第一二機甲連……令部より……空部隊!区画KⅡTへ反…………一時間で良い!何とか航空機を抑えて……戦線崩壊の危』

『TⅠH砲兵陣地より各部隊……ンコツが!聞こえるか!?観測情報を…………いつでも撃てる!誰でも良い、情報を!』

『……第一〇中隊だ!酷い爆撃を受けている……これでは顔を出せない!』

司令部(HQ)……シュネー隊の担当空域だけじゃない、どうもRⅢ番代の区域は地上がかなり不味そうだぞ」

『……ガイエス隊はシュネー隊と共に地上の支援に回ってくれ!クルーガー隊の代わりにはヒルシュ隊を上げる』

「了解、だが地上支援には戦力が足りない」

『こちらも戦力に余裕がない!君達は優秀だ!バルトⅤが管制している部隊の中じゃ一番健闘している!何とかやってくれ!』

「……分かった〝何とか″やってみるさ!」

 

 おおよそ命令とも言えない巡航揚陸艦バルトⅤ管制官の言葉に半分自棄になりながらシューラーは応える。そのまま「四葉」隊との激しい空戦に突入する。ガイエス隊の乱入に気付いた「四葉」隊はシュネー隊と素早く距離を取って痛撃を避けた

 

「ちぃ……クソ!」

 

 全身に掛かるGは宇宙空間における戦闘の比ではない。地上軍のエース部隊相手では腕も機体も分が悪い所ではない。シューラーは必死に逃げ惑う。迂闊に援護しようとしたシューラーの随伴無人機が爆散する。

 

「おおおおおおお!」

『終わりだ』

 

 その破片を辛くも避けるが、大きくバランスを崩す。混線か、それとも意図的か。敵パイロットからの死の宣告がシューラーの耳に届いた。

 

「……お前がな。ケンプ!」

 

 その時、遥か上空から一機のワルキューレ・Yウイングが突撃し、機銃弾をばら撒く。シューラーは強引な推力偏向で減速し、そのまま機体を左に逃がした。シューラーがあと少しで通る筈だった空間を死が埋め尽くし、そこに「四葉」隊の機体が突っ込む。『んぁ……』っと間抜けな声を挙げて機体は爆散した。

 

「腕に驕ったな!二機の連携(ケッテ)戦術、基礎の基礎だ!」

 

 シューラーはそのまま再加速し旋回する。丁度すれ違った敵機に機銃を打ち込み黒煙を吹かせる。ガイエス隊の参戦でシュネー隊は息を吹き返した。四半刻程の戦闘でガイエス隊は二機、シュネー隊は一機を失ったが、「四葉」隊は四機を失っている。数的不利と、恐らく弾薬消費が理由だろう。「四葉」隊が退いていく。

 

司令部(HQ)。四葉が退いた!」

『ガイエス、シュネー、よくやった!ヒュージ隊が代わるから一度下がれ』

「ガイエスⅠ-Ⅰ、了解した」

 

 「ガイエス」隊、「シュネー」隊が戦闘空域を離脱したその時、異変が起こった。

 

本部(HQ)!こちらヒルシュⅢ-Ⅰ!レーザー攻撃を受けている!不味いぞ、一方的にやられている!』

『アックス隊が丸ごと消えた!とんでもない火力だ!』

『全機後退!後退ぃ!』

 

 通信回線を悲痛な声が満たす。原因はすぐに分かった。地上軍征討総軍航空軍集団が有する重巡航管制艦。全幅一四六三.七七メートル、全長六三三.三メートル、全高一五〇.三九メートルと宇宙軍の巡航艦を大きく上回るサイズであり、一二基の大型巡航ミサイルと大気圏内において実用的な火力を発揮する高出力レーザー砲「ブルートガング」を搭載する。兵器の性質上、外征を目的とする征討総軍に属しながらも帝星より離れたことは一度もない。

 

「おいでなすったな……『アイガイオン』」

 

 本土防空の要、難攻不落の空中要塞、帯剣貴族の道楽の象徴、重巡航管制艦『アイガイオン』。死の暴風が『円卓』の空に吹き荒れた。この日出撃した粛軍派航空部隊は何れも壊滅的な被害を受け、一時的ではあるが軍国派が航空優勢を確立。第八軍集団司令部は第一防御陣地帯の放棄を決定。これによりスリヴァルディ山脈の防衛線は最大で三八キロメートル後退することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……『アイガイオン』の投入は帝都の戦況ともリンクしていたのだろう。一月三日の夕方、赤色胸甲騎兵艦隊陸戦隊が一部地下鉄道網を奪還した。帝都では防戦一方だった粛軍派が初めて反攻に成功した、そう評価しても良い勝利だった。恐らくは、それがリスクの大きい『アイガイオン』投入の引き金になったのだと思う。追い詰められた軍国派がなりふり構わずスリヴァルディ山脈の突破に動いたのだ。

 

 そしてその日の深夜、軍国派はさらにリスクの大きい手を打ってきた。

 

「会談中失礼いたします。……閣下、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に叛乱軍が侵入しました」

「来たか……」

 

 ヘンリク・フォン・オークレール、豪胆なる我が護衛士も声に余裕が無い。当然だろう。

 

 私は深く息を吐いて動揺を押さえ込む。ここが勝負所だ。軍国派の馬鹿げた選択、成功するはずのない博打、起こり得ない成功。非常識と非現実の積み重ねで軍国派はついに皇帝陛下の玉座に手を掛ける所まで辿り着いた。

 

(恐れるべきはルーゲンドルフ老……か。どれほど国家の中枢に入り込んでいたのか)

 

「クロプシュトック公爵閣下、賊軍が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に侵入いたしました。地下区画に御避難ください」

「な……何たる失態だ!卿は『万全の警戒態勢を敷いているから問題ない』と言っていたではないか!」

「ええ、問題はありません。これは想定の範囲内です。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の地下には無数の秘密通路があります。侵入を許すことは最初から覚悟していました」

「馬鹿な!皇帝陛下の御身を何と心得……」

「万全の警戒態勢を敷いております!新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の何処に敵が現れようと二〇分で殲滅できる手筈になっております」

 

 クロプシュトック公爵は感情の起伏が激しい。そういった点を指して「暗愚」と嘲る者すら居る位だ。私はその見解に同調はしないまでも、やはりこうも素直に動揺と苛立ちを表されると内心で辟易する。

 

「とにかく、御身を第一に御考えを。小官は皇宮警察本部へ戻ります。非常時故、無礼は御許しください。それでは失礼いたします」

「む、婿殿……皇帝陛下に何かあったとしても儂は知らんぞ、何も知らんかったからな!」

「承知しております。皇帝陛下の御身の安全に責任を持つのは戒厳司令官故、国務尚書閣下に責は及びませぬ」

「当然だ!全部卿が勝手にやったことなのだから、それで儂が何故責を取らねばならん!」

 

 喚き散らすクロプシュトック公爵を適当にあしらいながら、私は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)内における行政府、シュテファン宮殿を後にした。

 

 私の乗る後部座席がリムジンタイプの地上車(ランドカー)、そしてそれと同型の地上車(ランドカー)が二台。幕僚を乗せる防弾仕様の公用車三台、周囲を固める警護車両六台は通常黒塗りの大型車だが、戦時という事もあって全て装甲車。その後ろに通信車の代わりに軽戦車砲塔を乗せた支援装甲車が一台、そして兵員を満載した装甲兵員輸送車二台が続く。

 

 車列を並べて移動する、その途中である。近衛軍の一部隊が私たちの行く手を遮った。

 

「近衛軍のリーメンシュナイダー少佐です。ライヘンバッハ伯爵閣下の車列ですね、お迎えにあがりました。先導いたします」

「グリーセンベック上級大将か?手回しが良いな」

 

 一人の近衛がこちらに呼び掛ける。しかしそれを見たヘンリクは険しい表情だ。

 

「閣下、様子がおかしいです。リーメンシュナイダー少佐は大隊長、警備任務も割り当てられていると記憶しています。閣下の安全の為とは言え、その任務を放置して自ら兵士を率いてくるでしょうか」

「……」

「もっと言えば、わざわざリーメンシュナイダー少佐に閣下の警護を任せるでしょうか?」

「……戒厳司令部に連絡を取って確認してくれ」

 

 案の定、私を保護しろなどという命令をグリーセンベック上級大将は出していなかった。

 

「逃げろ!」

 

 私は運転手のロベールに対して極めて簡潔に、そして揺るぎなく告げた。ロベールはすぐにその命令を遂行した。支援装甲車に対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)が撃ち込まれたのはほぼ同じタイミングだった。

 

 本性を現したリーメンシュナイダー少佐達と、私の護衛小隊が銃撃戦を始める中、私と幕僚達の車が別方向へと走り出す。途中、追い付いてきたのか、それとも別動隊が居たのか分からないが数台の車両が行く手を塞ごうとする、体中をぶつけながらも壮絶なカーチェイスの末に何とか戒厳司令部に辿り着いた私は愕然とする。

 

「戒厳司令部で自爆テロだと!?」

「司令部要員に多数の死傷者が出ています。将官ではベルンシュタイン准将が死亡、クナップシュタイン少将、ラデツキー准将が意識不明の重体、トイフェル中将、ビュンシェ少将も負傷なさって現在治療中です」

「第一近衛師団第四大隊など一部の部隊が裏切りました。現在は混戦状態です」

「皇帝陛下は後宮にて御健在です。しかし軍国派の浸透部隊とラムズフェルド中佐の部隊が周囲で交戦中です」

「軍務省と国務省でも爆発物が発見されました。爆発物処理班が対応しています」

 

 十分な備えはしていた筈だった。近衛軍は大半が武装解除され、現在新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に配置されていた近衛軍将兵は特に皇帝陛下への忠誠心に厚いと判断された者達だ。思想傾向と出自も近衛軍総監部や憲兵総監部から引っ張り出してきた資料を基に厳密に精査されている。勿論、戒厳司令部も私やグリーセンベック上級大将が信頼する者達で固めていた。

 

 さらに言えば、そこまで人員を選別してなお、裏切者が出る可能性自体には備えていた。情報管理を徹底しながらも司令部要員には特警隊で監視を付けた。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の防衛部隊指揮官には正式な書類で戦後の栄達を保障し、兵士には多額の報奨金で密告を奨励した。他にも様々手を打ったはずだ、しかし良いようにやられている。

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の各門を守る部隊は問題なく戒厳司令部の統制に服している。これは数少ない好材料だ。というよりも、後宮の次に重要な拠点を任せるだけあって、人事には特に気を配った。各門の防衛指揮官が裏切ったとすれば、最早誰も信用できない状態と言って良いだろう。

 

「閣下、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の外から援軍を呼びましょう」

 

 一人の幕僚が私に進言する。頭の中で一瞬だけ検討し私はすぐに「駄目だ」と答えた。

 

「その部隊が軍国派についたら終わりだ。元々の方針通り、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)内部の敵には新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)内部の戦力で当たる」

「しかし、戦力が……」

「落ち着け。末端の兵士まで賊軍に付くものか。混乱を収めれば兵士たちは帰隊する。急ぎ、全ての近衛部隊に現在の配置へ留まるよう命令しろ。また、賊軍側に付いた近衛部隊への攻撃も現時点では禁止とする。後宮周辺三㎞圏内と皇宮警察本部周辺二㎞圏内への侵入も禁止だ」

「何故そのような命令を……」

「混戦を避ける為、そして裏切った近衛部隊を明らかにする為だ。この状況で戒厳司令部の命令を無視して後宮や皇宮警察本部に向かう部隊があれば、それは間違いなく軍国派に寝返った将校が率いた部隊……まずはそれを明らかにする。後宮にはひとまずフェルトン中佐の部隊を向かわせる」

 

 私の指示を受けて慌ただしく幕僚が動き出す。自分が充分に落ち着いている事を確認しながら、私は指揮卓へと向き直った。

 

「さあ始めるぞ。ここが正念場だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜闇の中、近衛軍同士が激しい戦闘を繰り広げる。戒厳司令部の努力も完全には実らず、一部では同士討ちすら発生した。庭園は兵士の靴で踏み荒らされ、宮殿の外壁は脆くも吹き飛ぶ。自然の森と人工の森、業火は区別なく焼き尽くす。歴史ある大広間では激しい銃撃戦が行われ、無数の弾痕が絢爛豪華な壁画を塗りつぶす。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)で働く一〇万人の延臣、身分の別なく不運な者は死に、より不運な者は恐怖と苦痛の中で死んだ。

 

 明けて一月四日の朝、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)は無残な姿を人々の目に晒した。特に後宮周辺は浸透した軍国派とラムズフェルド中佐率いる粛軍派の兵士が無数の屍を晒す。大帝ルドルフと流血帝アウグスト二世を除いて、かつてこれほど多くの死体に囲まれて朝を迎えた皇帝は居なかっただろう。

 

 ……そう、フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム四世帝陛下は無事生き残った。紙一重だった。ラムズフェルド中佐率いる防衛部隊は三〇〇名の内一二七名が戦死、八五名が重傷を負い退役を余儀なくされた。残る兵士たちも無傷の者は一人とて居ない。たまたま(・・・・)新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に居た装甲擲弾兵一個小隊の加勢が無ければ、間違いなくラムズフェルド隊は全滅し、皇帝陛下の御身も危険にさらされていた。

 

 次官皇子殿下こと、第二皇子カスパー・フォン・ゴールデンバウム典礼省上級次官殿下も生き残った。血の気の多い彼らしく、近くに迫った特殊作戦総隊の兵士に対して自らブラスターを握り応戦したという。第二皇子侍従武官と警護部隊は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を巡る戦いで半数が戦死した。

 

 第六皇子ジギスムント・フォン・ゴールデンバウムは混乱の最中に命を落とした。状況は判然としないが、避難中に流れ弾に当たったとも、宮殿の火災に巻き込まれたとも、対立勢力に暗殺されたとも言われている。つまり、実際は死んだかどうかも分からない。ハッキリしているのは傍に仕えていた者達が全滅したということだけだ。ただ、状況から見て公式記録上は死んだという扱いにされた。

 

 寵姫の一人、フロレンツィア(アンドレアス公爵一門ハーン伯爵家出身)はフリードリヒの子を懐妊していたが、この戦闘によるショックによって流産してしまった。……本当に原因がこの戦闘にあるかは分からないが、帝国の公式記録上はそういうことになっている。

 

 ……朝日が照らす新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)。軍国派の浸透部隊は既に壊滅し、裏切った近衛部隊も混乱が収まると大半の兵士が再び軍旗の下に戻った。裏切りを主導した将校は殆どが死亡した。いくつかの建物で残党が抵抗していたが、最早皇帝陛下の御身を脅かすことはないだろう。

 

 誰かが「勝った!」と叫んだ。その者に対し数名が非難の視線を向ける。しかし叫んだ者は続ける。「皇帝陛下の御命が全てだ!我等が国は健在なり!」

 

 「……そうだ!」「勝利だ!勝利だ!」幾人かが扇動に乗る。勇ましい言葉が少しずつ戒厳司令部を埋め尽くす。

 

 言葉とは裏腹に白けた空気が漂う。これが勝利と呼べるものか、と。国家の象徴的建造物「新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)」。なるほど、その歴史の中で一度も暴力と業火に晒されなかった訳ではない。流血帝の御代に至っては一部が戦場となってすらいる。しかし、そんなことは関係無いのだ。帝国人の精神世界において、「新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)」は紛れもなく無謬の存在なのだ。

 

 誰かは泣きながら「帝国万歳」と言った。誰かは虚脱したように座り込んだ。誰かは無言で司令室を立ち去った。ゾンネンフェルス退役元帥は「国辱だ」と呟いた。アルトドルファー地上軍元帥は雲隠れした。ナウムブルク近衛軍准将(皇宮警備隊長)は自殺した。

 

「賊軍の侵入経路を突き止めたというのは本当か」

「はい、第二宮廷図書館裏手の森林に地下通路が有りました。逆にこちらから兵を送りますか?」

「第二、第三の襲撃が無いとも限らない。今は警備を固める方が優先だ。地下通路は爆破しておけ」

「了解しました」

「やはり失伝された地下通路があったな……改めて新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の地下を調査する必要がある」

「人員を割きますか?」

「……後宮周辺に限ってな。それ以上は人手が足りない」

 

 気落ちしている暇はない。今もなお帝都では戦闘が続いている。皇帝襲撃の報は前線部隊を大いに動揺させたはずだ、皇帝陛下と戒厳司令部の健在を示す必要がある。

 

「前線部隊の動揺を抑える為にシュタイエルマルク上級大将が各戦線に直接出向かれています」

「正しい判断だろう。くれぐれも身辺警護を厳重にな」

「閣下、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の被害状況について各貴族家と官庁から問い合わせが殺到しています」

「……隠蔽できる状況では無いだろうが、わざわざ士気に関わる情報を喧伝したくはない。被害は現在調査中ということにしておけ」

「閣下、皇帝官房及び侍従部と調整し、午前一〇時に皇帝陛下御自ら、臣民に御姿を御見せになることで合意しました」

「宜しい。私も傍に控える」

「それと……宰相皇太子殿下が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に参内し、皇帝陛下の御無事を確認されるとの事。戒厳司令部と近衛軍は万全を期するように、と」

「何…………いや、仕方ないか。他ならぬ皇太子殿下の御意向ならば従う他あるまい。大至急、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)からの移動経路を……」

「閣下!大変です!」

 

 私が矢継ぎ早に指示を出している所にブラームス近衛軍中佐が駆け込んできた。近衛軍との折衝担当であり、被害状況を確認させていた筈だ。非常に焦燥に駆られた表情をしている。

 

「どうした?何があった?」

 

 私は平静を保ちながら尋ねる。頭の中ではいくつかブラームスが言いそうなことが予想できていた。近衛軍にさらなる裏切者が居た、とか。近衛軍の重要人物が戦死していた、とか。軍国派浸透部隊の残党がテロ行為に及んだ、とか。

 

「……」

 

 ブラームスは私の手元に紙片を滑り込ませる。つまり、口頭では伝えるのが憚られるという事だ。この場に居る者達は戒厳司令部で直接私を支える幕僚たち、いわば腹心だ。彼等にすら聞かせることができない話……私はそこで漸く一抹の不安を覚える。そして紙片を開いて思わず驚きの声を挙げた。

 

「何だと!?」

 

 紙片の内容はこうだ。それは恐ろしい情報だった。

 

『近衛軍の一部部隊が、軟禁されていた先帝クレメンツ一世帝陛下、エーリッヒ皇子、クリストフ皇子と共に姿を消した』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都西方二〇五キロメートルに位置するベルリン州アドラーブル航空基地は航空軍集団第二一航空軍が拠点としていた基地の一つだ。航空軍集団は戒厳令の布告から間を置かず軍国派についた司令官ヴェネト地上軍中将の命令に従い、その大半が軍国派の掌握する北部三州か東部ミクラガルズ州へと逃れた。しかし、アドラーブル航空基地の管制隊と駐留する第二一航空軍第八二航空師団第二航空大隊はこの動きに同調しなかった。

 

 これは珍しい例ではあるが、他に皆無な例という訳ではない。軍国派が帝都を戦場に変えるという愚行に出る前であっても、上位司令部の行動を疑問に思い、戒厳司令部の指揮下に入る部隊は散見された。アドラーブル航空基地管制隊も第二航空大隊も戒厳司令部からはその一つと思われていた。

 

 実際の所、それは擬態に過ぎなかった。地上軍の帯剣貴族達が何世紀にも渡って地上軍将校の中に張り巡らせた愛国的なネットワークは極めて強固であり、私と戒厳部隊によって想定外のカウンタークーデターを受けてなお、充分に機能していた。

 

 帯剣貴族の中でも限られた者達だけが知る高度に秘匿された帝都脱出経路、そのゴールがアドラーブル航空基地であり、管制隊司令と第二航空大隊長にはどのような状況でも基地を保持する事が使命として密かに与えられていた。基地の地下には計画倒れに終わったはずの超音速ステルス輸送機が三機、公式記録上は配備されていない筈の大気圏離脱艇(HLV)が一機、万全の整備体制で待機しており、アドラーブル航空基地に逃れた高官を迅速に安全な場所へと逃がす体制が整えられていた。

 

 ……そして一月四日の深夜、その基地から「要人」を乗せて一機の超音速ステルス輸送機が密かに飛び立とうとしている。私もクルトも戒厳司令部も、誰もその動きには気付いていない。『アイガイオン』が粛軍派航空部隊に多大な損害を与え、スリヴァルディ山脈上空を制圧したため、各防空軍や前線部隊も暗闇に紛れる超音速ステルス輸送機に気付くことはできないだろう。

 

 輸送機の中でその「要人」はほくそ笑んだ筈だ。至高の頂きに一度は上り詰めながらもそこから追い落とされた男。隠棲したかに見せながらも密かに政官界や財界、軍部に影響力を忍ばせていた男。軍国派を唆し、帝都を戦場にしてまで、内戦を引き起こしてまで権力の座に帰ろうとした男。「白薔薇の乱」においては星の数ほど居る「黒幕」、しかしその中でも五本の指に入る大物。

 

 壮大なる野望を乗せた輸送機がエレベーターで地上に姿を現した。北部三州から現皇帝と粛軍派に反発する勢力を糾合する。偉大なる帝国の再建、その偉業を以って歴史に名を刻む。男にはそれを成し遂げる自信があり、そして権威と能力もあった。輸送機が滑走路に侵入する。

 

 輸送機が飛び立った瞬間、男の手で新たな時代が始まる。流血とエゴの時代が。

 

「……」

 

 そして空港近くの丘の上から一人の男がその様を見ていた。男の目には、狂気を孕んだ獰猛さ、隠し切れない野心が見え隠れしている。しかしそれは彼の目を見る者がこの場に居ないからだろう。彼は自身の危険性を完璧に抑え込む術を見に付けていた。体制に対する狂信と、権力に対する狂信、かの男は自然にそれを使い分けることができた。……故に私も欺かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、アドラーブルの夜空に閃光が満ちた。

 

 ……そしてその下で、アルバート・フォン・オフレッサーが静かに嗤っていた。彼の行動原理がその時、体制維持にあったのか権力欲にあったのか、それは私にも分からない。

 

 


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