東一局。
早い巡目で華菜が聴牌した。
本来、華菜は仕上がり率が高いし高打点な選手だ。
咲や衣、穏乃、淡等の魔物ばかり相手にさせられることが多いため目立たないが(悪い意味で目立っているかもしれないが)、魔物以外の中では相当強い部類に入る。
一般的には、かなり優秀な打ち手であろう。
しかし、ここでは、その仕上がり率の高さが仇となる。
華菜は満貫を聴牌したが、貴子の指示に従いリーチをかけなかった。
今回も貴子は華菜にリーチを禁じていた。要は、咲と憩の両方への対策だ。
しかし、次巡、満貫聴牌維持のために華菜がツモ切りした牌で、
「ロン。12000ですぅー!」
憩が親満を和了った。
先に誰かが聴牌すると、それを追うように聴牌し、先行聴牌者から和了る。それが憩の能力。つまり、華菜は憩の能力の餌食になったのだ。
どうやら、華菜は貴子の指示の意味をキチンと理解できていなかったようだ。
聴牌してもリーチをかけず、もし憩の和了牌を掴んだら、ムリせず降りろと言う意味だったのだが…。
よく言えば自身の和了に向けて勝負する心意気が裏目に出ている。
しかし、悪く言えば貴子の言葉の意味を考えず、ただリーチをかけなかっただけだ。
この感じは、少々アスペルガー症候群っぽい気がする。
東一局一本場も、
「ロン! 18300ですぅー!」
華菜は、ここでもハネ満を先行聴牌していたのだが………、結果的に憩に親ハネを振り込むことになった。
やはり、高い手を張っている以上、多少危険と感じても勝負したい気持ちが優先してしまうようだ。
それが憩の能力による罠であることに気付かずに…。
東一局二本場。
ここでは、
「カン!」
咲が仕掛けた。薫が切った{①}を大明槓したのだ。
場には既に{②}が四枚切れていた。この打{①}は仕方が無いだろう。
そして、
「もいっこ、カン!」
嶺上牌を引く前から手元に揃っていた{西}の槓子を暗槓した。
薫の捨て牌を鳴く前では一向聴、嶺上牌を引いてきて聴牌、そして、この暗槓によって引いてきた嶺上牌で、
「ツモ! 12600!」
ハネ満を和了った。これは、薫の責任払いになる。
東二局、華菜の親。ドラは{⑨}。
ここでも咲が、
「カン!」
華菜の捨てた{南}を大明槓した。
たしかに、傍から見れば初牌を切らなければ良いと言われるかもしれない。
しかし、華菜としてもドラ含みの平和手を一向聴していたし、東一局での憩への連続振り込みで30000点以上失点していたこともあったので、初牌を止めることよりも和了りに向けて進む方を選択してしまったのだ。
咲は、嶺上牌を引くと、
「もいっこ、カン!」
前局と同様、嶺上牌を引く前から手元に揃っていた{發}の槓子を暗槓した。言うまでもなく、憩対策である。
下手に聴牌すると憩の能力の餌食になる。そこで、嶺上牌から連続で牌を引き、一向聴から聴牌、和了りへと進めて行こうと言うのだ。
そして、
「ツモ! 南發混一チャンタ嶺上開花ドラドラ。16000。」
そのまま嶺上牌で咲は倍満を和了った。これは華菜の責任払いになる。
東三局、咲の親。
「ポン!」
咲が二巡目で、いきなり仕掛けた。薫が捨てた{中}を鳴いたのだ。さすがに、二巡目で初牌を切るなと言う方がムリだろう。
この時、咲は手牌に{中}を暗刻として持っていたのだが、敢えてこれをポンして、残る{中}一枚を手元に残した。
何故か?
それは、この{中}を持っている限り、咲は聴牌できない………つまり憩の能力に引っ掛からなくなるからだ。
たしかに、見た目は{中}単騎で聴牌する形に持って行くことは可能だ。
しかし、ここでは自分が三枚使いしている牌と同じ牌での単騎待ちを形式聴牌として認めないルールになっていた(ルールによって異なると思いますが…)。
三巡後、
「カン!」
咲は、薫が捨てた{1}を大明槓した。まだ序盤だ。ヤオチュウ牌なら初牌でも普通は切りに行くだろう。
嶺上牌を引くと、
「もいっこ、カン!」
咲は、{中}を加槓した。これで聴牌。
そして、嶺上牌を引き、
「ツモ! 大三元。48000!」
薫の責任払いで咲が親の役満を和了った。
まさか、この巡目で大三元を和了られるとは…。
さすがに薫もガックリと両肩を落とした。
東三局一本場。ドラは{北}。
「その{⑦}、ポン!」
ここでも咲が序盤から積極的に攻めていった。
数巡後、咲の手牌は、
{223334⑤⑤[⑤]⑦} ポン{⑦横⑦⑦}
今回も戦略的に聴牌にとっていなかった。
そして、薫が切った{3}を、
「カン!」
咲が大明槓した。
薫としても、できれば初牌を切りたくはなかった。しかし、和了れなければ点を失うしかない。
それに、既に原点の半分以下まで点を削られている。ハネ満+親の役満の責任払いがあったのだ。
やはり、和了りに向けて手を進めたかったのが心情だ。
一方の咲は、嶺上牌を引くと、
「もいっこ、カン!」
続けて{⑦}を加槓した。そして、次の嶺上牌を引くと、
「もいっこ、カン!」
今度は{⑤}を暗槓し、さらに次の嶺上牌で、
「ツモ!」
嶺上開花を決めた。
開かれた手牌は、
{2244} 暗槓{裏[⑤][⑤]裏} 明槓{333横3} 明槓{⑦横⑦⑦⑦} ツモ{2}
「タンヤオ対々三槓子嶺上開花ドラドラ。24300!」
咲の親倍が炸裂した。
薫は、親役満に続き、親倍を咲に責任払いで持って行かれた。
ここに東一局二本場での咲への支払いも合わせると、既に84900点も咲に奪われたことになる。たった三回の支払いなのだが…。
東三局二本場。
「(にゃんとかして宮永の親をにゃがさにゃいと!)」
華菜は、とにかく和了りに向かった。心の中で漏らした言葉のとおり、とにかく咲の親を流すことが目標だ。
ただ、相当まいっているようだ。
心の中の言葉ですら舌が回らなくなっている。
そして、聴牌。
しかし………、次巡で華菜がツモ切りした牌で、
「ロンですぅー! 12600!」
憩に和了られた。
やはり、憩の能力は対応が難しい。
聴牌したら、次巡で必ず自分の和了り牌を引いてくる能力でもない限り、憩の餌食になるだけだ。
恐らく、それが出来るのは照くらいなものだろう…。
東四局、薫の親番。
薫としても何とか和了りたい。
「ポン!」
「チー!」
とにかく、薫は手を進めた。
誠子と同じ能力を持つ薫は、三副露すれば五巡以内に和了れるはず。
そして、
「ポン!」
三つ目を副露して聴牌。
しかし、次巡でツモ切りした牌で、
「ロン! 12000ですぅー!」
今度は薫が憩にハネ満を振り込むハメになった。
薫の和了りに向けた能力よりも、憩の先行聴牌者から和了る能力の方がパワーが強大なのだろう。
やはり、
『三副露すれば五巡以内に和了る』
では能力として弱いのだ。
薫は、もっと能力を鍛えて、
『三副露すれば次巡で必ず和了る』
にしないと、憩への振り込みを、どう足掻いても回避できないと言うことなのだろう。
ここで、各チームの点数は、
1位:奈良 200900
2位:大阪1 166900
3位:長野 41100
4位:島根 3100
いよいよ、薫の点数が危なくなってきた。
南入した。
南一局、憩の親番。
相変わらず、咲は敢えて一向聴のまま槓のチャンスを狙う。しかし、この局では早々に憩が聴牌した。
そして、
「リーチ!」
憩が聴牌即でリーチをかけ、
「一発ツモですぅー!」
次巡、憩が一発で和了り牌を引き当てた。自分が先行聴牌者なら、自分が自分の和了り牌を掴まされる。つまり、一発で和了れると言うことだ。
「リーチ一発ツモドラ2で4000オール!」
しかも親満ツモ。これで薫がトビで終了した。
この準決勝戦では、憩は、点数で咲に及ばなかったが、これでチームが決勝戦に進出できた。
リベンジは、やはり決勝戦の舞台だ。
この様子を控室のモニターで見ていた透華は、愕然とした表情を見せていたが、このオーダーで望んだ以上は仕方が無い。
やはり、先鋒には魔物対策できる選手………例えば透華自身(冷凍状態)か衣を配置すべきだったのだ。
一方の貴子は、特に表情を変えることはなかった。
ある程度想定していた結果だったし、最後まで勝負を捨てずに逃げ出さなかった華菜を、むしろ誇りに思っていたようだ。
自分の指示の意味を全く把握できていなかったところは、マイナスポイントではあるのだが…。
「ほな、咲ちゃん。決勝で勝負やな。」
「は…はい。」
「それじゃ、対局後の挨拶をしよか。」
憩の仕切りで、
「「「ありがとうございました。」」」
咲、憩、華菜、薫が一礼した。
しかし、この時、薫は、放心状態で声が出なかった。
声が出せたのは、咲、憩、華菜の三人。
勝ち抜け組の咲と憩は当然として、華菜は、どのような局面に追いやられても心が折れない図太い神経の持ち主である。
この強さは称えられるべきであろう。
薫は、インターハイでも咲と対局していた
今回は、そこに憩が加わり、魔物二人を同時に相手にすることになった。
魔物一人でも対応が厳しいのに………。
迂闊に初牌を切れば、大明槓からの嶺上開花&責任払いが待っている。
しかも、その相手は初牌を落さなくても、自力で和了る力を有している。
咲の仕掛けを擦り抜けても、先行聴牌すれば、次巡で憩の和了り牌を掴まされる。
八方塞がりだ。
対応の仕方が分からない。
覚悟はしていたが、本当に先鋒戦で、自分のトビで終了するのは心が折れる。もっとも、先鋒に誰を持ってきても結果は同じだっただろうが…。
一方、ジュニアAリーグの別ブロックでは、東京チーム1と鹿児島チームが決勝戦にコマを進めていた。
また、ジュニアBリーグのほうでは、東京チーム1、奈良チーム、鹿児島チーム、島根チームが決勝戦に進出することが決まった。
そして、その日の午後、決勝戦が開始された。
ジュニアBリーグでは、島根先鋒の石見神楽が圧倒的な闘牌を見せ、先鋒戦で東京チーム1を箱割れさせて終了した。
やはり、露子の霊を降ろした神楽には、鹿児島チームの先鋒石戸明星も、奈良チーム先鋒の小走ゆいも敵わなかった。
「神楽ちゃんの身体だと、相手の手牌が全部透けて見えるし、咲ちゃん以外には負ける気がしないわぁ!」
今日も露子は絶好調だったようだ。
ジュニアBリーグは、島根チームが優勝、鹿児島チームが準優勝、奈良チームが3位で幕を閉じた。
ジュニアAチームは、東京チーム1、鹿児島チーム、奈良チーム、大阪チーム1で決勝戦が行われた。
東京チーム1の先鋒は片岡優希。
東風の神と呼ばれ、スタートダッシュを得意とする。
この決勝戦に向けて優希は体調管理してきた。彼女から溢れ出るパワーを、咲はヒシヒシと感じ取っていた。
鹿児島チームの先鋒は神代小蒔。
今回も最強神を降ろして決勝戦に臨む。いや、むしろ最強神が咲との戦いを望んでいるようだ。
奈良チームの先鋒は宮永咲。
現在最強の高校生雀士。昨年インターハイから国民麻雀大会を含めて団体戦四連覇、個人戦三連覇の記録保持者。
昨年の国民麻雀大会では、大将の咲まで回らずに優勝が決まったため、実際には、ただ居ただけの人になってしまったが…。
ただ、今回は先鋒として勝利を目指す。
そして、大阪チーム1の先鋒は荒川憩。
一昨年のインターハイでは個人2位、昨年インターハイでは個人5位、今年のインターハイでは個人3位の実力者。
今度こそ咲にリベンジする!
当然、勝利を目指して燃えている。
いよいよ、この四人の対決の火蓋が切って落とされる。
場決めがされ、起家が優希、南家が小蒔、西家が咲、北家が憩に決まった。
咲は、昼食に京タコスを食べていたが、やはり起家を引き当てるパワーは東風の神には敵わなかった。
しかし、京タコスのお陰でパワーは最強状態になっていた。さらに靴下を脱いでパワーアップ。咲としても狙うは優勝あるのみだ。
東一局、優希の親。
打倒咲を掲げるのは、衣、光、憩、小蒔だけではない。優希も同じだ。
いきなり、
「ダブルリーチだじぇい!」
捨て牌を横に曲げた。
相手の和了り牌が分かる小蒔(神)は、一先ず一発振り込みを避けての筒子切り。
全ての牌が透けて見える咲も振り込むことは無い。普通に字牌切り。
そして、憩だが…。
さすがに、このスピードには憩もついて行けなかった。
いくら先行聴牌者から和了れる能力を持つとは言え、これに対抗するには配牌で一向聴以上が必須になる。
ここは、憩も一発振り込みを避けるのが精一杯だった。咲が捨てた字牌と同じ字牌を切って様子を見た。
そして、優希が山から牌をツモリ、
「一発ツモだじぇい!」
そのまま和了った。
「ダブリー一発ツモタンピン三色ドラ3(表1赤2)に、アタマが裏で乗って数え役満だじぇい!」
しかも、16000オール!
いきなり、とんでもないスタートとなった。
もし、ここにドラの支配者、玄がいたならば優希の和了りは倍満まで下げられたであろう。しかし、ここにはドラを支配するものはいない。
その結果、優希は全部でドラを五枚抱えて数え役満まで手を上げることとなった。
東一局一本場、優希の連荘。
ここでも、
「今日はツイてるじぇい。捨てる牌が無いじょ。」
優希が不吉なことを言ってきた。
そして、そのまま手牌を開き、
「ツモ! 16100オール!」
幻の役満、天和を和了った。
優希が体調を管理して最高状態に仕上げてくるとは、こう言うことである。
他家は、まだ一回しか牌をツモっていない。それなのに、既に32100ずつ優希に支払っている。
何と言う簡単麻雀。
他家にとっては理不尽極まりない。
もし、これが25000点持ちなら、既に他家全員が箱割れして終了である。恐ろしいほどのスタートダッシュだ。
この時、憩は、春季大会団体戦のことを思い出していた。
準決勝戦で優希が見せた序盤での大量得点と同じパターンである。
そう言えば、春季大会二回戦で、憩は優希と、
『清澄にいた頃は、咲ちゃんとも打ってたんやろ?』
『当然だじぇい! でも、今日よりも調子がイイ時じゃないと勝てなかったじょ。』
『嘘やろ?』
『本当だじぇい!』
こんな会話を交わした記憶がある。
たしかに、25000点持ちで東一局からこの爆発力を見せれば、咲にも勝てるだろう。
恐るべき東風の神の力だ。
東一局二本場。
ここでも、
「リーチ!」
優希がダブルリーチをかけた。
そして、
「一発ツモ! ダブリー一発ツモタンピンドラ3で8200オール!」
またもや一発でツモ和了りした。しかも親倍だ。
これで現在の点数は、
1位:東京1 220900
2位:鹿児島 59700(席順による)
3位:奈良 59700(席順による)
4位:大阪1 59700(席順による)
言うまでもなく、他家全員にクアドラプルスコア近い大差をつけて、優希がダントツであった。
まさに東風の神が引き起こした超大型台風である。
おまけ
今回は、本編とも麻雀とも全く関係ないお話です。
咲-Saki-を敢えてネタにする必要も無いストーリーです。
苦手な方はスルーしてください。
コクマ初日の夜。
咲はホテルでテレビを見ていた。
咲「あっ! これって…。」
それは、憧100式に出ている役者………自分をはじめ、憧や和、京太郎に似た役者が出ている映画だった。少なくともギャグメインではない。SFホラーと言うべきか。
他にも、優希似の役者や灼似の役者も出てくる。
咲としても、一度見たいと思っていた奴だ。
…
…
…
Carnivorousな生き物
1. アチガ島探検隊
「北緯〇〇度△△分、東経✖✖度▽▽分。例の海域に入ったよ!」
「うん…。ん…。前方に島が…。」
「ああ…。あれが噂の…。」
憧達は、バンセイ国ヨシノ諸島近海を航海中であった。
バンセイ国は、十年前までヤエ王国の支配下にあり、その最南端に位置するアチガ島は、丁度二十年前にヤエ王国の核実験が行なわれたところである。
十年前にヨシノ諸島は、その北方に位置するオモチ列島と、その西にあるマツ・ミクロ島と共にバンセイ国として独立した。
ヨシノ諸島北端のマツ・ミユウ島は、比較的人口も多く観光地として開拓を進め、ここ数年世界の注目を集めていた。しかし、アチガ島は、領土としてはバンセイ国のものであったが、誰も住んでいない無人島であった。
二十年以上前は、アチガ島にも人が住んでいた。
しかし、例の核実験の後は廃墟と化し、付近の島民達は誰も近付こうとはしなかった。
アチガ島が他の島から結構距離的に離れていて、最も近い島からでも船で丸一日かかることや、その島付近にサメが頻繁に出ることもあるが、やはり核汚染の恐怖が一番大きな原因であった。
そういった中、研究&調査のために、この島に上陸する者はこれまで何人もいた。
しかし、その者達は、上陸の無線連絡が入ったものの翌日には消息不明となっていた。
今までこの島を訪れて帰って来た者は一人もおらず、一体何が起こっているのか、まるで見当がつかないのだ。
こうなると、何者かに調査隊員達が殺されている可能性を誰もが考える。しかし、航空写真を見る限りでは、低木や草に覆われているだけで、哺乳類や大型爬虫類らしき姿は無い。
たまに動物が映るとすれば小さな鳥くらいなものである。
小型爬虫類や昆虫類は存在しているかもしれないが、少なくとも人間を捕らえるような大型動物の姿は、一切認められないのだ。
今回、憧をリーダーに、和、灼、優希の若手科学者(?)四人でチームを組み、日本人として初めてこの正体不明の島に乗り込んだ。
アメリカを筆頭とする他国の科学者達が成し得なかった調査を日本人が成し遂げ、世界の注目を集めようというのだ。
島に近付くに従って何か本能的に逃げ出したくなるような重圧が圧し掛かってくる。
誰も生還していないと聞かされているだけに、先入観からの恐怖はあるが、それだけでは説明のつかない異様な空気の流れを強く肌で感じるのだ。
確かに、これは、ただの島ではない。
しかし、島に着くと、これまでの恐怖心が嘘のような、まさに南国パラダイスを連想させる白く美しい砂浜が広がり、海岸から五十メートルほど離れた辺りからは核の世界とは程遠い彩り美しい草花が咲き乱れていた。
その草花の中に、バショウ科と思われる大型多年草らしき植物が点在していた。その葉の形や付き方からバナナの近縁種と思われるが、バナナと決定的に違うのは花の付き方であった。
バナナは、偽茎(バナナの幹と思われている部分)中央から太い花茎を伸ばし、そこに黄色い花を沢山咲かせる。
しかし、この植物は偽茎根元の両脇からリュウゼツランのように長い花茎を伸ばし、その先に燃える血潮のような深紅の小さな花を沢山付けていた。
花の少し下には直径2ミリメートルくらいの丸い塊がいくつも付いていた。多分、これが実なのだろう。花も実も、形は完全にバナナとは、かけ離れている。
上陸に際し、先ず和が放射能測定を行なった。
「…特に問題無いようですね。もう二十年も経っていますし、自然に浄化されたのかも知れませんね。」
この言葉に安心してか、灼が一目散にバナナに似た植物目掛けて走り出した。植物学者の彼女が、この新種の植物に興味を抱かないはずが無いのだ。
近くで見ると、その植物の葉は通常のバナナよりも肉厚で、表面は、つるつるしているのが分かる。触ってみると結構気持ちが良い。
葉の幅は一メートル以上あり、長さは三メートルにも及ぶ。普通のバナナよりは幅が広めなような気がするが、長さは大型種のバナナなら、これくらいになる。
灼は、最初、この植物が、バナナの亜種ではないかと考えた。
しかし、通常のバナナとは細かいところが結構違っていた。核実験の影響によって変異生成したミュータントだろうか?
「パン!」
この植物の実が弾け、中から胡麻のような小さな粒が飛び散り、灼の頭に降りかかった。まるでホウセンカのようである。少なくとも種ありバナナの種とは随分と異なる。
「なに? 種?」
灼は、頭に付いたその種を摘むと、それをビニール袋に入れて左胸のポケットの中に仕舞い込んだ。重要な研究材料として持ち帰るつもりなのだ。
一方、優希は、海岸線に沿って歩いていた。彼女は海洋学を専門としており、この島近海の生態系に興味があるのだ。
暫くすると、優希は岩場を見つけた。
そこには、ハサミが四本の小さな蟹がうじゃうじゃ繁殖していた。こんな生物を見るのは優希としても初めてである。これも、放射能によるミュータントだろうか?
また、和は、放射能の測定のために山の斜面を登り始めた。彼女は物理学者で、この島の放射能測定を中心に調査を行なうスタッフとして選ばれていたのだ。
皆が、上陸していきなり作業をはじめているのに対し、憧は考え事をしながら、ただ島の中心にそびえたつ山をボーっと眺めていた。
彼女は、昆虫学者であるが、今は昆虫のことよりも、一体何が今までこの島に来た人間を一人も帰さなかったのかが気になっていた。
島に着くまでは、先入観も働いて恐怖に満ちた異様な雰囲気しか伝わってこなかったが、いざ上陸してしまうと、そんな恐怖は微塵にも感じられない。
この島は閉じた世界ではあるが、見た感じでは何処と無く平和な雰囲気である。
もし、この島ではなく帰路に問題があるのなら、この島に来る時に既に問題に遭遇しているはずである。基本的に往路も復路も同じ経路を通るのだ。
ならば、この島に問題があるとしか考えられないが、この平和と思える島に人を消し去る何かがあるとは到底思えない。
何故、この島から帰還した人間がいないのか、疑問に思わざるを得ないのだ。
何時しか日が暮れて夜になった。
既に現地時刻では午後八時を回っている。
各自、宇宙食のような携帯食料を口にしながら、船の一室で島全体の航空地図を広げて明日の調査スケジュールについて話し合っていた。
突然、和が黙り込んだ。
優希が、
「どうかしたのか?」
と和に聞いた。
「ちょっと今だけ静かにしてくれませんか? 誰かが外で呼んでいるような声が聞えるんです。」
こう言われて優希が、耳をすまして外の方に注意を向けた。
「………確かに聞えるじょ…。なんだか…男の人の声っぽい気がするじぇ。」
しかし、和には、そうは聞えていなかった。
「いいえ、あれは女性の声です。絶対!」
「違うじょ。あれは、絶対に男の声だじょ!」
「ありえません。女性の可愛らしい声です。」
「可愛いって…、あれの何処が可愛いか分からないじょ?」
探検隊に選ばれた者達の会話とは思えないレベルの話で、二人共、次第に興奮してきた。
互いに些細なことでも絶対に自分を曲げ様としない。平行線のまま何処までも会話は続いて行った。
しかし、外から人の声が聞えてくると言う点では二人の会話は一致している。本当に何か聞えるのだろうかと半信半疑で憧も耳をすましてみた。
「…確かに…。女性の声が聞える。」
この憧の言葉を聞いて、和が勝ち誇ったように優希に言った。
「やはり私が正しいようですね。女性の声です!」
「違うじょ! 絶対に男の声だじょ!」
再び平行線の会話が始まった。そんな中、灼が静かに立ち上がった。
「ゴメン…。ちょっと頭が痛くて…。部屋に戻って横になってくる…。」
確かに心なしか顔色が悪い。灼は、そのまま疲れ切った表情で部屋を出ていった。
一方の和と優希は、灼のことなど全然眼中に入っていなかった。
「絶対に女性の声です!」
「男だじょ!」
「じゃあ、実際に外に行って確かめてみましょう。」
「確かに、その方がはっきりするじぇ。」
互いに譲らないまま二人は部屋を出ていった。
甲板に出ると、二人は海岸から五十メートル近く離れたところに人影を見付けた。
辺りは薄暗く、光と言えば月明かりと船から発する光だけである。
この人影が男か女か、この距離ではそう簡単に分かるものではない。しかし、和と優希には、その人達の顔がはっきりと見えていた。
「やっぱり女性です。それも…、あれは、咲さんです。しかも裸で!」
「やっぱり男だじょ。京太郎が裸で私に手招きしてるじょ!」
もう二人共、目に映った人間に釘づけで、互いの言葉など聞いてもいなかった。この不自然さに全然気付いていなかったのだ。
優希は、顔を紅潮させながら甲板から駆け降り、服を脱ぎ捨てながら人影の方に一目散に走っていった。そして、彼女は京太郎(?)に裸で抱き着いた。
これを見て和は、
「何故、優希が咲さんに? でも、良く分かりませんが咲さんがもう一人います。では、私は、こっちの咲さんに…。」
と何の疑いも無く甲板を駆け降りて行った。そして、和もまた、服を脱ぎながら人影の方へと走って行き………、咲に抱き着いた。
この島は、一人も帰還していない魔の島である。上陸した時には平和な島でも何時自分達の常識を破った魔物が出るかもしれないのだ。
憧は、そう思いながら、外に出ていった和達を心配して甲板に出た。
甲板に立って、憧は、自分の目を疑った。
砂浜の向こうでは、裸になった穏乃が自分の方に手招きしているではないか。
しかも、何故か穏乃が副数人いる。果たして、こんな都合の良いことがあるのだろうか?
その一人に、和が抱き着いて今にも押し倒そうとしている。その隣では、別の穏乃に優希が裸で抱き着いている。
しかし、優希自身は、京太郎に抱き着いているつもりのようだ。京太郎と連呼しているから間違いない。
憧には穏乃に、和には咲にしか見えない相手が、優希には京太郎に見えていたのだ。
憧は、思わず甲板を駆け降りて穏乃に抱き着きたい気持ちでいっぱいだった。
しかし、ここは無人島のはずである。それなのに何故、ここに穏乃がいるのか?
しかも何故、穏乃が副数人いる?
どう考えても不自然だ。
憧は、夢か幻でも見ているのではと、自分で自分の頬を強くつねってみた。
すると、今まで裸の穏乃にしか見えなかった陰がぼやけ、辺りに点在していたバナナのような植物の陰に変わった。
「ま…まさか…。」
しかし、数秒すると、すぐにまた植物の陰が裸の穏乃に戻っていった。
今度は唇を強く噛み締めた。
すると、その苦痛から幻覚が解けて、バナナのような植物の大きな葉にもたれかかる和と優希の姿が憧の目に飛び込んできた。
突然、それぞれ二人がもたれかかる葉に、反対側の葉が覆い被さってきた。そして、それぞれが二枚の葉で二人を完全に包み込んだのだ。
「や…やばいじゃん、これ?」
憧は、これまで上陸した探検家達が消息を絶ったことと、この植物に何か関連があるのではと思い、急いで甲板を降りて行った。
しかし、いざ砂浜に下りて植物に近付こうとすると、その姿が素っ裸の穏乃に変化してしまう。
しかも穏乃が元気な声で、
『憧! Hしよう!』
と声をかけてくる。
憧の身体が急に熱くなり、性的興奮状態に入って来た。
「これは…、もしかして植物から幻覚とか幻聴を誘引するガスと催淫ガスが出ているんじゃない?」
何のプロテクトも無しにこれ以上近付いて行くのは危険である。
偏差値70が余裕でも、所詮は人間なのだ。いくら平静を保とうとしても、この幻覚・幻聴と催淫による刺激には、とても耐えられそうに無い。
憧は、一端、船に戻った。そして、ガスマスクと、念のためテフロン製の手袋を付けるとナイフを片手に再び植物の方へと走って行った。
二人を覆う葉と葉の僅かな隙間から、まるで滝のように液体が流れ出ていた。
憧は、先ず優希を覆う葉にナイフを入れた。葉を縦に切り裂き、優希の身体を引き出そうとしたのだ。
しかし、いざ葉を裂くと中に入っていた物は、既に優希の姿ではなく溶けかけた白骨であった。
「なにこれっ!」
憧は、驚きのあまり、その場に座り込んだ。
この植物は、葉と葉を合わせて獲物を包み込み、消化液を出して肉はおろか骨までも溶かして養分と化するものだったのだ。
しかも、その消化速度は極めて速く、消化された獲物は液体となって地面に流れ落ちる。それを養分として根から吸い上げるのだろう。
獲物を液体肥料に変える。今までに例の無いタイプの捕食型植物である。
憧は、暫く呆然としていた。
すると、優希を覆っていた二枚の葉が離れ、元のバナナに似た形態に戻って行った。優希の身体の消化を終え、葉と葉を合わせる必要が無くなったのだ。
その隣でも、和を包み込んでいた二枚の葉がゆっくり離れて始めていた。
和の身体も完全に消化されて、植物自身が作った液体肥料として周りに撒き尽くされてしまったのだ。
憧は、逃げるようにその場を立ち去った。
研究のためとはいえ、このままここに長居していたら自分だって、いずれはこの植物の餌になってしまうのは明白である。
いくらなんでも、あの誘惑に半日…、いや一時間とて耐え切れる自信は無い。
相手が裸の穏乃では………、本能が意思を押さえつけて、あの植物に無意識に近付いてしまうのは時間の問題なのだ。
昼間は、ただバナナに似た感じの植物だが、夜になると本性を現す。
幻覚作用で自らを理想の相手に見立て、幻聴を聞かせて巧妙に誘引し、さらに催淫作用により性行為を求めてきた獲物をまるで抱き締めるように包み込んで一気に消化してしまう植物。これが、この島の魔物の正体だったのだ。
しかも、この誘引メカニズムは極めて効率的である。
獲物の持つ本能を刺激するのだから滅多なことでは逃げられないだろう。
憧は、誰も生還できなかった理由を報告しなくてはならない。彼女は船に乗り込むと、慌てて船を発進させ、防毒マスクを外して無線を入れた。
「こちらアチガ島探検隊。応答を願います。こちらアチガ島探検隊。応答を願います…。」
しかし、電波の調子が悪く、全然無線が届かない。
丁度この時、アチガ島では、昼間に優希が岩場で発見した四本のハサミを持つ小さな蟹の大群が、海に向かって手招きしていた。
すると、それに吸い寄せられるかのように、まだ身体が透き通った状態の沢山の稚魚達が砂浜に波で打ち寄せられた。
無数の蟹が一斉に砂浜の方に動き出した。そして、砂浜に打ち寄せられた稚魚をむさぼり喰らい始めた。
その蟹は、特殊な超音波を放って近海をさまよう稚魚を誘導していた。
彼等の腹が満たされるまで、あと数時間は、その小さな身体から特殊超音波が放たれ続けることになる。
そして、その超音波が偶然にも妨害電波となって無線を届かなくしていたのだ。
一先ず憧は、無線を後回しにして、灼に状況を伝えようと、彼女が寝ている部屋へと向かった。
憧がドアをノックした。
「ちょっと良いですか?」
しかし、中からは全然返事が返ってこない。
余程具合が悪いのだろうか?
それは、それで心配である。
憧が、静かに灼の部屋のドアを開けた。
すると、灼が寝ているはずのベッドに、何故か裸の穏乃が座っていて、
『憧! Hしよう!』
と言いながら憧れに手招きしてきた。
憧は、慌ててドアを閉めた。
「これって…、まさか…。」
唇を強く噛み締めて、憧は再びドアを開けた。すると、そこには頭から筍のような芽を生やして横たわる灼の姿があった。
「こ…これって…?」
昼間、灼の頭に落ちた人喰い植物の種が発芽していたのだ。
種の殆どはビニール袋に入れて左胸のポケットに仕舞い込んでいたが、一粒だけ頭に付いたままになっていたようだ。
既に灼は息が無かった。その植物が既に彼女の大脳まで根を張って、養分として吸い上げていたためだ。
さっき裸の穏乃に見えたのは、その植物だったのだ。
既に捕食機能として幻覚ガスと催淫ガスによる誘引機能が働き始めているのだろうか?
となると、何らかの形で捕食機能も働いている可能性がある。
憧は、背筋に冷たい物が走った。
アチガ島から逃げ出したと思ったら、今度は海の上の閉ざされた空間で人喰い植物と顔を合わせてしまったのだ。
しかも、これから一番近い島までどんなに急いでも半日以上はかかる。
防毒マスクだって何時間も連続して使い続けられるものではない。使用時間に限界があるのだ。
かといって、海に飛び込もうにも、この辺にはサメが頻繁に出る。
もはや逃げ道は無い。
しかし、その不安とは裏腹に身体は異様に興奮している。本能が意思に代わって全身を支配する状態まで、既に秒読み段階に入っていた。
続く