咲-Saki- 阿知賀編入   作:おこそとのほもよろを

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オーダーは以下の通りです。

旧朝酌女子高校
先鋒:瑞原はやり(プロ雀士)
次鋒:石飛閑無(朝酌女子高校麻雀部監督)
中堅:本藤悠彗(粕渕高校麻雀部監督)
副将:稲村杏果(温泉宿女将兼朝酌女子高校麻雀部非常勤コーチ)
大将:白築慕(プロ雀士:ワールドレコードホルダー?)

阿知賀女子学院
先鋒:松実玄(インターハイ個人8位)
次鋒:新子憧(インターハイ個人16位)
中堅:宮永咲(インターハイ個人1位)
副将:鷺森灼(インターハイ個人18位)
大将:高鴨穏乃(インターハイ個人9位)

粕渕高校
先鋒:春日井真澄(春日井真深姪:非能力者)
次鋒:石原麻奈(石原依奈姪:非能力者)
中堅:坂根理沙(坂根千沙娘:非能力者だが勘が鋭い)
副将:緒方薫(亦野誠子従妹:誠子と同様の能力を有する)
大将:石見神楽(インターハイ個人7位:他家手牌の透視と口寄せができる)

朝酌女子高校
先鋒:石飛杏奈(石飛閑無の姪:非能力者)
次鋒:稲村桃香(稲村杏果従姉妹:杏果と同様の能力を有する)
中堅:森脇華奈(森脇曖奈従姉妹:非能力者)
副将:野津楓(野津雫姪:非能力者)
大将:愛宕雅恵(千里山女子高校監督:ピンチヒッター)


七十本場:練習試合2 空中戦

 先鋒卓では、はやりが、またもや朝倉南っぽい、いかにも男ウケを狙ったようなブリッ娘口調で、

「(やってみるぞ! 巨大龍対策!)」

 と心の中で言いながら、余裕の笑みを浮かべていた。

 

 南入した。

 南一局では、はやりは門前で手を仕上げ、

「ロン! 8000!」

 玄から満貫を和了った。狙い撃ちだ。

 

 そして、南二局でも、

「ロン! 8000!」

 やはり、はやりは玄を狙い撃ちして満貫を和了った。

 

 続く南三局、はやりの親番。

 この局、玄の三元牌支配は準備期間を終えているはずである。となると、ここでは大三元の和了りへと向かって玄は突き進んで行く。

 しかし、

「チー!」

「ポン!」

 玄が序盤から捨ててくるチュンチャン牌をはやりは鳴いた。そして、

「ツモ! 1000オール!」

 三元牌支配の状態で玄が和了る前に、はやりがサクッと和了りを決めた。

 

 南三局一本場。

 ここでは、

「カン!」

 はやりが杏奈の捨て牌を大明槓した。玄の三元牌支配を流そうとの腹だ。

 そして、このはやりの考えに真澄が気付いた。理沙ほど気が利く娘ではないが、普通に頭が回る。

 となれば、することは一つ。たまたま配牌から揃っていた暗刻を、

「カン!」

 ムリヤリ真澄が大明槓した。

 これで嶺上牌が二枚無くなった。

 三元牌支配状態での玄の和了りは、三連槓からの大三元三暗刻三槓子嶺上開花に限定されている。よって、玄が和了るには嶺上牌が足りない。

 この局では、はやりも真澄も和了り放棄していた。

 そして、唯一門前で手を作っていた杏奈が、

「ツモ! 3100、6100!」

 ハネ満をツモ和了りした。二人の槓でドラが乗ったのが大きかったようだ。

 

 続くオーラスでは、

「ツモ。500、1000。」

 はやりが鳴きの安和了りを決めて半荘を終了した。

 

 順位と点数は、

 1位:はやり 147300

 2位:玄 115800

 3位:杏奈 70800

 4位:真澄 66100

 玄に大三元を和了られはしたが、玄を狙い撃ちし、さらに三元牌支配が発動しても玄の和了りを阻止することで、玄に30000点以上の差をつけて、はやりがトップを取った。

 はやりがプロとしての意地を見せた対局と言える。

 

 一方、真澄は最下位になったが、南三局一本場で玄に大三元を和了らせないために大明槓を仕掛けたことは評価に値するだろう。たとえ負けても、上位との得失点差を最小限に抑えることも団体戦では重要だからだ。

 少なくとも、はやりは、そう見ていた。

 

 

 次鋒卓は、麻奈が起家、憧が南家、閑無が西家、桃香が北家での対局となった。

 魔物が存在しない極めて平和な卓である。当然、先鋒卓のような荒れた対局には、ならないことが予想される。

 恐らく、この卓に関しては100000点持ちにする必要は無かったであろう。

 

 東一局、麻奈の親。

 ここでは南家の憧がいきなり、

「チー!」

 得意の鳴き麻雀を披露し、

「ツモ! 1000、2000!」

 定番の30符3翻をツモ和了りした。

 

 

 東二局、憧の親。

 ここでも、憧のスピードは止まらない。

「チー!」

 むしろ、加速する。

「ポン!」

 そして、

「ツモ! 2000オール!」

 ここでも30符3翻をツモ和了りした。憧としても、非常に良い立ち上がりである。

 

 東二局一本場、憧の連荘。

 ここでは、早々に憧が捨てた{白}を、

「ポン!」

 閑無が力強い声で鳴いた。まるで、憧に触発されたかのようであった。

 門前での手作りが地を這う動きなら、この鳴き合戦は、まるで空中戦のようだ。

 

 正直、閑無にだって朝酌女子高校歴代最強と言われた十一年前のチームのレギュラーメンバーとしての意地がある。

 そして、数巡後、

「ツモ! 白南対々三暗刻! 3100、6100!」

 その勢いに乗ったまま、まるでツモ牌を卓に激しく叩きつけるかのようにして、閑無がハネ満をツモ和了りした。

 全く性別を感じさせない雰囲気。この豪快な感じは、慕と出会った当時………十五年以上前から全然変わらない。

 これで、閑無がトップに立った。

 

 

 東三局、閑無の親。

 ここでも、

「ポン!」

 前局と同様に閑無が豪快に牌を晒した。まるで、勢い付いた自分を周りに見せ付けてプレッシャーをかけているかのようだ。

 しかし、聴牌に取った捨て牌で、

「ロン。タンヤオドラ2。5200です。」

 閑無は、教え子の桃香に振り込んだ。まあ、こんなこともよくある話だ。

 

 ただ、この対局で、閑無は、余程の局面で無い限り攻めに回ろうと決めていた。

 守りに入っていては憧には勝てない。

 昨年のインターハイから今年のインターハイまでの憧の活躍を見れば、それは言うまでも無く分かる(今年のコクマは、咲と玄の二人だけで優勝してしまったため、残念ながら憧の活躍の場は無かった)。

 

 

 東四局、桃香の親。

 今度は負けじと憧が、

「チー!」

 自分の鳴き麻雀を披露し、

「ツモ! 1000、2000!」

 定番の30符3翻での和了りを見せた。

 安手とバカにする人もいるが、二回和了れば満貫と、三回和了ればハネ満と変わらない。四回和了れば倍満と同じだ。

 逆に高い手を聴牌していても和了れなければ無意味だ。

 とにかく、和了りの回数で稼ぐ。これが今の憧のスタイルだ。

 

 

 南入した。

 南一局、麻奈の親。ドラは{②}。

 未だ麻奈だけヤキトリだったが、この局面で、

「(こ……これって………!)」

 

 {二四[五]②②②[⑤][⑤]東東東北中中}

 

 本人も驚くほどの配牌に恵まれた。

 これなら、ダブ東中ドラ6の親倍が狙える。

 しかも、いきなり一向聴。{三}でも{六}でも{⑤}でも{中}でも良い。鳴ければ鳴く。それで親倍聴牌だ。

 俄然、麻奈のヤル気が上がった。打{二}。

 

 そして、幸運にも一巡目で待望の{中}を桃香が捨てた。

 今は一鳴きがどうこう言っていられるような局面ではない。当然、これを、

「ポン!」

 麻奈は鳴いた。勿論、打{北}で聴牌。

 その数巡後、

「ツモ!」

 和了り牌の{六}を麻奈は引き寄せ、

「8000オール!」

 親倍を和了った。これで、麻奈が一気にトップに躍り出た。

 

 この和了り手を見て憧は、

「(まるで玄みたいな手ね。)」

 と思った。

 しかし、ここにいるのは玄じゃない。ドラを全て独り占めする化物ではない。

 とは言え、ここで波に乗せてしまうと、流れもドラも全て麻奈に持って行かれてしまう可能性がある。当然、ここで流れを断ち切らなくてはならない!

 とにかく、今は麻奈の親を流す。

 憧は密かに気合を入れ直した。

 

 南一局一本場。ドラは{三}。

 この時、憧の配牌には自風で場風の{南}が対子、ドラの{三}が一枚、{[⑤]}が一枚に{[5]}があった。かなり好配牌である。

 当然、ここは、ダブ南+ドラの手で、普段よりも高打点を狙う。

 ところが、待望の{南}は、中々出てこなかった。

 場風なので全員が使える。そのため、誰かが対子を作る前にと早々に捨てるか、それとも使える可能性を残すためにヤオチュウ牌処理の最後に回すか、このどちらかになる。

 ここでは、他家が後者を狙ったのだろうか?

 

 そろそろ憧が痺れを切らし始めたその時だった。

 とうとう麻奈が{南}を捨てた。麻奈としても親の連荘を目指す。いつまでも使えない牌を残しておくわけには行かない。

 当然、憧は、これを、

「ポン!」

 勢い良く鳴いた。そして、次巡、

「チー!」

 ドラ傍の{四}を鳴き、憧は{横四三五}と副露した。

 そのさらに数巡後、

「ツモ!」

 狙い澄ましたかのように憧がツモ和了りを決めた。

 

 開かれた手牌は、

 

 {③⑤⑤[⑤]34[5]}  チー{横四三五}  ポン{横南南南}  ツモ{④}

 

「ダブ南三色ドラ3。3100、6100!」

 高目ツモのハネ満だった。これで、憧が首位を取り返した。

 

 

 南二局、憧の親番。

 和了って手に入れた親番だ。幸先が良いと感じる。

 しかし、ここで序盤から仕掛けてきたのは、

「ポン!」

 閑無だった。桃香が捨てた{南}を鳴いてきた。やはり、憧に負けじと攻めてくる。

 次巡にも、閑無は、

「ポン!」

 麻奈が捨てた{⑤}を鳴いた。しかも副露した{⑤}の明刻には赤牌が二枚含まれていた。

 これでダブ南ドラ2の満貫が確定。

 当然、憧としては、ここで閑無に和了らせてはならない。勿論、憧も、

「チー!」

 鳴いて手を進める。

 しかし、

「ツモ!」

 この局の軍配は閑無に上がった。

 しかも、開かれた手牌は、

 

 {①①⑦⑦⑦西西}  ポン{[⑤]横⑤[⑤]}  ポン{南南横南}  ツモ{①}

 

 ダブ南混一色対々子ドラ2。倍満だ!

「4000、8000!」

 これで、再び閑無が1位に上がり、親かぶりを喰らった憧は3位に転落した。

 

 現段階での各人の点数は、

 1位:閑無 108000

 2位:麻奈 105800

 3位:憧 104200

 4位:桃香 80500

 桃香の一人沈みの状態だった。しかし、桃香は、オーラスの親を残している。逆転のチャンスが失われたわけではないだろう。

 他の三人も、誰が最終的に1位になってもおかしくない点数だ。

 

 

 南三局、閑無の親。

 今度は憧が、

「チー!」

 巻き返しを図る。閑無よりも先に鳴いて手を進め出した。

 当然、閑無も、

「ポン!」

 対抗して鳴きに出た。ここで憧のスピードに負けたら逆転される。そんな気配を感じたためだ。

 しかし、この鳴き合戦は、

「ポン!」

 憧の手の方が一歩早く、

「ツモ! 1000、2000!」

 得意の30符3翻で、憧がサクッと和了りを決めた。

 これで、再び憧が逆転してトップに立った。

 

 

 オーラス、桃香の親。ドラは{8}。

 1位の憧とラスの桃香の点差は27200点。逆転は厳しいが、逆転できる可能性はゼロでは無い。

 それに桃香は親だ。一回の和了りで決める必要は無い。当然、逆転を狙いに行く。

 憧は首位を守りに行くし、閑無と麻奈も逆転トップを狙う。閑無と憧の点差は2200点、麻奈と憧の点差は3400点でしかない。十分まくるのは可能だ。

 

「ポン!」

 この局面で、憧が{3}を鳴いた。

 憧の捨て牌はヤオチュウ牌中心。これはクイタンか?

 次巡、

「チー!」

 憧は麻奈が捨てた{②}を鳴いて{横②③④}と副露した。形振り構わない手の進め方だ。

 これに喰らい付くように、

「チー!」

 閑無が鳴いて{横678}と晒した。

 ドラの{8}が一枚見えているのだから、最低でも2000点の手になるのは明白。これをツモ和了りすれば逆転できる。

 一方、麻奈は門前で手を伸ばしていた。幸い、手にはドラが2枚ある。これを和了れば逆転可能だ。

 誰が勝ってもおかしくない混戦状態………。

 

 そして、これを征したのは、

「ツモ! タンヤオのみ! 300、500!」

 早和了りを恭子に鍛えられた憧だった。

 

 順位と点数は、

 1位:憧 109300

 2位:閑無 105700

 3位:麻奈 104500

 4位:桃香 80500

 大方の予想通り、この卓は25000点持ちで開始しても特に問題は無い結果となった。実に平和な卓であった。

 これで、旧朝酌女子高校チームと阿知賀女子学院がそれぞれ勝ち星一となった。

 

「(やっぱ、春夏連覇は伊達じゃないってことか。ここぞってトコで巧く決めるし、今の朝酌じゃ、新子さんでさえ到底敵わないな。)」

 閑無は、阿知賀女子学院チームの強さを肌で感じ取った気がした。

 旧朝酌女子高校では、自分は上から四番目の実力………だと思っている。

 少なくとも、慕、はやり、悠彗には敵わない。杏果と自分のどっちかが四番目で、もう片方が五番目だ。その自覚はある。

 

 憧は、見た限り阿知賀のレギュラーでは良くて四番目の実力だろう。つまり、それぞれのチームの中で、自分と同じ立ち位置だ。

 それが、最後に競り負けた。

 正しくは、憧に巧く立ち回られた感じだ。ツキがどうこう言う話ではない。実力で負けた。閑無は、そう捉えていた。

 高校の頃よりも、自分自身は、少しは強くなっている自負はあるのに…。

 

 今の朝酌女子高校メンバーは、誰一人として閑無に敵わない。馬鹿ヅキして閑無に勝つことはあるが、トータルでは完全に閑無が全員に勝ち越している。

 ところが、その閑無よりも憧のほうが強い。

 恐らく、十一年前の朝酌女子高校チームよりも、今の阿知賀女子学院チームのほうが圧倒的に強いだろう。

 これだけのチームが存在するとは………。

 想像以上だ。

 

 

 中堅卓は、咲、悠彗、理沙、華奈の対局。

 超魔物の咲に、朝酌女子高校歴代最強軍団のナンバー3で能力者の悠彗、理屈抜きで全てを直感でカバーする理沙の対決。

 普通に強い娘の華奈が可哀想な卓である。

 

 場決めがされ、起家は華奈、南家は悠彗、西家は咲、北家は理沙に決まった。タコスを食していない咲は、普通に得意の西家を引き当てていた。

 

 

 東一局、華奈の親。

 華奈以外の三人は、この局は様子見に撤していた。

 厳密には、咲と悠彗は、互いの出方をマークしていたし、理沙は、咲と悠彗の特徴的な打ち筋を観察している感じだ。

 まだ、咲が本気を出していないのを理沙は十分理解していた。薫から聞かされていた吐き気を催すような威圧感を、未だ一切感じていないからだ。

 言うなれば、嵐の前の静けさのような局だ。

 ここで先行聴牌したのは親の華奈だった。

 ただ、役無しでドラも無いクズ手。

「(親だし、イイよね?)」

 華奈は、連荘狙いで、

「リーチ!」

 攻めに出た。そして、

「一発ツモ! 裏二枚で4000オール!」

 幸運にもアタマが裏で乗った。

 もし、タンヤオでも付いていればハネ満だった。華奈にとっては、幸先の良いスタートである。




おまけ

前話(六十九本場)おまけからの続きです。
本編とも麻雀とも全く関係ないお話です。
咲-Saki-を敢えてネタにする必要も無いストーリーです。
苦手な方はスルーしてください。




華菜の大チョンボ!
2.

それから数時間が過ぎた。
P市では、プテラノドン騒ぎで厳重な警戒体制が敷かれ、住民もリゾート客も全員、建物の中から一歩も外に出ないようにと街中に通達されていた。
一応、追い払ったとは言え、取り逃がした沢山のプテラノドン達が、何処から襲い掛かってくるかもしれないし、それ以前に今日確認された数以上にプテラノドンが存在しないとは断言できない。
もしかしたら、とんでもない数のプテラノドンが、街の何処かに息を潜めて隠れているかもしれないのだ。

いつもはリゾート客で一晩中賑わいを見せる街が、この夜だけは、まるでゴーストタウンのように恐ろしいくらいに静まり返っていた。

この時、コシガヤ院長は、病院裏手の自宅のベッドで既に横になっていた。
妻とは去年死別し、今は二十歳を過ぎた二人の娘…ケイコとシオリと彼の三人で暮らしていた。
部屋の電気を消し、窓の外に光る満月が彼の顔をうっすらと照らしたその瞬間、突然、大きな窓の外に、トカゲの頭のような形をした影が映った。その大きさは、人の頭と同じくらいある。
コシガヤ院長は、思わず部屋の電気をつけた。すると、窓の外には攻撃的な目を鋭く光らせ、まるで獲物を見詰める鷹のような表情でコシガヤ院長の方をじっと見据えている大きな爬虫類のような(?)の顔があった。
「な…何だ、あれは?」
次の瞬間、その爬虫類のような生物は頭で窓を突き破ると、まるでカンガルーのようにジャンプして部屋の中に飛び込んできた。
二脚歩行で、脚の先と手にはナイフのように尖った爪が数本付いており、口の中には何十本もの鋭い牙が見えていた。
体長は、約4メートル。体高は、直立すれば2メートルに達するだろう(体長は、頭から尻尾の先までの長さであるのに対し、体高は、真っ直ぐ立った時の足先から頭までの高さ)。その姿は、まさに幼少の頃に図鑑で見た獰猛な中型肉食恐竜ディノニクスの姿そのものであった。
ディノニクスの恐ろしい視線が、コシガヤ院長に突き刺さってきた。
コシガヤ院長は、恐怖の余り部屋を飛び出そうとドアの方に一歩踏み出した。すると、この時、
「「キ…キャー!」」
ドアの向こうから悲鳴が聞えてきた。
間違いない。娘達…ケイコとシオリの悲鳴だ。
コシガヤ院長は、思わず娘達の身を案じてドアを開けた。すると、そこには待ち構えていたかのように、もう一匹のディノニクスがこっちを向いて立っており、目が合うと、まるでガンをつけるようにコシガヤ院長をじっと睨みつけた。
思わずコシガヤ院長は、ドアを閉めた。しかし、次の瞬間、凍て付くような激しい殺気を、背後から感じた。
彼が後ろを振り向くと、すぐ目の前でディノニクスが牙をむいていた。そこには、さっき窓を突き破って飛び込んできたディノニクスが、様子を伺うように立っていたのだ。
そして、瞬く間にコシガヤ院長に襲い掛かり、悲鳴を上げる隙も与えぬまま一気に彼の頭を噛み砕いた。
その猛獣の雄叫びがP市の一角に響き渡った。
獲物を仕留めた二脚歩行の恐竜が、
『ここに餌があるぞ!』
と仲間を呼ぶ声だ。
その声を聞きつけて、突き破られた窓を飛び越えて、同じ形で一回りも二回りも小さな恐竜が何匹も部屋の中に入って来てコシガヤ院長の死体に群がり、ハイエナの如く、その死肉に食らい付いていった。コシガヤ院長を仕留めたディノニクスの子供達なのだろう。
親恐竜は、今度は隣の家の窓を突き破って飛び込んだ。そして、戦慄に凍る女性の悲鳴が聞えてきたかと思うと、再び恐竜の雄叫びが辺り一面に響き渡った。

人類は、地球上で最も優れた知力を授かった。
しかし、武器も何も持たない状態では、何億年もの年月を経て築き上げられた野生の本能には全然勝ち目が無かった。


その頃、グアム島海岸ではジリジリと焼き付けるような太陽の下で沢山の人達が海水浴を楽しんでいた。
ラジオやテレビのニュースでP市でのプテラノドン騒ぎを聞かされてはいたものの、殆どの人達が自分とは直接関わりが無く、全くの他人事としてしかとらえていなかった。
沖の方でゴムボートに揺られながら、美しく輝く青い水平線を、佐々野いちごは、一人でボーっと眺めていた。
すると、突然巨大生物の影のようなものが水面から微かに見え隠れしながら彼女の方に近付いてきた。そして、その影が一瞬水面下に深く潜ったかと思うと、次の瞬間、体長10メートルにも及ぶ魚に似た形をした巨体が水面に浮上し、大きな口を開けて牙を剥き出しにしながら、いちごの方に突っ込んできた。
「キャー…サ…サメ…。」
その姿から、いちごには、その生物がサメとしか思えなかった。
たしかに、その生物の体型は、魚類やイルカと同じ紡錘形で遠目には魚のようにしか見えなかったが、顔は魚類とは全く異なり、むしろ獰猛なワニにそっくりであった。
全身は、うろこと言うよりは、むしろ角質層に覆われた感じで、魚よりは野蛮なオオトカゲのような雰囲気であった。
その爬虫類ともサメとも言えない魚の形をした生物が、その巨大な口で、いちごの身体に食らい付いた。
ゴムボートを引き裂き、その生物が大きな音を立てて海面下に潜って行くと、水面が次第に赤く染まって行った。
そこには既に、いちごの姿は無く、鋭い歯で根元から切断された腕が一本、波に煽られながら浮かんでいるだけであった。
海水浴場にサイレンが鳴り響き、急いで海から上がるように緊急放送が流れ出した。
しかし、我先にと海から逃げようとする人々の群れに向かって、その魚みたいな生物が猛スピードで突っ込んで行った。そして、再びイルカのようにジャンプすると、大きな口を開いて逃げ惑う人々に食らい付いた。
そのジャンプした瞬間を、監視員の花田煌が双眼鏡で見ていた。
煌は、顔の筋肉が痙攣したかのように表情が固まり、全身から大量の冷や汗が、どっと噴き出していた。
「な…何ですか、あれは? 非常にスバラくありませんね。」
現在、地球上にはイルカやシャチ、クジラといった水生哺乳類が存在する。それと同じように中生代(恐竜の生きていた時代)にも魚竜と呼ばれる魚型の水生生物が存在していた。
恐竜とは、陸上生活を送っていたものの呼び名であり、同様の種で空を飛ぶものを翼竜、水中生活を送っていた紡錘形の類いを魚竜と呼ぶ。イクチオサウルスやウタツサウルスなどが魚竜に当たる。
勿論、これらの生物は、既に恐竜と共に絶滅したものとされている。

イクチオサウルスもウタツサウルスも、せいぜい体長1メートルから2メートル程度の大きさである。
しかし、その魚に似た生物は、10メートルにも及ぶ巨大なものであった。

中生代には魚竜以外にも獰猛な水生生物が存在していた。その種は、長い首とウミガメのようなオールに似た四肢を持ち、一般に我々は、それらを首長竜と呼ぶ。エラスモサウルスやブレシオサウルスが、その代表である。
ただ、エラスモサウルスの場合、体長は13メートルとされているが、その半分が首で、頭そのものは余り大きくない。

ところが、白亜紀前期には、とんでもない生物………クロノサウルスが存在していた。
その生物は、最大13メートルにも及ぶ巨体を持ち、しかも、そのうち頭部が実に3メートルもあると言うジョーズ真っ青の巨大な口を持つ獰猛な肉食獣だったのだ。海のティラノサウルスという異名までも持っている。
グアム島沿岸に突然現れたその生物こそ、その恐ろしい水生肉食爬虫類、クロノサウルスであった。
目の前でクロノサウルスが人間に牙を向いて襲い掛かっている。しかも、煌が双眼鏡で沖の方を覗いて見ると、更に数十頭のクロノサウルスと思われる影が海面から姿を現していた。
「これは、最上級にスバラくないですね………。」


また、それと時を同じくして、アメリカからヨーロッパに向かう貨物船が北大西洋を横断していた。現地時刻では、既に夜中の十二時を回っていた。
雲一つ無い夜空を月の放つ光が明るく照らしていた。
穏やかな波が一定のリズムを刻む。
これが貨物船ではなくて豪華客船だったなら、このロマンチックな情景に、多くの男女が美しい夜空の下、長い夜を酔いしれるように楽しんでいたことだろう。
ところが、急に波のリズムが狂い出した。
嫌な予感がする。
船員の一人………竜華が窓から海面を覗くと、胴体の長さが20メートルにも及ぶ巨大なウミガメのような陰が貨物船と並走するように泳いでいた。
しかも、その巨体の先端には、胴体部に比べて細く、しかも長い陰が続いていた。
「何? あれ?」
そして次の瞬間、海面からまるで巨木のような長い首が伸び、その先端には人間など丸ごと一飲みされてしまいそうな巨大な頭が付いていた。その両目は、獲物を狙うワニのように鋭く貨物船を睨みつけた。
首の長さは20メートルにも達し、太さは直径2メートル以上。
思わず竜華が声を上げた。
「まさか…首長竜?」
しかし、首長竜と言っても大型のエラスモサウルスで、せいぜい首が6から7メートル程度である。しかもエラスモサウルスの頭部は、その細長い首がもげない程度の大きさで、ティラノサウルスのように人間を丸呑みできる程巨大なものではない。
ところが、この貨物船が遭遇した首長竜は、身体の部分だけで20メートル、更に首が20メートルと巨大であり、頭部だけでも1メートル近くある。これまで化石として発見されている首長竜には、これだけ巨大なものは無い。

受精卵が細胞分裂を始めた時に薬品刺激や特殊な温度刺激を与えると、染色体の複製が成されながらも二つの細胞に分かれずに一つの細胞の状態に留まってしまうことがある。それによってできた細胞は、染色体を通常の二倍数持つ四培体(正常なものは、二倍体)となる。自然界では温泉熱による温度変化が四倍体生成に関与し得ると考えられる。
四倍体となった生物は、成熟せずに通常よりも巨大化する。実際に、これまでにも自然界に四倍体となった魚類が発見されている。
今回の首長竜は、その姿形から考えてエラスモサウルスの一種ではないかと推測された。
四倍体なのか、それとも別の理由によるのか、どのような理由で巨大化したのかは定かではないが、もしかしたら我々の想像を超えた特別なエネルギーが偶然作用して誕生した巨大エラスモサウルスなのかも知れない。
まさに怪獣である。
この事態に船長の怜が、大慌てで無線を手に取った。
「ほ…ほ…本部お願いします。こちら大西洋を航海中の貨物船センリヤマ号。」
「こちら本部の憩でーす! どうぞ。」
「首長竜や!」
「はぁ?」
怜は、中生代の闘争本能を持つ生物が目の前に現れたことを言いたかった。
しかし、本部で連絡を受けた憩にしてみれば意味が分からない。一緒に状況を見ているわけではないのだ。
まさか巨大化したエラスモサウルスが海中から姿を現したなど思いも寄らなかった。
「なんや、その首長竜ってのは?」
「や…やから…、首長竜が現れたんや!」
「へっ? ちょっと怜さん。何か訳の分からないことを言ってへんか? 寝ぼけてるんとちゃうか?」
「寝ぼけてなんかおらん。目の前に巨大な首長竜がやな…。」
「本当? 信じられへんけど…」
「信じられんのはこっちや! まるで、うちらの様子を伺うように、並走しながらこっちを覗き込んでんのや!」
「現在位置は?」
「西経〇〇度△△分、北緯✖✖度▽▽分…。」
突然、エラスモサウルスの頭が船室に突っ込んできた。そして、ガラス窓どころか壁さえも突き破り、一瞬にして怜の胴体に噛み付いた。
悲鳴すらも上げられない。
そのエラスモサウルスの巨大な顔が突如迫ってきて恐怖に背筋が凍り付き、何の反応も出来なかったのだ。
そして、怜の身体をくわえ上げると二回、三回と鋭い歯で噛み砕き、バキバキと骨の砕け散る音が静かな海に響き渡った。
その獰猛で飢えた生物は、ものの十秒もしないうちに怜を飲み込むと、今度は船に激しい体当たりを始めた。





それから数時間が過ぎた。
G県海洋天然物研究所では、華菜と和が美穂子に呼ばれて今後の研究方針と、これまでの知見をどのように公表して行くかに付いて話し合っていた。
和は、ピンク髪だが知的な雰囲気の美女で、しかも巨乳だった。
研究成果の公表について、和は催奇形性物質を発見したことについては発表すべきとしていたが、それ以上のことは下手に発表しない方が良いとの考えだった。
少なくとも今日段階では、推定構造を公表にすることには抵抗を感じていた。自分のところで結晶スポンジ法での構造確認を行うのが先と考えていたのだ。
予想生成ルートの開示も、まだ化学的根拠が無い。これも、自分のところで検証してから発表した方が良いと判断していた。
傍目には、もったいぶっているように思われるかもしれない。しかし、提示されている構造が確定したと言い切れない以上、生成予想ルートを打ち立てること自体が成立しない。
それ以上に和は、万が一、開示した情報が間違っていた場合を懸念していた。その情報が一人歩きして収拾がつかなくなってしまっては困るのだ。

美穂子も和と殆ど同じ意見だった。色々考えた末、今は、事態が事態だけにできるだけ発表を急がなくてはならないが、不確定要素を含む部分を下手に発表するのはマズイだろうと判断をしていたのだ。
勿論、今回の結果を途中経過として発表すれば、世界中のいくつかのグループは、同じ研究を同じ手順で後追いしてくるのは明白である。そして、気が付いたら他人にオイシイ手柄を持って行かれていた………なんてことも考えられる。
しかし、全人類が手を取り合って急いで正解を見つけなければならない問題なだけに、早急に誰かが解決することを最優先としていた。
もはや手柄もへったくれも無いと判断していたのだ。

しかし、華菜だけは違っていた。
彼女は、今回自分達のグループで見出した先祖返りライクの催奇形性物質の構造を世界的に急いでオープンにすることを主張していた。
しかも、R社の農薬、S社の洗剤、Y社の人口甘味料の三物質がオゾンホールを通り抜けた強い紫外線照射によって反応して生成したという推論も発表すべきと考えていた。
美穂子とは違って、華菜は手柄にこだわっていたし、たとえ推論だろうと、とにかく、この研究結果を世界的成果として認めて欲しくて堪らないのだ。
美穂子と和だけで話し合っていたのであれば、既に方向性は決まっていたはずである。しかし、そこに手柄に飢えた華菜が介入しているのだから全然まとまらない。何時まで経っても話の内容は平行線を辿るだけであった。

突然、三人の話し合いを中断するかのように所長室の電話がけたたましく鳴り響いた。
「もしもし、福路ですが…。」
その電話は、相当深刻な何かを訴えている様子であった。
美穂子の顔が、一層険しい表情に変わった。
そして、静かに受話器を下ろすと和と華菜の方を振り向いた。
「グアム島沖で、クロノサウルス。大西洋沖で、とてつもなく巨大な首長竜が現れたらしいわ。もはや南米だけの問題ではなくなったみたい。」
これを聞いて、『待ってました』とばかりに華菜の口が開いた。
「やっぱりこうなったし! もう、今回見付けた化合物の構造と推定生成ルートを今すぐ発表しなくちゃだし! 一日遅れれば、それだけ被害者が出るし! 日本にだって、何時恐竜が上陸するかもしれにゃいし! もう、急いで発表に踏み切るし!」
しかし、その台詞とは裏腹に華菜の表情は、やたらと嬉しそうであった。
口では人類の危機を説いているように見せていたが、華菜にとっては実際のところ、そんなものはどうでも良いことであった。
ただ、自分の手柄を世界に認めさせる大義名分が出来て喜んでいただけなのだ。
美穂子には、そういった華菜の本心が手に取るように分かっていた。だてに何年間も華菜の上司を勤めてはいない。
「でもね、和さんに言わせれば、まだ推定構造でしょ? さすがに推定生成ルートまで報告するのはマズイと思うわ。」
「でも、推定構造も重要な情報だし! それに、その原因と考えられる物質が現にあるわけだし! だったら、その使用を一時中止させるためにも予想生成ルートも発表する義務があるはずだし!」
「だけど、もしそれが間違っていた場合、R社やS社、Y社から訴えられることになるかもしれないわよ!」
「でも、正しい可能性が高いし! もし、このまま原因物質が市場に出まわり続けたら、もっと沢山の先祖返り変異が起こるし! そうなったら大変だし!」
「そうは言ってもね…。」
「急いで原稿を用意するし! アメリカ理化学研に至急連絡する許可をお願いだし!」
「…。」
「所長!」
「…分かったわよ。」
さすがに、ここまで言われると美穂子も駄目とは言えなかった。
華菜の台詞は、ゴリ押し以外の何物でもなかったが、世界的な緊急事態にある今、華菜の主張も一理あるのだ。
自分のエゴを押し通して、華菜はすっかり上機嫌な顔をしていた。
「では、急いで原稿を用意して来るし!」
華菜は、そう言うと会釈して所長室から意気揚々と出ていった。しかし、原稿は華菜が用意するのではない。華菜が初瀬に命じて作らせるだけである。
結局、華菜は何もしていない。初瀬達が出した結果を、そのまま自分の成果に摩り替えているだけだ。


それから六時間ほどが過ぎた。
既に日本では、時計の針が午後七時を回っていた。
アメリカ理化学研究所では、丁度この時、十数枚に渡る英文ファックスを受信していた。
華菜が、部下の初瀬や莉子に書かせた原稿を、そのまま何のチェックも入れず、自分のサインだけ入れて、あたかも自分が作成した原稿のように見せかけてファックス送信していたのだ。
今の世の中ならメールで遣り取りするのが普通であろう。
しかし、華菜はメールを送ろうにも英語が書けなかったのだ。それで、以前、初瀬にファックスの表紙を作成させ、それを第一ページにおいて初瀬達が作成した資料を添付してルーチン的に送信しただけだったのだ。

この時、アメリカ理化学研究所では、まだ朝七時前である。
徹夜明けの研究者が数人研究所内にはいたが、ファックスは管理部門の部屋に置かれており、彼らの目には全然触れられなかった。
管理部門の人達は、早い人でもあと三十分以上経たなければ出勤してこない。つまり、送られたファックスは、そのまま何十分もそのまま静かに放置されることになる。

しかし、それから二時間が過ぎ、そのファックスが、先祖返りライク催奇形性の研究グループリーダーであるスミレの手に渡ると事は一転した。
「テル。今朝のニュースを見た?」
「クロノサウルスとエラスモサウルスの件?」
「そう。これまで南米P市付近だけで見られた例の奇形が、海洋生物の中では北大西洋や太平洋にまで広がっている可能性が示唆されたとして、日本の奴等が緊急事態だと言って今までの研究報告書を出してきたよ。つたない英文だけどね。それによると、例の奇形を起こす原因物質をP市近海の魚から単離したらしい。」
「本当?」
「ああ。推定構造と予想生成メカニズムまで提示してきた。」
「それで、そのメカニズムってのは?」
「どうやら、R社の農薬とS社の洗剤、それからY社の人口甘味料がオゾンホールを通り抜けた強い紫外線照射によって反応して出来たのではないかとのことだ。」
「じゃあ、私達のやってきた研究は、全くお門違いだったってこと?」
アメリカ理化学研究所では、スミレを中心に、テルをはじめ沢山の博士達がこの研究に携わっていた。
彼女達は、この催奇形性が、新型ウイルスによって引き起こされる奇形か、或いは新型細菌か何かが産生する毒素が原因と考えていた。P市付近に限定されてきたことが、その地方に突然出現したウイルスないし細菌の仕業と判断する材料となっていたのだ。
ところが日本からの報告では、スミレ達の考えとは違う方向性が示されていた。
これには、さすがにスミレ達もショックであった。

しかし、自分達が催奇形性の原因を掴めなくても、この事態に対して世界的に早急に対処できるのであれば別に誰が手柄を立てても良いのだ。
それが自分達だったら嬉しいのは事実だか、そんなことよりも先祖返り催奇形性が全人類に広まってしまったら人類存続が危ぶまれる。この危機に直面しつつある今、手柄を立てることよりも問題解決の方が先決なのだ。
そうとなれば、スミレ達の取るべき道は決まってくる。
彼女達は、先ず日本から送られた研究成果を、同じ研究を行なっている各国の研究機関にメール配信して各研究所の研究方針の見直しを依頼し始めた。そして、次にこの研究報告書を南米各国に配信し、R社の農薬、S社の洗剤、Y社の人口甘味料の自主回収を大至急行なうよう要求した。
事情が事情だけにR社、S社、Y社では、大急ぎで原因物質の回収を始めた。勿論、そうしなければ社のイメージダウンに繋がるのだから必死であった。

そういった動きを、日本ではマスコミが大々的に取り上げた。
その原因物質を発見したのが日本人なのだ。ここぞとばかりに熱狂的な賞賛を行なった。

この報道振りに、華菜は鼻高々だった。
しかもこの時、華菜の頭の中では、次期所長の椅子どころか学会賞は勿論のこと、ノーベル賞も確実と勝手に決め付けていた。名誉欲に飢えた華菜でなくても、その立場であったら誰でもそうなることを想像するだろう。
しかし、そんな華菜の発表に、ボストン在住の天才少年京太郎は疑問を抱いていた。
『確かに紙の上ならR社の農薬とS社の洗剤、Y社の人口甘味料に紫外線照射すれば推定構造として提示した化合物になるかもしれないけど…。
でも、あくまでも現状では机上の空論に過ぎないと思う。
やっぱり、早く検証して推定を確証にしないと…。
それに、もし反応が行くとしても農薬と洗剤と人口甘味料が反応する場所は川か海じゃないかな?
小さな川が反応の場だったら可能性は有るかも知れないけど、もし海中で反応するのなら水中深くまで紫外線が通り抜けられるのかな?
ちょっと話の展開がおかしくないかな?
川が反応の場なら、もっと内陸で恐竜みたいな生物が誕生しているはずだし。
それに、あの構造は、本当に正しいのかな?
推定構造が間違っていた例も天然物化学の世界ではないわけじゃないし。
それに、あんなに分子量が大きくて吸収されるのかな?
そもそも本当に原因物質を掴んでいるのかな…。』
かなり、鋭い指摘だった。
ただ、頭が良過ぎるとヤキモチで嫌われる。
既に飛び級でボストンの大学院に通う十七歳の少年だ。能力的には非の打ち所が無い。
多分、世の男達にとって、生活圏内にいて欲しくないタイプであろう。
それゆえに、彼の言葉を周りの人達は単なるヒガミとしかとらえていなかった。
『あいつも所詮たいしたこと無い奴さ。』
そう言って、彼の立場を落したがる人間ばかりに囲まれていた。
別に彼の意見が間違っているとは言えない。むしろ、彼なりに純粋に物事の本質を掴もうとしていた。
しかし、彼の意見は完全に無視された。
彼こそが人類再生に向けての鍵になるとも知らず…。

勿論、他にも彼と同じようなことを考えていた人がいないわけではなかった。
しかし、現状では少なくとも華菜のグループでは自分達の立てた仮説に基づいて研究を展開し、動物実験で確実に先祖返りライクの催奇形性を100パーセント引き起こすとされる物質を掴んだデータがある。
それがある以上、研究成果に対する反論は難しいし、この件に関しては華菜が世界的権威になるのだ。
その権威を覆すとなると、かなりの証拠が必要となる。
やはり、学問は権威主義、前例主義な部分があるのだ。

既に世界は、池田華菜博士の時代になっていた。


続く
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