高校生活最後の日にあったことの罪悪感を、あいが引きずらないわけもなかった。
そして大学に進学すると、その罪悪感もさることながら、浮動性もより消せないものとなる。例えば服装。高校生の時は、男女の差が小さいブレザー式制服の女子制服をズボンスタイルで着こなすことで、最低限のポーズとしての「帰属」と、自身の浮動性は両立させていた。
しかし大学に入ると、集団生活の中でそれをどうするかは一つの課題だった。あいは自身の浮動性とは裏腹に、それなりに女性らしいところのある体型に育っていた。時として、それが酷く自分の足を引っ張っているようにも思えて。
だからあいは、その身体から象徴的なものを隠す道を選んだ。いわゆる「ナベシャツ」は夏場には辛いものもあったが、夏場にこそ、隠したかった。だから汗を防ぐために水を控えめにした結果、何度か熱中症や貧血で倒れかけたが、それでもナベシャツは手放せない。
罪悪感にしても、普通の人なら、新しい恋愛でもして上塗りするのだろうか。でもあいにはそれはできない。結局どうなったのかと言えば、高校の時と同じであった。
……いや、同じなのは最初のうちくらいか。やっぱり、大人になると皆、自らの同一性を死守するために独力で戦おうとするわけで。あいがその矛先に立たない訳もなくて。
まあ、後になって思えば、それが間接的に出会いを招いたとも言えるのかもしれないが。
私も調子に乗っていたのかもしれない。泣いている女性に声をかける。自然にやってしまった。少なくともそれで傷つけたことはない、そう思っていた。だから、同性のファンを背後に起きつつ、涙を流す、顔を見知った程度の仲の少女の肩に手を置いた。でも、その彼女の反応は全くの予想外。
「あんたみたいなファッションセクマイに、一体何がわかるってのよ!」
……彼女が何について泣いていたのかは、ついぞ突き止める勇気も無かった。一つ明らかなのは、その少女の嘆きにとって、偽りの居場所に自身の浮動性を落ち着かせようとしているあいの在り方は、自身と周囲を、ただ承認欲求がために偽っているものと同じように映ってしまったこと。そして、それが彼女の自尊心とは水と油であったことだ。
……自分は、ただちやほやされたいがために同性に好かれるような中性を演じているような、「ファッションセクマイ」などではない。そう言い返したかったが、言えなかった。
そんなつもりではない。それは自分が一番わかっている。でも、実際のところ、浮動性に関して自身を騙そうとしていたことは事実で。もしそんな「甘えた」在り方が、人を、女の子を傷つけていたのだとしたら。私は、最早、同性に祭り上げられる資格すら無いのではないか。そうとすら思えたから。
その数日後、あいは夜道で数人の男子学生に囲まれた。いかにも女遊びが好きそうな派手な男と、あまり女性慣れしていなさそうな地味な男の異色の混成部隊。あいは瞬時に悟った。そういえば、自分が同性に人気なことは、一部の男子にも妬まれている。その彼らに、例の少女が泣きついたのだ。
男たちはあいの肩を乱暴に掴むと、ブロック塀にその身体を押し付けた。あいはその手を振り払おうとするが、すぐに他の音によってその腕も掴まれてしまう。
声を上げるべきだったかもしれない。しかし、あいにはできなかった。それが「女性として」助けを求めるものなのか、それがわからなかったから。そんなことを緊急時にまで悩んでしまう自分がわからなかったから。
男たちの手が襟元に伸び、そして、乱雑にボタンを引きちぎるように外しながらシャツをはだけさせ、あいの胸元が露わになる。男たちはナベシャツを笑っていた。
ああ、「そうなるのか」。
この時、不意にあいの胸の内には、諦めでもありながらも、ある種の達観のようなものが浮かんだのか、抵抗する力も無かった。私はここで「女として終わる」。そう理解に至ったことが、情けなくもあり、そして、そういう感情を自分が持てるといあことにどこか安堵してしまった。
その意味で、偶然巡回中の警察官が声を聞きつけてきたのは、完全に幸運としか言えない。自ら大声を上げられた自信はない。
この一件で十分あいに打撃を与えられたと踏んだからなのか、内部で揉めたからなのかは知らないが、これ以降直接的な攻撃は無かった。とはいえ一年間の休学を強いられたあいは、今まで通りに迎えてくれるファンもいた一方で、それ以外からはどこか腫れ物のように扱われるようになったのも事実だった。
無論、今まで通りに接してくれる者たちは心の支えだった。でも、あいにはそれだけでは足りなかった。何故なら、彼女らが助けてくれるのは、彼女らが望む「トアゴウアイ」に過ぎないのだから。
怖かった。自身の在り方を自分自身で悩むことすら忘れてしまうのが。
あいは居場所が欲しかった。少しでも、一からやり直すことに近づき得る居場所が。
だからあいは、新しいバイト先のカフェを誰にも教えなかった。そこで、新しい「東郷あい」を始められることを望んで。