陰日向にて笑う。   作:アウトサイド

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命にて涙す。

 ごはんを腹いっぱい食べた。食事をたらふく楽しんだのは、久しぶりのような気がする。お鍋の最後は、卵雑炊にして食べるのも、おいしかった。うん、お腹が満たされると眠くなるという幸せを噛みしめる、この感じに頬を緩めるのはまったくもって贅沢だ。

 

 贅沢すぎて、ふと我に返った瞬間、自分が意外と大胆なことをしている自覚が出てきた。

 いやだって、お母さんにも言われたが、知らない男の人の家にこれから一人で寝泊まりをするのだ。あれ、弱ってるからって私、それでいいのか? なんて今更ながらに思ってしまう。まあ、もっともそれこそ今更で。ここから自宅に帰るなんて選択肢はないのだが。

 

 だが、だからといって。

 

「ちょっ、天野さん! なんで上半身裸なんですか!?」

「っと、わりぃ。つい一人暮らしの感覚でだな。いやぁ、夏場本番じゃなくてよかったな。夏なら全裸の可能性もなきにしもあらずだ」

「とりあえず、服着てください!」

 

 まさか年上の男性、それも立派な大人の上半身を生で拝むことになるとは思わなかった。意外と引き締まっていた。中肉中背だとは思っていなかったが、それにしても引き締まっていた。顔が赤くなるのはこの際仕方ない。だというのに、この背徳感はなんだろうか?

 

「お前、何いっちょ前に顔赤くしてんだよ?」

「しますよ! 思春期女子の過敏さ舐めないでください!」

 

 背徳感と同時に湧き上がるこの苛立ち。いくらなんでもぶっきらぼうすぎるでしょ。いやまあ、確かにこのいい加減さに今日は救われた感はある。しかしそれとは話は別で、ある程度気づかいができないと大人としてどうかとは思う。

 

「ってあれ? 天野さん、髭剃ったんですか?」

「ん? ああ、一応な。過敏な思春期女子には鬱陶しいだろうと思ってよ」

「なんでそういう気づかいになるんですか! 思春期女子に髭かんけーないですし!」

 

 いや確かに髭があるかないかは、ない方がいい。正直、印象として見た目が整理されて変わるものはある。だけど、だからといって、もっと別の場所に気づかいを持つべきだ。

 

「ほれ、お前の布団だ。ここに敷くぞ。今日は多少冷える。他の部屋を貸してやってもいいが……どうするよ?」

「あーもう、どうしてそういう気づかいならできるかなぁ。大丈夫ですよ、今日はここで寝ます」

「そうか、俺は囲炉裏を挟んで反対側で寝るから、なんか用があったら声かけろ」

「……そういえば、天野さんはどうしてこの家に一人で暮らしてるんですか?」

 

 ずっと思っていたことだった。この家は、一人暮らしで住むには、いささか広すぎる感じがある。それに、ここは山の中だ。詳しく確認したわけではないが、すぐ近く歩いて行ける距離には人の住んでいる場所はなかった。こんなところで暮らしていたら、車は必須だろう。

 なら、ここに住むための理由はあるのだろうか?

 

「んー、ここは昔いた恋人の実家なんだよ。ご親戚の方に許可をもらって、今は俺が管理している」

「え? 昔いたってことは、今はどちらに……?」

「死んだ。ノイズによって殺されたんだ。恋人の両親もろともな」

「――――そう、ですか」

 

 ああ、そうか。この人もなんだ。この人もこの世界の被害者なんだ。被っていた布団を強く握りしめる。脳裏に炭化していく人々の悲鳴がよみがえる。体が震えるのを誤魔化すように、視線を天井へと向けた。

 

「いつですか……」

「ツヴァイウィングのライブ、知ってるか?」

「――――はい」

 

 それ以上の問答は必要なかった。それ以上の言葉を聞きたくはなかった。だけど、私は聞かなければならない。あの地獄を生き延びたのだから。そんな責任も義務も存在しないことは知っている。知ってて、今温もりを手放そうとしている。怖いけど、死んでしまいそうになるくらい、怖いけど。

 

 私は尋ねる。

 

「あの、天野さんは私のこと……?」

「気づいたのは、名前を聞いたときだよ」

 

 知っていた。気づいていた。わかっていてあの態度だった。私には、その理由も意味もわかりはしない。誰からも石を投げつけられた私には、私を助けるための意図がわからなかった。

 

「俺の彼女は、親孝行な奴だった。偶然当たったペアチケットと友人から譲られた分のツヴァイウィングのライブに、両親を誘ったのからわかるように、その日は彼女の両親の結婚記念日だったんだ。そりゃ、最初はおいおい俺もつれてけよ、なんていいながら見送ったもんだ。見送ったときに見た彼女の申し訳なそうな顔は今でも覚えているよ。でも、そんときはそれが最後の顔になるなんて思ってもなかった」

 

 何気ない言葉、その人の人生を語る言葉が私に重くのしかかってくる。生き延びた私に、生きられなかった人の分の命が襲い掛かってきた。この背筋が寒くなるような感覚は、まだなれない。自分が正しいのか、自分が生きていていいのか、そう問いかけてくるようだった。

 

「彼女が死んだって聞いたとき、正直信じられなかった。信じたくなかった。今朝見送ったばかりの人間が、炭に変わったなんて聞きたくもなかった。だけど、しばらくはふさぎ込む暇なくいろいろと手続きやしなきゃいけないことがあって、実感がなかったよ。自分の好きな人の死のために、自分ができることをやる。その意味がわからないくらい、心は荒んでた」

 

 大丈夫、まだへいきへっちゃらだ。散々に浴びせられた誹謗中傷に比べれば、周囲からの非難に比べれば、まだ受けとめられる。私は、まだ大丈夫。

 

「だから、あの悲劇の中、生き残った女の子の話を聞いたとき、やるせなさが勝ったのは事実だ。どうしてっていう疑問と、どうしてっていう怒りが込み上げてきた。それを言葉にする気にはなれなかったけど、それでも思う分にはいろいろとあったんだ」

「そう、ですか」

 

 でも、じゃあ、それならどうして私を助けるような真似をしたんだろう。名前を聞いたあとからでも、私を放り出すことくらいできただろう。あるいは、強引に車でふもとまでおろして、家に突き返すくらいはできたはずだ。

 

「でもさ。その女の子、泣いてたんだぜ?」

「え?」

「雨の中、信じられないくらい冷え切った体のまま、許しを請うように謝り続けていたんだ。恨みだとか、怒りだとかそういう感情なんてなくなったよ。むしろ謝らなきゃと思った。子供を守るべき大人として、本当にごめんって、頭を下げなきゃと思った」

 

 布団が捲られる音が聞こえた。気が付いたら、囲炉裏の反対側で、天野さんが正座をして――そして次の瞬間、私に向かって頭を下げた。

 

「響、ごめん」

「どうして――?」

 

 同情だろうか、慰めだろうか? そんな感情は、いらなかった。そんな感情が欲しくて、私はここにいるんじゃない。そんなもののために私は、笑ったんじゃない。

 

 だから、

 

「生きてくれて、ありがとう」

 

 その言葉にどうしようもなく、涙した。

 

「辛かったよな。苦しかったよな。でも、頑張ってくれてたんだな。あのライブ会場で、なにがあったのか俺にはわからない。でも、響は響で何かと戦っていたんだな。世間から向けられる怖い言葉や恐ろしい目から、お前は立ち向かい、耐えていたんだな。ごめん、でもありがとう。お前が生きているだけで、生きようとしてくれていたおかげで――――」

 

 ああ、ああ――――しゃくりあげて涙を流す。雨に濡れて誤魔化すことのできない熱が、頬を伝う。

 

「俺は救われたよ。俺は、間違えずにすんだ。お前を助けることができる。だから、響。俺は何度でもいうよ。生きていてくれて――ありがとう」

 

 この日、私は生きていることを感謝された。こんな私なんかで、救われたといってくれた人がいた。その人はどうしようもなく、ぶっきらぼうで豪快な無神経な人ではあるけど、私に確かなぬくもりと休んでいられる場所をくれた――――陰日向でした。

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