月軍死すべし   作:生崎

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北条
第一夜 昼


  いつもと変わらぬ朝だった。

 

  朝餉を終えて、境内へと続く参道に立ちつつ落ち葉を竹箒で払いながら怠惰に午前中を潰す。

 

  異変でもなければ博麗霊夢の一日はそんなものだ。そうでなければ、宴会の準備をしているか、はたまた宴会に参加しているか、暇潰しがてら知り合いの元に顔を出すか、人里へと買い出しか、又はかったるい博麗神社の行事を行っているかのいずれかだ。

 

  秋に入り落ち葉の増えてきた参道の上を、霊夢は意図的に細々と手を動かして落ち葉を払う。霊力を用いた技でも使えばあっという間に終わるのだが、それでは時間が余り過ぎる。縁側で茶でも飲んでいたらまた誰かしらに「サボっている」、だの「暇そうね」と的外れな言いがかりをつけられてしまうのだ。それを思えば、こうして手を動かしていれば『掃除をしている』ようには見える。

 

  だが、いかんせん落ち葉が多い。夏は適当にやっていてもそこそこの時間掃いていれば終わった作業が、秋に足を突っ込むと終わりが見えない。いくら掃いても、ピューっと一度風が吹くと見えていた石畳が隠れてしまう。恥ずかしがり屋な参道の道が見えるまで、これでは一日経っても終わらない。

 

  結局今日も落ち葉を結界で纏めてしまおうかと取り出したお札を握り霊夢が思案していると、表でわんわんと吠える犬の声がする。博麗神社の番犬が吠えている。霊夢は放っておこうかとも思ったが、いつまで経っても鳴き止まない。どころか次第にそれは強くなっているようで、結界を張るために握りしめていたお札を霊夢が放り投げれば飛んで行き、遠くで「きゃうん⁉︎」という声が聞こえた。肩を落として箒を担ぎ霊夢が鳥居の方へと足を向ければ、道すがら倒れている緑の珍獣。目を回すその頭にぽすりと霊夢は箒を落とす。

 

「うるさいわよ。近所迷惑でしょうが」

「うぅ、酷いです。近所なんていないのに」

「気分よ、気分」

 

  そう言って霊夢が箒を担ぎ直すと、高麗野あうんは箒の落とされた頭をさすりながら身を起こす。神社や寺に勝手に居座り守護する狛犬がいったい何を叫んでいたのか。霊夢が訝しんであうんの顔を眺めていると、頭を叩かれた衝撃からようやっと戻ってきたらしいあうんの萎れていた耳がピクンと立った。

 

「そうでした! 霊夢さん、なんか怪しい人がやって来てます!」

「はあ? 何よ怪しい人って? 妖怪じゃなくて?」

「はい、妖気はないですし間違いなく人ですね」

「ふーん、ってあんたそれ参拝客じゃないでしょうね!」

 

  霊夢は再び箒を落とした。それも先程より強く落とすと、ペシンといい音を響かせて体を起こしていたあうんが参道にへたり落ちる。ただでさえ辺境にある博麗神社に参拝客が来るのは珍しい。だというのにその神社の狛犬に追い払われたなどという噂が人里で流行りでもしたら商売上がったりだ。なけなしの収入源が更にすっからかんになるかもしれない事実に霊夢が角をニョキニョキ生やしていると、慌てて起き上がったあうんが「だって普段嗅いだ事ない匂いで」とわけの分からぬ言い訳を言うので再びペシンと箒を落とした。

 

  そんな事をしていると、参道に続く石階段からコツコツと足音が聞こえてくる。あうんのせいで帰ってしまったのではないかと思われた参拝客は、こんな辺境まで来る無謀さで、あうんに負けず境内まで来るらしい。それほどの信仰を持っているなら、きっと神様へのお祈り(お賽銭)が多い事も期待できる。そう霊夢が小さくガッツポーズを取る中で、鳥居の間にせり上がって来た人影を見て握っていた拳を力なく下げた。

 

  「あぁ……」と声が出るようなため息と共に霊夢の肩が下がった。登って来たのは一人の男。短くざっくばらん切られた髪に、角もなければ翼もない。妖気の類もない事からあうんの言う通り人である。霊夢より頭一つ分は高い体を包んでいるのは、いつぞや守矢神社の東風谷早苗に見せられた写真に写っている学生服と呼ばれるもの。ただ早苗と違い男が着る学ランと呼ばれるものだ。竹刀袋のようなものを肩にかけており、他には何も持っていない。男は階段を登り切ると少し辺りを見回して、霊夢に気がつくとギザギザした歯を引き結び眉を顰めた。

 

  その男に霊夢は挨拶する事もなく、男と同じように、いやそれ以上に顔を顰める。参拝客でもなければ人里の人間でもない。たまに外の世界から迷い込んで来る外来人。あうんが嗅いだ事のない匂いというのにも霊夢は納得が言った。外来人が博麗神社に来る理由などただ一つ、外の世界に返してくれというお願いだ。外の世界と幻想郷では通貨が違うので賽銭も期待できない。使えても香霖堂へのツケの支払いくらいのものだ。霊夢がため息を吐く先で足音が霊夢へと寄り、少女が顔を上げた時には男は霊夢の目の前にいた。だが目は興味深そうにあうんの角へと向いている。

 

「神社に鬼とは珍しいな」

「んな⁉︎ 失敬な! 角だけ見て鬼と決めないでください!」

 

  挨拶のあの字もなしに男はそう言うと満足したのか肩を竦めて霊夢を見る。目を吊り上げたあうんが「曲者です!」と男に噛み付こうとするのを霊夢は箒で頭を叩き止め、男の顔を見た。

 

  普通の外来人と違う。そう霊夢は感じた。たまに来る外来人は、だいたい妖怪に怯えてビクビクし、周囲に異様に目を走らせている事がほとんど。だと言うのに男は別に気にした様子もなく、それにあうんを見て鬼だと言った。人里の人間なら相手が鬼かもしれないと分かれば土下寝する勢いで媚び(へつら)うか、脱兎の如く逃げ出すかのどちらかだ。だが男にその素振りはない。なんとも面倒くさそうな男が来たと霊夢は口の端を落とす。

 

「鬼ならたまに居候してるのがいるけど、萃香に用なわけ?」

「萃香? 誰かは知らねえがそんなのに用はねえな。それよりここはどこだ?」

「ここは幻想郷の博麗神社よ」

 

  そう霊夢が言うと男は「そうか」とだけ言って賽銭箱の方へ歩いて行き、ポケットから小銭を取り出すと賽銭箱へと放り投げた。しかし手も合わせずにそこから離れる。霊夢からすれば賽銭さえくれればなんでもいいため何も言わない。だが、男は賽銭箱から離れるとそのままズンズン鳥居の方へと歩いて行ってしまう。男の不可解な行動に流石の霊夢も声をかける。

 

「ちょっと! あんたいったい何しに来たのよ」

「ん、急に周りの景色が変わったかと思えば目についたのがここだったから寄っただけだ。それ以外に理由はねえ。ああいや、折角だから人里の場所を教えてくれねえかな?」

 

  それを聞いて霊夢は頭を掻く。男の言う事が本当なら、男は今さっき幻想郷に来たと言う事だろう。幻想郷が外の世界とは隔絶されていると言う事も知らない可能性がある。だが男は幻想郷の名を聞いても「どこ?」と聞く事もなければ、イヤに落ち着いている。元々幻想郷の存在を知っていたのか。興味がないのか。どちらにしても男の不気味さに霊夢はため息を吐いた。これが妖怪なら面倒だと退治してもいいのだが、人だとそうもいかない。

 

「はあ、あんたが何者かは知らないし興味もないけど、ここが幻想郷だって知ってるなら何しに来たわけ? 一応幻想郷の巫女としては聞かないといけないんだけど」

「あぁ、面倒くさいな。そんなルールがあるのかよ? 言ったら人里の場所を教えてくれ」

 

  男は言いながら服のポケットに手を入れて、霊夢へと中の物を放り投げる。霊夢が手に取ってみれば擦り切れた一冊の本。何度も読んだのか本の一部が指の形に黒ずんでいる。ただ背表紙にも表にも本の題名が書いていない。霊夢が中を開いてみると、よく見る草書で書かれていた。その始まりは、

 

「今は昔、竹取の翁といふものありけり。俺が世界で一番嫌いな本だ」

 

  男は竹取物語の冒頭を口にする。が、霊夢にはさっぱり分からない。竹取の翁がいったいどうした? と眉を顰めるだけで興味もない。本も魔道書などの類ではなくただのばっちい本。焚き火にくらいしか使いようがないように霊夢には思える。隣のあうんに見せてみても首を傾げるだけ。霊夢は本を閉じて肩を本の背で叩く。

 

「で? このゴミ渡せば理由が分かると思ったわけ?」

「思ったんだが、その様子だと違うのか? ならそれでいいんだが」

「何がいいのよ」

「人里に行かなくてもだ。アンタここの巫女なんだって? 外に帰してくれ」

 

  何だこいつ、と霊夢は目頭を抑える。人里に行くと言ったり外の世界に返せと言ったり言ってる事が滅茶苦茶だ。本を一冊投げて寄越してどんな結論を出したのか霊夢にはどうだっていい事だが、何にせよ言っておくことはある。

 

「私もあんたみたいなのにはさっさと出てって欲しいけど、タダでやれっての?」

「は? 有料なのかよ。チッ、持ち合わせなんてほとんどねえぞ。外にある家になら少しはあるが」

「そんなのダメに決まってんでしょ。無一文なら残念だけど無理ね。お金じゃなくて高価そうなものでもいいけど、あんた持ってなさそうだし、なら人里ででも稼ぐのね」

 

  男の態度が態度なので霊夢がふっかけてみれば、「マジかよ」と言って男は苦い顔をした。見かけによらず素直らしい。しばらく男は唸ると、一度空に顔を上げてから霊夢の顔を見る。

 

「なら仕事くれ。家事はできるし巫女の仕事手伝うからよ」

「何でウチなのよ。人里まで行きなさい」

「外に送ってくれるのがアンタならアンタん所で働いた方が早そうだから」

「却下よ!」

 

  男手なんてなくても力が必要な所は萃香にでもやらせればいい。だいたいそれでは楽はできてもお金は入って来ない。そう思い霊夢が強めに言うと、男は口の端を下げて唸りだす。霊夢の想像通り男は幻想郷に来たばかり、行く宛なんてあるわけがない。持っているものも背に背負った竹刀袋以外持っていない。先ほどの会話から霊夢が引かぬのは明らかで、初対面でも男にもそれが分かる。思い通りに行かない事に男は苛立たしげに大きく舌を打った。

 

「じゃあもういいから人里への道を教えてくれ。さっさと稼いでさっさと帰る」

「ええ、ぜひそうしなさい、私のために」

 

  勝手言ってら、と男は大きく空を見上げて、ギザギザした歯を擦り合わせた。男を見て唸るあうんと霊夢を今一度男は視界に収め、心変わりしないのを見届けると霊夢の手からボロ本を引ったくり霊夢達に背を向ける。

 

「で? 結局あんたは何しに来たのよ」

 

  男の背にかかる霊夢の声。だが、男がそれに答える意味は先ほどの会話でほとんど失われてしまった。手に持ったボロ本を懐にしまい、今一度振り返った。何を言おうか言葉を選ぶ。適当言ってもいいのだが、博麗神社にいる巫女と言えば博麗の巫女。外に帰る時のために心象をわざわざ悪くする必要もないと男は結論付ける。

 

「一千年以上前からの人探しだ、くそったれ」

 

  それだけ言って男は博麗神社の階段を降りる。霊夢とあうんは顔を見合わせ、何言ってるんだと肩を竦めた。鳥居の下へと姿を消していく男の背を見送りながら、霊夢はどうも嫌な予感を感じた。

 

 

 ***

 

 

  今は昔、竹取の翁といふものありけり。

 

  嫌という程聞いた話だ。というよりも男はその話以外の物語などほとんど聞いた事もない。博麗神社を後にして、人里に続いていると思われる一本道を肩で風を切りながら歩く。探し人がいないのならば、わざわざこんな辺鄙な場所にいる必要もない。だというのに博麗の巫女の融通の利かなさが腹立たしい。一々幻想郷に来るのも苦労して、帰る時にも金がいる。どうしてこんな事をしなければならないのかと、男は道端に転がっている小石を蹴飛ばして心の均衡を何とか保つ。

 

  それもこれも一冊の本。竹取物語という一冊の本が悪い。というよりもその内容が。それがある限り男の人生は変わらない。決まった人生をずっと歩き続けなければならない。懐にあるボロい本の重さに引き摺られるように男は歩き、地面に転がる小石をまた一つ蹴った。

 

  飛んで行った小石は背の高い草むらの奥へと消え、「痛った⁉︎」という声が男の元に返ってくる。ガサゴソと動いた草むらは、男の近くで一瞬止まるとガサリと大きく一度動き中から異物が飛び出した。

 

  薄い水色の癖の入った髪。外に世界でもそうそうお目にかからない色だ。青緑色をした大きなリボンを頭に付けた少女は、先程男が蹴り抜いた小石を手に持って、青い瞳を辺りに走らせる。それを見る事もなく男は素知らぬ振りをして道を急ぐ。一々相手になどしてられない。さっさと金を用意してさっさと帰る。男の行動目的はそれだ。

 

  どう路銀を稼ごうかと男は思案し、そしてピタリと足を止めた。そう言えば博麗の巫女からいくら必要なのか聞いていない。もし金を用意しても足りないだの言われては堪らない。男は強く一度頭を掻いて、くるりと体を反転させて来た道を戻る。こういう事は後にすると面倒だ。来た道を男は戻ろうとしたが、背中に六枚の青い羽を生やした少女が道を塞いでいる。

 

「急に石が空から降って来たんだけど! まさかお前か‼︎」

「知らね、そういう天気なんだろ」

 

  見慣れぬ容姿の少女に男は少し驚いたが、難癖つけられそうなので適当に少女に言葉を返すと、「そうなの⁉︎」と驚いた声を返す。アホらしいと男は首を振って少女の横を通り過ぎ先を急ごうとするが、男の頭上を飛び越えて少女が男の前に立つ。

 

「待ちなさい! この不思議な天気をきゅーめいしなきゃいけないわ! 行くわよ! あたいに続きなさい!」

「はあ?」

 

  男は背を屈めて男の背の半分ほどしかない少女、チルノに向けて睨んで見るが、全く気にしていないようでない胸を張るばかり。ギザギザした歯を擦り合わせ、男は少女の奥の道に目をやって、相手をするだけ無駄だと先を急ぐ。

 

「ちょっと! 待ちなさいって言ってるでしょ! 耳がついてないの!」

「はあ、探検ごっこは他所でやってくれ。俺は忙しい」

「忙しいってなんで?」

「家に帰るのに金がいるんだ。いくら必要か博麗の巫女さんに聞きに行くところなのさ。だからあっち行け」

 

  果たしていくらになるものか。電車で最寄駅に行くように百数十円くらいだと嬉しいが、数十万などだと道が遠いと男は頭痛がしてくるようだった。この場で少女と話して時間を潰すのは無駄だと足を動かそうとするも、男の隣に少女が飛んで並びどこかに行ってくれない。払うように男は手を動かすが、チルノはその手を目で追うだけで効果はない。

 

「家って遠いの? あたいは湖に住んでるの! 良いでしょう」

「……そりゃ羨ましいな。俺の家は幻想郷の外にあんのさ」

「外? あ、分かった! あたい知ってる、お前外来人だな!」

 

  「そうだねえ」と適当に返事をして男は歩くが、少女がどこかへ行く気配がない。男はチラリと目を少女の背に付く羽へと動かし、続けて少女の顔を見る。おかしな事などしていないというような少女の顔。少女にとって空を飛ぶというのは普通なのだ。だが男にとっては普通じゃない。幻想郷がどういった場所であるのかは漠然とだが男は知っている。だからこそ男は幻想郷に来た。

 

  だが知っているのと実際目で見るのでは違う。悠々と空を行く少女から視線を切って、男は前へと顔を向けた。チルノに男は興味はあるが、極論を言えばどうだっていい事だと男は処理する。今必要なのは帰る事。だというのに変なくっつき虫がいる現状がまた癪に触ると男は舌を打つ。

 

「外の世界ってどんな感じ? 暑い? 涼しい? あたいは涼しい方がいいかな」

「……アンタなかなかしつけえな。いい加減どっか行け。俺は忙しいんだ」

「そうは見えないけど、外来人が何しにここに来たの?」

「……はぁ、人探しだ。ただ幻想郷の守り人なんて言う博麗の巫女が知らないようじゃここに来た意味なかったがな」

 

  そう言い切って男は足を早めた。幻想郷に来るまでどれだけ手間が掛かったか。それを思えばこの無駄になった時間は何ともし難い。数人と力を合わせた結果がコレなど、我慢ならない。そのイライラを刺激してくるように「誰を? 何で?」とチルノは聞いてくる。

 

「言って分かるか知らねえが、なよ竹のお姫さんを探してんのさ。ほらもういいだろ。あっち行け」

「何で? 何で探してんの?」

「チッ、何だっていいだろ」

 

  男は足を早める。ただ早める。交互に出していた足の回転数が上がっていき、男の横を滑らかに過ぎ去っていた景色が、早送りされたように飛び始める。辻風のように加速した男の横を、しかしチルノは悠々と飛び続けて引き剥がせない。

 

  何で? そんな事は男の方こそ聞きたかった。

 

  男の一族は古い一族だ。百年や二百年など鼻で笑えるような古い一族。大正明治を超えて遥か昔、竹取の翁が竹を割って姫を抱える、そんな時まで遡る。竹取の翁が育てた姫は大層美しく育ったが、月の使者に連れられて月に帰った。そんな物語が竹取物語。その物語に出てくるくらいに男の一族は古かった。

 

  とは言えその物語に名前が出てくるわけではない。言ってしまえばモブ。名前のない人その一。そんな雑多な中に男の一族は混じっていた。後から物語を読んだ者にとってはそれくらいの扱いで、それでいいだろと男も思う。だが、当時の者達は違ったのだ。

 

  誰もが一度は見たであろう竹取物語絵巻。かぐや姫が月に帰って行く姿を映したとされるその絵に男の一族は写っている。月の使者がかぐや姫を連れにやってくると知った帝は、当然当時最高の強者を揃えた。その中でも特に強かったのは、平城(へいぜい)十傑と呼ばれた十の一族。いずれも名のある妖怪、悪人をその手に持つ刃と弓で退治し名を馳せた十の当主。布陣は万全。どの当主も負ける気など微塵もなく、自慢の技と業物を携えてかぐや姫の元に集った。

 

  だが結果は?

 

  誰もが知っている通り、なす術なくかぐや姫は連れて行かれた。怪しげな術で眠らされ、当代一の技を振るう事なく呆気なく終わる。

 

  許せない。許せるわけがない。

 

  誰を? 当然自分自身を。何を? 刃すら交えられなかった事を。

 

  故に平城十傑の誰もが誓った。どれだけの時間が掛かろうと、いつかきっと、十数代、数十代後の当主が必ずや月軍を撃滅し、なよ竹のかぐや姫を奪還すると。

 

  男はこの話を先代から聞いた時、心の底からどうだっていいと思った。いったいいつの話をしているのか。男自身、己の一族がかなり古い事は幼少の頃から知っていた。だが関わっているのが竹取物語というのがもう怪しさ満点だ。しかも追加で話された実はかぐや姫は月に帰っておらず逃げ出して、地球のどこかにいるとかいう誇大妄想。どこでそうなった。そんな事実無根な情報を追ってかぐや姫を探す意味が分からない。だから男は幻想郷にやって来た。何世代も前の当主が書き記していた最期の手掛かり。どこにもいないならここかもしれないという最期の砦。それをもうさっさと潰し、欲しくもない使命に男は決着をつけたかった。

 

「競争なら負けないよ!」

 

  何を勘違いしているのか、男の横を飛ぶチルノがそんな事を言う。引き離すために走っているのに、全く男からチルノは引き剥がれない。舌を打ってより強く男は足を出す。競争などはどうだっていいが、負けるのが男からすれば癪だ。それも男よりも小さな少女に。

 

「む〜、負けないぞ!」

「しつけえ! 追ってくんな!」

 

  男は姿勢を落としてより加速する。背後から聞こえる少女の叫び声。それを置き去りにするように足を動かすが、それでも少女の声は離れず寧ろ近付いてくる。男が背後を見れば、汗を垂らしてついてくるチルノ。何をそんなに必死なのか男には分からないが、少し楽しくなってきたと口の端を上げてギザギザした歯を薄く開く。男が顔を前に向ければ石階段が映った。

 

「ごーるはあの赤いのよ! 負けないんだから! あたい最強!」

 

  階段の上の鳥居を向き、男の横で高度を上げて行くチルノを男は見て舌を打った。チートだチート。と内心で呟き、足に力を込める。勝手にふっかけられた勝負でもどうせなら勝ちたい。足に力を込めて地面を踏み抜く。正直に階段を駆け上がるなど時間の無駄。男が踏み込んだ地面は大きく凹み、男を一気に空へと飛ばす。「嘘⁉︎」と叫ぶチルノの声。石段も鳥居も飛び越して、男は神社の屋根先へと足を伸ばし、そして見事に蹴り破いた。

 

「痛って、クソ、この屋根腐ってんじゃねえのか。あー最悪」

 

  木片を掻き分けて手近にあった賽銭箱に手をつき立ち上がる。学ランについた埃を払い落とし、男が竹刀袋を背負い直していると、鳥居をくぐってチルノがやって来た。その顔は悔しそうなものではなく勝ち誇ったもの。男の前に降り立つと、何を言うより早くチルノは胸を張る。

 

「赤いのをくぐらないで飛び越えちゃったからお前の反則負けね!」

 

  とわけのわからない事をチルノは言った。男は眉を吊り上げてチルノを見る。

 

「おい、なんだその追加ルールは。適当言ってんじゃねえぞ。どう見たって俺の勝ちだろ」

「ふぅ、あたい知ってるわ、負け犬の鳴き声ってやつね」

「鳴き声じゃなくて遠吠えだろ。まあ鳴き声の方が負け犬っぽいが」

 

  何を言ってもチルノは胸を張る姿勢を崩そうとしないので、男は肩を竦めて辺りに視線を散らした。博麗神社から男が離れてそこまで時間が経っていないのに巫女の姿も緑の珍獣の姿もない。どこに行ったのかと男が一歩足を出すと、男の前を塞ぐようにビシッとチルノは男に向かって指をさす。

 

「負けはしたけど、お前なかなかやるからあたいの子分にしてあげる!」

 

  「は?」と男の口から声が漏れる。なんたる理不尽。男は別に子分になりたいとも言ってないしなりたくもない。何よりも女にいいように使われる立場というのが気に入らない。胸を張るチルノの胸を指先で強く押し、よたっと後退るチルノの顔に男は顔を近づけギザギザした歯を開く。

 

「俺は女の下にはつかねえ。次アホな事言ったら叩っ斬るぞ」

「はぁ、仕方ないわね。子分のわがままを聞くのも親分のつとめね」

「おい、アンタ聞いてねえな。俺は子分にはならねえ」

「はいはい、あたいはチルノよ。親分の名前はしっかり覚えなさい。で? お前の名前は?」

 

  聞いちゃいねえと男は踵を返して神社の外回りに行こうとするが、チルノが男の周りをグルグルと周り行く手を阻む。少女の口から発せられる「名前は? 名前は?」の礫の荒らし。手で追い払おうとしても上手く避けられて当たらない。舌を打って男はため息を吐く。

 

「……(くすのき)だ。北条楠(ほうじょうくすのき)。覚えなくていい。だからいい加減」

 

  音が消えた気がした。トッと参道の石畳を小突く音。チルノの背後で、赤い鬼が降りて来る。迸る霊力が空間を歪めて、楠とチルノの体をピリピリと叩く。

 

「ねえちょっと、何か神社の屋根が一部足りないように見えるんだけど」

 

  霊夢の言葉に振り向いた楠が神社を見ると、屋根が欠けて折れた垂木が突き出している一部分。楠は冷や汗を垂らし、調子良く「親分が」と言いながら隣に浮かんでいる少女へと目をやるが、そこには誰の姿もない。上を見るとかなり小さくなった少女の六枚羽。男は背中の竹刀袋に手を伸ばそうとするが、それよりも早く一歩霊夢が足を出す。霊力に当てられ浮き上がる小石。楠の足がゆっくり後ろに下がった。

 

「待ちなよ巫女さん。俺は外に送って貰うのにいくらかかるのか聞きにだな」

「いくら? あぁそう、弁償代も含めて十両かしら、ね!」

 

  叩きつけられたお札が楠を弾き飛ばす。話も聞かず唯我独尊を貫く少女達。そんな少女達の事よりも、楠の脳裏にあったのは、十両っていくらという事。楠の不幸を笑うように月の姫君の笑う声が楠には聞こえた気がした。きっと幻聴だと吐き捨てて、楠は焦げた体で寝転がったまま、真上に上った太陽に唾を吐く。

 

 

 

 


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