「お兄ちゃんはやーい!」
「あっはっは、こっちですよー」
寺子屋の庭先で着物を着た小さな少年少女たちが長身の男を追いかけ回す。十人、二十人などなんのその。スルリスルスルと迫る幾数十の小さな手を滑るように避けていく。時折捕まるような素振りを見せながら決して捕まらない一対多の鬼ごっこは、楽し気な声に溢れ見ている者を笑顔にする。
子供を連れて来た親たちも、人相書きの貼られら盗人と同じ服を着ている男に眉を顰めるがそれも最初だけ。手を繋いでいた子がそれを羨ましそうに眺めこっちに来いと桐が手招きすれば嬉しそうに寄って行き、それを見た親もつい笑ってしまう。
そんな光景を眺める慧音もまた笑顔だった。未来である子供たちの笑顔と笑い声こそ彼女の報酬。自分の夢見た景色が目の前に溢れているのを笑顔で眺める慧音だったが、視界の端からおずおずと寄って来た子供の親を見て、見られても分からないぐらい慧音は眉を寄せた。
親が手に持っている一枚の紙。昨夜夕刻に盛大にばら撒かれた新聞の一枚。慧音も嫌という程見返したそれを、子供の親が持っている。いったいなにを言う気なのか、聞かれるのかはもう慧音も分かっていた。昨日から何度も慧音を頼って訪れた者が口にしたものと同じ。
「先生、大丈夫でしょうか?」
月軍というものがどういうものなのか知っている者は非常に少ない。それを聞くには永遠亭に赴くか、第一次、第二次月面戦争で重要な立ち位置にいた八雲紫か西行寺幽々子に聞くしかないだろう。
そんな時間もなかった慧音は多くは知らないが、それでもすぐに「大丈夫さ」と口にする。立場上そう言う方が波風が立たないと言うこともあるが、一番はその親が元慧音の教え子だから。そして、輝夜や妹紅、霊夢の顔を並べているときっと大丈夫だという気になってくる。それだけでも心強いが、今は目の前にそんな期待を後押しする男がいた。
永遠と続くだろう鬼ごっこを慧音は手を打って終わりにすると、子供たちに寺子屋の中に入るように促す。桐に手を振って寺子屋の中へと消えていく子供たちを眺め終えると、庭にひとり残った男に慧音は目を向けた。
「いやいや子供は元気ですね。子供が元気なのは良いことです」
「そうだな。あの子たちと遊んでくれて助かった。いつもは結構言うこと聞かないんだ」
「そんなものですよ、その方がいい」
ふにゃりと笑う桐の笑顔を見ていると毒気が抜かれるとつい慧音も笑顔を返す。初対面でもそうだったが、桐はまさに浮き雲のような男であり、不思議とついつい目で追ってしまう。そんな桐が訪ねて来た時のことを慧音は一度目を閉じ思い出す。
「それで、そろそろ行くのか?」
「ええ、姫様。ああ、幽々子様と約束してしまいましたからね。私はかぐや姫様のところに行かなければなりません」
「月軍が来るからか?」
「来ても来なくても」
迷いの竹林の場所を教えてくれと『月軍襲来!』の新聞が舞い散る中、桐が慧音の元を訪ねたのは昨日の夕方。新聞に書かれていた桐の名を見て察していた慧音だったが、夜は危険だと一晩桐を寺子屋に泊めた。無駄にカッコつけて白玉楼から出て来てしまった桐にはそこ以外に泊まれる場所はなく一晩世話になったが、もう出て行く時間だ。
月軍が来ると分かっていても昨日と態度の変化が見られない桐に頼もしいようなそうでないような呆れた息を吐きかけて、慧音は桐の顔を見る。ふやけた顔は相変わらずで、多くの子供たちを見てきた慧音をして桐がなにを考えているのか分からない。
「月軍に、平城十傑、一千年以上前から続く話など、私もあまり聞いたことがないからな。妹紅もあまり話したがらないこともある。強いことは知っている。……勝てるのか?」
「さあどうですかね?」
「おい、そこはもっとこう、勝つまではいかなくとももっと自信のありそうなことを言うところじゃないのか?」
「いやあ、私も他の者も月軍を見たことないですからね」
月では兎が餅を突いている。そんなアホみたいな伝承を大真面目に信じはしないが、なにがいるのかも桐も他の者も分からない。だからこそ、想像上の強大な敵を叩き潰すために異常な技に執着しているのだ。桐にとっても、そこまでしても技が効くかどうかも分からぬ相手。勝てるか? と聞かれて、勝てる! と即答できるほど、想像上の怪物は優しくない。帝の配達人として、平城十傑の伝令役として、梓、藤、菖、
「平城十傑の情報役である櫟さんなら何か知っているかもしれないですけれど」
「櫟? その者も平城十傑なのか? 新聞には載っていなかったが」
「幻想郷には来ていませんからね。でも一度彼女の一族は月に行っていますから何か知ってるとは思うのですけれど、こんなことならもっと話を聞いておくのでした」
「月に? そうなのか?」
「はい、平城十傑内での小難しいことはだいたい唐橋と黴がやっていますから」
公式から削除されたアポロ計画。アポロ18号。カットされた予算の大部分を平城十傑一の金持ちであった黴によって埋められ、唐橋を月に送ることに成功する。一種の金持ちの道楽とも言えそうなこの月への打ち上げは、搭乗者であった唐橋など、色々な社会的問題を抱えていたことによって世界から抹殺された。なぜ彼らが月に行きたかったのかはNASA(アメリカ航空宇宙局)も知らず、また、日本人で初めて月に行った者の記録も残ることはなかった。
平然と仲間が月に行ったことがあると言いのける桐に軽い目眩を慧音は覚えるも、そういえば幻想郷にも遠足気分で月に行った者がいたなと頭を小さく振って頭の調子を整える。
「だが、この坊門 菖という者も行ったんだろう? どうやって月軍を率いるつもりなんだ? だいたいなぜ同じ平城十傑が敵になる?」
慧音の当然の疑問に、桐は頭を悩ませる。それこそ桐には分からない。他の当主の個人的なことをそれほど知らないということもあるが、桐の知る菖の人となりからして、こういったいかにもな暴挙に出るとは思えなかったからだ。
桐でさえよく分からない菖のことをどう慧音に伝えたものかと前髪を弄りながら、困ったようにふにゃりと笑った。
「菖さんは無意味なことをする人ではないんですがね。怖い人ではありますけど、ちゃんと優しい人というか」
「普段大人しい奴ほどキレると手がつけられないというやつかな」
「いや菖さんはキレても静かというか、櫟さんや藤さんと仲がいいのでせめて二人のうちのどちらかが居ればいいのですがね。まあもう遅いでしょう。菖さんはやると言ったらやる人です。少なくとも戦闘は避けられない」
「……ここも戦場になるか」
慧音の呟きを桐は否定することはできなかった。月軍が来る。菖も関わっていることから関係の深いかぐや姫が狙われるだろうことは分かっても、それ以外どう動くのかは分からない。人里に来るかもしれないし、来ないかもしれない。ただ、楽観視はできなかった。もし来たら。そう考えて行動しなければならないことは慧音も重々承知だ。だができるなら。そう思わずにはいられない。
そんな憂を帯びた慧音の手を、今回ばかりは桐も手に取ることができない。安心の言葉はあまり重さを持たず、何より桐の知り合いが先頭に立っている。この二つが桐の顔を笑顔でありながら重い空気を滲ませる要因となり、それに気付いた慧音に逆に気を使われる。
「そんな顔をするな。お前が悪い奴ではないということは私ももう分かっている。桐を責めたりしないさ」
「いやはや申し訳ない。私も私でできることはしますから」
「あまり無茶はするなよ。お前だってまだ子供なんだ」
別に馬鹿にしてるわけではない慧音の笑顔を足された言葉に、一瞬桐の言葉が詰まる。当主なら甘えるな。歳は関係ない。並べられた言葉はそのどれかで、『子供』だと断じられた数など両手で足りる。楠が聞けば喜びそうだと薄く笑いながら、桐は『先生』に笑顔を向けた。
「慧音さんは先生ですね。私は立場上高校も通信制ですし、小学校も中学校もろくに行けなかったもので、先生という存在とは縁薄い」
「ふふっ、私の寺子屋に通ってみるか? 幻想郷の歴史を教えてやるぞ」
「それは楽しそうですね、終わった時の楽しみが増えました」
それだけはやめておけ! と数多の人妖が見ていればそう叫んだだろうが、残念ながら桐の愚行を押し留めてくれる者はそこにはおらず、新しい生徒を歓迎するように慧音は微笑んだ。
「ではそろそろ行くとしましょうか。道も慧音さんに聞けましたから」
「そうか。気を付けてな」
「ええ先生、行ってきます」
壁に立て掛けていた大太刀を背負い、「行ってらっしゃい」という言葉を背に受けてまた桐は歩き出す。着々と永遠亭への道のりを縮めて。前へ。前へと足を出す。
***
迷いの竹林とはこれいかに。竹と人里へと続く道の境界線を眺めて桐は首を傾げる。雄大な竹林であることは見れば分かる。竹の先にどこまでも竹が続く竹林は外の世界でも滅多に見られない。だが、ボウボウとただ生えているわけでもなく、ある程度人の手が入っていると見える竹林は、外から眺めている分にはすぐに抜け出せそうに見え、神秘的であれこそすれ、後ろ暗い空気は感じられない。
さて、どうしようかと竹林の前で首をひねり続ける桐だったが、竹林の中で白い影が動くのを見ると動きを止めた。それがいったい何であるのか。ぴょこぴょこと弧を描いて跳ねる動きは兎のそれ。白兎を目に留めて、桐は一歩足を出した。
「兎さん、かぐや姫様に会いたいのですが、場所を教えていただけますか?」
他に声を掛ける相手もいないため、先を跳ねる兎を追って竹林へと身を滑らせる。一歩、竹林に足を踏み入れた瞬間、竹によって冷やされた秋風が桐の肌を撫ぜ、別世界へと迷い込んだと告げていた。少し振り返り見た竹林の入り口は、まだ人里へと続く道が見えていたものの、節くれだった青竹の格子に阻まれてとても遠くにあるように見える。
ガサリと擦れる葉の音に桐は前へと顔を戻し、先を行く白兎の背を追った。緩やかな傾斜に足を這わせ、可愛く跳ねる白影を追う。一つ、二つ、三つと跳ねる音を追う度に竹林の影は深くなり、怪物の喉を通っているように錯覚させた。肌寒い空気もそれに拍車をかけているようで、桐は身の内の熱が冷めないように足を出し続ける。
どれだけ白兎とともに歩いたのか。一時間かもしれないし、二時間かもしれない。太陽がどこにあるのか分からぬ竹林の中では、時間の感覚が曖昧だ。そんな中、ついにピタリと白影が止まった。白いボールのように地面に転がる白兎へと近づけば、少し開けたところに出る。だが、周りに建物があるわけでもなく、開けているのは竹がどういうわけか斬り落とされているからだ。
そんな竹の断面に目を這わせ、指でその鋭く斬り裂かれた断面をなぞった。
「……楠?」
斬った跡を見れば相手の技量が分かるという。その竹の断面は桐が何度か見た形。斬られたというよりは断面を磨かれたように離れ離れになっている竹を見て桐はそう結論を出す。独特過ぎる断面は北条の技のもので間違いない。何があったのかは分からないが、楠が刀を抜いたという事実に桐が考え込んでいると、丸まっていた白兎がぴょこんと跳ねた。
追わなければと白兎に目を向けた桐の動きを止める。大地から伸びた二つの線は竹のものではなく肌色の線。それを追って桐が顔を上げれば、兎を抱えピンク色のワンピースを着た小さな少女。そんな少女の耳にも兎の耳が揺れている。
「貴方がやったの?」
怪しむ兎少女の問いに、桐は周りで散らばっている竹を眺めてふにゃりと顔を崩した。そうして立てば、ひょろりと高い男の背に圧倒されてか、少女が一歩後ずさる。
「私の友人がやったようです。何があったのかは分かりませんが」
「ふーん、変なの。人間が竹林になんの用? 永遠亭に用だとしても病人には見えないけど。それに今日は休診なの」
「永遠亭の方なんですか? それは良かった。私は平城十傑、五辻家第七十八代目当主、五辻桐と申します。かぐや姫様にお目通りしたいのですが案内していただけますか?」
そう桐が自分の名を名乗ると、少女は目を丸くして何度も目を瞬いた。少し考え込むように明後日の方へ視線を投げ、その間に手から跳び去って行く白兎を慌てて手に取ろうとするが間に合わず、白兎は去っていった。そんな兎に少女はため息を吐き、疲れたような目を桐に向けた。
「……昨日の新聞に載ってたわ、あれから姫様の機嫌が悪いのなんの。それでも会いたいの?」
「何を置いても」
即答し頭を下げる桐を見て、なによりその背にある大太刀を見て、これは私の手に余ると少女はため息をまた一つ零した。少し張り詰めた桐の空気に、そういうのは自分に合わないと言うように、手を頭の後ろで組むとくるりと体を反転させる。
「ついて来て。私はてゐ。因幡てゐよ、よろしく一千年前からの訪問者」
「因幡……。こちらこそ白兎様」
桐の返事に気分を良くしたのか、ふらふらとてゐは歩いて行く。跳び歩いていた兎よりも頼りなく見えるが、それでも桐は大太刀を背負い直すと後を追う。かぐや姫への道が遂に見えたと恐ろしくも嬉しくおどおど歩く桐を横目に、てゐは鼻歌を歌いながら足を動かし反転する。鬱蒼とした竹林の中で竹にぶつからず器用に後ろに歩くてゐを桐は興味深そうに眺めた。
「姫様を守りに来たの?」
「そうなっちゃっているみたいですね」
「何よそれ。貴方なにしに来たのよ」
「旅を終わらせに」
要領を得ない桐の答えにてゐは鼻を鳴らし、兎のようにぴょんぴょんと何度か跳ねた。そんな可愛らしい動きをするてゐをふにゃりとした顔で桐は眺めていたが、ふいにその視界が下に落ちる。
「あっはっは! ざんね」
「おや危ないですね」
「いぃ⁉︎」
背後にぽっかり口の空いた落とし穴を桐は一度見やり、口角を下げて固まっているてゐに顔を近づけた。
落とし穴に落ちそうになる瞬間素早く足を動かして、虚空に浮いた足場を蹴り前に進んだ桐は落ちずに済んだ。一瞬足が増えたようにさえ見える異様な動きに流石のてゐも固まり、目の前に突き付けられた柔らかな笑みに戦慄する。そんなてゐの手を優しく取って顔を寄せてくる男が恐ろしい。
「大丈夫、怒っていませんよ。白兎様はお茶目なお嬢さんですね」
「あ、あはは、貴方本当に人間?」
「なぜかそのセリフよく聞くんですよね、なぜでしょうね?」
なぜかって、人の動きじゃねえからだよ! と心の中でてゐは盛大にツッコミながら苦笑いを浮かべる。平城十傑。その存在を昨夜新聞を見て大層機嫌の悪くなった輝夜からてゐも聞いた。腕はたつけど所詮ただの人間だった。一千年もなにをしているのか。少し悲しげにそう言った輝夜の言葉をてゐも忘れずに覚えていたが、どこがただの人間なのかと顔を青くする。
少なくとも博麗の巫女や紅魔のメイドと遜色ない。桐以外の四人の人間も同じだけヤバいのかと気が重くなるのも当然だ。
「さ、さあね? 歓迎の印は気に入ってくれた?」
「気にいるか気に入らないかで言えば気に入りはしませんが」
「あ、ああそう」
「お嬢さんの手は暖かくて素敵ですね」
「あ、ああそう……」
手の甲を指で擦ってくる男に顔を引攣らせて、てゐは一歩後ずさった。その距離を詰めようと桐が一歩足を出す。てゐが一歩下がれば、桐が一歩足を出す。ズルズル下手なダンスを踊っているような現状に、てゐは腕を振り上げた。
「ああもう! いつまで握ってるのさ!」
「いやつい」
「なにがついなの⁉︎」
「そう見つめないでください惚れてしまいます」
もうやだこいつとてゐは泣き言を言いそうになるが、人前でそれは情けないとなんとか踏み止まる。そんなてゐに変わらぬ笑みを返す桐であったが、内心はとても穏やかではない。
素早くなった鼓動がうるさい。てゐの後を追って一歩進む毎にかぐや姫に近づいて行く。顔を見てすぐにかぐや姫だと気付くのか。最初に口にするのはなにがいいか。かぐや姫を見て見惚れて動けないのは嫌だなあ。とぐるぐる頭の中を駆け巡り、ついいつもの寄り道へと逃げてしまう。それが悪いと思いながらも、女々しくもそれしか知らないために下手に時間を潰している。そしてそんな桐の笑顔が固まった。
後ずさるてゐに肉薄し顔を寄せる。
食われる⁉︎ と身を硬直させるてゐの肩に桐の両腕を伸ばされ、力強く掴まれた。気分は蛇に睨まれたカエル。近付いてくる桐の顔に思わずてゐは目を瞑ったが、次にてゐに襲いかかって来たのは、全身を包む浮遊感。抱き上げられたと感じた瞬間ぐるりと風が体を包んだ。
────チィン。
と鳴った間抜けな音に思わずてゐが目を開ければ、目の前の竹に大きな穴が開いていた。メキメキと音を立ててゆっくり倒れていく竹が非現実的であり、思わず夢の中にでも入ったのかと錯覚させたが、てゐの体を掴んでいる桐の手の熱に目を覚まされる。
「なに?」
「……さて、先に一応聞きますが、アレはてゐさんのお仲間ですか?」
桐を見上げ、笑顔の消えた桐の視線をてゐは追った。その先に突っ立っている一人の少女。手には見慣れぬ銃を持ち、何より頭から兎の耳が伸びている。青い髪を靡かせて、その顔を狂喜に歪めていた。そんな少女と出会ったことがあったかとてゐは記憶の箪笥を次々開けるがその誰にも該当しない。
「知らない。鈴仙でも、鈴瑚でも、清蘭でもない。まさか本当に?」
「流石菖さん、仕事がお早い。一応お聞きしますがお嬢さんは何者ですか?」
「……今日かぐや姫を殺す者」
「それはまた分かりやすい」
引かれた引き金に合わせて桐は大太刀を振り抜いた。鞘から抜く時間はない。大太刀で弾丸を弾き桐は前進しようと体を前に倒すが
(────重い!)
鞘は砕け、前進しようとしていた桐の体が後方に押し込められた。続けて引かれ続ける弾丸をてゐを抱えて転がるが、その後を追って弾丸が迫る。竹も地面も関係なく抉り抜いていく弾丸に桐は歯を食い縛りながら無理矢理体を前へと押し出した。
「わわわわ⁉︎ なんなのさ⁉︎」
「喋ると舌を噛みますよてゐさん! ちょっと本気出すので掴まっててください!」
大地を踏みしめただ前に。片手で大太刀を振るうのはなかなかに厳しいものがあるが、そこは遠心力と前へと突っ込むスピードで補う。回り込むように月の使徒へと迫る桐に月兎は銃口を向けると躊躇なくその銃口が火を噴いた。
「しァっ!!!!」
踏み出した足を軸に桐は回り、その回転を狭めるようによりコンパクトに大太刀を握った右腕を振るう。かち合った銃弾と大太刀は重い音を響かせて、月兎の隣の竹に大穴を開けた。
「コイツ本当に弾いて⁉︎」
「次はオマエだ」
驚愕に目を見開く月兎の視界の下から、黒い頭が迫り上がる。柔らかい笑みは鋭さを得て、月兎の視界を縦断すると共に銀閃がその間に滑り込んだ。引き金を引くにはもう遅い。たったワンアクションの時間よりも短く、腹部にめり込んだ鉄の感触を感じた瞬間、月兎は遥か後方へと吹き飛んだ。枯れた笹の葉を宙に踊らせ、竹を巻き込みながら砂煙を上げる大地を睨みつけながら、振り切った大太刀を桐は肩へとかけた。
「……斬ったの? っていうか貴方本当におかしいわ」
「斬ってはいません。しかしこれで……終わりではなさそうですね」
枯れ葉を撒き散らしながら立ち上がった月兎は、口から血と吐瀉物を吐き出しながらも銃を構えようと手を動かす。へし折れた右手を掲げようとしながら失敗し、忌々しげに桐に向かって視線を突き刺した。
「これは困りました。あんな目で女性に見られる日が来るとは」
「いや、そりゃ怒るでしょ」
「先に撃ってきたのはあちらなのに?」
「だいたい戦いなんてやってる方は悪いと思ってないんだよ」
「みたいですね」
無事な左手でなんとか銃を構えた月兎が引き金を引く。照準などあったものではない。四方八方に飛ぶ弾丸は竹林に穴を穿ち、一発でも当たれば終わるだろうと花開く。それを見て桐は、大太刀を握った手で前髪を弄りながら大きく長いため息を吐いた。
「……これも運命ですかねー」
「なにが?」
「いえいえこちらの話です。そしてこれが、平城十傑としての初仕事だ。てゐさん酔ったらすいません」
「は? なに────⁉︎」
掻き混ぜられた視界にてゐの言葉は形を失う。その場でぐるりと回った桐が、遠心力をもって加速する。何回かその場で大太刀を振りながら得たエネルギーを、ただ前へ行くことのみに昇華する。竜巻に巻き込まれた後吹き飛ばされたように、吹っ飛んだてゐの視界が次に見たのは月兎の首にめり込む大太刀。
べギリッ、という音は始まりの音。ふらふらと数歩前に歩いた月兎の首は百八十度下へと回りその体は重力に誘われるまま竹林の枯葉に柔らかく迎えられた。
「まず一人。永遠亭への道は遠そうです」
「まず? いや今倒したじゃん」
「耳を澄ませてください。その立派な耳を」
てゐの耳に駆け込んでくるのはいくつもの枯れ葉を蹴り上げる音。血の気が失せて耳を垂れさせるてゐの先でいくつもの兎の耳が揺れている。薄く笑う桐の顔を見上げ、てゐの顔はより蒼白になった。