月軍死すべし   作:生崎

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袴垂
第一夜 昼


  影が歩いているような姿だった。直上に上った太陽の光に照らされて、人里に蠢いている色とりどりの着物の隙間を埋めるように、白い影が動いている。蒲公英の綿毛のようにふわりとした頭髪が風に揺れ、人々の喧騒の中を緩やかに流れる風に流され進んでいく。

 

  人里、幻想郷で数少ない人々が集まり生活を営んでいる場。幻想郷という名の箱庭の中で、人々の集まる人里は、大きな往来に多くの人の姿があり、辺境の秘境であるという事を忘れそうになる。外の世界で時間に追われる人々と違い、昼間から酒を嗜む者、店前で声を張り上げる客引き、艶やかな格好で男を誘う遊女と、あらゆる人々が小さな人里に詰め込まれていた。

 

  それを横目に見ながら、白い影は陽の光を避けるように足を進めていく。碧色の学ランに身を包んだ薄白の頭髪。髪色から姿形まで目を惹く者の多い幻想郷であるが、その中で人里を歩く外来人の男もまた目を惹く存在で間違いない。だが、すれ違う人々はただすれ違う影を視界に納めるように気にせず、目も向けずに通り過ぎて行く。男もまたそれを気にする事もなく、黒や灰色の質素な着物を着る者達には目も向けずに先を急いだ。

 

  そんな中で男が足を踏み入れたのは、往来の両脇に店の並んだ商店街、呉服屋、米屋、酒屋、団子屋、外の世界ではあまりお目にかかれぬ木造の古めかしい商家から看板建築の派手な見た目の建物まで、太めの路を埋め尽くす人々は、気取った様子もあまりなく、これが普段というように、肩が触れ合いそうな程に隙間がない。

 

  だが、男はそれも気にせず足を進めた。ふわふわふわりと人を避けて進む風に乗るように。薄皮一枚の差を残し、人々に決して触れる事なく男は進む。そんな中ふと男の足が止まった。だがそれも一瞬、人々の目が足を止めた男に向けられるよりも早く、足を再び動かし出す。

 

  数多の人々の間にいて目立つ姿。金と黒色の入り混じった寅柄の頭髪、人里の人々よりも質の良さそうな衣服を着込み、隣には側仕えのような少女が引っ付いている。側仕えの頭から生えた鼠のような耳とスカートから伸びる尻尾を見て男は一度目を瞬き、寅柄の頭髪の女性に目を戻して小さく唇を舐めた。

 

「ナズーリン、後はお米とお味噌ですかね」

「ご主人、後お酒も買ってきましょう」

「んー、たまには良いでしょうか」

「おっと、ごめんなすって」

「あ、いえいえこちらこそ」

 

  これまで人々を避けていた白い影がふわりと寅丸星の体を擦るように通り過ぎ、ちらっと背後に通り過ぎた白い綿毛を視界に収めようと振り向いたが、そこにはもう男の姿はなく人垣だけが少女の目に映り、ナズーリンに袖を引っ張られて少女もまた道の先に消えて行く。それを横目で男は眺め、手に持った小さな屋根のついた水晶のようなものを片手でお手玉して目の前に掲げた。

 

「んー、オレの勘がなかなかの値打ちもんだと言ってんな。幾らで売れるかね」

 

  そう言いながら男は人目につかないように懐へと毘沙門天の宝塔を隠す。

 

  掏摸(スリ)

 

  犯罪であるが、そんな罪など気にしていないというように、男の足取りは余計に軽くなる。当たり前だ。なぜなら男の一族は代々そういう一族だから。人から物を奪う事など当たり前。平城京に名を轟かせた大盗賊、それが男の祖先だった。

 

  どんなものだろうと男の一族は奪って来た。金、酒、女、終いには名声や身分まで。その暴虐無人さに、一時は妖怪よりも恐れられた人間。だが、そんな者にも奪えなかった者がある。それこそ平城京で一番の姫と謳われたなよ竹のかぐや姫。手に入れるどころか、奪われると言う結末に、これまで山賊として生きてきた初代の当主は怒りに震え、必ずかぐや姫を奪ってみせると誓ったのだ。

 

(馬鹿らしいやな、オレが奪われたわけでもなしに)

 

  そんな話を男は先代から聞いた時、心底どうでもよく、話途中に船を漕いでしまうほど男は退屈だった。祖先と言えど所詮他人、初代が奪われたのは、初代が間抜けだっただけだと男は考える。奪われるのも奪えないのもそれは当人が悪い。本当に大事なものなのならば、絶対に奪われぬようにするべし。そんな教えを一身に受け、男は幻想郷にやって来た。

 

  幻想が闊歩する幻想郷、いったいどれほどの宝物が眠っている事か。外の世界ではお目にかかれね宝物が必ずここにはあるはずだと、男はそれだけを楽しみにやって来た。早速上物の獲物を一つ手に入れて男は上機嫌に歩いていたのだが、その肩に後ろから手を置かれる。

 

  優しく、しかし力強く、その手の温度に男は口端を歪めて、誰にも聞こえないように小さく舌を打つ。外の世界だろうと、男の歩みを止めるものはほとんどいない。人の意識の隙間を歩く男が肩を掴まれたのなどかなり久し振りの事だ。男は振り返りながら、歪めていた口端を上げて笑顔に変えて振り向いたが、そこに人の姿はなく、おかしいと目を落とすと、薄い黄色のリボンがついた鴉羽色の帽子。

 

「あーなんか用かね嬢ちゃん」

「わ! お兄さん私が見えるの?」

 

  自分で肩を叩いておいて見えるとは意味の分からない事を言うと男の笑顔が固まった。見上げてくる瞳孔がないような少女の不思議な目、青い血管のような管が少女に巻きつき、目を瞑ったような第三の瞳が少女の左胸の上に浮いていた。

 

「誰にも気付かれずに歩いてたから仲間だと思ったんだけど、お兄さん人間?」

「そうだな、じゃあオレはコレで」

 

  触らぬ神に祟りなし。少女の手を振り解き先を急ぐ。さっさと先に進みたいのに、少女、古明地こいしは男の周りをグルグルと周りどこかへ行く様子はない。その少女の姿を目で男が追っていると、少女は嬉しそうに男に引っ付いて来た。

 

「お兄さん面白いね! お兄さんには無意識ってないの?」

「馬鹿らしいやな」

 

  一言でこいしの疑問を男はばっさりと斬り捨てた。無意識とは意識していない状態。それこそ男の一族が最も恐れる状態だ。

 

「自分の体を完全に操るにはなあ、小さな事も取りこぼさずに分かってなきゃいけねえのよ、それ即ち無意識を塗り潰す事に繋がるのさ。そうすれば相手の無意識にも滑り込めんのよね」

 

  そう言いながら男は手に持った巾着袋をお手玉する。「私の‼︎」と言ってこいしは男の持つ巾着袋に飛び付こうとするが、男はそれをひょいと避けて足を進めた。ミスディレクション、人の注意を反らしてその間に滑り込むなど男にとっては造作もない。

 

「授業料だぜ、勉強になったな」

「むー、凄いけどそれって泥棒じゃない」

「泥棒結構、オレは平城十傑、袴垂家九十二代目当主だぜ。俺の先祖は平安時代に一番有名だったが、その名声を奪ってオレが現代最高の盗賊になるのよ。袴垂椹(はかまだれ さわら)、今に幻想郷でもこの名を聞くぜ、オレを見つけた嬢ちゃんにサービスよ」

「何それ面白そう! 私も着いてく!」

 

  何言ってんだこいつと男はこいしから目を外すが、そのまま少し思案して、歩く椹とこいしに誰も目を向けていないのを目に留めて小さく唸る。椹も幻想郷に来たばかり、幻想郷の土地勘などなく、それにこいしはなかなか使えそうだと当たりをつける。外の世界では盗みに特化した知り合いなど全くおらず、椹は一人でやるしかなかったが、自分と同じように周りの目を避けて歩ける少女ならばいいかとこいしに目を落とし笑顔を見せる。それを見たこいしもまた笑顔だ。

 

「いいぜ嬢ちゃん、今から嬢ちゃんはオレの子分よ。道案内でも頼むぜ、オレの事は(かしら)と呼びな」

「はーい、お頭! あと私は古明地こいしだよ!」

「おうこいし嬢、そいじゃあ早速この幻想郷でお宝がありそうな場所を教えてくれよ」

「うん! こっちこっち!」

 

  こいしに手を引っ張られて椹は先を急ぐ。目指す先は何処であるのか。椹にとっては何処でもいい。目を惹く輝かしい宝物があれば、椹は手を伸ばすのだ。

 

 

 ***

 

 

「で? ここなわけ?」

 

  そう椹が聞けば、隣に立つこいしは満面の笑みを浮かべて大きく頷く。鼻を鳴らして椹が見つめる先に映るのは真っ赤な洋館。城と言っても良いほどの大きさがある。陽の光に照らされて深紅に輝く洋館は、数多の血で染め上げたようであり、漂う空気からは血の匂いがしてくるようだった。

 

  恐れと神秘。見ているだけで産毛立つような館の雰囲気が、椹の琴線に触れ、楽しそうに手を鳴らす。見るからに何かがありそうな館、触れてはいけない空気だからこそ、逆に手を伸ばしたくなる。好奇心という人の持つ危険な毒を楽しむように椹は喉を鳴らした。

 

  紅魔館、吸血鬼の住まう深紅の館。

 

  それを聞いて椹の笑みがまた深くなる。恐怖も幻想も好奇心も全てが椹が今を楽しむための調味料。「行くぜ」とこいしに言葉を落とし、スキップでもするかのように足を出す。壁をよじ登って中に入るなどという格好の悪い方法を椹は選ばない。足を向けるのは鉄製の豪華な装飾のついた門。足を向けながら、門の傍に立つ影を見る。

 

  緑色の華人服を着た赤い髪の乙女。目を瞑って腕を組み門壁に背を預けている。目に映るプロポーションと纏う空気から、戦闘の素人ではないと椹は察する。歩きながら足音を消し、紅魔館の門番である紅美鈴の前に立つが、美鈴は身動ぎ一つせず、一定の浅い呼吸のまま秋のカラッとした空気をいっぱいに吸い込んでいる。簡潔に言って眠っていた。

 

「不用心な事この上ねえやな。行くかこいし嬢」

「ほっといて良いの?」

「気付かれるのは最後で良いのよ。さてさて」

 

  椹が見たところ門に鍵などはかかっていない。竜の頭のような装飾の口にある取っ手を掴み、ゆっくりと開けていく。金属同士の軋む音を極限まで掻き消して、独りでに開いたような門の隙間に椹もこいしも体を滑り込ませて門を閉める。

 

「待て」

 

  その言葉に椹とこいしの体が固まる。弓の弦を弾いたような鋭い声。背中から放たれたその言葉に椹とこいしはゆっくりと振り向くが、人の影が伸びてくる事もない。二人は顔を見合わせて門の側へと再び近寄ると、美鈴はむにむに口を動かして再び「待て、待ってください」と口にして頭を掻いた。目を瞑ったまま。

 

「寝言かよ」

 

  途端に馬鹿らしくなり椹はため息を零して館を目指す。見れば見る程視線が吸い込まれるような赤色。その赤い外壁を目に留めて、口のように佇む木製の扉を目指す。軽く引けばこれまた鍵も掛かっておらずスルリと開く木製の扉。鍵を掛ける必要もないのか、来るもの拒まずの空気に乗っかろうと中へと入る。

 

  シャンデリアが星々のように輝く大きな玄関ホール。隅々まで綺麗に掃除され、埃一つない大理石の床は、鏡のように椹とこいしの姿を薄っすらと写した。

 

  赤い派手な外観と違い、洗練された洋室の内装に、これまた良い物がありそうだと舌舐めずりする。そんな二人の元に近づいて来る弱い羽音。それを聞いて椹は装飾品の影に潜むように身を滑らせる。その直後廊下に続いていると思われる廊下の奥からやって来る透明な羽を生やした少女の姿。

 

  キョロキョロと少女は目を動かして、隠れる椹と隠れもせずに突っ立っているこいしには目もくれずに引き返していく。

 

「おいおいアレが妖精って奴か、びっくりだぜ、それよりこいし嬢よ、なんでアレはこいし嬢に気付かなかったんだ?」

「私は無意識を操れるから」

「ほー、そりゃ凄い」

 

  本当にそう思っているのかいないのか適当に椹は返事を返し、辺りに耳を澄ませる。至る所から聞こえてくる薄い羽音達から言って、至る所に妖精がいる。それに顔を顰める事もなく笑みを深めて顎に手を伸ばす。

 

「何を奪うのが良いかね、こいし嬢よ、何かこうここの主人が大事にしてるもんとかねえのかね」

「ここの主人って言うとレミリア=スカーレット?」

「レミリア=スカーレット? それが主人の名前かや。名前にまで『紅』と付いてるとは、それを取るのも面白そうだが」

「うーん、あ! 確か紅魔館の地下に大事なものを隠してたよ」

「ほっほーう、地下があんのね」

 

  洋館に地下室。これほど御誂え向きなものはないと椹は手を打つ。何があるのか分からないのだから分かるものを目指すのが一番。こいしと二人なんの悪気もない明るい笑みと悪どい笑みを合わせて薄く笑う。

 

「さてどこから地下に行くかね」

「こっちこっち!」

「知ってんのかい……、こいし嬢はココに来たことあんの?」

「うん何度も!」

 

  こいしの返答に椹は肩を竦めてスキップしながら先を行く少女の後を追う。椹の想像以上に有能な案内役の背を椹は見ながら、しばらく石造りの廊下を歩いていると、こいしは壁の一部に急に手をつく。それに合わせて僅かに凹む石の壁。

 

「隠し扉とは凝ってんなー」

「うーん固いぃ、椹のお頭手を貸して!」

「あいよ」

 

  壁に引っ付くこいしの背後から扉へと椹も手をつき力を入れるが確かに固く開かない。扉の縁から溢れる僅かな埃が大分使われていない事の証。ズズッと石同士が擦り合う音に合わせてより強く両手で椹が押すと、固い蓋が弾けるように扉が開いた。

 

「おぉい⁉︎」

 

  急に開いた扉に負けてこいしを巻き込んで椹は扉の先へと落ちて行く。扉の先にあった苔むした階段は滑りやすく、途中で止まる事もなく暗闇の中を転がり落ちる。壁にぶつかる事もなく、薄暗い床を滑って行った。摩擦に体を擦らせ、椹の目に映るのは苔むした石の通路に貼り付けられたランタンの炎の灯り。椹が身を起こせば、上に乗っかっていたこいしがコロリと転がった。

 

「……痛てえな、おい平気かこいし嬢」

「うえーん腰打った、お頭おんぶ」

「自分で歩け子分そのイチ」

 

  体の埃を手で払い、こいしを抱き上げて地面に下ろした。ぶーたれてこいしが椹の背に張り付こうとしてくるが、それを手で払って椹が周りに目を這わせていると、結局こいしはその隙に椹の背に張り付く。初対面の相手によくもまあここまで厚かましくできるものだと、椹はなけなしの常識によって肩を落とし、暗闇に目を慣れさせる。

 

  暗く突き当たりの壁も見えない石造りの地下通路。椹も外の世界で若いながらに色んなところへと忍び込んだが、ここまで物語に出てくるような絵に描いた場所は初めての事だ。逆に気分が高まると口の端を上げて、笑うと、背に乗っかったこいしが男の綿毛のような頭髪をわしゃわしゃと撫でる。

 

「お頭どうする?」

「ここで行かなきゃ盗賊の名折れよ。あと、髪を弄んなや。ただでさえ癖毛で困ってんのに」

「えーでもふわふわでいい感じ!」

 

  髪を弄るこいしの手を椹は後ろ手で払うが、変わらずこいしは楽しそうに椹の髪を弄り、「三つ編みー!」と言いながら椹の髪を勝手に纏め出す。相手をするのも面倒になった椹は手を止め足を出しながら、石の壁に手をつける。

 

  冷たい地下通路にいったい何があるのか。吸血鬼の主人が大事に隠しているもの。吸血鬼こそまだ椹は見てはいないが、大層な宝物なのだろうと想いを馳せて口笛を吹きながら足を踊らせる。先も見えぬ地下通路に気負う事もなく椹は歩き続けるが、道の先どころか扉も見えない。

 

「そう言えばお頭は何で宝物を盗もうとするの?」

 

  椹の髪を弄りながら、退屈にでもなったからかこいしは純粋な疑問を口にする。幻想郷にも変わった者は多いが、人間で吸血鬼の住まう屋敷に嬉々として忍び込む人間など、霧雨魔理沙以外で初めて見たこいしだ。それも霊力も魔力もない。「んー?」と椹は唸りながら、しかし目は前から動かさずに答える。

 

「綺麗だから」

「それだけ?」

「それだけ」

 

  そう言って椹は口を閉じる。それ以外うんともすんとも椹は言わない。ただこいしを背に乗せたまま足を動かし、ランタンの隣でふと椹は足を止める。

 

  目に映った重厚そうな木の扉。それも所々ひび割れているようで、周りの石壁も欠けている。それを見て椹は手を擦り合わせた。

 

「さてさて、見るからに怪しい扉だぜ。何があるかね、宝石か宝剣か、いや吸血鬼の宝物ならもっと凄いかや? 何にせよあの感じなら罠の一つや二つくらいぃぃぃ⁉︎ おいこいし嬢⁉︎」

「さあ行こう‼︎」

 

  椹の背から飛び出したこいしが扉に張り付き引っ張って行く。罠も気にせずに扉を開ける豪胆さに、呆れと感心が合わさってため息を零し椹はこいしに近づくとその頭に手刀をぽすりと落とす。

 

「盗賊の心得その一、いかにも怪しそうなものには警戒しろだぜ」

「警戒してどうするの?」

「警戒して一気に開けんのよ」

「なるほど!」

 

  全く心得になっていない椹の話にこいしはなぜか納得して、二人してこっそり部屋の中へ顔を出す。扉の表面よりも更に抉れた石の壁。砕けたベッドと思われる木片。

 

「誰?」

 

  その中心で綿の飛び出たクマのぬいぐるみを抱えた金髪の少女。その赤い瞳が向けられる。宝石のようなものがついた骨張った翼をはためかせ、赤い服を暗い湿気が立ち込める部屋に靡かせる。

 

「……なるほど、宝物は少女かや? こりゃまた変わってんな、流石は吸血鬼の宝物よ」

 

  椹はバレた事もありのっそりと壁から体を出し、少女の前へと躍り出る。それをおかしそうに首を傾げて眺める金髪の少女に警戒する事もなく足を向けた。

 

「嬢ちゃん一人かい? こんなところに」

「うん、四九五年もここにいる」

「四九五年? そりゃあまた、体に苔まで生えちまいそうだぜ」

「苔なんて生えないよ。それよりも人間が何しに来たの? お姉様の知り合い? 変わった格好」

「お姉様って事は妹か、オレは外の世界から来たのさ、幻想郷の宝物を奪いによ」

「外の世界? 外来人って人間ね! 初めて見たわ‼︎ へー」

 

  嬉しそうに手に持ったクマのぬいぐるみを放り捨てて、骨張った羽を一度羽ばたき砕けた石の床にフランドール=スカーレットは足をつけた。新しい玩具を見るように、その紅い瞳を怪しく細めて、指を咥えながら椹の下まで寄って来る。

 

「私はフランドール=スカーレット! 外来人のお兄さんは泥棒さん?」

「そうとも、袴垂椹、今に名を轟かせる泥棒さんよ」

「そのお頭の子分そのイチ、古明地こいし!」

「へー、心を閉ざしたさとり妖怪までいるんだ。ねえ? 私と遊んでくれる? ここってとっても退屈なの。入って来た泥棒は撃退しないと」

 

  椹の背中からひょっこり顔を出したこいしを見て、可笑しそうにフランドールは笑うと、椹に輝く赤い瞳を向けて手を差し出す。小さな手のひらを大きく広げて、その手の中に何かが吸い込まれるように丸い球体が形成される。椹から何かを奪うように。それを見て椹の顔が初めて歪んだ。忌々しそうに目を細め、

 

「キュッと……」

 

  と言ったフランドールの口の動きに合わせて、椹は素早く手を振った。吸血鬼の目を持っても早いと感じるその動きにフランドールは笑みを深めて「ドカーン!」と強く手を握り込んだ。目の前で男が赤く弾ける様を幻視して、その通りになるとフランドールは思っていたのに、椹はつまらなそうに顔を歪めるだけで全く変わらない。

 

「オレはな、奪いはするが奪われんのが一番嫌いなんだや」

 

  そう言いながら椹は親指と人差し指でつまむように不確かな黒い球体をフランドールの前に掲げる。破壊の核となる『目』の姿。フランドールは目を見開き、『目』と椹の顔を交互に見る。

 

「どうして?」

「はっはっは! オレは世界最高の泥棒よ! 形あるものもないものもオレに奪えねえものはねえ! コレが何かは知らんがね、オレから奪おうとするとは大した嬢ちゃんだ!」

 

  椹はいたく気に入ったと言うようにフランドールの金色の髪をわしゃわしゃと撫でる。そのままフランドールを品定めするかのように椹は吸血鬼の妹を見回して、そしてパシッと手を合わせた。

 

「さてフランドール嬢や、行くとしようかや?」

「え? 行くってどこに?」

「オレは盗賊だぜ? 吸血鬼の宝物を奪いに来たのよ。フランドール嬢が宝物なら、それを奪わずに何を奪うよ?」

「おかしな人間、私は吸血鬼よ?」

 

  呆けて気味の悪いものを見るように目を細めるフランドールを見て、椹はより大きく笑う。暗い地下通路に似つかわしくない明るい笑い声。だからどうしたと言わんばかりに身を仰け反らせ、背中に張り付いていたこいしがずり落ちる。

 

「関係ないね! それが誰かの宝物なら、オレの持っていない綺麗で素晴らしい輝きならすべからくオレは奪うのよ! だからフランドール嬢よ、オレはここの主人、レミリア=スカーレットから嬢ちゃんを奪うぜ! 逃がしゃしねえよ、オレは獲物を逃さない」

 

  言いながら椹はフランドールの鼻先へと指先をつける。椹の持つ灰色の瞳を見開いて、それを腕で払おうとしたフランドールの動きは読まれていたように椹に避けられ、壁を背にして椹はまた笑う。逃げきれずに壁と椹に挟まれたこいしは「ぷふぅ」と空気の抜けた風船のような声を出して、何とか這い出ようと手を伸ばす。

 

「椹のお頭ぁ、苦しぃぃ」

「ああ悪いなこいし嬢よ」

「変な奴ら、だいたい出たらアイツに追われるわよ。出てっちゃダメって、屋敷から一歩も出た事ないもん」

「さてさて、次はどこへ行こうか。吸血鬼の妹はゲット! 幻想郷中の宝物掻っ攫うぜぇ」

「へいお頭! 次は人里に戻ろうよ! 屋荒らししよ屋荒らし!」

「ばっか、こいし嬢よ! それならここに来る前にそう言え!」

「聞いてないし……」

 

  ため息を吐きながらフランドールは二人を見る。狂気に蝕まれているフランドールと同じように、何かが致命的にズレている二人。フランドールを怖がらず寧ろ連れ出そうとする始末。あまりに二人がおかしいので、フランドールの口角も上がってしまう。

 

「さあそうと決まれば名を残さんと」

 

  そう言いながら椹はどこから取り出したのかも分からないスプレー缶を手に取ると、フランドールの部屋の壁を汚して行く。楽しそうに口笛を吹き足でリズムを取りながら壁に大きく描くのは『世紀の大盗賊、袴垂椹参上! レミリア=スカーレットの宝物確かに頂いた』の大きな赤い文字。それを描き終えるとこいしにスプレー缶を投げ渡し、壁の方を指で指し示す。

 

  それに笑顔を見せて『子分そのイチ、古明地こいし』の文字をこいしは書き終えると、フランドールの方へ投げ渡した。手に持ったスプレー缶と盗賊達の顔をフランドールは見比べて、椹が一度強くフランドールの背を叩くと、意を決したように笑みを浮かべフランドールは壁に向かって文字を描く。

 

『奪われた宝物、フランドール=スカーレット』

 

  それを見て椹はフランドールからスプレー缶を引っ手繰ると幾つかの文字を書き足していく。

 

「妹様?」

 

  その三人の背にかかる鈴を転がしたような綺麗な女性の声。それを受けて椹の動きが止まった。暗がりに見えるフランドール以外の影を目に留めて、女性の声に鋭さが混じる。

 

「誰だ⁉︎」

「ごめんなすって!」

 

  その叫び声から逃げるように、女性の横を二人の少女を抱えた椹が通り過ぎる。急な侵入者に紅魔館のメイド長、十六夜咲夜は、メイド服に忍ばせたナイフを投げようと手を動かすが、メイド服の布の上を滑るだけでナイフのナの字も掴めない。そんな咲夜に向かって逆に椹の消え去った方向から飛んで来るナイフ。それを咲夜が手で掴み残りのナイフを払っている間に、男の姿はすっかり消えた。追うべきか思案する咲夜の目の端に映るフランドールの部屋の壁に描かれた文字を見て、咲夜の顔がそちらへ向かい歪んでいく。

 

『世紀の大盗賊、袴垂椹、子分そのイチ古明地こいし 参上! レミリア=スカーレットの宝物確かに頂いた! 奪われた宝物、子分その二、フランドール=スカーレット』

 

  メイド長としての激務に追われながらこの惨状。酷い頭痛に襲われたように目頭を咲夜は強く抑える。

 

  そんな姿を思い浮かべて笑い声をあげるのは世紀の大盗賊。地下通路から飛び出して、じゃらじゃら走る度に持ちきれぬナイフを大理石の床に落としながら足を動かす。

 

「あのメイドいくつナイフ隠し持ってんだよ⁉︎ 奪い過ぎた!」

「咲夜は時を止められるから逃げきれないと思うけど」

「はあ⁉︎ 狡いななんだそりゃ⁉︎ 追われんのはいいけど捕まんのはノーだぜ‼︎ スピード上げんよ! 信濃の韋駄天小僧と呼ばれたオレを舐めんなぁ‼︎」

「行け行けお頭‼︎」

「ちょ、ちょっと私陽の光は」

「分かってんよ!」

 

  走りながら器用に学ランを脱いだ椹はばさりとフランドールを学ランで包み込む。目を丸くしたフランドールに椹は目を落とし、こいしと共に大きく笑いながら窓の一つをぶち破って椹は外へと繰り出した。燦々と太陽が降り注ぐ中、眩しさに目を細めるフランドール。

 

「い、妹様⁉︎」

 

  流石に物音で起きたのか、門の前から身を乗り出した門番が包まれた学ランの奥に見える赤い目と金髪を見て拳を握る。それを見て残ったナイフを投げ、門の上に足をつけて一足飛びに椹は紅魔館を後にする。

 

「妹様‼︎」

「美鈴、行ってくるね!」

「さあ! まだ見ぬものを奪いに行こう! 宝物はどこにでもあるぜ!」

「変な人間! 無意識を見るなんて!」

「変な人間! 狂ってるのね!」

「無意識も狂気も、手に取れぬものも全部奪うさ!」

 

  椹とこいし、二人の高笑いに小さく、しかし確かにもう一つの笑い声が混じる。袴垂椹の盗賊物語は始まったばかりだ。その物語に二人の少女を引っ付けて、椹は幻想郷中を闊歩する。

 

「ま、マズイですよこれは、妹様が、どうしよぅ」

「そうね美鈴、何であんなのが屋敷の中にいたのかしらね?」

「さ、咲夜さん⁉︎ あ! あぁ、ぁぁぁ……」

 

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