月軍死すべし   作:生崎

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第二夜 朝

  荒い吐息が暗闇に木霊する。細く狭い暗闇の牢獄の壁に手を伸ばせば、全く整備されていないザラついた土と岩の感触。パラパラと頭に降って来る砂つぶに鬱陶しそうに頭を振って、先を行く少女二人の背を椹は見つめる。

 

  揺れる緑がかった灰色の髪と(つや)やかな金髪を視界に入れて、七色に薄く暗闇を照らしているフランドールの羽の動きを目で追った。

 

「……いつまで続くんだ。つうか今どこにいんだ?」

「椹うるさい、それもう、えーと何回目かも忘れたわ。同じことばっかり言わないでよ」

 

  背に掛かって来た男の声にうんざりした声でフランドールは返す。井戸から秘密の抜け道に入ってもう何時間経ったのか、それは誰にも分からない。初めの方こそ椹の持っていた外の世界の文明の利器、スマートフォンで道を照らしながら進んでいたが、もうとっくの昔に充電は切れた。あまりに道が長いので途中で休憩を挟んでもまだ終点が見えない。

 

  椹とフランドールのストレスは尋常ではなく、狭い通路を椹が進むのに常に体を屈めなければならないのと、フランドールは羽が通路の壁に擦って鬱陶しいことこの上なかった。もし椹がいなければ、早々にストレスの臨界点を突破したフランドールによって通路は破壊され、冬眠しているカエルと同じように、土の中の生物の仲間入りを果たしていたことだろう。

 

  永遠に続いているようにも見える暗闇に、またフランドールの羽が擦り、マッチに火を点けるように狂気が点火する。それをしてどうなるかなど考えもせずに手の中で『目』を握ろうとするフランドールの背から椹の腕が伸び『目』を()った。

 

  虚空を掴んだフランドールは不満げな顔をありありと浮かべ、椹に文句の一つでも言おうと振り返って、椹の白髪が土色に仄かに染まっているのを目に入れると、少し可笑しかったのでなにも言わないことにした。

 

「おいなんだ、今の顔は」

「別に、土から引き抜いた後の蘿蔔(すずしろ)みたいなんて思ってないわ。それにしても椹はこんな暗闇でも目が効くのね」

「誰が大根男がこんにゃろ。だいたい夜目の効かない夜盗とか笑い話にもならねえやな」

 

  椹が自分で大根などと言うものだから、フランドールは小さく噴き出した。その笑い声に椹は暗闇の中に不満の色を滲ませたが、フランドールがイラついているよりはいいかと、細く息を吐き出すことでなんとか耐える。

 

  そんな二人をさて置いて、こいしはずっと一人前を行き、鼻歌交じりに歩いてばかり。ストレスのスの字も感じていないのか、通路に入って来てからずっとそんな調子だ。こんな状況でも、目は空いていても盲目な少女は存分に楽しめているらしい。時折壁の感触を確かめるように壁を小突きながら、こいしの足取りは重くなることを知らないが、その足がピタリと止まる。

 

「どうかしたかやこいし嬢。ついに終わりか!」

「ううん、お頭足が疲れちゃった。おんぶ」

「こいし嬢マジか……。こんな狭いとこでおぶれるわけねえだろ。我慢しなさい」

「ぶー、じゃあフランちゃんおんぶ」

「絶対イヤ。って言うか身長差を考えてよ。むしろおぶって欲しいんだけど」

 

  ぶーたれるこいしは我慢できないのか、椹の方へくっ付いて行く。おんぶもなにも屈まなければ進めない椹がおぶったところで、背に引っ付くこいしを壁に擦り付けながら進むことにしかならない。

 

  わちゃわちゃ暴れるこいしに跳ねられ、フランドールの羽が再び狭い通路の壁に擦った。顳顬(こめかみ)の血管が切れたような音を幻聴した椹が慌ててフランドールの方へ手を伸ばそうとしたが時すでに遅し。キュッと握られた少女の手の音に合わせて、それを押しつぶすような破壊音が通路の中に反響した。崩れた天井は、三人の頭上に降り積もり、その重さに耐えかねて床が抜ける。

 

「おぉい⁉︎ ありえねえ! こいし嬢! フランドール嬢! 飛べ飛べ!」

「わー! これは無理!」

 

  降り掛かって来る土と岩の破片が邪魔でこいしもフランドールも上手く飛ぶ事ができない。なんとか手を伸ばしてこいしとフランドールの二人を引っ掴む椹だったが、二人を掴んだところで事態が好転することはなく、ただ下に落ちて行く。

 

「こいし嬢、フランドール嬢、自力でオレに捕まっとけ! 空気を掴んでどうにか止まる!」

「お頭そんなこともできたの⁉︎」

「なにそれ、あらゆるものを掴める程度の能力?」

「感心してねえでさっさとしろ! 誰も知らねえとこで生き埋めなんてな」

 

  「盗賊として終わってやがるのよ」と言おうとした椹の言葉は続かなかった。暗闇の底に消えて行く土と岩の欠片たちを見送る形で、三人の姿は空中で静止する。ビタンという音が鳴ったように宙に浮き、「ぐぇ」という声も合わせて響いたが、あまりに情けない声だったので、自分が言ったと手を挙げる者はいなかった。

 

  しばらく三人で固まり、宙で動いてみようと椹は手を伸ばそうとしたがこれが動かない。こいしもフランドールも同様で、空中でもがく三人は、それは間抜けに見えるだろう。

 

「ちょっと椹、動けないんだけど、なにか掴んでるの?」

「だったらこんな変な盆踊りは踊らねえよ」

「うわー、ベタベター」

 

  手を上げようとしたこいしの腕に引っ付いている透明な細い糸を見て、椹は目を顰める。それを追えば無数の糸が繋がっているのが分かった。糸によって構築されたジャングルジムは、大きさは異なっても椹もフランドールもこいしも見たことがある。八本の足を持つ小さな捕食者(プレデター)の姿を思い浮かべ、その巣の大きさから巣の主人(あるじ)の大きさを想像して椹は苦い顔をした。

 

「うわマジかや。デカイ蟲とか見たくねえ。オレは蟲が嫌いなんだ」

「お頭にも嫌いなものってあるんだ」

「だってアレ美味くねえんだ。非常食にしたってな」

「キモいこと言わないでよ……」

 

  袴垂の迷宮で幼少の頃に食べた蟲の味を思い出し白い顔をする椹からフランドールは距離を取ろうとするが、張り付いた蜘蛛の糸が剥がれず離れられない。そんな三人の体を僅かに揺らす振動が、小刻みにリズムよく届く。天井から降り注ぐ土たちの仕業かと椹は疑うも、糸から伝わる生物の脈動がそうではないと訴えかける。その振動の主人が近付いて来ているのを察し、なんとか逃げようと体を捻った。だが動けば動くほどに糸は絡むばかり。よくできた罠だと椹は感心しながら、顔から血の気が失せていく。

 

「うわぁ、イヤだ、デカイ蜘蛛とか見たくもねえ! 蟲だけは無理かや!」

「……椹にも苦手なものってあるのね」

 

  物陰にでも隠れそうな逃げ腰の椹は放っておき、強くなってきた振動の方へとフランドールは顔を向けた。

 

  暗闇の奥で光るのは、八つではなく二つの目。茶色い瞳がぼんやりと光り、金色の毛髪が揺れている。深い茶色のジャンパースカートの下から、暗闇で染めたような黒い上着の袖が伸び、それらが包んでいる肢体は、常に闇に潜んでいるからか、黒とは対照的な白。血の気を感じさせない生白い腕が細く薄い白糸に伸ばされ、宙を這うようにフランドールたちの元へ迫って来る。

 

  地上から忌み嫌われ追いやられた者たちの風貌に、表をほとんど知らないフランドールでも、拭えぬ嫌悪感に顔を引攣らせた。黒の中にぼんやりと浮かんでいた土蜘蛛がその身を(おど)らせて三人の前に立ち上がり、こいしは笑顔で手を挙げようとし、糸に引っ張られ宙で揺れた。

 

「ヤマメだー! 久しぶりー!」

「おお? さとりの妹か。どうしたんだこんなところで珍しい」

 

  怪しげな雰囲気は、洞穴を流れる風に流されて消えてしまった。近所のお姉さんに話しかけるようなこいしの空気感に、フランドールの肩から力が抜ける。「お頭たちとお姉ちゃんのところに行くの!」という元気のいいこいしの返事を受けて、お頭と呼ばれた男の方にヤマメは顔を向けて眉を顰めた。糸から伝わる心音が弱い。まさに今死の一歩手前にいるかというように、巣に引っかかりグデンとしている男。あまりに椹が動かず生気もないので、フランドールが吸血鬼の膂力をもって腕に絡みついた糸を引き千切りながら手を伸ばして突っついた。

 

「ちょ、ちょっと椹」

「や、め、ろ。もう、すぐで、仮死状態に、なれる。死んだ、フリで、誤魔化して、蟲が、どっか、行くのを、待とう」

 

  空気の抜けたような小さな声でフランドールへそう返す椹に、心の底から呆れたとフランドールの力ない声が椹を殴った。

 

「そこまでする? だいたいアレこいしの知り合いみたいよ? 人の形してるし」

「マジで?」

 

  本気の死体ごっこを演じようとしていた椹だったが、相手が人の形をしていると聞いてくすみ始めていた椹の青い瞳に急速に色が戻り始めた。無理矢理首を捻って巣の主人、黒谷ヤマメの方へ顔を向けると、マジで蟲じゃねえ、と大きく舌を打つ。

 

「クソ、損した。エネルギーの無駄遣いかや。で? こいし嬢の知り合いだって?」

「なんとも失礼な男だね。なんだいあんたは」

「オレこそ世紀の大盗賊! 袴垂 椹よ!」

「とんだ大盗賊もいたもんだね」

 

  蜘蛛の巣に絡まれたままキメ顔を披露する椹ほど間抜けに見えるものはないだろう。「子分そのいち」といつもなら続けるこいしですら微笑を浮かべその場は流した。フランドールに至っては、仲間だと思われたくないからか、虚空へ顔を向け今姉がどんな顔をしているだろうかと逃げる。そんな三人の三者三様の顔を眺めてから、ヤマメは椹へと顔を戻した。

 

「にしても盗賊ね。今でも人間は珍しいのに、盗人が地底に用なんて、ろくな奴じゃなさそうだ。ここでちょいとつまみ食いしても怒られないかな?」

「おぉい⁉︎ やっぱり蟲はダメだ⁉︎ そんな死に方ごめんだぜ!」

 

  舌舐めずりするヤマメの顔は妖怪のそれ。からかっただけのつもりでも、人とは違う空気がその身からは滲んでいる。食われて死ぬ。それも蟲に。など椹からすれば絶対にごめんである。いくら姿形が人と似ていても、ヤマメの喉の奥からカチ鳴る蟲特有の唸り声に椹は大きく首を横に振って身体全身に力を入れる。

 

「こういう時は逃げるに限る!」

 

  言っていることは情けないが、起こった事象は劇的だった。パチパチという小さくなにかが弾ける音に合わせて、椹に絡まっていた蜘蛛の糸が千切れた。その断面は熱を持ち、溶けたように先がない。一瞬の驚きの後に続くのは、目を眩ます閃光。人が初めて手にした文明の利器。即ち『火』。椹の右腕が火に包まれ、それを横に凪いで糸を断ち切る。

 

「今だぜ! はっは!」

「お頭が燃えたー! すっごーい!」

「いやもう本当に、びっくり人間にもほどがあるでしょ」

 

  穴の空いた巣は、穴に向かって垂れ下がる。バランスを崩したヤマメを残して穴に向かって落ちる三人。暗闇を照らす火の明かりが小さくなっていくのを眺めながら、マイホームに空いた穴にがっくりとヤマメは肩を落とす。

 

  そんなヤマメの姿に微笑を浮かべて闇の中へ再び沈む三人だったが、フランドールにはまだ蜘蛛の糸が絡まり羽が広げられず、余裕そうな顔をしながらも椹の顔には脂汗が浮かび体に力が入らない。そんな二人を引っ張って飛ぼうとこいしもするが、フランドールだけならまだしも、椹が一緒だとどうしても浮けずに落ちていく。

 

「お頭〜へループ。このままじゃ地面にぶつかるよー!」

「そうだ! 今こそほら空気を掴めばいいのよ椹!」

「そうしたいのはやまやまなんだがな」

 

  緩く挙げられた椹の手を見て、フランドールとこいしの顔が固まる。火の消えた椹の手は火傷を負ったように爛れており、無事とは言えそうにない。そんな手で空気が掴めるのか。できなくはないが、確実さには欠けてしまう。それが一番分かっている椹は、何かないかと周りへと目を散らし、暗闇の中に垂れ下がった一本のロープを見つけると勢いよく手を伸ばした。

 

「これしかなさそうだ、力仕事なら任せるぜフランドール嬢よ!」

「そんな絵面でいいの? でも任されてあげる!」

 

  ロープに引っ付き膂力に任せて勢いを止める。たわんだロープの動きに驚きながらも、なんとかそれを手放さないようにフランドールは掴んだロープを握りしめ、空いた手で椹と、椹に引っ付くこいしを引っ張った。

 

  ざりざり磨り減っていくロープの音に顔を歪め、パラパラと砂つぶの当たる音が足の下から聞こえてくるのを三人の耳が拾った瞬間。地が凹んだ音とロープの千切れる音がしたのは同時だった。

 

  地面に足を埋めながら大地に立つフランドールと、そのフランドールにしな垂れ掛かるように引っ付いている大の男と少女の姿。一見幼女という言葉の方が似合っているフランドールに、フランドールよりも大きな少年少女が擦りついている様は犯罪的だ。フランドールがため息を吐くのに合わせて椹とこいしの二人は離れると、周りに人が居ないのを確認して安堵の息を吐く。

 

「なんとかなったな。あんがとよフランドール嬢」

「ん、まあいいけど」

「でもお頭大丈夫? 手の怪我痛そうだよ?」

「ああ平気だ平気。オレは怪我の治りが早いからな。昨日ぶっ刺さった銀髪メイドのナイフの傷ももう引っ付いたしな」

 

  そう言う椹の服の隙間から見える傷は確かに閉じており、ナイフが刺さっていた証拠は肌に引かれている一筋の赤い線だけだ。その赤線の跡を目でなぞり、小さく喉を鳴らした後にフランドールは目を背けた。その逆に引っ付くのはこいし。椹の元気を確かめるように首に手を回して背中に引っ付く。

 

「椹の体ってどうなってるのよ。実は仙人だったり、それとも蓬莱人?」

「お頭確か前になんか言ってたよね。……ああ! 私覚えてるよ! 自分の体を操るには小さい子が必要? だっけ?」

「え……、なにそれ」

「全然覚えてねえじゃねえか⁉︎ やめろ! フランドール嬢もその目をやめろ!」

 

  自分の体を抱いて後ずさるフランドールに椹は目を引き絞ると、こいしの頭にぽすりと拳を落とした。悪びれた様子もないこいしと、訝しむフランドールの顔に椹もまた苦々しく口を引き結び口端を下げる。火傷した手へと学ランの内側から取り出した包帯を巻きながら、渋々椹は口を開く。

 

「オレの技だよ。自身の体を完全に操るのがオレら袴垂の技だ。さっきのは自身の熱エネルギーを右手に集めたのよ。まあ術じゃねえからこの通り火傷すんけどよ」

「じゃあ空気を掴むっていうのや私の妖気を掴んだりしたのは?」

「ありゃそれの応用さな」

 

  袴垂の一族の技は身体操作。それに極限まで特化したものが正体である。

 

  我思う、故に我在り。自我の極致。

 

  指先から髪の毛一本に至るまで、その気になれば椹は動かすことができる。筋肉の動き、五感の切り替え、関節を外すのも自由自在、それが自分の身体のことであるならどこまでも。それは肉体の操作に限らず、身の内のエネルギーに関することまで。小さな火や電撃、その操作によって普通なら掴めぬものも掴んでみせる。それが目に見えるなら掴めるだろうと火や水から始まり、風や霊力、魔力まで。それが掴めなければ脱出不可能な監獄島に押し込められて。当主が変われば新たにこれも掴めるようになれと島の難問が一つ増える。椹の代で九十二代目。それだけ多くのものを掴めるようになれた。

 

「そんな人間もいるのね」

「流石お頭!」

「もっと褒めていいぞ!」

 

  高笑いする椹が上を向いたのと同時に、暗闇から何かが伸びて来た。横に避けた椹の元いた場所に落ちて来たのは断面の千切れたロープ。先程千切れたロープの残りが落ちて来たらしい。ズルズルと上から下に落ち続けているロープはいったいどれだけ長いのか。地面に積み上がっていくロープの山を三人揃って見続ける。

 

「なげえなあ」

「どこまで長いのかな?」

「それよりも何か聞こえない?」

 

  フランドールの疑問に椹とこいしの二人は首を傾げていたが、すぐにその答えは分かった。風を切る音と小さな悲鳴。それが地面に降って来たのと同時に、椹の頭に空から降って来た釣瓶が落ちた。ゴンと打ち鳴る鐘の音。その勢いに任せて椹の頭を地面へ埋め込むと、見た目ぼろぼろの桶の中から緑色の頭が顔を出す。

 

「び、びっくりしたぁ」

「いや、びっくりしたのはこっちの方よ。って言うかあなたは誰?」

「あ、わたしはキスメって、言って、その、ロープが切れたから、あ……」

 

  恥ずかしそうに桶の縁に隠れるように顔を出したキスメだったが、フランドールの狂気の瞳と、こいしの虚無の瞳に見つめられると恥ずかしそうに顔を背けた。そして目に映った椹の体を見つけると、その体を追って桶の下へと目を向ける。

 

「あの、その、この人間は食べてもいいの?」

「…………いいわけないでしょ」「お頭〜」

 

  疲れた直後の脳天への一撃に、すっかり伸びてしまった椹の両足を、フランドールとこいしの二人で片方づつ掴むと引き摺っていく。地底に引かれた僅かな血の跡をキスメは見つめ、三人の姿が見えなくなった頃、その道跡に手を伸ばし指先に付いた赤い雫を舐め取った。

 

 

 ***

 

 

  ぐわんぐわんと揺れる視界の中、パチクリと何度も瞬きをして椹は頭を軽く振る。気を失ったことなど人生の中で何度もあったが、袴垂の監獄島を脱出してからほとんど久しぶりの事だっだ。ボヤけた椹の頭では、普段している悪巧みもろくにできず、ただ漠然と視界に映ったものを拾うだけ。空の見えぬ暗闇が天井には広がり、その岩肌をところどころに見える石灯籠や提灯が照らしている。木で作られた家々は、幻想郷の人里にあったものよりも古い作りに見え、時代がいくらか(さかのぼ)ったような錯覚に陥った。日本各地にまだ少し残っている城下町の景色。それに生活感を埋め込んで地の底に隠したというような在り方に、はっきりしない意識のままでも緩く椹の口角が上がる。

 

  ただ、その景色の手前にある木の格子を見たと同時に口角が下がった。少し目を左、右と動かせば分かる。左右、天井を取り囲んでいる木の壁。座敷牢のような空間に、椹の顔は苦いものへと変わっていく。そんな椹の視界に左右から割り込んできた金と緑の髪を見て、ようやく椹は身を起こす。

 

「よお」

 

  起き抜けの挨拶としては悪くないが、時と場合というものがある。どういう状況かはっきり分かっていない椹に引っ付くのは、能天気なこいしくらいのもので、フランドールは不機嫌そうに鼻を鳴らして格子の外を眺めた。「お頭〜」とじゃれついてくるこいしを床に下ろしながら、ふと痛んだ頭に手を伸ばしながら椹はフランドールの方へと顔を向けた。

 

「ここはどこだ? 見たとこ地底の都っぽいがよ」

「……その通り地底よ椹。ただ、見ての通り牢屋の中だけど」

 

  フランドールの機嫌は治らず、その白い肌からは隠そうともしない攻撃的な妖気が薄くだが漏れ出ている。「どうしてそうなった?」と首を捻る椹の前に差し出されたのは一枚の紙。嬉しそうに顔を笑顔にしたこいしがそれを椹に突き付ける。その紙に映った自分の人相書きを見て、椹はようやっと納得した。

 

「手配書が出回るたあ、オレも有名になってきたな!」

「気絶してる間に捕まってちゃどうしようもないけどね」

「それは言うな……、にしてもなんで二人もいんだよ。こいし嬢とフランドール嬢の二人なら捕まらねえだろうし、逃げられもすんだろ」

「だって私お頭の子分だもん」

「……まあ、椹がいないとつまんないし」

「そういうもんかね?」

「盗賊の心得そのさん! 盗賊は仲間を見捨てないだよ!」

 

  勝手に三つ目の心得を作り偉そうに三つの指を立てた手を掲げるこいしを見て、そういうものなのか、と反論することもなく椹はその言葉を飲み込む。そしてこいしを引っ付けたままフランドールの方へ近寄ると、格子の先に見える一番大きな屋敷に目を向けた。

 

「悪かったな。ただ休憩もできたことだし、早速出てくとしようかね。あんがとなお二人さん」

「ま、まあ良いけどさ。それで? あの一番大きな屋敷が目的地? 行くなら行きましょ。こういうとこ嫌いだし、まだゲームオーバーじゃないんでしょ?」

「うん! あそこにお姉ちゃんがいるよ! 早く行って驚かせなきゃ!」

 

  こいしの肯定の声に、椹とフランドールとこいしの三人は顔を見合わせると悪い顔でにやけた。そして椹が格子に向かって手を伸ばそうとしたところで、「おい」と低い声が掛けられる。囚人を咎める声かと椹は身構えたが、声の発生源は外ではなく、内から。牢の内側へと振り返った椹の目には暗闇しか映らなかったが、徐々にその中に潜んでいる人影が浮き上がってくる。

 

「誰かや?」

「あー、なんか少し前に運ばれて来た奴よ。全然喋らないから口がきけないのかと思ってたんだけど」

「……それはちがう。その男が起きるまで待っていただけだ。君らと話しても意味はあるまい。不機嫌な妖魔に手を出しても得られるものはあるまいよ」

 

  だんまりを決め込んでいた牢に突っ込まれている四人目が口を開いたと思えば、出てくるのはなんとも堅苦しい言葉。少しムッとしたフランドールが驚かせてやろうかと右手を軽く伸ばして手を開く。

 

「あれ?」

 

  だがその手のひらの内に浮かんでくるものは何もない。『目』をまた奪われたのかとフランドールは椹の顔を伺ったが、椹の顔には額から一筋の冷や汗が垂れており、フランドールの目をパチパチと瞬かせるには十分だった。

 

  薄く引き気味に笑う椹の目の前に、牢の影の中から身を乗り出して来た人影の全体像が浮かび上がる。その者が着ている椹と同じような学ランは、辛うじて知っている者にはそれと分かるくらいにぼろぼろで、竜巻の中に放り込まれた後のようであった。だが、どこにも傷は見受けられず、長い硬質な髪を掻きながら男は椹の隣まで来ると腰を下ろす。

 

「……梓の旦那。なんでここにいるのかや?」

「さてな。ただ、どうにも運が悪い」

 

  椹の顔と梓の顔。その対照的な二つの顔を見比べて、フランドールとこいしは大きく首を傾げた。

 

 

 




足利 第二夜 昼に続く。

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