「なんで私がこんなこと……もう!」
姫海棠はたては、悪態をつきながらも悠々と山を吹き抜ける風に乗って空を舞う。全ては同僚である鴉天狗のせい。昨夜から姿を消した文を探すため、「暇してんだろ?」という上司の決め付けによって、朝っぱらからはたては居心地の良い家を追い出された。探しものなら椛を使えばいいのだが、椛の方は昨日侵入と脱走を同時に行った人間のおかげで警戒レベルの上がった警備の方に回されており、問題児である文を探すのには問題児を使えばいいとはたてに望まぬ白羽の矢が飛んできたわけだ。
朝日に照らされた紅葉した木々に埋もれている山は燃えているようにも見える。どこかで火事が起きても気づかないんじゃないかと、物騒なことを考えながら、その秋の山の美しさが鬱陶しいとため息を零す。
「あぁ、なんでこんなに朝からバタバタと、文のやつ……ってなに⁉︎」
空気の振動がはたての体を叩き、その音の大きさに身を捩る。発生源は少し離れら山の中。下手な考えを持ったせいで本当に山火事でも起こったのかと、白煙を薄く上げる山の中腹に恐る恐るはたては目を向けた。
『守矢神社』。しばらく前に突如山に姿を現した外界の社。二柱の神と現人神が、妖怪の山に幻想入りを果たし居着いてしまった。
「……確か昨日の侵入者も外来人って話だっけ?」
妖怪の山には面倒そうな外来人しか来ないのかとウンザリしながら、はたては胸元のポケットから携帯電話型のカメラを取り出すと、白煙しか見えない山の中腹に向かってレンズを向ける。場所さえ分かってしまえば距離は関係ない。『念写』。白煙の中身がなんであるのか。記者として気になってしまえば見ずにはいられない。ひょっとするとスクープがと僅かな期待に押されて指を押し込めば、撮れた写真に映っているのは太く八角形の長い柱。
「げっ……、ちょっとこれは近寄れ……ん?」
山の神の威光を体現する柱に写真のほとんどは占領されていたが、その端に見つけなくていいものをはたては見つけてしまい口をへの字にひん曲げた。一度目を擦り夢であることを願ったが、何度見てもその影は消えない。黒い翼を持ったショートカットの黒髪の鴉天狗の姿を見つめ、メキメキとはたてのカメラから嫌な音が響く。
「なんでそんなとこにいるのよ! うひゃぁ、写真消して見なかったことにしようかな……。でも文がわざわざいるってことはそういうことよね。……スクープを見逃すのは癪だし、椛でも引っ張ってこようかしら。あぁぁぁ、もう! いざとなったら文を恨むわ」
上司からの叱咤。新聞の売り上げ。スクープ。いろんなものを天秤にかけて、結局行かないよりは行った方がいろいろマシかもしれないとふらふらはたては白煙の発生源へと飛んで行く。段々と近付き大きくなっていく御柱に口の端を引きつらせながらはたてが守矢神社の屋根を見れば、守矢神社に在わす二柱の神、八坂神奈子と洩矢諏訪子の二神がいるのに気づきより肩が重くなる。笑顔の加奈子と、興味深そうに御柱の根元へと目をやっている諏訪子の顔を不思議そうにはたてが見つめていると、地面に突き立てられていた御柱が小さく揺れた。
「なに?」
その揺れは次第に大きくなり、ぶわりと少し御柱が浮くと大きな音を立てて山の中に横たわる。八角に凹んだ大地の中心に立つ人影を見て、より大きくはたての顔は歪んだ。昨夜に回って来た回覧板に乗せられていた人相書き。侵入者で脱走者の外来人。名前を思い出しながら、守矢神社の手前で空に留まっていたはたての横を石の礫がすごい速度で通り抜ける。
「ちょちょ⁉︎ ちょっとなに⁉︎ たんま!」
「おや、文女史ではなかったのか。失礼した」
「髪を見なさい髪を! どう見たらアレと間違えるのよ!」
「翼で判断しただけだ。それより君はなに者だ。今鍛錬の最中なのだがな」
「鍛錬って……」と、二神の前に立つ変な男にはたては肩を垂れ下げた。御柱に押し潰されていた。だというのに、男には怪我をした様子もない。それに加えて男から感じる空気が、妖怪でも神でもないことをはたてに訴えかけて来ており、それが一番おかしいとはたての頭を痛ませた。
「あなた、本当に人間なの? 頑丈だとは聞いてたけどさ」
「無論訂正の余地なく。そういう君は天狗のようだ。文女史と同じ鴉天狗に見えるのだが」
「そうよ、足利 梓 だったっけ? 私は姫海棠はたて。その文を探してるんだけど」
「ああ、文女史ならそこにいるとも。彼女には随分助けられている」
そう言って梓に指し示された方へはたてが顔を向ければ、守矢神社の下で文が目にクマを作り項垂れていた。本当にいたのかと苦い顔を浮かべたはたてが少し文に近づけば、はたてに文も気づき、はたてよりも早く文の方から飛び付いた。両の肩に手を置いて、文ははたての顔を覗き込む。同僚の疲れ顔に面食らったはたては、間抜けに口を小さく開けた。
「ど、どうしたのよ」
「し、新聞が完成しないの! 情報が多過ぎてどう纏めればいいやら! 一枚の紙に納めるなんて無理すぎる! ただ危険を報せるためにばら撒いたんじゃ芸がないし、かと言って情報過多でも意味がない! はたて! こうなったら手伝って! いや、手伝いなさい!」
「いやちょっと、意味が分からないんだけど! なにがどうなってるのよ⁉︎ ねえちょっと!」
梓に向かってはたては勢いよく顔を向ける。珍しく本気で参っているらしい同僚にかける言葉が見つからない。梓は少し困ったように頭を掻き、考え込むように顎を指で小突き始める。
「月から敵がやって来る。故に文女史には幻想郷の現状を聞き、また、僕が知っている情報を教えた。結果がコレだ。八坂様との話の際に偶然居合わせた文女史に神命として号外を書くことが決まってな。今日中にばら撒くことになっている」
「は? 月から? なに? いやちょっと、それに神命って……あ」
すっかり神様のことを忘れていたはたての動きが止まる。錆び付いた機械のようにギィギィ首を動かして、はたての顔が守矢神社の屋根へ向く。気になったことに目がいくと周りに目がいかない天狗の性分に二柱の神は呆れた息を吐いて新たに現れた鴉天狗に目を落とした。
「天狗が増えて良かったわ。これでなんとかなりそうだし。続きといこうか梓」
「いつでも構いません八坂様。僕も心配事が消えてこれでより集中できます」
「あーうー、いやあそろそろ休憩にしようよ。私喉乾いちゃった」
諏訪子の提案に少し残念そうに加奈子は眉を下げるが、久し振りの信仰を持った相手に少々熱くなったかと気恥ずかしそうに頬を掻いた。そんな二柱の神に梓は微笑むと軽く頭を下げる。
「分かりました洩矢様、ではその間僕は文女史と話を詰めることに致しましょう。お心遣い感謝致します」
「ん。早苗ー、お茶淹れてー」
守矢神社の中へと消えていく加奈子と諏訪子を見送って、泥沼地獄に引きずり込まれそうになっているはたての方に服に付いた汚れを払いながら梓は歩いていく。落ち着き払った男の物腰が、僅かばかりはたての不安を緩和させる。
「なかなか大変そうだな文女史」
「そりゃそうですよ……。昨夜聞いた情報を半日経たずに纏めてばら撒くんですから。平城十傑という一つの群の中に敵と味方がいるのも纏めるのに邪魔ですし。終わったらきっちり私に協力してくださいよ」
「是非もなし。力を借りるだけ借りてお終いでは足利の名に傷がつく。できることなら微力を尽くそう」
侵入者と仲よさそうに話しだす文を見てはたてはより大きく口端を下げる。なにがどうなっているのかはたてには理解できないが、間違いなく面倒な事柄なのは確かだ。それももう神に目をつけられてしまった。安寧の地が頭の中で遠ざかって行くのをはたては考えることしかできない。
「あぁ、厄日だわ。どうすりゃいいのよ。これって上に報告しちゃっていいわけ?」
「そんな時間あるわけないでしょ。はたて、こうなったら死なば諸共よ」
「泥舟に放り込まれた気分だわ……」
「ふむ、ではできるだけ長く浮いていたいな」
元凶がなにを言っているんだとはたては梓を睨みつけるが、梓はまるで気にした様子もなく、文の作っている改稿中の原稿を手にとって眺めた。ただ情報が漠然と書かれているのではなく、なんとか面白い記事にしようという努力の跡が見られる。それさえしなければもっと早く完成しそうなものであるが、梓は薄く微笑むと手に持った記事をはたてに差し出し、文へ笑顔を向けた。
「いい記事だ。完成したら是非ともゆっくり見たいものだな」
「おぉ! 流石梓さんは見る目がありますね! なんなら文々。新聞の方もどうぞどうぞ!」
「ああ、ゆっくり拝見させてもらおうか。僕はこういう話には目がなくてな」
文の記事を絶賛する変わり者にはたてはガクッと肩を落とす。だが、「君も記者なのか?」と聞いてきた梓の言葉に、少し嬉しそうに姿勢を正す。
「ま、まあね! 花果子念報って言うんだけど、読んでみる?」
いつも持ち歩いているのか、折り畳まれた新聞をはたてはポシェットから取り出した。「弱小新聞ですけどね」と褒められたからか調子に乗っている文には鋭い目を返しながら、記事に目を這わせている梓にチラチラ目をやった。新聞に弱小と言うように強さがあるのか疑問に思いながら、少しして梓は花果子念報から顔を上げると興味深いと言うように顎をさする。
「ど、どうだった?」
「いや面白かったよ。文女史の夢のある記事も好きだが、嘘がないと見えるはたて女史の記事も好みだ」
「えぇぇ、梓さん正気ですか?」
「ふっふーん! 残念だったわね文、これは今度の新聞大会は私が貰っちゃうかしら?」
文と同じく容易に調子に乗るはたてに向かって同族嫌悪の目を文は向けた。梓としてはどちらも好みではあったが、新聞としては文とはたての記事を足して二で割ればちょうどいいと言う発言は言わないことにした。元気を取り戻した文に梓は安堵し、少し気になった先ほどの文の記事に口を出すことにする。
「文女史、先ほどの記事だが、僕らのことを月の姫を守る騎士と形容するのは辞めて貰いたいところだ。これは自信を持って言えることだが、残念ながら忠義や名誉で動いている者は僕らの中にはいないだろう」
「そうなんですか? ならなぜ来たんです?」
文の当然の質問に、梓は少し困ったような顔になりながらも即答する。
「欲とエゴだ」
「梓もなの?」
「僕は夢の浮橋を渡るために」
そう言い切り遠くまだ姿を見せない月の影を追うように、梓は空を見上げた。文とはたてがなにも言わないのを良いことに、たっぷり時間をかけて空を見終えると、「渡り終えたら後は任せよう」と固い微笑を二人に返す。その言葉に満足気ににやける文にジトッとした横目をはたては送り、小さく息を吐いた。
「文、いったいどんな取引したのよ」
「ちょっとボディーガードを頼んだだけよ」
「ボディーガード?」
「そう、風見幽香や山の四天王、大妖怪の取材に行くのに」
それはけしかける気じゃないの? という明らかな答えを口にするのもバカバカしく、はたては言葉に詰まり心配そうに梓を見る。頑丈な人間というのは、もう先程の御柱の一件ではたても理解したが、どうしても所詮人間という色眼鏡が抜けない。人が妖怪に殺されるなどという日常茶飯事な光景をはたても見ているが、自身の新聞を好ましいと言った相手が嬲られるのは、はたてもあまり見たくはなかった。だから自然と「大丈夫なの? 」という言葉が出たのだが、当の人型サンドバッグになる予定の男は、気にした様子もなく肩を竦める。
「文女史から話は聞いたがね、聞いた限り僕が幻想郷で勝てなさそうなのは八雲紫と西行寺幽々子の二人だけだ。かぐや姫様とは事を構える気はないので除外させてもらうが」
「それはまた……すごい自信ね」
「自信ではなく事実だ。僕に自信というものはない」
傲慢とも取られかねない梓の発言だが、本人にあまりにも気負った空気がないせいで、思わずはたては納得してしまいそうになる。文然り、本当の実力を隠している者が幻想郷には多い。梓が口に出した二人も強者と知られる存在であるが、強者と知られていながら双方未だに底を見せたことがない。想像以上にとんでもないことが起きるのではないかとはたては顔を青くするが、月軍の話を思い出しより顔色を悪くする。梓から受け取った文の記事に目を落とし、書かれている名前を脳に刷り込む。
「北条 楠。五辻 桐。袴垂 椹。梓以外のこの三人もヤバいやつなの?」
「ああ、それは私も聞きたいわね。どうなんですか梓さん」
「平城十傑の中でも特に戦闘能力と生存能力の高い三人だ。弱くはないさ」
「ふむ、平城十傑最強は誰なんでしょうか? 来てたりするんですか?」
『最強』。妖怪だろうと人間だろうとこの称号の輝きは眩しい。人間なら疑いもなく幻想郷の住人たちは博麗 霊夢の名を挙げるだろう。妖怪ならば幾人か名は挙がるだろうが、八雲紫が一番多いと思われる。なら新手の外来人たち、平城十傑の中では誰か。記事の旨味を増すために文もはたても是非聞いておきたいところ。梓は長いこと悩み、ポツポツ言葉を紡ぐ。
「僕らはそれぞれ戦い方がまるで異なる。故に最も強い者を挙げるのは厳しい」
「まあそうかもしれないけど。敢えてっていう奴はいないわけ?」
「最強は無理だが、最恐ならアレしかいない」
「アレですか?」
「黴家百六十四代目当主
さらりと言った梓の言葉に、ぞわりとしたものがはたてと文の背を撫ぜる。百六十四という数字もそうだが、淡々となんでも口にする梓だからこそ、言ったことが嘘や冗談の類ではないと理解できたから。八雲紫や西行寺幽々子以外になら負けないと言った梓が、最も恐ろしいと言う人間。はたては絶対会いたくないとげんなりし、文は見てみたいと目を輝かせた。
「いやはや面白いですね」
「どこがよ」
「この坊門 菖という方はどんな方なんです?」
「坊門家はかつて帝直属の暗殺者集団だった一族だ。暗殺にかけては平城十傑一であろうよ」
「それが敵ですか」
「面倒な事だな、菖の考えは読めん。常に能面を被っているように見える女だ」
梓の説明に敵の姿を思い浮かべようとはたても文も頭を捻るが、月軍を率いる人間という時点でまるでイメージできない。湯立つ頭ではたてから煙が出そうなところで、スッと三人の間に湯呑みが三つ乗ったお盆が差し出される。それに続くのは、青と白二色の巫女服。平野で風に靡く青草のようにみずみずしい緑の髪。浮かべられた柔らかな笑みは、芸術の域に達しており、小さな威光を感じることができる。
現人神、質量を持った偶像のおかげで、差し出されたただのお茶でさえ神々しく見えるが、梓も文もまるで気にした様子はなく、はたてもそんな二人を見て苦笑しながら湯呑みを手に取った。
「面白そうな話をしていますね! また悪巧みですか梓さん」
「悪巧みとは人が悪い、その手の事柄は僕には不向きだ東風谷君」
「でも異変の話なんでしょう? こう気合が入りますね!」
異変という度々幻想郷の住人が口にする事柄に、梓は軽い頭痛を覚える。どうにも幻想郷の者たちは『異変』と『祭り』を混同しているように見受けられた。祭りは祭りでも開催されようとしているのは血祭り。目が痛くなるような赤を好んで視界に入れようと思う人間などごく僅かだ。そして梓はそんなごく僅かではなかった。文から聞いた幻想郷の話を思い出しながら、梓は東風谷早苗に目を向ける。
「弾幕ごっこだったか、そんな煌びやかなものは舞わないだろう」
「でも絶対霊夢さんや魔理沙さんが出てきますからね! 私も負けていられません!」
「そうなってもらっても少し困るがな」
身内のゴタゴタは身内で片付けたい。調停役としてはそうでないと後が面倒そうだと梓は思う。キラキラ目を輝かせる早苗には、義理や建前などの話は期待できそうもないので、そんな話は口に出さない。早苗はそんな中ではたての持っている文の記事に気がつくと、嬉しそうにそれをはたての手から引っ張り出す。
「かつてかぐや姫を守るために集った十人の戦士、それが一千年以上経った今再び集まろうとしているなんて浪漫ですよね!」
「然り」
堅物そうな梓の立ち振る舞いとは裏腹に、こう言った話に思いのほか梓は食いつきがいい。それは文々。新聞や花果子念報を一見して好みだという変わった感性からも意外ではない。文もはたても早苗もツッコまないため、おかしな空間になってしまっているが、残念なことにそれでこの場は流れてしまう。
そんな空間に割り込めるのはこの場では守矢のニ柱だけであり、軽い休憩の終わりを告げるように深い笑みを浮かべた加奈子が、四人の前に一歩出て来る。それを見て文とはたては慌てて下がり、早苗は気分の良さそうな加奈子に少し嬉しそうな顔をして諏訪子の隣へ歩いていく。
「さあ休憩は終わりだ梓、続きをしようじゃないか」
「ええ八坂様、よろしくお願い致します」
お互い薄く笑みを浮かべて相対する梓と加奈子。開始の合図は突き立てられる御柱。指を弾いた加奈子の動きに合わせて、八角の大影が梓を覆う。幻想郷での己が頑強さを試すため。避けるそぶりは微塵も見せずに梓はその柱をただ見上げた。
轟音と衝撃。神の威光を目と鼻で打ち付けられる壮大な光景に、思わずはたては生唾を飲み込む。空気を震わせる振動が止んだ頃、先程見たように、御柱が揺れ動くのかとはたては思ったが、全くその気配はない。これに首を傾げたのははたてだけでなく他の者も同様で、加奈子が怪訝な顔で指を弾くと、御柱はひとりでに浮き上がった。
「……穴?」
八角に凹んだ地面に空いた小さな穴。どこに続いているのか分からないが、梓の姿はなく、ただぽっかり空いた穴を残された者は不思議な顔で見つめ続けた。
***
自分の身に降り積もった土を手で払いながら、梓は顔を上に向ける。空は見えず、暗い天井には、それよりも黒に染まった穴が見えた。周りを見渡せば、空いている穴以上の土砂が周りに溢れており、なにかしらの理由で地中が大きく崩壊したおかげで、御柱に弾き出されたような形で、薄くなってしまった大地を梓の頑強さ故に突き破ってしまったようであった。
ピンボールのように弾かれたおかげでどこにいるのか梓にはさっぱりだ。飛べるわけもなく、遠い天井まで登るのも容易ではない。梓は口をへの字に曲げ、どうするべきかと、とにかく足を動かす。
「暗いな」
あまりに暗闇が濃いせいで、視界も良好とは言えない。ふらふら歩いてどうにかなるのか。待っていた方が良かったのか。ふつふつ湧き上がって来る疑問に、時間もないのだと、行動することを強制させられる。そうしてしばらく歩き続けていると、暗闇の先に薄っすらとした光が灯っているのに気がついた。行き先も分からぬために、光に吸い寄せられる蛾のように足を向ければ、火の灯った石灯籠とそれに寄りかかっている女性が目に付いた。
異国の服を着込んでいるらしい金髪の女性。一見人間のように見えるが、尖った耳と、森のような緑色をした瞳が人ではないと言っていた。女性は足音に気が付いたのか、暗闇へと緑色の瞳を流し、歩いてきた人影を見て眉を顰めた。
「人間なんて珍しい。いったいなんの用……って乞食?」
「失礼にも程があろう」
出会い頭に乞食呼ばわりしてくる水橋パルスィに梓は目くじらを立てるが、地面を強引に突き破り、土に塗れた梓はお世辞にもどこぞの一族の当主であるとは言えそうになかった。服とは言えそうもないボロ布を纏った人間に、同情の色を浮かべて小さくパルスィは頷く。
「見たところ地上を追われて来たの?」
「いや追われてはいない。ただ柱を受け止めたら下に落ちたのだ」
「ああ、そう、まあアレよ、元気出しなさい」
発言を強がりと取ったのか、パルスィの温かな手が梓の肩に優しく置かれた。橋姫に同情されるということがどういうことなのか梓には理解できないが、鬼が見でもすれば腹を抱えて笑っただろう。パルスィの生暖かい瞳に梓は肩を竦めると、「外に出たいのだが」と口を開く。
「め、メンタル強いわね。ちょっと妬ましいじゃない。でも地上を追われたならやめた方がいいと思うけど」
「だから追われてはいない。僕にはやることがある」
テコでも動かなそうな梓の意思の強さに、パルスィは羨ましそうに目を細めた。
「その気の強さが妬ましいわね。でも、相手の善意は受け取るものだわ。そんな格好でどこに帰るのよ。どこから来たの?」
「……幻想郷の外から」
外来人。そう言う梓の言葉を受けて、パルスィは思い出したかのように懐から一枚の紙を取り出した。地上で指名手配されている盗賊の男。その男の着ている服と梓の着ている服の残骸が似ていることに気がつくと、面倒臭そうに頭を掻く。
「はいはい、分かったわ。取り敢えず服くらい着替えなさいよ。こっち来なさい。そうしたら帰り道を教えるから」
そう言われて梓はパルスィに連れられ、暗闇を歩き回っていた時間が嘘であったかのように、煌びやかな地底都市まであっという間に辿り着いた。パルスィに連れられて辿り着いたのは木の格子によって分けられた小さな部屋。中には金色の髪と紅い瞳を暗闇に浮かべる小さな少女と、横になっている白い髪の男。その男を突っついている青い第三の瞳をくねらせている少女の三人が中に居た。なにより見覚えのある男の顔を見た梓は顔を顰め、パルスィに言われるがまま中に足を踏み入れた途端に木の格子がガチャリと閉められる。
「あぁ、盗賊の仲間に親切にするなんて最悪だわ。あとで地上人に引き渡すからそうすれば帰れるわよ。良かったわね」
吸血鬼の眼光から逃げるように、パルスィは言うだけ言って地底の都へとさっさと姿を隠してしまった。残された梓はどうしようかと頭を捻り、こいしに突っつかれて
「と、まあそういうわけだ椹」
「いやどういうわけかや? わけわからん」
だいたい椹のせいなのだが、それを責めるのは無意味なため、ただ淡々とこれまでの経緯を梓は説明する。神との鍛錬、それも一方的なサンドバッグという無謀さに、こいしとフランドールの二人は人外を見るような目で梓を見た。
「わけわからんが、梓の旦那がいてくれるなら百人力だな。脱走といこうじゃないか。盗賊の見せ場だぜ」
「お頭どうやって出るの?」
「うーむ……そりゃ梓の旦那が教えてくれんよ」
少女二人の視線を受けて、梓は思案するように顎に手を置く。もう一度妖怪の山で脱走の濡れ衣を着せられているというのに、また似たような罪状が並ぶだろう未来に、もうどうにでもなれと梓は口の端を持ち上げる。
「正々堂々正面から脱走するとしよう」
頑固の答えに、快楽と狂気と虚無の笑みが返された。