月軍死すべし   作:生崎

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菖の章は各第三夜の最後に見るのがいいと思います。


坊門
第三夜 朝


  いつもと変わらぬ朝だった。

 

  朝餉を終えて、境内へと続く参道に立ちつつ落ち葉を竹箒で払いながら怠惰に午前中を潰す。

 

  異変でもなければ博麗霊夢の一日はそんなものだ。だが、その日の霊夢は頗る不機嫌であり、箒の動きも精彩を欠いていた。それもこれも落ち葉に混じって落ちている新聞たちのせい。昨日鴉天狗によってばら撒かれた新聞は、一夜経てばどこかへ飛んでいってくれるだろうと考えた霊夢の思惑とは異なり、神社の参道の石の隙間に引っかかり、掃いても上手く剥がれない。

 

  霊力を用いた技でも使えばあっという間に終わるのだが、そこまでするのは嫌だった。だから霊夢は乱暴に箒を動かし、同じく少し離れたところで箒を動かす白黒衣装の友人に檄を飛ばす。

 

「ほら魔理沙、もっときびきび手を動かしなさい。昨日の夕飯代なんだから。いつも持ってる箒は飾りじゃないでしょ?」

「別に掃除用でもないけどな。はぁ、こんなことなら昨日霊夢んとこに来るんじゃなかったぜ。アイツも出てったきり戻ってこないし」

「知らないわよあんなやつ、手水舎の修繕も終わってないし、朝の掃除もサボるなんて」

「マジで同情するぜ、ああ霊夢じゃなくてお前の彼氏の方だ」

 

  にししと笑う魔理沙にお札を投げつけながら、霊夢は不満そうに舌を鳴らす。便利な居候は帰って来ず、萃香もどこかへふらふら姿を消したせいで手水舎は全く完成を見ない。やろうと思えば霊夢もやってできないことはないが、瓦を乗せに戻って来るらしい男をしばく為に手は出さずにとっている。お札に殴られたように頭を跳ねさせた魔理沙は、頭を摩りながら、なんだかんだ楠を気にしているらしい霊夢に肩を竦めた。

 

  魔理沙と軽口を叩きあいながら、霊夢の掃いた箒の動きに全く石畳の間に張り付いた新聞が動かないのを見て、結局結界で纏めてしまおうかと取り出したお札を握り霊夢が思案していると、表で「霊夢!」と吠える犬の声がする。霊夢は放っておこうかとも思ったが、いつまで経っても鳴き止まない。どころか次第にそれは強くなっているようで、結界を張るために握りしめていたお札を霊夢が放り投げれば飛んで行き、遠くで「きゃうん⁉︎」という声が聞こえた。「ひどいやつだ」と引いている魔理沙を伴って霊夢が鳥居の方へと足を向ければ、道すがら倒れているのは当然緑の珍獣。目を回すその頭にぽすりと霊夢はいつものように箒を落とす。

 

「もうまたなわけ? アイツが帰って来たなら吠える必要ないし、他の外来人が来たっていうなら帰ってもらって」

「神社が人を選んでいいのか?」

「うぅ、またこんな扱い。仕事してるだけなのに」

 

  あうんは箒の落とされた頭をさすりながら身を起こす。神社や寺に勝手に居座り守護する狛犬がいったい何を叫んでいたのか。どうせ良いことではないと二日前を思い出しながら霊夢が訝しんであうんの顔を眺めていると、頭を叩かれた衝撃から再び戻ってきたらしいあうんの萎れていた耳がピクンと立った。

 

「そうでした! 霊夢さん、なんか怪しい人がやって来てます!」

「ああそ、聞きたくなかったわ、あの新聞に書かれてた誰かじゃないの? 追い返して来なさい」

「えぇぇ、でも楠さんみたいな人だったらおっかなくって」

 

  霊夢との喧嘩を見てるからこそあうんは眉を垂れ下げる。神社を守護する狛犬をして、あんな変な人間とはあまり関わりたくはない。どうせ楠と同じように賽銭の類も期待できず、面倒ごとしか転がして来ないだろうことが予想できるからこそ帰ってもらいたいと職務怠慢な狛犬を霊夢が睨んでいると、参道に続く石階段からコツコツと足音が聞こえてくる。あうんが吠えても全く帰る気のないらしい参拝客は、こんな辺境まで来る無謀さで、境内まで来るらしい。いったい何者か。時が止まるようなこともなく、鳥居の間にせり上がって来た人影を見て、霊夢は予想通りだと一気に肩を落とす。

 

  登って来たのは一人の女。長い黒髪を雑に頭の後ろで纏め秋風に揺らし、角もなければ翼もない。女性にしては背が高く、その身を包んでいるのは学ランではなく、早苗も持っているセーラー服と呼ばれるもの。だがそれは首に巻かれた赤いスカーフ以外黒一色で一瞬喪服に見えた。足にも菖蒲の装飾が入っている黒いストッキングを履き、肌は薄く日に焼けていた。腰には日本刀ではなく、刀身が針のような西洋剣を携えて、女は階段を登り切ると少し辺りを見回して、霊夢と魔理沙に気がつくと能面のように無表情な顔をこてりと傾げる。

 

  異様な雰囲気だった。楠と同じ外来人だと見れば分かるが、体に纏っている空気の質がまるで違う。黄泉の道から歩いて来たように、女は体から冷たい空気を放っている。それは表情の乏しさのせいか。それとも腰に差している剣のせいか。霊夢がため息を吐き、魔理沙が目を瞬いているその先で、女は一歩博麗神社の中に足を踏み入れる。

 

「ここは博麗神社で相違ないか」

 

  女の声にあまりに抑揚と感情の色が見えないので、霊夢と魔理沙は一瞬それが女が喋ったものだとは思えなかった。だが数瞬のうちに理解すると、二人は一度顔を見合わせて女の方へ顔を戻す。女は音もなくいつの間にか足を止め、鳥居を入ってすぐのところで突っ立っていた。

 

「そうだけど、だったらなに?」

「そうか、ならば貴様が博麗の巫女だな。隣の者は霧雨魔理沙で相違ないな」

「だからなんなのよ」

 

  そう霊夢が言えば、女は左手をゆるりと動かし剣の鍔に手を添える。その動きに片眉を上げて怪しんだ霊夢が懐からお札を取り出した途端に、女の右手が一瞬ブレた。それも霊夢をして気付くかどうかという異様な速さ。

 

  ────カヒュ。

 

  浅く息の詰まるような音が同時に響き、その音はすぐに消え去った。女はなにも言わず、霊夢が訝しみながらお札を持った手を引き上げたところで事態に気付く。お札の中心には穴が空き、お札の切れ端がひらひらと宙に舞っていた。サッと血の気が引き薄ら寒くなった肌を振り払うように霊夢が動こうとした途端、先程の音がほぼ同時に二回。霊夢の服の袖に穴が空き、隣の魔理沙が抜き放とうとした八卦炉が床に転がる。

 

「鈍い。私がその気なら今頃二人、仲良く黄泉道を歩いているぞ。そんな様で幻想郷を守れるのか?」

「……あんた弾幕ごっこって知ってる?」

「知っているからといってそれに則る必要はない。ここで暮らすこともない者がそれを遵守する必要はないということだ。戦争なら尚更に。死人に口なし。幻想郷が滅ぶその瞬間にも貴様は同じことを言うつもりか?」

 

  せめて感情の色合いが見えれば違っただろうが、女はただ言うべきことを言っているというように口を動かし、表情も未だ変わらない。ただ左手を剣の鍔に添えたまま、何事もなかったかのように言葉を紡ぐ。そんな異質な空気に霊夢は顔は動かさず魔理沙の方へと目配せするが、その目の前を鋭い空気が通り過ぎ、背後の手水舎の柱が崩れた音が響いた。

 

「動くな。少しでも動けば体に穴を増やしてやろう。それでいいと言うのであれば止めはしないがな」

「……あんたなんなの? なにが目的?」

「相手が欲しいものをいつもくれるとは限らない、質問とは上にいる者ができるのであり、下にいる者はただ相手からの言葉に流されるのみである。つまり、私が何者であれ貴様らにはなんの関係もないということだ」

「それじゃあ話にならないぜ」

 

  女は確かに場を支配している。が、心を支配しているわけではない。突如現れた上から目線な女の言っていることが間違っていようとなかろうと、そんなことは問題ではなく、霊夢からすれば勝手にやって来て手水舎を壊した挙句自分を上だと言う女が気に入らない。

 

  パチパチと火にくべられた木の枝が爆ぜるように霊夢の体から滲み出した霊気が空気を侵食し、それに女はほんの少しだけ、そうかもしれないと思うほど僅かに口角を上げる。戦闘態勢に確実に変わっていく霊夢に魔理沙とあうんは息を飲み、女が鍔に手を掛けたまま腰から西洋剣を引き抜いた。

 

「……居合でしょ?」

 

  そんな女に霊夢が静かに技のカラクリを口にする。女はなんの返答もせずに、ずるりと黒真珠のような瞳を霊夢に向けた。

 

「速過ぎて僅かに軌跡が見えるくらいだけど、あんたと似たような構えをする奴知ってるし。剣の違いでそんなに技も変わるものなのね」

「……当代の博麗の巫女はスロースターターだと聞いていたが、命の危機に晒されればそうもいかないのか。その通り居合が我が一族の技だ。だが、得物さえ変えればコレができると思われるのは心外だな」

 

  そう言って女の右手が西洋剣の柄に添えられた。チキッ、という鍔鳴りを残して右手が消える。先程の一撃と違い、ゆっくりとした一撃。ゆっくりと言っても十分に速いが、その技の正体を霊夢は捉えた。鞘から抜けると同時に、針のような細い刀身は、異様にしなりながら元に戻ろうとして空気を弾く。それによって生まれた真空の針が霊夢の前髪を数本穿った。見せつけるような親切な一撃に、霊夢はより深く目を顰める。

 

「この細い刀身を折らずにしならせるのに死ぬほど苦労する。鞭でも使えばいいと思うかもしれないが、鞭だとこの鋭さは出なくてな」

「で? 自慢してなにがしたいのよ。死合いでもしたいわけ?」

「そのつもりであった。当代の博麗の巫女は稀代の天才だとも聞いていたから楽しみにしていたが、結果の見える戦いほどつまらないものはない」

 

  女は少し悲しげに言いながら、霊夢の引き絞られた目を見返す。結果の見える。女は勝者は自分だとは言わなかったが、言っているのと変わらない。圧力鍋に煮詰められたような霊夢の空気に、つまらなそうに女は言葉を続ける。

 

「貴様は鍛錬が嫌いだそうだな。努力は報われないと信じているそうじゃないか。努力する天才としない天才。どちらが勝つかは自明の理だ」

「そう言うってことはあんたは自分が天才だと信じてるわけ、それはすごいわね。おめでとう」

「茶化すな。才能がなければまず当主にはなれないからな。私然り、楠然りだぞ」

 

  居候の名を聞いて、霊夢と魔理沙の肩が小さく跳ねる。女がいったい何者であるのか。このタイミングでの外来人の来訪者に予測はついていたが、実際聞くと感じ方が異なる。目の前の女が楠と同じであると言われても、纏う空気が違い過ぎて信じ切れなかった。そんな霊夢たちの要らない疑念を穿つため、女は少し背を正し霊夢たちが聞き逃さぬようにはっきりと自分の名を口にする。

 

「私は平城十傑、坊門家九十八代目当主、『坊門(ぼうもん) (あやめ)』。博麗の巫女、魔法使い。貴様らは隣り合う死にどう動く」

 

  右手を西洋剣の柄に置いたまま、下手に動けば眉間に穴を開けると言うように菖は口を閉じ二人の動きに注視する。月軍を率い幻想郷にやって来た女。その登場に思い切り霊夢は眉を吊り上げた。

 

「輝夜を追ってるやつがなんで私たちに用なのよ」

「一々聞くな。まだ状況が掴めていないのか? 理不尽を押し通せる者は強者だけだ。自分がそうだと言うのなら、まずは状況を変えてから口にすればよい。貴様らがどれだけ殺したくない、戦いたくないと言ったところで、死ねば全てが水泡に帰す。このように」

 

  鍔が鳴り、霊夢の服にまた穴が空く。円状に穿たれた空気の端が僅かに霊夢の皮膚を持っていき、肩口からは赤い雫が一筋垂れた。魔理沙は歯を食いしばりそれを眺め、菖にきつく絞った目を向ける。霊夢は削れていく服にため息を零しながら、軽く舌を鳴らした。

 

「面倒ね。アイツが来てからほんっとうに良いことないわ」

「なんだ、諦めたのか?」

「はあ? んなわけないでしょ。折角の手水舎をまた壊して! アイツにツケよ、絶対直させるわ!」

「どうやってだ?」

 

  霊夢が小さく微笑んだ。そう菖が感じたと同時に、霊夢の姿が消える。空間に黒い穴を残して。驚きの表情も浮かべることなく菖が体を横へと向ければ、上から落ちて来た霊夢の踵が菖の目の前で虚空に落ちる。驚いたのは霊夢の方。喜びも、怒りもなく、表情のない菖の顔がこてりと横に傾いた。

 

「距離を潰せばどうにかなるという考えは浅はかだ。千年掛けた我らが一族の技のことを一番よく知っているのは我々だ。この距離で撃てないと思うか? さあ防げよ」

 

  お札を菖の方へと放り投げた途端、空気が弾ける。簡易の結界にチーズに爪楊枝を刺すが如く穴を開け、僅かに反れた真空の針が霊夢の皮膚を削っていく。舞い散る紅と白の衣服の破片を舞い散らせながら、背後に飛ぶ霊夢との距離を感じさせずに空間に穴を空け続ける。

 

  ────キィィィィン。

 

  とワイングラスが鳴くような薄い鉄鳴りの音が途切れることなく糸を引くように響き続け、遂にその一発が霊夢の肩口に穴を開けた。血と肉が弾け飛ぶこともなく、静かに血のよだれを垂らして空いた口を、霊夢は不思議そうに眺めたが、次の瞬間痛みが襲い霊夢の顔が悲痛に歪む。

 

「少し涼しくなったか? 殺す気の者とそうでない者。例えば実力に開きがなかった場合どちらが勝つかは分かるだろう。実力に開きがあればより鮮明に。ここを貴様の墓場にするか?」

「霊夢!」

「貴様もだ魔法使い。人生楽しいことばかりではないぞ」

 

  魔理沙の箒を持つ手に穴が空く。魔力で強化しようが、結界を貼ろうが、無意味だと嘲笑うように簡単に穴を開ける菖に、魔理沙は箒を大地に落としながらも目を離さない。ただ静かに血の抜けていく手を抑えながら痛みを堪え、止血しようと魔力を燻らす。

 

「さあどうす……ほう」

 

  呆然としているあうんに目を流しながら霊夢へ顔を向けた菖の目が小さく見開かれた。ふらりと揺れた霊夢の姿が、蜃気楼のように透けたような気がした。そしてそれはその通り透けていた。舞い散る枯葉が、霊夢に当たらず透過して地に降っていく

 

「あんた……いい加減にしなさいよ」

 

  空気が変わった。そう菖は感じた。怒気に彩られていた霊夢の雰囲気が、言葉とは裏腹になりを潜め、つかみどころのないなんとも言えない空気を纏う。それに背筋をゾッと冷やした菖が剣を抜くが、真空の針は霊夢の胸に突き立てられたはずなのに穴を開けず、その奥の木に穴を穿つ。

 

  あやふやな空気を振り撒きながらも、確固たる存在感をもってふわりと浮き上がった霊夢から、同じように霊力の塊が浮き上がる。撃ち放たれた弾幕に穴を開け、菖は一度大きく息を吐くと、取り乱した様子を見せずにまた一度小さく息を吐く。

 

「それが貴様の奥の手か。見事。……だが、惜しいな。その技完成してはいないだろう。殺すための技には少し欠ける。冥土の土産に見せてやろう。殺す技とはこういうものだ」

 

  身を大きく沈めて、初めて大きく菖は構えた。これから剣を抜き穿つ。そのために完成された構え。それが動き出した時、全てに関係なく穴を開ける。

 

  坊門の当主には女性が多い。それは坊門の居合術と女性特有のしなやかな筋肉との相性がいいため。本気で抜き放たれた剣尖は、空間同士の摩擦で聞き慣れぬ音を響かせながら、空間に火花を散らせ黒点を空ける。僅かに光の速度に迫ったそれは、不触のはずの霊夢の脇腹を掠め削り取った。血の滴る脇腹を手で押さえ、浮き上がっていた霊夢の体が地に落ちる。赤い川を石畳の肌に滴らせて、荒くなった霊夢の呼吸音に菖は耳を這わせてから口を動かした。

 

「本当に触れられないのなら、貴様が放つ弾幕が現実に影響を与えるはずがない。ならばこちらから触れる方法は必ずある。中途半端に完成した技は中途半端な結果しか生まない。今こそ努力を怠った己を恨め」

「霊夢!!!!」

 

  ちらりと魔理沙に目を向けた菖を極光が包む。星の大河のような魔力の奔流が、神社の大地を削りながら一直線に貫ける。八卦炉を穴の空いた腕で掴みながら掲げる魔理沙の視界に僅かに揺れる長い黒髪。次の瞬間、魔理沙の腕に二つ目の穴が空いた。

 

「ぐ⁉︎ ッっつう⁉︎」

「当たらなければ折角の大砲も意味がないな」

 

  膝を折る魔理沙と地に伏せて霊夢を交互に眺め、「さて」と菖は軽く顔を上げる。死を連れて来る暗殺者。その佇まいは、命を握るその瞬間でも崩れることはなく、ただ沈然と大地に立つ。その姿は影のようであり、夢のように現実味に欠けていた。

 

  菖は一歩霊夢の方へと足を差し出し、耳を抑えると目を瞑る。動きを止めた菖だったが、それに迫る者はなにもなく、しばらくすると目を開けため息を吐いた。

 

「時間だ」

 

  それだけ言うと、菖はもう霊夢にも魔理沙にも目を向けずに鳥居の方へ歩いていく。その背にかかる声もなければ迫る影もない。階段の下へと黒い髪を揺らしながら暗殺者は身を落としていき、それがすっかり消えるまでただ一人残ったあうんはそれを見つめていた。

 

 

 ***

 

 

「……首尾は」

 

  博麗神社を背に、菖は神社のすぐ下で待っていた者たちに言葉をかける。誰も彼も頭から伸びた兎の耳を揺らし、手には銃を持っている。神社でなにをして来たのか誰もが知っているが、荒事を終えても纏う空気の変わらぬ人間に、月兎たちは感心しながらも小さな畏怖を持って頭を垂れた。

 

「迷いの竹林におよそ二百名、妖怪の山に五十、紅魔館に二十。全員出撃しました」

 

  月兎の一人がそう言いながら、菖に向けて敬礼を向ける。それを聞いた菖は、少し申し訳なさそうに目を伏せて、手に持っていた西洋剣を腰に差した。誰一人として帰らないであろうことが分かるからこそ気が重い。だが、それを止めることもせずに菖は背を伸ばして顔を上げる。

 

「よろしい。……加重銃、装甲服、時間固定結界装置、その他数点。持ち出せたものは多くはないが、それでも十分だろう」

「ええ、こうなったらもうやるだけです」

「すまんな。貴官らの主人である月人は誰も地上に来られなかったというのに」

「しかたありません。月から兵器を奪取し地上に赴くための間の囮には私たちでは役不足。しかし、私たちもすぐに後を追います」

「それでいいのか? 私が言うことでもないが」

 

  かつてかぐや姫を迎えに行き失敗した者たちはことごとくが月の監獄に幽閉されていた。それを説得し協力を取り付けた菖であったが、菖が敷いた道は死出の道だ。強力な力を持った月人に対抗するには、同じ月人を使った方が早い。千人以上を無差別に脱獄させた結果、地上に残ったのは全て月兎でありその数は三百名に届かず。それが限界であった。

 

  おそらくもう亡き者であろう主人たちに仕えていた月兎たちは、菖の言葉にお互い顔を見合わせて、大きく強く頷いた。

 

「殺せたら殺せたで手土産になりましょう。私たちに殺されるぐらいであれば所詮それまで。その方が幸せかもしれませんし。そうでないなら」

「そうでないなら?」

「かぐや姫様のことはお任せします」

 

  それが総意であると言うように、菖の前に立つ月兎十人は、一様に見惚れるような敬礼をする。そんな姿に謝罪をぶつけるような無粋な真似をすることはなく、菖は目を細めながら、軽く曲げた左手を西洋剣の柄へと置いた。

 

「任されよう、せめてもの手向けだ。今この瞬間に限り貴官らは私が率いる。なに、私も手加減するようなことはしない。見事かぐや姫の首取ってみようか」

 

  返事はなかったが、爛々と輝く兎の眼の中に答えを見て菖は歩きだす。目指すは近くも遠い永遠亭。かぐや姫の待つその場所へ。一度小さく振り返り、楽園の素敵な巫女と普通の魔法使いが再度立ち上がるのを夢想しながら、菖は死を与えるために剣を握る。

 

「ここで死んでくれるなよ。まだ始まってもいないのだからな」

 

 

 




北条 五辻 袴垂 足利 坊門 第三夜 夜に続く。

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