月軍死すべし   作:生崎

31 / 60
心の目

  壁に手を伸ばし軽く触れる。先日偽月軍の銃撃を受けて穴だらけになっていたとは思えないほどに永遠亭はいつも通りだ。鈴仙=優曇華院=イナバは、壁から手を離すと持っているお盆に乗った菓子たちを落とさないように持ち直し、永遠亭内の病室である一室の扉に手をかけた。

 

「シベリアとは、懐かしいですね。私甘いものって好きなんですよ鈴仙さん」

 

  扉を軽く開けただけで隙間から吐き出された言葉に、鈴仙は頭の耳を揺らしながら感心した。八雲紫が連れてきた外来人。平城十傑の参謀役。瞳のない少女は、瞳以外で全てを見る。鈴仙が永遠亭のどこにいようとその動きは少女に分かるらしく、少女が来てから鈴仙のなけなしのプライバシーは死んだ。

 

  病室に入り扉を閉めて、鈴仙はお盆を少女の座っているベッドの横にあるチェストの上へと置く。顔も向けずにお盆の上にあった湯呑みを取る少女を見て、また鈴仙は耳を大きく揺らした。

 

「貴女みたいな元気な患者見たことないわ、櫟」

「怪我はもう治ってはいますからね。だというのに藤さんは心配性なんですよ。幻想郷に行ったら一応見て貰えって。過保護で困ります、一番ひ弱なのに。あ、傷見ますか鈴仙さん」

 

  クスクス笑いながら着ている白いセーラー服の襟を指で引き下げたその先の櫟の胸の谷間には、銃創のような小さな傷があった。既に古傷に近いその傷は、ただまだ少し赤味が差しており、指で突っつけば赤い涎を垂らしそうに見える。

 

  「えっち」と言いながら服装を正す櫟に呆れて鈴仙は大きく目を反らした。丁寧な言葉で相手をからかい毒を平然と吐く櫟の相手をするのは、鈴仙のような生真面目なタイプには少々堪える。来て早々てゐと仲良さそうに話していたあたり、鈴仙にとっては苦手なタイプだ。しかし、師であるえ八意永琳と輝夜から直々に相手を頼むと言われては鈴仙はそれを無下にすることはできない。ベッドの脇に置いてある椅子に鈴仙は腰を下ろすと、櫟と同じく湯呑みを持って口へと運ぶ。

 

  渋さと熱さに舌を浸しながら、鈴仙は今一度元気過ぎる患者に目を向ける。常に目を瞑り微笑を浮かべた少女。純和風と言える大和撫子な美人でありながら、髪を纏めている簪の趣味は良いとは言えない。以前どこかで鈴仙も見た早苗が外の世界で着ていた学生服を着込み、白いセーラー服の首元には蒲公英色のスカーフを巻いている。そう観察していた鈴仙だったが、櫟の顔に目を戻したと同時に、閉ざされていた少女の瞼が開いた。

 

  ぽっかりと空いた洞窟が二つ。この世の全てを吸い込む口のようにも、絶対に立ち入ってはいけない危険領域にも見える二つの黒穴に、鈴仙は静かに息を殺した。人であるのに、人に通常あるものがないだけで人から離れて見える。存在しない瞳の色を無意識に考えてしまう鈴仙に向けられる櫟の顔は変わらず笑顔で、ぽちゃり、と揺れた鈴仙の湯呑みの音に櫟は小さな笑い声を合わせた。

 

「ふふ、そんな反応が見れるからこの悪戯はやめられませんね。目がないのに見れると言うのはおかしいですか」

「心臓に悪いわ。生まれつきなの?」

「まさか。生まれてすぐにくり抜かれたんですよ。赤ん坊でしたから私は覚えていないのですけど。その方がいいですかね」

 

  笑いながら話される櫟の話は決して笑い話にはならない。生まれてすぐに目を抉られる。なんの不備もないというのにそれをされることに抵抗はないのか。ないわけがない。が、目を失ったのは口にできる年齢の時でもない。唐橋家八十一代目当主の候補だった者は三十人弱、その全員が例外なく目を生まれてすぐに抉られている。

 

  唐橋家の技は心眼。目がなくても周囲の物事を把握できる能力を人工的に開かせるために抉るのだ。初めから目がなければ、そもそも目でものを見るという概念を持たずに成長できることが大きい。だが、その中で心眼を開ける者は、唐橋の長いノウハウをもっても片手で足りる。更にそこから目がなくとも不自由なく生活でき、戦闘まで可能な者となると歴代でもかなり少なくなる。

 

  異常と聞いていたはいたものの、実際に見聞きするとここまで印象は違うのかと、鈴仙は人の狂気にゾッとした。永琳からの言い付けで菖が来た時は手出ししなかったが、それでも垣間見た他の平城十傑と比べてもなお異常。ふと自分の瞳へと手を伸ばし、鈴仙は指で瞼に軽く触れる。

 

「……そこまでする必要あるの?」

「さあ? 少なくとも私は才能があるおかげで日常生活に不便はないですし、ああ視力検査は苦ですけどね。それに伊達眼鏡も持ってるんですよ? 良いでしょう」

「あー、それは笑うところ?」

「そうでなければ釣り合いが取れないでしょう? 笑い話にでもしなければ、必要なんてないですよ。肌で感じる振動で、耳で感じる音で、味で、匂いで、全てが分かってもそれがなんだというのでしょうね。私だって目で色を感じてみたい」

 

  魔力で、妖力で、霊力で、気で、風で、熱で、あらゆるもので物の形も場所も理解できる。だがそれは色の世界ではなく波の世界。レーダーのようにものを感じられるだけで無色の世界だ。目で色を感じられる、それがなにより櫟は羨ましい。が、それを言ったところでなにが変わるわけでもない。口を閉じ押し黙った鈴仙の心情もまた分かるが、そんなものを見れても面白くないなと櫟はまた笑った。

 

「まあそんなところですね。だからこんな力は使えるところで使ってあげないと」

「……それが月夜見様との戦いなの?」

「あら、確かに無謀ですけれど、これがなかなか渡りに船なのです。おかげで内部分裂せずに済む」

 

  平城十傑の望む円満な終わり。必要な戦いがあり、強大な敵がいる。そしてかぐや姫は手元におり、存分に技を振るえる場がある。必要なピースは全て揃った。これを逃せばいつ終わりを迎えればいいのか。延々と不必要な儀式を続ける意味はない。半ば義務のように繰り返されている当主の選定は、どの一族にも必要ないものだ。

 

「月夜見が人にとって不要な一手を丁度取ってくれる時期に世代交代があり私たちは当主となりかぐや姫の居場所も掴めた。これは幸運なことです。そうでなければ、菖ちゃんに課した策は建前ではなくなっていた可能性が高い。きっと誰かがかぐや姫を本気で殺すために動いたでしょう。そんな八つ当たりをするだけの理由がありますからね。それに誰かが呼応し、そして待つのは平城十傑同士での殺し合い。それを回避できるだけの機会と理由があるとは、運がいい」

 

  内容は違くとも、誰もが苦行を経験している。必要ないものを与えられている。それらを互いにぶつけ合うことの無意味さは、誰もが納得するところだろう。必要ないものを持ち続け、不必要なことに消費するよりも、なにかしら意味があった方がいい。各初代が志したものに添い、世界を救うなんて手土産ぐらいなければ、ここまで続けた意味がない。今更かぐや姫では釣り合わないのだ。そんな不遜なことを考えながら、櫟は湯呑みを口に運んだ。

 

「それで、月夜見様に勝てるの?」

 

  大きな口を叩く櫟を豪胆だとは鈴仙も思うが、それで結果がついてくるかは別だ。月軍。それをよく知る鈴仙だからこそなお強く思う。立ち向かうことすら馬鹿げた存在。櫟たち平城十傑がやろうとしていることは、高速道路の中で野球をするだとか、飛行機相手に地球の反対側まで競争するだとか、徒歩で八十日世界一周するだとか、それぐらい無謀で蛮勇なのだ。

 

  鈴仙ならば戦う前から白旗を振る。どころか打つのは逃げの一手。勝てるか勝てないかで言えば、そんなことは頭が春な妖精でも分かる。不安一色な鈴仙に櫟は柔らかな笑みを崩さずに、また一口お茶で口を濡らす。スケートリンクのように滑りの良くなった櫟の口は詰まるということはなく、「勝てないとお思いなんですか?」と不敵なものから揺れ動かない。

 

「むしろ勝てると言う人間の方が変よ。月夜見様よ? 師匠でも首を振るわ」

「ふふ、変ですか。そうかもしれませんが、変であれ、勝てるようにするために私のような者がいるのです」

「櫟のような」

「参謀ですよ」

 

  不可能を可能に。無理を確実に。勝利の発明家。成功の導き人。参謀の辞書にある不可能の文字は破り捨てなければならない。あってはいいのだ。だが、決めた目的に対してそれを口にしてはいけないのだ。できる。簡単。余裕。例え強がり空元気でも、笑ってそれを口にする。故に参謀は参謀足り得る。周りを不安にさせるようでは、居ない方がマシなのだ。

 

  笑顔を決して崩さぬ櫟を見ていると、大丈夫なんじゃないかと鈴仙の頭にも一瞬過るが、月の神の姿を思い出すだけでその畏怖に全てが踏み潰される。絶対に影の踏めぬ影踏み鬼をさせられているに等しい期待と不安の鬼ごっこに終わりはなく、相反する感情の摩擦は行き場を失い、それらをかき落とすように鈴仙は乱雑に頭を掻いた。

 

「全然分かんないわ、だいたい勝つってどうするのよ」

「あ、鈴仙さん諜報活動ですか? 月の兎は怖いですねーこの裏切り者〜」

「私はもう地上の兎! 味方なんだから少しくらい教えてくれたっていいじゃない」

 

  ピンと立った兎の耳へ笑いながら櫟は顔を向けて手を伸ばした。その手をはたき落とす鈴仙に残念そうに櫟はしょんぼりしながら、陽の差す窓へと顔を移した。陽の暖かさに目尻を下げてポツポツと口を滑らせる。

 

「太陽は良いですね暖かくて。誰もの味方です。ですが近づき過ぎれば人の身では太陽の熱に溶かされてしまう。いえ、人でなくともですか」

「えっと、それが?」

「だから遠ざけます。博麗の巫女さんは神を降ろせるそうですね。天照大神と今は対話してもらっているところです。どんな神様もこの一件が始まった時には力を貸さないようにと」

「え? え? なんで? 普通は味方になってって頼むでしょ」

 

  鈴仙の問いに櫟は笑う。そうだろう、普通はそうする。だが櫟も他の九人も普通じゃないのだ。普通じゃない者が普通の手を使うなどつまらない。普通じゃないから普通ではない手を打つ。それに一応は櫟の中では理由もあった。

 

「まずは依姫の力を封じることが一つ。八百万の神の力を行使されては堪ったものじゃありません。天照大神が力を貸さないと決めれば他の神も芋ずる式にその後に続きます。もう一つは、力を貸せより力を貸すなの方が成功率が高いからですよ。どちらの味方になるか? と問われては、天照大神も妹の方に行く可能性が高い。ですがこれは月夜見の独断でしょうからね。どちらの味方にもなるなの方が天照大神も決断しやすいでしょう」

「なるほど」

 

  依姫の名を聞き鈴仙は納得したようだったが、天照大神の力を借りない最大の理由は別にある。言い訳を潰すため。もし天照大神の力を借りる事に成功した場合、勝てたのは天照大神がいたおかげと言われることは確実だ。日本の最高神、その力は甘くはない。それで胸に刃を突き立て月夜見が四散しても、およそ不滅である神は信仰によって蘇る。月夜見ほどの神なら確実に。そうすれば月夜見の思惑通りにいくまで繰り返しだ。故に人の、人と妖魔だけの力で退けなければならない。言い訳のしようのない敗北は、相手の思惑を打ち砕く一撃に足り得る。人の時代なのだから人が衰退するまで放っておこうと。だから天照大神の力を借りるわけにはいかないのだ。

 

「でもそんなことでいいの? 悠長にやって、敵がいつ来るかも分からないのに」

「分かりますよ」

「は? どうやってよ」

「鈴仙さんと違って逃げたわけでもなく地上に残ってる玉兎さんたちがいますでしょ? 彼女たちに聞いて貰ってるんですよ」

 

  清蘭と鈴瑚。玉兎にも階級があるように、箝口令を敷いたところで末端に行けば行くほど緩くなってしまうもの。それも仲がいい相手となればより緩く。しかも敵ではないとなれば更に緩くなり、締まりは悪くストンと落ちる。

 

「聞く内容はこうです。月に帰りたいんだけど方法がないんだよねー、今度攻めてくるんでしょ? その時に便乗して帰るからさー、来る日教えてくんない? それまでに準備しとくわ〜。といった具合です。今回の遠征、神に利はあっても、玉兎さんたちにはほとんど利がないでしょう? そんな戦いに一々命を課さねばならぬとなれば不満も出る。相手の策が分からなくとも、準備の時間だけはこれで稼げます」

「清蘭と鈴瑚のやつそんなことしてたなんて……。でも末端情報はそれで良くても、先に重要人物に暗殺者が送られたりは警戒しないの? そういったことは上層部の方で動くだろうから情報は下りないだろうし」

「さすが元軍人さん、目敏いですね。それも大丈夫ですよ。今は拠点を決めていないことがそれの牽制になるのですよ。私たちも適当に動いているようで、意外と良い配置になっているのです」

 

  楠は迷いの竹林と博麗神社を行ったり来たり。桐は白玉楼に常駐し。妖怪の山には梓が。椹はフランドールとこいしという銀の弾丸を抱え、梍は命蓮寺に。櫟は永遠亭におり、残りの者もふらふらと。少なからず積み重なった千年の技術に平城十傑の誰もが最低限の自負があり、楠、桐、椹、梓はそれが通用することを示した。殺しに来た者を殺すだけの自力はある。それを覆すだろう敵の大将格も来ないだろう理由があった。

 

「依姫や豊姫といった者たちに来られるとさすがに困りますが、今月の都は幽閉されていた月人の何人かが暴れた後であり、そしてまだ脱走した者が潜んでいるでしょうからね。こちらに気を割くよりもまずは内側にある腫瘍を切り落としませんと安心できないでしょう?」

 

  そのためにまずこちらから仕掛けた。月に赴いた菖が侵入した監獄で無差別に収容されていた罪人を解き放った理由はこれだ。菖が脱出しやすいようにという意味もあったが、それに加えて挑発の意味もある。人間一人に侵入されて好き勝手やられ放っておくのか。最も平城十傑が恐れているのは、今の平城十傑が死ぬまで放っておこうというもの。永遠を持つ月の民なら容易に取れる手。だがプライドの高い月の民が、やられた後に逃げの一手ともいえる手をむざむざ打つはずもない。気に入らないものは自分の手で潰してこそ。もし月の民が感情より理性を取っても挑発する手が残っている。

 

「あちらが静観を決め込み長い年月来ないと決めても、そしたら藤さんが、というか黴の一族が溜め込んでいるミサイルを月に向かって撃つ予定になっていますから」

「は? はあ⁉︎ ミサイル⁉︎」

「藤さん酷いでしょう? 国境なき医師団に寄付していながら別のところにも寄付していて」

 

  毒と薬は紙一重だ。そして黴の技術は薬よりも毒の側面が強い。毒ガス兵器という分野で世界的に見ても、千年以上の歴史を持ち邁進してきた一族の技術をいったい誰が欲しがるか。大きな声では言えないが、某大国が某戦争で活用したりした。その代わりに受け取ったのはもっと分かりやすい破壊することしかできない暴力。それを敵が怒るまで投げ続ける。しかも敵はどれだけ怒っても幻想郷は破壊できないという寸法だ。幻想郷の結界を壊してしまっては前線基地足り得ない。幻想郷より穢れた外の世界に先に一歩を出した場合、平城十傑、及び必要な戦力は幻想郷にあるため問題なく、先に外の世界の強者が勝手に相手してくれる。

 

「……よくそんなのあるわね。藤ってやつ怖すぎでしょ」

「そうでもないですよ? 戦い嫌いですし、何もなければぷかぷか煙吹いてるだけで動きませんし、よくいろいろ諦めますし、体弱いくせに人のことを気にしてばかりで困った人です。そのくせ無能とは言えないので、より困った人なんです」

「櫟詳しいわねその藤ってやつのこと」

「ふふ、幼馴染なんですよ、私と藤さんは」

 

  黴の一族は非常に短命であるため、情報役である唐橋が度々情報のバックアップを取らねばならないせいでこの両家は繋がりが強い。櫟と藤の両名もこの例に漏れず、黴の先代が存命であった頃より付き合いがある。何より藤と櫟が一歳違いで年も近かったため、時代による感性の大きなズレもなく仲良くなるのにそこまで時間が掛からなかった。それに加えて黴と唐橋の家には一種の共通点もある。

 

「私と藤さんの家はどちらも困った一族で強くなるためという理由に自分を削りますからね。私は目を。藤さんは命を。それを続けたくないんですよ私も藤さんも。だから終わりにしたいんです。私も自分の子や孫の目を抉りたくないですから」

「……そう」

「だから私が打てる手は打ち、他のことは藤さんがどうにかするでしょう」

 

  今ある手札を切るのは櫟の役目。そして手札を増やすのは藤の役目。手札を溜めておく必要はない。敵の出方も分からないなら、いくらでも手札を切ればいいのだ。足りなくなっても藤が増やしてくれると櫟は信じているからこそ安心して手札を切れる。それに絶対の自信のある手札もあるのだ。櫟も詳しくない者もいるので強くは言えないが、平城十傑、櫟自身を除いた九枚の中でも菖、梓の二枚は櫟も自信を持てる。

 

  浮かべた櫟の微笑に柔らかさが入ったのを見て、鈴仙も笑顔になった。少し安心すれば出てくるのは悪戯心というもので、鈴仙はこれまでにからかわれた仕返しに、からかってやろうと決意する。耳を揺らしながら鈴仙はシベリアを一口頬張り、お茶で持って糖分を喉の奥に流し込む。

 

「ふーん、櫟ってさ、その藤って男のこと好きなのね」

「はい、好きですよ」

「ぶっ、ごほ、本当に⁉︎」

「さあ?」

 

  櫟の微笑は崩れず、鈴仙の微笑は崩れた。ニコニコ笑いながらシベリアを口に運ぶ櫟の姿に動揺は見られず、どちらが心理的に勝利を得たかは明らかである。いいようにあしらわれた鈴仙は悔しそうにシベリアの残りを口に放り込み空になった湯呑みを二つ盆に乗せ立ち上がる。

 

「はぁ、まあいいわ。櫟が味方で頼もしいって思っときましょ。師匠はどうもやる気を感じないし」

「それはそうでしょう。要は鈴仙さんより親しかった人が敵になるわけですからねー」

「あーはいはい、どうせ私はパシリみたいなもんですよー。また来るわ」

「ええ、また遊ばせてくださいね」

 

  手を振る櫟に呆れながら鈴仙は手を振り返し病室を出て行った。扉が閉まる音に合わせて櫟はホッと息を吐いた。頭を使った後にシベリアだけでは糖分が足りないと口をムニムニと動かして病室の窓辺に寄ると窓を開ける。風に乗って運ばれて来る竹の匂いに鼻を向け、揺れるカーテンの音に耳を澄ませる。揺れる笹の音を聞きながら部屋の味に舌を這わせて窓の縁に櫟は指を滑らせた。

 

  表面すら削れない時の止まったような永遠亭の窓辺に寄りかかり、秋の空気で肺を満たす。その空気を吐き出しながら、ふと揺れるカーテンへ顔を向けた。空気に混じる雨に濡れた蜘蛛の巣のような味。中身のない穴を舐めたような、味のない味を味わって。

 

「……菖ちゃん」

 

  カーテンの影から浮き出るように姿を表すのは黒尽くめの少女。西洋剣をぶら下げて、浮かべた平坦な表情には、僅かに笑みが見て取れた。

 

「ちゃんはよせ。一応私の方が一つ歳を重ねているんだ。傷は癒えたか櫟」

「ええ、平気です。見ますか?」

「どういう傷をつけたかは私が一番分かっている。見る必要もないな」

 

  効率的な会話を好む菖にはからかう隙もなくてつまらないと櫟は頬を膨らませながら、月に向かった時と変わらない菖の様子に内心安堵した。序盤最も危険な仕事を押し付けてしまったが故に、少しの後ろめたさが櫟にはあったが、そんな櫟の内心を見越してか膨らませた櫟の頬を菖は突っつき、冷たい黄泉の吐息を吐く。

 

「私が居ない間はどうだった? 藤に襲われたりしなかったか?」

「そんな度胸がある人なら良かったんですけれど、残念ながら諦めのいい人なので」

「この戦いも諦めることを諦めているからな。楠、桐、椹の出来も良い。やる気のないなどとよく当主以外の者たちからは言われるが、当代の者たちは相当やり手ばかりだ。当たり年だな。これも運命か」

「当主以外の一族の者たちの言葉なんてそこまであてにもなりませんよ。役目より権力が大事な方たちですからね」

 

  当主という者が一族の中でも厄介者扱いな場合の方が多い。唐橋でも当主以外の者は目を抉られて心眼も開けなければただの盲目。その恨みが当主に向くことも多い。坊門もまた子を殺されるため、少なからず恨むを背負う。北条は修行のためもあるが当主を山奥の寺へと追いやり、黴は同じ一族の当主以外触れ合うことも難しい体質。六角は邪眼を恐れ、五辻は風来坊、岩倉に限っては菫は長年生きる化け物だ。同じ一族でありながら、どうしても人とは外れた存在が恐ろしい。家の運営を当主以外が執り行っている場合の方が多かったりする。

 

「まあそんな者たちも今回の結果を受けこれで終わりだと言えば納得するだろう。さすれば肩の荷もおりる」

「それとも言われるがまま無能を演じて次代に流したりしちゃいましょうか。それも一興ですかね」

「思ってもいないことを言うものではないな。ここまで水面下で全て進めたのは櫟と藤だろうに。私も梓もそれを見てきた」

「私は藤さんに乗っかっただけですよ。それだけです」

「……まあいい、それで? 藤は動いているのだろう? 私はなにをする」

「菖ちゃんはもう十分働いていると思いますけど。休んだ方が、でもそう、ならある仙人を仲間に引き入れに行って下さい。数々の動物を使役するそうですが、菖ちゃんならうまくやれるでしょう。仙人相手だと藤さんは見られただけで嫌われる可能性もありますからね」

 

  相変わらず藤に対して過保護な櫟に菖は「分かった」と返し、影の中へ再び消えた。すっかり気配のなくなった病室のベッドに櫟は腰掛けると瞼を開ける。何も写さぬ黒穴を向けるのは、頭の内側、ただ勝利に躙り寄るため、櫟はまた手札を切る。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。