月軍死すべし   作:生崎

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はなけぶり

「疲れたなぁ」

 

  木々の間に道などなく、獣道は歩き易いと言えない。「もう疲れたの?」と得意げな顔を浮かべる天子の顔をぶわりと零した煙で遮りつつ、大きな石の上に藤は足を落とし空を見上げた。

 

  落ちて来たとも言える天界はどこにあるのかも見えず、目に映るのは白い雲と青い空。空を飛ぶのは悪くはなかったのだが、早々に藤が腕を攣りそうになったため断念する羽目になった。そうして歩きながら既に三十分。道が歩き辛いこともあり、藤は老人のように落ちていた木を杖代わりに歩いている。

 

「俺は普段移動も車か飛行機だし、そんな長時間歩かないからなぁ。素晴らしい文明社会が恋しいよ」

 

  「俺が山の主ならトラベレーター*1付けるね」と無意味な愚痴を吹かす藤に鼻を鳴らしつつ天子は呆れた。天界であれほど猛威を振るった人間の姿は綺麗さっぱりない。突っつけばパタリと倒れてしまいそうな青白い顔の人間には心配しか抱けない。ふらふらしながら煙を吐く藤の隣へと天子は歩みを緩めると大袈裟にため息を吐き軽く支えてやる。「なんで天人の私が」という愚痴も忘れずに。

 

「そんな状態なのになんでずっと煙吹いてるのよ。体に悪いならやめときなさいよ」

「これをかい?」

 

  口に咥えた電子タバコを唇で持ち上げ笑う藤に、天子は呆れた笑いしか返せない。四六時中ぷかぷかぷかぷか、外の世界ならあっという間に補導されそうなほどに煙を吹いている姿は、さながら人の形をした蒸気機関車。体の一部というほどに咥え続けている。だから舌のデザインなんかにしてるのかと思いながら唇を尖らせる天子に、藤は咥えていた電子タバコを摘みくるくると回すとその尻を天子に向けて微笑んだ。

 

「そう言わないでくれよ。一応これの外の世界での名目は呼吸補助器だし、あながち嘘でもないのさ」

「そうなの?」

「普段こうして吸ってるのは万能中和剤なのさ。気休め程度だけどね。俺が開発したんだぞ、凄いだろ」

「中和剤って……やっぱりあれよくないじゃない」

「それもそうだし、助けてくれるのは嬉しいけど手を離してくれ。頼むよ。俺の汗には触れるな、よくて火傷、酷いと壊死する。もっと酷いと……やめとこ」

 

  口を引攣らせてパッと天子は手を離した。藤は毒袋だ。日夜あらゆる効能を含んだ煙を吸っては吐く藤の体の内にはあらゆる毒素が渦巻いている。そのおかげで藤の体液に触れればどんな効果が出るかも分からない。気や魔力の低い一般人相手でさえ、時には瞬時に命を奪うこともあるだろう劇薬だ。吸血鬼が藤の血を吸おうものなら、それだけで昇天する可能性さえある。天子の反応に嫌な顔一つせずに歩き続ける藤の背を天子は少しの間見つめ、ムッとした顔をするとまた軽く藤を支えた。

 

「おいおい」

「私は天人様よ! 人間一人にビビるわけないでしょ! だいたいこの後あの妖怪に会うってのにここで倒れられちゃ困るのよ。折角面白くなって来たのに」

「いやでも」

「うっさいわね! 気合いよ気合い! 気合いさえあればだいたいどうとでもなるのよ!」

 

  そっぽを向いて喚く天子に藤は諦め、電子タバコを咥え直し煙を吹いた。楽しそうに煙を燻らす藤の顔を天子は横目に眺めて、藤の咥える長い舌の動きを目で追った。

 

「咥えてるやつってそれしかないの? 気に入ってるのね」

「ああこれか……まあ気に入ってるな」

「趣味が良いとは言えないけど、藤のセンスとも思えないし、誰かから貰ったの?」

「ああ、そうだな。貰った。……先代の形見だ」

 

  そう言って電子タバコを掲げる藤の微笑を見て、天子はなんとも言えない顔になる。触れ辛い話題に頭を掻く天子の内面を見越したように、藤は黙るよりも口を動かす。

 

「先代は二十五で死んだ。俺が十四の頃の話だ。俺が七つの頃からの付き合いでな、いつもゴスロリパンクって言うのか? そんな服を着ててな。デスメタルを聴くのと演奏することが趣味だった。面白いだろう?」

「へぇ、仲よかったのね」

「まあ悪くはなかったな」

 

  黴の当主に選ばれ修行が本格的に始まれば、普通の人と同じ生活は送れない。万が一があっては困るため、食事も一人で済ませ風呂も同じ、海や川で遊ぶのなど以ての外。その例外の唯一が同じ黴の当主だ。黴の薬煙に耐性を持つ数少ない人間。

 

「先代は俺が風呂に入ってれば勝手に入ってくるわ、プールに投げ込むわ、女性にしては破天荒な人だったよ。夜になるとよくギターを弾いて歌ってくれた、ほとんどデスメタだったけどね。ギターの趣味も変わってて、大きな口がプリントされたギターでな。習ったから俺も弾けるぞ」

「好きだったの?」

「まあ……俺の初恋だよ、先代がまだ生きてたら結婚してたんじゃないかな」

 

  そう笑いながら話す藤につられて天子もつい笑ってしまう。黴にとって恋愛など遠い夢だ。同じ当主以外肌で触れ合うことも難しい。横を歩く天子に目を落として、藤は輪っかの形の煙を吹き遊ぶ。

 

「天子は先代に似てるよ。先代もやるだけやろうってタイプだったから」

「ふーん、それで私に惚れたってわけ」

「惚れそうってだけさ。自信過剰だね。流石天人様」

「な、なによそれ。まあ私の方がいい女だろうし? 藤じゃあ釣り合わないでしょうね!」

「だろうね、それより着くみたいだぞ」

 

  流れる風に花の匂いが混じりだす。緩やかになった斜面をいくらか歩けば、空気にまで黄色が薄く混じった。太い木の間を抜ければ、人の背ほどの大きな向日葵が一面に広がり風に揺れている。空からは黄色い点に見えた一画は、黄色い絨毯となって目の前に広がっている。鮮やかな向日葵を見て、藤は笑いながらも小さく眉を寄せた。

 

「いや素晴らしいな。……ただ今が秋ということを考えなければの話だが」

「ここまで綺麗に咲いてるってことは絶対いるわね。良かったじゃない留守じゃないみたいよ」

 

  真夏をとうに通り過ぎ、紅葉した葉が流れてくる中で鮮やかに花開く向日葵の美しさは、綺麗を通り過ぎて不気味でさえある。天子の皮肉に肩を竦めながら一歩、藤が足を出すのと同時に、立ち並んだ向日葵がゆっくりと横に動き道を作った。動きが止まれば、初めからそこにあったかのように風に揺れて頭を揺らす向日葵の姿に、藤は咥えていた電子タバコをヘタリと下げる。

 

「行くべきか行かざるべきか……、帰りたくなってきたなぁ」

「ちょっと、月軍と戦うってのにこんなんでビビってるの?」

「あのね、やるとは決めたさ。だが怖いか怖くないかは全く別の話なんだよ。愚痴くらい言わせてくれないかい。なにを言っても行きはするんだからさ」

 

  どうせなにが待っていても、これは必要なことだ。行かないという選択肢を早々に諦め、「せいぜい歓迎されよう」と藤は足を動かし、太陽の道へと踏み入った。

 

  耕された田畑のように柔らかな土に足を落とす。雲の上にあったくせに全く柔らかくなかった天界と違い、雲の上を歩いているような感覚に藤は苦笑した。両脇に立つ緑って黄色の壁に目を流しつつ、薄くなってきた壁の間から見える日傘を目に留めた。ピンク色の花開いた傘の布地が、向日葵の茎からせり出してくるように露わになる。くるくると左右に小さく傘は楽しげに回っていたが、それがぴたりと止まるのに合わせて藤と天子も足を止めた。

 

「いいところですね。花と土の匂いしかしない」

 

  最初に口を開いたのは藤。周りの向日葵に目を向けながら、煙と共に日傘に向けて吐き出した。日傘から返事は返って来ず、また小さく左右に回るばかり。余裕そうな態度に牙を向こうとする天子を横目に見た藤はその頭を小さく叩き止める。

 

「だが、この素晴らしい景色もいつまであるか。俺は平城十傑、黴家第一六四代目当主 黴 藤。風見幽香殿、貴女の力を借りたい。月の神と戦うために」

「……月夜見ね。…………藤なんて、もう見頃*2は過ぎてるでしょうに。面白そうなのが近付いて来たかと思えば、つまらないことを言うのね」

 

  ゆっくりと日傘が横を向き、出てくるのは鮮やかな緑の髪、どんな花の足元にもある葉のように揺れて。細められた少女の紅い瞳が藤に突き付けられた。血で染めたような瞳の色と薄い笑みに藤は表情を誤魔化すため口を手で覆い煙を吹く。

 

「まあ確かにつまらないことだが、このつまらないことを放っておくと世界が終わるんでね。風見幽香殿は、ただ月を眺めるだけで放っておくくちですかな?」

「弱い子っていうのはどうして群れたがるのかしらね。強ければ気にすることもない。日差しが強ければ傘をさす。気に入らなければ潰すだけ。違う?」

「どうせ潰すなら一緒にやった方が効率はいいでしょう?」

「あら? でも友人は選ばないと。つまらない相手が隣にいると先に潰したくなってしまうもの」

 

  幽香の瞳の輝きの鋭さが増した。ゆらりと立ち上った妖気の妖香に藤は顔を歪めて電子タバコのカートリッジを噛んで引き抜き換装するが、その前に腕を組み顔をつまらなそうにヒン曲げた天子が立った。天子の横から藤は顔を覗き込むが、不満そうな空気を滲ませるだけで目すら向けない。天子の目は幽香に固定され、紅い瞳同士がかち合う。

 

「いつまでぐちぐち言い合ってんの! 勝負で勝ったら言うこと聞けとか言っときゃいいのよ!」

「優雅さに欠けるわね貴女、不良天人は仲間にできたみたいだけど、もう十分ではないの? それに私はそれに加わりたくないわね、品位が落ちそうだし」

「月夜見と戦うのに十分などということはないでしょう。貴女の力が必要だ。それに格なら一応この天人様が一番上だったり」

「はぁ……、私の力? 貴方は私のなにを知っているのかしら人間」

「なんでも、と言えば格好がつくんだが、それはこれから知るとしようか」

 

  「あっそう」と優しく微笑んで、幽香は傘を折り畳むとゆっくりと振り藤と天子に突き付ける。弧を描いて輝きを増していく魔力を睨みつけ、緋想の剣を大地に突き立て歯を食い縛る天子の背後から藤は横薙ぎに煙を吹いた。薄い白煙のレールに乗って、吐き出された閃光は天子の青い髪を擦りながら空へと逸れる。目の前を過ぎ去っていく妖力の奔流に天子は口端を歪めながら微動だにせず、それが過ぎ去った頃にヘタリと地面に膝をついた。

 

「あら面白い、天人様が腰を抜かしてるわ」

「な⁉︎ ち、違うわよ! む、むぅぅ‼︎」

「ああ天子、少し吸ったな。魔力を緩めろ溶けるだけだぞ」

 

  天子の肩に手を置いて、ゆっくりと藤は前に出た。口元から大量の煙を吐き出しながら、杖代わりに持っていた木の棒を投げ出して。風に揺れて空に飛んでいく白煙が向日葵に触れれば、夢が覚めるように急速に枯れて溶け落ちた。それを横目に見た幽香の目の端が釣り上がる。それに微笑を藤は返し、また向日葵に向けて白煙を吐いた。

 

「夢は終わりだ幽香殿。少しだけなら貴女の魔法を解くだけで終わる。長期戦は苦手でね、それに土壌汚染はしたくない。いくら自然物しか使っていなくても劇薬なんだよ。天子じゃないが……何分がいい?」

「平城十傑、好き勝手言うわね。苛め甲斐がありそう、そうね……三分。本気で相手してあげる。耐えられれば、少しだけ貴方の話を聞きましょう人間。耐えられなければ」

「月の神が来るのを見なくて済む。素敵だね」

「でしょ?」

 

  「じゃあ天子また後で」と藤に後ろ蹴りを喰らい、天子はゴロゴロと背後に転がる。直後に膨れ上がった白煙と妖気の乱気流に揉みくちゃにされ、天子は黄色い絨毯から弾かれた。

 

 

 ***

 

 

  太陽の畑の姿が白煙に飲まれた。黄色い絨毯は土色に変わり、その上には秋の花草だけが残される。その白煙を閃光が散らすが、白煙に触れるたびに妖気の槍は形を失い、潰れたトマトのように地面へ溶けた。生物のように地面を這いずってくる白い悪魔に舌を打ちながら、幽香は傘を広げ宙を舞う。

 

  白いカーテンを纏うように白煙の中からずるりと人影が這い出る。翡翠色の目が揺れる緑色の髪を追って流れた。口から長い舌を引き抜いて口を尖らせると矢のように鋭く白煙を吐いた。

 

  男の口から吐き出された飛行機雲が薄く広がりながら少女を追い、手に持つ花を折り畳み放たれた妖力の川を柔らかく受け止める。音もなくシーツに包まれたように勢いの失せていく魔力の流れは、次第に表面が溶け、雨となって大地に降り注ぐ。幽香の色に染まっていく大地を踏みしめながら、小さく藤は咳をして口に溜まった赤い液体を地に吐いた。

 

  一分。秒にして経ったの六十秒で、地は抉れ、空には白煙が立ち上っている。災害同士の対面のような地に足を踏み入れられる者はおらず、少し気にして覗きに来た小さな妖魔は、白煙から溢れた妖気の塊に潰されひっそりと消えた。

 

  妖気の川を受け止めきり、穴の空いた白く柔らかな壁はすぐに風に揺らめきその穴を埋める。大地を隠す白いベールを空から眺め、幽香は薄く笑いながらも内心で大きく舌を打つ。

 

  力が上手く流れない。ただ強い一撃にはそれより強い一撃をぶつければ事は済む。だが、形なく、柔らかな怪物の触手はいくらなぎ払おうとも消えることなく揺らめくばかり。白い壁の向こう側でゆっくり動く二つの翡翠色の光に目を落として、再び軽く妖力の礫を落とす。

 

  水が岩を避けて流れるように、風が大木を避けて流れるように、白い壁に当たった礫は緩やかにその表面を滑り溶けていく。フライパンの上のバターのように小さくなった礫が翡翠色の光からだいぶ逸れてその中へと消えたと同時に、煙の壁が幽香目掛けて隆起した。

 

  傘を振った風圧でそれを弾き、幽香は再びゆっくりと動く人間の目へ顔を向ける。

 

(面倒ね)

 

  なにに白煙が反応を示すのかはすでに理解した。だが、理解したからと言ってそれが消え去るわけではない。白煙が薄らぎ色すらなくなった空気を吸い込めば、微量ながら幽香の内に溢れる力が溶ける。身体の内側で溶けた妖気が流れ落ちてゆく奇妙な感覚を腕を振って誤魔化しながら、強く傘の柄を握り締めた。

 

  三分。ただ時間を潰される相手としてこれほど嫌な相手はいない。あっという間に減っていく時間の中で、ただ見ていて終わったなどと言う結果を、幽香が許すはずがなかった。一度大きく息を吸うと、光る人間の目に向けて空を蹴り突っ込む。

 

  肌を舐める白煙を突き破り地に着けば、衝撃に白煙は半球状に散り、白い壁のめくれた先に藤が立つ。薄く笑う藤は幽香を見据え小さく腰を落とした。

 

「見つけたわよ、隠れんぼはお終いね!」

「ああ、見つかっちまった」

 

  電子タバコを咥え直した藤の顔へと、握り締めた幽香の傘が振り上げられる。息を吸った藤の目前に迫る一撃に、藤は手を差し出した。笑みを崩さぬ藤に眉を顰めながら振り抜かれた幽香の一撃は、ベシッ、と幽香の想像以下の音を立てて受け止められる。

 

「妖気を抑えて突っ込むってのはいいアイデアだよ。毒の回りが遅くなる。だが、その弱点は八百年前に克服した。妖気を抑えればその分力が落ちるだろう? まあそれでも妖怪の力は強いが、さて俺はなぜ受け止められたのかね?」

 

  傘を掴む藤の右手が捻られ、その動きを追うように傘を握る幽香の左手も動いていく。だが幽香の目はそれを追わない。その目が追うのは藤の口元。吐き出され続けていた白煙は吐き出されず、吸い込まれていくばかり。それと合わせて藤の肌の表面に血管が浮き上がった。それが次第に顔までに至り、瞳の翡翠色の深みが増す。

 

「ッチ‼︎ 薬中が!」

「正解!」

 

  下から掬い上げるように放たれた一撃が幽香の腹部を突き上げる。人の限界を超えた膂力に骨が軋み、こぽりと幽香の口から息が吐き出される。肺が萎めば次に訪れるのは膨張。あたりに立ち込める白煙が、幽香の口へと忍び込む。

 

  ずるりずるりと喉を這いずり肺を満たす白煙が、身の内に広がり妖気を溶かす。散り飛んだ白煙が妖気を貪るために空いた空間を侵食し、肌の表面からその中へと削り取るように侵入した。少女の形をそのままに、内側を舐め回される感触に少女の手から傘が落ちた。力を込めようとするほどにより多くの力が抜け落ち、人間に向けて振り抜いた拳も容易に掴まれてしまう。口の端から赤い線を一筋垂らしながらも微笑を止めぬ藤の目が、口端の歪んだ幽香を見る。

 

「身体の内、妖気が溶けていく感触は独特だろう? 病み付きになるなよ、抜け出せなくなるぞ」

「ふふっ、誰が! ……舐めるなよ人間!」

 

  幽香の手が僅かに藤の手を押し返す。眉を顰めた藤の足が動かさずとも数センチ後方へと下がり、藤の目が見開かれる。黴の薬煙が効いていないわけではない。幽香のうちでは絶え間なく妖力が溶け落ち続け、気を抜けば意識まで落ちそうだ。それを歯を食い縛ることなく、寧ろ横に引き裂いて大きく笑い、笑う幽香の声に呼応するようにより強く妖気を振り絞る。滝のように溶けていく力の感触も楽しむように、足を踏み込み拳を突き出す。

 

  溶け出た力で滑るように幽香の拳は藤の顔を捉え咥えていた電子タバコを弾き飛ばした。口に溜まった血を吐き落とし、藤は幽香を睨むよりも早く落ちた電子タバコを探し汚れを払うと咥え直した。吸い込む血と煙の味に藤は少しの間目を瞑ると、目を開くと同時に笑う少女を殴り返す。

 

「そう来なくては仲間にする意味がない! 幽香、いいな悪くない、貴女が欲しくなった! 勝たせて貰うぞ!」

「あら熱烈な誘い文句だけれど、私弱い奴には興味ないのよ!」

「そうか! ならやっぱり勝たんとな!」

 

  電子タバコを懐にしまう藤の顔が跳ね上がる。口から血を吐き出しながら、握り締めた藤も歯を食い縛って殴り返した。額の切れた幽香の深い笑みに藤は引き攣った笑みを返し、腹部に走った衝撃に血を吹き出す。血溜まりを吐き出した藤に眉を顰めながらも、幽香は拳を振り上げることはやめない。振り抜かれた幽香の拳と、地を踏み締めて頭を振り上げた藤の額とかち合った。骨同士の衝突音にお互い体の芯揺さぶられ後退し、赤と緑の視線が交じる。牙を剥く妖怪の顔を人の微笑が受け止めた。白煙の立ち込める中、互いに顔を突き合わせ、白い壁に相手の姿が隠れてしまわぬように瞬きもしない。

 

「藤、貴方体が弱いでしょう? なのになかなかしぶといのね。長く咲き毒のある藤のような男」

「当たり前だ。まだ月夜見も来てないのにここじゃあまだ倒れられん。約束もあるしね」

「約束?」

「俺は先代に誓った」

 

  『苛烈に生きろ』、それが百六十三代目 黴 藤の口癖だった。体が弱いくせにヘビメタを好み、一通り歌えば血を吐き倒れる。いつも藤が抱えて先代をベッドへと連れて行く時には、「今私は生きてるだろ?」と笑う先代に「生きてるよ」としか返せなかった。かぐや姫も見つからず、繋ぎのように一族の歴史を埋める当主の心がどういう形なのか藤には分からない。そんな当主も二十五で世を去った。そんな先代が死に歩み寄られ床から出れなくなった頃、よく藤にこんな話をしてくれた。

 

『私たちの命の蝋燭は短いわけじゃないのさ。長さは同じ、ただ私たちが人の何倍も激しく燃えているだけなんだよ。だから苛烈に生きろ百六十四代目。後悔のないようただ苛烈に』

 

  その言葉を胸に藤はここまでやって来た。苛烈に。血を吐き出すたびにそれが燃料となるように逆に藤の頭は冴えていく。何をすればいいのか。自分は何を残すべきか。それを決めたからこそ、本当なら十八になり次代の当主を藤は決めなければいけない。決めたは決めたが、その相手に黴の修行を全くしていなかった。

 

「幽香、貴女は幸運だよ。よく覚えておけ、俺は百六十四代目当主 黴 藤。俺が黴家最後の当主だ。俺は終止符を打つためにここに来た。それが俺の人生と諦めた!」

「諦めた? それは殊勝な心掛けね。やりたいこともあるでしょうに」

「俺の他の全ての夢は次代の当主に託した! 後悔はない! 百六十五代目は、新たな時代の黴の当主はきっと、きっと長生きするよ。毒も吐かずに」

「そう、それは……ふふっ、つまらなそうだけど。そのためには」

「ああ勝つさ」

 

  二つの三日月が落ちる。引き結んだ口元を弓の弦のように引き絞り、幽香と藤の全身に力が漲る。溶ける妖気の奥底からそれを破るように。花の蕾が開くが如く、流れ落ちる妖気も気にせずただ妖気を垂れ流す。それを含めた周りの空気を吸い込むように藤は大きく口を開け、振り上げた拳が突き出されれば雲を引く。相手の頭を砕くため。交差する拳は白煙を弾き、天から降る青い光を見易くした。

 

  妖怪の凶撃と人の凶撃に挟まれ散るのは青い髪。二つの拳を顔に受け、小さな少女が錐揉み状に宙を舞う。どしゃりと落ちる少女を受け止めるのは柔らかい土だけ。動かない少女に藤は咳払いを一つして、ぶらぶらと振った両手を再び拳に固める。

 

「……さてと、ん‼︎ 続けようか」

「ええそうね、なかなかいい感触だったわ。次は貴方よ」

「──次とかないから⁉︎ なんで何度も私を無視するのよ! 三分! 三分経ったわよ! はいお終いお終い! ふんっ! 次は私が相手になるわよ!」

「……天子、マジで不死身かい?」

 

  顔を腫らせて胸を張る天子に、幽香は残念そうに唇を尖らせると、額の血をハンカチで拭い日傘を振って白煙を散らした。咳き込み血を地面に吐き捨てる藤を横目に見ると、幽香はハンカチを藤に投げ渡す。それを藤が受け取るのを見届けると、幽香は軽く手を追いやるように振った。

 

「それ気に入ってるのよ。洗って返しなさいよ藤」

「えぇぇ、マジで? もう俺の血が付いちゃったよ。これは煮沸消毒じゃ足りんぞ。どうしようかねぇ……」

「ならそうね……、私外の世界ってあんまり行ったことないのよね。今の外の世ってハイカラなんでしょう? 今度案内して新しいの買って頂戴よ」

「あぁうん、そう、うん、ハイカラね」

「……なに笑ってるのよ」

 

  鋭く尖った幽香の視線に射抜かれて、藤は苦笑しながら両手を上げて降参する。白煙の薄らいでいく中日傘を開き、ふらつきながらも幽香は歩いた。少しづつ遠くなっていく背中を黙って藤は見送っていたが、天子は変わらず牙を剥く。その頭を小突く力は残念ながら今の藤にはない。

 

「ちょっと! 話聞くんじゃなかったの! 逃げるな! やり足りないなら私と勝負よ!」

「うるさいわよ、折角良い気分なのに。話なら聞くわ、ただこんな花もない場所じゃ退屈でしょう? ほらなに突っ立ってるのよ。行くわよ藤」

 

  そう言って振り返った幽香は、再び歩いていく。藤と天子は顔を見合わせ肩を竦めた。藤は苦笑し、天子は口角をうんと下げて。

 

「うっそ……。ひょっとしてこれからアレも一緒? ねえ藤」

「頼もしくて涙が出るね。次はどこに行くのがいいか……。命蓮寺か、地霊殿か、妖怪の山は……行かなくて良さそうだ」

 

  見上げた山の影から煙が上がっている。欠けた山頂の一部を見て幽香の背へ目を戻し、血を拭った幽香のハンカチを胸元にしまいながら電子タバコを咥え足を出す。「次は?」と聞きついてくる天子に軽く振り返り藤は煙をぶわりと吹いた。

 

「俺にとってかなり重要になる相手のとこに行くとしようかな。ただ会いに行くには場所が分からないし紫殿の力が必要なんだが」

 

  そこまで行って藤は言葉を切った。先を行く幽香が立ち止まり振り返っている。その先に揺れる九つの狐の尾の影を見て、「準備がいいねぇ」と、藤はため息混じりに肩を落とした。

 

「藤? アレが次の相手ってわけ?」

「一応種族としては親戚かな。櫟との話で月軍と戦う時は既に誰がどの大将格を相手取るかある程度考えてるんだ。そう上手くはいかないだろうが、俺の相手はもう決まってるようなもんでね。それと戦う時に必要不可欠な相手がいる」

「ふーん、誰よそれ」

「俺はおそらく敵の雑兵の大部分を相手取る。その雑兵を動かすのは月の女神さ。ああ月夜見じゃないよ、それは最終目標。蓬莱の薬を飲み蝦蟇となった罪人、それが俺の相手の予定だ」

「それって……」

 

  その蛙を狙い単身で何度も月を襲った者がいる。時には異変さえ起こした月人の天敵。菖が月に向かった方法は、その者の軌跡を辿ったに近い。

 

「復讐に狂った神霊との話し合い、無事に終わるといいんだがねぇ」

「……面白いを通り越して怖くなって来たんだけど」

「今更かい? 俺は月夜見が来ると知ってからずっとだよ」

 

  笑いながら煙を空に向かって吐き出す藤の背をしばらく見つめ、呆れた笑いを零しながら天子もその背を追いかけた。

 

 

 

*1
飛行場なんかにある動く床

*2
藤の見頃は四月下旬から五月上旬




どうでもいい設定集③

黴家百六十五代目は百六十三代目の妹の一人。

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