月軍死すべし   作:生崎

41 / 60
化かす化かすが化かされる

  深紅の瞳と漆黒の瞳が重なり合う。鏡合わせのようにお互いの姿を写し取り、少女と少年は向かい合ったまま身じろぎひとつしなかった。漆黒の瞳は全てを吸い込む穴のように少女の視線と情熱を奪い、肌に張り付く冷ややかな空気に少女は冷たい汗を流す。

 

  少女は一息ついて漂う落ち葉から正体を奪う。葉という形を失った落ち葉は、形ない紅い欠片となって舞い落ちた。血のように不定形の紅色が地面に滴り広がる中で、少年、梍は瞬きもせずにただ少女、封獣ぬえを見つめ続ける。落ち葉は所詮落ち葉でしかなく、まやかしはまやかしでしかない。床に散らばる落ち葉を踏みしめながら、苦い顔のぬえから目を離さず、梍もまた口を引き結ぶ。

 

「まてやコラ泥棒!」

「あっはっは! 捕まえてみせろ大盗賊ー!」

「あぁあぁ、私の宝塔返してくださいぃ!」

「姫様の扇子返していただきます、死んでください椹」

 

  落ち葉を掻き分け走る三日月。それを追うのは白い綿毛。虎柄模様の毘沙門天が走り、大太刀の煌めきが視界を斬る。四者四様の姿が梍とぬえの間を行ったり来たり。極力目には入れないようにしながら、梍はぬえから目を離さない。いや、離したくない。耳を塞ぎたくても、それでは不自然。なんとか自然な風を装って、梍は乾いた唇を一度舐める。

 

「やるな。まさか椹先輩や桐先輩をちらつかせるとは、よくできた幻術だに」

「いや、あの……」

「よくできた幻覚だに!」

 

  もうそういうことに梍はしたい。だから耳も塞がなければ目も動かなさい。目の前で振るわれた大太刀は、落ち葉と共に椹と萃香を巻き込んで、壁へと椹を叩きつけた。人の形にくり抜かれた壁に向け、いつのまにか塀の上に座っている萃香が指を指して笑い、そんな鬼に毘沙門天の弟子が躍り掛かる。崩れていく壁の音に梍は口端を崩しながら、なんとか力ない一歩をぬえに向けて踏み出した。

 

「平安京の恐怖の象徴が一人、大妖 鵺。月の神との戦いに是非おんしの力を「うおおお! 相棒! 宿敵だ! 宿敵が来たぞ!」借りえぇぇ……」

「あっはっは! 他の面も奪ってくれるー!」

「ちかちか綺麗ね、つい潰したくなっちゃうわ」

「に、二対一でも引かんぞ! 此方にも相棒がいるんだからな!」

 

  進もうと出した梍の足が一歩を踏めない。後ろから学ランをこころに強く引っ張られ、無理矢理振り向かせようとくっ付いてくる。それでも梍はこころに抵抗し足を強引に踏み込んだ。ズリズリと玉砂利を削りながらよろよろ向かってくる邪眼の男は恐ろしいが情け無い。罵倒の言葉も喉の奥に引っ込み、ぬえはただただ背中の翼をへたらせた。隣で揺らめく狸の尻尾を目に留めて、ぬえは狸の大将へと顔は向けずに目だけを送る。にやけた友人の顔にただぬえは呆れるだけだ。

 

「いやあ、面白いやつらじゃのう。梍以外にもあんなのがいるとは」

「いや、なんていうか、本当に人間?」

 

  ぬえが前へと目を戻せば、壁に空いた人型の穴から飛び出た盗賊が、金魚すくいのように大太刀に絡め取られて本堂に吹っ飛ぶところであった。空を掴みなんとか宙に制止した盗賊は、綿毛のような三つ編みを揺らしながら笑みの皺を鋭く深める。難敵である追っ手に向けて手を向けて、迫る銀線を圧縮した空間で弾く。固められた空気の上を削ぐ刃滑りの音に目尻を歪め、そのままぬえは固まった。

 

  舞い散る落ち葉も、玉砂利を削る足音も、屋根を走る鬼も虎も一様に制止し、その間を銀色が流れる。白い綿毛に向けて落ちる銀色は二つ。盗賊の瞳が大きく揺れる。悪童の笑みを睨みつけながら、二つの銀色は繋いでいた手を離し、床についた足音が時を動かした。それと同時に動かそうとしていた椹の口が勢いよく開き息を吸い込む。

 

「ぎ、銀髪が増えやがった⁉︎ もうメイド服は返したじゃねえか⁉︎」

「返せば許されるわけじゃないでしょうが! これは貴方が妹様を引き連れ歩いて紅魔館の評判を落とした分よ!」

「幽々子様に礼を失した無礼者め! 言葉は不要! ただ斬る!」

「なんで銀髪の奴ってのはこんなおっかな、ぐふぉ⁉︎」

 

  迫るナイフと楼観剣に歯噛みしながら笑顔を潰し、両手を差し出した椹の隙間を縫って桐の足が滑り込んだ。めり込む足に蹴り出され、今度こそ椹は本堂の無双窓を突き抜けて暗闇に消えた。同時に宙に放り出された扇子を優しく桐はその手に取って、ふやけた笑みを庭師に送る。返されるのは半人半霊の苦い顔。妖夢は連れ出された挙句まだ何もしていない。「よかったよかったですねぇ」と一人笑う渡り鳥の頭に妖夢は楼観剣の鞘を力任せに振り下ろす。

 

「痛たた、ひどいです妖夢さん。でもこれで姫様に褒めてもらえますね」

「無理矢理引き摺り回された挙句これってどうなんですか? 私居る意味ないでしょ」

「そんなことないですよ、目の保養です」

 

  二度めの楼観剣の鞘は御免だとスルリと横に滑った桐に鞘は当たらず、虚空を叩き妖夢は苦虫を噛み潰す。呆れて冷ややかな息を零し腰に手を当てる咲夜の前ににゅっと伸びるふやけた笑み。目を瞬く咲夜の手は取らず、桐はただ柔らかな笑みを与える。

 

「いやいや、これほど美しいメイドさんと共闘できるとは幸福ですね。私は五辻 桐と申しますフロイライン。是非ともその冷たい美声でお名前をお聞かせ願いたい」

「……十六夜咲夜。よろしくお願いしますわ白玉楼の居候さん」

「こちらこそよろしくお願いします!」

「こんな事務的な挨拶されてよくそんな元気に返事できますね……」

 

  接待用の使用人の笑顔でも、桐にとっては満足らしい。妖夢はがっくりと肩を落としながら、吐いたため息。それを閃光が貫き四散する。吹き飛んだ玉砂利の石に目を見開きながら妖夢が振り向けば、目に飛び込んでくるのは深紅の灼熱。振り回される炎剣に妖夢は口端を引攣らせ、その炎剣の根元を見つめる。碧色の学ランを頭から羽織る破壊の君。学ランの奥で光る紅い瞳が、炎熱の中を踊っていた。

 

「なんなのコイツ! なんで『目』がないの!」

「なにあれなにあれ! 犬? 狼? 不思議で素敵!」

「いいぞ相棒! これぞ演目犬神だ!」

「……おれはなにをやっているんだろう」

 

  吸血鬼と覚の周りを回る黒い狗。影のような体毛を靡かせて、金色の瞳をギラつかせながらただ跳ね回る。吸血鬼が斬っても殴ってもすり抜けるばかり。実体のない黒狗に合わせて舞い踊るこころは妖艶で美しくはあるが舞っているだけで戦力にはならない。即興で演目などと宣われても、梍には別段できることがあるわけでもなく、ただ破壊と無意識の少女に当ててしまわぬようにそれとなく狗を動かすだけだ。瞬きすれば消えてしまうためそれもできず、乾いていく瞳に梍は怠そうに一歩足を引く。

 

「あの金髪の妖怪怖えな。あんなので斬られたら死んじまうだに」

「相棒! 宿敵には気をつけろ! 気を抜くなよ!」

「気をつけろったってどうすれば……あれ?」

 

  黒狗と遊ぶ少女の姿が減っている。狗と共に飛び跳ねていたこいしの姿は消え去って、フランドールだけが残された。豪快に振り抜かれた炎剣の余波に玉砂利が溶け、落ち葉を燃やし火の粉が散る。その派手さに目を奪われているうちに、梍の視界の下からせり上がってきた小さな手が目の前で打ち鳴った。意識の狭間からの衝撃に、邪眼の前に幕が落ちる。

 

「にひひ、お兄さんの無意識盗んじゃった?」

「わあ相棒! だから宿敵には気をつけろと!」

「ッく、やるな、妖怪。猫騙しとはやられただに」

「ナイスよこいし! 後は私に」

 

  炎剣を振り被ったフランドールの前に轟音と共に白い閃光が横切った。壁にまた一つ人型の穴を開け、白い綿毛が転がった。玉砂利を踏みしめる鈍い音に全員の意識が引っ張られる。砕けた本堂の外壁の破片を蹴りながら、緩く歩いて来るのは大魔導。柔らかい笑みに温かみはなく、弧を描く目元は釣り針のように尖っている、薄く柔肌の上で弾ける魔力の飛沫に梍は口端を引攣らせながら、背後に隠れるこころをただ見送る。

 

「騒がしいですね、なに事でしょう?」

 

  仏の顔は三度もなく、たった一度で火が点いた。

 

  地獄絵図の描かれている庭をゆっくり眺め、中でも突っ立っている男二人と転がる男を目にすると白蓮の眉は小さく跳ねた。幻想郷を掻き回す外来種。それが遂に命蓮寺にやって来た。梍だけならばおとなしかったが、一夜明ければコレである。ふつふつと煮詰まる白蓮の怒りを更に煮つめようと笑うのは鬼。本堂の屋根の上で踏ん反り返り、毘沙門天の宝塔を弄びながら、生仏の腹わたを突っつき出す。

 

「折角のお祭りに不粋だね、こういう時は騒ぐのが吉さ。同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」

「今日は縁日でもないですよ。それに踊るならその宝塔は邪魔でしょう? 星に返してください」

「えー、どうしようかねえ? ただ返すのもつまらないし、返すより他のことがしたいよね」

「そうだよなあ、アンタ他にやることあるもんなあ!」

「あ、あれえ?」

 

  一人でに浮き上がった萃香が上を向けば鬼の身を釣り上げる男の手。ギリギリと耳に痛い歯軋りを落とす人相の悪い顔を見て、萃香はポロリと手から宝塔を落とす。「な、なんでいるのかなぁ?」と零す萃香の言葉により大きく楠は眉をくねらせて、手に持った萃香をぶんぶん振った。

 

「アンタらが暴れるから博麗神社まで苦情が来たんだよ! なんで巫女さんじゃなくて俺が来なきゃなんねえんだ! 呆れて妹紅が帰っちゃったから木の乾燥も終わってねえんだぞ! つまりこういう事だ! アンタが乾燥機!」

「鬼め! 神妙にしろ!」

「うへえ、一寸法師まで貼り付けて来たの?」

「断ればお椀の嬢ちゃんを口に放り込むぜ」

「え? 楠私聞いてないよ⁉︎」

 

  頭の上でペシペシと髪を叩いてくる針妙丸に鬱陶しそうに楠は頭を振り、同じように鬼を掴んだ手を振った。乱暴に掴まれるのは堪らないと萃香は身を霧のように散らすため動こうとするが、不意に萃香の首ねっこを掴む手が一本増える。白い綿毛の一部はたんこぶによって腫れ上がり、血の滴る顔は幽鬼のよう。ギリギリと擦り鳴る歯の音と、ぽたぽた落ちる血垂れの音。鬼をして恐ろしい顔が二つ並んだ姿に、萃香も流石に少し引く。

 

「掴んだぜ萃香嬢! 楠放せ! コイツにゃ借りがあるやな!」

「ふざっけんな椹! アンタな、これはうちの乾燥機だ!」

「ちょっと、調子に乗ってない? 人間」

 

  ────ガツッ。

 

  と、萃香の足が屋根に落ちた。姿形を変えずに質量を増したように男二人を引っ張って。力を凝縮し結晶化したような萃香の腕が振り上がる。柔らかそうな拳は砲弾と同じ。音もなく発射された百鬼夜行を率いる戦船の砲撃が人に迫る。空を貫く豪腕に、二つの舌打ちが打ち出され、片やその拳に向かうように身を寄せて、片や普通に腕を出す。

 

  二つの砲弾は透け捻れ、その着弾点を大きくズラした。萃香の口は歪むよりも横に裂け、温故知新、最新式の玩具の登場に歓喜する。

 

「ふっはっは! なんだよなんだよ! そんなにあたしと遊びたいのか人間たち!」

「はあ? なに言ってんだ萃香嬢、メンドくせえ!」

「遊ぶ前に仕事しろ! だいたい最初に手水舎潰したのアンタだからね!」

「鬼に言うこと聞かせたきゃ、力尽くでやってみな!」

 

  「メンドくせえ‼︎」と二つの声が重なり、小さな戦艦が屋根の瓦を刮ぎ割った。その内に収縮された力は力士十人でも敵わない純粋な暴力。力で受けてはただでは済まない。ただ砕かれひしゃげ散るだけだ。

 

  そうならないために技がある。山を崩す豪腕も、地を割る震脚も、透けては捻れ当たらない。たった二人の人間を追い、萃香は心の底から大きく笑う。術や能力ではない純粋な技術。人が人のまま魔を討つために、神にすら挑むために磨いた手足。石畳を蹴り割って突き出された鬼の拳撃は、同じ極致に至った拳撃に打ち崩された。

 

  押し引かれた拳を振りながら、壁まで飛んだ人影を萃香は見る。楠ではなく椹でもない。紫がかった長い金髪が揺れる。命蓮寺が誇る三人目の人間に、萃香はつまらなそうに口を曲げた。

 

「大したもんだけどさ、ちょっと残念だよね。人の技はご馳走さ。魔法や霊術も綺麗だけどさ、やっぱり無骨な方が好みだよ。肉を裂き骨を絶つ。あたしは骨で感じたいんだ」

「そんなに殴って欲しいなら殴って差し上げましょう。それならいくらでも。おイタが過ぎますよ貴方たち。本堂をこんなにして」

「……なんだろうな、果てしないデジャビュを感じるんだが」

「なーに楠また修繕?」

「やめろ! 言うな! だいたい俺避けてるだけでなんもしてねえよ! 椹のせいだろ!」

 

  大工仕事がまた増える。そんなことは認められない。ただでさえ妹紅と霊夢にこき使われている現状がより悪くなるなど断固誇示だ。椹に指を突きつける楠を見て、椹はその指先の行き先を咲夜と妖夢の間に突っ立っている男へと慌てて流す。

 

「はあ⁉︎ そもそも追っかけて来た桐のせいやな!」

「おやおや責任転嫁ですか? 盗んだ椹のせいでしょう?」

「いえもう貴方たち平城十傑のせいですね。月軍より先にここを戦場にするとは、やっぱり置くんじゃありませんでした」

「あれ……なんかおれまで巻き込まれてる⁉︎ 絶対おれ悪くないだに⁉︎」

 

  とばっちりが邪眼に飛ぶ。白蓮から立ち上る攻撃的な魔力の色が梍の元まで伸びており、梍は誤魔化すように急いでサングラスを掛けるが時すでに遅し。一度飛び火した炎は消えてしまうことなく、梍を火だるまにしようと燃え盛るだけ。崩れそうになる梍の体を背中からこころがなんとか支え、上を向いた梍はその格好のまま固まった。

 

「相棒! 重いぞぉ! シャキッとしてくれ!」

「……やべえだに、逃げるぞ秦さん」

 

  サングラスがズレるのも気にせずに、梍は急いで立ち直るとこころを担ぎ塀へと跳んだ。梍の冷たい体温にこころは首を傾げつつ、二人はぬえとマミゾウの間に滑り込む。梍の青白い顔を見てマミゾウも首を傾げぬえと顔を見合わせた。白蓮たちの闘争から背を向け逃げて来た梍の姿を訝しんで。

 

「どうしたんじゃ梍? ぬえの元に戻って来たか」

「あーもういいよ、仲間になるって。どうせ逃げ場ないしここ気に入ってるし、あんなの見た後じゃやる気起きないって」

「いや違えだに! この色は先輩が!」

 

  梍の邪眼の向く方へぬえとマミゾウは顔を向けると、目を見開いて固まった。白い壁が迫ってくる。疑問の声を柔らかく吸い込んで、秋風に乗って白煙が滑る。崩れた命蓮寺の外壁から、侵入者はあっという間に場を蹂躙し命蓮寺をただ緩やかに包み込んだ。命蓮寺を覆う悪夢のような雲海を見下ろし、塀の上で四人は固まる。中から響く弾けるような音は魔力と霊力、妖力の断末魔。

 

  それに耳を痛めながら四人が目で追うのは、壁の穴から泡のように浮き出て来た翡翠色の二つの光。ゆっくりと雲海の中を泳ぐ光は、塀の上の四つの影をその瞳に写し、柔らかな壁を引き連れながら塀の上へと降り立った。口から伸ばした硬質な舌を唇で回し、吐息と共に白煙を吐く。上には学ランの姿はなく、血塗れのワイシャツに身を包み、藤は赤の混じった白煙を吐いた。

 

「よお梍、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。鵺は仲間にできたようだね」

「藤先輩……、あーっと、大丈夫ですか?」

「大丈夫かって? あっはっは! 全然大丈夫じゃないんだよねこれが! ゴホ、コポ⁉︎」

「ちょ、ちょっと藤大丈夫なの? だから休んだらって言ったのに!」

 

  笑いながら血を吐く藤の背を、白煙を急に突き破って来た青い髪の少女が摩る。「流石天子」と感嘆の台詞を吐きながら血を吐く藤にぬえもマミゾウもドン引きし、新しく空から大輪が落ちる。秋の葉を燻らせて鬱陶しそうに雲海を眺め、閉じた日傘を振って雲の海を真っ二つに割った。雲海の引いた後に残るのは痙攣しながら固まるいくつもの影。痺れ煙の効能に天子は顔を引攣らせながら、震える指先を握り込む。

 

「神霊に体の毒素純化されて死にかけた。しかもまだ話し終わってないからこの後帰らなきゃならない。最悪だろう?」

「えぇぇ……なんで藤先輩来ただにか? 忙しそうなのに」

 

  分からんと肩を大きく竦める藤に代わりに、ため息を吐きながら花の大妖が面倒くさそうにヘタれている鬼を指差した。疲れたように頷くのは大妖が二体。産まれたての子鹿のように震えながら萃香は立ち上がるが、「卑怯者ぉ」と口にしながら一歩を出して銅像と化す。「なんで立てるんだ」と膝をつかない影たちに藤は嬉しそうに頷き、同じように幽香が微笑む。

 

「鬼がああもなるなんて愉快ね。藤、もっと面白いのはないの?」

「それは俺に死ねと言ってるのかい? 今強いの使ったら死ねるよほんと」

「いやあの、藤先輩? 楠先輩も桐先輩も椹先輩も巻き込まれてるんだにが」

「ん? いやあいつらは大丈夫だろう。なんのために霊力だの魔力だのを鍛えてないと思ってるんだい? 鉄人みたいなこの二人は別みたいだが」

「誰が鉄人よ誰が」

 

  胸を張る天子と折り畳んだ日傘を肩に掛けてくるくると回す幽香を指差し、藤は口に咥えていた電子タバコを引き抜いた。それに合わせて塀の上に伸びる三つの手。墓場から這い出て来た亡者のような男たちに藤は手を振り、その笑顔に三つの拳が向けられたがどれも当たらず塀の上に落とされる。弱々しい打撃音に藤は笑い、梍は口の端を深く落とした。

 

「ふ、藤さんふざけんな。お、俺らまで巻き込みやがって」

「藤の旦那、も、もっと穏便な手をせめて使って欲しいやな」

「い、いやはや、私もこれはちょっと、久しぶりに効きますね」

「みんな元気そうで何よりだね。大丈夫、梍が介抱してくれるさ」

「ええええ⁉︎ おれだにか⁉︎」

 

  全く嬉しくない仕事に梍は叫ぶが、藤が三人の男以外の白煙の後に残された少女たちを指さしたことで、梍の叫ぶ気力は地の底に落ちた。唯一梍の肩につま先を伸ばし手を置いてくれる面霊気の少女の同情の色を見ていると涙が出そうだ。そんな梍から目を外すと藤は一度大きく息を吸い込みぶわりと白煙を吐く。赤みを増した空に消えていく薄い煙を目で追って、それより白い天球を仰ぎ見た。

 

「もう夕刻が近いな。梍、聖白蓮殿と伊吹萃香殿をよろしく頼むぞ。もうすぐ会議だ。あの二人には出て貰わんとな。今なら引き摺って行けるだろうさ。聖白蓮殿を連れ出せれば豊聡耳神子殿も引っ張り出せて一石二鳥だ」

「藤先輩は?」

「俺は出ない。うちからは梓と櫟が出る。俺は神霊との最後の詰めだ。天子と幽香が一緒にやってくれるだろうから後は頼むよ」

「ちょ、ちょっと藤! 私たちは留守番てわけ? そんなのつまんないわ!」

 

  牙を剥く天子に藤は肩を竦める。そうは言われても会議が近く天子を連れていけない理由があった。幽香の方へ藤は目を流し、小さく微笑む。

 

「天子は天界代表だろう? 楽しむのは本番でいい。頼むよ幽香」

「いいけど、貸しよ? ちゃんと返しなさい」

「分かっているさ。そういうわけだ梍。月はどうだ?」

「大きな光が一箇所に集まってる……まるで目玉ですよ、大きな目玉だにな」

 

  空に輝く天球が、蛋白石のような輝く瞳を浮かべる。誰を視線で射抜くわけでもなく、月光に溶けて見つめるのは世界。月の表面に漠然と漂う光色の瞳は、白痴や夢遊病者の瞳のようで気味が悪い。そしてそれを唯一地上から見る人間は梍一人。苦く笑い額から汗を垂らす梍を見て藤は小さく白煙を零すと肘で小突く。

 

「よく見ておくといいさ梍。お前だけが見れる景色だよ。お前だけが始まりを見ている。勝利のだよ?」

「発破の掛け方がやらしいですよ先輩。でもまあ悪い気はしないだにな。勝てるだに?」

 

  梍の疑問な藤は笑い、口を開こうとしたが止めてただ煙を吹く。首を傾げる梍に藤は答えをくれず、代わりに答えをくれるのは肩に寄りかかって来た人相の悪い顔。梍の首に楠は腕を回しギリギリと笑みを嚙み潰し浮かべる。

 

「勝つさ、みんないるんだ。 なあ、桐」

 

  楠の問いに楠とは反対の梍の肩に桐がしなだれ掛かる。

 

「勝ちますとも、姫様方に恰好をつけませんと。ねえ椹?」

「勝利はまあ奪ってみたいやな。それも神からよ」

「クッソ重いだにィィ⁉︎ なんで先輩たち乗るだにかぁ⁉︎」

 

  上から椹がのしかかり、梍は潰れないようなんとか踏ん張る。三人を乗せてふらつく梍に大きく顔を破顔させて藤もその上に飛び踊った。ペチャリ。という血の張り付く音に強張る男の顔が四つ。一気に顔を青くさせ、転がる姿はだるま落とし。

 

「のわあああ⁉︎ 藤さんの血が⁉︎ お椀の嬢ちゃん水だ! 水水‼︎」

「ええー⁉︎ お椀の蓋で足りるかな?」

「いやこれは! まだお迎えは早いです⁉︎ 妖夢さんハンカチを!」

「痺れてるのに動けるわけないでしょうが‼︎」

「ありえねえ! こんなのいらねえやな⁉︎ フラン! こいし! ずらかるぞ! 風呂だ風呂!」

「お風呂ー! フランちゃん背中流したげる!」

「分かったから寄りかからないで! 陽に焼けるぅ⁉︎」

「重いだにぃ⁉︎ こんな最後は絶対嫌だに!」

「のわあ! 相棒! 頑張れ引っ張ってやる! スーパー能楽も演ってないのに死ぬなあ!」

「あっはっは! いい気分だね。こりゃいいもんだよ、なあ天子、幽香」

「あぁそ、はあ、楽しそうで良かったわね藤」

「……あほらし」

「ねえマミゾウ、こんなのが仲間で勝てるの?」

「頼もしいじゃろう? 騙されたと思って信じるしかないぞい」

 

  転がる五人の男たちは全く頼もしくは見えない。が、一度動けば太古からの鬼武者。幻想の宝箱を守るに足る者たちなのか、幻想の住人の目は呆れはしても目は離さない。それに足る結果は十分見ている。鬼も狸も鵺もただ薄く笑い月を見る。それらを眺め仏もまた呆れたように小さく笑った。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。