月軍死すべし   作:生崎

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幻想対月軍戦前軍議

  ほっ、と櫟は一息ついて障子を透かす朱色の肌触りに腕を擦った。それと合わせて肌をひり付かせる妖気の気配が一つ。迷い家の縁側から聞こえる茶を啜る音を聞き流しながら、また櫟は深く大きく呼吸をする。

 

「貴女でも緊張するのね櫟」

 

  ポツリと投げかけられた問いに、櫟は口を開くが上手く言葉が出てくれない。ごくりっ、と喉を鳴らしても口の中は乾いていて、生温い空気だけが喉の奥へと進んでいった。目は見えずとも一度目を瞬いて気持ちを落ち着けて、なんとか口の端を持ち上げる。妖気の揺らぎは変わらず、幻想郷の賢者に気取られていることを悟りつつも、櫟は笑顔を崩さない。

 

「しますよ、恐らくこれが最初で最後の軍議。これで緊張しないほど私は大物ではありませんし、それに恐ろしくもある」

 

  魑魅魍魎、百鬼夜行、修羅神仏、聖人君子。それらを率いる主たち。本来なら一人いるだけで世の多くを掌握できる傑物たちが一度に集う。緊張するなという方がおかしい。それに加えて話す内容も内容だ。櫟のせいではないとはいえ、命の掛かった戦の会議。それも戦力を募り集めたのは平城十傑。ただ足並み揃えてスタートラインに立つだけの行為がこれほどの緊張を呼ぶとは櫟も予想外だ。

 

  そもそも櫟にとってもこれは初めてのこと。命を賭けた大戦、千三百年前にたったの一度。それも相手の姿も分からず完敗した相手。それが今はある程度の敵の情報も分かり、当時よりも一騎当千の者たちが多く周りにいる。そしてそれを動かすための話をしようというのだ。死へ向かわせるかもしれない話を。

 

「多くの者が死ぬでしょうね。敵だけなどあり得ない。此方も何人が黄泉道を歩くことになるか。唯一の救いがあるとすれば私は血を見ないで済むことです」

「でしょうね」

 

  呆れたように笑う紫だが、その声には明るさが足りない。櫟とはまた違うが、恐怖、という感情を紫も抱かずにはいられない。

 

  第一次月面戦争。

 

  多くの強大な妖怪を率い紫が月に攻め入った戦いは惨敗に終わった。月の近代兵器の前に多くの妖怪が死に倒れ、妖魔の時代の驕りは叩き潰された。それから幾数年月が経った後に行われた第二次月面戦争は、大規模な戦いというよりは、冷戦地味た戦い。渦巻いた陰謀の決着は、月人に一杯食わせることで落ち着いた。その後の神霊、純狐の起こした異変の際に一度月が幻想郷に手を出して来たが、今回はその時の比ではない。月の意志によって完全に幻想郷を潰しに来る。平城十傑以上に月をよく知る紫が恐怖を覚えないというのは無理からぬことだ。

 

  質だけで言えば第一次月面戦争の時より良いかもしれない。だが、数で言えば圧倒的に少ないと言えた。幻想郷という箱庭で戦力を募っているのだから当然だ。湯呑みの茶に映る夕日に目を落とし、紫は残った茶を一気に飲み干す。不安も一緒に飲み込むように湯呑みを大きく傾けて、少し強めに縁側の上へと湯呑みを置いた。そんな幻想郷の賢者の僅かな機敏を櫟の肌は見逃さず、身を叩く音に小さく微笑む。

 

「紫さんでも緊張するんですね」

「……当たり前ですわ、相手は月なのだから。それも月夜見自らが出てくるのよ。私は貴女たちよりも月のことに詳しいですもの。どれだけ勝率が低いかは私が一番分かっている」

「でも私の案に乗ってくれたでしょう?」

「……理には適っていたからよ」

 

  神の力を借りない。無謀とも言える策ではあるが、長い目で見ればそれで得た勝利には価値がある。神の力などなかろうとあしらうことができるのだと示せれば、伸びてくる手には迷いが生まれる。それだけでも十分だ。なによりプライドの高い月人の鼻柱をへし折るにはそれしかない。

 

  だがそれがどれだけ難しいか。第二次で一矢報いたとは言っても、それは武力によってではない。しかし、今回必要なのは武力による勝利だ。三度目の正直で勝つしかない。そうでなければ幻想郷が消える。姿形は残っていても、中身はまるで違うものに。それだけは許すわけにはいかない。幻想郷は紫の子と言っても相違ないから。

 

「負けるわけにはいかないのよ。今回だけは」

「それは此方もです。勝つしかない」

 

  負ければ人の世が終わる。夢も幻想も消え去って、残るのは生命の薄い不毛な世界。人が神にだけ頼り進歩のなくなった世界。誰も知らない秘境の中でそれが決まってしまう。

 

「……かぐや姫を追っていただけなのに、こんなことになろうとは誰も思いもしなかったでしょうね」

 

  人ひとりを追っていただけで、いつしかそれに世界の命運が乗っかった。この時期に当主になったことを少し恨みながらも、櫟は微笑を崩さない。恨むことも、嘆くこともいくらでもできる。だが、喚いたところで月夜見は来るのだ。世界の命運を見ているだけでなく、手を伸ばせる状況に少々の感謝を込めて、縁側を立った紫の気配に櫟も気を引き締める。

 

  紫が迷い家の座敷に置かれた長机の席に着いたと同時にスキマが開いた。沈みかけている朱色に目を細めながら最初に入って来るのは、夕日よりも紅い気配。血を長年煮詰めたような深い生命の匂いを漂わせる幼い妖女。黒い翼を一度はためかせ、長椅子の端に座った少女を二人目に留め目を細めると、吸血鬼は白い牙をゆったりと覗かせた。

 

「ご機嫌よう、私が一番乗りのようね。パチェを同席させても構わないわね?」

「勿論ですわ、レミリア=スカーレット」

 

  気分良さげに畳に足を落とすレミリアの後には久々に動いた紅魔館の大図書館が続く。強大な魔力と妖力の空気に櫟は腕を摩るが、その空気に冷たさが混じり櫟の肌が産毛立つ。新たにスキマから流れて来るのは半透明の人魂の影。黄泉の冷気を引き連れて、亡霊の姫が顔を出す。紫の姿に微笑みを向け、滑るように畳の上に幽々子は足を進めた。

 

「あら、幽々子は一人で来たのね」

「妖夢と桐は野暮用でね。扇子を取りに行って貰ってるのよ、私も着いていけば良かったわ」

 

  柔らかに笑い紫の隣に腰を下ろした幽々子は、櫟を見ると小さく手を上げた。人よりも薄っすらとした少女の気配の不思議さに緩く笑う櫟だったが、その緩んだ空気に御柱が突き立てられたように引き絞られた。澄んだ山の空気がスキマから流れ込む。神という自然と人の祈りを一身に背負い揺らがない存在感。それと共に吹き荒れる暴風のような空気と、噴火前の火山のような力の結晶に櫟は少し姿勢を正す。姿を見せるは神と天魔。日の本有数の戦神と最高峰の祟り神。幻想郷最大の妖怪勢力、天狗の長。山の四天王が一柱の登場に櫟は身を強張らせたが、見知った気配を感じ取り少しだけ肩の力が抜けた。

 

「梓さん、お久しぶりですね。最後に会ってから二週間も経っていないのに、もう何年も会っていないように感じますね」

「櫟、元気そうで良かった。君の顔を見れて嬉しく思うよ。藤たちの顔を見るのも楽しみだ」

 

  薄く笑みを浮かべて櫟の隣へと歩いて来る梓の背に隠れるように、人知れず気配が一つ増えた。湿気を含んだ暗く冷たい空気を纏う三つの視線。長机の両端に並ぶ妖魔たちの姿に大きくため息を吐きながら、古明地さとりは第三の目を顰めさせた。

 

「お疲れのようですわね、地底の主」

「貴女たちの顔を見たからですよ、それにしても……」

 

  一度咳き込み、さとりは大きく開いたスキマへ目を流した。スキマから薄っすらと漂う白煙の気配に櫟は大きく笑い咳き込んだ。ヨタヨタとスキマから小さな百鬼夜行の主が歩いて来る。その背に続く聖人が二人。片や同じように足取りが怪しく、もう一人はそんな二人から一歩離れるように歩いている。よろめく萃香の姿に勇儀は大笑いし、腰にぶら下げていた瓢箪を投げつけた。顔にべたりと張り付いた瓢箪を手に取って、萃香の顔が破顔する。

 

「あたしの瓢箪! お帰りぃ! もう放さないよ!」

「どこぞの盗賊に貰ってね、返すよ萃香」

「……全く会議の空気ではないですね」

 

  二体の鬼に呆れながら仙人が迷い家の畳を踏む。片腕有角の仙人の登場に二体の鬼は悪い笑みを浮かべるが、何か言われ絡まれる前にスタスタと華扇は二人の前を通り過ぎ後ろへ小さく手をこ招いた。それに引っ張られるように姿を表すのは死神の親類。よく知る気配に今度こそ櫟の気が緩む。その隣では梓がゆっくりと腕を組んだ。

 

「菖ちゃん、良かったです、無事でしたか」

「ちゃんはよせ、私もいいか? 華扇が一人は寂しいと言うのでな」

「言ってませんから⁉︎」

「ええ、さあさ私の隣に」

 

  嬉しそうに笑う櫟だったが、ふとその口角が下がる。月明かりのような空気を感じた。ここ数日何度も身を浸した空気が場を満たす。緩やかに靡く銀髪。月の頭脳の姿に、皆微妙な表情を浮かべた。それを予想していたように八意永琳は一度目を伏せ強く足を出す。その後ろからは人里の代表が緊張した様子で歩いて来た。一言もなく席に着いた二人を最後に、一つのスキマを残し全てが閉じる。

 

  最後に現れるのは幻想郷の守り人。気怠そうにお祓い棒を肩に掛け、面白そうだと野次馬に来た白黒魔法使いを伴って、座る幻想郷の有力者たちを見ると大袈裟にため息を零した。空間に浮かんでいたスキマは全てが埋まり、縁から九つの狐の尾が居間へと滑り込むと障子が一度に同時に閉じる。

 

  八雲紫、八雲藍。

 

  西行寺幽々子。

 

  レミリア=スカーレット、パチュリー=ノーレッジ。

 

  八坂神奈子、洩矢諏訪子、天魔。

 

  古明地さとり。

 

  伊吹萃香、星熊勇儀、茨木華扇。

 

  聖白蓮、豊聡耳神子。

 

  上白沢慧音。

 

  八意永琳。

 

  博麗霊夢、霧雨魔理沙。

 

  足利梓、唐橋櫟、坊門菖。

 

  必要な役者は揃った。長机を挟み顔を突き合わせる人妖神魔。残照が彼らを血に塗れているかのように朱色に染める。それが自らの血か返り血か。それを決める最初で最後の話し合いが静かに幕を開ける。その合図は紫が扇子を閉じる音だ。

 

「さあ始めましょうか。幻想郷の命運を決める話し合いを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  話し合いは想像以上に長引いた。給仕係に徹している藍が一人につき何度茶のお代わりを淹れたかも分からない。声を荒げこそしないものの、静かに淡々とあらゆる方向から言葉が飛ぶ。口から零す言葉以上に、その裏に潜む影を読むのに苦労する。運命を覗くように未来を零す者。死の気配を零す者。力を謳う者。心を覗く者。ただ黙り話を聞く者。神命、天狗の礫、巫女のため息。あらゆる声音をその身に落とし櫟は細く息を吐いた。

 

  話が長引いている一番の要因は簡単だ。誰が舵を切るか。

 

  “栄誉ある” とでも頭に付ければ多少は聞こえ良くなるが、戦力差、能力差、技術格差などを考えれば勝率は高くなく、誰が黄泉比良坂の先陣を切る地獄への道先案内人になるのか決めかねていた。

 

  これに率先して手を挙げたのが、レミリア=スカーレット、天魔、豊聡耳神子の三名。レミリアは第二次月面戦争の際にいち早くパチュリーにロケットを作らせ月に乗り込んだ。天魔は幻想郷で最も多くの兵士を持っている。豊聡耳神子は誰かを率いることにおいては三人の中では一番であろう。三者三様の選ぶに足る理由はあったが、周りの反応は良くはない。

 

  幽々子は微笑みながら茶を啜り、紫は扇で口元を隠す。白蓮は正座し目を閉ざしたまま微動だにせず、この戦いに参加しない神と月の頭脳は退屈そうに話を聞くだけ。さとりは第三の目で周りを見回し、大きくため息を吐いた。

 

「話が進みませんね。ここにいる多くの者が負ける気はないとして、総大将となり勝てば功績も大きい。それを牽制しあってただ時間を潰しては軍議の意味もないでしょう。なんなら私が進行役になってもいいですけど」

「馬鹿を言えよ地底の主。引きこもりを総大将にしてみんなで冬眠でもするの? 蒸し焼きにされて終わる未来しか見えないわね」

 

  鼻を鳴らしさとりの話をレミリアは流す。反対意見は出ることもなく、それが分かっていたと言うようにさとりは視線を横へと外し肩を竦めた。「私こそが相応しい」と胸の前で手を組み得意げに笑うレミリアを見て呆れるのは天魔。

 

「月に行ったからなんだと言うのか。なあ吸血鬼、今回は月に行くのではなく月から来るんだよ。なら自ずと誰が上に立つのかは分かるはずだろう?」

「同意見ですね。ただ、山の信仰を別の者に譲った者が一番上はないと思いますけど」

「宗教家がトップこそないわよ、十字軍の遠征でもあるまいし、神のために戦うのではなく神と戦うんだから」

 

  天魔を神子が咎め、神子を吸血鬼が咎める。不毛なイタチごっこに終わりはなく、巫女と魔法使いはつまらなそうに欠伸をした。我こそはと手を挙げた六つの瞳が火花を上げる中、幽々子は柔らかく微笑んで、注目を集めるために長机の上に強めに湯呑みを置く。

 

「ほんと終わりが見えないわね。幻想郷の者たちの中で大将を決めるから悪いのよ。こうなることは始める前から分かっていたことだもの。なら誰を大将に置けばいいかは決まっているようなものだわ」

 

  そう幽々子が言えば、視線の集まる先は三箇所。一つは幻想郷の調停役である博麗の巫女。もう一つは幻想郷の賢者であるスキマ妖怪。そして最後は平城十傑。強者たちの視線を霊夢は頬杖を突いて流し、紫は動かず、櫟は微笑を崩さない。

 

「なに見てるのよ。私はパスよ、あんたらの大将なんて。だいたい総大将なんてやったことないし、キャラじゃないわ」

 

  霊夢の吐き捨てた言葉に、魔理沙は笑った。言葉を吐かずとも笑い声が賛同の証。霊夢の役割は特別高等警察のようなもので、最低限の規律を守らせる事に向いてはいるが、誰かを率いる事には向いているとは言えない。普段の霊夢の行いを見ていればそれを理解するのは容易く、特に何も言うことなく誰もが目をスキマ妖怪へと見送った。

 

「やれと言われれば勿論やりますけれど、不服な者は多いでしょうね」

「実績がないからよ」

 

  誰が何か言う前に幽々子が口を挟み笑った。その笑顔に唇を尖らせながら紫は扇を音を立てて閉じる。紫の力量を疑う者はいない。だが、第一次に完敗し、第二次も武力で終ぞ勝っていない。その紫に三回目を任せるかと問われれば、手をこ招くのも理解できる。最後に回ってきた視線を受け、梓は腕を組み、櫟は「私たちこそ実績がありません」と、視線に返す。「でもそれは千三百年前のことでしょう?」と紫が助け舟を出してくれるが、「それは紫さんにも言えますね」と流れてきた舟を櫟は見送った。

 

「元々、月夜見が来ると私たちより早くに外の世界で準備していたのは彼ら。そして神と戦うための策ももう打っている。そのまま大将になっても構わないと思うけれど」

「幻想郷の賢者が後ろ盾か? それともその方が自由に動けるからか。なんにせよ、千三百年前、勝負にすらならなかった者を大将にするとは正気を疑う」

 

  紫の言葉をレミリアが制するが、そんな吸血鬼を百鬼夜行の主が笑う。

 

「それこそおかしいだろう? こいつらは千三百年前の奴らじゃないんだ。長く生きるあたしたちとは違うさ。それはここにいる全員が感じてることだと思うけど」

「鬼が人の肩を持つんですか?」

「こいつらのことは気に入ってるんだ」

 

  覚妖怪の瞳に返される笑顔が三つ。升と盃に瓢箪の酒を萃香は注ぎ、自分はそのまま口へ瓢箪を傾ける。軍議中に酒盛りを始めた鬼に呆れながら、流れてきた酒気を手で払い白蓮は閉じていた瞼を開けた。

 

「誰が上に立つかなどどうでもいいことです。私が気になるのは戦わぬ者はどうするのか、ということですよ。人里の者たちや妖精、弱い妖怪たちをどうする気ですか」

「それは私も聞きたい。人里は今不安に包まれている。人里は他の場所と違い率いる者が居ないからな。幻想郷が動いた時どうなるか知りたいのだ」

 

  白蓮に慧音が続く。「後で話そうと思っていたけど」と紫は櫟に目を送り、小さく櫟は頷いた。

 

「慧音さんと言いましたね? 貴女の能力で隠して頂きます」

「私の? いや、だが」

 

  慧音の寄せられた眉に櫟は変わらず微笑んだ。慧音の歴史を食べる程度の能力を使えば、無かった事にして存在を隠すことができるが、実体験として知っている長命の者には効果がない。そんなことはもう聞いていると、櫟は紫の方へ閉じた視線を送る。

 

「紫さんの能力と合わせるのです。歴史という無限にある分岐点の境界に幻想郷の全てを隠します」

「幻想郷の全て?」

「人里、紅魔館、妖怪の山、白玉楼、永遠亭、地底、命蓮寺、博麗神社、戦えぬ者、全てを。残された広大な森と山と岩と川が戦場です。月の都と違い、命溢れる森の中ならこちらの方が上手でしょう」

 

  慧音の問いへの答えに声は返されず、そのまま櫟は言葉を続けた。

 

「そして隠した幻想郷の都の防衛には、八坂神奈子様に洩矢諏訪子様、八意永琳さんと先代の博麗の巫女さんにお願いします」

「神の力は借りないんじゃなかったのか?」

「そこまで攻められた時は私たちはもういないでしょうから保険というやつですよ」

 

  魔理沙の疑問に死んでるからね、とさらりと言って櫟は笑う。あまりに迷いがなかったおかげで問うた魔理沙の方が苦笑した。

 

「ただ負けずとも慧音さんと紫さんのどちらかがやられた場合その魔法は解けてしまうでしょうから、お二人をしっかり守らねばなりませんけれど」

「博麗大結界はどうするのよ、そのままなんでしょ?」

 

  珍しく博麗の巫女らしいことを言う霊夢に何人か驚いたが、櫟は変わらず言葉を返した。

 

「勿論そのままです。それに多少強度を落として」

「はあ? 強度を落とすって、壊れたらどうするのよ」

「困りますね。でもそれは月の者も。幻想郷の結界が壊れれば幻想郷を手に入れる意味がなくなりますからね。これで敵は威力があるだろう広域殲滅兵器は使えない。残された方法は森の中に潜む我々を力で潰すことです。これで少なくとも戦いにはなる」

 

  櫟はそこで言葉を切り、紫と永琳に向けて小さく頷く。それに二つの頷きが返され、ホッと櫟は気づかれないくらい僅かに息を吐く。勝利のために幻想郷の結界を人質に取る了承と、千三百年前の二の舞にならない確認。千三百年前の平城京の敗北は、八意永琳が敵だったことが最大の原因だ。永琳印の眠り香に人間たちは手も足も出なかった。それがなく頭が働き手足が動かせればまだどうにかなる。

 

  反対の意見が上がらずに、唸る者たちを紫は眺め、閉じた扇子を手に落とし視線を集めた。全員の目が集まるのを確認してから紫は少し目を伏せる。

 

「櫟の策には一定の価値がある。他の手があるなら別だけど、この通り使える策を持ってきたのは彼らよ」

「紫は彼らを大将にする気なのね」

「千三百年。これほど長く対月軍を想定し技を研いできた者たちは幻想郷の中にはいない。その狂気に賭けるのが一番勝率が高いと思うが故よ。それに幽々子の言う通り、幻想郷の者を誰か下手に大将にすればその後遺恨が残る可能性が高い。そういう意味では平等でしょう?」

 

  勝てればの話ではあるが、と誰もそれは口にはしなかった。ここまで来れば、勝てると信じるしかない。ある種の冗談に多くの含み笑いが起こり、そうと決まれば、戦いに最も通じていると言える戦神の目が櫟を射抜いた。

 

「それで? どうする気なんだ平城十傑。どこまで考えている」

 

  敵の動きを。月夜見をよく知る加奈子と永琳。二つの目が櫟に集まり、櫟はスッと背筋を伸ばす。

 

「この戦い、こちらに神がつかないということは既に月夜見も天照大神から聞いていることでしょう。そうなれば、彼らから見れば残りの我らは下等種族。プライドの高い月の民のこと、下手な策は弄さずとも力で潰しに来るでしょう。ただそんな中で厄介なものが一つ」

 

  櫟の話に紫は一度軽く手を振った。開くスキマから落ちてくるのは黒い四つの六角杭。長机の中央に転がった四つの杭はどれも少しヒビが入ったもので、そんな壊れかけた楔にいくつもの首が傾げられた。

 

「それは時間固定結界装置と言いまして、時の流れを固定してしまう代物です。その結界の中では誰にも平等に時が流れる。能力として時を止めたり、加速させることはできない」

「咲夜の天敵みたいなやつね」

「かぐや姫にとってもですよ」

 

  月人が警戒するのは月人。永遠を操る姫の能力を必ず月軍は警戒する。紅魔のメイドと月の姫を使い物にならなくさせるこの装置を、相手が使わないわけがない。

 

「ですが河童さんと吸血鬼の妹さんのおかげで壊し方は分かりました。この杭の上部に破壊の目を集める装置が付いています。この装置は四つで一つ。その破壊の目を集めている四つの箱を壊せれば結界も壊れる」

 

  そしてそこに勝機がある。永遠を手に動ければ、輝夜一人でほとんどの敵は問題にならない。だがこの装置こそが、大きな問題なのだ。壊すべき箱が四つ。そして敵の大将も四人。依姫、豊姫、天探女、嫦娥。必ずこの四人が箱を持つ。安心して持たせられる者は他にはいない。そう言い切った櫟に、そう信じ切っていると心を覗いたさとりが眉を顰めた。

 

「月夜見が全て持つということはないんですか? なぜその四人と?」

「誰が相手だろうと月夜見だけは負けない自信があるでしょうから。どんな装置や武器を使わずとも、月夜見はその身一つで誰を相手にしても負けないだろう能力を有している」

 

  月夜見の能力。その言葉に全員の意識が集まった。加奈子は腕を組み細く長く息を吐き、永琳は茶を喉へと流し込むことで口を挟むことを止める。

 

「『万象を反射する程度の能力』」

 

  拳も刃も矢も火も雷も、月夜見には何も届かない。永遠に殴り続けようと、殴った方の手がおかしくなるだけだ。いくつかの生唾を飲み込む音を聞きながら、櫟は乾いた唇を舐めた。

 

「そんなわけで月夜見以外は結界さえ解ければかぐや姫一人で最悪どうとでもなります」

「いや、一番の問題が残ったままじゃない。月夜見はどうするのよ」

「どうしましょうね?」

 

  もう開き直ってそう言うしかない。櫟も月夜見の能力を聞いてからどうしようかと考えを巡らせ続けているが、これだけは名案も妙案も全く出なかった。笑う櫟に誰もが呆れてしまうが、それは誰もが同じ。月夜見とどう戦うか。誰も案は浮かばない。鈴仙が永琳でも首を横に振るうといった理由はここにある。少しの間沈黙が流れ、重くなった空気を変えようと、「そもそも」と霊夢が口を開いた。

 

「輝夜はここにいないけど、あいつは戦う気あるの? 永琳が参加しないとは聞いてるけど」

 

  月の頭脳に博麗の巫女のやる気なさげな目が送られた。その目に永琳は目を返さず、瞳を閉じて顔を背けた。

 

「姫様は……どうかしらね。今の姫様の心は私にも読めない」

「ちょっと、そこからなわけ? 結界装置がどうのこうの以前の話じゃない」

「だが、彼女が大将だ」

「はあ?」

 

  誰が声を上げたのか。全員かもしれないし、そうでないかもしれない。これまで口を挟まず腕を組み黙っていた梓が零した一言によって、梓に視線が集中する。多くの視線が突き刺さっても変わらず、梓は、「総大将はかぐや姫様だ」と言い淀むことなく再度言い放つ。

 

「梓が平城十傑の大将なんだからお前さんが大将じゃないのかい? かぐや姫が大将?」

「そうだ勇儀。我らはかぐや姫様を追って来た。我らに大将を任せてもいいと言ってくれるなら、その御旗はかぐや姫様以外にありえない」

「……やる気があるのかどうかも分からないやつを大将にする意味が分からないんだけど。勝つ気ないの?」

 

  これにはこれまで静観していた諏訪子も呆れてしまう。が、そんな神の唖然とした顔を向けられても、梓の答えは変わらず。「やる気は今に分かるだろう」と、身動ぎ一つせずに言い切ってしまう。

 

「今にって、そんな時間あるのかしら? やる気が出るまで百年かかるなんて言われても向こうが待つとは思えないわ。敵がいつ来るかそれとも分かっているの?」

 

  本を閉じ、顔を上げたパチュリーの目が梓を見た。梓は口を開かず、代わりに口を開くのは櫟。「それは……」と、櫟は言葉を続けようとしたが、それに待ったがかかる。扇子で手を打ち、紫は鋭い声で櫟の名を呼ぶ。それにいの一番に答えるのは菖。西洋剣の鍔がかち合う音が座敷に響く。

 

「申し訳ありません、皆さん。少し行くところができました。軍議はこれまで、総大将を迎えに行きます。菖ちゃん」

「ちゃんはよせ。いつでもいい。この時をずっと待っていた。いや、また待つことになるやもしれんがな」

「大丈夫だろう。きっと、我らが賭けてきたものにはそれだけの価値があったと信じよう」

 

  周りの目も気にせず梓、菖、櫟の三人が立ち上がったと同時に紫が手を振りスキマに落ちた。それを見送る幻想郷の瞳をスキマは吸い込み続け一向に閉じる気配はない。紫はスキマから聞こえてくる十の声を聞きながら背後の障子を少し開け、夜空に輝く月を睨む。ただし口元を緩ませて。

 

 


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